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2009年3月31日火曜日

空気を読む

もう、だいぶ過ぎ去ったようにも思える「KY」。まぁ、アホラシイ短縮語ですね。コレ。

「空気読めない」も「空気読める」も、どっちにも取れる短縮語ですもん。ついでにいえば、普通はデフォルトで否定形にはならないと思う。しかも単なるローマ字の頭文字。まぁ、この程度の低そうな感じがウケたんだと思いますけどね。
(「KYR」→空気読める・・・っておい、発想が小学生レベルじゃん!?)

で、空気を読む読まないということについて、いろんなメディアでプチ討論みたいなことがあったワケです。「空気の読めない人が多すぎる!」だとか、逆に「空気が読めることがそんなに偉いのか?」とか。

今さらではありますけど、どっちも違うんじゃね?・・・と思います。そんなもんケースバイケースなんじゃないのかなと。根本的には思いやりの問題だと思います。

この状況でこういう行動をしたら、相手はどういう気持ちになるだろうか・・・と考えて、その行動をやめることも大事だと思います。逆に相手の気持ちを害することを覚悟しても、相手のことを真に思って行動することも大事だとも思います。

正直、空気は関係ないと思います。
追い風だろうが向かい風だろうが。

空気を読むことだけに必死な人は、単なる風見鶏だと思います。
空気が読めなさすぎる人は、人が遠ざかっていくと思います。

でも、個人的にはKYって言葉、窮屈っぽくて好きじゃなかったな。

出費制限

ずっとハケン契約が続くだろうという甘えも、今さらないワケですが。ただ、3月で打ち切りの形で終わるだろうと思っていたハケン生活。6月末まで続くことになりました。これは以前、書いたとおりです。

でも、だからといって、事態はまったく予断を許しません。
遅かれ早かれ、このままハケンを続けるつもりはまったくありません。が、先立つものを確保しなければなりません。

当座の家賃。生活費。それらを賄う新たな収入源。
それらの調達が遅れれば遅れるほど、生活リスクが高まる実感は強いです。まぁ、なんともすごい時期に旗揚げを志向しているものだと思います。

ただ、予測のつく金銭リスクはできうる限り避けるべきだとも思います。そこで少なくともハケン契約のあるウチは、しっかり貯蓄していきます。生存日数を稼ぐつもりで出費制限。今月は財布に数千円しかありません。

口座にいくら残っていようと、決めた以上の預金は引き出していません。最近では「口座には一銭もお金がない」・・・と思い込んでいます。

前に、自分が一日生きるのにいくらのコストがかかるのか計算しました。たしか以前もここに書いたと思うのですが、当時の試算で一日10000円。家賃も税金も全部含めた金額なので限界値はありますが、まだ削れます。

生き延びていくためには、一日あたりの出費を意識して減らすこと。そして、その出費をカバーする収入を得ること。

自分の夢を前にして、せせこましい話なんですけどね。でもそれを叶えるためには、前提条件として生存していく必要があります。

もともと、自分で仕事を立ち上げていくために選んだハケン生活。会社に対して忠誠心を抱きやすいタイプなので、入社はあえて避けました。

でも、心の中に葛藤があるのも事実です。

・ハケン契約がもうちょっと続けば活動資金を貯蓄できる。
・ハケン契約が切れたら本格的に活動することができる。

くそう!
玉虫色だ!

でも、まぁ、いろんな話に目鼻を付けてからでも遅くないと思ってます。いきなり収入源を失ってから、焦りの中で準備を進めるよりずっといい。

いろんな社長の成功談では、リスクを無視して突撃した話もよく聞きます。が、失敗して話すら聞けない人も数多いだろうということを想像します。成功した人の話は参考にはなりますが、それはその人のストーリーです。

自分には自分にしかできない戦い方があるはずです。
借りてきた戦術では、結局、ダメなんだと思います。

2009年3月27日金曜日

ポジティブに

逃げずにポジティブ・・・。
うーん、自分のダメダメぶりが最高潮です。最近。
やっぱり、記録は短くても毎日続けた方がいいのかな・・・と心が揺れる。

誘惑とか堕落とか、そういうのに弱いんですよ。特に私は。
ほとんど見なかったテレビを観る時間が知らず知らずに増えていた。

「仕事に差し支えるから」と中断したブログの毎日更新。
日によって在宅時間が少ないこともあって、やはり毎日は難しい。
・・・けど、やっぱり習慣的に記録を付けていこうと思いました。

ブログによる公開記録(誰も見ていなくっても)をやめるとだらける。
思わず「やっぱり、オレは、だめだだめだ・・・」となりそうになる。

そっちのがだめだよね。
「自分にはできない」という自己暗示は避けたいよ。
自己暗示には絶大な効果があることも分かってるんだから。

現実から目を背けることなく、ポジティブに考えなくちゃいけないな。
これが難しかったりもする。「ポジティブ=現実逃避」となると最悪だ。

まず、現時点での自分に対する判断は避けて、まずはすべきことをする。
そこに立ち戻ろう。

未来について

最近の画像技術や音声処理技術はすごいと思う。デジタル化したことで、メディア情報が後年にわたって劣化せずに残るのかと思うと、なんとも不思議な気がする。

親の世代の写真やら映像やらを見ると、退色していたりボヤけていたり傷が入っていたりしているのが普通だった。下手をすると白黒写真しかなくて、当時の色彩は想像上でしかありえなかったりもした。それが、現代よりも後の世代の人たちは「20XX年の現在」をありのままに観られるんだろう。

でも、きっと未来はその想像を上回るはずだ。私たちが白黒写真にある種の不自由を感じたように、きっと、現在の画像技術や音声技術にすら不自由を感じるのだろう。たとえば未来のある時期に「立体画像が当たり前」になっているとすれば、現在記録しているほとんどの画像は奥行きのない平面画像だ。

私たちが、画像処理技術が日々進化していると感じている「現在」は、「奥行きを再現する画像技術が未成熟な時代」と呼ばれる日が来ると思う。

「まだ音楽を装着デバイスで聴いていたあの時代」
「まだ人間の判断でクルマを運転していた当時」
「まだコンピュータにキーボードがついていた頃」

40年前の最新技術は、今から考えると逆におとぎ話のようだが、たぶん現在すらおとぎ話になってしまうと思う。

それを恐れちゃいけないんだと思う。
そして、現在をおとぎ話に変えていくのは、自分たちなんだと思う。

2009年3月21日土曜日

毎日書こうなんてやめた

・・・と思ったら、ぽろぽろと書きたいことがでてくる。
なんなんだろうね。これは。

ただ、まぁ、たくさん書こうとかそういう気負いはナシの方向で。
・・・で、何が書きたいのか・・・なんだけど。

あんまり後々まで考えるのってやめようかなー・・・と思うんです。

まずは、思いつくことから、始められることから、確実にやっていく。
その先に何があるとか、とりあえずナシで。

人生だってさ、突き詰めて後々のことまで考えると「死」なんだよね。
いつかは迎えるモノとして考えるのは大切なんだけどねぇ。
でも、毎日考えるようなこっちゃない。

毎日、楽しく頑張って生きると、その結果、いい死がくるんだと思う。
行き当たりばったり・・・とも違うんだけど、まぁ、できることやります。

自分の立ち位置

木曜日は三人の起業家にお会いすることができました。いろいろな無理をして事業を広げてきたらしく、聞いた話は大いに参考になりました。
まぁ、正直なところ、凹みもしましたけどね。いろんな苦労話を聞いて、「これは自分にマネができるだろうか?・・・いや、そこまではできない(やらない)と思う。」という内容もありましたから。

でも、他人と自分を比較して落ち込むという罠にかかっちゃいけませんね。いろんなタイプの人間がいて、みんなそれぞれ、そのタイプに合わせた生き方を選択しているんだろうなと思います。
「自分にマネができるだろうか?」・・・というか、マネをする必要なんてどこにもないワケじゃないですか。むしろ、自分をよく見ないでマネをすることほど危険なコトはないなぁ・・・と思い直しました。

そのあたりは成功本に似ているような気がします。

ホームレスから身を立てた人の話を聞いてホームレスから始める必要はないし、大工の下積みから夢を目指してうまくいった人の話を聞いて大工を始める必要もないということです。
サクセスストーリーを聞くと、自分が後ろを歩いていることを思い知らされるものです。そして、自分が必要以上に小さくも見えてしまうものです。そしてその一部は事実であったりもします。

羨望は自分よりも他者にスポットライトを当ててしまいます。誰にも持ち味があるにも関わらず、自分の持ち味が見えなくなってしまいます。自分が持っている武器をよく考えないといけません。

でも、こういうこと、正直、ブログに書きたくないなーとも思います。実際に「思い」を実現できていない人間のくせに「何を自分を納得させようとしてんだよ!」というようにも思えるからです。単なる自己弁護じゃねーかよ・・・とか。

だから、もう、あまり、くどくどとは書きません。

ただ、「やるか」「やらないか」・・・この問いには答えられます。

「やります!」

では、自分らしく「どうやって?」を考えていきます。

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思うところがあって、ブログ日記、毎日、書くのをやめました。
「順序が逆だろう!」と思ったからです。

仕事のことで何かを書こうとしても書けないこともいっぱいあります。まだ世の中にでていないにしても企業秘密はあります。これから目指したいこと自体が企業秘密です。まだ何も起こせていないからこそ、アイデアこそが全ての資産だと思っています。

いずれ、世の中にいろいろなものを提供できる立場になった時には、ブログにも書けるようになってくると思います。でも、ブログを書こうとして、書けないことがあまりに多い状況にジレンマを感じていました。

書けないことを書かない代わりに、なんとか書けそうなことを探してくるんじゃダメなんです。書けないことが多すぎる時は、まず、それを実現させることのために時間を注ぐべきだと思うんですよ。最近。

まだ、中案件、小案件は進行中です。ただ、ここに書けないのは、アイデアがだいぶ形になってきているからです。大案件についても・・・なんとかしたいけど、ちょっと優先度は低めで。

とりあえず、そういう状況なので、ブログ、ほどほどにします。

2009年3月18日水曜日

必要ない人々?

大企業での業務体験研修(?)もそろそろ2年になるわけですが、つくづく「誰かひとりいなくなっても問題ない組織社会だなあ」と思います。よっぽどクリエイティブな仕事をする人でないかぎり、実際にそうなんだと思います。

逆に仕事の一面としては「誰がやっても同じでなくてはならない仕事」というものがあります。たとえば作成者によって帳簿の数字が異なっていてはいけないし、プログラマーによって出力結果が大きく異なるような仕事もマズイです。

大きい企業になればなるほど「人間の交換性」を重視して、部品化する傾向があるので「取替え可能な人間」がほとんどを占めるようになります。だから、そういう意味では「私の代わりは他にもいる」という言葉は正論だったりします。

なんて思ったりしたんですが、自分の中でいくつか消化しきれない何か。

「同じ業務をしているようでも人によって何かが違う。」

あるんですよね。
たとえば、同じチェックをする仕事でも、特定のチェックだけはムチャクチャ迅速かつ正確にできる人とか、障害が発生したときにその原因究明までの距離がむちゃくちゃ短い人とか。たまたま同じ業務をしているだけで、その業務の見え方が全然違うというか。「チェック」という業務だけにスポットライトを当てれば、前任者も、後任者も同じ業務をできているように見えるんだけど、やっぱり違うんですよ。

簡単に隠そうとしても、個性ってのは簡単に消すことができない。

「そもそも仕事以外の部分で人格は交換が絶対にきかない。」

仕事ができようができまいが、早かろうが遅かろうが、大事な友達や家族はかけがえがない。これが結論。

2009年3月17日火曜日

でも、なんのために・・・?

知識の共有・・・なんていっても、そんなに人よりも優れた知識を持っているワケじゃない。誤解を恐れずにいえば、一般的な知識レベルを競うのはあまり意味がないと思う。記憶に頼れば習得できることというのは、他の人でもできることだから。たぶん、知識よりも大切なことが大事なんだと思う。

数学の公式をいくつも知っているだけの人はそんなにすごくないと思います。それらの公式や定理を駆使して、誰も考えたことのない未知の領域を冒険できる人は尊敬に値する数学者だと思います。

調理法をいろいろ知っているだけの人はそんなにすごくないと思います。深い情熱をもって料理の研究に没頭し、食べた人を幸せにすることを一番に考えている料理人は素晴らしい人だと思います。

楽器が演奏できるだけの人はそこら中にいくらでもいると思います。でも、心から音楽を愛し、世界の中でたとえたった一人でも感動の涙をあふれさせることのできた人は、やっぱりすごいんだと思います。

知識の継承は、書くまでもなく大切なことです。
でも、それは「自分」を規定する究極のツールにはなりえません。
一つ一つの知識は「パーツ」に過ぎないと思うんです。
パーツは持っているだけじゃなくて、適切に使うことが大事です。

書いているウチに、また話がまとまらなくなってきました。まぁ、まとまらないまま書き連ねてみましょうか。

・知識ではなく発想力やイメージの方が個性を必要とするだろう。
・知識「量」を自慢するだけなら機械の記憶力の方が圧倒的有利だ。
・知識はいつでも使いこなせる道具になっているべきだと思う。
・広大な知識の海の中から状況に応じてすぐに出せることが大事。
・異種のパーツ同士は無限の組み合わせがあるので面白そうだ。
・言葉を紡ぎ出す価値は「人にエネルギーを与える」ことだと思う。
・エネルギーとは「元気」だったり「発想力」だったりだと思う。

いつも、何かを書こうとするとまとめようとするのに困るほどに、いろんな方向に思考が広がります。それを無理矢理まとめようとすると意味不明になってしまいます。気力が果てるまで必死に書いてもいいのかも知れませんが、もはやそれはブログ日記じゃないと思います。そこまで時間をかけちゃっていいものかどうか頭を悩ませるまでもありません。文筆でメシを食えている人ならともかく・・・ですが。

で、結局、書きたいことを全部書かずに、消化不良で終わってしまうことが多かったりします。しかし、まとまらないなりに、全部列挙するというのは意外と気持ちがいい。

これからまとまらない時はこうしとこう。
・・・結局、「発想のゴミ置き場」的な「ネタ帳」ですが・・・。

2009年3月16日月曜日

人のことをいえん

某社で取り扱っているサーバ構築の面倒をみていた関係で、それらを再構築するためのドキュメントを書くことになりました。まぁ、よくあることです。何度もレビューを行って、4回目のリテイクに突入しました。

「マニュアルは分からない人にも分かるように!」

というのがモットーなんですが、やっぱり第三者の目を通過すると、自分の中で当たり前のことが盲点になって、その結果として「この書き方じゃ、そこまでは想像できない。」という反応を目の当たりにしたりするわけです。

ダメじゃんか・・・自分だって。

こういうのは、さじ加減が難しいですね。つい、自分が知っていることは前提として書き飛ばしてしまいがち。かといって、ひとつひとつを丁寧に検証していくと、さっぱり進まなかったりとか。技術系のドキュメントは難しいんですよね。

そういやこないだ、若手芸人の漫談であったなぁ。携帯電話の説明書が分厚すぎるって。

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●説明書の「故障かなと思ったら」ページがバカすぎ!

「相手の声が聞こえません」
 →「受話器を耳にあてていますか?」
  →「携帯電話の使い方くらい分かるわ。バカにすんな!」

#同感なんですけど、これ、フールプルーフってヤツなんですね。ドキュメントとして必要と言えば必要なんだろうけど、ほとんどの人には不要なんですよね。でも、仕様書畑の人は書かないと落ち着かない・・・と。

●「説明書」に説明書をつけるな!

「説明書の読み方」というガイドブックがある。
 →「こんなものをつけるから余計に分厚くなるだろうが!」

#フールプルーフ対策で、膨れ上がったマニュアルを読みやすくしようとしたら、かえって裏目にでたって感じでしょうか。マニュアルを作る立場も読む立場も、分厚いマニュアルなんて嫌いなのに、結果的にそういうことになっちゃうんですよねえ。
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若手芸人の意見にはかなり同意するけど、作る立場だって苦労しているんだろうなぁ・・・と、思わずにはいられません。あのボリュームのマニュアルを作るのって苦行に近いと思いますもん。たぶん、社内で何度もイヤってほどレビューして、夢に見るくらいに作業したんだろうなあとか。

「故障かなと思ったら」に書くバカっぽい内容だって、いざ、分からない人がクレームを投げてきたら、「シロウトに優しくない」とか「老人を情報弱者にするつもりか」とか、けちょんけちょんに叩かれるんだから・・・ねえ。それを考えると、やっぱり、メーカーとしては「バカだなー」と思うことも書くんだろうなと。

なんにしても、人に何かを伝えるというのは難しいものです。特に知識レベルが想定できない対象に適切な説明を印刷物で行うのは難しいでしょう。たぶん、込み入った製品に対する説明をするなら、オンラインマニュアルがもっとも適しているんでしょうね。

それならレベルに応じて動的に見せる範囲を絞り込むことも可能です。マニュアルデータの総量としてはものすごい量になると思いますが、ビジュアルで分厚い説明書っぽく見せずにすみます。

ただ、まぁ、そうしても、結局「オンラインサイトを見られない人には不公平だ」ということになるんでしょう。もちろん技術側も、そういった層にあの手この手でアプローチすることも大事です。でも、一定水準以上の話については、各自、苦労してもらえばいいんだと思います。

サポート関連のメールを参照できる立場にいるんですが、初心者にはひどい内容が多い気がします。「CGIの使い方を分かりやすく教えるべきだ!」「HTMLの書き方の基礎を教えてほしい。」・・・などなど。

たいていこういうのは独学で学ぶべきものだし、そうでなければお金を払って然るべき教室に行けばいいんですよ。ほとんどの技術屋さんにしたって、CGIやらHTMLやらってのは、誰かに教えてもらったわけじゃないと思いますよ。分からないところは時間をかけてがんばって習得しているはずです。

さらにはCGIにしても、不正な情報の入出力には注意を払うべきところがたくさんあります。そこを「初心者だから敷居を低くしろ」なんて言われてもできない相談なんですよ。アメリカに到着した日本人が、「オレは日本語しか分からないから、みんな日本語を勉強してくれ!」というほどムチャです。

マニュアルを書く方も読む方も学ぶべきことは多そうです。

2009年3月15日日曜日

体調管理

自己管理といえば仕事に影響するとても大事なスキルです。でも、自己管理といえば「体調管理」でもあり、メタボリックを防ぐのも大切な自己管理のひとつ。実はこれに失敗しました。いろいろなダイエット法があるんですが、一番、苦労しなさそうな方法を選んだところ拡大解釈をしてしまい、結果的には始める前よりもひどいことになってしまいました。

失敗した理由は簡単です。どんなダイエット方法でも押さえるべき基本があります。それは毎日の計測です。それをしなかった。さらにデータを観測しないまま半年ほど放置してしまった。そしてダイエットをするためのモチベーションがなかったんですね。でも、いろんな人の人生にも関わる仕事を始めようとするにあたって、今まで以上に体調管理が必要性を感じています。

そこで、明確な数値目標を掲げて正しい健康状態を取り戻そうと思います。
長々と書きません。
やります。

2009年3月14日土曜日

イヤッちゅうねん!

「中年」って響きってよくないよなぁ。というか、子供の頃は「少年」と言われるのが嫌だったけど。「幼年」は・・・ひょっとすると言われていたかも知れないけど、さすがにそのあたりは記憶にない。残るは「青年」と「老年」か。あと、忘れられがちな「壮年」。

「青年」というのも一見よさそうだけど、田舎にあるロータリークラブの青年部に行ってみれば分かる。どうにも30代から40代までの脂ののった感じの「青年」がうようよいる・・・微妙だ。年齢帯としては自分もかぶってるんだぞ。もっと喜べ自分。

・・・って、喜べるはずがない。だって「そんなの青年じゃない」って言っている自分がいるから。もちろん年齢を諦めるとかそういうことを言いたいんじゃない。「○年」というネーミングのくくりに翻弄されて、ネーミングの意味をずらすことで誤魔化している姿勢がイヤなのだ。

で、たぶんそこまで長生きすればの話だけど「老年」という呼び方も、たぶん嫌いになるんだろうと思う。それにしても子供の頃と今の「老人」って変わったよなあ。下手したら老いていないんじゃないかというくらいにアグレッシブだ。

あんまり言葉に振り回されない方がいいね。

・・・と、キレイに締めようかと思いつつ、つい、「イヤッ!中年!」と思った自分が・・・ねぇ。
途中でタイトル変えちゃった。

ニューラルネットワーク

だいぶ前のことになるのかな。テレビを観ていたら面白い現象を体験できた覚えがあります。番組中に数秒間だけ次のようなテロップが出ていたんですね。

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10秒で次のキーワードを覚えてください

にがい/やわらかい/うれしい/キャンデー/くすり/ふわふわ/ぶどう/からい/しろい/ホイップ/わたがし/マシュマロ/しっとり/おいしい/ケーキ/みずみずしい/やきとり/マンゴー
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内容を完全に覚えていないのでキーワードはきっと違うと思います。あと、実際にはもっとキーワードがあったかも知れませんが、とりあえずこんな感じでした。

で、テレビの出演者も私も答え合わせの時に、思わず回答に含めてしまったのが「あまい」なんですよね。ビデオ録画だったので、念のために戻してみてみましたが、やっぱり「あまい」なんてどこにも書いてなかったです。

人間の記憶は連想記憶と呼ばれていますが、まさに連想記憶のメカニズムが余計なことをすると、このように記憶の変質が起こってしまうそうです。

また、盲点という現象もなかなか面白いものです。昔やった人も多いと思いますが、念のためおさらい。

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(1) 白い紙に黒い点を書きます。
(2) そこから3センチくらい離れたところにも黒い点を書きます。
(3) 片目を閉じます。
(4) 片方の黒い点を注視しながら紙を近づけたり離したりします。
(5) 特定の距離になると、注視していない方の点がすっと消えます。
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眼球の中にある特定の部分には、受像センサーがない部分があるんだそうです。当然、そこに存在するものを受像できないため、点が認識できなくなり消えてしまう・・・というのが盲点のメカニズムなんだそうです。

なので、普通に見えていると思い込んでいる風景の中に、実は見えていないものが存在するということです。ただ、普段から画像が欠損しているように見えないのは、脳が眼球で受像した信号を画像処理をかけており、不自然なく認識できるように加工しているそうです。確かにそうでないと、常に視界の一部が欠損していてウザいでしょうね。

この脳の補正能力というのはおもしろいもので、(1)を白い紙じゃなくて、黄色い紙でやると盲点は黄色に、青い紙でやると盲点は青く調整されるのです。実際に人間の目はメカニズム上、最新のデジカメよりも圧倒的に画素数が少ないそうです。それでも綺麗に見えるというのは、脳の補正能力が高いからなんですね。

「脳」を精神活動の中心と考えず「ハードウェア」として捉えた「脳遊び」でした。騙し絵なんかも脳の認識力を誤作動させた遊びの一種だと思いますが、いろいろといじってみると面白いのが脳なのかも知れません。

実は脳が自動的に処理していることを、うまく使うともっといろんな選択肢が広がるのかもしれません。そういうことを思いつつ、マインドマップやらフォトリーディングに接しています。まぁ、頭から信じ込まないようにも気をつけたいものですが。

盲点よりも妄信の方が怖いですからね。

2009年3月12日木曜日

好き嫌い

昔、こんなことを言われたことがあったな。「女にモテたければ自分の好みをハッキリさせておいた方がいい」とかって。その辺については私の専門じゃないので、その真偽についてはなんとも言えませんが。ただ、そう言われた当時は「好き嫌いはよくない。どんな人でも必ずいい面はあるものだ。」と、思うのが正しいことだと思ってました。

まぁ、今でも「どんな人でも必ずいい面はある」というのは本当だと思ってますが、ただ、よく考えてみれば、好みで言えば「速射砲みたいにハイスピードでしゃべり続ける人は苦手」です。常に「聞いて聞いて」光線が出ているような人。

もちろんそういう人が悪いとか言いたいワケじゃないんです。単に「スローペースな自分が飲まれっぱなしになる」のがストレスになるからです。だから、一緒にいるなら、比較的物静かで自分のペースを乱さないような人がいい。

でも、ここまで書いて気がつくのは、確かに自分の好みをハッキリさせておいた方がいい・・・というのは大事かもしれないということです。「好み」というのは「ターゲットを定める」という意味とも考えられます。そしてそのターゲットは「自分の特性」を分析して選別することが重要です。そこをよく考えずに走り始めてしまうと、うまくいったとしても自分に無理がかかってしまうのでしょう。

つまり「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」・・・ということですね。これ、仕事にも言えるんじゃないかなと思います。何か始めるなら自分が理解できることで、自分の特性や好みに合う仕事を始めたほうがいいんじゃないかなと。投資で財産を築き上げた、かのウォーレンバフェットも「自分が理解できる企業にしか投資しない」というポリシーなんだとか。

そういえば、パソコンで株取引できるようになった時、毎日株価が気になっていた時期がありました。仕事も何も手につかないほどで、今にしてみればもったいないことをしたなと思います。よく、投資をすることについて「お金に働いてもらう」なんて言う人もいますが、パソコンの前で株価とにらめっこというのは労働だと思います。神経を使ってお金を稼いでいるんだから不労所得じゃないと思うんですよ。

株価に流されないようにするためには、そこでも、よく企業を分析した上で「好き嫌い」で投資をするのがいいのかもしれません。自分が好きな会社だったら株価が下がっても、我慢して応援していられるんじゃないでしょうか。まぁ、私自身はと言えば、現在は何かと現金が大事なので投資は控えていますけど。

2009年3月11日水曜日

ストレスメンテ

昔からどうも私は要領が悪いんですよ。何か自分の知らないことを人から聞く時に、他の人よりも理解が遅いんです。特に概念論を聞くことが苦手みたいです。

こないだ、ハケン仕事で技術的に確認しないといけないことがあって、開発SEに電話で確認したんですけど、説明されているメカニズムがどうにも理解できない。理解の早そうな人に電話を変わってもらいたい気持ちをグッと抑えて、最後まで聞ききりました。

というか、最終的には「実際のメカニズムを見せてください。スクリプトでも何でも読みますので。」という話をしたところ、実際の動作メカニズムをスイスイ理解できました。ああ、ここのパラメータが変わるだけなのね・・・と。今まで延々と説明を聞いていたのが無駄に思えるくらいに一瞬で。

概念論ってどこまで行っても概念論。自分で詳細を知るところまで理解していないと、また、別の人から違う質問をされた時に、ガキの使いよろしく開発SEに質問しなくちゃいけない。でも、自分の頭と目でしっかり理解したものなら、自分の回答として堂々と質問に答えることができます。

でもね、実際に開発SEに電話で食い下がるのって勇気がいりますよ。「こいつ、オレがこれだけ説明してるのに理解できないのかよ?」とか「っていうか、他の話の分かるやつに電話かわってくれよ!」みたいな妄想上のプレッシャーと戦いながらの質問です。

ふと、なんとなく分かった部分だけ拾って、「ああ、そういうことですか、理解しました。」と逃げてしまいたい衝動に駆られても、そんなことをして、後から苦労するのは自分自身だ。

だから、「なにこいつ?使えねーやつ!」と思われていい覚悟で、どこまでも食い下がる必要があるのですよ。相手の口調がたとえイラついてきているなぁ・・・と、読みたくない空気をつい読んでしまったとしても。

ここからはストレスメンテナンス的な考え方なんですけど、要するに説明する方が下手糞だったとも言えるかも知れません。概念論を伝えるのが下手糞だから、具体例を見た瞬間に内容を理解されちゃってるワケで。とりあえず今後、概念論を聞いて理解できない時には、まず具体例を見るようにしたいと思います。

そういえば、これまたどこかのサイトで読んだ話なんですが、スチュワーデスが嫌な客と話をしなきゃいけない時のストレスメンテナンス術。

どうにも理不尽なクレームをつける客に対しては、「この人は可哀想なお客様だ」と心から思い込むことにして、とにかく文句の内容を聞くだけ聞くんだそうです。言いたいだけ吐き出すと、「ちょっと言い過ぎたかな?」と気持ちが落ち着くんだそうで、その時に刺激しないように正論を伝えて「了承」してもらいやすいとか。この時、心から「可哀想だ」と思い込むのがポイントだそうです。配役に入り込む・・・というのに近い感じで。

もちろんスチュワーデスも人間なので、理不尽な怒りをそのままマトモに受けたままでは、メンタルダメージを食らってしまいます。そこで、その客の対応が終わった時点ではガラッと意識を変えて、「あの客が悪いんだから、気にするだけ時間がもったいない。」と考えるのがストレスメンテナンスのコツなんだそうだ。

まぁ、人生は劇場です。相手や状況によっていろんな役割を演じ分けなくてはいけません。頭を下げる立場を演じてみたり、頼れる人物像を演じてみたり。どのような状況であれ「演技」だと思っていれば、回避できるストレスはあるのかも知れませんね。

仕事で怒られることがあっても、それは仕事上の配役の人が怒られたと思えば、仕事が終わった後のほかの舞台に感情を持ち込まずにすみそうです。劇で悪役がやらかした悪逆非道な行為をしたからといって、配役の人が後で悩まないのと一緒です。怒られたのは自分の「役割」であって「人格」ではないという思い込みは大事かもしれません。

心の中で他人事だと思いながら「さっき、○○さん(自分の名前)、いろいろ言われてたねえ。ありゃー大変だわー!」なんて言ってみる。で、「・・・ま、他人事だけどさ・・・」と思った瞬間に気持ちの切り替えが完了・・・と。

もちろん、その後で「感情を交えず」に、指摘されたポイントなどを振り返ることも大事です。感情ではなく指摘を冷静に受け入れることも重要なことです。

2009年3月10日火曜日

独立と協力と依存の間

何かを始めようとする時には「一人でもやりぬく」という意志が大事だと思います。でも、一人で始めるよりも協力があった方がずっとうまくいきそうな話だってあります。しかし、協力者というありがたい存在がある時は「自分の立ち位置」を意識しないといけないように思います。つまり「協力」ありきの話になりすぎてしまうと、主体性の所在が不明確になってしまうおそれがあるからです。協力者の意見を尊重しすぎるあまり、べったりと依存体質になってしまうと、もはやそこに主体性はありません。

そういう意味では自分なりの外せないビジョンというか、柱を明確にしておく必要があるんだと思います。「この話」の中で一番大切なポイントはどこなのか?・・・全ての希望を叶えられない状況になったとしたら、どの望みを最後まで固守するのか?
そうはいってもいろいろと模索している状況の時には、「これだ!」というポイントを絞りきれないんですよね。自己弁護ではないと思うんだけど、模索中は仕方がないのかもしれません。選択肢を増やそうとして試行錯誤している状況なので。

選択肢を増やすといえば、おもしろいコラムを読みました。
相談を受けても、親身になりすぎない方がいい

この人のコラムタイトルってミョーに人生を諦めているみたいに感じるんですが、たいてい中身を読むと正論だなぁ・・・と思えるコラムが多いです。

確かに相談されると「私だったらこうするけどね」とか言いがち。でも、相談している人と自分は違う個性なんだから、実はあんまり意味がない。さらに「だったら○○に話をつけといてやるよ!」という展開にもなりがちだけど、それも余計なお世話になったりもするんだよね。親切心からのことだから断りづらいところではあるんだけど。

決断するのは相談者しかできないことで、ましてや「他人」には決断の結果の責任を取ることができないんだから、せめて一緒にしてあげられるのは選択肢を増やしてあげることくらいなんだよね。

ともかく、選択肢を増やすことがまず大事です。いろいろと。

2009年3月9日月曜日

パワーナップ

いろいろネタを考えるのはよそうと思ってます。日記なんだから。そんなワケで、今日思いついたことを書き連ねていこうと思います。そしてキーボードが進まなくなったらおしまい。「え?・・・だってまだ3行しか書いてないじゃん!」という状況でも、その日の日記はおしまいにしようと思います。この日記自体、毎日の分量に波がありますけど、頑張って書いちゃったりすると1時間くらいかかることがあるんすよ。

仕事じゃないところで書いてて疲れてどうするよ・・・ってトコっすか。要するに、ないものを無理矢理ひねり出そうとするから時間がかかったりするワケですよ。さて、別にネタを考えていたワケでなく、今日、「パワーナップ」について考えてました。パワーナップというのは、短時間睡眠を30分以内取ることによって累積した疲労を取り払おうとする短眠のことなんだそうです。ちなみにこの30分を越えてしまうと逆に疲労感が増してしまうとか。でも、この上限時間というのが、参照するサイトによっては20分だったり45分だったりして、手法としての正確性はイマイチという印象を受けます。

パワーナップ・・・たまにやってます。今の職場はお昼休みに室内を消灯してしまうので、まぁ、いい具合に眠るにはちょうどいい明るさになるんです。電気代も節約できて、休息も取れるなんて一石二鳥の効果といってもいいのかも知れません。というか、無理して室内で起きていると目が悪くなりそうです。

ものすごく眠い時に無理矢理起きているよりも、短時間寝ちゃった方が集中力の回復度が高いことは誰でも体験していると思います。以前の日記にも眠くてどうしようもない時の対処法として書きましたが、3分寝るだけでもだいぶ違います。ただし、疲れの度合いによっては「3分」のつもりが「1時間」になってしまうリスクもありますけど。

でも、そもそも、前日、早い時間に寝て十分な睡眠時間を確保することの方が大事なんだと思います。集中力はなんとかパワーナップで持たせることはできるかも知れませんが、モチベーションまでは上がりきらないかも知れません。慢性的に眠いという状況はハッキリ言って不健全な状況だと思います。

ちゃんと寝ましょうよ。ということです。
・・・パワーナップに頼るよりも。

2009年3月8日日曜日

速読について(その2)

ほとんどの人は「ホワイトチョコレート」のように、繋がった複数の単語を一瞬見ただけで、一つの固まりとして認識していると思います。

ちょっと切り口を変えてみると、「林」という字を見るだけで、数えなくても「木」が三つで「はやし」。「森」という字を見るだけで、数えなくても「木」が三つで「もり」。これ、けっして数えてないんですよねえ。

ここから、一瞬見るだけで認識できる範囲を広げていくと・・・なんと「森林」という五つの「木」からなる「しんりん」を一瞬で読めるようになるんですよ。誰もが当たり前だと思うかも知れませんが、一つ一つの認識プロセスを書いていくとこうなるんですよね。

だから、この範囲をどんどん広げていけば目を激しく動かさなくても、一回視点を置いたところの文章を瞬時に読み取ることができるようになれるはず・・・と、この理屈はちょっと飛躍しちゃってますかね?

まぁ、それはともかく、こんな感じの前提で「頭が良くなる本」は展開していきます。高速に目を動かすのではなく、1ページ当たりの目の動かす回数を減らすというアプローチで高速に読み込んでいこうと。

実証主義ということで実際にやってみました。
・・・キビシイ・・・。

10桁の10行くらいなら目で追える範囲で読めそうですが、普通の文庫本のように1行が長いとどうしても1行ずつ追っていきたくなります。もちろん、上半分と下半分で一括読み込みして、上半分と下半分で足し算をすればいいのかと思いきや、そうもいかないんですよ・・・実際にやってみると。

キーワードを繋げるといっても、長い1行の中間地点に複数の論理式「and」「or」「not」があったりすると、もう、意味がちんぷんかんぷんになります。要するに、文庫本を読もうと思ったら、最大1行35~40文字くらいの範囲まで一目で見えなくちゃいけないと。

で、もしも、縦がそこまでいけるんなら横は?・・・ということになりますが、手元にある新書本の縦横を確認してみると、1行40文字で、見開きで行数が30行。すると最大で40×30文字ということで1200文字。

1回見るだけで400字詰め原稿用紙3枚分の読み取り能力です。これってモノスゴイ能力だとは思いますが、文章にして書いてしまうとかなり難易度が高そうな気がします。ましてや、実際に実証してみてもなかなかキビシイ感じです。ここまできてしまうと、いよいよフォトリーディングみたいになってきました。

もっともフォトリーディングでは「認識」までを同時にやってしまうんでなくて、潜在意識(?)に焼き付けてから、あとでマインドマップを書いて顕在意識に呼び戻すという行程があるんですけどね。そのあたりがまだまだ「マユツバ」でうまくいっていないんですけどねえ。

とはいえ、潜在意識の力を少しは感じているんで続けていたりもするんですけど。たぶん誰でもあることだと思うんですが、本のページを開いた瞬間に、気になっているキーワードが目に飛び込んできたりしませんか?

あと、文脈を見ているわけではないんだけど、突然、誤字脱字が目に飛び込んでくるとか、そういうことがたまにあります。誤字脱字を認識するのは顕在意識なんですけど、瞬間的にページ内の誤字脱字の位置を瞬時に処理するのは無意識です。

無意識の能力を意識的に伸ばしていけるのかどうか、まだまだ分からない点は多いですが、まぁ、とりあえず取り組みを続けていこうと思います。

2009年3月7日土曜日

速読について(その1)

トニーブザンの「頭のよくなる本」には、速読についての記述もあったりします。フォトリーディングではないんですが、なるほど、情報の入力を高速化するというテーマは重要というわけですね。

別にこの本に書いてあったわけではないんですが、人間が他の動物に比べて爆発的に進化した理由は、先人の知識や情報を効率的かつ正確に伝達できたからであって、それがなくては自分で全部を考えなきゃいけないわけですね。しかも人生が終わってしまうと誰にもその情報を引き継ぐこともできないまま知識はまた消滅・・・と。

自分の頭ひとつで考えられることには限界があることを考えると、先人の知識を効率よく取得するスキルは重要な課題です。

さて、頭のよくなる本では速読に目を動かすのは無駄だと書いてあります。昔からの速読技法は目を動かすことが重要とされていたようですが、この本に書いてあるとおり、実際には目を早く動かせば動かすほど文字は見えなくなるんですよね。

だから本は面で読めと書いてあったりします。ホントっすか?・・・という感じもするけれども、たぶん訓練すればできるんだろうなと思います。初めて文字を読めるようになった時を思い出すと、そこから比べて飛躍的に読書の手段が進化したんだと思うんですよね。

速読術なんてやらなくても読書のためには奇跡的な進化をしてるんですよね。あり得ないほどの進化です。「りんご」を読めるようになるためには、「り」「ん」「ご」の文字を知らなくてはいけなくて、その文字の種類は50もあったりします。

子供の頃って、一文字一文字指でなぞって読んでいくじゃないですか。りーんーごー・・・って。さらにもう少し字が読めるようになってくると、「リンゴ」という文字も同じモノとして認識するんですよ。ここまでは表音文字だけど、そこから進むと「林檎」という表意文字も同じモノとして認識するようになる。

これ、普通に見えますけど、実は脳みその中ではすごい処理をやってるんですよね。一文字ずつ読むと「林=はやし」・・・から始まるんですもの。でも、普通は「林檎」という文字を見て「はやし・・・いや、りんご?」とはならない。

同時に「林」と「檎」という字を見ているんですよね。同時にですよ。同時に。一つ一つ文字をなぞりながらじゃ絶対にできない次元の能力ですって。さらに、「赤い林檎」なんていう二種類の単語の繋がりすらバラバラに処理をすることなく、瞬時に頭の中には赤い林檎が浮かぶんですよ。

要するに、集中した視界の範囲では文章そのものを、一つの固まりとして認識する能力を身につけられるようになっているんですよね。だから、この範囲をどんどん広げていけば目を激しく動かさなくても、一回視点を置いたところの文章を瞬時に読み取ることができるようになるという理屈・・・というワケですね。

(つづく)

2009年3月6日金曜日

IT支援で生きる人

自分的には「合理化」って最高に面白いと思います。なんというんですかね、ほとんどライフワークに近い感じです。特にIT機器を使った省力化は快感ですらあります。人によってそれぞれだと思うんですが、私にとって単調作業というのは牢獄に入れられるくらいの苦痛です。牢獄に入ったことがないので想像で書いてますが。

誰にでもできる単調作業を私がやるというのは、まったく意味がないとすら思っています。「おいおい、なんで上から目線なんだよ!」って?・・・いえいえ、実は「かなり下から目線」なんです。私、単調作業がどういうワケか苦手なんですね。たぶん10人いて、同じ単調作業をしてランキングしたとしたら、たぶん後半組になると思います。たとえば、何百件と並んだリストの中から、ある特定の条件の人物だけ数えるとか。

素早さと正確性のどちらをとる?・・・という選択肢では迷わず「正確性」を取ってしまう自分は、執拗なまでに確認を繰り返してしまって、作業がすごく遅くなるんですよね。たぶん、無駄な再確認とか多いんでしょうね。こういうのが得意な人から言わせると。

自分を美化しているように移るかも知れませんが、まぁ、要するに「どんくさい」ということです。説明を聞いていても、できる限り正確に間違いなく把握しようとした結果、全てを聞かないと説明を理解しないことが多い点もあります。だから、同じ説明を聞いていて、他の人がすぐに理解するのに、私だけ取り残されることも普通にあります。

認知スピード、判断スピードの遅さを補うという意味で、私はIT機器にロジックを吹き込んで自分の能力を拡張しているのです。たぶん、もしもIT機器の恩恵がなければ、私はかなり厳しい状況におかれていたんだろうと思います。

私は徹夜にも弱いんですよ。黙々と徹夜で単純作業をするなんてことは、自分にとってはありえないことです。集中力を一定に保ったまま、長時間、しかも徹夜で・・・となれば、たぶん、どんなに生活が厳しかろうと私はその仕事を辞めると思います。

子供の頃から足が遅くて笑われていたヤツでも、F1マシンに乗れば世界最速の男になれるかもしれません。それと同じように、認知スピード、判断スピードが遅くとも、一度定着した法則なり、ルールなり、挙動なりを正確にIT機器に伝達できれば、そのマシンパワーは自分の能力の延長上になり得ます。

それが楽しいんですよ。一度、自分が覚えた法則をIT機器に教え込めば、あとはどれだけ量が多かろうが、徹夜だろうが、年中無休の定期作業だろうが、黙々と自分の代わりに仕事を続けてくれるのです。徹夜が苦手な自分の代わりに働いてくれる自分のコピーロボットを作るんです。仕事の遅い自分の代わりを作るんです。

生身の人間として仕事のできる人が羨ましくて仕方なかったんですよ。あと、単調な仕事を延々とやり続けられる人の精神力ってスゴイと思うんですよ。

私が小学生や中学生だった頃はIT教育がない時代だったから、ずーっとそういう人たちに負け続けてきたんですね。生身の人間レベルでの作業力で。だから公文式みたいに「高速」で「大量の問題」を解いていく場では取り残されてました。

まー、とにかく、公文式だけじゃなくて、何をやらせてもドンくさいワケですよ。「ボクはみんなと同じ場所にいても役に立てないダメな子なんだ・・・。」なんて思う子でした。しまいには「人間最後には死んじゃうのにがんばってどうなるっていうんだ?」なんて考える、暗い小学生になっちゃってました(苦笑)。

そういや、中学生くらいからコンピュータにハマリだしてました。最初だけ苦労して時間をかけたとしても、緻密に計画を練り上げてさえおけば、その後はその数倍の時間が自由に使える時間として戻ってくるんです。すばらしいと思いました。

今にして思うと、公文式で悔しさと悲しみを覚えた「高速」「大量」というキーワードは、まさにIT時代が到来したことによって、私に生きる場所が生まれました。私の数倍作業が早い人が数時間かかることを、数分程度でできるシステムを作ることは、私の快感でもあり生きがいでもあります。

「オレはここにいていいんだ。誰かの役に立てているんだ。」

今、そう思える時代に生きていることに感謝しています。

2009年3月5日木曜日

頭がよくなる・・・

あまりにも、ストレートかつシンプルすぎて、恥ずかしくなるようなタイトルの本。それが「頭がよくなる本」です。あのマインドマップで有名なあの人です。

マインドマップについては良さそうだなと思いつつ、その一方でいまだ懐疑的な部分もありますが、それでもまだまだ挑戦しています。そもそもマインドマップを書くことに時間がかかりすぎることが、なんともストレスだったりもするんです。・・・半分遊びの時間だと割り切れば、それはそれで納得できる部分もあるんですけどね。仕事の息抜き的な意味で。

そんなワケで斜に構えながらもマインドマップ関連の本を読んでいました。その中でよく出てくるキーワードが「頭がよくなる本」です。どうやらトニーブザンの著書でそこが原点になっているようなモノなんだそうです。

そこで、「頭がよくなる本」を読んでみました。タイトルがシンプルすぎてなんだか恥ずかしい感じもします。「あなたがモテモテになるための本」を買うくらいに恥ずかしい感じです。「僕、アホの子やから、がんばって頭ようなりたいんや!」みたいなオーラをレジに向かって放出する感じです。

で、読みました。結論から言うとマインドマップを始めたい人は、たぶん、この本から読み始めるとよいと思われます。マインドマップ本から読み始めるとかえって本質から外れるような気がします。

全てが素晴らしいワケではないですが、下手なマインドマップ本を読むよりも価値があると思います。本屋に並んでいるマインドマップ本はやたらとキレイに書けと書いてありますが、ややエスカレート気味です。

そもそもトニーブザンが書くマインドマップは至ってシンプルなのに、参考例に出てくるようなマインドマップは美しく書きすぎて、いくらなんでもやりすぎです。そのあたりがどうにも消化不良だったんですよね。

ところが「頭がよくなる本」に出てくるマインドマップはどれもシンプルです。「これならやってみようかな」と誰もが思えるようなマインドマップが「優秀例」として載っています。直線の枝にキーワードを乗せているだけのものすらあります。

もちろん、色を多く使うこと、なるべくイラストを使うこと、立体的な・・・というマインドマップ本に書かれていることは網羅されていますが、それは二の次という感じです。

・・・思いつくままに単語をどんどん書き連ねていく。もう休む暇もないほどに書きまくっていく・・・というスピード感で、マインドマップのイメージが示されています。そして何度でも清書をする前提で書き直しをしていくという前提。

だから、マインドマップ本に書かれている通りにやると、

「何度も」+「キレイに」=「社会人には時間が足りない」

になるわけです。

そういう意味では、最初に書くマインドマップは「そんなに考えなくてもいい」ということになります。最初から気合いを入れてイラストやらどうのこうのと考えなくてもいいということじゃないですか。それだけでマインドマップへのハードルが低くなります。

ところで今回のブログは比較的すいすい書けています。それは、まず思ったことをマインドマップもどきのツールでまとめておいたからです。いや、実際にはまとまってないわけですけど、こんなモノを書きました。


これは「FreeMind」というフリーのマインドマップ風ツールです。Java環境をインストールしておく必要がありますが、動作も軽快でなかなかのオススメソフトです。イメージが入っていなかったり、色が使われていなかったり、枝が太くなかったりで、いわゆる「公式のマインドマップ」のルールからは外れています。が、最初はこれで十分です。

枝の張り替えもかなり簡単にできるのでノートに書くよりも効率的だと思います。と、書きつつ、私は手書きでマインドマップを書くことも多いのですが、それでも議事録を作るためにPCを使っていいなら、これはかなり役に立つと思います。

さて、マインドマップのルールで「ひとつの枝には単語をひとつ」というのがあって、そこが思考中断のネックになりやすいんですよね。つまり、頭に浮かんだ文脈をどういうまとまりで切ろうかとか・・・。そのあたり、余計に時間がかかってしまう原因にもなっているように思います。

そこで、私は次のようにしてみました。たとえば、頭の中で出てきた一連の考えを、まとめようとしないで、ただ、出てきた単語を何も考えずに書きまくっていくだけです。「先を伸ばす」、「並列に伸ばす」とかそのあたりすら考えません。結果的に制定されたルールでなくても、後で直せば良いわけですから。

↑ここまでを、ぱっと頭に思いついたとすると、

私 した 頭 一連 考え そのまま 直接 かく 連続 並列 直列 無関係

・・・のように。スピード優先で書き連ねていきます。「なるべく」丁寧にという意識をしつつ。ルールを意識するとそれが発想の流れを止めてしまいます。他の人がみたら意味不明かも知れませんが、自分ならなんとか解読できる・・・と信じて書き殴ります。なるべく丁寧に。

これをさっき紹介したフリーソフトウェアの画像が、実は今回のブログのマインドマップ(もどき)です。頭に湧いてきたキーワードを単純に乗せていっただけです。デザインとか伸ばし方とかは、ほとんど考えてません。

文章を書く前に、実際にやってみるとネタ切れする気がしないのが不思議です。マインドマップ(もどき)に書いた以外のこともスイスイ書けちゃったりして。

「速読」・・・についても感じるところがあったんですが、ここまで書いていると時間がかかってしまうので、明日にでも書いてみようかと思います。

いずれにしても、マインドマップ本よりも、それからフォトリーディング本を読むよりも、その前にこの本は読んでおくといいと思います。オススメです。まぁ、タイトルはちょっとアレですけど。

2009年3月4日水曜日

聴衆を意識しない

いきなりマンガの話で恐縮なんですが、「沈黙の艦隊」という作品があります。日米間で秘密裏に製造された原子力潜水艦が世界の海軍と戦いながら、世界からの独立を果たすという物語。

世界中を敵に回しながらも、その世界に対して原子力潜水艦の艦長がテレビ中継でメッセージを送る展開になります。その中継が始まる前、クルーと交わした言葉が気に入っています。

「言葉を発する時、聴衆の数を意識するほど愚かなことはない。」

数億人という世界中の人々の注目を一身に集める状態で、なかなかすごい台詞だなあと思います。もっとも、このブログでは数億人どころか数百人だって遙かに到達していません。そもそも自分のために書き始めた日記なんです。なのに、やっぱり聴衆を意識してしまっていたりします。(正しくは閲覧者・・・なんですけど)

言葉を伝える時に相手の数を意識すると、どうしてもカッコつけて見せたり、うまく見せようとしたりして、逆にうまくいかないモノなんですよね。ましてや、自分の足跡というか、自分に対するメッセージ的要素の強い日記ブログでカッコつけてどうするんだという感じですよ。ホント。

あ、ただ、このブログ、たまに過去の日記を読むと、ぜんぜんカッコ悪かったりしますんで、その点では大丈夫なんですが。いずれにしても、まぁ、自然体で行きたいと思います。

ちなみに「沈黙の艦隊」は、世界の軍事バランスや政治バランスを知るのに手頃な教材になると思います。一時期、国会で取り上げられたほどのマンガなので読み応えがあると思います。まだ読んでいない人にはオススメです。

2009年3月3日火曜日

フールプルーフ

「fool(お馬鹿さん)」
  +
「proof(~に耐える)」=「fool proof(バカでもOK)」

まぁ、考えてみれば失礼な感じですが、これがけっこう大切だと思います。特に危機管理という単語とは切っても切り離せません。別にバカとかそうじゃないとかの差別や区別でなく、どんな人でもバカになり得るという点が重要です。

たとえば、大地震が起きて通常ではない状況になってしまうと「パニック」を起こすことがあります。この状態は正常な判断ができなくなっている状況と言えるので、やはり、その状況における「バカ対策」が重要になります。

たとえば、私の場合、かなり昔の話ですがフライパンで大量の肉を焼いていたら、肉汁になぜか火が引火してフライパンが燃え上がりました。

換気扇が溶けるかというほど高い場所まで立ち上った炎を見て、思わず反射的に水をかけてしまいました。その瞬間、激しい花火のような音とともに、フライパンを中心に火の粉が激しく爆発して、ものすごく怖い思いをしました。

燃えている油に水をかけると危ないことが分かっていたにも関わらず、とっさの行動が「バカ」になりうるという貴重な経験でした。結果的に大事には至らなかったので、こんなコトが書けているのですが。

ちなみに、水で濡らしたタオルをフライパンにかけるといいらしい・・・というコトも知ってはいましたが、あの火柱に向かってタオルを掛けるのは勇気がいるもんですね。
→念のため油が燃えたときの消火方法

パニックを起こさなくとも、いろんな状況に人間はバカになります。寝起き、酔っぱらい、初めての行動。

今日、業務の引き継ぎということで前任者が書いたマニュアルを読みながら、引き継がれた作業をしていたのですが、とにかく意味不明なのですね。少なくとも初めてその作業をする人を全く想定していないマニュアル。初めて作業する人もある意味「バカ」なんです。

作った本人に聞いてみると、かなり想像の翼を広げないとその意図まで到達できない有様。というよりも、マニュアル・・・特に運用マニュアルというのは、「想像の翼が広がらない」ように書かないといけません。想像の翼が広げやすいということは、「誤解の余地が大きい」ということだからです。

とはいえ、マニュアル作りは難しいモノです。私も某大手企業で公開しているWebマニュアルページを作りましたが、素人さんにも分かるように書くのは至難の業です。想定するレベルが下がれば下がるほど難易度は上がります。

そういう時、あえて選択肢の幅を広げることに集中しています。たとえば、自由に変えられるファイル名もあえてルール通りにやってもらいます。「○○の場合は」などという条件分岐もあえて入れません。

「バカでも書いてある通りにやったらできた」というのが、緊急時に最も価値のあるマニュアルだと思います。もちろん作るには相応の手間もかかるのですが。

でも、後で質問が矢のように飛んでくることを考えれば、最初に手を掛けてでも丁寧に作っておいた方がいいんだと思います。

ま、どうせ「この作業は自分でやるからいいでしょ?」なんて思っていると、非常時にその仕事を誰も分担できずに、自分がツライことになりますからね。いつでも後任に仕事を引き継げるような仕事をしたいものです。

2009年3月2日月曜日

器用貧乏?

ええと、昔からいろんなコトをやってきました。それほどITに詳しくないサイト経営者の下で、いろんなITなお仕事をやってきました。

各種サーバ構築、アプリケーション設計、データベース設計、ネットワーク設計、たまにHTMLを書いたり、CSSを書いたり、企画書を書いたり、統計報告書を書いたり。果てはWindowsの設定やらなにやらまで。

ちなみに「設計」と書いてあるお仕事には、自動的に「実装」とか「運用」とか「テスト」とかいうオマケが必ずついてきてました。あと「デバッグ」も。

今にして思うと、ITな人なんだから「全部できて当たり前でしょ?」という経営者の人ばっかりでした。いや、もちろんそれが悪いとはいいません。

たぶん、ITな仕事をする人が他にいない環境だったので、たぶん万能な魔法使いにでも見えたのでしょうか。

別に魔法使いでもなんでもなく、原因不明のバグを目の前にすれば悩むし、徹夜をすれば眠くなるただの人なんですけどね。

まぁ、おかげさまでヒーロー気分は十分に味わえましたよ。トラブルが発生した時なんか「私たちを救えるのはキミしかいない!」という状態になったりしますからね。

それから今までなかった仕組みを作って、業務が効率的になったと喜ばれたりするのも嬉しかったですね。

ただ、ひとりでカバーする範囲が増えると、不具合に対する守備範囲も広げなくてはならないんですけど、実際に全部追いつくのは物理的に無理ですね。IT技術って一つの分野だけでも極めようと思ったら、相当のめり込める懐の深さがあります。

たまにつらいのは、経営者がたまたま人から聞いたり、雑誌を読んで得た知識について、私の情報が追いついてなかったりすると「ウチの技術を担当してもらってるのに、そんなコトも知らないの?」なんてことになるんですね。

仕事の範囲とかも含めて、本質が理解されていない状態で過大評価されると、こういうことになったりするんですよね。でも、やっぱヤバイかなぁ・・・なんて思ったモノです。

範囲が広がりすぎて底が浅くなっているというのは、長期的に見るとどうなのかな。こういうのを器用貧乏っていうのかなぁ・・・とか。

でも、最近、Webシステムなんかをちまちま作っていると、まぁ、便利だなぁと思うことも多いですね。そのあたりの知識を知らないと、実現するためには誰かに頼らなきゃいけないわけですから。

特にプロとしてお金を稼いでいるITエンジニアに無料では頼みづらいワケで。そういう職業の人って概して時給が高めだったりするから。しかも、ああでもないこうでもない・・・なんて付き合ってもらったら、「ただでいいよ」って言われてもなんだか申し訳ない感じ。

それが自分でできてしまうって、ある意味幸せだなぁって思います。依頼するお金もない時に、器用貧乏は救いの神様になるのかなぁ・・・と、思ってます。

なんか、トクした気分になれますからね!
思い過ごしで幸せになるなら、幸せになっとこう。

どうにも・・・

いけませんねえ。

とりあえず、いろいろとツジツマがあってきて、進んでなさそうだった作業が急に進んできましたが、つい気分がゆるんで日記が抜けてしまいました。金曜日にも一度抜けてしまったというのに、間を空けずにまたしても。

この日記を期待している人なんていやしませんが、自分に課した毎日のルールを守れなくなる状況というのは、気の緩み以外の何者でもありません。反省反省。

日曜日はどういうわけか、いろんな人と時間を過ごすことのできた「人間関係」面としては久しぶりに濃厚な一日でした。日記を書くために部屋にいた時間がないほどに。

思い起こしてみれば、つくづく一人で過ごす時間が当たり前になっていたんだなぁ・・・と気づきました。今年の1月からほとんど人に会うこともなく、ただ事業の立ち上げだけに時間を費やしてきたんですよねえ。あ、まだ立ち上がっていませんけど。

いろいろと盛りだくさんでしたが、起きてから寝る寸前まで、誰かしら「人」と一緒にいた一日でした。またしても日記の習慣を落としてしまったことは反省しつつも、有意義な一日だったなぁ・・・と思います。

ところで人間関係といえば、まいったなー・・・と思うことがあるんです。私は長いことIT系な業界でご飯を食べてきたワケですけど、プライベートではなるべく同業者の友人は作ってこなかったんですよねえ。もちろん「あんたIT系だから友人にはなれない」なんて特別に忌避していたわけではなく、たまたまです。たまたま。

ただ、普段は接点のない異業種の人と話した方が面白いよなー・・・ということで、特に同業者の友人が少なくても気にしなかったわけです。

でも、自分からIT系の仕事を始めようとして、初めてそこでそっち方面の人脈の少なさにビックリしたということです。「これからこういうサービスを始めるんですけど、興味あったりします?」と聞けるような人脈。

さーて、さあ、どうしようか考えよう。
きっと大丈夫だ!