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2009年2月28日土曜日

いくつかシステムなりスクリプトなりを書いていると、何回も使い回される部分が決まってくるんですね。毎回毎回、同じモノを作っていては時間の無駄だし、一定したクオリティを保つことが難しくなるわけで。

そこで、ある程度使い回された状態で一つのまとまりにして、それを毎回使うようにしていくと、車輪の再開発をしないで効率化ができていくと。・・・そういうのはソフトウェア開発に関わる人ならみんな知っていることですけど。

少人数でシステム開発と保守を任されていたことがあった。まだ、その頃はハケンじゃなくて、お客様から業務委託の仕事を請け負っていたりしました。あの頃は、家賃も半分経費にしていたから経済的にはだいぶ助かっていたよなぁ・・・と、そんな話じゃなかった。

少人数ゆえに生産性を拡大させていくためには、今、行った仕事を必ず後にも再利用できるための工夫をする必要を感じていました。とにかくスクリプト関連は言うに及ばず、業務帳票から統計分析表まで、全部、使い回しのきくものはまとめていったりとかね。

仕事の型を作る。もうちょっとかっこよく言うと「テンプレートを作る」ということに喜びを感じていたんだなぁ。たぶん私はプログラムを書く人としてはひんしゅくを買うタイプの人だと思う。とにかく関数やらを覚えることが馬鹿馬鹿しかった。そうは言っても、よく使う関数なんかは覚えてしまうんだけど。

プログラム言語と心中するくらいのつもりなら、どこまでも修練してプロフェッショナルになったんだろうと思う。でも、プログラム言語は時代とともに仕組みもスタイルも変わっていく。すると特定の言語を細かいところまで覚えるのがアホらしくってねぇ。

だから、あまり使わなさそうな関数群を初めて使う時にはがんばって調査する。で、それらを使って自分流に「固めた」仕組みを一度作ったら、あとはそこをブラックボックスにしてしまい、後は自分の作ったルールで使い回す。そんなことをしてました。いわゆる自分用パッケージを作るみたいな感じ。

たいていの場合はそれでうまくいくんですよ。一回目は苦労しても、二回目以降からはウソみたいに効率的だったりもした。しかし、そういう仕組みが増えていき、ある一定の時期を超えたときに突然不便になるんですね。

仕組みを「固める」ためには利用シーンを限定するところから始めるワケだけど、だんだんルールに縛られて小回りがきかなくなってくる。そして、自分で決めたルールに適合させるために、回り道をさせられるようになってくるんですね。

しまいには、回り道をしたために計算コストが大きく・・・要するに、その仕組みを使うと処理が重く遅くなってしまったり。さらに悪いことに、そのことが「固めた箱」の利用ルールを外れた新機能を開発しようとした時に、開発コストがかかるようになってしまったり。

たぶん、日常でも新しい自分に変わろうとする時に、既存の「自分ルール」が足を引っ張ることがあるのかもしれませんね。そして自分が新しくなっていくために決めたルールもまた、ある時期がきたら柔軟に見直す必要があるんだと思います。

昆虫が脱皮していくみたいにね。

たかがハケン

(昨日アップできなかった・・・orz)

ハケンを脱出しようと思っている人なので、ハケン万歳な人じゃないです。私。・・・なんですけど、いろんなところからの風当たりは確かに強いですね。ハケン。

何かってーと「ハケンなのに大丈夫なの?」とか、「ハケンなのに勇気あるねえ」とか、「ハケンっていう制度って間違ってると思う!」とか、「ハケンって何でもかんでも文句つけてるよね?」とか。

まとめて返事しよう。

知らん!

しかし、ハケン、ハケン、ハケン・・・って言われると、なんだかそれだけで人格を無視されているような気が最近するよ。日本人は○○だ・・・みたいな乱暴なまとめ方というか、そんな感じ。前にも書いたけどさ、ハケンに限らず職業というのは「服」みたいなもので、着る必要があるから着ているとか、それしか服がないから着ているとか、いろんな事情があると思うんだよね。

他人が着ている服を外野がとやかく言うな!

それを外野がどーだこーだ批判するようなこっちゃないと思いますよ。正直、テレビや新聞はいらないと思う。インターネットは?・・・というと微妙だけど。今のキーワードって言ったら、だいたい「不況」「政治不信」「ハケン」なんじゃないのかと思うけど、メディアとしての注目を集めるためにばらまいているように見える。メディアも不安産業の一種だからね。

スポーツの分野のメンタルコーチングなんかでは、事前のイメージトレーニングが重要なのは周知の事実というヤツで、できる限りポジティブなイメージを作ることは前提中の大前提。それを今、世界レベルで「ネガティブイメージトレーニング」しちゃってる感じなんだよね。

そりゃ経済アナリストに言わせれば、いろいろと小難しい論理を並べ立てて、いかに今が大変な局面でどうにもならないかを説明できるんだろう。そこから導き出される答えにはあまり意味がない。

これから始めようとしている仕事の話をしたら、いかにそれが無理であるかを数時間に渡って説明された・・・というのと同じくらいに時間も努力も無駄だと思う。うまくいかないことの証明というのは、その分野で食っている人しか救わない。要するに後から「だからうまくいくわけないって、オレは前にも説明したんだよ!」みたいな後出しじゃんけん的ずるさがそこにあるような気がするんだよなぁ。

で、ハケンだ。

ハケンにしてもさ、雇用する立場は一時要員として流動的な運用に魅力を感じていたし、ハケン側にしたって一時的な職業として魅力を感じていたわけでしょ。双方に利益があるから社会も容認していたわけだけど、それがうまくいかなくなってくると、「そもそもハケンというものは・・・」なんて論調の後出しじゃんけんをしてくる。

ハケンがいいか悪いかはともかく、そういうのずるいと思います。

2009年2月26日木曜日

時短に挑戦

技術習得や調査というのは意外と時間がかかるという話。ま、そりゃ、どんな知識でも簡単に自分のものにできていれば、何の苦労もないのだけれど。これらの行動のメカニズムを詳細に分析して、少しでも時間を有効利用できないかなということを考えています。調べ物には時間がかかる。こればっかりはがんばっても仕方がない・・・なんて、あきらめずに。

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技術習得:(私の場合)
(1) その技術によってどのような恩恵が得られるのかを確認する。
  →想像している恩恵が得られなければ習得は不要。
(2) その技術に関するライセンス条件や独占有無の確認をする。
  →一社独占のライセンス形態であれば他の技術を探す。
  →それを利用した制作物の配布や販売に関する制限も確認。
(3) その技術にはどのような環境準備が必要なのかを確認する。
  →高額なハードウェアやソフトウェアが必要ならやめる。
(4) その技術がどのような評価を受けているのかを確認する。
  →致命的なバグはないか?将来的にシェアは伸びそうか?
(5) その技術の動作を確認できる簡単なサンプルを探す。
  →保有環境における正常動作を確認する。(前提環境の確認)
  →既知技術の拡張としての知識吸収。
(6) その技術のサンプルに変化を加えて自分の理解度を確認する。
  →異常動作が発生したら、どこが悪かったのかを検証する。
(7) 概念そのものの理解が難しい時は自分用の解説書を作成する。
  →イヤでも分からない箇所が明確になってくるので便利。
(8) さらにその技術を利用して実現したいことの基礎技術を探す。
  →(5)に戻る。
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技術習得の場合は、先に進めば進むほど知識の加速度がついてくる。・・・というのが私が経験的に感じている印象かな。技術体系の選定が終わってしまうと、後は、瑣末な調べモノ。身につけた知識を踏み台にして、次々リンクさせていくだけ。

なので、最初のステップがやたら重かったりするけれども、ある一線を越えると急に楽になるところがあったりします。そこにはどうしても慣れという部分が必要だったりもするんですが。最近はめったにしなくなりましたが、ものすごく難しい場合は(7)を実施して、自分の分かるポイントと分からないポイントを明確にしたりしていました。

最近ではインターネット上に、いろんな方々が情報を出してくれているので、トラブルシューティング調査がラクになったもんです。10数年くらい前のトラブルシューティングというと、英語サイトを読み漁って意味をつかむとか、fjを読むくらいしか解決方法がなかったんですよね。

検索エンジンも今ほど精度が高くなかったので、情報収集にはだいぶ苦労したものです。当時は「yahoo」は使わずに「千里眼サーチ」ばっかり使ってましたね。今では名を知る人も少なくなりましたが。

ところで書いていて当たり前のことに気がついたんですが、(1)~(8)までの全てが、それぞれ「調査」になっているんですね。「調査」→「検討・実習」→「理解」というサイクルの初めに必ずくるものだったりします。サブルーチンとしての「調査」という感じ。

そこで次は「調査」のメカニズムを分解してみます。

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調査:(私の場合)
(1) 調査したいキーワードを複数考える。
(2) 根幹に近いキーワードから遠いキーワードまでを並び替える。
(3) インターネットの検索エンジンに入力して検索する。
(4) 特に気にしているキーワードをブラウザ上で検索する。
(5) 文脈の外ではなく、文脈の中心そうな内容の検索結果を選ぶ。
(6) 書いている人のプロフィールや文脈からレベルを類推する。
  →一般消費者が目標の意見調査であれば素人であるほどよい。
  →専門知識としての参考をしたい場合は玄人であるほどよい。
(7) 検索画面の他のコメントを探す。
  →(5)に戻る
  →(6)で専門知識を求めている場合、特に複数意見を集める。
  →さらにそれぞれの情報の出典や資料の正当性を確認する。
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どうやらこの工程が早くなると、技術習得まで含めて加速しそうな予感がします。「調査」に関するメカニズムでいうと、操作以外のところの高速化が必要です。つまり(3)と(4)以外の全てのスペックを高める必要があります。(3)と(4)については、PC関連への投資を行えばある程度は解消しそうです。日本語入力が遅いとか、そのあたりは精進するしかないですが。

根本的には検索対象に関して、常に複数の適切なキーワードを意識するということなのかも知れません。。ただそれ以上に危険な罠は「検索結果に釣られる」という点ですかね。思いもよらない検索結果が待っていたりして、それが「自分の趣向にストライクど真ん中」だったり「別件の仕事に役立ちそう」だったりと、あの手この手の魔手が襲い掛かります。

ただ、検索中に見つけたそういう獲物を放置するのももったいない話です。そこで、最近ではオンラインサービスのブックマークに、「読んでから振り分け」という暫定フォルダを作成しています。そして、面白そうな獲物が見つかったら、とりあえずそこに放り込んで、すぐ忘れることにしています。

ただ、これだけで効率化されたという実感はないので、まだまだ改善対策を考えていかないといけませんねぇ。

2009年2月25日水曜日

好転

なんだか、みっともないなあ・・・と思いつつ、昨日は公開セルフコーチングをやってみたわけですが、なかなか効果がありました。これはスランプな時に積極的に試してみようと思います。これはブログによる公開セルフコーチングだから意味があるわけですけどね。

正直なところ何者もの邪魔を受けずに集中できる環境で、2時間集中するというのはかなり大変でしたね。まぁ、帰宅前にはハケン仕事で8時間は労働していることもあるんでしょうけど。おまけにやはり睡眠不足が蓄積していたせいか眠くもなるんですよ。本当は2時間ぶっ続けで集中しようと思っていたんですが、さすがにタイマーを一旦止めて、コーヒーを飲んだりしました。たぶん、ブログ上で公開してなかったらそのまま眠ってたんじゃないかなぁ?

読む人が少ないとはいえブログ上で公言したことは、とにかく必ずやり通すんです。ブログで公開するかしないかというのは、このあたりで差がでるのかなあと思います。とりあえず、昨日、自分自身に課した課題は全部クリアしました。当たり前にできそうなことばかりを書いたので、できて当たり前なんですが。でも、ああやって、公開してしまうことによって「ウソをつきたくない自分」が「ナマケモノな自分」に打ち勝ってしまうんですねえ。

それにしてもはかどりました。あれもこれもと無駄に焦るよりも、ひとつのことに集中した方が得られるリターンは大きいです。あまりに具合がよかったので、スケジュール方針を変更して、今週の平日は全部原稿案の作成に振り分けることにしました。開発やらなんやらは、まとまった時間がほしいので土日にシフト。

そういえば、久しぶりに早い時間に布団に入りましたね。集中疲れもあったせいか24時を回った時点では意識がなかったと思います。ただ、途中でなんどか目が覚めました。

正確には寝ぼけているんですが、布団の周りに分厚いテスティング仕様書が散らばっていて、「まだこんなにあるのかよー、全然おわんないよー!」という状況で何度も起こされるという悪夢。そのへんはもはや職業病なんでしょうかね。
※実際には寝床の周りにテスティング仕様書なんてありませんよ。

とりあえず、スランプ脱出の糸口が見えてきたので、本日もタイマーできっちり2時間計って、集中して仕事に励むことにいたします。

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そういえばブログの名前を変えました。なぜなら「ホフク前進日記」で引いてみたら思いのほかヒット数が高くて、かつ、他にもそのままズバリ「ホフク前進日記」を作っている人がいたのです。

できれば、あんまり前例のない名前がいいですからね。そんなことで、今日からは「ビソク前進日記(脱出編)」です。ただ、ぱっとみ「ピンク前進日記」に見えちゃうあたりが微妙ですが、まぁ、ご勘弁を。
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◆本日のホソク(2/25 23:15)

あー、ウソだウソだウソだー!

今日も昨日に引き続いて、2時間ガッチリ時間決めて集中して仕事をしておったワケですよ。昨日のキツさを考えたら2時間って正直どうよ・・・とか思いながら。

いやー!下手こいたー!

昨日の場合、原稿を黙々と打つだけだったというのと、連日の睡眠不足でシンドかったんだけど、今日はちょっとアテが外れた感じ。調査のタスクが入ってくると途端に時間が全然足りなくなっちゃう。

それも、ものすごい勢いで時間がなくなっていくんですわ。あー、やっぱり時間が足りない感じだ。ある程度タスクによって差が出ることは予想していたけど、こんなに差が出ちゃうのは誤算。

とりあえず、今日の2時間はガッチリ仕事で消費しました。・・・だけど、ホントはもうちょっとがんばれそうなんだよなあ・・・。

でも、ま、きっちり2時間でやめておきます。ひょっとすると、昨日、十分に休息を取ったことで疲労が回復したかもしれないし。今日の能率としては納得いかない部分があるけれど、このまま粘って午前3時になってしまったら、昨日考えたことが水の泡になっちゃう。

平日は2時間と決めてメリハリをつけておいて、その代わり、休日に朝から全力運転でゴー!

・・・ということにしよう。
くやしいなあ。もう。

でも、短時間で仕事をするようになった背景には、新規雇用創出事業を意識していることもあるんですよ。あまり長時間働けないライフスタイルの人が、最大限のパフォーマンスを出すためには、どういう環境とどういうポリシーが必要なのか。

私自身をモルモットにして、一番よい方法を検討中です。

2009年2月24日火曜日

悪いスパイラルを絶つ

最近、どうにも能率が悪い。2月に入ってからどうも急速な失速を感じることが多い。やみくもに焦って転ぶ前に、立ち止まって分析することにした。すごく初歩的なところでミスってるんじゃないかと思うんだよね。

ぱっと思いつくところで、課題点は5つ。

(1) 寝る時間が毎日深夜の3時になっている(疲労蓄積)
(2) ブログの書き方に問題がある(時間がかかる)
(3) 今日一日の成果が見えず眠れない(計画立案の不備)
(4) 複数の作業がほとんど進まない(タスク分離ミス)
(5) 集中力の欠如(各タスクの時間制限が未設定)

さて、自分上司というか、自分コーチをつれてきます。

◆さて、進んでいない言い訳を聞こうか?

はい。まず、新規雇用創出プロジェクトについては、サイトを作るために原稿を書いています。ただ、基本案がまとまった上での原稿ではないので、アイデアが縦横無尽に拡散する傾向があります。具体的に原稿案を書き進めるうちに、次に書くべき内容が浮かんだりで、とりとめがなくなってしまいます。

また、外部に見せる資料だけでなく、内部運用のアイデアも次から次へと湧きだしているのですが、こちらも、アイデアが吹き出ている内にまとめておかないとアイデアが逃げてしまうので、ここにも時間を割いています。

◆まだアイデアがまとまりきっていないんだ?

ええ。とりあえず、自分のアイデアを出し切った後に、関係者に客観的に見ていただいて、そこから決定稿にできる文章素材を確定していこうと思っています。

◆それ、締め切りは設定しているの?

はい。自分の中では2月末までにアイデアをまとめて、3月1週で関係者各位に見てもらいます。そして3月2週にはサイト公開を目指して動こうと思っています。

◆で、関係者のスケジュール押さえてる?

あ、いえ。まだです。そうですね、積極的に他の人のスケジュールを押さえる事で、自分の締め切りをダラダラさせないようにすべきでした。とりあえず、今日、関係者に打ち合わせのメールを出します。

◆サービス開発のほうは?

たいしたものじゃないんですが、簡単なユーザ認証部分でちょっと時間がかかっています。当初は単純に PHP + Cookie の認証でもいいかなと思ったんですけど、AJAX的な要素を入れてみようかなと思いまして、そのあたりの実装にちょっと時間がかかってます。ajax.request() の成功時にコールされる関数からの戻り値が認識できなくて。・・・とか、ちょっと調べながらの部分もあって、予想より時間がかかっています。

◆分かるけど、あんまり凝りすぎないでよ?

はい。スクリプトとして美しくなくなっちゃうんですけど、とりあえず他の方法も考えてはいます。まず、当面は、それで回避しようと思います。グローバル変数とかあんまり使いたくないんですけど。

◆こっちの方は締め切りとか決めてる?

はい。一応、2/25中にはなんとかしようと思っています。ただ家に帰ってからの集中力が最近薄い気がするんですよ。

◆締め切りは2/26にしていいから早く寝てください。

そうですね。最近、睡眠時間が4時間から5時間ですもんね。しかも無駄に気分が焦っちゃって睡眠不足・・・というのは自分でも問題だと思います。集中力の不足を感じるのも、そのあたりに原因があるかも知れません。

◆達成可能な詳細スケジュールを立ててください。

はい。明らかに達成可能な目的じゃないと、達成できなかったときに失望するだけですもんね。分かりました。タスクをもう一度整理します。

◆原稿作成と開発については日を分けてください。

なるほど。同時に進めようとして、どっちつかずになってるなあ・・・というイライラがあったんですよね。どちらも急がなきゃ・・・と思って余計に意識が分散していたかもしれません。

◆というか原稿作成が先ですよ?見てもらうんでしょ?

たしかに関係者に目を通していただく間は、時間が空いてしまうんですよね。冷静に考えれば非効率なことが明らかなのに、なんだか焦りで優先順位がグダグダになってました。もうちょっとタスクのクリティカルパスを意識するようにします。

◆ところでこのブログの原稿、書くの苦痛だった?

なんだか考えをまとめているうちに、今日の分ができちゃいました。なんだかコレ、自分的には一粒で二度おいしい感じですよ。なんだか、自分、ブログ日記に対する姿勢が間違ってました。

毎日、毎日、困ってたんですよねー。書くネタがないのにブログ日記を目の前にして、どんどん仕事する時間が削られていくのが、すごく本末転倒な気がして・・・うーん・・・って思ってました。

そもそも、ホフク前進の過程において、「どういう壁で困って」、「どう乗り越えたか」・・・って記録を残そうって趣旨ではじめたブログでしたもんね。へんにネタを考えなくても、セルフコーチとの対話を書くだけで一挙両得だったんですねえ!

◆少なくとも次のことは今日必ず守ってくださいねっ!
  (1) 次の打ち合わせ日時を打診すること!
    →希望としては3月6日までを希望すること!
  (2) 少なくとも今日は原稿作りだけに専念してください。
    →他の仕事は一切しないこと!
  (3) 今日はとにかく2時間以上は仕事しないこと!
    →タイマーでキッチリ2時間計ってくださいよ!
    →明日からの仕事時間は今日の出来をみて決めますからね!
    →集中力を散らすラジオやテレビは禁止ですよ!
    →ダラダラやるのが一番タチが悪いですからね!
    →始めるときには「今から始めます!」と宣言して始めること!
      →アファメーションで「なんとなく」を防いでください!
      →ちゃんと始めた時間と終わる時間を意識してください!
  (4) 今日は必ず24時前には寝ること!
    →23時半には部屋の電気を消してくださいよ!
    →(1)~(3)までできれば今日は完璧ですからね!
      →ヘンにクヨクヨしないで、さくっと寝てください!

◆じゃ、そろそろ戻るんで、あとはしっかりよろしく!

は、はあ。お疲れ様です。ありがとうございました。

・・・こりゃ自分会議というか脳内会議の議事録だ。自分の指導をするのは自分自身なんだよね。大人になるとさ。

さて、今日からの能率があがるかどうか「部下としての自分」と「上司としての自分」のお手並み拝見というところ。

がんばれよぅ!自分!

2009年2月23日月曜日

偉くない

日記を続けて書いていると、定期的に気になることがあるんだよね。気がつくと、文章がすごく偉そうになっちゃったりしてる感じでイヤだなあ・・・って。

たしかにねえ、ブログってほとんど自分ワールドだから、書きたいことをそのまま書いてもいいんだけどね。なんだかイカツイ感じになるのがイヤなんだなぁ。まるでスポットライトを浴びて「こうあるべきだ!」なんてやってるみたいだ。まるで一人きりの国の王様みたいな感じでね。

有名なブログを読んだりしていると、どちらかというと謙虚な人が多いんだけど、たまに「○○はだめだ。」「○○すべきだ。」になっちゃってるブログをたまに見かけるんだなー。いや、もちろん自分のブログで何を書いてもいいんだけど、なんだか引っかかる何か。

たまに社長日記なんかで自社の社員をケチョンケチョンに書いてるのも見かけたりするんだけど・・・社員がアレを読んでモチベーション落ちたりしないのかなぁ・・・と他人事ながらヒヤヒヤすることもあったり。

ブログってなんか酒に似てる部分があるかもね。酒を飲むとついつい自己主張が強くなっちゃって、言わなくていいことを言っちゃって人間関係壊しちゃったりして。

そういうところ、気をつけたいなあ・・・と思っていたら、キーが進まなくなった。やっぱり、思った通りに書くのがコツなんだろうかねぇ。

2009年2月22日日曜日

挫折を思い出す

昔、最初の就職に失敗して、心ならずも栃木の木材加工会社に入ったことがあった。折しも未曾有の就職難で「氷河期」という言葉が使われ出した時期だったと思う。

でも、次々に就職試験を受けてみても、舞い込むのは不採用通知の嵐。だんだん、条件を掲げている余裕がなくなってきて、職種を少しずらしたり、勤務地の条件をずらしたりしているうちに、行くところまで行ってしまった・・・という感じ。この会社には同じ大学出身のK先輩がすでに入社していて、いわゆるOB紹介だった。

情報系卒ということで、ゆくゆくはCADで活躍する予定として採用が内定した。でも、本当はコンピュータを中心にした業界で働きたかったんだけどね。そして最新の情報が活発に流通する東京で働きたかったんだ。

内定が決まると、CADに触る前に研修として工場の方で働くことになった。4年次の授業がなくなった2月頃からだったと思う。学生時代を過ごしたアパートを引き払ってマンションに引っ越したんだ。栃木の山すそにあったその工場は本当に寒かったな。

工場は高齢化社会そのものだった。80%くらいが50~60歳くらいの工員で、5%が30~49歳の工員。5%が地元の工業高校や職業訓練校を出た18~29歳の工員。あとの10%は20~50代の事務・技術職。

ふきっさらしの寒風が吹きすさぶ中じゃ、多くの高齢者たちが働いていた。簡単な屋根があるとはいえ、雪や雨が降ると強い風に煽られて水浸しになってね。10%の事務職は暖房の効いた部屋でぬくぬくと仕事ができるんだけどさ。

手がかじかむほどの寒さの中で、のこぎりで板を切ったり、タッカーと呼ばれる圧縮空気式釘打ちで釘を打ったりする。バスンバスン!と音を立てて木材に打ち込まれていく釘。これ、斜めに打ち込んじゃうと派手に釘が飛んでいくこともあって、注意しないと非常に危険だ。

でも、あれ?・・・たしか数ヶ月前まで情報系大学の研究室にいて端末を操作していたはずだ。なんで、今、ここにいるんだろう?・・・今の自分の状況がたまに把握できなくなることが多かったな。ただ、この情景はこの工場に来る前に何かで見たような気がするんだ。

8時頃から始業して、お昼になるとサイレンが鳴る。すると休憩所と呼ばれるプレハブに入ることが許される。さすがにそこにはストーブがあって、暖かかったな。そこでは「給食」と呼ばれる弁当が配られる。一日500円の給与天引きで配られるお弁当。そういえば、朝のうちに弁当を希望するかどうかの確認があったんだっけな。

8時から単調作業をしていると、正午までの時間は果てしなく続くように思われた。心待ちにしていたはずの休憩時間なのに、まったく嬉しくなかったね。そこにいるほとんどは老人。若者と呼べそうな人は片手の指で数えられるくらいだ。

休憩時間の何が苦痛だったかというと、なんにしても会話だった。若い同士で集まっても何も話すことがなかった。専門学校卒、工業高校卒、職業訓練校卒、そして大卒という線を引いたつもりはなかったつもりだったんだけど、心の中ではそういう壁があったのかも知れないなぁ。

せっかく多額の教育費を投入してもらって大学まで出たのに・・・と、両親に対する申し訳なさ。職業訓練校の人を悪く言うつもりはないけれど、同じ仕事をするんなら大学まで行かなくてよかったんじゃないかという情けなさ。自分はいったい何やってるんだろう・・・ってね。

とにかく若い人間で集まっても、お互いに何も話すことはなかったな。だから集まってもみんな黙々と食べていた。そして食事が終わるとバツが悪そうにみんな解散するんだ。

仕方がないので、そのうち高齢者の輪に少しずつ入ってみた。先方からすれば私は孫みたいなもんだ。気さくに話しかけてきてくれて、さすがに変な気まずさはなかった。しかし昼食の回数を重ねるうちに心がすっかり暗くなってしまった。

多くの高齢者の話をまとめると、つまりこういうことだ。
・自分たちには学がないからこんな仕事しかない。(本人談)
・働いたお金を孫世代に使って、絶対に同じ想いはさせたくない。
・作業中に怪我をしても「勤務外での怪我」扱いにされる。

そこは、自分自身の人生を諦めた高齢者の吹きだまりだった。明らかに理不尽な扱いを受けても、唯々諾々と従うしかない人生の黄昏の場所。ただただ、気が遠くなるほどの時間を、自分の人生とは関係のない作業で埋めていく。

・・・この光景・・・この光景・・・どこかで・・・?

思い出した!
この光景はテレビの特番かなんかで見たんだ。
希望の光を遮られた場所で、後悔をしながら作業する日々。

「潜入!全国刑務所24時!」

ちなみに、K先輩とその仲間たちは車で街まで出かけて外食をしてたっけな。あんまりお金がなかったから、ほとんどご一緒できなかったけど、たまに一緒に食べに行ったような気がする。今にして思うと、刑務所の昼食みたいな食事がイヤだったのかも知れない。

あまり昼食には行かなかったけど、K先輩とその仲間たちはよく飲みに誘ってくれた。よっぽどヤバイ状態に見えたのかも知れないね。今、考えれば恥ずかしいけど、むちゃくちゃ泥酔するまで飲んだよ。仕事の夢を語ろうとすれば、先輩方からは「そういう夢を持たない方がいいよ。」とか「いいたいことは分かるけど、ここの会社は親族経営だから無理だよ。」とか。

「要するに人生を諦めろってことですか!?」「先輩たちはもう完全に人生を捨てちゃってるんですか?」なんて、ずいぶん、先輩方に絡みましたよ。なんだか悪いことしちゃったよな。でも、こんな日が続いているウチに決心が着いた。自分の素直な気持ちを殺そうとするのはやめようって。

・・・会社を辞めると決めた数日前から、休憩時間は自分の車の中に閉じこもって音楽を聴きながら。シートを倒して青空ばかり見てたな。心は晴れていなくても栃木の晴れた青空はきれいだったんだよ。

同期で卒業した仲間たちは今頃どうしているんだろう。やはり同じようにツライ日々を過ごしているんだろうか。無駄なことだと知りながらも、楽しかったあの時期に戻りたい・・・なんてことばかりを考えてたな。

そして正式な入社日がくる前に辞めた。たぶん、こらえ性がないとか言う人もいたんだろうと思う。精神的な耐久力がなかったなんて思われたかもしれない。でも、そういう他人の評価なんてどうでもよかったんだよね。自分の心が死んでしまう危険をずっと感じていたから。

希望のない日常って牢獄に似ているんじゃないかな。そしていつまで続くか分からないその刑期は、人から目の輝きを奪ってしまうんだと思う。私が初めて就職した会社はそんな場所だった。

不本意だと思い続ける日々は、それだけで人生の損失だと思う。人生の時間には限りがある。他人からなんと言われようと、たとえ反対されようとも、自分の人生は自分自身でしっかり選択した方がいい。

その結果として自分の命を縮めたとしても、大切なことは自分の信じた道を歩き通せたかということだと思うんだ。いつか人は死んじゃうんだから。誰にも間違いなく訪れる最期、「これはこれで幸せな人生だった」と、一点の曇りなく心から思えるために、すこしでも毎日を燃えながら生きた方がいい。青臭かろうがなんだろうが。

人生で一番情けなかったと思う時期は、今、考えてみてもその木材加工会社で働いていた時だと思う。今、たいていのツライことがあっても、その当時のことを思い出せば、たいていのことは乗り越えていける。

今、ハケンとして自分よりも若い主任さんに頭を下げたり、外見上ヘイコラしているけど、そんなことは比較的苦痛じゃない。仕事自体は自分自身が関与していたい職種なんだから。

必ず夢を実現させてハケンを絶対に卒業してやるからな!・・・って心の奥に秘めつつも、職務上は、平身低頭ヘイコラしておいた方がハケンはうまく回るんだからさ。プライドは大切に心の中にしまっておけばいいさね。

プライドは普段から振り回すようなモノじゃない。本当に自分の大切な決断を下すときにだけ見つめればいいんだと思うよ。「クソみたいなプライドは捨てろ」なんて台詞があるけど、そういうのは、たぶん普段から振り回せるような安物のプライドのことなんじゃないかと思う。

まぁ、つくづく腰掛けハケンで申し訳ないけどね。あ、でも、ハケンというのはそもそもそういう前提だよな。ハケンに居座られちゃって困ってる会社が多いみたいだしさ。

それにしても大学卒業後に大きな挫折があって、今では本当によかったと思うよ。多少の屈辱や理不尽なことがあっても、「アレよりはマシ」で済んじゃうからね。

なんにしても、これから自分がやろうとしている仕事で、ひとりでも精神的牢獄から希望の光がある世界を案内できればいいなと思う。もちろん、私にできることは案内だけ。そこから先の人生を変えていくのは本人の気持ち以外にないからね。

こんな言葉を知っておくといいかも知れない。

『天は自ら助くる者を助く』
(三笠書房刊・サミュエルスマイルズ著「自助論」より)

・・・最後にK先輩にお会いした時、勧めてもらった本に書かれた言葉。
K先輩の自宅に謝罪に行った時だったと思う。入社式を迎える前に入社を辞退することになり、先輩の顔に泥を塗ってしまったのだから。でも、彼はそんな私を気持ちよく応援してくれた。

「鳥かごの狭さに気づいた鳥は、空に戻って飛ぶべきだと思う。」
って言いながら。

先輩は今も元気にしているだろうか。

2009年2月21日土曜日

コアラのデスマーチ

かつて自分も上司だったことがあるし、もちろん誰かの部下だったこともある。むしろハケンをやっている立場においては、全てのプロパーな人々の部下だと思って暮らしてますよ。そのあたり、カンチガイしちゃいけないと思ってますんで。ハケンを長く続けないためにもね。

大企業の中で暮らしはじめて気づいた面白い現象といえば、もうね、そこら中に主任さんがいるんですよ。どこかのグループなんて主任だけで構成されていたりして面白い。この中で誰が「主に任されて」いるんだろう・・・って思うくらいに。

うわさによれば、残業の多い社員は主任になるとか、ならないとか。結果的に残業の旨みは削られるんだけど、でもその上の役職に上がるためには主任経験が必要だったりするので、プロパーさんたちも悩みどころだろうな。主任はイクラの卵の数ほどいるけど、その上の役職になると昇進試験もあるらしく、極端に数が減ってくる。大企業に棲んでいるシャケたちも大変なんだなあ・・・。

結果的にいろんな主任の下で働いてみたけれど、まぁ、みんなソツがないというか、社員として優秀というか、ミスしないというかそんな感じ。大学在学中に一生懸命勉強したのか、それとも社員育成システムが優れていて、社員として優秀にしてしまうのか。

なかなか入社するのは難関だろうから、みんな学生時代はお勉強とかできて、そこそこの大学とか行ったんだろうなあ・・・とか思うけれど、まぁ、それだけで測れないのが社会人の面白さ。

あえて「社員として優秀」なんて書きましたけどね、正直、かなり困った主任さんもいましたね。「技術者としては超ヘボ」な主任の下で働くと死ぬほどココロがさいなまれます。開発の現場がよく分かんない人・・・というか自分で何かを開発した経験すらなさそうな人。というか、私が見た限りでは絶対に開発経験がないな。

だから、たびたび外注さん(といっても関連子会社の開発屋さん)と、その主任さんの間で板ばさみになったな。「それ、言うだけだと簡単そうに見えるんだけど、内部処理は相当アレな感じになってますよー。」「つか、『なんとなく』という理由でそこまで工数かけてやっちゃう判断なんですかね?」「そもそも納期が翌日というタイミングで突然言い出す話じゃないでしょう?」みたいな。

どう考えても開発屋さんのロジックが正しくて、いつまでも無理な要求出して困らせたりしてんじゃねーよ・・・って感じだったもの。そもそもなんでそうなるのか、ロジックを説明しようとしても、聞こうともしないんだもんなあ。理解できるかどうか怖かったのかも知れないけど。

その人の場合は「社員として優秀」だからミスをしたくないのよ。自分の指示ミスとか、判断ミスで停滞が起きちゃいましたとか言えないのよ。ミスしないことだけに全神経を傾けてる感じ。というか、ミスの要因は私じゃないぞ的な。ミスしないこと自体は大事なことなんだけど。そればっかりだと、なんだかなあ・・・という感じ。

そういや、挙句にこんなこと言われたりしたなあ。

「あなたはどっちの立場なんですか?こちらは先方に要求するのが仕事で、向こうはそれを実現するのが仕事なんですよ。こっちはお金を払ってるんだからやるのが当然でしょう!」

あー、ま、それも正しい。一般的には正しく思えなくもない。正しいような気がしなくもなくもない。なくなくなくもない。なくなくなくなくもなくなくも・・・。

「・・・っつか、そんなの正しいわけねーだろーが、この技術オンチ女め!こういう現場の事情とか実装ロジックが分かんないシロウトが、現場を掻き回して休日返上24時間営業のデスマーチなんてものを作り出すんだボケ!テメーがおうちでスヤスヤ寝てる間に、開発者は家にも帰れず死ぬ気で働いてるんだぞ、この人権無視の犯罪者め!そもそも組織の力を自分の力とカンチガイして、強権発動するヤツなんざ人間として最低だ!デスマーチって知ってるか?コアラのマーチじゃねーんだぞ!このスットコドッコイが!」

・・・なんて、もちろん言いませんでしたよ。ハケンですもの。立場というものをよーく知っているつもりでございます。お陰で今でも日銭を稼げておるわけでして。はい。

こういう人も大企業の「上流工程」と呼ばれる場所にいたりするんですよ。あ、今は、お客様窓口方面に飛ばされたみたいですが。

もちろん、開発ロジックが理解できる主任さんとかもいて、そういう人だと、○○と○○と○○で負担が大きそうだから、ここは納期を調整して、ここは前倒ししてもらって・・・と、細かい配慮のできる人もいる。「大企業の対応ってやつは・・・」というよりも、そこは担当する主任さんの力量によってアタリハズレがあるようだ。

ただねえ。いろんな職場を体験するために、プロパーさんを社内でグルグル異動させるのは悪かないと思いますが、システム開発の上流工程に開発のシロウトさんを連れてきちゃあいけませんよ。本人にとっちゃ経験の一種なんだろうけど、そこに付き合わされるSEとかPGとかのITエンジニアは地獄に叩き落されるんだよ。実弾が飛び交う国境の最前線でアイドルが「一日司令官」しちゃうくらいに危険で迷惑な話だよ。

ちなみに「デスマーチ」というのは、IT開発現場に身を置く人なら誰でも知っているネガティブワードで、現代版女工哀史みたいなモノだと思っていただければ、たぶんイメージとしてハズレはないんじゃないかと思います。

上流工程に関わる人は一度くらい「デスマーチ」を体験して、廃人寸前までいった人がやるべきだと思うよ。家には帰れない、まともに眠れない、風呂にも入れない。納期はデスマーチの終焉を示しているはずなんだけど、すこしでもその日が近づいてこないことを祈りながら開発するんだよ。全てをかなぐり捨てて眠りたくても眠れない悪夢。

たぶん眠ったほうが能率が上がるんだろうけど、能率アップした分の時間的損益分岐点は納期を過ぎたあたりなので眠れない。寝た瞬間に取り返せない時間的赤字になっちゃうみたいな。というか、寝たら次に起きる自信がないんですけどみたいな。まぁ、実際には神経が過敏になっちゃってて、寝ようとしても5分くらいで起きるんですけど。

握り飯を食いながら、隣の人がポツリ。「最近、子供が私の目を見てくれなくなってねえ・・・」とか。「最近、カミサンが何も言わなくなってきてさあ・・・」とか。そりゃへこむよね。まぁ、さらにピークになると虚ろな目になってきて会話すらなくなるんだけど。会話がなくなっても黙々と動き続ける状況はすでにマシーンの領域だ。もしくはゾンビか。

デスマーチの恐ろしさはそこだけに終わらない。実際には納期がデスマーチの終焉ではないこともあるんだから。いったんデスマーチにハマリ込むと、納期というのは「部分リリース」に変わることがあって、たいてい至近距離に次の納期が設定されたりして。

その納期の日だけは家に帰って熟睡できるんだけど、また次の納期が迫ってくるという「終わりが見えない」状態がデスマーチの真骨頂。まれに熟睡中に電話で叩き起こされて、朦朧とした意識の中でリリース後に見つかった致命的なバグの説明を聞いたり。

精神力の限界を超えて、死にそうになっている人が作ってるんだから、こう言っちゃいけないのは分かるんだけど、実際問題、バグが載ってくる確率が高くなるのは当然だと思う。

大切なのはデスマーチの恐ろしさを知ること。そして、デスマーチを引き起こさない努力なんだと思う。

戦争を知って戦争を起こさない努力。
デスマーチを知ってデスマーチを起こさない努力。

そして、そろそろIT開発環境を本質的に変えないとね。
そういうのがIT開発現場の常識だから・・・ではヤバイ。

正直そう思います。
人間らしい生活を保証しないと、この業界不人気になるよ。
というか、もうすでにそうなっているとも聞いているけど。

2009年2月20日金曜日

流行語2.0→2.1?

先日、日経ビジネスオンラインに、
“Web 2.0″という言葉は死んだ
という記事が出てました。どうやらWeb2.0という言葉がWeb上で、あまり使われなくなっていたり検索されなくなっているらしい。

かくいう私も「チャラチャラした感じだなー」と思っていて、あんまり好きじゃなかったですねえ。

そもそもWeb2.0というのもあんまり大騒ぎするようなものでもなかった。この言葉が出始めた当時、なんだこれ?・・・と思って数冊本を読んでみたりもしたけど、結論は「だから?」って感じ。そもそもWeb2.0という言葉の定義自体があいまいなんだから。

インターネットの文化そのものが、常に既存の技術の上に蓄積される形で進化しているわけで、それを突然どこかのタイミングを捕まえて「2.0」なんて区分してどうするんだろうと思うんですよ。

「双方向的なもの」とか、ゆるい定義もあるみたいですが、そんなものはインターネットですらない「パソコン通信」と言われる時代から「BBS」として存在してましたから。インターネット上のコミュニティにしたって「BBS」の延長上でしかないように思えるんですよ。本質的には。誰かが何かを書いて、それに対して誰かが反応する・・・という。

※ただ、昔のように通信運営組織が独自仕様で封建的に情報を抱え込む状態から、複数の運営者をまたいで有機的に情報を共有化する流れができた現状はステキな風潮だと思います。

Ajaxを使ったリッチコンテンツといっても、根幹となるjavascriptという技術自体は10年以上も前から存在していて、そのまま死んでいくかと思っていたら、PCの進化によってようやく実用として使えるようになってきたという代物。旧世代のPCでjavascriptを使うと、画面がもったりして重く、とても使えなかった記憶があります。

ちなみにAjaxというのは(Asynchronous Javascript + XML)という意味で、「javascript と XML(というデータ表現形式)という技術を使って非同期に(ユーザ操作によるページ遷移なしで)動くものですよ」という意味でつけたらしい。

でも、実際にはXMLを使わなくてもデータ通信はできるし(JSONというデータ表現形式がある)、非同期というわりに実際には非同期じゃない感じだ。あえて言えばユーザの操作とは同期せずにゴニョゴニョ・・・といった感じか。

A(非同期)でもなく、X(XML)なしでも成立するという意味では、わざわざAjaxなんて名前をつけなくても、「javascript」でいいんじゃないかと。もちろんWeb2.0なんていう曖昧すぎる言葉と比較すれば、ずっと定義が明確なので意味がないとは思わないけれど。

でも、実際にAjaxの本とかを読んでみると、Ajaxのキモともいえる非同期通信そのものよりも、カッコよく便利に使えるjavascriptライブラリを紹介している部分に、より多くの紙面を割いていたりもする。

それも悪くはないんだけど「Ajax」という言葉自体は置いてきぼりだなあという印象。もっとも非同期通信について書くだけなら、5~6ページくらいで書くことがなくなっちゃうからなんだろうけど。

古くはユビキタスとか、最近だとクラウドコンピューティングとか、どうにもしっくりこない用語はたいてい廃れると思う。よく分からない言葉を乱発するのはそろそろやめてほしいなあと。

その昔、ユビキタスを連呼している人に「ユビキタスってなーに?」って聞いてみたら「いつでもどこでも・・・って意味らしいよ。あとは勉強して。」と言われた。勉強してって言われてもなあ。つか、要するに説明できないんだろ・・・って思ったのは内緒です。

「いつでもどこでも・・・」というなら「モバイル端末」って言い切っちゃった方が、手っ取り早いしイメージも簡単だ。「いやいや、それらを包含しているだけで『据え置き』端末も含むんで、それじゃダメなんですよ。」ということなら、「いつでもどこでも」の原則に反しているんじゃないの?

百歩譲って、それなら「モバイル端末&公衆端末」と言った方が、具体的な意味が分かりやすいんじゃなかろうか。または、「ユビキタス」と呼んでもいいけど、意味を聞かれたときに「モバイル端末と公衆端末の総称だよ」と答えられればいいと思う。

ここでひょっとすると「狭義ではそうかな。広義ではそこにとどまらないけどさ。」って言われるかも知れないけど、そんなあいまいな単語をありがたがっていちゃイカンと思うな。

文化的な進化の途上において、狭義と広義に分化してきたならまだ分かるんだよね。でも「単語ありき」から始まって、後からゴテゴテと意味を乗っけてきただけだとしたら、新語または概念として大きな欠陥だと思う。狭義広義に関わらず、単語が指す意味が変わってくるなら、その時点で単語を切り離すべきなんだと思う。

「単語ありき」でふわふわしている用語は虚しい響きがある。クラウドコンピューティングなんて、まさに雲を掴むような名前じゃないか。カッコつけた名前を付けなくても「ネットワークソフトウェア」で十分だ。もしくは「オンラインサービス」でも意味は通じる。

大量発生する新語を見るたびに、つくづく言葉が大事にされていないような気がするよ。言葉の大量消費。言葉の外見は陳腐でもいいの。もっと本質的に分かりやすい表現に回帰した方がいい。

でも、「○○2.1」なんてのが流行ったら、それはそれでアリかなとも思う。流行に流されてなんとなく気の迷いで「2.0」なんて書いたんじゃないんですよ。その後も地味に努力を続けてますよ的な意味での「○○2.1」。

2009年2月19日木曜日

冷徹かも?

最近、自分って冷徹な人間かもしれないなあとマジで思う。別にへりくだりとかそんなんじゃなくて、本当にそうなんじゃないかと思うんだ。

たとえば身内や近しい人に関する心配事があったとする。心配事というくらいだから心配はするんだけど、「ま、心配しても仕方ないか」で済ませることが多い。それが本人にとって大変なことであったとしても。

まず、自分に何ができるのか選択肢を考えて、最良と思われる方針を立てる。以上。・・・という感じ。

方針を立てたら具体的にそれを実現するための方策を考えるだけで、心配事というか「悩み」にはそれ以上参加しない。たぶん、こういう人、冷たいと思われるんだと思うよ。客観的に考えてみると。

「確かに理屈では分かるけど、なんだか心がなさ過ぎるよね?冷たくない?」と言われたら、とりあえず心情的な部分で反論ができない。論理的には筋の通った説明ができても、たぶん心には響かないだろうな。

でもねえ、心配事ってどれくらい心配しても、心配する時間や気力でなんとかなるってもんじゃないんだよね。血が出るほど心配すると、何かすごい不思議な力が発生して必ず解決できる・・・っていうのなら、がんばって心配しまくってみてもよいのだけれどね。

家族のために土日も返上して働いて稼いでいたら、それが原因で家族の気持ちが離れちゃって家庭崩壊・・・みたいな感じに近いんだろうか。

そりゃ、家族が無事に生きていくためにはお金が必要で、そのためには必死で働くしかないという結論は誰にでも分かる。それでも、やっぱり家庭は崩壊しちゃったという、ありがちで皮肉なストーリーもよく聞く。

冷徹に見えるかもしれないけど、そうじゃないんだよなぁ。ロジカルに考えて最短経路を考えると、感情に流されて時間を無駄にするよりも、目的に向かって走り出さないといけないんだよと。

「現実から逃げてるだけじゃないの?」と言われても、これまた適切な返事が見つからない。自分が見ている現実と第三者が見ている現実は違うことがままある。主観的な現実を追い求めると、一方で第三者視点の現実から逃げることになるかも知れない。少なくともそのように見えることはあると思うんだよね。

初めて出逢った人に親切にされても、

・この人はステキな人だ
・見返りを期待しそうな人だ
・この人にはどうも裏があるようだ
・しばらく様子をみるべき状況だ

のように受け取る現実感はさまざま。

たとえば「ゴール」と言っただけでも、「ゴール」に関するイメージは人それぞれだし、そこに到達する経路もまちまちだと思う。

「ゴール」を最終地点だと思う人もいれば、経過点だと思う人もいる。ゴールに至る経過で必ず通らなければならない経路を決めると、それ以外の経路を思いつけない人もいたりする。「ここの段取りを踏めないなら、この話は終わりだ!」とかね。

とにかく人の数だけ幻想と妄想と思いこみがある。それらはある時には「価値観」と呼ばれたり「夢」と呼ばれたり「こだわり」と呼ばれたりすることがある。これらは時にとても大事なことだけど、人によって大きな幅と揺らぎがあることは忘れずにおきたいね。

私が最近会った人の中で、悪意に満ちている人は誰もいない。それは私の色眼鏡かも知れないけど、まぁ、それでいいと思う。

だから、考え方が違ったり、もっと端的に言うと「カチン」とくるような物言いの人でも、基本的にプラス指向であることを信じていきたい。その目指す方向や、方法論に個人差があるだけだとしたら、そこに対立の必要はないんだもの。

もちろん、ずっと一緒に走っていくべきかどうかは、ちゃんと立ち止まって考えた方がいいと思うけどね。あまりにベクトルが正反対すぎると、どれだけお互いに頑張ってもスカラーがゼロになっちゃうから。

人生、ビジネス、その他、もろもろ。

2009年2月18日水曜日

批判エネルギー

麻生総理の支持率が1ケタ台の9%に。歴代総理の最低支持率は4%だというから、まだまだがんばれそうですね。あと5%ほどは。

それにしても日本はどうかしているな。総理大臣になることが手段じゃなくて、単に総理大臣になることそのものが目標な人が総理大臣になっちゃうんだから。そして、そんな人を議員にしている日本国民もどうかしているんだと思う。

と、批判をしておいて書くのもなんだけど、客観的に見て世の中に批判が増えたような気がする。政治に対しての不満、格差に対しての不満、ハケンは企業側に不満を、プロパーはハケン側に不満を、世の中全体がイライラを抱えているような感じ。

まぁ、批判したいだけ批判するのも個人の自由なんだけど、冷静に考えてみると、そういうのって感情を無駄に消費しているだけとも言える気がしてね。最近。特に酒を飲んで批判が止まらない人!・・・酒に失礼だゾ!

飲み屋で麻生総理をボロクソに言ったところで、すぐに退陣するわけでもないし、直接、麻生総理に届くわけでもなし。ただ、世論を形成するパーツ(その他大勢)になるだけで。そんなところで怒りのエネルギーを使っているのもばかばかしい。

「不満」と「批判」って同一軸じゃないと思ってます。どちらかというとウサ晴らしに近いんじゃないのかなって。なんとなくイライラしている矛先をどこに決めるかというだけで。

◆政治に対する不満

「不況だ」
 ↓
「収入が少ない」
 ↓
「生活が厳しい」
 ↓←このへんに「何か」が抜けている。
「政治が悪い!」

一連の不満の中で抜けているのは「自助努力」だと思う。空気も漢字も読めない総理大臣がいようが、国際政治の場で居眠りをする閣僚がいようが、余裕のある生活をしている富裕層にとってはなんら関係がない。かつて、一億総中流といわれた時代に、あんまり政治に不満を抱かなかったように。

世の中が悪い、景気が悪い、政治が悪い・・・と理由をつけてしまえば、その時点で思考停止状態になれる側面があるんじゃないのかな。

車が売れなくなったのだって、逆に「なぜ今まで長持ちするはずの耐久消費財が右肩上がりで売れたんだろう?」という疑問があってしかるべきで、そこにあえて目を向けなかったことが現状を生み出しているんじゃないのかなと。

要するに現状に対する責任要因として「自分」を弾いてしまうから、安易に批判に向かってしまうんだと思う。反省する。

2009年2月17日火曜日

e-taxで確定申告してみた

2/16に確定申告をしました。前回は仕事を休んで区役所で確定申告したんだけど、今回はe-taxの電子手続きで確定申告してみました。

そのために12月頃から前もって準備しておいたんですよ。ウソかマコトかわかりませんが、確定申告の時期になると住基カードの受付が混雑して交付に時間がかかったり、カードリーダーが売り切れになるとかならないとかという噂があって。

ま、ウソでもいいけど、そういうの面倒くさいんで、去年から住基カードを取って、カードリーダーを準備しておいたんですよ。たしか証明書付きの住基カードを作って、500+500=1000円くらいかかったかな。カードリーダーで2500円くらいだったような?

そのあたりの準備にかかったお金は、初回のみ確定申告の還付金で5000円が戻ってくるので、まぁ、便利になって損失もなければトントンでもOKかなと。

ちなみにハケンとはいってもハケン会社から雇用関係にあるので、年末調整でもOKだったんだけど、今後のことを考えてe-taxでの確定申告を選んでみた。

んー、正直、国が主導で作ったにしてはちゃんとしてる。ただ、細かいところでマニュアルが荒っぽい印象。たぶん、パソコンを初めて買ってきたお父さんとかには無理かもしれんなあ。「できるe-tax」という本とかを読めばできるかもしれないけど、自力じゃ無理かもねえ。

つか、「できる」シリーズで、そんなのあるのか?

・・・と思って調べてみたところ、そのものズバリな本はまだ出てないみたいだけど、こんな本を見つけた。それとAmazonでカードリーダーも売ってた・・・安い・・・。



e-taxに触れているのかどうか定かじゃありませんが、一緒にカードリーダーが売れているところを見ると、たぶんフォローしているんじゃないでしょうか。ホームページで申告書を作成して印刷物を提出・・・という方法もあるので定かではないんですが。

賢い申告の仕方なんかも書かれているようなので、本業以外に収入がある人なんかは、あえてこれらの書籍を買ってみてもいいかもしれませんねえ。

とりあえず、私は確定申告の送信が終わるまでに、なんだかんだで2時間くらいかかってしまいました。すでに終わっていたと思っていた初期登録ができてなかったとかなんとかで。

ひょっとすると2/16以前にいろいろ準備していたので、逆にそのせいで、本番の申告に必要な作業で抜けがあったのかもしれません。ううむ。

そういえば住基カード。人権やら個人情報保護を盾にとって区役所レベルで採用を拒否しているところがあると聞きますが、あれ、どうなんでしょうな。もちろん住基カード取得の強制はしない方がいいと思うけど、利便性を享受したい区民には迷惑を掛けているんじゃないのかなあ。

家にいながらにして各種届け出を提出できる「東京電子自治体共同運営サービス」とか、住基カードを利用した便利なシステムがあるのに、これを使わせないなんてねえ。

東京電子自治体共同運営サービス
#あ、でも、明日の朝までメンテナンスらしい。

それにしても住基カードって、どこがダメなんだろう?

だってさ。「国民総背番号制に反対!」って言いながら、年金の支払い漏れがあるのは気に入らないんでしょ?

それに健康保険証だって管理番号がついてるじゃないか。大手の企業なら社員番号で管理されてるでしょうよ。レンタルビデオの会員番号だって、○○ファンクラブの会員番号だって、全部番号で管理されてるじゃないのさ。

年金漏れの事後調査にしたって莫大な人件費をかけて、それでも解決できないワケじゃん。そうかといって「もう無理です」なんて本音を言ってやめるワケにもいかないから、やる前から無理だと分かっている仕事で、無駄に人件費がかさんでいくんだよね。

保険庁の本音を言えば「酒に酔っていてよく覚えていない。今は反省している。」的な状況なんじゃないのかと。覚えていないんではどうしようもない。国家の一組織としてありえない言い訳ですが。

そうは言っても「酔っぱらってお前が壊したウチの備品を弁償しろ!」と、商店街中の店主から詰め寄られた場合、本当に弁償しないといけない相手と、ウソをついて便乗している相手を見極めないといけない。・・・そんなの無理なんだけどね。覚えてないんだから。だからひとりひとり事情を聞いていって、事実を確認するという気の遠くなるようなことをする羽目に。

こういうのがデータベースで管理されるようになったら、年金の支給額や支給時期まで機械的に管理されるということで、うっかり受給漏れなんてことも起こりづらくなるかも知れない。もちろん、それでも特定の条件が揃ったときのバグやら、入力時点での人為的ミスは0%にはならないだろうけど。

税務処理がシステム化されることで、仕事を休まずにすみ、混雑した区役所にも行かずにすみ、しかも区役所で手続きするよりも還付時期が早まるというのはすごく魅力だと思うんだよなあ。どうなんだろう。

一方で「管理社会」と言うと抵抗感がないでもないんだけど。それでも名前だけで国民の管理をするなんて相当に無茶なんだってば。同じ地域内に同姓同名がたくさんいるんだよ。むしろ、よく今までの方法でなんとかなってきたな・・・と思うくらいだ。いや、なんともならなかったのか。年金とか。

データベースで間違いのない処理をするには「正規化」という作業が必要なんですね。特定のデータを識別するために、重複しないキーワードで管理するのは常識です。要するに「東京都」の「渋谷区」の「鈴木一郎」さんくらいの重複しそうなキーワードで管理しちゃダメってことです。

日本中にいる鈴木一郎さんが、渋谷区に大挙して引っ越してきたら一発で管理がアウトになっちゃうんだから。「○○村からきた鈴木一郎さん」なんて識別をしようにも、この村から複数の鈴木一郎さんが来ていたらアウトだ。

年金情報も含めた国民固有の情報は、国民の数だけあるんです。年金だけ背番号で管理しても、肝心の人間の方が名前でしか識別できなければ、安全に年金を渡すことなんてできやしませんよ。最終的に年金の管理番号と渡すべき本人の識別が必要なんだから。じゃないと年金窓口で本人を騙った詐欺事件が起きても仕方がなかったり、同姓同名の取り違えも起きたりするだろうと思うんだよね。

国内における自由な引っ越しと、ある程度自由な命名(名前の重複)が許されている社会の枠組みの中で、国民が受けるべき権利を名前だけで管理しろというのは無茶なんじゃないのかなあ。本当は徹底した本人確認のためにはDNA情報を管理しなきゃいけないくらいだけど、そこを「国民背番号」にしただけでも十分に妥協していると思います。個人的には。

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体調がどうにも優れないな。疲れが抜けない感じ。ブログを書いているウチに猛烈な眠気が襲ってきてね。とりあえず公開してからそのまま眠ったんですよ。

起きてみたら内容があまりにもグダグダなので編集しました。アマゾンの商品紹介なんて縦に並んでいたりしたし・・・。脈絡なんかも・・・。どうしたんだろうなあ。睡眠不足かな。

とりあえず、財務相とかやってなくてよかったなと思います。風邪薬も酒も飲んでいないのに、このていたらく・・・。

2009年2月16日月曜日

生きていること

いきなり爆発事故が起こる妄想をすることがある。いきなり、謎の爆発に巻き込まれて死んでしまうという。状況把握もできないほどの突然死。

もちろん本気で現実感を喪失しているわけではないんだけどね。でも、そういうことが日常茶飯事という国もある。不幸にも自爆テロの犠牲になって亡くなる人もいる。

そう考えると、今、生きている環境での生存率はものすごく高いんだよね。当たり前だと思うかも知れないけど、そういうことにはもっと感謝した方がいいんじゃないかなと思うんだ。

酒を飲むことも、ある意味じゃ生存率を低くする要因だと思う。長期的には病気を引き起こす要因にもなりうるし、寒い日に路上で寝てしまったら凍死する恐れもある。そうでなくても、転倒して打ち所が悪ければ死んでしまう。結構、人間って簡単に死ぬと思う。

だって、身の回りにあるモノで簡単に死ねるんだよ。まず包丁がある。そうでなくてもカッターナイフがある。その他にもいろいろ思いついたけど、そのいくつかは周辺住民に多大な被害を与えてしまうので、ここで書くのは自重しておこう。

とにかく物理的には簡単に人間は死ぬ。今、生きているということは、物理的に簡単に死んでしまう人間にとって奇跡の連続に思える。

ただ、人は生まれてきた瞬間に死ぬ運命を背負っている。生まれてきた人間のほぼ90%以上は100年以内に必ず死ぬ。150年たてば100%が死ぬ。死ぬ、死ぬ、死ぬ・・・といっぱい書いてみた。あえて書いてみた。

要するに、生きている価値を真剣に考えると、その対極には厳然たる事実として死がある。「生きるとは死ぬことと見つけたり。」なんて言葉があるけど、まあ、そんな感じ。

早かれ遅かれ、必ず人は死ぬんだから、そういう意味で一日一日を大事にして、みんなで一生懸命生きていこうね・・・って思うんだなあ。長いも短いもなく、結論としては終焉があって、それがいつになるか分からないんだから。

人類という生命体って面白い。人体そのものも面白いんだけど、それ以上に「群」としての生存システム。たとえば「種」を後世に残さなかった人もいる。だからその人のDNA自体は残らなかったりするんだけど、その人が遺した文化を継承して後世に伝えていく人が現れたりもする。実子でなくとも。

つまり人類が生存していくための生殖活動と文化活動における役割が個体レベルで切り離されても、人類自体の生存率を高めることができるメカニズムって興味深い。

医療などの技術革新でも人類の生存率が高まるし、食糧関連の技術革新でもおんなじだ。また、技術革新でなくとも文化の向上によっても生存率は高まる。文化の成熟によって戦争が少なくなっても人類の生存率は高まる。

気がついたら、なんだか壮大な話になっちゃってたけど、まぁ、とりあえず個体としての私は幸せになっておきたいし、私に関わる人たちも幸せになって欲しいと願っている。

人類細胞のひとつとして、そんなことを考えてました。

2009年2月15日日曜日

2/15・・・しまった!

もう、2月15日。正直、油断していた。ハッキリ言うと2月に入ってから事業に関する歩みはほとんどなかった。12分の1という貴重な時間を無駄にしてしまった。言い訳をするとハケンの方が予想外に忙しくなってしまったこともあるんだけど、まぁ、こんなの言い訳だ。

じゃあ、お前は土日に何をやったんだ?
平日の帰宅後に全く時間がなかったのか?

どこにも安心する要素なんかないのに進まなかった。確かに何もしていなかったわけじゃない。ちゃんとすべきことを地道に進めてはいる。しかし、本当は一日で終わらせるべき事を、たらたら数日かけてやっていることがいくつかある。密度が低いぞ。

真剣度が1月に比べて低いような気がするよ。もちろんテンションを高めたまま長距離を突っ走るのは大変なこと。でも、6ヶ月というのはそう長距離でもないでしょうよ。

望むわけでは決してないけれど、もしハケン契約が3月末で切れてしまっていたら、たぶん、現状はもう少し変わっていたかも知れないな。お前の緊迫感はどこへ行ったんだ?

なにひとつ、6月以降も継続するための条件を満たしていないんだから、もっと焦らなきゃいけないはずなんだよな。まずはお金を生み出す仕組みを一刻も早く作り出すこと。お金を調達する手段を現実化させること。そしてお金を回して増やすサイクルを構築すること。

お金、お金、お金。これに勝る継続条件は他にない。夢や理想はもちろん大切だ。これなしでは生きていちゃいけないとさえ思う。だけど、「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある。夢や理想を現実化するためにはお金が必要なんだ。それ以前に生きていくためにお金が必要だ。

かっこいいことはお金がついてきていないと、いくら言っても意味がない。何かを行うプロセスにおいては、あえてお金を意識しないで滅私奉公する時期も必要だと思う。でも、本質的にはお金を回収する方法論なしには成り立たない。もっと真剣に今後の収益のことも考えていきたい。

種は1月に蒔いた。2月はなかなか芽を出さない植木鉢に、水をやり続けないといけない。なかなか芽がでてこない時期は、時間を無駄にしているようにも思える。種をほじくり返して確認してみたくもなる。死んでいる種に水をやっているんじゃないだろうかという焦りとかも・・・ね。

焦りは禁物だ。でも、2月15日、自分に対しての警告をあえて発しておこうと思う。2月の前半が無駄だったと思うならば、そこから何かを学ぶべきだぞと。2月の後半にも同じ事を繰り返すんじゃないぞ・・・と。

まだ、日曜日は終わっていない。
さあ、今日はどうするよ?
がんばれ!自分!

2009年2月14日土曜日

あえて調べない

これまで、いろいろな企てを興そうとしたことがある。まずはリサーチから始めることが多かったな。市場調査から始まって、競合サービスの調査まで進んでいく。調査に時間をかけた挙げ句、気持ちがめげてきて終わるというお決まりのパターン。

日の目を見ずに忘却の淵に沈んでいくアイデアは多い。そして、それはそのまま続けるリスクに比べれば、極めて賢明な選択だったという結論になっちゃうんだね。なってきた。いや、そう思いこもうとしてきたんだ。

そして、結果として「何もしない」ことが最上の選択として、「経験」という形で意識に刻み込まれていく。そうやって、あきらめの文化が自分の精神の土壌に根付いてくるんだな。

もうね、調べるのやめようよ・・・って思うのさ。前例があるかないかというのは、実は「何もしないこと」を正当化するための道具なんじゃないかなって。

・過去に成功した前例がないからやめとこう。
・すでに前例があって儲かってないみたいだ。
・成功した前例がありすぎて今からでは遅い。

バカヤロウ!・・・って言いたくなる。ええ、もちろん、言い訳をしてばっかりの自分自身にね。ハケンで大企業体験をしていると出てくるのは「前例に従ってください。」「前例がないので、別の方法でお願いします。」・・・なんて返事がままある。

大企業ならまだ分かる。いいか悪いかは別として。でも少人数で仕事を始めようとする時に「前例」を気にするのはいかがなモノだろうか。ましてや一人で何かを企画するとなれば、身軽さが最大の武器だろうさ。それにも関わらず、なぜ「前例」の重りを付けてしまうんだろうね。

もう、そういうのはやめる。小説家になろうとして希望を抱いていた人の中には、自分の文才のなさに気づいて書くのをやめてしまう人もいる。たとえば、その分岐点が10年前だったとしようよ。

たぶん、あきらめた人はかなりの確率で小説家以外の道を歩いている。でもあきらめずに数年後の自分を信じた人は、小説家になれる確率を日々高めているはずなんだ。

そりゃ大人だから、決断しなかった人生を悔やむより、今の人生を肯定する方が前向きなのは分かっているんだろう。後ろ向きで生きていくよりはずっと賢明な生き方だとは思うんだけど、ちょっとは立ち止まって考えてみようよ。

あのまま続けていたら・・・って思うことってない?

もし思うことがあるのなら、もう、そういう選択するのやめようよ。今の人生の選択は、「いつも自分自身と戦って獲得した選択肢だ!」って胸を張って生きていきたいじゃないのさ。

今からだって遅くないし、一度あきらめた目標だって視点を変えてみれば、いくらだって再スタートできるかも知れない。

2009年2月13日金曜日

心理ドリブンで考える

「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」というように理由が明確な場合、シンプルな解決策は「しない」ことなんだと思うんだけど、生きていく上での差し障りは必ず発生しちゃうんだよね。困ったことに。

ただ、人体のメカニズムってけっこう馬鹿にできないんじゃないかなあ。一部の動物が地震を予知するように、理屈より先に体が反応することはあるんだし。それが目に見えない空気を読むことだったり、いやな予感のお陰で未然にトラブルを防いだりできたりとかね。

潜在意識を把握することは不可能だ。把握できる意識は顕在意識なんだから。だからこそ潜在意識が引き起こす体調変化には注意しておきたい。あー、そういえば、最近、胃が痛むんだよなあ。ストレスとか感じてないはずなんだけど。潜在意識下ではストレスを受けまくっているんだろうか。

まぁ、この手の話にはいろんな抜け道があって、「病は気から」というように、意識しすぎることで体調に変化が起こってきたりもするので、逆に体調を気にしすぎるのもよくないんだけどね。ためしに一日中マスクをして仮病を使ってみると、体調の変化が起きてきたりする。たとえば頭がフラフラするとか、なんとなく体がだるくなってくるとか・・・そういう変化が実際に起きてくるから不思議。プラシーボっぽいけど。

個人的な見解としては、自分の不調に関するレーダーが鋭敏化されて、普段なら取るに足らないような現象まで、全部読み取ってしまうからだと思う。「現実の出来事」と「意識する内容」が関連付けされてしまうんだろうな。

これをポジティブ方向に利用すると、いわゆる成功本なんかに書いてある「自らの願望は紙に書いて、普段から読み上げること。」に通じるところなのかも知れないねえ。要するに取るに足らないような出来事も、自らの願望に少しでも近ければ瞬時にリンクを張れるようになるとか。

願望の強さによって関連付けの能力が高まってくると、反射的にチャンスを捕まえることができたり、または間接的なつながりを連想することで願望と関係なさそうに見えるチャンスも逃さなくなる・・・ってことか。

で、「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」という状態に対しては、大きく二つのアプローチがあるような気がする。

(1) 現状環境はそのままで、心理側を調整して納得させる。
(2) 心理側の欲求を優先して、現状環境のほうを変えていく。

通常は(1)が推奨される。というか多人数にとって現実的だからかも知れないけど。確かにこれが(2)となると、転職するとか自分で起業するとか大掛かり感があるんだよね。ただ、「なんで?なんで?」って、醒めていない視点で探求することは世の中にとって全く無駄なんだろーか?

・なんで、朝、起きるのがイヤなの?
 →だったら、昼だったらいいの?
 →むしろ朝起きる生活をやめて、真夜中に起きてみる?
 →もはや時間とかそういうのを無視して生活したい?
 →それが実現すると、どういう生活になるんだろうね?
 →24時間、まちまちに活動しても成立する仕事はないかな?
 →仕事を時間じゃなくて質量で計測する試みを考えてみる?

・なんで仕事に行くのが苦痛なの?
 →遠いから?
 →時間がかかるから?
 →苦手な仕事があるから?
 →苦手な人がいる?
 →疲れが抜けてないから?
 →だったら、近かったらいいの?
 →給料は安くなるけど勤務時間減らしてみよっか?
 →やりたいことが他にあったりするの?
 →何か仕事以外のところで不安なことがあったりするの?

そらぁ、全部をフォローすることは無理だと思うよ。世の中、気の合う人とそうでない人は必ずいるわけだし、気が合ったってお互いの関係が悪化することもある。苦手な仕事があってもある程度は克服しないと組織は回らない。それでも、考えることを諦めるのはもったいないと思う。

よしあしは別として、昔の日本人の大半は週休1日で働いていたんだよね。でも、今は週休2日になって昔よりも疲労が少なくなったかもしれないし、家族と一緒に暮らす時間が増えた人もいるんじゃないかな。

昔は「コミュニケーションのひとつ」なんて言い訳が通っていた「セクハラ」や「パワハラ」もまっとうな企業では排除される時代になった。スケベオヤジの個人的な言動だから仕方がない・・・なんて理屈はもはや通らない世の中。ま、世知辛くなったなんて嘆いている、旧時代のオヤジもたまに見かけますが。

スケベオヤジからすれば「取るに足らないこと」でも、当事者にとっては深刻な問題だったんだろうなあ。でも、「どこでもよくあることだからねえ」なんて、あきらめた社会がそれを容認していたんだと思う。

慣習や常識は時代とともに進化している。昔の日本じゃデカイ刃物を脇に差した人がたくさん歩いていて、すれ違いに鞘同士が触れ合っただけで命がけの決闘になった時代もある。今から考えるとそっちの方が非常識なことこの上ない。

今の常識が、遠い未来に常識でなくなる可能性はいくらでもある。男子が厨房に立ち、女子が高収入で一人暮らしを謳歌できる時代。この次にくる常識を作ることも面白いんじゃないか?

・・・こういうのはどうだろうか?

給料は安いんだけど、毎日行くのにはまったく苦痛にならない仕事場。今の時代の感覚では「わがまま」に思えることが容認される仕事場。もちろん、納期だとかクオリティだとか、そこの仕事場が担うべき社会的責任を逸脱しないように、慎重かつ十分に吟味するという前提でね。

正直ね、私は深夜によく思うんですよ。「あーあ、朝、起きたくないなあ」って。朝昼晩のリズムなんて要らないから、体力が続くまで仕事をブチヌキでやって、疲れたら寝て、起きたらまた仕事をブチヌキでできる環境だったらいいなあ・・・って。

ええ。実際にはハケンに行かなきゃいけないので、夜中の3時ごろに寝て、朝の7時ごろに起き、8時ごろには電車に乗ってますけどね。とりあえず、目覚まし時計を6つ設置してなんとか起きられてます。

まぁ、一方で、時間に縛られているからこそ、ほぼ強制的にカラダのリズムが朝から始まるサイクルができていて、それでかろうじて健康を害していないかも知れないですね。

あと、夜中に起きてひとりで仕事をする状況が続くと、世の中からどんどん離れていくような孤立感や焦燥感が生まれやすかったりもするからね。過去の経験から。夜って理性よりも感情が高まりやすい時間帯だし。その一方、夜中の企画書は、朝の理性から簡単に駆逐されたりもする。ラブレターとおんなじで。

そのあたりのリスクなんかも考えながら、それでも勤務時間の制限緩和とか、容認され開放されうる要素については、理想形を考え続けていきたいなあ。

ひとつには、「朝、起きることが評価される」という変なルールがある仕事場とかも面白そうだ。基本「朝は起きられません」が前提で、給料とかもそんなに高くないの。でも、一ヶ月の規定日数が達成できたら割り増しが乗ってくるわけ。あはは、自分で書いていてもゆるいなあ(苦笑)。

でも、ベースを低くしておいて、加点方式で評価されていくのは面白いんじゃないかな?

「できて当たり前」なんて思うから、朝がつらくなるんだよ。

こういう些細なことで、褒められたっていいじゃない。

2009年2月12日木曜日

眠さを分析する

別に今、眠いわけではないんだけど。ただ、「眠い」という感覚には、いくらかの興味がある。いろいろな要因があるんだろうが、私が特に感じるのは「当事者意識」が薄らいでいる状況が大きな要因みたいだ。たとえば、自分抜きでも十分に成立しているような会議とか。

逆に、自分が気合を入れている会議で、ものすごく眠そうな人がいるとしよう。ひょっとすると「ちゃんと会議に参加してください!」と怒りたくなるかも知れない。でも、その人が眠たい理由をよく考えてみないと、単に精神的苦痛を与えるだけで本質的な意味がない。

たいていの場合、注意されようが、自分でなんとか努力しようが、モーレツに眠いときは眠いんだ。これは、ほぼ何かの強制力に近いほどの生理現象だもんね。でも、眠さの根本原因を探ると、別のところに問題点があることが見えてくる。

以前、必ず決まって眠くなる会議の前日に睡眠時間を計測し、十分な睡眠を確保した上で会議に出席したことがあるんだけど、それでもやっぱり順調に眠くなっちゃった。これは前日の睡眠時間確保の問題じゃないんだね。そこでその時の会議の状況を分析してみた。

(1) 会議の内容が手を変え言葉を変えて「堂々巡り」していた。
 →「納期が遅れる」という結論を違う言葉で延々と表現するとか。
(2) 発言者の声に抑揚がなく意思を感じないお経みたいだった。
 →「私も時間がないところ嫌々やってるんです」感まるだしの発表。
(3) 現場当事者と現場当事者でしか通用しない会話が混在した。
 →全体会議と現場会議を分けて行うべき。(後に分かれた)
(4) その会議により引き起こされる自分の業務がなかった。
 →自分の業務に直接関連しない話を延々と聞くのは苦痛なのだ!
(5) 会議の雰囲気が固定化していた。はっきりいうと定例マンネリ。
 →かくしてパブロフの犬のごとく眠りに誘う儀式は毎週行われた。

たぶん私以外にも眠かった人、実はいたんじゃないかと思うよ。何人か(4)みたいな人がいたもん。そこの部門の長に「とりあえず話だけ聞いといてよ」みたいなことを言われて、仕方なく参加していたような人。

業務に直接的に関わってはいなかったし、むしろ関わりたいなとも思わない状況下で、かつ自らに議決権のない会議にケチをつけるのは面倒だったり。その他、立場などもろもろの「言い訳」で眠たい会議に黙って参加し続けました。

ええ、「言い訳」ですよ。そこは潔く認めましょう。だって、どんな内容の会議であろうと、そこには参加している私の人件費が発生しているんだから。その会議の参加自体が「業務」なのだから。そこは逃げようのない事実。

ただ、自分が主導権を握っている会議だったら、次のような工夫をしたと思う。というか自分が今後深く関わる会議には意識しようと思うことを書いてみる。

(1) 確認すべき項目を事前にリストアップしておく。
  →明確に「Yes/No」の項目をチェックする。
  →結論だけ聞いたら次に進む。(詳細はその後)
(2) 会議自体のモチベーションを活性化させる工夫をする。
  →「賛辞」を機軸とするポジティブな空気を醸成する。
  →最初は嫌々でも、褒められれば嬉しくなってくる。
(3) 全体会議の前に各所の現場会議を済ませてもらう。
  →全体会議の時点における現場レベルの協議は認めない。
(4)(5) 強制的にでも「発言の機会」を全員に与える場にする
  →話し手が決まっている会議には不要な人々がいる。
  →惰性で参加している人を見分けてリソースを開放する。
  →一言でも口を開いて話すと覚醒効果が高かったりします。

眠い人がいる会議には、他に何か本質的な問題が隠れているんじゃないのかなあ。そういう会議は、どこかであらすじを整理する場が必要なんだと思う。たいていの場合(自分の経験上)、毎回眠くなる人というのは会議に復帰しろと言われても、どこを足がかりにしていいのか分からなくなっているし、そして相当にあらすじを質問しづらくなっている。

そうでなくても、やはりダイジェストは必要なんだと思う。

・どこがゴールで
・何がどこまで進んでいて
・何が障壁になっていて
・何を決めなくてはならないか

議事録よりも荒いダイジェスト資料があるといい。障壁とかトラブルにしても四捨五入・・・いや切捨てくらいの荒さでいいから、ざっくりとしたダイジェストがあるとだいぶ違うんだと思う。

それから、これは我ながら、ちょっと変なアプローチなんだけど、会議出席者全員のモチベーションを確認するのがいいような気がする。参加者全員がモチベーションゼロの会議だったら不幸だけど、ひとりでもその会議に意義とモチベーションを持っている人がいるのなら、それをまず共有したほうがいいと思う。

つまり、会議の向かうべき方向性に対する喜びを共有するんだ。これって会議だけの話じゃないかもしれませんよ。つまんない仕事をつまんないままでやるから、つまんなくなってモチベーションが下がるんだよね。

「面白い仕事なんかない。大人は我慢だ。」と決め付けちゃダメなんじゃないのかな。面白さを発見することって実はものすごく大事なことだと思う。限られた貴重な人生の時間なんですよ。どれもこれも。

だったらモチベーションをあげて、「つまらない仕事」を追い出す努力があっていいと思う。何のために必要な仕事なのか。それは自分にとってどういう意味を持つのか。もしくはどのような役割を期待されているのか。どのあたりがエキサイティングで面白いトコロなのか。・・・心理的なバリアフリー化にモチベーションって必要だと思う。

そのあたりの意識が根底にあるのとないのでは、生産性とか品質が変わってくると思う。「遊びのように興奮できる仕事」を作り出すことが、これからますます必要になってくると思う。仕事は我慢してやるもんじゃない。

ちなみに、モチベーションによる意識の建て直しが不可能なほどの眠気に襲われた場合、私は次の緊急装置を使ってますよ。

【会議からの脱出が可能そうな場合】
お腹の調子が悪いことにして会議室脱出→(可能であれば)コーヒーを飲む→トイレの個室(洋式)に逃げ込む→3分後に振動タイマーが作動するようにする(スヌーズ機能がある場合は自分で止めるまで1分毎に作動するようにしておく)→仮眠→起きて戻る。
※カフェインは遅れて効いてくるので、できれば早めに摂取。
※トイレで熟睡しそうな悪い予感がする時は使っちゃダメです。

【会議からの脱出が困難そうな場合】
息を大きく吸い込む→時計の秒針の秒数を見る→息を止める→60秒たつまでとにかく我慢する→呼吸再開→すっきり!
※呼吸再開後に息づかいが荒くならないように注意!

前者と後者のどちらかというと使い勝手のいい後者かな。「もうすぐ60秒」の頃には息が苦しくて頭がクラクラしてきますが、息を吸い込んだ時には驚くほど意識が覚醒しているはずです。
※素潜りが得意な人の場合、1分程度では効果がないかも知れないので、あくまでも「自己責任」で限界に挑戦してみてください。

ところで、

・少なくとも前日に6時間以上睡眠をとっている
・いかなる状況にもよらず起きていられないほど眠い

という場合は「睡眠時無呼吸症候群」などで、実質的な睡眠がとれていない疑いがあります。状況によっては命に関わるので病院に行った方がいいです。

すぐに病院に行けない状況の場合、ちょっと寝苦しいですが、うつぶせに寝てみると飛躍的な効果が期待できることがあります。もちろん、後で病院に行くことが大前提なので、これも「自己責任」で。

2009年2月11日水曜日

反作用

「残業はなるべくしないようにお願いします。」
なんて言われて、
「はぁー。これで収入激減だなぁ。」
って思っていたんだけど、気がついたら、
「残業してもいいですから、これ頼みましたよ。」
と、言われていた。

人間って不思議なモノで、収入だけを気にしていたままだったら、たぶん嬉しかったんだろうなと思う。やっぱり残業代が出ると出ないでは全く収入が違うからね。

でもねえ、不思議とそうじゃなかった。早く家に帰ってすべきことをやりたいなという気持ちがいっぱいで。こんな時間までこんなことをやっていていいのか?なんて焦りが生まれてきたりしてね。

なるほどな。人間ってモードが変っちゃうと、同じ状況でも全く違う反応をしちゃうんだよなあ。我ながらおもしろい現象。

別に残業自体がいやというワケでもない。お金に繋がるという単純な理由としても十分に納得ができる。ただ、予想しない残業とか、コントロールできない状況っていうのは、自分にとって大きなリスクなんだよね。

仕事で会う約束をこれからは積極的に入れていく。ただ、どうしても掛け持ちとなると夕方以降にならざるを得ない。そこで突然の残業ということになると事情が変わってくる。

今まで以上に仕事をコントロールしなくてはね。つまりハケンの方も必死で働けってこった。決まった時間の帰宅を守るためには、仕事の計画を正確に立てて、さらに迅速に仕事を終わらせる工夫も怠っちゃあいけない。

真剣に仕事をするためのモチベーションが増えたっていうのは、そんなに悪いことじゃないなと思ってます。それにどんな仕事でも貪欲に突き詰めると何らかの発見があったり、自分のスキルを伸ばすヒントが隠されているんだと思うんですよ。

違う意味で真剣勝負が増えました。
気合いを入れにゃなりません。

2009年2月10日火曜日

「完璧」を捨てる

中途半端な「完璧」主義ほど、やっかいなブレーキはないなあと思います。現状で完璧な状態じゃないから始めない。始められない。とてもやれない。システムを構築する時も、たくさんブレーキがたくさんかかったりします。

 ・高負荷時の問題点は?
 ・セキュリティリスクは?
 ・今後の拡張性については?
 ・安定稼働させるための仕様は?
 ・障害からのリカバリ対応は?
 ・スクリプト言語は何が適切か?
 ・DBを使うべきか使わないべきか?
 ・DBを使うなら何を使うべきか?
 ・システム移行の際の安全性は?

全部、大事なことです。すごく大事。最初のウチから考えておくべきこと。大規模なモノについては、最初からキッチリとした仕様を作ることが肝心。・・・なんですが、全てに適用すべきかというと、それは違うと思います。

「このサービスは、絶対に利用者が増えていくはずだ。」
「爆発的に利用されたら、次はこういう機能を付けよう。」
「セキュリティリスクがあるからチェックを徹底的に。」

どれも想定として大事なんだけど、あまりやりすぎるとゴテゴテしていく。最初はシンプルだったものが、気づいた頃にはシンプルじゃなくなっている。シンプルじゃなくなったシステムは、複合的なトラブルを抱えやすくなる。

どうせ「完璧」なんてないんだからさ。むしろ完璧を最初から目指したシステムを後から作り直そうとすると、最初から作り直した方が楽なことの方が多い。どうせ作り直すなら初回のトライはアドホックに作っておいて、後から焼き直せばいいんだと思う。

システムだけに限らない。報告書にしてもそうだし、提案書にしてもそうなんじゃないのかな。まずはやってみる。走り出して走りきらないうちに周りに見てもらう。方向性が固まりきって硬直してしまう前に、いろんな提案や感想を聞いてみる。

βバージョンでいいじゃない。
ミクシィだって未だにβバージョンだ。

まぁ、ミクシィはそろそろβじゃなくなってもいい頃だと思うけど。

2009年2月9日月曜日

いざ、私利私欲のために!?

前にも書いたように、人生の師、岩井さんに言われた言葉は、

「それは人のためになるのかい?」

だった。その言葉は残響のようにアタマの中にずっと残っている。でも実は、その言葉を咀嚼して食べてしまった私の体内からは、こういう言葉も生まれた。

「それは自分のためになるのかい?」

と。要するに自分がその人の立場になったときに、本当にうれしいことなのか・・・ということ。人間の体っていつかは壊れていく。いつまでも健康であればいいけれど、そんな保証はどこにもない。

たとえば、自分の体が壊れてしまったとしよう。調子が悪いとかいうレベルじゃない疾患とか。頭脳は動いて手足だって動く。でも今までに比べて限りなく不都合な状況に陥ってしまったとしよう。

家族にはお金の心配をさせているが、自分はロクに働くこともできない。お金を使わなきゃいけないことが全て不可能になり、そして、いろんなことを妥協してあきらめる人生・・・。

そんな想像が簡単にできてしまう社会に生きていることを、我々はわりと忘れがちだ。今できることは、よりよい保険商品に入っておくことくらいしかできないようにも思える。

でも待てよ?・・・そういう事態になったって、ちゃんと安心して働ける環境があったらどうなる?・・・そこからでも人生を輝かせることはできないだろうか?

誤解を受けそうな書き方だが、私が関与する仕事は「私利私欲」を意識してみたいと思う。自分が作ったサービスを自分自身が受けて本当に幸せになれるサービスを作りたい。邪道かも知れないけど、自分が受けて満足できるサービスじゃないと意味がない。

家の近くに仲良くしている飲み屋がある。この店で出てくる料理はどれも驚くほどに旨い。そして酒によく合う。なぜかというと、ここのマスターが自分でも食いたいモノを作っているから。酒と一緒につまみたいモノを作っているから。そして食い道楽で飲んべえだから。

そういう意味で、道楽になるほど飲み食いが好きな人がやっている店は、その人自身が納得する味に進化していくので、自ずと飲んべえから信頼される店になるんだと思う。

逆に酒にも料理にもこだわりがなく、そもそも料理を作るのも大嫌い。単に生活のためだけにやっているような店なんかは、景気の後退とともに滅びの道をたどるんだと思う。マズイ料理をガマンして食べる客をカモるような店、どうやったら流行るっていうんだろうか?

自分が誰よりも、そのサービスのファンになれるような仕組みを作りたい。もちろん「自分だけが満足できる」というのは論外ですけどね。ちょっと過激に感じてしまう人もいるかもしれないから、すこしトーンを落としてみる。

要するに「お前らのために作ってやったサービスだ!さあ使え!」じゃなくて、「自分が使いたいくらいにいいサービスなんですよ!」と胸を張れるような仕事がいいな・・・ってコトです。

できれば、関わる人全ての「私利私欲」になるといいなと。

と、いいつつ、なんだか思うよりも先に進まないな。進みたくても進めていないという・・・まさにホフク前進。いやあ、なんて正鵠を得たネーミングなんだろう。(うれしくないけど)

なんだかんだ、一時的にハケンが忙しくなったりしていますが、とりあえず乗り越えていこうと思います。

がんばります。はい。

2009年2月8日日曜日

それ一緒じゃん

今、不況で人材がどんどん切り捨てられている時代なんだけど、そういえば少子高齢化の話題はどこへ行ったんだろう。海外から移民を募ってどうの・・・っていう話もあったんだけどね。

そもそも、その前に雇用機会を増やす方が先なんじゃないの?・・・って思うんだけどな。仕事の受け皿が増えない状態で、労働力だけを輸入しちゃうと、あぶれる労働者が増えるだけじゃないですかー?

日本人がやってた仕事を奪われてしまうだけか、こちらから呼んだクセに「仕事がないので祖国にお帰りください」なんて、人を馬鹿にしたような結果に終わったりしませんかー?

たぶん、国内における人的資源の稼働率を高めるのが先決で、そのためには新規の雇用創出と、人的資源の掘り出しを同時に行う必要があるんじゃないのかな。

「自分は働けないんだ。世の中に参加できないんだ。」と思っている層が活性化すれば、もっと世の中は明るくなるんじゃなかろうかと。たとえば「高齢者」と呼ばれる層とか「障碍者」と呼ばれる層とか。

いろいろそのあたりのことを考えてます。ユニバーサルに起用できる人材資源という意味では、まだまだ開拓できる雇用環境があるんじゃないのかなと。そんなことを思いながら、昨日は精神障碍者の就労セミナーに行ってました。

精神障碍の人たちの就労を支援する組織の講演会。組織の取り組みとかアイデアとか、知りたかった話がたくさん聞けた有意義な時間でした。

講師の講演もよかったんだけど、すでに精神障碍を表明して就労している当事者おふたりの話もよかった。ものすごく仕事に対する意欲があるんだなーと思って聞いてました。

「仕事は社会との関わりを実感する大事な場です。」
「無理しないで、でも諦めない姿勢が大事です。」
「具合が悪くなったら、休憩を入れて充電します。」

このあたりが当事者のお二人から出てきたご意見。

・・・ふ~ん、そうだよねえ。いや、特別に感銘を受けるワケでもなんでもないんだけど、いや、ホント正論ですよ。というか、働いている人ってみんなそうじゃないかな。

要するに「なんだそれ?オレと一緒じゃんか!」という感想。

疲れたら休養をとって体のケアをするのは大事だもん。長く続けるためには「ガス抜き」の技術は絶対に必須ですよ。

クルマの運転をしていて、曲がり角ではちょっと力を入れてハンドルを持つけど、直線道路だともうちょっと力を抜いてもいいんだよね。つまりそういうこと。

で、いわゆる精神障碍者という人たちは、どういう環境下で働いているんだろう?配慮のない職場に比べて何が違うんだろう?・・・というところを気にしながら話を聞いてみた。

どうやら休憩時間の取り方を考慮したり、調子が悪いときには帰らせてもらったりしてるらしい。特に本人が申し出なくても、周囲が気を遣って帰らせたりもしてくれるそうだ。

それって、いいよな・・・。

障碍があるとかないとか関係なく、全ての人に対してそうだといいと思う。そういう思いやりがあると、職場に対する愛着が生まれるんじゃないのかな。今は体調が悪いけど、早く直して役に立ちたい・・・というのが人情だろうし。

彼らの就業状況とかを聞いていると、ちょっとうらやましかった。すべての会社を彼ら基準にしたら、相当、世の中ストレスが少なくなるんじゃないのかね。というか、そういう環境で働くのって、なんかいい感じだ。そういう会社って悪くない。

最近、バリアフリーに配慮した施設が増えているけど、そういう施設って、本来の当事者じゃない人にとっても便利なんだよね。仕事もそういう要素、あるんじゃないのかなあ。きっと。

仕事バリアフリー。まぁ、思いやりと厳しさのさじ加減が難しいけどね。思いやりは大事だけど、あまりにも厳しくなさすぎる「ヌルイ」仕事ばっかりだと、それはそれで「がんばってる感」が刺激されないんだよね(苦笑)。「オレ、がんばってるじゃん」っていう自分リスペクトが生まれてこないとさ。

そのへんのさじ加減。
突き詰めて考えてみる価値、「ある」と思います。

2009年2月7日土曜日

塞翁が馬

昨日は、何を書こうかな・・・と考えあぐねていたりしました。何せ、昨日で4月以降のハケン契約更新のYes/Noが明確になるのだから。まー、最初から、どっちに転んでも悪い話じゃないですけどね。

それでも、いくらか進行方向に影響がでちゃう話なんだもんな。いやー、ホントにすごい時代を生きてるんだなー。もう、何かを通り越して笑っちゃうくらいですよ。サバイバルな時代です。つくづく。

今まで、3ヶ月ごとに緊張を強いられてましたが、今回は格別。残業などのチェックも、異様に厳しくなってきたりもしました。いよいよ感をもって、当日を迎えました。よく眠れましたけど。

経済的に厳しくなるのに、なんだかワクワクしてたんですよね。これで1日の全部を、なすべきコトに全て投入できるのかなって。それはそれで、完全燃焼できるから上等だコラぁ!くらいに。

結果はOKでした。とりあえずあと3ヶ月延長です。奇しくも6月末までの延長ですよ。ありがたいなあ。延長。心から感謝ですよ。

ハケンの契約更新ってのはうれしいもんだねえ。基本的にハケンって「役に立たなければ切っていただいて結構!」という性格のモノだから。状況的に苦しくとも契約を続けていただけるということは、おそらくお役に立てているのだろう。

もちろん、「ありがたい=ずっと続けたい」ではないんだけど、それでも自分の力を評価していただけることはうれしい。ハケンをやっていて切実によかったことは、契約更新が行われるたびに、自分の存在価値や市場価値を確認できることにあると思う。たぶん、これって、雇用に一定の保証があるプロパーさんには理解できない喜びなんじゃないのかな。

いつでも目の前には「ハケン切り」の真剣(カタナの方だ!)が下がっている感じだね。それを突きつけられながら、日々を生きている実感をものすごく感じる。

まさに真剣勝負。いつも更新時期になると机の引き出しを整理したりして、まさに切腹を待つ武士のように身辺を整理しているんです。毎回「九死に一生を得る」喜びを新鮮に感じます。

え?・・・ハケンの契約更新を喜んでいないで、早くハケンを捨てて事業に専念しろって?
ええ。自分の心の声もたまにそんなコトを言ってますよ。

でも、それは状況に応じて、現実に近い選択肢を選べばいいんだと思います。たとえば、何らかの状況によって資金に見通しがついたのであれば、ハケンを捨てて事業に専念するのもアリだと思います。

よく、何かを成し遂げるためには、全てをなげうって退路を塞いでから為すべし・・・なんていうセオリー(?)があるけれど、それは資金の備えがあってのことだと思ったりしています。

当座の生活資金に大きすぎる不安を抱えながら、事業を始めていこうってのは自滅行為だと思うんだよね。捨て身の覚悟・・・と言っちゃえばカッコはつくんだけどさ。

でも、現実的に事業を進めようと考えるなら、数々の選択肢の中から最善手を選ぶ努力を捨てちゃダメだと思うんですよ。睡眠中の夢なら自由で結構だけど、現実に果たしたい夢は現実の土台を固めることが肝要じゃないかな。

ましてや、いろいろな方々にご協力いただく事業であるならば、それが「自分の生活難」によって、途中で頓挫するというご迷惑はかけられない。

正直、今の私に大きな資金はないです。悔しいけどそれはハッキリしています。でもあえて「資産はある」と断言しておきます。その資産というのは、

 ・自らのスキルを買ってくれるハケン先が今はある。
 ・自分には世の中に問いたいアイデアがある。
 ・そのアイデア実現のために前進する勇気がある。
 ・仕事を掛け持ちして現実路線を走る気力がある。
 ・なんとしてもこの閉塞した世界を変えたい願いがある。
 ・そしてそれを応援してくれる方々に恵まれている。

これだけのありがたい資産を持っていて、何にも挑戦しないのは、逆に罰当たりなんじゃないのかなあ。特に最後に挙げた、出逢う方々には本当に恵まれていると思うんです。

素晴らしい方々にお逢いして、自分が小さく見える時もあるけれど、それは自分的に全然OKです。そのスケール感が自分の「伸びしろ」なんじゃないのかなあ・・・って思えますもん。

井戸じゃなくて、大海の広さを知らなくちゃいけない。

どんな状況でも恐れずにね。
人生「塞翁が馬」なんだから。

2009年2月6日金曜日

悲観して楽観する

実は今日、3月以降にハケン契約が更新されるかどうかが判明する日です。もし、ハケンの契約が切れてしまったら・・・については、もう次の行動計画を立ててあるのでジタバタしませんよ。

そもそも3ヶ月更新だから、3ヶ月毎にリスクがあるのは今までと一緒。今までも更新が近づくと身辺を整理したりして、覚悟だけは決めていたわけだし。

もちろん更新されるといいなと思いつつも、毎回のリスクをリスクとして覚悟するのは、ハケンとしてあるべき姿勢なんだと思っています。それが危機管理。

まぁ、今のタイミングで契約更新が切れるとしたら、確かに厳しい状態であることには違いないな。でも、さまざまな手段によって、最悪でも秋ごろまではもちそうな気配だ。

背水の陣としてはなかなかのお膳立てなんじゃないかなあ・・・と、やや、のんきに構えてもいる。メリットもあるからね。一日の全てを自分のなすべきことに費やせるんだよ。生活資金が削れていくというリスクを負いながらだけど。

まぁ、契約更新できればありがたい。できれば吉報を聞ければいいなあと思う。それだけ。「・・・って、おい!?」なんてツッコミが入りそうだけど、まぁ、それだけ。右を向いても左を向いても、どうせうまくいくんだから。

とりあえず自分にとって悲観的な状況を十分に想定し、その状況でどの程度の見込みが立っているのかを検証する。そして危ない状況であれば手段を講じておく。

人事を尽くした後は、自分の努力と神様の采配の領域だもん。それ以上は深刻に悩んだって、事態は変わらないし、自分のためにもならないんじゃないと思うんだよね。

ところで、今、実は自宅の電話線を抜いています。電話をかけられても呼び出し音が鳴るだけで、誰も出ませんよ。あまりに実家から心配する電話がかかってくるから、そっと電話線を抜きました(苦笑)。

心配してくれるのはうれしいけれども、お願いもしていないのに数々の不安要素を並べ立ててくれるんだもんなあ。正直、それをいちいち聞いていたら、自分のモチベーションを下げられるだけなんで、正直なところ迷惑なんだなあ。

「心配する」っていうと聞こえはいいけど、要するに「信頼していないだけ」なんだってことが分からないかなあ。この歳になって自分自身の可能性を信じずに、素直に親の忠告に従って自分の人生を決めちゃうような人間に育っていたとしたら、そっちの方が広い意味で親不孝なんじゃないかと思う。

親の心配のサイズは親の人生から生まれた大きさ。そのサイズを乗り越えて大きくなることの方が、親孝行なんじゃないかなあ。親子であってもその人生は独立したものなんだから。

悲観と楽観をうまく使い分けて、自分の人生には自分で責任を持って前進していきたいなあと思う所存です。はい。

2009年2月5日木曜日

それは人のためになるのかい?

昨日の日記で育ての親の話を書いた。「岩井秀隆」という人の話。本名は違うけど、きっと本人もペンネームでの紹介を望むだろう。何やら有名な作家のゴーストライターだったらしい。

「誰のゴーストライターやってんすか?」と聞いてみたが、
「ゴーストライターは主の名前を死んでも言えないのだ。うひひ。」
と、本当に死ぬまで教えてくれなかった。まぁ、死んでも言えないのは分かるけど、本当に死ななくてもな・・・。

最後まで聞けなかったけど、ペンネームからするとあの作家かな?
「岩井秀隆」→「○井○隆」?・・・憶測だし、ま、いいけどね。真実は永遠に闇の中というやつだ。一人の人間の死にそれくらいの謎があってもいい。
声はダンディで、文章はカチカチからフニャフニャまで変幻自在。文字を主体としたエンターティーメントに生きた人だった。

そんな岩井さんに、将来やってみたい仕事のことを話したことがある。

「もっとコンピュータ(当時「IT」という言葉はまだなかったと思う)をうまく活用して、中小企業に共通する業務効率化に貢献して、もっと知的生産性を向上させるビジネスをやってみたいんですよ。」

今でもコンピュータを含めた情報システムの構築によって、いかに人間の単調作業を減らし、その分だけ知的想像力を活用できるか・・・という分野は、個人的に興味の尽きないところだ。

岩井さんは言った。

「それは人のためになるのかい?」

そりゃなるだろう。やりたくない単調な仕事よりも、アイデアをひねって新しいことを考えるのは楽しい。楽しい時間を創出することに何の問題があるだろうか?

「単調な仕事でしか生きられない人もいるんだよ。そういう人たちから仕事を奪うことが、本当に人の役にたっていると言えるのかい?」

その時はなんと反論したかな。たしか、「知的作業に関して向上心のない人は、時代においていかれてもやむを得ないだろう」・・・的なことを言ったような気がする。

間違っていたね。前の日記にも書いたように、いろんな価値観の人がいてこの世界は成り立っている。「単調な作業」=「つまらない作業」と思っているのも、単に私の価値観に過ぎなかった。

私から見ると「単調な作業」と感じる仕事を、自分の生きがいだと思って、ただただ、がんばって生きている人たちがこの世界にはいる。私の価値観では分からない領域で、品質に差をつけてがんばっている人たちがいる。

そしてそういう人たちによって世界の物質面が構築されていたりもする。建築物とか製造物とかもそういう力で生まれている。そもそも、紙上や机上の空論だけで何ができるって言うんだ。

あれから10年・・・。製造分野で働く労働者がゴミのように切り捨てられる時代になってしまった。ある意味では、私が予想していた世界に近づいてしまった。そして、それはけっして幸せな社会じゃなかった。
適者生存・・・10年後の未来は私が描いたイメージとは違う世界だった。そして、今、まさに自分自身も「適者」であるかが問われている時代だ。

「それは人のためになるのかい?」

そんなわけで、今は逆に「ITで仕事を奪う」のではなく、「ITによって仕事を創出する」をやってみたいと考えています。そういう恩恵をいろんな人に分配できないだろうかとか。

きっとこの世界の中には、まだ見つけられていない「幸せの素」みたいなものが隠れているんじゃないのかな。「仕事の実」というか「仕事の種」というかそういう種類のお宝が。
そういうのを発掘して、いろんな人たちと共有できればいいんじゃないかなと思ってます。

岩井さんには、何も恩返しできないままに逝かれてしまったけど、その分を社会に恩返しできないかなと思っています。

==========
ちなみにGoogleで「岩井秀隆」を検索すると、ちょっと古いけど検索結果が出るわ出るわ。当時の相談室での悪名が轟いているようです(苦笑)。

当時も相当インターネット上で喧嘩をしまくっていたな。というか「集中砲火を浴びていた」ともいうけど。しまいには2ちゃんねるでも叩かれる始末で、そこまでくると逆にすごいような気もしなくもない。

「怖くないんですか?正直?」

私自身は相談室にほぼ関わらなかったが、こう聞いたことがある。

「匿名で書いてくる卑怯者なんか、全然ノープロブレム!」

それを聞いた時に、いわゆる一般的な「社会的弱者」という決め付けと、本質的な「精神的強者」という事実との乖離を実感したものです。

それにしても今はすごい時代だ。もう亡くなってしまった人の遠き日の活躍が、いまだにインターネットの片隅に残っていて、その当時の息の荒さまでもが伝わってくるのだから。

岩井さんの墓場はインターネットだな。たぶん。
もっと言うと、インターネットでまだ生きてるような気すらする。

2009年2月4日水曜日

人生の師匠

世の中に苦しみがあることを、自覚しないで生きることはできる。もちろん、どんな人にも苦しみはあるし、逃げることはできない。だけど、その状況を上回る苦しみがあることを、我々は知らない。

いろんな苦しみが自分に近い距離にやってきた時、初めて見えてくる世界が確実にある。今に至るまでいろんな人に会ってきた。足が不自由な人たち、耳が聞こえない人、ある日、突然食事が不自由になった人。それから顔が大きく変形して生まれてきたおじさん。

みんなそれぞれ、私にとって大きな影響を与えてくれる人だけれども、私の人生の師匠は、先ほど最後に挙げた顔が変形したおじさんだ。母胎にいた際に、当時、検証が十分でなかった薬を母親が投与されたため、生まれた時から頭部が変形し片目は義眼。

やたら元気で人助けの好きな、自称・江戸っ子でね。まぁ、第二の故郷が台湾とかいいつつも、微妙な関西弁をよく使っていたから、そのあたりは追求しない。ただ、英語、ドイツ語、中国語が得意で、台湾とか中国とかともビジネスをこなしたりしていた。

タクシーに乗るたびに、「オレはよ、重度の一級障碍者だからよ、タクシー代なんか、国から金を出してもらって足代わりだ。どうだ、うらやましいだろ!うひひひ!」と自慢されてねえ。無邪気なくせにプライドが高い面もあって、なんとも食えないおっさん。

また、これがよく叱る叱る。20代中盤は、かなりいろんなことで叱られた。実に古風な人間で、「義理と人情、秤にかけりゃ・・・」なんて江戸っ子気取りのくせして浪花節。池袋や浅草あたりを肩で風きって歩いてたな。

インターネットが世の中に浸透した頃に、インターネット相談室みたいのに入り浸って、やたらと相談者を叱りまくってたね。片想いの相談には「お前さんには圧倒的に努力が足りないものと思われる。出直してくるのだ!この唐変木!」とか、不倫の相談をしてきた相談者には「この猿女め!小生には人間の言葉しか使えないので、まあ、貴君には理解できぬであろうが。」なんて。

ただ、厳しい文章ながら、半分以上は親身になって対応していたな。相談者からの手痛い反撃を食らいながらも、本音を引き出して、そこを手厚くフォローするというスタイルだった。

だから最後は仲良くなって、数多くの相談者を相談員に転向させるという、不思議なこともやっていた。まさに「ミイラ取りがミイラになる」といった状況。たしかゴーストライターもやっていたようで、彼にとっては、相談室そのものが文字を用いたエンターティメントの一部だったんだろうなあ。

私とおじさんの出会いもインターネット相談室からだった。青年期特有の悩みをインターネット相談室に書き込んだら、エライ勢いでボコボコにされた。その後の流れとしては、ずいぶん気に入ってもらえて、数週間後には初めてお会いすることになるのだけれど。

このおっさんの話なら、このまま何時間でもかける自信がある。たぶん「ホームレス中学生」と同じくらいのボリュームで書ける。まぁ、今回はとりあえず割愛したいと思う。とにかくバイタリティーにあふれて、ものすごく強靱な精神力の持ち主だった。

ともかく栃木の片田舎で東京進出をしたがっていた私に、「オレが部長をやっている会社があるんだが、オレの下で働かないか?」とお誘いをもらって、某インターネットプロバイダーに転職することになった。それで今の私がある。

そのおじさんが亡くなってから、もう10年くらいにはなるのか。社会に出てから、本当に私の育ての親だった。初めて会った時に衝撃がなかったかと言われれば、正直、かなりの衝撃を受けた。これは事実だ。でも、慣れた。若干、時間はかかったけど。

なんにしても、周囲を巻き込む剛直さと大胆さで、周りを引き込む何かがあったな。周りもおもしろいモノで、このおっさんの障碍について陰口をいう人はいなかったね。もちろん激しすぎる性格については、ミソクソに言う人もいたけれど。

亡くなってから、おっさんのご母堂にお会いする機会があった。小さい頃はいじめられ、「こんな体にどうして産んだ」と親を責める日もずいぶんあったそうだ。

しかし、私が知っているおっさんは、快活で前向きで、ブルドーザーみたいな人だった。生前はそんな話を聞いたことがなかったから、逆にそのことで教えられたような気がする。「男は心で泣いても表にゃ出すな。男はつらいよなあ。」なんて古風な人だったから。

自分がメソメソする代わりに、メソメソしている人を救うことで、自らも救われていたんだろうな。というか、そんなことを、サシで酒を飲んでいた時に本人から聞いたような気がする。

このおっさんに逢っていなければ、たぶん、障碍者とは縁がなかったかも知れない。でも、私の育ての親は障碍者だった。障碍者同士でつるんだところを一度も見たことのないおっさんだった。むしろ健常者に混じって叱咤激励するようなおっさんだった。そして、いまだに私の中では人生で一番の、絶対に忘れられない師匠だ。

このおっさんのペンネームは「岩井秀隆」という。本名よりも気に入っていたようなので、このペンネームを万感の思いを込めて書いておきたい。

とにかく私の育ての親はスーパー障碍者だった。だから障碍者に会うと、つい逆に、通常以上の期待をしてしまうことがある。悪いクセだ。人間それぞれなんだからそんなの関係ないよと知っちゃいるんだけど。

でも、そういう意味で、物理的、社会的な位置づけに関わらず、どんな境遇でもすごい人はいるもんだよということを、身をもって教わった気がする。

そのあたりの確信に基づいて、これから何かおもしろいことができないかなと思っています。世の中、見かけで決めると損するからね。

2009年2月3日火曜日

成功本の評論家

世の中にはいろんな考え方が渦巻いています。だから、どんな考え方にも反対側からの意見とぶつかります。たとえば、感情ひとつについて論じたところですら、

・だから、いかなる場合も「冷静」であるべきなのだ。
・今の時代は「情熱」的に燃える人間が必要なのだ。
・冷静さと情熱は「兼ね備える」ことこそ肝要であろう。
・冷静さと情熱は「両立しない」。さもなくば欺瞞なのだ。

なんて、単なる二元論にとどまらず、あらゆる角度からあらゆる価値観がぶつかり合うんですよねー。たぶん、意見の何割かは「商品として生み出された」ものなんじゃないかなーと思っているわけですが。

突飛な論調って高く売れるんですよね。特に世の中である種の実績を積んでいるほどその効果は高い。心の意表をつくコピーがつけばつくほどおいしい商品になりそうです。

特に成功本なんか特に顕著なんじゃないのかなあ。なんとなく適当に本のタイトルをでっちあげると、「今すぐ早起きはやめなさい」とか「謝らない人間が成功する」とか。特に成功本っていうのは、突飛な切り口が多いような気がする。(←書名を調べずに適当に書いてます。本当に存在したらごめんなさい。)

ただ、そういう本を死ぬほど買っても、あんまり意味がないんじゃないかなあと思ってます。実際にうまくいっている人が、成功本みたいなのを読みまくったなんて話は聞かない。「読んでいたとしても恥ずかしいから言わないのだ」・・・と言われれば、それもそうかも知れないけど。

まぁ、昔は全てのセオリーを知れば最強じゃないか・・・なんて思っていた時期もあるんですけどね。まぁ、近頃はほとんど意味がないと思ってます。まず、自分なりのコアがなくちゃダメなんだと思います。要するに本をたくさん読むだけじゃダメで、自分のアタマを使って煮詰めていくことが大事なんじゃないのかなーと。

どっちにしたって、無数の人格を全てマネをすることは不可能なんだよね。成功本をたくさん読む問題点は「評論家」になっちゃうことだと思う。「○○に比べると、□□の書いていることは抽象的だな。」みたいな。
そこには、○○と□□はいても、自分自身がいない。

おいしいワインを飲みたいのか?
それともソムリエになりたいのか?

そういう状況に似ているような気がする。
たぶん本当に「やる人」っていうのは、そういうのを読む前に先に進んでると思うよ。

2009年2月2日月曜日

いよいよ魔の手か?

ウソから出た誠・・・いや、ウソではないんだけどね。すごいね。
ご存じの通り、ハケンから脱出するためにいろいろやっています。
でも「脱出!」と言っていたら、いよいよ私の周りにも魔の手が。

あれ?こないだまでそこにいた人、なんか最近、姿を見ないぞ!?
なんか人が消え始めています。これはサスペンスだ。ミステリーだ。
そして、私も残業を厳しくチェックされるようになってきました。
なんとなーく最近、不穏な空気が漂ってまいりました。なるほど。

「定時になってなくても、早く仕事が終わったら帰ってOKです。」
なんて話も聞くようになってきた。なるほどなあ。収入激減だな。
・・・まあ、動ける時間が多くなるのは純粋にうれしいけれどね。
ん?・・・どこから聞いても「強がりにしか聞こえない」ってか?

まー、半分は強がりで、半分は本音です。贅沢を控えればいいさ。
ひょっとしたら、3月の契約更新はないかも知れませんな。マジで。
宣告されたワケではないけど、すごい危険な香りがプンプンする。

あと数年はいらないけど、できれば、6月頃までは続いて欲しいな。
あー、まぁ、ワガママな希望というのはよーく分かってますけど。
せめて、あと1回くらい契約更新させてくれたらなーとか思ったり。
でないと、6月30日までチャレンジできないじゃないか!(本末転倒)

とりあえず、3月末日で契約が切れちゃう前提のシミュレーション。
3月末日までの収入を必死に節約して、たくさん貯金するのは当然。
次のハケンが見つからずに1ヶ月たった場合は、失業保険をもらう。
仕事が見つかったら・・・まぁ、やるんでしょうね。それは。

ハケンが失業保険をもらうには、次の条件があるらしい。

・失業保険加入期間が過去2年間の範囲で通算12ヶ月以上ある。→○
・病気やけががあって働けないなどの状況ではない。→○
・契約満了後、1ヶ月以内に仕事が見つからない状態だ。→前提が○
・1ヶ月以内に仕事が見つかった場合は辞退していない。→前提が○

なんとなく1ヶ月と書いてみたけど、実際、1ヶ月は待つらしいです。
ちなみに日当の求め方は、3ヶ月分の収入÷180×50~80%だそうだ。

つか、なんだよ、この50~80%なんていう幅の広いアバウトさは?
ただ、50%だとしても、まぁ、確実に3ヶ月まで生活できる計算だ。
ここまでは、「失業保険+貯蓄切り崩し」で生活できるという前提。

ちなみに80%だとすると、貯金の切り崩しすら不要なレベルになる。
でも、まぁ、ここはあまり期待しないほうがいいだろうな。実際は。

さて、3ヶ月たつと、今度は貯金を切り崩していくことになります。
しかし、高い家賃がたたって、そこから全部自腹で払って+1ヶ月。

さらに現在保有している資産を換金して・・・年末まではOKそうだ。
しかし、今年の年末はマンションの更新月なので、そこでアウト。
失業したままで生きていくと、だいたいそういうシナリオになる。

背水の陣の構築が着々と進んでいる感じだな。がんばれよ!自分!

そういえば「派遣」関連の書籍を見ていたら、お門違いなモノ発見。
もう、書籍ですらないんだけど、この姿にグッときちゃいました。



同じハケンでも、やっぱり、イラクへのハケンはひと味違うぜ!!

どうやら残り1個みたいです・・・。なんということだろう・・・。
欲しいけど、今は生活費を維持しないといけないので無理です(涙)。

2009年2月1日日曜日

名刺

名刺を作りました。初めての人に会うときに名刺がないと、「ただいま名刺を切らしておりまして。」という、なんとも無様なウソをつかなくてはいけなくならない。別に切れているワケじゃなくて、最初から用意していないワケですから。
私ももちろん企業の一員として生きていたことがあるわけで、会社から名刺を貸与されていたことはあります。「貸与」と意識していることでも分かるとおり、会社の看板を背負っているという意識がありました。
組織の看板や肩書きに縛られたくないと思う一方で、組織の力なしに名刺を作ることに対する抵抗感に躊躇を覚えました。まさに自分の名前で勝負するための、組織も肩書きもない名刺。
でも、実は作ろうと思った機会もありました。
とある講演会で、吉本興業の元専務・木村政雄さんのお話を伺ったことがあります。その時のテーマは「組織に囚われない」だったように記憶しています。ちょうどハケンになった頃だったかな。だから当然名刺を持っていないワケです。
話の内容にも感銘を受けたんですね。この話を忘れないように公演後に名刺をいただきにいきました。
「あなたの名刺もいただけますか?」
と聞かれた時に「しまった!」と思ったモノです。まさか私の名刺なんて欲しくないだろうと決めつけていたんですね。真実かつ苦し紛れに、
「私はどの組織にも所属していないので名刺はありません。」
と返したところ、
「それはいけない。すぐに自分の名刺を作りなさい。」
と諭されました。
せっかく人に出会ったのなら、その人の記憶から消えないように名刺を用意すべきだと。忙しい人ほど多くの人に出会っている。そこから消えないことが大事な「機会」や「縁」を逃さないことに繋がると。
それから、ハケンを続けた期間と同じだけの時が流れました。その間、名刺を作ることはありませんでした。もし、自分で何かを始めようと思ったら、まず名刺から作ることが大事だと思います。
要するに、名刺を作らないということは、
「今のところは、自分で事業を始めるつもりがありませんよ。」
という意思表示になっていると言い切っても過言ではないと思います。結局、ハケンになってから今に至るまで、ノーアクションでしたからね。何かアクションを起こしやすいように、正社員じゃなくてハケンという道を選んだっていうのにね。
さて、名刺も作りました。今は「まだ見ぬ方々」との出会いが楽しみでなりません。