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2009年2月3日火曜日

成功本の評論家

世の中にはいろんな考え方が渦巻いています。だから、どんな考え方にも反対側からの意見とぶつかります。たとえば、感情ひとつについて論じたところですら、

・だから、いかなる場合も「冷静」であるべきなのだ。
・今の時代は「情熱」的に燃える人間が必要なのだ。
・冷静さと情熱は「兼ね備える」ことこそ肝要であろう。
・冷静さと情熱は「両立しない」。さもなくば欺瞞なのだ。

なんて、単なる二元論にとどまらず、あらゆる角度からあらゆる価値観がぶつかり合うんですよねー。たぶん、意見の何割かは「商品として生み出された」ものなんじゃないかなーと思っているわけですが。

突飛な論調って高く売れるんですよね。特に世の中である種の実績を積んでいるほどその効果は高い。心の意表をつくコピーがつけばつくほどおいしい商品になりそうです。

特に成功本なんか特に顕著なんじゃないのかなあ。なんとなく適当に本のタイトルをでっちあげると、「今すぐ早起きはやめなさい」とか「謝らない人間が成功する」とか。特に成功本っていうのは、突飛な切り口が多いような気がする。(←書名を調べずに適当に書いてます。本当に存在したらごめんなさい。)

ただ、そういう本を死ぬほど買っても、あんまり意味がないんじゃないかなあと思ってます。実際にうまくいっている人が、成功本みたいなのを読みまくったなんて話は聞かない。「読んでいたとしても恥ずかしいから言わないのだ」・・・と言われれば、それもそうかも知れないけど。

まぁ、昔は全てのセオリーを知れば最強じゃないか・・・なんて思っていた時期もあるんですけどね。まぁ、近頃はほとんど意味がないと思ってます。まず、自分なりのコアがなくちゃダメなんだと思います。要するに本をたくさん読むだけじゃダメで、自分のアタマを使って煮詰めていくことが大事なんじゃないのかなーと。

どっちにしたって、無数の人格を全てマネをすることは不可能なんだよね。成功本をたくさん読む問題点は「評論家」になっちゃうことだと思う。「○○に比べると、□□の書いていることは抽象的だな。」みたいな。
そこには、○○と□□はいても、自分自身がいない。

おいしいワインを飲みたいのか?
それともソムリエになりたいのか?

そういう状況に似ているような気がする。
たぶん本当に「やる人」っていうのは、そういうのを読む前に先に進んでると思うよ。

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