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2010年12月5日日曜日

障碍者とスタートレック

SF好きな人なら知っている作品かもしれないが、私は「スタートレック」というSFドラマが好きだ。緻密に練り上げられた世界観も魅力的なのだが、「SF」という舞台を使ってタブーになりそうな社会風刺もきっちり押さえているところが特に好きだ。

聞くところによると「架空の惑星の話だから」という建前で、アメリカ国内に存在する深刻な問題もさらっと描写できているのだとか。そういえば「裁判前に死刑が確定している惑星」なんていうのもあったが、実際に地球上に存在する某国を彷彿とさせる。

私にとって「スタートレック」は人間関係の教科書のようでもある。

時に理論を飛び抜けて感情を優先してしまう地球人と、感情を持たずにどんな時でも理論を優先させようとする異星人が、同じ宇宙船に乗って長い時間を過ごす。他にも、戦闘が最優先の異星人もいるし、商売が最優先で男尊女卑を文化として持つ異星人もいたりする。

当然、いろんな対立が起こる。たとえば「感情vs理論」という構図。仮にここでは「理論星人」と呼ぶ。この「理論星人」はとにかく空気を読まない。ただ、その時に正しいと感じたことをそのまま口にする。クルーの仲間が死んでも埋葬よりも現実的な対応を優先する。

当然、感情的になった地球人クルーは彼のことを、「君の『理論』は聞き飽きた!」と責め立てる。しかし落ち着いてストーリーを見ていれば、実は「理論星人」の方が正しかったりする。「感情を持つことが恥とされている文化」を持つだけに、感情を持つ地球人の間では浮いてしまうことも多い。

しかし、感情に流されない彼の存在によって地球人クルー達も何度か命拾いをする。だから、感情的なものがあまり通じないとはいえ、理論を優先する彼の居場所はちゃんと確保されている。他の異星人についても、最初は衝突が強調され、そこから融和し、存在価値に気づいていく過程がストーリーに描かれている。

スタートレックを見ていて不意にいつもの仕事と脳内で結びついた。「理論星人」というのは、ある種の発達障碍の人たちを描いているんじゃないかと。たまに感情を害することを言うかもしれないが、それは事実から目をそらすことを防止してくれる。感情に流されずに現実的な方向性を示唆してくれる。

スタートレックの面白いところは、既存の常識の外側にいるからといって、多くの場合、すぐにその存在性を排斥しないことだ。もちろん決定的な文化の違いにイライラしたりもする。そのあたり、たっぷりと異星人とのストレスを描写している。しかし長い時間をかけて融和していく。そしてお互いの長所を認め合っていく。

「たかがSF」といえば「たかがSF」なのだが、スタートレックを見ているとユニバーサルな気分になってくる。誰にも存在意義があるんだよなあと。私が生きている時代に宇宙旅行は無理かもしれないが、それでも人生の宇宙船ではたくさんのクルーと出会うだろう。できるだけ多くのクルーと人生を豊かに旅行したいと思う。