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2009年2月16日月曜日

生きていること

いきなり爆発事故が起こる妄想をすることがある。いきなり、謎の爆発に巻き込まれて死んでしまうという。状況把握もできないほどの突然死。

もちろん本気で現実感を喪失しているわけではないんだけどね。でも、そういうことが日常茶飯事という国もある。不幸にも自爆テロの犠牲になって亡くなる人もいる。

そう考えると、今、生きている環境での生存率はものすごく高いんだよね。当たり前だと思うかも知れないけど、そういうことにはもっと感謝した方がいいんじゃないかなと思うんだ。

酒を飲むことも、ある意味じゃ生存率を低くする要因だと思う。長期的には病気を引き起こす要因にもなりうるし、寒い日に路上で寝てしまったら凍死する恐れもある。そうでなくても、転倒して打ち所が悪ければ死んでしまう。結構、人間って簡単に死ぬと思う。

だって、身の回りにあるモノで簡単に死ねるんだよ。まず包丁がある。そうでなくてもカッターナイフがある。その他にもいろいろ思いついたけど、そのいくつかは周辺住民に多大な被害を与えてしまうので、ここで書くのは自重しておこう。

とにかく物理的には簡単に人間は死ぬ。今、生きているということは、物理的に簡単に死んでしまう人間にとって奇跡の連続に思える。

ただ、人は生まれてきた瞬間に死ぬ運命を背負っている。生まれてきた人間のほぼ90%以上は100年以内に必ず死ぬ。150年たてば100%が死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ・・・といっぱい書いてみた。あえて書いてみた。

要するに、生きている価値を真剣に考えると、その対極には厳然たる事実として死がある。「生きるとは死ぬことと見つけたり。」なんて言葉があるけど、まあ、そんな感じ。

早かれ遅かれ、必ず人は死ぬんだから、そういう意味で一日一日を大事にして、みんなで一生懸命生きていこうね・・・って思うんだなあ。長いも短いもなく、結論としては終焉があって、それがいつになるか分からないんだから。

人類という生命体って面白い。人体そのものも面白いんだけど、それ以上に「群」としての生存システム。たとえば「種」を後世に残さなかった人もいる。だからその人のDNA自体は残らなかったりするんだけど、その人が遺した文化を継承して後世に伝えていく人が現れたりもする。実子でなくとも。

つまり人類が生存していくための生殖活動と文化活動における役割が個体レベルで切り離されても、人類自体の生存率を高めることができるメカニズムって興味深い。

医療などの技術革新でも人類の生存率が高まるし、食糧関連の技術革新でもおんなじだ。また、技術革新でなくとも文化の向上によっても生存率は高まる。文化の成熟によって戦争が少なくなっても人類の生存率は高まる。

気がついたら、なんだか壮大な話になっちゃってたけど、まぁ、とりあえず個体としての私は幸せになっておきたいし、私に関わる人たちも幸せになって欲しいと願っている。

人類細胞のひとつとして、そんなことを考えてました。

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