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2011年10月12日水曜日

軽作業と一般事務

最初に書いておきたいことは、決して「軽作業や一般事務を馬鹿にしているわけではない」ということ。それでもあえて言いたいのは、私が関わっている当事者については「軽作業や一般事務の仕事の訓練はさせたくない」と私は思っている。

どうにもならないような事情があって、どうしても軽作業や一般事務に進むしかない人も確かにいる。しかし、私の中で「障害者は軽作業か一般事務」という「決めつけ」には抵抗があるのだ。「障害があるんだから軽作業でもやってみたら?」と言われてしまうのだとしたら、そんな人生はどこか寂しい。

何度でも書くが、「軽作業や一般事務がよくない」と言いたいわけではない。そうではなくて「選択肢」が最初から狭められていること自体が気に入らないのだ。適切な考え方かどうか分からないが、実は私は就労支援事業を自分視線で考えている。

もし、自分自身が当事者になってしまったとしたら、どのようなサポートを望むだろうかと、いつも考えている。そして訓練を受けるとしたらどんな内容がいいだろうかと。毎日、楽しい気持ちで訓練の場に通えるためには、どんな環境だと幸せだろうかと。

私は「自分が何もできないから軽作業や一般事務を・・・」という消極的な生き方をしたくない。「できないなら、できるようにしていこう!」という前向きな人生の走り方を伝えていきたいのだ。実際に私がセンター長をしているジョイワークセンターでは、そういう生き方に目覚めた当事者がたくさんいる。

「そんなことを言っても、メンタルの人にそれは過酷じゃないか?」という声もあるだろう。実際にそういう局面がないわけではない。しかし「メンタルだから・・・」という言い訳を背負い続けていくのだろうか。そんな人生の時間は無駄に長すぎると私は思う。

だから、私が担当している当事者については、一切、障害を言い訳にすることを許していない。厳しいと言われようが鬼と言われようが、障害を言い訳にしているうちは、本当の幸せや充実感は得られないのだと思う。本気で働くことのしあわせが分からなければ、自分の殻を捨てることなんてできない。

私が知っている限りにおいて、就労移行支援事業の多くは「教える」「やらせる」ということに重点をおいていて、「考える」ということには重点をおいていないような気がする。そして「軽作業」や「一般事務」の訓練をひたすら続ける機能の施設が多いと思う。

それで幸せになる人もいるのだから悪くないと思う。それが幸せになるならそういう資源を使うことは正しいと思う。しかし、もしも私が当事者になってしまったら、そんな訓練はやらされたくないのだ。他人から言われた仕事を唯々諾々とロボットのように行う仕事はやりたくない。

だから、私は私のような考え方を持っている当事者が幸せになれるような環境を構築している。障害者全体から考えれば、それはとても少ない層かもしれないが、働く意思のある障害者の1%でも需要があれば、私にとっては十分すぎる人数になる。「障害者は障害者らしく○○の仕事でもしていろ」なんて常識はぶちこわしてやりたい。

「できるだけラクな仕事をやりたい」というのは、たぶん「考える仕事の楽しさを知らない」からなんじゃないかと思う。そして「自分の才能と可能性を信じていない」からなんだと思う。試してみることもしないで、自分の可能性を安易に捨ててほしくないと思う。