先日、日経ビジネスオンラインに、
「“Web 2.0″という言葉は死んだ」
という記事が出てました。どうやらWeb2.0という言葉がWeb上で、あまり使われなくなっていたり検索されなくなっているらしい。
かくいう私も「チャラチャラした感じだなー」と思っていて、あんまり好きじゃなかったですねえ。
そもそもWeb2.0というのもあんまり大騒ぎするようなものでもなかった。この言葉が出始めた当時、なんだこれ?・・・と思って数冊本を読んでみたりもしたけど、結論は「だから?」って感じ。そもそもWeb2.0という言葉の定義自体があいまいなんだから。
インターネットの文化そのものが、常に既存の技術の上に蓄積される形で進化しているわけで、それを突然どこかのタイミングを捕まえて「2.0」なんて区分してどうするんだろうと思うんですよ。
「双方向的なもの」とか、ゆるい定義もあるみたいですが、そんなものはインターネットですらない「パソコン通信」と言われる時代から「BBS」として存在してましたから。インターネット上のコミュニティにしたって「BBS」の延長上でしかないように思えるんですよ。本質的には。誰かが何かを書いて、それに対して誰かが反応する・・・という。
※ただ、昔のように通信運営組織が独自仕様で封建的に情報を抱え込む状態から、複数の運営者をまたいで有機的に情報を共有化する流れができた現状はステキな風潮だと思います。
Ajaxを使ったリッチコンテンツといっても、根幹となるjavascriptという技術自体は10年以上も前から存在していて、そのまま死んでいくかと思っていたら、PCの進化によってようやく実用として使えるようになってきたという代物。旧世代のPCでjavascriptを使うと、画面がもったりして重く、とても使えなかった記憶があります。
ちなみにAjaxというのは(Asynchronous Javascript + XML)という意味で、「javascript と XML(というデータ表現形式)という技術を使って非同期に(ユーザ操作によるページ遷移なしで)動くものですよ」という意味でつけたらしい。
でも、実際にはXMLを使わなくてもデータ通信はできるし(JSONというデータ表現形式がある)、非同期というわりに実際には非同期じゃない感じだ。あえて言えばユーザの操作とは同期せずにゴニョゴニョ・・・といった感じか。
A(非同期)でもなく、X(XML)なしでも成立するという意味では、わざわざAjaxなんて名前をつけなくても、「javascript」でいいんじゃないかと。もちろんWeb2.0なんていう曖昧すぎる言葉と比較すれば、ずっと定義が明確なので意味がないとは思わないけれど。
でも、実際にAjaxの本とかを読んでみると、Ajaxのキモともいえる非同期通信そのものよりも、カッコよく便利に使えるjavascriptライブラリを紹介している部分に、より多くの紙面を割いていたりもする。
それも悪くはないんだけど「Ajax」という言葉自体は置いてきぼりだなあという印象。もっとも非同期通信について書くだけなら、5~6ページくらいで書くことがなくなっちゃうからなんだろうけど。
古くはユビキタスとか、最近だとクラウドコンピューティングとか、どうにもしっくりこない用語はたいてい廃れると思う。よく分からない言葉を乱発するのはそろそろやめてほしいなあと。
その昔、ユビキタスを連呼している人に「ユビキタスってなーに?」って聞いてみたら「いつでもどこでも・・・って意味らしいよ。あとは勉強して。」と言われた。勉強してって言われてもなあ。つか、要するに説明できないんだろ・・・って思ったのは内緒です。
「いつでもどこでも・・・」というなら「モバイル端末」って言い切っちゃった方が、手っ取り早いしイメージも簡単だ。「いやいや、それらを包含しているだけで『据え置き』端末も含むんで、それじゃダメなんですよ。」ということなら、「いつでもどこでも」の原則に反しているんじゃないの?
百歩譲って、それなら「モバイル端末&公衆端末」と言った方が、具体的な意味が分かりやすいんじゃなかろうか。または、「ユビキタス」と呼んでもいいけど、意味を聞かれたときに「モバイル端末と公衆端末の総称だよ」と答えられればいいと思う。
ここでひょっとすると「狭義ではそうかな。広義ではそこにとどまらないけどさ。」って言われるかも知れないけど、そんなあいまいな単語をありがたがっていちゃイカンと思うな。
文化的な進化の途上において、狭義と広義に分化してきたならまだ分かるんだよね。でも「単語ありき」から始まって、後からゴテゴテと意味を乗っけてきただけだとしたら、新語または概念として大きな欠陥だと思う。狭義広義に関わらず、単語が指す意味が変わってくるなら、その時点で単語を切り離すべきなんだと思う。
「単語ありき」でふわふわしている用語は虚しい響きがある。クラウドコンピューティングなんて、まさに雲を掴むような名前じゃないか。カッコつけた名前を付けなくても「ネットワークソフトウェア」で十分だ。もしくは「オンラインサービス」でも意味は通じる。
大量発生する新語を見るたびに、つくづく言葉が大事にされていないような気がするよ。言葉の大量消費。言葉の外見は陳腐でもいいの。もっと本質的に分かりやすい表現に回帰した方がいい。
でも、「○○2.1」なんてのが流行ったら、それはそれでアリかなとも思う。流行に流されてなんとなく気の迷いで「2.0」なんて書いたんじゃないんですよ。その後も地味に努力を続けてますよ的な意味での「○○2.1」。
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