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2009年2月13日金曜日

心理ドリブンで考える

「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」というように理由が明確な場合、シンプルな解決策は「しない」ことなんだと思うんだけど、生きていく上での差し障りは必ず発生しちゃうんだよね。困ったことに。

ただ、人体のメカニズムってけっこう馬鹿にできないんじゃないかなあ。一部の動物が地震を予知するように、理屈より先に体が反応することはあるんだし。それが目に見えない空気を読むことだったり、いやな予感のお陰で未然にトラブルを防いだりできたりとかね。

潜在意識を把握することは不可能だ。把握できる意識は顕在意識なんだから。だからこそ潜在意識が引き起こす体調変化には注意しておきたい。あー、そういえば、最近、胃が痛むんだよなあ。ストレスとか感じてないはずなんだけど。潜在意識下ではストレスを受けまくっているんだろうか。

まぁ、この手の話にはいろんな抜け道があって、「病は気から」というように、意識しすぎることで体調に変化が起こってきたりもするので、逆に体調を気にしすぎるのもよくないんだけどね。ためしに一日中マスクをして仮病を使ってみると、体調の変化が起きてきたりする。たとえば頭がフラフラするとか、なんとなく体がだるくなってくるとか・・・そういう変化が実際に起きてくるから不思議。プラシーボっぽいけど。

個人的な見解としては、自分の不調に関するレーダーが鋭敏化されて、普段なら取るに足らないような現象まで、全部読み取ってしまうからだと思う。「現実の出来事」と「意識する内容」が関連付けされてしまうんだろうな。

これをポジティブ方向に利用すると、いわゆる成功本なんかに書いてある「自らの願望は紙に書いて、普段から読み上げること。」に通じるところなのかも知れないねえ。要するに取るに足らないような出来事も、自らの願望に少しでも近ければ瞬時にリンクを張れるようになるとか。

願望の強さによって関連付けの能力が高まってくると、反射的にチャンスを捕まえることができたり、または間接的なつながりを連想することで願望と関係なさそうに見えるチャンスも逃さなくなる・・・ってことか。

で、「朝、どうも起きられない」「仕事に行くのが苦痛で仕方ない」という状態に対しては、大きく二つのアプローチがあるような気がする。

(1) 現状環境はそのままで、心理側を調整して納得させる。
(2) 心理側の欲求を優先して、現状環境のほうを変えていく。

通常は(1)が推奨される。というか多人数にとって現実的だからかも知れないけど。確かにこれが(2)となると、転職するとか自分で起業するとか大掛かり感があるんだよね。ただ、「なんで?なんで?」って、醒めていない視点で探求することは世の中にとって全く無駄なんだろーか?

・なんで、朝、起きるのがイヤなの?
 →だったら、昼だったらいいの?
 →むしろ朝起きる生活をやめて、真夜中に起きてみる?
 →もはや時間とかそういうのを無視して生活したい?
 →それが実現すると、どういう生活になるんだろうね?
 →24時間、まちまちに活動しても成立する仕事はないかな?
 →仕事を時間じゃなくて質量で計測する試みを考えてみる?

・なんで仕事に行くのが苦痛なの?
 →遠いから?
 →時間がかかるから?
 →苦手な仕事があるから?
 →苦手な人がいる?
 →疲れが抜けてないから?
 →だったら、近かったらいいの?
 →給料は安くなるけど勤務時間減らしてみよっか?
 →やりたいことが他にあったりするの?
 →何か仕事以外のところで不安なことがあったりするの?

そらぁ、全部をフォローすることは無理だと思うよ。世の中、気の合う人とそうでない人は必ずいるわけだし、気が合ったってお互いの関係が悪化することもある。苦手な仕事があってもある程度は克服しないと組織は回らない。それでも、考えることを諦めるのはもったいないと思う。

よしあしは別として、昔の日本人の大半は週休1日で働いていたんだよね。でも、今は週休2日になって昔よりも疲労が少なくなったかもしれないし、家族と一緒に暮らす時間が増えた人もいるんじゃないかな。

昔は「コミュニケーションのひとつ」なんて言い訳が通っていた「セクハラ」や「パワハラ」もまっとうな企業では排除される時代になった。スケベオヤジの個人的な言動だから仕方がない・・・なんて理屈はもはや通らない世の中。ま、世知辛くなったなんて嘆いている、旧時代のオヤジもたまに見かけますが。

スケベオヤジからすれば「取るに足らないこと」でも、当事者にとっては深刻な問題だったんだろうなあ。でも、「どこでもよくあることだからねえ」なんて、あきらめた社会がそれを容認していたんだと思う。

慣習や常識は時代とともに進化している。昔の日本じゃデカイ刃物を脇に差した人がたくさん歩いていて、すれ違いに鞘同士が触れ合っただけで命がけの決闘になった時代もある。今から考えるとそっちの方が非常識なことこの上ない。

今の常識が、遠い未来に常識でなくなる可能性はいくらでもある。男子が厨房に立ち、女子が高収入で一人暮らしを謳歌できる時代。この次にくる常識を作ることも面白いんじゃないか?

・・・こういうのはどうだろうか?

給料は安いんだけど、毎日行くのにはまったく苦痛にならない仕事場。今の時代の感覚では「わがまま」に思えることが容認される仕事場。もちろん、納期だとかクオリティだとか、そこの仕事場が担うべき社会的責任を逸脱しないように、慎重かつ十分に吟味するという前提でね。

正直ね、私は深夜によく思うんですよ。「あーあ、朝、起きたくないなあ」って。朝昼晩のリズムなんて要らないから、体力が続くまで仕事をブチヌキでやって、疲れたら寝て、起きたらまた仕事をブチヌキでできる環境だったらいいなあ・・・って。

ええ。実際にはハケンに行かなきゃいけないので、夜中の3時ごろに寝て、朝の7時ごろに起き、8時ごろには電車に乗ってますけどね。とりあえず、目覚まし時計を6つ設置してなんとか起きられてます。

まぁ、一方で、時間に縛られているからこそ、ほぼ強制的にカラダのリズムが朝から始まるサイクルができていて、それでかろうじて健康を害していないかも知れないですね。

あと、夜中に起きてひとりで仕事をする状況が続くと、世の中からどんどん離れていくような孤立感や焦燥感が生まれやすかったりもするからね。過去の経験から。夜って理性よりも感情が高まりやすい時間帯だし。その一方、夜中の企画書は、朝の理性から簡単に駆逐されたりもする。ラブレターとおんなじで。

そのあたりのリスクなんかも考えながら、それでも勤務時間の制限緩和とか、容認され開放されうる要素については、理想形を考え続けていきたいなあ。

ひとつには、「朝、起きることが評価される」という変なルールがある仕事場とかも面白そうだ。基本「朝は起きられません」が前提で、給料とかもそんなに高くないの。でも、一ヶ月の規定日数が達成できたら割り増しが乗ってくるわけ。あはは、自分で書いていてもゆるいなあ(苦笑)。

でも、ベースを低くしておいて、加点方式で評価されていくのは面白いんじゃないかな?

「できて当たり前」なんて思うから、朝がつらくなるんだよ。

こういう些細なことで、褒められたっていいじゃない。

2 件のコメント:

  1. 一つの方法としては、朝起きたくないなぁと考えてしまう深夜になる前に寝てしまうことなのかもしれませんね。
    早く寝るとなんか損した気分になるけど。。。いえいえいそんなことありません。どこかでその1時間2時間の見返りがついてきているのです。
    仕事に行くのが嫌な時は、たいてい人間関係です。意地悪する人がいる、とか、「ケミカルが合わない」人と交わらなくてはならない時、とか。

    たのしくがんばりましょう!

    近所のお友達より。

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  2. コメントありがとうございます。
    深夜まで起きているから朝が厳しくなるというのはごもっとも。睡眠不足からくる集中力の低下など、見えない損失は多いのかもしれませんね。
    それから人間関係に由来して、仕事に行くモチベーションの低下もありますよねぇ・・・。
    そういうところは、本人の精神力を練り上げていくことでほとんどの場合は解決できるんですが、慢性的にそうなってしまっている層をフォローできる方策を考えています。
    たとえば、鬱病になっちゃった人など、メンタル的に支援が必要な層に対する就業環境の構築とか。本質的にマジメな人が多いような気がするので、ほっといたらもったいないなあ・・・と。

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