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2010年3月3日水曜日

実は優しくない

「精神障碍の当事者向けにITコースの講義をしています」とか言うと「優しいんですね」なんて言われる。でも、本当はけっして優しくない。基本的に「自分から何かを学ぼうと思ってなさそうな人」をすくい上げようとする気はない。だから、どれだけやる気がなさそうでも私は決して怒らない。怒っても無駄だし。

とはいえ、基本的にそんな受講生は私のコースに一人もいない。なぜなら講義に参加してくれているだけで「やる気あり」と私は考えているからだ。特に今の時期はずいぶんと冷え込んできている。講義のために外出するだけでも十分にすばらしいことだと思っている。

誰にだって「気分的に乗らない」ということはある。でも、そこを怒っちゃダメだ。そもそも私自身もけっして聖人君子ではないわけで、「気分的に乗らない」という状況をたくさん経験してきた。そして実はそういう時が一番ツライということも知っている。

「やったほうがいいに決まっている」と頭で思いながらも、気持ちがついてこないのって正直シンドイ。体力も気力も時間も無駄に消耗してしまう。でも、そういう時のために私がいるのだと思う。なぜなら私もそういう状況に陥る自分自身にずいぶん手を焼いてきたからだ。

だからこそ、私にしか私の講義はできないという自信がある。欠点だらけでコンプレックスの塊と言ってもいいくらいの私が、なんとかITエンジニアとして生き延びてこられたのだから。メンタルを維持したり誤魔化したりする技術というものはやはり必要だ。

メンタル面の維持のノウハウも含めて、私の「即戦力ITコース」ではとことんフォローしていく。ただし、講義に来なくなってしまった人を呼び戻す努力は一切しないことに決めている。そこが私の講義の厳しい面といえるだろう。

なぜならこちらも本気なのだ。申し訳ないのだが、本気で参加している受講生以外に使う無駄な時間はない。「来る者を拒まず、去る者を追わず」というポリシーは守っていきたい。だから、その一方で「一度は挫折しちゃったけど、もう一度がんばってみたい」という人も拒まない。

挫折なんて気にしなくていいのだから。挫折してもあきらめなければチャレンジの機会は何度でもある。私自身、挫折の多い人生を歩んできた。実際のところ、私という人間は「中途半端」で「いい加減」で「根性なし」と思えることをたくさんやってきた。

数多くの自己嫌悪を乗り越えたり、踏みつぶしたり、誤魔化したりして生きてきた側面もたくさんある。でも、そういう点を飲み込めるようになって、「うまいこと」生きていけることもあるんだと思う。いきなり100点を取ろうと考えちゃうから生きるのが辛くなっちゃう人もいるんだろうと思う。生きるためには「自分に甘く考える」スキルが必要だ。

でも、そういうのはある程度の「厳しさ」の中でないと身につけられない。必要だからこそ身につくのだ。厳しさの中で自分のココロを守るため非常手段としてのスキルだと思う。だから、厳しくもない状態なのにいつも「自分に甘く考える」のは単なる世間知らずの馬鹿者だ。

福祉的な就労支援って、どうしても必要以上に当事者を「いいこいいこ」してしまいやすい。でも、社会の厳しさに無防備で送り出してはいけないと私は思う。社会に出してから厳しさを初めて体験させるのは残酷だと思う。