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2009年1月8日木曜日

吐いてもスッキリしない

私はなるべく愚痴を言わないようにしている。たまには出るけどね。
恨み言、過去の失敗、自己否定にかける時間ってもったいないから。
逆にそういう話をされてしまったら、なるべく早く切り上げちゃう。
「愚痴を全部吐き出すと楽になる」なんてのはウソじゃないかな。

20代の時、私は愚痴モンスターだったから飲んでは愚痴を吐いた。
吐いたのは愚痴だけじゃなかったけど・・・あー!・・・失礼。

最初のうちは周囲もフォローしてくれるんだけど長くは続かない。
「愚痴を吐くこと」が目的になると、周囲の意見を聞かないもの。
「自分は○○で不幸だ」なんていう閉塞感が甘美になっちゃって。
たぶん「マイナスの自己陶酔」っていうとしっくりくるのかな。

酔っ払って誰も話を聞いてくれなくて、ひとりになっちゃうんだ。
すると今度は一人で酒を飲んで、気を失うまで愚痴を吐くんだ。
「バカヤロー!バカヤロー!」なんて言いながら愚痴吐いてさ。
今にして思うと、そういう配役をやりたかっただけだったかも。

目が覚めると、重い酒の空気とネガティブフレーズのリフレイン。

愚痴を吐きまくって、誰も幸せにはならなかったな。結論として。
ひょっとすると、私が粘着気質ということもあるんだろうけどさ。

「どうせ私は○○だから」っての、最も簡単な自己実現だと思う。
なんにも努力しないですぐなれちゃうんだから、そりゃすごいよ。
ある種の魔力を持っているような気がしてならない。愚痴って。
漢字だって「愚痴」=「愚か」+「痴呆」というくらいだからね。

愚痴をいうのって「復唱による自己暗示」なんじゃないのかなあ。
どうせ復唱するのなら、前を向いて歩いていけるフレーズがいい。

ちなみに「ま、ハケンだからね」というフレーズは何度か使った。
2008年の自分ランキングではかなり上位に来る言葉だったかな。
そしてこの言葉、周囲の人達にはかなり勘違いされた。

たとえば、
「生活基盤としてはかなり未来がないな。ま、ハケンだからね。」
「社会的な責任については中途半端だよ。ま、ハケンだからね。」
とか。

これ、自己否定や、卑下しているワケじゃなかったんだけど。
そして、ハケンの地位を高めようとかそういうコトも思わない。

職業とか地位とかってのは、着ている服みたいなもんだなあと。
そんな風に私は思っているから、「職業」=「自分」じゃない。
その時々にあった服を、長所と短所を把握して着ればいい。

たかが、社会システム上に作られた「ハケン」という概念だもん。
ハケンというのは短期的かつ振り替えの利く業務支援の一形態。
固定費にせず財務状況に応じ機動的に人材増減できることが利点。
ハケンというのは元々そういう性質を持った「服」なんだよな。
元々リスキーな服を着ている自覚がないと、それが悲劇になる。

ハケンという服がイヤなら、他の服に着替えるのだって自由だ。

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