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2009年11月29日日曜日

燃える!即戦力ITコース

11/27の金曜日は、精神障碍の当事者が、ITのスキルをきちんと自分で習得できるようになるようにするための「即戦力ITコース」の二回目。なんとか事前に自分で決めておいた指導項目も全部達成。

ただし、このコースは「ITを教えるコース」ではない。正直に言ってしまうとそれよりも、もっと本質的なことを身につけるコースだ。もちろんITに絡む知識も教えるのだが、それよりももっと大切なことは「自分で解決する能力」だ。そして想像力。これなしではITエンジニアにはなれない。

第一回目は納品が間に合わずにパソコンなしでの講義になったワケで、いくらなんでもパソコンのない講義は「しまりがないなあ」なんて思ったのだが、さすがに第二回目にはパソコンが間に合った。

パソコンがあると実は前準備が面倒になるのだけど、そこは優秀なスタッフがサポートしてくれるので非常に助かる。前準備が必要なことは分かっているのだが、講義の開始前は正直それどころではない。

実は講義を始めるギリギリの直前まで、頭の中でベストな講義内容のイメージトレーニングしていることもあって、私の頭の中のほとんどの注意力とか集中力、それから想像力はちょっと先の未来を向いている。

昨晩まで考えた講義の進め方以上に、パフォーマンスを引き出す方法はないのだろうか・・・なんて考えて続けていたりする。すると、ふっと天から新しいアイデアが降りてきて、急遽、そのアイデアに切り替えることもある。

当初、ビデオ教材でも作って見てもらおうか・・・という構想もあったにはあったのだが、やっぱりそれじゃだめだ。「ライブ」の楽しさや緊張感があった方がいい。

だから、先日までに練りに練り込んだ講義方針があっても、受講生のみんなの興味が向かう方向や得意分野を見つけたら、すぐによりよい方向に軌道修正をする。それがライブだ。楽しさとか興味、好奇心が人を伸ばすのだと思う。少なくとも私はそうだ。

さて、二回目の講義は私が考えている講義の中ではもっとも重要なことを行った。それは「夢」をA4の紙にフリーレイアウトで描いてもらうというもの。そしてそれを、みんなの前でプレゼンテーションしてもらうのだ。

「何のためにこのコースを受講しているのか」という目的がはっきりしていることが必要で、自分自身の目標を忘れないように書くこと。そして他の人はどんな目的で受講しているんだろう?・・・ということを知って刺激を受けることは重要だと思う。

これを書いておくと、何かでくじけそうになったときに、自分自身の支えになる。初心ってそれくらいに大事だ。

フリーレイアウトというのも私が意識したことだ。決してフォーマットを作るのが面倒だからとかそういう理由はない。いや、面倒だからというのは多少あるか。まあ、面倒でも効果があるなら苦労してでもフォーマットを作ろうと思うけど、フリーレイアウトの方が効果が高いと思う。結果的には「ラクして最大の効果」という選択肢に落ち着いただけともいえる。

誰かが決めたフォーマットというのは見る側にとってはラクだし、場合によっては書く側にとってもラクかもしれない。しかし、フリーレイアウトでなくては分からない情報があふれていると思う。主張したい気持ちの表現方法、レイアウトのうまさ、イラストのうまさ・・・などなど、想像力やセンスのような要素がたくさん垣間見える。これが彼らにとっての現在の資産なのだ。

ちなみに、この「ラクをする」という発想は私の講義の中では大きな軸になる。受講者には「ラクをする」という「戦術」を身につけてほしいと思っている。「ラクをする」というのは「怠ける」という意味ではない。いや、多少は恩恵として「怠ける」があってもいいと思うくらいだが。「ラクをする」ためには頭を使わなくてはいけないのだ。

安易にラクをしようとすると、後で余計に大変なことになってしまって「ラク」じゃなくなる。だから、先を見据えて考えることが要求される、それなりに高度なテクニックだとも思う。

もうちょっとキレイな言い方をすれば「行動分析」と「効率化」ということになる。工夫しないと数十時間かかることを数分でできるようにする。面倒だったことを簡単にする。これがもっともシンプルな意味での「IT」だと私は思う。

さて、みんなに作ってもらった思い入れのたっぷり詰まったたくさんの紙。これが最初の青写真。これから、WordやらPowerPointやらを使って、もっともっとキレイな文書に変わっていく予定だ。

そしてキレイな文書に変わっていく過程の中で「夢」とか「目標」そのものが変化してもいいと思う。むしろ新しい目標の選択肢を見せていくことは、このコースの講師としての私の使命でもある。

ちなみに、私は、一日でWordの基礎を終わらせようと考えている。Wordに時間をかけてはいられないのだ。別にWordの講義をやりたくないという理由ではない。いや、多少はあるけれど。だって、この先、もっともっと楽しい世界が待っているのだから。

そういう楽しい世界を見ておいた方がいいと思う。ただ単に機会に恵まれなくて知らないだけだったらもったいない。よく、WordやExcelを最終目標に設定しちゃうことがあるけど、私はしない。WordのためのWordの講義なんてつまらないでしょ?

基本をさらっとやったら、後続の講義の中で必要に応じて実用で使ってもらうつもりだ。ExcelやPowerPointもそうだ。学ぶために学ぶのではなく、使うために学ぶのだ。本当に使うか使わないか分からないような機能も含めて、テキストの最初から最後まで覚え込まされるなんて、私だったらNo Thank youだ。つまらなくって講義中に寝てしまう。

たとえば、「文字を大きくしたい」、「色を変えたい」、「図形を描いてみたい」。こんなものは誰かから「1から学ぶ」ものじゃないと思っている。ただ「やりたい」とか「こうしたい」という気持ちがあってはじめて必要になるのだ。

だから、必要なら必要なその時に覚えてしまえばいいと思う。受け身ではなく「気持ち」とか「欲求」という形で自分の中からでてきた好奇心を満たすことが大事だ。さあ、お楽しみはこれからだ。

そういえば他の週も担当しているスタッフから、「こういう講義というのは、翌週から少しずつ人数が減ったりするんですよね。」と聞かされていたので、「今回はちょっとはラクができるのかな?」と思っていたら、なんと今回は前回を上回る人数になってしまった。

想定して準備していたパソコンの台数が足りなくなってしまうほどの大盛況。私に期待してくれているんだな。ありがたい。そして私も彼らに期待しているんだけどね。

お互いが幸せになれる講義をやっていきたい。


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◆ご参考までお問い合わせ先◆

NPO法人NECST 就労移行事業
障碍者就職サポートセンター「ビルド」

〒272-0034
市川市市川3-28-5-201
047-320-0345

「即戦力ITコース」は金曜日のみとなります。

もし、ご興味があったらどうぞ。
ちなみに精神障碍の当事者の人が対象「だと思ってます」。
・・・って、講師の私が書いてよかったんだっけな?

ま、あくまでも私が「思ってる」だけということで・・・。
厚労省データで、身体9%、知的7%で、精神0.001%の就労率だもの。
困ってる層からなんとかしましょうよってことで、ここはひとつご勘弁を。

それから、夢を描いただけで講義が終わったワケじゃないので、念のため。
ちゃんとパソコンを使った講義もやりましたとも。


いろんな思いがつまった「夢」の紙たち。※あ、拡大しても内容は読めないようにしてあります。
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2009年11月27日金曜日

OSが生み出す景気

米国Googleが2009年11月19日、開発中のOS「Google Chrome OS」のソースコードを、オープンソース・コミュニティ向けに公開した。必要なドキュメントなどもきっちり含まれているらしい。ブラウザでほとんどの仕事ができるようになる計画だ。

私もその流れが正しいと思っている。実際のところ、今でも私は効率化の恩恵をインターネットから受けている。たとえば名刺管理やドキュメント管理、スケジュール管理などはインターネットの向こう側でデータを一元管理できる「EverNote」を使っている。

日本語変換はATOKを使っているが、辞書学習内容を複数のPCで同期できる仕組みを活用している。これもインターネットを活用しており、自宅用のPCでも現場のPCでもモバイル用のPCでも同じ変換効率を実現できる。

そもそもATOK自体にしても、インターネットを活用して月額300円で(同時利用しない限り)10台までインストール可能なサービスを展開している。

ATOKの課金状況はインターネットを介して確認され、契約状態が正常であればATOKが稼働する仕組みだ。途中でATOKの新しいバージョンが発売されると自動的に最新のものがインストールされる。

ちなみに私は月額版のATOKを利用している。毎年3,600円の支払いにはなるが、毎年新しいバージョンが発表されるたびに迷わなくてよいところが最大のメリットだ。変換効率が毎年進化するのであればそれを享受した方がいいと思う。

もちろん、久しぶりのバージョンアップによる大幅進化の喜びは体験できなくなるが、別にメリットの享受を後ろ倒しする強力な理由はどこにもない。

話が少しそれてしまったが、このようにインターネットがなくては成立しないサービスが、最近ではかなり増えている。逆に言えばインターネットがあれば困らない時代になってきている。

さまざまなことがWebブラウザ上で実現できるようになってきている。だから最近販売されるPCでは、必ずしもWindowsが搭載されているわけではない。標準的機能を搭載するブラウザだけがあればいいのだから。

その一方で、Microsoftが「今後のWindowsの新規バージョンリリースは3年ごととする」との未確認情報もある。未確認であるものの、この情報にはいささか複雑な思いがある。

・新しいOSをリリースすると機能が増えて重くなる。
・OSを買い換えるたびに環境移行に手間がかかる。
・Microsoftのソフトウェアは比較的高価である。

というデメリットがありながら、常にハードウェアの買い換え需要を伸ばしてきた側面がある。つまりOSが重くなればなるほどハードウェアが売れたわけだ。

WindowsXPは発売開始から販売終了まで8年間動き続けた。つまり8年間はハードウェア買い換え需要はほとんどなかったといえる。数年後のWindowsXPサポート終了を見据えてしばらくは、OSの乗り換えでハードウェアの買い換え需要も伸びると思われる。

ただし、3年後に我々が新しいOSを必要としているかどうかは分からない。今でこそ高度な画像編集をはじめとする専門的な作業はローカル環境で行うことが最適だが、もしかするとそのような作業ですらネットワーク上でできるようになるのかもしれない。

数年後、すべてのサービスがネットワーク上で利用できるようになっているかもしれない、そして、安価な月額料金で利用する時代になっているかもしれない。

そうなってくると、OSの選択肢としてWindows以外とする方向性も現実的になってくるだろう。すると、またハードウェアの買い換え需要は今よりも少なくなるのだろうか?

おそらくその鍵は次世代ネットワークインフラの拡張(速度と網羅性の強化)にかかっていると思う。パソコンのあるところから仕事をするのではなく、ネットワークのあるところから仕事をするスタイルになる。

OSに依存しないテクノロジーの進歩は新しい選択肢を与えてくれている。あとはその選択肢を上手に活用した、新しい働き方を模索する時期に来ているのだろうと思う。

2009年11月23日月曜日

本物を目指す

だいぶ思い切ったコトをしたもので、12月末以降はとりあえず無収入だ。こんな不況な時期によくやるよな・・・とつくづく思う今日この頃。無収入というか、まあ、金曜日の講師料があるので「無収入」というと、それはそれで失礼か。

さて、そんな危険な旅立ちを応援してくれる人たちがいる。とてもありがたいコトだと思っている。ただ「自分にリスクが及ばない限りは応援するんでしょ?」とか「君は人がいいから都合よく使われてるだけなんじゃないの?」と心配してくれる人たちも一方でいる。

正直なところ私自身はそんな心配をしていない。私は実のところかなり人間を見る。本当に信用できる人間かどうかは、それなりの時間をかけて考えるタイプだ。そして、一度「信頼できる」と確信できたら、人生をかけてでもその人を最後まで信用することにしている。

第三者を深く信用するということは、自分自身を信用するということに等しい。つまり、そこで何かがあったとしても、それは誰かを信用すると覚悟を決めた自分に全責任があるのだ。

それから、私は本気で「本物を目指せば結果がついてくる」と信じている。おそらく「社会が本当に必要としていること」をまっすぐに目指していけば、それで利益を得る人たちが私の姿を見てくれるのだろうと思うからだ。

私がやろうとしていることが見捨てられたとしたら、それは社会に対して貢献できないものだったということが証明されたにすぎない。誰も利益を得られると感じなかったから、誰もついてこなかっただけの話だ。そういうことに時間をかけても日本はよくならない。

だから、いろんな人が心配してくれるのは嬉しいのだけれど、「裏切られるんじゃないか?」「ただ便利に使われているんじゃないか?」と心配する暇があったら、すこしでも本物に近づくための施策を考えた方がよっぽど自分のためになる。

自分のやろうとしていることを、最近、いろんな人にオープンにして話している。別にパクられても構わないと思っている。なぜなら自分にしかできないことをやろうとしているのだから、他の人がやったところで私の構想どおりにはならない。

別に「上から目線」というわけではない。それを聞いて「自分もやりたい」という人が増えてもいいと思っているからだ。厚生労働省が把握している精神障碍者は300万人以上で、就労できている人数は4000人。単純計算で0.001%。勤労適齢者が総数の3分の1とざっくり考えても0.004%だ。

別にそこに競争原理が不要だとは一切言うつもりはないが、現状では横の広がりで連携できそうなら、そして連携したいと思う相手であれば積極的に連携した方がいいと思う。それくらいがんばってみても、まだまだ就労を望みながら叶わない人々がいる。競合だとかなんとかと言っている場合ではない。

ただ、一方で精神障碍についていえば急激な改善が進んでいることも事実だ。2006年の法改正で法定雇用率に精神障碍者もカウントされるようになったからか、かなり本腰を入れて精神障碍者を雇用する企業も増えてきている。ここ数年でかなりの変化が現れたようだ。

その現象をさらに加速させるべく、私も本物を目指していきたいと思う。

2009年11月21日土曜日

講師活動いよいよ開始

昨日、千葉の就労支援組織「ビルド」での即戦力ITコースを開講した。精神障碍を持った人に本気で必要な「テクニック」を教えていく講座だ。11月から「ビルド」の運営準備局は機能していたものの、まあ、準備なのでさまざまな施設見学に終始していた。

実際の受講者を前にして・・・という意味では昨日が初講義だ。最初から第一回目はオリエンテーションを行うつもりだったのだが、さすがに完全にパソコンなしで始めるとは思わなかったな。パソコンの納品が予定よりも遅れてしまったらしい。

集まってくれた受講者は12名。予想が8名だったからずいぶんと大勢の方が集まってくれた。本当にありがたいことだ。

まずは彼らが「なんのためにITコースに来たのか」を全員に聞いてみた。これが大事。

「即戦力ITコース」自体が目指すべきゴールはもちろんある。

しかし、受講者の「気持ち」を置き去りにして突っ走っても集団としてのゴールには近づかない。

それぞれの受講者の頭の中にはゴールのイメージがあるはずだ。それぞれの人生に、それぞれの価値観に基づいたゴールがある。そのゴールのイメージを集合させて、受講者全員でたどり着くゴールに導くことができれば面白いと思う。

彼らが渇望してやまない就労にしてもそうなのだ。会社にはさまざまな人間がいる。人生の価値観もそれぞれ違うし、それぞれが目指すべきゴールも違う。そういう個人個人が会社の「理念」という旗印のもとで集団としての能力を発揮している。

私の講座ではそれを大事にしたい。みんな違う。得意分野も違う。それをひとつひとつ丁寧に繋ぎ合わせることで、一人ではできなかったようなことができるようになる。「就労成功」というのはひとつの通過点にすぎない。

本当は「就労した後のこと」を考えながら走った方がいいと思うのだ。就労してから自分はどのようなポジションで働きたいのか。自分には何ができるのか。そして人間同士が力を合わせた時にどのようなパフォーマンスが実現するのか。それを実感してほしい。

「即戦力ITコース」自体が目指しているのは、将来、「IT系エンジニアに成長できる人」の種を撒くことだ。「IT系エンジニア」そのものを育成することではないところが、実は私にとって斬新な試みだ。だから初回のオリエンテーションで言い放った。

「私はITに関するすべての知識を教えるつもりはありません。」

たとえば新しい技術を習得しようとした時には、最初の入り口を自力で見つける能力が極めて重要になる。それはもっともシンプルで、かつ、自分にとって100%理解できる入り口を探すことだ。

その基本的な入り口を何度も反復練習し、そこからすこしずつ知識を拡張していくテクニックを重ねることで、自分にとって未知の領域をすこしずつ自分のスキルとして蓄積していくものなのだ。

私はITエンジニアとして、とりあえず十数年ご飯を食べてくることができた。それなりに厄介なことも経験したし、新しいこともさまざま経験してきた。でも、私はITエンジニアとして特別な適性があるわけでもないし、特別な才能があるわけでもない。

ただ、あえて適性と呼べるものがあるとすれば、「好奇心」とか「楽をしたい」という気持ちくらいのものだろうと思う。「好奇心」+「楽をしたい」というスタイルで、結果的にはその時に求められている多くの仕事を達成できた。

十数年、私がやってこられたのは、新しい入り口を探す方法論を自分なりに研究してきたこと。それからそこから得た知識を体系化して、自分なりのマニュアルを作る技術を考えてきたことだ。他人が書いたマニュアルを読むよりも自作することを常に考えてきた。

マニュアルを読むときでも、自分ならどのようにそれを再構成するかを考えながら読む。たいして特別な才能に恵まれたわけでもない私が、それなりに苦労して編み出した多くの「テクニック」に助けられている。それらを彼らに伝授することを考えている。

基本的にそれさえ体得できれば、何か新しいことを学ばなくてはならない時、そこに先生などいなくても自分の力で切り開くことができるはずだ。私はそこをこそ目指したいと考えている。

生きていて一番しあわせなことは、自分の能力が誰か(これを「社会」と読み替えてもよい)のために役に立っていると実感できることだろう。それのひとつの形が「就労」なのだと思う。

ははは。私にだってそういうしあわせを追いかける権利はある。私はここまで私が生きてこられた「すべ」を魂を込めて彼らに受け取ってもらいたいのだ。それで彼らがしあわせな日々に向かって船出をしていく。それが私にとっての純粋なしあわせだ。

もちろんね、この講座で得られた自分なりの貴重な気づきを元にして、別の事業も立ち上げるつもりだ。正直なところ、この講師料だけでは生活していけないからね。自分が干上がってしまっては彼らをゴールまで導けない。

社会変革を本気で起こそうと思ったら、やはり継続性を十分に考える必要があると思う。まだ経営者として未知数な私は「ドンキホーテ」に見えるかもしれない。でも、笑われたって構わない。私は本気で社会の方向性を変えようと思っている。相手がたとえドデカイ風車だったとしても戦ってみせる。

私にとってこの講座をすることは戦いだと思っている。だって悔しいじゃないか。たまたま精神障碍と診断されて、そこからの人生が大きく変わってしまうなんて。人生なんて紙一重なんだと思う。診断書一枚で変わってしまうんだから。

そういうのやっぱりおかしいと思うよ。


そういえば、お昼は近所の作業所に通っている当事者が作ってくれたランチをいただいた。むちゃくちゃ旨かった。これで300円って、一体どうなってるんだ。野菜は近所の農園で取れたものだそうで。ホントいい環境だな。

2009年11月20日金曜日

トップセールスと成功

以前、起業家たちが集まる会に参加したときに、とある有名なセミナー会社のセールスマンが来ていた。若々しくて好感を持ったので話を聞いた。まだ会社に入って数か月足らずだそうで、「セミナー紹介CDを送ります」とのことで、断る理由もないので住所を教えてその日は別れた。

後日、CDが届いた。「拝聴したら感想をメールでお送りします」と返事したところ、「直接CDの感想を聞きたい」とセールスマン氏。正直、会おうかどうか迷った。CDの内容は抽象論ばかりでイマイチ具体的なネタに踏み込まない。

内容のほぼ半分は、自分が過去にどれくらい貧乏だったか。そして成功を意識してからどれくらいトップセールスマンになったか。語られるすべてのページが金ぴかの刺繍で飾られている感じ。申し訳ないけど・・・うさんくさいよ。これじゃ無理だ。

そして、ちょいちょい上から目線で「私の言ってる意味、分かりますか?」と聴いてくる。そのたびにイラッとして仕方なかった。もちろん実績も資産も間違いなくはるか上の方なので、上から目線は正しいのかも知れないけれど、好き好んで上から目線ビームは受けるものじゃない。

向上心がないとか、嫉妬で機会を逃すのはもったいない・・・という人もいるんだろうが、正直、CDを聴いている限りでは、私の嫌いなタイプの人間だ。こういう押しの強い社長は、激しく嫌われてしまうか、メンターとして崇められるかのどちらかだ。私は残念ながら前者だった。

そこを抽象論と自慢話だけでセミナー紹介を押し進めてしまうので、「そんなに中身の分からないモノだったら要らない」になってしまうわけだ。・・・という話を、若きセールスマン氏にした。「正直、そんなに内容不明な紹介で購買意欲が湧くとは思えない。」と。

そもそも会うことに決めた理由は、CDを送っていただいたことに対して「アウトプット」という形で礼儀を果たすべきだと考えたからだ。たとえそれがマイナス評価だったとしても、それを伝えることでよりよくなればいいと思ったからだ。

「商品自体はきっと悪くないんだと思うんだけれど、自分自身の力も試してみたいし、たぶん買うことになったとしても後々の話になると思いますよ。」と、購入意思がないことをやんわりと謝絶させてもらった。

「でも、もったいないと思いませんか?・・・成功までの道筋がはっきりと見えているんですよ。それを逃すのは人生にとって損失になりませんか?」・・・彼にとっての「成功」とは一体なんなんだろうか。というか「彼にとっての成功」が「私の成功」と等しいわけでは絶対にない。

時間が進むうちに、私に「買う」と言わせることは、私にとってではなく彼にとっての成功にしか見えない構造になっていた。正直大変だよなあと思う。社会経験も日が浅く、若き日にありがちな「社長万歳!」の状態では見えるものも見えないし、売れるものも売れない。

「CDの感想を聞きたい」とアプローチしておきながら、CDに対する苦言を呈すると「誰にでも満足できるものは作れませんから」と切り返してくる。おかしいだろう。CDについての感想を聞きに来たのではないか?・・・私は反論を受け付ける立場でもない。善意で言っているだけなのだ。

聴きたくないならこっちだってわざわざ言わないよ・・・という姿勢なのだから。「CDの内容でセミナーの具体的な内容も全く見えないし、お得感も全く感じない」とメッセージを送っているのだ。

「だったら内緒で(本当は社内で了承済み)、セミナーの一部を僕でよかったらやってみましょうか?」くらいのことを言ってもいいんじゃないだろうか。「会社には悪いですけど、とりあえず僕で役に立てることがあれば一部だけでも無料でお教えしますよ。」なんて言われたらどうだろう。

そんな理由で、今後、何度も足を運ばれて、無料の「こっそりセミナー」が続いてしまったとしたら。本当によいメソッドであるならば、たぶん何らかの効果は出てくるはずだ。そこまでの信頼感が醸成されてしまったら、たぶん私はそのセミナーにお金を払うと思う。それが人間としての礼儀だ。

セミナー紹介用CDも含めてケチいのだ。何も価値を感じさせるモノを出さずに、こちらのお金だけ出せというのは無理だ。今日は新人セールスマン氏の砥石になったわけだが、ちゃんと自前のセミナーで学ばせてからじゃないと、看板に傷がつくんではないかと余計な心配をしてしまう。

入り口でケチると、たとえ中身がいい商品だったとしてもダメになる事例かな・・・と思った。というか、特にこういう関連のシロモノは警戒させたらそれまでよ。本当にいい内容なら受けてみたいけれど、少なくとも今のセールスでは無理。今のところほしくない。

そのあたり「志縁塾」あたりは絶妙な商売の旨さがあるなと思う。無料に近いセミナーでもしっかりと、笑いとモチベーションを持ち帰らせてくれる。だから、また行きたくなる。お金を払っても行きたくなる。なぜなら、入り口で太っ腹だからだ。

競馬で一番儲けるのは、競馬でひと山あてたいヤツを相手に商売する情報屋。株とか投資情報で一番儲けるのは、投資でひと山当てたい素人投資家を相手にする情報屋。情報商材というのは作ったもの勝ちだ。成功マニュアルで一番儲けるのは・・・。

「成功」という一見甘美な蜜はどこに続いているか分からない。そもそも「成功」ってのは、それなりに自分で苦しんだり迷ったりしながら掴むものじゃないか?

マニュアルを自分で作ることを忘れて、完成系のマニュアルを簡単に買っちゃおう・・・というのは、なんだか安直な気がするよ。個人的には。

彼はこれからいいセールスマンになるんだろうか。そこは注目して見ていたいと思っている。彼の方からあきらめてしまわない限りは。

2009年11月19日木曜日

重要ポイントを3個に絞る

人間の記憶は7~9個までを最適として短期記憶限界があると聞く。しかし、実際に口に出して7個の全てを連続して言うのは難しい。指折りしながら途絶えてしまったり、重複してしまうものだ。

赤・黄・青・・・の信号とか。グー、チョキ、パーのじゃんけんとか。子供が覚えやすいものは、3個の固まりになっているような気がする。大人でも、普通、7個もポイントを言われたらメモを取るだろう。メモなしの記憶最適数は平均しても3つだと思う。

要するに7個なら大丈夫というのは、ある意味でウソなんだろう。でも、3個なら覚えられる。「実はこれが本当の最小単位なのではないか?」と私は思っている。むろん、これは私の記憶能力に依存した程度の低い話かも知れないが。

3個というと、いくらなんでも少なすぎるんじゃないだろうかとも思わなくもないが、それは7個でも同じことだ。全てを7個に凝縮するのは無理なのだ。「ラッキーセブンだから7にしたんじゃないの?」・・・と思うほど。

本当に実用として使える知識というのは、必要な時にすらっと出てこなくちゃ意味がない。そういう意味では実用記憶をするために、ポイントを3個以下にまとめるのは重要ではないだろうか。

と、そういう言い訳を並べつつ、重要ポイントを3つに絞る過程について考えてみたい。題材にするのは、2009/11/18に渋谷で行われた障碍者雇用の勉強会だ。講師は大東コーポレートの山崎社長。

あえてメモを見ず、記憶の中のみから話の概要を書いてみる。

(1)大東コーポレートは大東建託の特例子会社である。
(2)元々は法定雇用率を満たすために作られた会社である。
(3)精神障碍者雇用によって実際に多大な利益がでている。
(4)知的・身体・精神のどれも採用対象である。
(5)筆記テストは平均点数が低く意味がないのでやめた。
(6)面接も本人ではなく支援者や親が答えるのでやめた。
(7)自分のできることは当事者の方にもできることである。
(8)怒ったり叱ったりせずに根気強く反復が必要である。
(9)達成目標は当事者自身に書いてもらう。
(10)達成目標のスパンは2週間の短期と1年間の長期である。
(11)何かが起こったらすぐに報告してもらう習慣をつける。
(12)失敗を怒らない代わりにウソをつかない約束をする。
(13)明るく挨拶をする習慣をつける。
(14)失敗の責任はすべて代表者の責任との認識を持つ。
(15)当事者と一緒に二度と失敗を起こさない方法を考える。
(16)短期的に無理をさせてしまうと長期的にダメになる。
(17)焦る気持ちに「ブレーキ」をかける能力は必須である。
(18)精神障碍の場合は最初は3時間から開始するとよい。
(19)ひとつのことができるようになってから職域を広げる。
(20)複雑工程の解決として高性能ハードウェア導入も有効。
(21)ミスが深刻化する前の段階でチェックの段階を設ける。
(22)大手が敬遠しやすい少量多様な生産業務を専業化する。

とても3個にはまとめられない・・・が、7個だって無理だ。
メモを見ないで、取り上げてみたって21個もあったりする。

・・・あれ?・・・7つを超えてるぞ?
でも、記憶の中から引っ張り出すのに時間はかかっている。
「ああ、そういえばこれも」というのはコアな記憶じゃない。

そこで、いろんな視点からこの話を自分なりに切り分ける。
単なるまとめではなく、自分なりの視点や匂いをつける。

◆大東コーポレート概要
 ・特例子会社である
 ・精神・身体・知的と多様な障碍者を雇用
 ・外注の競合他社に比べても大きな利益を提供

◆育成における注意点
 ・無理をさせない(ちゃんとブレーキをかける)
 ・怒ったりしない(誉めて誉めて伸ばす)
 ・根気強く時間をかける(反復を強く意識する)

◆自主性の醸成
 ・一緒にトラブル防止策を考える
 ・一緒に目標設定を考える
 ・目標設定を自分で書いてもらう

◆効率化のポイント
 ・地道な反復による作業効率の向上
 ・浅いチェックポイントでミスを検知する
 ・費用対効果により高額な装置導入も検討
 
◆収益化のポイント
 ・地道に業務範囲の拡大をすすめる。
 ・原則残業なしを前提で業務をすすめる。
 ・大手が面倒くさがる業務を請ける。

いくらか削れてしまっている部分もあるが、あくまでも「私の価値観」で3個ずつにポイントを絞るとこのようになる。

講義は教科書ではないのだから全部覚えなくていい・・・と、私は思う。もし、講義の通りにやったとしても、それは単なるコピーだ。コピーが悪いということではなく、コピー元の経営者が持つ特性や個性まではコピーできないことの認識が重要なのだ。

経営者が持つ特性や個性がある前提で、たまたま方向性がベストマッチングすると成功事例につながる。だから講義を聴くときには常に自分の価値観に合うもの、もしくは合わせるべきだと思うことを明確に意識したい。

たぶん、そういう価値観だとか好き嫌いの感覚が、無意識に自分の個性や特性に合う価値観に結び付けてくれているような気がする。

それはそれとしても、大東コーポレートはすごい会社だ。特例子会社ゆえに「障碍者ありき」という宿命の下で生まれた会社ではあるが、職を転々としがちな(いわゆる)健常者ですら、こういう会社だったら長く定着するんじゃないだろうかと思う。

私は勝手に「メンタルユニバーサル」と呼んでいるが(そして広げたいとも思っている)、本来、精神障碍者が楽しく仕事できる環境というのは、(いわゆる)健常者にとっても楽しく仕事ができる環境だと思うのだ。

特殊な人たちが置かれる特殊な環境・・・ではなく、ストレス圧力が極めて少なく、「快」のオーラに満ち溢れた仕事場は、すべての人に好ましいのだと思う。(もちろん死ぬほど働きたい人は、死ぬほど働くのも自由だ。)

もし、そういう仕事場に巡り合っていれば、私もサラリーマンを辞めたいなんて思ったりはしなかったと思う。でも、せっかくサラリーマン生活を抜け出そうと、ここ数年、構想を温めてきたのだ。せっかくだから自分が就職したら幸せになる事業を創ってみたい。

2009年11月17日火曜日

心構えとして

「昨晩書いたラブレターは、朝、読み返せ」
なんて言葉があります。

激情のままに書いた文章がどんなものかが分かるわけです。もちろん酔っ払って書き殴った文章も同様だと思います。

そんなワケで、昨晩のブログは一時間経たずに消えました。しばらくして読み返してみると、読むに堪えなかったので。

要するに自分の能力不足を指摘されブログで吠えてました。まぁ、それほどまでに痛いところを突かれたワケですかね。朝の5時まで眠れないくらい悔しさを噛みしめていました。

MBAを修得した人の素晴らしさが身にしみたことがひとつ。そして経営する能力がないという指摘を受けたのがふたつ。自分で思い知っていることに追い討ちをかけられると痛い。

ただ、こういうことは今後もたくさん出てくるでしょう。自分の至らなさで火を噴くほど悔しい思いをするでしょう。

そこにいちいち反応していては、無駄に消耗するだけです。何かを地道に続けていくためには、打たれ強さが必要です。ちょっとしたことで感情的になっていてはいけないのです。

能力不足は元から承知の上で始めようと決意したことです。指摘で痛みを感じるのは、実は承知ができていなかっただけ。もうちょっというと覚悟ができていなかっただけなんです。

沈みそうになるまで殴られても殴られても沈んじゃいけない。パンチを食らいまくっても前進する不沈艦を目指すんです。

私は優等生ではないから、たくさんパンチを食らうでしょう。そこで怒って席を蹴飛ばしてしまっては、やっぱり負けです。
#もちろん、それをやってしまったら爽快なんだろうけれど。

その時は言葉だけを取り入れて、余計な感情は受け流す技術。そういうものをキチンと自分の体に取り入れるべきなんです。いちいち心の真正面から受けていたらダメージが溜まります。

私は、いろんな局面で我慢が必要な立場を目指しています。そうであるなら、それなりの覚悟と見識が必要なのでしょう。MBAうんぬんというより、まず、自分にとってはそれが大事だと思います。

でも、
「そういうところに気づくかどうか試していたんですよ。」
なんて、したり顔で言われたら、やはり蹴飛ばしたいかもね。よく「試す」なんて言うけれど、やっぱりそれって失礼なことだと思いますよ。

・・・なんて思うあたり、まだまだ人間が出来上がっていなかったりします。困ったものです(苦笑)。

ただ、どちらを向いて仕事をするのかということ。
誰のために仕事をするのかということ。
そこを見誤っちゃいけないと強く思います。

2009年11月9日月曜日

ホルモンとハラミ

「ホルモン焼き」の由来は「ほうる(捨てる)モン」なんだそうで。
その真偽はともかくとして、似たような話は結構ありそうです。
たとえば「中落ち」やら「ハラミ」も昔は捨てていたんだとかで。

捨てられるモノに注目すると、新しい道が見つかると思います。
たまに「クラゲ」が大発生したというニュースを見聞きします。
網にかかるのはクラゲばかりで、肝心の魚はまったく獲れない。
漁師は「これじゃ商売にならない」とクラゲを海に投げ捨てる。

こういう映像をたまに見ますが、他に道がないのかと思います。
クラゲの成分から有益なものを取り出して活用する方法だとか。
もちろん、美味しく食べられる加工方法を考えるのもアリです。
何らかの活用方法があれば「大発生」→「大漁」になるんです。

で、国民がジリジリと減っていく少子高齢化が進行中の日本国。
フィリピンなどの海外から労働力を輸入する話もありましたね。
一時期ニュースになったあと、どうなったのか分かりませんが。

海外から安直に人材資源を買う前にやることがあると思います。
それは、日本国内の人材資源から先に活用していくことです。
昔の60代~70代はヨボヨボのジジイという印象がありました。

でも、最近の60代~70代は骨のある人がやたらと多いんですね。
「ジジイ」と呼ぶには抵抗のある人がすごく増えた気がします。
30代後半の私にとってロールモデルになりそうな人すらいます。

まず、そういう人はもっと活躍しないともっとないと思います。
まだリタイアしたくなさそうな人が、ウジャウジャいそうです。

還暦過ぎても現役な人は、死ぬまで働いたほうが世のためです。
私自身、PPK(ピンピンコロリ)で終われたら理想だなと思います。
ご本人の望みも叶えた上に、社会も活性化するならいいですね。

私個人として高齢者に望むのは高齢者への新サービス創造です。
若いヤツがどれだけ想像しても思い浮かばないようなサービス。
それを生み出せるのは、骨のある現代の高齢者層だと思います。

ギャル社長が渋谷ギャルのためのムーブメントを作り出す現在。
高齢者が高齢者のためのムーブメントを作るのもアリでしょう。
高齢者が楽しい社会にならないといけないと私は思っています。
高齢者が楽しくないと、年老いていくことがリスクになります。

それから障碍者の層も人材資源として活用できるといいですね。
これも個人的に早いうちに整備された方がいいと思っています。
だって、実は誰だって障碍者になる可能性があるわけですから。

最終的には「障碍者」にこだわるつもりもないんですけどね。
私が目指している理想は、障碍者だけに特定してはいません。
どんな状況であれ「働く意志」を無駄遣いしない社会の実現。
ここに向かって走れば障碍者も高齢者も働けるようになります。

たとえば、長期入院しなくてはならない体になってしまったら?
そんな時でも働くことができるかどうかということは大事です。
だから勤務時間や形態も含めて多様性を考えた方がいいんです。

今まで長期入院したら、その間は仕事をしないのが常識でした。
でも、とてつもなく無駄に長い一日なんて私なら苦痛ですから。
ただ、窓の外を眺めるだけの日常は命の無駄遣いだと思います。
何もすることがないなら、いっそ働いていた方がマシです(笑)。

働ける人材資源は、高齢者、障碍者、入院患者の中にもいます。
それぞれの視点から、ビジネスを立ち上げる気持ちは必要です。
そのことが、それぞれの社会的立場を変容させる力になります。

今、「働きたい!」と願う人材の気持ちが無駄になっています。
働きたいと願う人にこそ、働いてもらうことが日本のためです。
「視点の転換」こそが、現代における「錬金術」だと思います。
誰もがしあわせになれる錬金術なら、急いで始めたいものです。

2009年11月6日金曜日

精神障碍とモチベーション

精神障碍の人が就労する場合の、ハードルの高さを考えています。
それは就労時間の短さとも、欠勤確率の高さとも言われています。

実際、一日5時間の週4日というケースも確かに珍しくありません。

が、実際にはすべての当事者に当てはまるワケでもありません。
欠勤を全くしないで頑張っている当事者もけっこういるんです。
作業所で当事者を眺めていても、例外はいっぱいあるようです。

でも、精神障碍の当事者は「根性ナシ」と思われることが多いです。

「だって、就労が決まっても、ヤツラ、すぐ辞めちゃうじゃん。」

・・・まあ、持続しないケースも確かにけっこう多いみたいです。
で、私はこの「持続性」の原因自体にものすごく興味があります。

たとえば、ものすごく働きたくない職場で働いているとします。
ただ、生活のためには仕方がないから働いているとしましょう。
・・・正直なところ、そんな環境なら私でも持続できません。

でも、極端に雇用先がない状況はそういう状況を生み出します。
実際に精神疾患の人を受け入れたくない企業は相当数あります。
そして選択肢が狭まった状態で、職業選択を迫られるわけです。

で、「入れただけでも幸せなんだからがんばりなさい」とか。
ある意味「入れただけでも幸せ」はその通りなんですけどね。
だけど、一方ではちょっと違和感を感じたりもするんですよ。
狭い選択肢から選んだその仕事は、本当にやりたかったのか?
・・・って。

精神障碍の当事者が働きたい・・・というとどこでしょうか?
たとえば「掃除」とか、たとえば「事務」とか。よく聞きます。

「でもさあ、その『清掃』って、本当にやりたい仕事なの?」

と聞きたくなったりするんです。

「その『事務』というのは、たとえば具体的に何したいの?」

と聞きたくなったりもします。

もちろん、清掃業が心から好きなら「清掃業務」全然アリです。
仕事自体としては、とっても大事な仕事だと思っていますから。
ただ、選んだ仕事が、本当に好きかどうかは大切だと思います。

精神障碍って、語弊を恐れずに書いちゃえば「正直病」ですよ。
いわゆる健常者って「本当はキツイんだけど」耐えきっちゃう。
「正直、8時間労働って超キツイっすよ」と思っていたとしても。

だけど「正直病」にかかっていると、ゴマカシがききません。
キツイ状況に置かれると、体が先にやられちゃったりしちゃう。

それでは、本当は働きたくない環境でもし働いていたとしたら?
・・・そりゃ辞めちゃいますよね。だって正直病なんですもの。
限られた職業選択肢の中に、好きな仕事がないのって不幸です。
「離職率の高さの原因ってそこなんじゃないの?」と思います。

だからね、求職者側も福祉に「してもらう」だけじゃダメです。
具体的に「自分は何をすると幸せなんだろう」を考えなくちゃ。
で、「どの仕事をすると幸せに近づくんだろう?」って考える。
考えるというより「妄想」レベルでも構わないと思っています。

現実を見すぎて、夢や希望を失うくらいなら妄想した方がいい。
妄想から、自分の目指したい方向性を見つけりゃいいんですよ。

選択肢がないのなら、自分から選択肢を作る選択肢もあります。

「自分自身の幸せを追いかけている実感」=「モチベーション」

なんじゃないかな・・・と私は思うんです。

就労支援側も、選択肢を増やす努力をした方がいいと思います。
与えられた選択肢からの脱却を目指した方がいいんだろうなと。

そういう志で、私は精神障碍の当事者向けの講座を担当します。
正直、IT業界で働いていた時よりも、収入は大幅にダウンです。
時給ベースで考えたら半減なんて言葉じゃ足りないくらい薄給。

ただ、長期的視野でビジネスを考えているのでできるだけです。
当面は個人的に大赤字だけど、ひとつの投資だと考えています。

要するに「幸せを追いかけているつもり」だからできるんです。
自分なりのモチベーションがあるから、できるってだけです。

そのために未来に対する建設的な妄想が必要なんだと思います。
で、それは精神障碍の当事者だって、そうなんじゃないかなと。

個人的にはこんなことを考えています。

2009年11月2日月曜日

脱・貧乏な福祉

いわゆる「福祉=貧乏」という構図。
これ、なんとかしないといけないんじゃないかなと思うんですよ。
「福祉は清貧じゃないとできない」という発想はどうなんだろう。
そんな視点で支援活動を始めると、必ずお金の壁にぶつかります。

http://www.news.janjan.jp/area/0810/0810010483/1.php

活動のために避けては通れないのが、やっぱりお金なんですよ。
せっかくいい活動をしようとしても長続きは難しいと思います。
また、活動の手段と目的がひっくり返りやすいことも残念です。
就労支援が目的なのに運営だけでいっぱいいっぱいだとかね。

決して、ボランティア精神を貶めるわけでは決してありません。
という前置きをしないと、誤解されそうな話をあえて書きます。

精神障碍者の就労支援ボランティアが苦境に立っていたそうです。
就労支援の場として喫茶店を運営しているボランティア団体です。
すごく残念だなと思うと同時に、当たり前の結果だとも思います。
なぜ、存続性が薄い「ボランティア」にこだわるんでしょうか?

いっそ、営利法人として勝負をかけてもいいと思うんですよね。
そして、大手のコーヒー会社に働きかけてもいいわけなんですよ。
「フォローは我々がやるので特例子会社で始めませんか?」とか。

UCCとかに特例子会社があるんだけど、店はたぶん出してません。
なら「特例子会社でカフェを作りましょうよ」と持ちかけるとか。

それから「ボランティア」に拒否反応を示す層もいるんですよね。
あんまり「ボランティア」を強調しないほうがいいとも思います。
「福祉」すらも看板に出さないくらいがちょうどいいと思います。

なんだか不思議といい雰囲気で、いいコーヒーを出してくれる店。

で、よくよく聞いてみたら、
「え?・・・ここのお店って、本当は就労支援の店なんですか?」
って驚かれるくらいがカッコいいと思うんですよ。

最初っから、
「精神障碍の就労支援なんで、ダメなコトがあってもスミマセン」
というスタンスじゃ、同じ飲食業への就労も難しい気がします。
それに自分が働けば働くほど迷惑をかける環境ってツライですよ。
気疲れしやすい当事者に余計な気苦労をかける環境って微妙です。

社会に叩かれたっていいから、商売っ気を出せばいいと思います。
たとえばテレビ局のツテをたどって、番組作りの提案をするとかね。
スゴ腕の喫茶店の仕掛け人とかを入れてもらって、それで店を出す。
で、「このステキな店は就労支援のための店なんですよ」ってオチ。

制作したテレビ局も仕掛け人も、いいイメージを獲得できますよね。
さらにテレビ放送で店が紹介されれば、人が来るかもしれません。

もちろん「障碍者を食い物にして稼いでいる」という批判は受ける。
そんな批判は甘んじて受ければいいんじゃないでしょうか。
「それがどうした!」って。

たとえば、派遣会社は非正規社員を食い物にして稼いでいます。
たとえば、老人ホームは老人を食い物にして稼いでいます。
で、就労支援の組織は障碍者を食い物にして稼いでいます。
単なる言い方の問題であって、助かる人がいればいいんです。

福祉だからって、なんだか萎縮しちゃってるような気がします。
助成金を貰いつつお金を稼ぎすぎたら、何か言われそうだとか。
助成金を貰っても不利な状況で努力するんだから、いいんですよ。

「それは我々の税金だろ!」

その通りです。その税金を使って労働力を世に送り込むんですよ。
送り込めば送り込むほど、生活保護の支給比率は減るんですよ。
長い目で見たら、そっちの方がよっぽど世の中のためになります。
税金を世の中の役立てて、無駄に罪悪感なんて必要ありません。

福祉業界が貧乏くさいと、お金を持った人が近寄りづらいです。
ちゃんとビジネスになることが分かってこそ活性化するんです。
そこを勘違いしていると、いつまでたっても貧民層のままです。

たいへん生意気なことを書いています。すみません。
でも、私はこの「今の常識」のサイクルを変えたいんです。
というか、私自身「福祉」をやるつもりはないんですけど。