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2010年10月6日水曜日

不完全を楽しむ

世の中にはいろんな偶然があって、いろんな人生を辿る人がいる。生まれつきの顔や体の違いももちろんのこと、走る速さや持久力などの身体能力。記憶力や頭の回転の早さなど、さまざまな違いがある。その違いの中には、視力の悪さや記憶力の悪さなども含まれている。

正直なところ、私自身も記憶力のよい部類ではない。人の名前はよくど忘れしてしまうし、わりとうっかりをやらかしてしまいやすい。

会ってから日の浅い人を誰かに紹介しようとして、名字をど忘れしてしまうと、とんでもなく気まずい。というか最近ではさっさと謝ってしまう。それから初めて会った人の顔を忘れてしまって、名前と顔が一致しないこともままある。

最近では顔を忘れてしまわないように、先方のお許しを得て顔写真を撮らせていただくこともある。顔写真にお名前を添えて、たまの休日に出会った方々の顔写真と名前を眺める。これでだいたいの場合は解決する。いつも会っているような気になってくるからだ。

こんなことも障碍といえば障碍なのかもしれない。が、実際には自らのアイデアによるアシストで致命的に破綻をきたすことはない。私にとって自分の足りないところをアイデアによって補うことは、視力の悪い人が眼鏡やコンタクトレンズを使うのと同じ感覚だ。

私は連続する単調作業が大の苦手だが、これについてもIT関連の手段を活用することによって、作業の遅さや正確性を補うためのシステムを開発して解決することが多い。

私はあらゆる意味において完璧ではない。ただ、その不完全さをアイデアで補うことを楽しんでいるフシがある。たとえばスケジュール管理が苦手であれば、それを補完するためのツールやシステムによって解決しようとする。

異論を唱える人もいるかもしれないが、記憶力などの基礎能力を鍛えようとする前にアイデアに走る。なぜなら苦手なことを一生懸命に克服しようとする時間などないからだ。ものすごい訓練をして能力的な不完全を克服したとしても、いずれにせよそれはマイナスからの出発だ。

もちろん訓練によって不完全を克服することを否定しているわけではない。苦手なことを克服しようとすることには大きな意義があるし、努力するということ自体すばらしいことだ。

ただ、私の場合はそれを「楽しく」「違う方向から」解決したいという欲求があるだけだ。私が「不完全」にぶつかった時は常にこう考える。「もしも、この不完全が一生どうにもならないと仮定したら、どのような方法で状況を改善することができるのだろうか?」と。

アイデアを考えるためにいろんな不完全パターンを検証しているうちに、幸いにもそれがトレーニングになってしまい不完全が緩和されてしまうこともある。しかし、世の中には「障碍」という名の物理的な要因で状況が改善できないケースもある。

そう考えると、やはり私はアイデアによる解決がしたくなる。自分の不完全をシステムによって改善することができるのだとしたら、私と同じ状態で悩む人にとっても面白いことができるからだ。

おそらく私が記憶力と頭の回転力に困っていなければ、おそらくさまざまなアイデアを考える必要もなかっただろう。しかし、実際には私自身にはさまざまな不完全がある。さらに拡張して考えてみれば、社会全体が抱える不完全というものもある。

そういうものを知ると私はどうにもウズウズしてしまう。どうやったらその状況をラクにできるのだろうか。私はラクをするためにどんな苦労もいとわない。もちろんそこには労力コストと効果を天秤にかけることを忘れない。苦労しまくって効果が薄ければ全体として失敗だから。

いろんな不完全がいろんな人にある。身体的なものであったり人格的なものであったりさまざまだ。「当事者の気持ちになってみろ!」と怒りたくなる種類の不完全を抱えている人もいるだろう。

それでも私はその環境を改善するための「楽しみ」を見いだせたら幸せだと主張したい。それは「あきらめないこと」だから。あきらめない限り必ず心の中の炎は燃え続けるのだから。心の中の炎が燃えているということは、それだけで幸せなんだと思う。

人間である限り、健康だろうが、病気だろうが、なんだろうが、いずれは人生に終わりがくる。「未来に夢を持て」なんていわれても、遠すぎる未来を見つめたら「死」が待っているだけだ。

人間、せいぜい、明日、明後日、一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後・・・程度の未来を見つめながら、今を全速力で燃えながら生きていくのがいいような気がしている。過去にこだわることも、未来にこだわることも意味がない。今、生きているのだから、とにかく燃えて生きる幸せを感じた方がいい。

そんなことを思いつつ、私は、今を燃えながら生きている。
もちろん、ほどほどに手を抜きながら。
ラクができない人は、人をラクにすることもできないだろうから。

私はいろんな人をラクにしたい。
すこしずつでいいから。