これまで、いろいろな企てを興そうとしたことがある。まずはリサーチから始めることが多かったな。市場調査から始まって、競合サービスの調査まで進んでいく。調査に時間をかけた挙げ句、気持ちがめげてきて終わるというお決まりのパターン。
日の目を見ずに忘却の淵に沈んでいくアイデアは多い。そして、それはそのまま続けるリスクに比べれば、極めて賢明な選択だったという結論になっちゃうんだね。なってきた。いや、そう思いこもうとしてきたんだ。
そして、結果として「何もしない」ことが最上の選択として、「経験」という形で意識に刻み込まれていく。そうやって、あきらめの文化が自分の精神の土壌に根付いてくるんだな。
もうね、調べるのやめようよ・・・って思うのさ。前例があるかないかというのは、実は「何もしないこと」を正当化するための道具なんじゃないかなって。
・過去に成功した前例がないからやめとこう。
・すでに前例があって儲かってないみたいだ。
・成功した前例がありすぎて今からでは遅い。
バカヤロウ!・・・って言いたくなる。ええ、もちろん、言い訳をしてばっかりの自分自身にね。ハケンで大企業体験をしていると出てくるのは「前例に従ってください。」「前例がないので、別の方法でお願いします。」・・・なんて返事がままある。
大企業ならまだ分かる。いいか悪いかは別として。でも少人数で仕事を始めようとする時に「前例」を気にするのはいかがなモノだろうか。ましてや一人で何かを企画するとなれば、身軽さが最大の武器だろうさ。それにも関わらず、なぜ「前例」の重りを付けてしまうんだろうね。
もう、そういうのはやめる。小説家になろうとして希望を抱いていた人の中には、自分の文才のなさに気づいて書くのをやめてしまう人もいる。たとえば、その分岐点が10年前だったとしようよ。
たぶん、あきらめた人はかなりの確率で小説家以外の道を歩いている。でもあきらめずに数年後の自分を信じた人は、小説家になれる確率を日々高めているはずなんだ。
そりゃ大人だから、決断しなかった人生を悔やむより、今の人生を肯定する方が前向きなのは分かっているんだろう。後ろ向きで生きていくよりはずっと賢明な生き方だとは思うんだけど、ちょっとは立ち止まって考えてみようよ。
あのまま続けていたら・・・って思うことってない?
もし思うことがあるのなら、もう、そういう選択するのやめようよ。今の人生の選択は、「いつも自分自身と戦って獲得した選択肢だ!」って胸を張って生きていきたいじゃないのさ。
今からだって遅くないし、一度あきらめた目標だって視点を変えてみれば、いくらだって再スタートできるかも知れない。
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