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2013年8月24日土曜日

再びのハケン活動について

◆巡り巡ってまたハケン生活

いろいろと遠回りをしまくって、またハケンなる仕事形態をしております。とりあえずIT系エンジニアという形です。でも、正直思うわけです。40歳でハケンってどうなんだよと。世の中ではだいぶ落ち着いてくる年齢じゃないですか。社会的責任も担っていて……と、ある程度、世の中を動かす立場に近づいているはずで……とか。

もちろん、以前、ハケンをしていた時に比べると、ずいぶんと状況は違います。妻がいて、娘がいて、そして今月には息子が生まれました。当時に比べて、背負うものはてんこ盛りです。もちろん背負うことが重荷だとか、そんなことを書くつもりはないんです。ありがたい存在です。

でもね、さすがにね、40歳になって、いいづらいですよ。「私には実現すべき夢があるんです」だなんて。「そろそろ現実的な選択をしろよ」「できるかできないかわからないことに家族を巻き込むなよ」「家族に安心な生活を提供しろよ」……と、私の内なる声もちゃんと言ってきます。いい大人ですから。

しかしね、私は思うんです。目前にある実現寸前の夢を捨てて、安定した会社員生活に逃げ込んだとして、どんなメリットがあるんだろうって。ここまで数年間の準備をしてきました。それこそいろんなことを犠牲にしてきました。年収もそうです。キャリアにしてもマニアックすぎて、企業に売り込みやすいキャリアではありません。

「メンタルの障害で困っている人がITエンジニアになる可能性を本気で目指すノウハウ」……なんてキャリア、マニアックすぎるでしょう(苦笑)。もちろん、私自身は全く無駄だなんて思っていませんし、今でもそのノウハウは磨いていきたいと思っています。たまたまメンタル疾患と診断されただけで、残りの人生を捨てるには、人生は長すぎます。

まあ、ともかく、私はハケンという仕事の形態を選んでいます。正直なところ、それまでいた福祉業界に比べると、いったい今までなんだったんだろうと思える程度の収入格差があります。だからこそ、今、夢を追えると思っています。夢を追うことで、家族にお金の心配をさせちゃいけない。(もちろんハケンだから安定性では不利なままですが。)

ただし、夢がないなら、やはりハケンなんて選んじゃいけないという考えは、今でも変わりません。ハケンはずっとできる仕事じゃないからです。それに「夢追い人」が、いつの間にか「夢老い人」になるリスクも私はイヤというほど感じています。だからこそ、私はハケン以外の時間は、ほとんど「夢」に費やしています。

この「夢」については、いつかまた、タイミングを見て書いてみたいと思います。かなり現実までの距離が近づいてきましたので。今回は「ハケン」という働き方について、もうちょっとリアルな視点、そして肯定的な視点で書いてみたいと思います。ネガティブなこともいくらでもかけますが、それではやはり前向きではありませんので。


◆ハケンという働き方のメリット

環境やタイミングにもよりますが、やはり大企業の仕事場にさくっと入れるということだと思います。なんだかんだ言っても大企業に入るためには多くの難関を越えなくてはなりません。大企業というと「歯車」というネガティブな印象を受ける人もいるかもしれませんが、このシステムも必要不可欠だなと、最近、特に思います。

私は、木材加工工場、国家公務員、第三セクター、中小企業、大企業、地方福祉NPO法人……といろいろな規模の事業場を経験してきましたが、良くも悪くも小さい法人では、「小さい世界でうまくいけばいい」という雰囲気があります。もちろん大企業でも「これが世の中のスタンダードだ」と勘違いしていることもあります。

しかし、私はどちらの経験も知っていることが重要だと思うのです。海に生きている人は「この海が世界のすべてだ」と思ってもいけないし、井戸に生きている人が「この場所が世界で一番正しいのだ」と思うのも違う。そういう意味で幅広く世界を知るために、ハケンというシステムは便利ではあります。

闇雲に仕事場を変えればいいとは思いませんが、通常、一度、大企業に入ってしまうと、よほどのことがない限り別の人生を選ぼうとは思いません。ぶっちゃけ、もったいないじゃないですか。その企業に入るために多くの時間をかけてきて、それで辞めちゃうなんて。おそらく周囲の反対を受けることも覚悟が必要です。もちろん、辞めて起業する人もいますが、それは少数派であり「よほど」のことがあったわけです。

しかし、ハケンであれば、「この仕事だっていつまでも続けていられないし」という現実もあり、一つだけのキャリアを積んでも意味がないという理由も十分にあります。つまり、大企業というノウハウの結晶の現場を移り変わりながら体験できるという意味では有利です。もちろん、そのキャリアを積極的に活かそうと思えば……という話ですが。

ところでキャリアといっても、「業務」そのものはあまり強みになりません。そうではなく、あくまでも「ノウハウ」の蓄積が強みになります。人為的ミスを減らすためにはどんな手段があるか、どんな対策をすると効率的になるのか、どんな進め方をするとスムーズにことが進むのか。そのあたりの普遍的なノウハウを蓄積することが鍵になります。


◆いろんなハケンに学ぶ

ハケンというと「業務を機械のように淡々とやる人」というイメージがあるかもしれません。少なくとも私にはありました。もちろんそういう一面もあるのですが、今、私がお世話になっているところのハケンさん(ちょっと形態は違いますが)を見ていると、非常に勉強になることが多いです。

プロパーさんの一手先を読んで、まるでコンシェルジュのように立ち回っています。面倒くさそうだなと思えるような業務、忘れているんじゃないかなと思えるような業務については、できる範囲の適切な準備をしてから進言にいきます。最初から自分でやるよりも、ある程度の準備がなされたいた方が取りかかりやすいことは間違いありません。

つまり、とりかかりの精神的ハードルを低くした上で、業務提案にいくという動きです。それでいて、越権行為にならないように十分に慎重に動いている。もしかすると、プロパーさん以上に神経を使って、クオリティの高い仕事をしているように見えます。そういう意味でいい刺激をくれるハケンさんです。

ただ、私もある程度の年齢を重ねました。昔なら、彼の仕事ぶりを完全再現できるように必死に目指していたかもしれません。もちろん、それは悪いことではありません。今でもいい部分で無理のないところは吸収しようと思っています。しかし、目標となる能力を身につけるコストを考えて、今はあまり「コピー」を必死にやらないようになりました。

いいわけのつもりではないのですが、「彼は彼の持ち味を無理なく最大限に活用して活躍している」と考えています。つまり、私には私が活用すべき資源があり、ゼロから他のコピーをするよりも、私なりに積み上げたノウハウで戦い(貢献)をすべきだと思うのです。ちなみに私の武器は「業務工程をシステム化して難易度と失敗率を下げるスキル」です。

夢を追いながら……ということではあるのですが、ハケンの仕事も非常に頭を使うやりがいのある仕事です。以前の業界にいる時はあまり言わなかったそうだったのですが、妻によると「初めて『やりがいがある』なんて聞いた」だそうです。夢も、そしてハケン仕事もおろそかにせず邁進しようと思います。

なんにせよ、刺激のある毎日というのは幸せです。

2013年6月16日日曜日

起業家に最も必要な管理とは

◆タスクよりモチベーション

デジタル文化の発達により、時間内に処理しなければならない行動の密度が凝縮されている昨今、タスク管理に関するコンテンツは増え続けています。タスクの細分化、タスクの優先順位、タスクの納期管理……さまざまなツールがあり、さまざまな運用法がありますが、それだけで解決しない課題もあります。

タスク管理の方法をどれだけ知っても、知識だけでタスク管理が機能するというわけではありません。タスク管理の最も基本的な側面は「タスクリスト」の作成です。しかし、これを作成して並べるだけでなんとかなるのかといえば、そうはなりません。「実行したい」というエネルギーが必要不可欠なのです。

多くの「タスク管理」はモチベーションが十分にあることが前提になっています。やりたくない人に無理矢理やらせても無駄が多いので、それは当然のことなのですが、同じ人でも体調の波によってモチベーションの不調はやってきます。そういう時に乗り越えるノウハウを知っておくことは重要だと思います。


◆その願望はリアルなのか

比較的「雇われ仕事」で発生するタスクのモチベーションはシンプルです。なぜならば、やらなければ必ず何らかのペナルティがあり、後で困ってしまうことになるのでやらざるを得ないのです。問題は、自分で何かのプロジェクトを推進する時などで、どの選択肢も同じ程度に実現性に乏しい気がする時です。

どのタスクをやっても大した成果が出なさそうに感じる時、脳は何かの決断や選択を拒絶するようです。「やっても無駄かも」と思えるタスクに気持ちよく着手することは案外難しいのです。もちろん悩まずに、その「やっても無駄かも」をひとつひとつ根気強く潰すのが合理的なのですが、そうもいきません。

よく、起業に関する本を読んでいると、たいていはこのフレーズがでてきます。「成功したときのイメージを心に描こう」と。結局「夢」が大切なんですか……と軽視しがちですが、エネルギーが低下してきた時、最後にモノをいうのは自分の中にある「理想」をどれくらい本気でイメージできるかに尽きます。


◆非現実イメージが邪魔をする

非現実化イメージというのは恐ろしいモノです。何かを始める時には周囲から「できるわけないさ」といわれる言葉を背にして奮起するのですが、長期戦になってきて成果が上がっていないと、無意識が「簡単にできるわけないよなあ」に変わってしまいます。信じていない目標に向かって惰性で進むだけです。

自分自身が「現実化を信じていない夢」に向かって歩き続けるのは、ただツライだけです。開業当時の自分自身の気持ちに背を向けて歩き続けられるわけがないのです。事業を動かしていく人に必要なことは、自分の計画をできるだけ多くの人に宣言することだと思います。厳しい相手ほど効果があるでしょう。

中小企業の経営者が組織するコミュニティが存在する理由が、実は私にはよく分かっていなかったのですが、最近になって価値が分かってきたような気がします。それは自分自身の心のあり方を「自分自身に監視させる」モチベーションを得るためではないでしょうか。ごまかして生きていてはいけないのです。

2013年5月26日日曜日

ネガティブの使い方

◆ネガティブ=悪?

「そんなにネガティブになっちゃだめだよ」というように、ネガティブという言葉は忌避されるイメージがあります。そもそも「なっちゃだめだよ」という言葉自体も否定形でネガティブな響きがあります。確かに話をしていて「これはダメだと思う」とか「やっても無駄だよ」という会話にはウンザリします。

ネガティブといえば、昔から伝わる言葉で「悪事千里を走る」というものがあります。つまり、ネガティブな話題は短い時間であっという間に伝達されてしまうという意味です。今のようなデジタルネットワーク時代ではなかった頃からの言葉だと考えると、ネガティブな情報のエネルギーはすごいようです。

ただ、私は「ネガティブ情報こそが人類を現在に至るまで生存させてきた重要な要素」だと思っています。たとえば次のような状況で優先すべき情報はどちらでしょうか?……「もう少し前進すると生存に必要な泉がある」という情報と、「もう少し前進すると猛毒を持った蛇の巣がある」という情報です。


◆寝ている頭をたたき起こせ

たいていの場合、人間が生きていくために必要な情報の優先度は「ポジティブ情報」よりも「ネガティブ情報」の方が高いことが普通です。「よく食べる好きな食べ物はなんですか?」よりも、アレルギー反応も含めて「避けている嫌いな食べ物はありますか?」と聞いた方が生存に関する安全性は高まります。

このように、ネガティブなイメージは生存本能に近いところに存在しているので、ポジティブなイメージよりも反応が早いことが多いのです。たとえば、「あなたの未来の夢はなんですか?」と聞くと「特にないです」と答える人が多いのですが、「今、不満はありますか?」と聞くと即答できる人は増えます。

一時期「好き」の反対語は「嫌い」ではなく「無関心」だという言葉をよく聞きましたが、「問題意識の有無」というのもこれと同じで、基本的に「不満点」と「改善点」は対をなしています。不満がなければ便利な自動車やコンピュータは生まれなかったはずです。多くの発展は不満を基盤にしています。


◆黒を白にするということ

ネガティブなところに気がつく人は、生きているだけで「なんとかしなければならないポイント」を探し出すことに長けています。不満を不満のままにするのではなく、それを「どうすれば解決するのか」というところまで追求していくことができれば、より幸せな日々を送ることができるようになるはずです。

ネガティブなポイントの中には変えることが難しいものもあります。たとえば、「苦手な相手の性格を変える」ということは不可能に近いでしょう。しかし、「何が苦手なのか」、そして「そう思うのはなぜか」と考えていき、「相手の性格の長所にはならないのか?」と、異なった解釈を導くこともできます。

そんなに改善点の宝庫になりうる「ネガティブな人」なのですが、やはり人間づきあいをする上では気をつけるべき点があります。それは「どうせ変わらないに決まっている」という思い込みを捨てることです。「どうやったら変わるのか」を考えられるようになれば、おそらく人間関係もラクになるでしょう。

2013年5月19日日曜日

ワールドカフェって何?


◆集団ブレーンストーミング

「ワールドカフェ」という言葉を聞いたことがありますか?……私が理解している範囲で説明すると、「いろんな人の考え方=客」が「いろんな話題を蓄積したテーブル=店」をハシゴしながら、アイデアを特定のベクトルに縛られずに育てていく「ブレーンストーミングの方法」というイメージです。

ワールドカフェの簡単な進め方です。

(1)開始時の気持ちや状況を各自表明する
(2)部屋全体のテーマを決める
(3)部屋に用意した複数のテーブルに4人~5人が座る
(4)テーマについて自由に話し合う
(5)15分程度で同じ人とかぶらないようテーブルを移動する
 ※ホストだけは残ります
(6)新しいテーブルでまた(4)→(5)を繰り返す
(7)1~2時間経ったら最後のチームでまとめを発表する
(8)終了時の気持ちや状況を各自表明する

このような形でワールドカフェは進んでいきます。なお、各テーブルには大きな模造紙が置いてあり、メモを書いても絵を描いてもOKです。


◆守っておくべきルール

この「ワールドカフェ」にはルールがあります。

(1)一切の否定をしないこと
(2)何も決めないこと
(3)一人だけで延々と話さないこと

私が知っているルールはこの3つですが、「ワールドカフェ」はいろいろな場所で行われていて、レギュレーションにもいろいろと派生ルールがあるようです。

このルールを守った上で「ワールドカフェ」に参加すると、次のようなメリットが得られます。「社会的に接点のない人と同じテーマについて語れる」=「自分が生きている業界での常識とは違う視点に触れられる」ということです。「常識」を疑わなくても「自動的」にいろんな気づきを得られます。

事前に各テーブルの「ホスト」を決めておき、その人は同じテーブルにとどまることになります。それはそのテーブルで話し合われたことを、他のテーブルからやってきた「新顔さん」に語り継ぐ「店主」のような役割になります。ただ、どうしてもこの「店主」の力量が議論の質に影響する要素になります。


◆ストレスになることも?

「ワールドカフェ」を上手に活用すれば、あまり苦労せず自分一人では気づけなかったような発想に出会えることもありますが、参加者に恵まれるかどうかによってはストレスフルな状況を生むことがあります。たとえば自分が賛同できないアイデアを賞賛しなくてはならない状況も生まれてきます。

また、視点や価値観が大きく違いすぎることで「テーマから逸脱している」かのように思える状況を体験することもあります。そういうストレスの多くは「否定しない」というルールが引き起こすものですが、そういう場合の解決案があります。それは「なぜ、その話をするのかを聞く」という行動です。

「私が聞きたいのはそんな話ではない!」という対決姿勢になるのではなく、「なぜその話をするのか?」「それはどういう思想から生まれた行動なのか?」を知ることは「自分自身の思考傾向」と「他者の思考傾向」の相対位置を知ることに役立ちます。見えなかった自分の「考え方のクセ」が見えます。


◆ワールドカフェの中の人に聞きました

私自身はワールドカフェそのものに直接関わったことがないので、まだまだ理解は浅い部分があります。そこで、私が思ったことをワールドカフェを企画することの多い人にぶつけてみました。

(1)ワールドカフェの場で『何も決めない』のはなぜですか?

★オープンで創造性に富んだ会話ができる場を創るためです。
→ぜひ、ほかの参加者の異なる体験や創造的な対話を楽しんでください。

(2)話題が明らかにテーマを逸脱している時はどうすればいいですか?

★なぜ、その話題を対話するのかについて、質問をするとよいでしょう。
→その人のあなたとの異なる背景を楽しむことができます。

(3)ワールドカフェに参加して得られるものはなんですか?

★いろいろな参加者の異なる体験を楽しんだり、創造的な対話を楽しむことです。
→共有したところが見いだせると、多くの共感が得られ、新たな第一歩が創造できま
す。

(4)否定をしないというルールはなぜあるのですか?

★共有化を目指すから。つまり、共有部分の探求を行うからです。
良い悪いの判断や、強い弱い、上だ下だ、競い合いを目的とするからではないからで
す。

(5)模造紙には何を書けばいいのですか?

★決まりはありません。発表するときのメモ程度でよいでしょう。
→ですから、描くことでも良いですよ。絵など。

(6)人見知りで一言目に詰まる人は最初にどうすればいいですか?

★「私は人見知りです。」と、最初に発表されると良いでしょう。
→チェックインや自己紹介のときに、最初に話してしまいましょう。

(7)ワールドカフェが終わった後の効果的な活用例はあるのですか?

★気づきを有効活用していただきたいなと思います。
→自分では気づき得ない新しい気づきを持ち帰ってください。
→そして、新しい未来を創造してください。

(8)ずばりワールドカフェに参加することによる効能はなんですか?
★いろいろな参加者の異なる体験や創造的な対話が楽しめることです。
→そして、自分では気づき得ない新しい気づきが得られるところです。


さて、ワールドカフェにご興味を持った方はぜひ体験してみましょう。ちょっと違和感があるかも知れませんが、新しい発想は新しい刺激からやってくるのです。

2013年5月12日日曜日

すぐにタスクやりたい病

◆いつやるの?……今でしょ!

何かのタスクをこなしているとき、突如として「ひらめき」が降りてくることがあります。もう、それまでやっていたタスクに比べれば超新星のように光り輝いて、一刻も早く着手しなければ「人生の時間の損失」と思えるほどの魅力です。これ、いつやるんですか!?……と聞かれたらどう答えるべきですか?

さあ、ご一緒に。「今でしょ!」……と。そう、「今」というキーワードはものすごく説得力があります。「過去よりも今」を大事にすべきだし、「未来に繋がっているのが今」だと考えると、うかうかしていられない気分になります。今を無駄にするか有益なモノにするか……それは今の決断次第なのです。

考えれば考えるほど、ものすごい勢いで「やらなくちゃ」という気持ちが高ぶってきます。まるで神様からの啓示を受け取ったかのように、頭の中は使命感でいっぱいです。「なぜこれをやらずにいられようか!」という状況になっているかもしれません。でも、ちょっと落ち着いて待ってみてください。

◆鉄は熱いうちに打たないと

「いやいやいやいや、何を言っているんだ。今、落ち着いて待ってしまったら、今の熱い思いが冷めてしまうじゃないか!」と言いたくなっていることでしょう。その気持ちはよく分かります。人は経過時間とともにやりたいことが変わっていきます。気分が冷めてしまって結果的にできない経験もあります。

実はそこにこそ大きな問題が潜んでいるのです。人間が合理的判断をする上で陥ってしまうのが「最も優先度の高いところから始めよう!」と思うことです。「優先度の高い仕事」をやるのに反論の余地はないでしょう。しかし、問題はこういう心理状態では優先度全体が見えていなくなっていることです。

すぐにやらないといけないタスクのことを「ホットリスト」なんて呼ぶことがあります。さてここで問題です。焼きたてのパンとしばらく置いておいたパンはどちらが熱いでしょうか?……決まり切っていますよね。焼きたてのパンの方が熱いのです。そして「タスクも新しいモノこそ熱い」と思いがちです。

◆タスクの賞味期限を考える

すぐにやらないといけないと思う「危機感」には理由があります。ひとつめは「すぐにやらないと忘れてしまう」という理由で、ふたつめは「やりたいと思う気持ちがしぼんでしまう」ということです。物事は忘れてしまったら実行不可能ですし、また、気持ちが乗らなくなっても進めることが難しいのです。

ひとつめの問題を解決する方法として、「思いついた瞬間にメモを取っておく」という手段があります。そしてこの方法を使うと忘れにくいことも簡単に分かります。それでも焦る理由は「放っておいたらやる気がなくなってしまう」ということです。潜在的にはこちらの理由の方が大きいはずなのです。

しかし、重要だと思えるタスクがたくさんある中で「時間をおいたら重要性が落ちる」タスクを最優先させるべきでしょうか。おそらく違います。逆に「時間をおいても重要性が変わらなかった」タスクを優先すべきです。つまり新鮮なタスクほど時間をおく必要性があるのです。ちゃんと見極めるために。

2013年5月9日木曜日

私の永遠の敵「調査タスク」


◆「調査」がタスクをせき止める

私はタスク管理にExcelベースのマクロアプリで「TaskChute2」を利用しています。このツールの使い方としてユニークだと思うのが、「タスクを定型化する」という考え方です。そして、その定型化ができるまではひたすら「実行タスクを記録する」ことが推奨されています。

これは「二度あることは三度ある」的な発想で、一度行った行動をテンプレート化することになるので、タスクを記録して適切なレビューを実施すれば効率化が加速するというわけです。しかし、実際にこれを業務で実践しようとすると、なかなかうまくいかない部分もでてきます。

特に「調査しないと前に進めない」というタスクが多いと、タスクの管理と実行が鈍くなりやすい傾向があるように思います。たとえば何かを便利にする仕組みを開発しようとすると、その仕組みの機能要素が実際に実現可能なのかどうかを確認する必要があります。

【参考例1】Aの機能が実現できるかどうかを調べてみた
 (1) Aの機能を実現させることは可能
  (2) ただし、Aの機能を使うためにはBとCの環境準備が必要

【参考例2】Aの機能が実現できた場合に必要となるタスクを事前検討した
 (3) Aの機能が実現したときに事前に考慮しておくことのリストを作っておく
  (4) Aの機能を実現するための仕組みの中で選択肢が定義済みだった

この参考例だけでもタスク見積もりの難しさがいくつか見えてきます。


◆タスクが現れたり消滅したり

(1)先ほどの参考例のひとつめの壁は、Aの機能を実現させる方法のバリエーションを調べるコストです。特に前例があまりないような仕組みを作ろうとした場合、調査しようとしてもネタそのものの母数が著しく少ない可能性があります。ネタが著しく少ない場合、それを探し当てるだけでも予測時間を越えてしまうでしょう。

この「実際に調べてみるまで分からない」という不確定要素がタスクの根本にある場合、全体のスケジュールを大きく揺るがすことになります。

(2)運良くいくつかのネタが見つかった場合でも、そこから細かく派生する調査タスクが生まれることがあります。先ほどの場合では、Aの機能を実現させるためにBとCという前提条件を調査する必要が発生しています。場合によってはこれ以上出ることもありますし、Aの選択肢が複数ある場合はさらに広がる可能性があります。

こういう「開けてみたらすごいことになっていた」というケースもよく遭遇します。この派生タスクには費用調査もセットでつくことがあります。

(3)実際にどのような仕組みを使ってAの機能を実現するか分かっていない状態の中でも、それなりに思いつける内容はあって、プランニングの時点でできるだけ「リストアップ」なり「洗い出し」なりをしたくなるわけですが、経験が少ない領域であればあるほどフリーハンドで絵を描くが如くリストがふくれあがることもあります。

たいていの場合、要件定義を細かくすればするほど、現実と理想がかけ離れていた時の時間的コストがふくれあがってきます。

(4)そして残念なことに「具体的な選択肢」を見つけた時点で、せっかく(3)でいろいろ考えたリストアップが無駄になってしまうこともあります。基本的にプランニング時点で道筋をクリアにできることが好ましいのですが、こういうことはよく発生しがちだと思います。

もちろん最初から(4)の事実が分かっていれば無駄なリストアップのタスクは不要だったわけですが、まぁ、覆水は盆に返ってきません。

私は基本的に「プランニングでなんとかしたい派」なのですが、こういうことがあると「実際に走ってみないと何も始まらないよね派」に同意せざるを得なくなってしまいます。

しかし、ここで愚痴を言っていても仕方がありません。私なりにこの問題の解決方法を考えてみました。もちろん他にもいいノウハウがあるかもしれませんが、まずは私が考えた方法をまとめておきたいと思います。実はまだ検証していないアイデアもあるので「机上の空論」なのですが、私は記憶力に不安があります。

霞のように消えてしまう前にここに書き残しておこうと思います。実際に試してみてどうだったこうだった……というノウハウをお持ちの方、コメントをお待ちしております。


◆小刻みな記録と確認

「Taskchute2」でタスク管理を行う場合、本質的に「はじめての案件」は「タスク記録」が大前提になります。私はこういう場合、記録するタスク名として「Aの機能の調査(120分)」と大雑把に書いてしまいがちです。そして最悪なことに、他の割込みタスクに身体と頭を持って行かれた後に、しれっと「Aの機能の調査(120分)」というタスク名を追加してしまうことがあります。

でもこの方法だと後からレビューしたときに何の役にも立たないことに愕然とします。結果として「Aの調査のタスクには480分かかったんだなあ」という事実を知ることはできますが、一体、どういう経緯でそのようになってしまったのか……というトラッキング(追跡調査)ができないのです。

そして新しい調査案件が発生するたびに、同じように不幸な「使途不明タスク」や「見積もり不能タスク」が生まれてしまいます。大雑把なタスク記録は「ああ、調査って大変なんだな」とか「ああ、調査タスクって見積もりできないんだな」という悲しい後ろ向きの経験知に直面します。

そこで試してみたいのが、「細分化記録」です。これ、「Taskchute2」の紹介記事などでスマートに「プランニングして、あとはタスクを淡々と実行!」とか「『思考』と『実行』を分けるとこんなに快適!」というハッピーストーリーを知っていると、すんごくストレスがかかります。

具体的には「Aの機能の調査」というタスク名を複製していって、タスク名に情報追加をしていくんです。「Aの機能の調査→前提環境(30分)」とか「Aの機能の調査→プラグイン調査→費用(15分)」とか。ただ、海外の技術の場合、たまに「どこの国だよ?」というサイトに行き着いて途方に暮れることもあります。

ただ、きっちりと記録することができれば、自分の調査の「パターン」というか「クセ」が分かるかもしれません。全体的に「どーでもいい領域の調査」に時間をかけているかもしれません。なので記録をしっかり残して、かつ、きっちりと「レビュー」という名の反省会をやっておけば、パターン解析によって調査行動の無駄が減るかも知れません。


◆小さめのマイルストーン設定

先ほどの方法、実は本当にやろうと試みたことはあるのですが、納期が迫っていたり他のタスクとの兼ね合いで、結局「仕方ない、どんぶり勘定でタスク名を付けておくか」となってしまい、最後までできた試しがありません。ひとつ疑問が湧くたびに調査タスクを追加することは想像以上にストレスフルです。タスク管理ができていない自分に対するストレスなんでしょうけれど。

特に派生した調査アイテムリストが10項目を越えてしまうと、一気にモチベーションが下がります。たいてい、そういう時はリストを全部出し切ったわけではなく、リストが増加傾向の過程にあることも珍しくありません。そこで二つ目の方法です。あんまりスッキリしないといえばそうなのですが、こちらはやや現実的です。

それは、タスクの目標を「小さなマイルストーン」に区切っていくというやり方です。たいていのタスクには「相談する」というフェーズがあります。企業組織で働いている場合は上司がいますし、独立起業している場合は仕事のパートナーがいます。それが場合によってはお客様であることもあります。

「ここで○○を調査しようとすると、スケジュールがこれくらい押しそうです」という相談ができるのなら、そういう小さいマイルストーンごとに確認していくのがいいのかも知れません。もちろん、ここにも落とし穴があって、「いつまでたってもズルズルと先に進めない」とか「調査の深みにはまっていく」とか、挙げ句の果てには「見当違い」だったりするリスクもあります。

また、「あんたらはプロなんだから、わたしらに相談するんじゃなくて、自分で解決してください!」と言われることもあるでしょう。このあたり、どちらの選択肢にもツライ局面があるといえばあります。上司の場合でもそうですね。「ったく、なんだよ、いちいちいちいち、そんなこと自分で考えろよな……」という表情に遭遇するかもしれません。

ま、でも、ひとりでいろんな判断を抱え込みすぎて、スケジュール的に致命的で取り返しのつかない事態に直面するよりは、小刻みにアラートを出していく方がプロジェクトの安定性は上がると思います。自分の評価が下がりそうだという不安はあるかもしれませんが、まあ、そこは実際に甘受するしかないのかもしれません。自分の未熟を恥じるしかありません。


◆「やるか」「やらないか」を時間で切る

自分自身の裁量でプロジェクトを進行させている場合、最初に「閾値(しきいち:物事を判断するための指標)」を決めておくというのも重要なポイントかもしれません。たとえば「○○の実現方法をリストアップする1(30分)」、「○○の実現方法をリストアップする2(30分)」、「○○の実現方法をリストアップする3(30分)」というタスクを先に「Taskchute2」に放り込んでおいて、その決めておいたスロット以上は使わないと決めておくんです。

最良の場合、90分以内に3つの具体案が3つのスロットに収まっているはずです。この場合、ひとつのスロットにかけていい時間は30分だけです。30分を越えそうになった時には、「Taskchute2」のコメント欄に参照先URLを貼って「次いってみよう!」と、強制的に進んでしまうわけです。実際にやってみるとおそらくスッキリしないに決まっているのだけど、利用できる時間が決まっている場合、こうするしかないのかなと思います。

今回の参考例の場合、「Aの機能を実現するために……」しか書いていませんが、実際に仕組みを作ろうとした場合、きっとそれ以外の要件定義が複数あるはずです。細かいところを「未解決」にしたまま進むのは気持ちが悪いし、そもそも達成感が満たされないかもしれませんが、すくなくとも「それぞれの要件定義」にかかる「調査コスト」がざっくりと分かるはずです。そして、まずは「調査コストが分かる」ということが正しいのかも知れません。

すると、「調査コスト」と「機能の重要性」のバランスを踏まえた上で「本当にこの機能は時間とリスクをかけてまで必要なものなのだろうか?」という本質的な判断ができるかも知れません。たまに見かけるのは「見かけ上だけのどうでもいい機能」が「もうちょっとでできそうだから」という理由で「作業時間がズルズルと伸びていく」という現象です。これはどうにも悲劇ですが、開発現場で冷静さを失うと陥りがちなトラップです。開発の最前線にいないマネージャの立場はとても大切です。

ちなみに、全部の「調査コスト」がまんべんなく高コストだとしたならば、そもそもその仕組みを開発するスキルや技術が「致命的にない」ということかもしれません。そういう場合は悔しいことですが、勇気を持ってその企画から撤退する選択を迫られるかもしれません。予算が潤沢にあれば足踏みをしていてもかまわないのですが、そうでない場合、じりじりとクライシスに向かって行進している可能性が高いからです。


◆「結局何もやっていない」というリスクも

時間で実行判断をするというのは一見したところ効率的です。しかし、この方法にもリスクがあって「早めの損切りができる」代わりに「結果的にすぐにあきらめて何もやれていない」という結果に陥るリスクもあります。しかし、「リミットとする時間設定」が適切であればそこそこ正しい結果を導けそうな気がしています。ただ、この「リミットとする時間設定」を長くしすぎてしまうと、ダラダラしてしまうリスクもあって難しいところです。

さて、あらためて今回の【参考例】の最適解を妄想してみると、

「Aの機能を実現する方法をリストアップする1(30)」
「Aの機能を実現する方法をリストアップする2(30)」
「Aの機能を実現する方法をリストアップする3(30)」
「Aの機能を実現性と重要性について検討する(30)」
「Aの機能を使うための基礎研究(30)」

というタスクスロットを作る方法がいいのかも知れません。でも、これまた所詮「机上の空論」なので、実際には「Aの機能を使うための基礎研究」タスクがうだうだと増殖してしまう可能性もあります。このあたり、腕のいいプロジェクトマネージャが「リスクのある未知の技術」に挑む場合はどのようにプランニング保全をしているのでしょうか?……とても気になります。

まぁ、もっとも、「未知の技術」という時点で「開発」というよりも「研究」というカテゴリで考えるべきなのかも知れません。「iPS細胞」を使った新しい治療方法も「○○までに実現させます」ではなく「○○までに実用化を目指す」的な感じですから。

ちなみに、今回の【参考例】を「仕組み開発」にしちゃったので、たとえが適切ではなかったような気がしますが、私が書きたいことはあくまでも一般的なタスク管理のことです。

「技術力が低いヤツが自分のスキルを越えたことをやろうとしていること自体が間違っている」とかというお話をいただいても、ちょっとアレなんですが、私のタスク管理に対する葛藤とそれに対する解決策がちょっとでも伝わって、しかもそれが誰かにとって有益な情報になってくれたら嬉しいです。

2013年4月28日日曜日

Taskchute2で時間を捕まえる

◆Taskchute友の会に参加しました

本当は「ワールドカフェに参加してみよう」という内容で書いてみようと思ったのですが、私にとっては衝撃的というか、とてもインパクトのあるイベントに参加できたので、今回はそれについて書いてみたいと思います。「ワールドカフェ」についてはまた後日。

4月28日(日)、私は「Taskchute友の会」というイベントに参加しました。場所は小岩駅周辺のコミュニティセンターで、参加人数17名でした。その前に、Taskchuteというのは、タスク管理についてひとかたならぬ思い入れと情熱で研究してきた第一人者の大橋悦夫さんが開発したExcelマクロの名前です。

現在、このTaskchuteは無料でサイトからダウンロードして利用することができます。私が使っているのはTaskchute2というもので、これは有料です。オススメなのはしばらく無料版を使ってみて、それで気に入ったらTaskchute2を購入して使ってみるといいでしょう。

無料版も有料版も、「使った時間を記録すること」が基本になります。最終的には「タスクの時間を正確に見積もる」というところにまで踏み込むのですが、使い始めの頃は「ひたすら記録する」という行動をすることになります。正直なところ最初からうまく見積もれません。

なぜなら、「過去の実績に基づく見積もり」ができていないと、予想図ばかり書いてしまってしまい、どうせ守れない見積もりになってしまうからです。守れない見積もりほどモチベーションを下げるものはありません。まして「守れない」ことが常態化すると日々の進歩に悪影響を及ぼします。

というところで、時間を効率的に使いたいと願っている人にとって、「知らない人はモグリ」と言っても過言ではないツールです。なぜなら、そのあたりのことをGoogleなりで調べると必ずでてくるんですよ。Taskchuteというやつが。

今でこそTaskchute無料版が公開されていますが、一昔前は、有料のみの限定公開だったこともあり、Taskchuteは秘密のベールの向こう側にありました。私のように疑り深い人間としては、「よく分かりもしないのにお金なんて払えるか!」なんて思っていました。


◆もともとTaskchuteには否定的な人でした

さらにいえば、Excelのマクロなわけですよ。マクロ。Excelがなきゃ使えないマクロ。もうね、どれだけ手を抜いているんだと。ちゃんと売り物にするんだったら、フルスクラッチでコード書いてくださいよ。アプリケーションにしてくださいよ……とか思ってました。ええ、間違いでした。その理由はまた後ほど。

それでもって、繰り返しになりますけど、プラットフォームがExcelなんですよ。このWebアプリ全盛、クラウド万歳なご時世の中でExcel。クラウドの良さってのはネットに繋がってさえいれば、端末を選ばず、それこそ場所も選ばずに使えるんです。それがExcelですよ。使おうとすると必然的に場所に縛られちゃうわけです。

こんなに縛りがあって有料とかありえんだろう……と思ってました。もともと、私はTaskchuteを知る前から、いろいろとタスク管理のあり方について模索していたり、IT系のエンジニアをしていたことから、自分自身をラクにするためのWebアプリをちょいちょい作ったりしていたので、「よし、じゃあ、自分で作ってしまおう」と思っていました。

しかし、見事なほどの「言い訳」なんですけど断念しました。

 (1) まずタスクアプリを作っている時間が捻出できない
 (2a) Webでサクサク動くイメージが湧かない(読み込みとか更新とか)
 (2b) 急にLANに繋がらなくなったらどうする(タスク閲覧すらできません)
 (2c) Androidアプリを組んでデータを同期するとしてデータが衝突したら?

……いろいろと考えてみると面倒くさいことだらけなのです。本気で商売しようと思わない限り、とてもじゃないけど開発なんてできません。しかも、こんなマニアックな仕組みがどれくらい売れるんでしょうかという話もあります。自分にとって最適なモノが作れたとしても、そこにかかる時間的コストのリスクがありすぎるんです。

で、悔しいけど、一度使ってみたんです。Taskchute無料版を。


◆「ああ、使いやすいじゃないか」

誘惑に負けて初めてTaskchuteを使ったときの衝撃は忘れられません。Excelで実装したというのはまったく無駄のない戦略でした。そもそもExcelというのはMicrosoftの優秀なエンジニアが知恵を寄せ合って作り上げた「完成品」です。そのプラットフォームの上で軽快に動かすことができるのに、Excelと同じ仕組みを最初から作るなんて「車輪の再開発」です。

さらにいえば、もともと大橋さんは「売るために作った」わけじゃないんだと思うんですね。「自分自身が便利に効率的に動けるようになるために」……というアプローチだったのだろうなと。そこがスタート地点だった場合、あえて最初から全部のパーツを作っていこうだなんて、忙しい人は考えないような気がします。

それから、クラウドについても「必要ないんじゃないか?」という結論にたどり着きました。クラウドって確かに便利です。……けど、その実装はけっこう面倒くさいんです。というのが、ネット環境に繋がらなくなったことを考えなければいけなくて、それを考えていないとネットが使えなくなった時点で全てが破綻するんです。

たとえば「圏外」なんてのもそうですし、モバイルWifiルータの電池切れでも同じことが起こります。そういう場合に、ローカル側のアプリにデータを持たせておいて、再度、ネットに接続したときに同期させる……という方法もメジャーな対応策ですが、場合によって端末ごとのデータが入り乱れることも予想されます。(いわゆる衝突)

そういうところまで考えると、なんだかとても面倒くさい。まぁ、できないことはないのだろうけど、仕様を考えるだけで面倒くさい。そういうループの中でクラウド版+Androidネイティブアプリの自作をやめました。だって、根本的には「タスク管理アプリを作る」よりも、「他のやりたいこと」が主役なわけで、そこにコストかけるのってどうなのよと。

というかね、私の仕事のほとんどはデスクワークなわけです。ほとんどがPCの前で仕事をすることばかり。たまに外に出かけますけど一ヶ月に数える程度です。つまり、必死でクラウド版+Androidアプリの仕様を考えたとして、そして、苦労して作り上げたとして、その恩恵にあずかれることはほとんどないんです。いつもExcelが使える環境で仕事をしている。あー、ばかばかしい。


◆Taskchute2の6300円って高くね?

有料ということの妥当性についてですが、Taskchute無料版を使った時点で妥当性はよく分かりました。正直、当初は「Excelマクロに6300円って、高くねーか?」と思っていたんですが、これは正直言って「安い」です。だって「マクロ」そのものの値段ではなくて「ノウハウ」への対価なんです。それにマクロへの対価だったとしても、なおさら「安い」のです。

たとえば、時給が3000円だったとして、Taskchute2と同じような機能が2時間ちょっとで完成できますか?……と聞かれたら、正直なところ無理です。時給2000円だったとして3時間ちょっとで……これも無理です。思い切って時給1000円だとして、6時間ちょっとで……いえいえ、そこまで時間をかけるなら買ってしまった方がいいです。

ええと、見栄を張って6時間とか書いちゃってますが、正直、6日かかっても無理でしょう。6ヶ月でも難しいかもしれない。そこはなぜなのかといえば、Taskchute自体が数年という「ウィスキーにも負けないほどの熟成期間」をかけて生まれているからです。私は負けず嫌いな性格ですが、素晴らしいモノについては素直に賞賛するしかないのです。

実際のところ、使い続けていると細かい挙動として「ラクができる」配慮がいくつもされています。ぱっと見で思いついたのではなく、何回も使い続けて、何度も繰り返されるパターンを見つけて、それを補う機能を地道に追加していって、そこから何回も使い続けて……という工夫が随所に見られます。つまり、「王選手のスイングのマネはできても、ホームランは量産できない」ということです。

Taskchute2には、練り上げられたシステム、練り上げられた効率性……それだけでは語り尽くせない何かがあると思っています。それは「練り上げられた時間哲学」とでもいうものでしょうか。おそらく、Taskchute2を越える何かを作ろうとするなら、少なくともそれができるまでのプランニングはTaskchute2を使ってやるのがいいんでしょう。笑い話みたいだけど。

いずれ、Taskchute2のプラットフォームでもあるExcelが盤石でなくなったとき、そして、本家がクラウド版を作らなくては……なんて動きになった時には、ぜひともそのプロジェクトに参加したいと思いますが、正直、今のところはTaskchute2で何も不満はないので、当面はこのまんま使っていくような気がします。


◆流れゆく時間を遊ばせないこと

Taskchute2を使っていると、「ああ、もう、こんな時間か……一体、今日、何に時間をかけたんだか思い出せないけど、とりあえず忙しかったなー!」なんてことがなくなります。もちろん、今でも、「今日はあっというまに一日が終わったけど、なにに時間を使っちゃったんだろう?」と思うことはあります。しかし、Taskchute2に目をやると、疲れ切った私の脳みその代わりに答えてくれます。

あと、「正直ベース」で記録を付けていくと集中力の低下まで分かるようになります。私の場合、疲れていたりすると、小刻みに休憩の頻度が増加していきます。しかもけっして「小刻みではない」休憩の頻度が上がります。その時の状況を分析して、それと同じ状況が発生してしまったときには、思い切って気分転換をした方がトータルコストが下がるという判断もできます。

それから「できること」と「できないこと」がハッキリするようになります。気持ちが充実している朝なんかは、「あれもこれも今日中に終わらせてしまおう」なんて思いがちなのですが、残念なことに時間には限りがあります。Taskchute2を使っていても、その傾向が見えるのですが、実績分析が甘いときほど、見積もり時間を少なくしてタスクを詰め込もうとしたりしてしまいます。

それから、Taskchute2にあってTaskchute1にない機能として、数日間を通した長期時間予約表が見られるのですが、この機能の存在は大きいです。人間というのは自分に甘くなる生き物のようで、「なんだかんだ言ってもあと30日あるからね」と、ざっくり残り日数をカウントして「永遠に続きそうな小学生の夏休み」と同じ幻想を抱いてしまうのです。

しかし、ちゃんと予定タスクを組み込んだTaskchute2の長期時間予約表を覗いてみると、思ったよりも時間的余裕がないことに気づきます。定例タスクは光熱費や家賃のごとく固定費となって決まった時間を削り取っていきますし、臨時で設定されてしまった会議や面談の時間はより大きい単位で消費されていってしまいます。

すると、実際に使える時間はずっと少ないことに気づきます。正直なところ、私は社会人になってからも、何度「夏休み最終日ののび太くん」を体験したか分かりません。それは「幻想の持ち時間」と「現実の残り時間」をごっちゃにしてしまったから起きた現象だと思います。「徹夜をすればなんとかなる」だなんて見当外れなファンタジーです。


◆今日の友の会で得られた気づき

そんなわけで、活用すると世界が変わる(かもしれない)Taskchute2ですが、本日の友の会ではいろんな気づきがありました。自分自身の発言もありますが、それ自体が友の会が刺激になって言葉になって出てきた感があります。

(1) 先送りってどうしてる?

私の場合は、格好悪くても先送り機能を使って、「■■■ほげほげの仕様を検討する」のように、先送りマークを増やしています。これは自分自身の危機感を煽りたいという意図があるのと、先送りマーク「■」が5回を越えたときに、「着手できない理由」や「本当に必要なタスクなのか?」という要検討案件として見える化したいからです。

これに対して大橋さんのコメントはシンプルでした。「とりあえず1分でもやってみる」ということ。まずは着手したという足跡を付けるということが重要だということです。私の場合、先送りマーク「■」が一定値を越えたところで、タスク名の後ろに「着手する」という言葉を入れることがあります。たとえば、「■■■ほげほげの仕様検討に着手する」とか。

営業テクニックで「フット・イン・ザ・ドア」という話をよく聞いたことがありましたが、これはタスク攻略においても有効なようです。ただ私の実例を思い返してみると、タスクの先送りを何度かしてから「着手」……という対策は後手に回っているような印象をぬぐい去れません。これからは「1分でもやってみる」を心がけてみようかと思います。

そもそも「着手」自体を先延ばしする意味がありません。ちょっとでも「着手」したらゴールなんですから。そうだそうだ。これからは「1分でも着手」にしてみよう。

(2) 外出中のタスク転記ってどうしてる?

私はほとんど外出しないので必要ないのですが、外出するとポイントポイントでTogglで記録して、後からTaskchute2に転記するのですが、これがたまってくると着手のハードルが高くなりそうですよね。これに対して、そうだよなあ……と思ったのが、「外出時間も仕事なので、『外出仕事』というくくりでざっくりと認識する」という意見でした。

私がたまの営業に出かけなくてはいけない時には、訪問開始と訪問終了時間だけをTogglで記録します。その間は特に遊んだりコーヒーを飲んだり……ということはしない人なので(真面目なのではなくて、お小遣いが少ないのと面倒くさがりというだけですw)、必然的に残りの時間は移動時間になります。

ちなみにTogglの小ネタ(?)ですが、過去に一回でも登録があると履歴表示されますので、事前にありそうなタスクを0分で登録しておくと便利です。「ido_移動」、「hst_訪問開始」、「hed_訪問終了」のようなタスクを入れておくと、スマホ入力の時も最初の数文字を入れるだけで候補選択で入力補完されるので便利です。

ちなみに私個人としては、「Place Me」というAndroidアプリを知れたのが収穫でした。……と、いっても、友の会が終わってから、事務所に移動してそこからずっと仕事をしていたので、ほとんど移動していないので実際の評価は今のところ謎です(笑)。Google Latitudeと同じガッカリ曲線を辿ることになるのかどうか……使ってみようと思います。

(3) 脱線しがちな状況をどうすればいい?

脱線の理由にはいろいろありますが、タスク割込みを防ぐ手段として大橋さんが興味深い解決策をコメントしていました。「朝早く仕事を始めることです」ということですが、確かに朝は誰からの電話も入りませんし、メールにしても読む時間を「いわゆる営業時間」まで遅らせておけばペースを乱されることもありません。

さらに、Webページを読み言ってしまうリスクについてですが、「意外とWebページにうつつを抜かしてしまうのって夕方以降だったり、疲れた頃だったりしません?」というコメントもあり、実際にその通りだなあと。朝、これから始まるって時に、いきなりWebページにうつつを抜かすっていうのは、不思議と少ないですよね。時間がもったいないというか。エクスキューズがないというか。

あと、通常時間の脱線で一番多いのが「誰かから声をかけられる」ということですが、これについても興味深い解決策が検討されました。大橋さん曰く「声をかけてきた人の顔写真を撮っちゃえば?」という大胆な意見。ケンカになると時間がもったいないので、さすがにそれはできませんが(苦笑)、代わりに紙に人の名前を書いておくのはありですね。

笑い話としては、「話しかけるたびにタイムカードを押してもらっては?」とか「持ち時間を設定して超過分は何かでお支払いいただいては?」という意見がありました。どれも真顔で実行できる作戦ではありませんが、確かに誰にどれくらい時間を使ったかという情報は重要で、頻繁に繰り返される割込みパターンには、それ自体にタスク改善の余地があると考えていいでしょう。

長くなってしまいましたが、Taskchute2って、本当に人生の時間の使い道を意識させてもらえるので超オススメですよ!……というのと、Taskchute友の会、かなり刺激になりますヨ……ということで、いつもの倍以上に長くなってしまった本日のエントリを終わろうと思います。

ところで、ありがたいことに、大橋さんご本人から著書をいただいてしまいました。厚かましくもサインまでしてもらっちゃって。最近、凹むことの多かった日々でしたが、一気に持ち直してきた感があります。ぐぐっと気合いを入れてなんとかがんばっていけそうです!

『「いつかやりたいこと」を「今からやること」に変換するスマホ時代のタスク管理「超」入門』です。

そろそろ帰宅しようかと思っているので、超読みます!……感謝!
えっと、ホントにこれで本日のエントリを終わります。

2013年4月20日土曜日

フラッグとビルドの何が違うの?

◆お問い合わせがあったようなので……

私は、現在のところ、障害者就労移行支援事業所の「ビルド」と「フラッグ」の2ヶ所で「即戦力ITコース」という講座を担当しています。私の中ではどちらがどちら……という区別をしていなかったので、特に気にしていなかったのですが、このブログを読んでくれていた方からお電話でお問い合わせをいただいたそうなので、ちょっと書いてみようかと思います。

【質問】 まつしたの『即戦力ITコース』はフラッグとビルドで何が違うの?

では、お答えします。
……と、その前に、わざわざお問い合わせをくれた方、本当にありがとうございます!

さて、この「フラッグ」と「ビルド」というのは、同じNPO法人の下で運営されている就労移行支援事業所です。ひらたく説明してしまうと、次のような違いがあります。

 ■障害者就職サポートセンター「ビルド」
  →最寄り駅:(京成線)国府台
  ・メンタルでお困りの方の全般が対象
  ・年齢制限は特になし

 ■ユースキャリアセンター「フラッグ」
   →最寄り駅:JR市川・(京成線)市川真間
  ・特に発達障害でお困りの方が対象
  ・35歳以下の方を対象

つまり、どちらの「即戦力ITコース」がいいのですか?……というご質問の前に、どちらに入られますか?……という話が先になるんですね。

ちなみに、2013年4月現在において、まつしたが常駐しているのは「フラッグ」です。


◆選ぶことができる場合にはどちらがいいの?

「ビルド」でも「フラッグ」、いずれも私が担当している「即戦力ITコース」でやっていること自体はあまり変わりません。基本的には「自己解決力を身につけて、自分一人で困らないためのスキルを身につけていく」という体験をもとに、新しいことにチャレンジしていただきます。

しかし細かいことを書くと、やはり変わってきます。それは私が常駐している「フラッグ」の方が、お会いできる回数が必然的に増えると言うことです。つまり、ちょっとしたことを聞きたいときに、どちらがチャンスが多いかと言えば圧倒的に「フラッグ」の方がラクかもしれません。

「ビルド」の方は1週間に2時間だけ出向いて講座を開いているので、少なくとも「即戦力ITコース」関連においてはそれほど手厚くフォローできませんが、「フラッグ」であればちょくちょくと相談に乗ることができると思います。もっとも、「自己解決力」が活用できていれば、どちらでもそれほど困らないのですけどね。

それから「即戦力ITコース」以外の特典(?)として、「フラッグ」では、まつしたが独自に開発した「松下式タッチタイピング」を毎日午後に受講することができます。これは、飽きっぽくて、不器用で、スキル習得が苦手なまつしたが、もともと「自分自身のために」開発したタッチタイピング習得法です。

このタッチタイピング練習法の講座は、まつした以外のスタッフに担当していただいているのですが、早ければ2週間程度で効果がでてくるということで、ひそかに人気があるようです。というよりも、もともとは「自分用」だったので、「他の人の役にたつかなあ?」と思っていたくらいだったのですが、思いのほか効果が高かったので教材化しました。


◆そもそも「即戦力ITコース」ってなによ?

ここまできて、このタイミングで聞きますか?……っていう感じですが(苦笑)、簡単に説明します。

【即戦力】
 →いわゆる「自己解決力」を身につけていただきましょう

【IT】
 →(1) ITを便利に使って自分自身の苦手を補ってしまいましょう
 →(2) 興味があればIT業界へのキャリアを目指してしまいましょう

単語で分割して説明すると、だいたいこんな感じです。

「即戦力」っていうと「入社した途端に仕事がバリバリできて……」なんてイメージをよく聞くのですが、たいていの場合、そんなことはありえません。そんなの幻想です、妄想です、ファンタジーです(笑)。そもそも「バリバリ」というのは具体的に「何ができている」ってことなのでしょう?

どれだけ知識を持っていようと、スキルを持っていようと、入社して最初の数ヶ月は環境に慣れるだけでいっぱいいっぱいです。コピー機の使い方のルールやら、交通費の精算方法、仕事の流れと暗黙のルール、○○に詳しいのは誰なのか?……など、新しい環境で新たに知らなくてはならないことが満載です。

その中で、どうしても分からないことは新しく入った会社のスタッフに聞くしかないのですが、「わからないこと」には二種類あるんです。ひとつは「一般的なこと」そして、のこりが「その会社のローカルルール」です。ローカルルールはそこの人に聞くしかありません。

会社に入ると、「なんでも分からないことは聞いてくださいね」なんて言われますが、「一般的なこと」ばかり質問していると、だんだん「お互いにつらく」なってきてしまいます。聞かれる方はどんどん仕事の時間がなくなっていきます。聞く方も迷惑をかけているような気がしてきて聞きづらくなります。

基本的に会社組織というのは「人が増えた直後は効率が低下する」のです。新人に仕事を伝えるという仕事そのものが時間を圧迫するのです。つまり、「入社すると、その直後は必ず既存のスタッフに迷惑をかける」ということですね。

「しらないこと」には「一般的なこと」と「ローカルルール」のふたつがあるのですが、そのうちで「一般的なこと」くらいは自分で解決しましょうというのが、私が伝えている「自己解決力」というものです。「戦力になるということ」は「それまでの職員をしあわせにすること」です。

つまり、入社直後に「自分で解決できそうなことは解決を試みる」という姿勢そのものが、自分自身の「お荷物感」を軽減することに繋がります。あくまでも相対的なものですが、「手間のかからない新入社員」はそうでない人に比べて「即戦力」であると言えます。


◆別に「IT」を目指さなきゃいけないわけじゃない

次に「IT」についてですが、私の講座に出たからと言って「IT業界にいかなければいけない」というわけではありません。むしろ、「IT業界にいかなければいけない」と構えてしまう人には、あまりその業界は向いていません。どちらかというと「好きだから行く」という方がいいと思います。

じゃあ、なんなのかということですが、まずは「ITを味方にする」ということに尽きると思います。たとえば、私は記憶力がそれほど高くありませんが、そういう類のモノはITサービスを使って、自分の代わりに多くの記憶を委ねています。スケジュール管理もそう、単調で大量の仕事もプログラミングで正確かつ高速に終わらせます。

自分の足りないところを、どうやってITを使って補うのか……ということを身につけて欲しいと思っています。これは、先ほどの「自己解決力」というのもその一環ですね。自分の知らないことを「いつでも」「どんなことでも」「IT技術を使って」「解決する」という行動になります。

ひらたくいえば「ITを使ってラクをしましょう」ということです。しかし、ここで勘違いしないでください。「効率的にラクをする」ためには、効率的にラクをしようと思っていない人の数倍も頭を使わなければなりません。つまり、「先に苦労をしておいて」「後からラクをする」ということです。まぁ、そこらあたりが「ITを味方に付ける」醍醐味でしょう。

そして、「ITという道具」に慣れてきたら、「業界」としての「IT」に目を向けてみるといいかもしれません。なぜなら、就職する環境として他の職種よりも有利なところがあるからです。それは「競争率が一般事務や軽作業に比べて低い」ということです。そして専門性が増せば増すほど給料水準も高くなる傾向にあります。

なぜ競争率が低くなるかと言えば答えはシンプルです。「IT業界って難しそうだから……」とか「一般事務だったら自分でもできるかも……」というハードルを越えていく人が少ないからです。逆にいえばこのハードルを越えていくことができれば、違った選択肢を手にすることができるのです。


◆「ちょっと突き放した感じ」の講座でございます

ちなみに、よく「Excelとかを教えてくれるんですか?」なんて聞かれるのですが、私のコースでは教えません。もう一度書いておきます。教えません!……「教えてもらわなくてもスキルを自力で身につける」ための基礎を身につけていただくことに時間を割いています。

どうしても「手取り足取り」じゃないと厳しい人は、街のそこら中に「パソコン教室」がありますので、そちらへどうぞ♪……また、まつしたの担当ではありませんが、「フラッグ」にも「ビルド」にも「パソコン基礎」を「教える」クラスが週に2時間ずつあるようですので、そちらに出てもいいかもしれません。

……ちょっと本筋からずれてしまうのですが、「Excelをマスターしたい」とか、私にはよく分かりません。「Excelをマスターするのが目的」なんじゃなくて、「Excelを使って仕事をラクにするのが目的」なんだよね。すると、漠然と「Excelをマスターしたい」なんて言うんじゃなくて、「Excelの何を知りたいのか」を具体的に言えていないといかんのだと思うのです。

「初心者はそれができないから困っているんじゃないか」と思うかもしれませんが、まず、初心者を卒業するところから始めた方がいいのです。もっと丁寧に言うと「初心者意識」から脱却することが何よりも重要なのです。初心者の傾向というのは「なんでも教えてもらおうとする」習性があります。

私がたてた方針は、実際にエンジニアが「自力でスキルを獲得していく手順」に沿ったものなんです。一度、教えられグセがつくと、自力で解決しようとする力が衰えてしまいます。分からないことでも順を追って考えるクセを付ければ、必ず自力で分かるようになってきます

そして、私はその方法を一生懸命伝えていきます。そんな感じのコースですが、ご興味のある方はお問い合わせください。
※連絡先はこの記事の右側の柱部分に記載しています。(2013年4月20日現在)

2013年3月24日日曜日

障がい者……利用者様……


◆障害を巡るいろんな呼び方

私は、過去に何度か「障害者」、「障がい者」、「障碍者」の表記について思うところを書きました。私は「障害者」派(?)です。言葉狩りをしても本質的には何も変わらないし、同じ意味なのに表記をコロコロ変えてしまうと、障害者自身が困ってしまうことも少なくないことが分かっているからです。

文字の認識について障害を持っている人から見れば、パンフレットに「当日は障碍者手帳を忘れずお持ちください」と書いてあっても、目の前にある手帳には「障害者手帳」と書いてあるわけです。「……あれ?……この手帳じゃないのかな?……ええと、そもそもこれ、なんて読むのかな?……しょう……ぎ?……とく?……てちょう?」と。

まあ、このあたりはいつも微妙なところで、結局、議論をしたところで「誰に合わせるのか」というところで結論はでないのですけどね。だって、私が「障がい者」という文字を読むと、なんとなく馬鹿にされてるのかな……って思ってしまいます。どうせ、「害」の字が読めないのだろうと思っているのだろう……と。

それでも、「障害」以外の表記の方が無難といえば無難なのかもしれませんけどね。なぜなら、そもそも「障害」の「害」の字を外せと言い始めたのは障害者の一部という説もありますから。もちろん当事者によっては「そんなもん興味ねーよ」と思っている人もいます。気にする人もいれば気にしない人もいるよ……というそういう次元の話です。

答えの出ない「障害者」表記問題はおいておくとして、最近、個人的に気になっている表記があります。近年、急速に障害者を対象とした就労移行支援事業所が増えてきているわけですが、ここで利用者を呼ぶ場合の表記が事業所によって微妙に違うことに気づきました。「利用者のみなさん」、「利用者」、「利用者様」……と。

◆「働く」=「お客様」?

この中で私が一番気になったのは「利用者様」です。これ、とても理由は分かるけど、その一方で個人的には違和感があります。たぶん、その事業所は「第一のお客様」を「利用者」と定義づけているんだろうなと思います。もしくは、へりくだった立ち位置で「自分たちは、自分たち以外の方々のためにあるのです」的な。だから企業に対しては「企業様」と呼んでいるのかもしれません。

話を進める前に書いておきたいのですが、私は「利用者様」と表現している事業所を馬鹿にしているわけではありません。ただ、どうして「様」を付けているのかな……と、その理由が知りたいというか、あくまでも個人的好奇心を刺激されただけなんです。その先にどういう価値観があるのかなあとか、そのあたりが知りたくて知りたくて仕方がないだけなんです。

さて、私が考える就労移行支援事業とは、「利用者」が「自立心」を持って「社会の一員」になれるための手伝いをすることです。社会の一員ということは、細かい形態はどうあれ「職場」で活動することになると思います。職場からの立場で考えて一番困る人は「何にもできないことを当たり前のことのように振る舞い続ける人」です。

いろんな職場で障害の有無に関係なく、こういう人によくかけられる言葉があると思います。「君ね、いつまでもお客さん気分じゃ困るんだよ」……と。働くということは「サービスを提供する側」に回ることです。サービスを提供される側がお客様です。つまり、働くための訓練や支援は「お客様」から脱却するためのステージだと思うんです。

で、いつかは「お客様」を脱却した「社会の一員」になっていこうと思っているはずなのですが、それをトレーニングするための場所で「利用者様」と「お客様」扱いを受けていると「脱皮」が難しくなったりしないのかな……と思ったりもします。きっとここらあたりの戦略が違うから、あえて「様」付けしているんだろうと思うのですが、やっぱり私には分かりません。

◆お客様には極上の居場所を……

ものすごーくシビアに現実的に考えれば「利用者」は就労移行支援事業所から見れば「一番のお客様」です。なぜなら、利用者が事業所を利用してくれることによって、貴重な税金の中から助成金として事業所は収入を得られるからです。そんな利用者を「絶対にしあわせにしたい!」と思う気持ちは私も同じです。でも、だからといって「お客様」……は違う……かな。

誤解を恐れずに書けば、「利用者は成長してとっとと社会へ出て行け!」というやり方が正しいのかなと思っています。もちろん分野によっては時間をかけてスキルアップしていくことが大事です。むしろ私が行っているいくつかの講座や試みは「長期的育成」に関するものです。それでも、基本的には「できるようになったら、とっとと社会に出て行け」というスタンスが正しいと思うのです。

利用者を「お客様」扱いして、とても居心地のいい「居場所」を提供するのは就労移行支援事業所のミッションではないんじゃないかなと思うのですね。むしろそのあたりは、地域活動センターとかデイケアとかそのあたりのお仕事なのかなと。それよりは「今よりは居心地が悪くなるであろう」職場に耐えうるためにも、早期にシミュレーションが必要なんじゃないのかなと。

それから、過去に私が関わった就労移行支援の現場で過去にこういう事例もありました。確か発達障害でお困りの方だったと思います。ものすごく頭が切れて回転もいい方だったことを記憶していますが、その人が利用者を結集して「自分たちの思い通りにさせろ」という抗議活動を始めようとしました。就労移行支援事業所の中で自治権を持たせろというのです。

「最終目標はすこしでも早く就職して、ここから出て行くことですよね。要求は最終目標からズレているし、ここの方針がイヤなら、他にたくさん就労移行支援事業所はありますよ。」と伝えたときに、彼の口からこぼれた言葉があります。「私たちのおかげであなた方は給料をもらっているのでしょう?だから私たちの要求を聞くべきです!」と。

◆権利主張は大切だが……

彼との話し合いは平行線を辿り続け、結果的には就労移行支援事業所の利用を中断していただくことになりました。最後まで「労働者は労働環境を変える権利がある」と訴え続けていました。「ここは職場なのではなく、職場で活躍するために必要なトレーニングの場ですから」……という言葉は最後まで理解されなかったかもしれません。

しかし、その時、自分の中で無意識に行っていたことを反省しました。「個性から生まれそうな可能性」を大切にしようとするあまりに、私は当時、利用者を「お客様」扱いしていたのです。嫌われないように、嫌われないように。いつでも気持ちよく通えるように。そして、創造性豊かな発想力にはなるべくブレーキをかけず、まずはとにかく成功体験と自信を持ってもらおう……と。

これは障害者手帳の有無に関係のないことですが、あまりに根拠のない自信が蓄積し続けると、人は時として「自分の価値観が絶対的に正しい」と思い始めます。そのエネルギーは洗脳的ですらあります。「こんなに努力をしているのに」、「こんなに貢献をしているのに」、「認めないのはアイツに能力がないせいだ」、「社会が悪いから自分は報われないのだ」……と。

権利主張は大切なことです。大切だと重要性を十分に理解した上で書きますが、私は権利主張が大嫌いです。権利主張は「頭を使わなくてもできる」ことだからです。そして「自分の責任を果たさなくてもできる」ことでもあるからです。その時から私はできるだけ、利用者に対して「お客様」扱いしないように心がけるようになりました。

権利主張というのは「戦い」です。相手から妥協を引き出すための戦いです。自分の非を認めると戦いが不利になるので、基本的には自分の非を認めません。「当然の権利」を手にするために戦うのです。しかし、最初から対決姿勢を好む人間を雇用したいと思う企業があるでしょうか。おそらく多くはありません。だから権利主張を我慢することも大事なトレーニングの一環なのです。

◆なぜ「利用者様」なのだろう?

そういう意味で「いやならいつでも『自分の意思』でやめてもいいんだよ」というスタンスを持つ事業所の方が私は好きです。変にお客様扱いをして、結果的に「職場とのズレ」で苦しませる結果になるのも気の毒ですし、「権利主張」を振り回しすぎて社会から煙たがられる存在になっても、やはり気の毒だと思うのです。

物事の「呼称」には「ポリシー」が宿ります。どのような何気ない言葉だったとしても、そのひとことの端々には理念が宿ります。私は、「利用者様」という言葉を使う事業所のポリシーというか理念を知りたいなあと本気で思います。なぜなら私が理解することの難しい価値観だからです。それを説明してくれる人がいたらじっくりお話ししてみたいです。

2013年3月17日日曜日

弱さを認めることと甘えること


◆「弱さ」と「甘える」こと

最初に書いておきます。私は強い人間じゃありません。どちらかというと弱いです。いや、圧倒的に弱い。どれくらいに弱いかと言えば、お金をつい使ってしまいそうな誘惑に負けがちなため、必要のないときには財布に多くのお金を入れないようにしているくらい弱い人間です(苦笑)。だから予想外のタイミングで飲みに誘われると思わずコンビニATMを探す有様です。

あと、行動力もだいぶ弱いです。だから、いつも行動予定をある程度たてて、それに沿って進まないとつい怠けたり、遊んだり、そして無駄に休憩してしまったりもします。「自分の弱さを認めていてよく知っている」からこそ、その対応策を立てることがとりあえずできています。そうしないと私はひたすら怠惰な道に流されていくことでしょう。

「弱さ」と「甘え」をセットで考えている人が、わりと多いような気がします。「弱さを認めること」=「甘え」の図式で生きること、それは自分の足で立とうとする意志を否定していることになると思うんです。だから「弱さを認めること」=「甘え」=「仕方ないじゃないか」じゃダメなんです。

あ、もうちょっと正確に書きましょう。「ダメ」じゃないです。今のままでも十分にしあわせで、これから先も今のままで十分にしあわせだとするなら、そのままでいいのです。今、私が話をしている相手は「今よりももうちょっとしあわせな未来を生きたい」と思っている方々です。

◆情に訴える生き方をやめよう

基本的に「弱さを認めること」は重要だと思います。さらに踏み込めば、それを公開することも重要でしょう。私なりに理由を考えるとふたつあります。ひとつめは「自分の弱点を知る」ことによって対策が考えられるからです。ふたつめは「弱点を公開する」ことで精神的に堂々とできるからです。ある意味で「脱皮」ができるのです。

しかし、この「弱点を公開する」という意味をはき違えると、結局、「変化のない人生」が続くだけなのだと思います。「私には弱点があるのだから仕方がないよね?」という正当化の盾にしてしまえば、そこからの成長はほとんどないからです。「ありのままのあなたでいい」というのは、何もしない人にかけていい言葉ではないと思うのです。

私は、自分の弱点を盾にして情に訴えようとする生き方が好きではありません。なぜかといえば、それが30歳までの私の生き方と同じだからです。うまくいかないことを、自分のハードウェアと環境の責任にしていました。「身体が強くない」だの「頭が良くない」だの「顔が良くない」だの、その理由を旗印にして前進を怠っていたような気がしてなりません。

誰かに「自分の才能のなさ」や「運のなさ」を嘆いてみては、慰めの言葉を心地よく受け止めつつも、それを決して受け入れようとしない。私はその当時の私の生き方が大嫌いです。ただ、その一方で感謝もしています。私の「現在」というのは、そういう「過去」の上に成り立っているからです。だから、同じ思考に逃げてしまう人の弱さと気持ちがよく分かるのです。

◆自分の人生を掴めるのは自分だけ

結局、当時の私に温かい言葉をかけてくださった方々にはずいぶん迷惑をかけてしまったと思います。一体どれだけの精神力と時間を費やしていただいたのでしょうか。結局のところ、そのスパイラルから抜け出すのは「自分で変わろう!」という自分の決意以外になかったのです。これには「大きな痛み」を伴います。生半可な痛みではありません。

今まで自分が寄りかかっていた「価値観」を捨てることは、自分の身体の半分を捨てるにも等しい痛みを伴うのです。だから、「自分から変わろう」という話をしたときに、「それでは、本当に自分ではなくなってしまう」という人がいますが、その気持ちも痛いほど分かります。「自分を守ってくれる言い訳」を捨てることはそれほど容易ではありません。

「自分はダメな人間」である……その理由は、「自分はダメな人間」であるからだ。これは、まったく論理性も客観性も欠いており、ただそう思い込みたいという「負の信仰」です。正しかろうが、間違っていようが、自分を定義づける「信仰」を変えることは「本当の自分ではなくなってしまう」という危機感を伴います。本当の信仰とそれほど変わりません。

しあわせならそれでかまいません。今のままでかまいません。今の人生が輝いていて、どこにも一点の悔いもないのならそのままでいいのです。しかし、もし、「このままではいけない」と心のどこかで考えているのなら、痛みを受け入れる覚悟が少しでもあるのなら、私はあえてハッキリ伝えたいと思います。

◆「本当の自分」なんて捨ててしまえ!

今の自分が「しあわせな人生を送っていない」のだとしたら、半分以上は「自分自身の責任」です。自分自身が愛してやまない「本当の自分」などという存在です。その「本当の自分」とやらのおかげで、納得のいかない人生を送らされているのです。「人生を送らされている」って、誰に?……それもまた「現状の自分自身」だったりするのです。

本当の自分なんて捨ててしまえ……と聞くと、物騒なことをいう人もいます。「それって死ねってこと?」……もちろん違います。「自分を変えることは、死ぬことと同じだ。だから死ねってことなんでしょう!」……という気持ちは分かります。ええ、分かります。その気持ちは分かりますが、残念ながらそれは正解じゃありません。

ゲームだと思って、だまされたと思って一度やってみてほしいのです。「自分自身は死んでしまった」というつもりで、「しあわせそうな自分を演じる」ということを。「自分自身の弱さを、まるで他人事のように笑い飛ばす自分」を演じてみてほしいのです。「弱さの公開」とはそういうことだと私は思います。その瞬間に弱さは「自分自身」と切り離されるのです。

そう、今、大事に守ってやろうとしてやっている「本当の自分」こそが本当の敵なのです。そいつは「自分が何もしなくてもいい理由を探し出すプロ」です。「本当の」などというたいそうな肩書きでごまかしていますが、たいしたヤツではありません。「自分の弱さ」を「甘え」に変えてくる「本当の自分」なんて捨ててやればいいのです。その結果、やってくるのは「本当の自分」ではないかもしれませんが「大好きな自分」かもしれません。

2013年3月11日月曜日

ユニバーサルな説明


◆基本的にはユニバーサルがいい

世の中はユニバーサルであった方がいいと思っています。特別に「障害に配慮する」というのではなく「誰にとっても配慮されている」ということが理想です。しかし、これで何でも解決するのかといえば、そんなことはありません。本質的に「完全」なユニバーサルは困難だと思っています。

一例をあげれば、私は技術的なことを説明しなければならない時に、いろんな「たとえ話」を活用します。個人的な理想としては「子供でも理解できる説明」ができることです。しかし、それすらも「ユニバーサル」ではありません。なぜなら発達支援が必要な方々の中には「たとえ話」を理解すること自体が困難な方々もいるからです。

私は千葉の市川市で、発達支援が必要な方々が幸せな就職をできるようにする仕事をしていますが、その説明会で親御さんから苦言をいただくことがありました。「発達障害に特化していると聞いて来たのですが、うちの子にあった説明でなかったのが残念でした」と。

せっかく足を運んでくださったのに、率直に申し訳ないと思います。ただ、発達障害というのは人の数だけ違います。いくらかの「傾向」はあっても、その強度や方向性、それから複数の「傾向」の重なり方から何から何まで違います。発達障害の特性は「ひとこと」で語れず、「うちの子」が抱える課題も多様すぎる事象の一個性なのです。

理想を言えば、それぞれ個別に説明できるのが一番いいのでしょうが、説明会という「一対多」という状況での伝達手段には限界があるのかもしれません。どこかにターゲットを定めてしまうと、どこかに支障が発生してしまうのです。誰かに対して「わかりやすく」伝えようとすると、そこにはまらない誰かにとって「分かりづらく」なってしまうのです。

さらに言えば、本当に来てほしいと思っている層にまっすぐメッセージを伝えたいのに、そこを下手に情報保障してしまうと、肝心な「来てほしい」層を獲得できず、「想定していない」層を取り込んでしまい、講師と利用者の双方が身動きできない状況を生み出してしまうかもしれません。

◆まずは「想定する層」に呼びかける

そこで「冷徹」な考え方についても検証してみたいと思います。それは「どんな人でも限りなく受け入れられるわけではない」ということです。たとえば障害特性というよりも人格的な部分で施設利用が困難な人もいるでしょうし、理解力という部分で職員のフォローが追いつかない人もいるでしょう。

これは実はものすごく大事なことで、「支援者としてお役に立てそうな対象者」を選別する必要があるのです。「選別」というと非常に刺激的な意味を伴って伝わってしまうかもしれませんが、要するに「当事者の利益が確保できないことはしたくない」ということなのです。貴重な人生の時間と受給期間を無駄遣いさせてしまってはいけないのです。

ここに松下が書くことは「就労移行支援事業所としての公式見解ではありません」が、少なくとも私が担当するコースにおいては、「何かひとつでも発見を持って帰ろう」という人だけに集まっていて欲しいのです。もっといえば「後ろ向きな気持ちを前向きにする」というところにエネルギーを割きたいとは考えていません。

そして「最低限の線引き」というのを分かりやすく説明しておく必要があるとも考えています。すなわち、説明会の時点で「この話が理解できない人は対象者ではありませんよ」という意図を伝えることです。もちろん無駄にハードルをあげるつもりはありませんが、最大限平易な表現で伝えてみて「理解されなかったら仕方がない」というスタンスです。

分かりやすい話をしましょう。たとえば私のコースを受けるための最低条件は「日本語が分かること」です。ここで「どんな国の人にでも機会は均等に提供すべきだ」と主張されたとしても、私にはどうしようもありません。私の意思をある程度誤解なく伝えるために、私が使える言語は日本語だけだからです。

つまり、私が想定している範囲を大幅に超えてしまっている方々に対して、有効に「お役に立つことができない」のです。この想定の種類は、言語だけにとどまらず、興味特性、最低限の知識……など多岐にわたります。

◆理解できないけれど興味のある人をすくう

そういう意味で個人的な本音を書くと、第一においでいただきたいのは「私がお役に立てる可能性の高い方々」だということです。つまり、私が説明会で話した内容を理解することができて、それを聞いて魅力を感じていただける方なのです。逆にそうでないと、せっかくおいでいただいても続けることがツライと思うのです。

先ほど、「来てほしい」層と「想定していない」層の話がありましたが、これも言い換えると「お役に立てそう」な層と「お役に立てなさそう」な層ということです。「それなら、どうして最初から条件を明らかにしないのか?」という質問が出そうですが、これについては理由があります。

それは、「理解はできないけどおもしろそう」と思ってくれた方には、一生懸命ご案内しようと思っているからです。だから、私は最初から条件を明確にしないのです。たまたまその条件の内容が理解できないために、その後の可能性の芽まで摘み取るようなことはしたくないのです。

ただし、残念ながら「まったく興味がない」という人まで引っ張る余力が私にはありません。時間ももったいないですし、本人が興味を持っていないのに無理に引っ張り上げようとするのはお互いに不毛なことです。「才能や能力がない」わけではなく「たまたまご縁がなかった」だけに過ぎません。

私はなるべく多くの人の可能性を信じたいと思っています。そして、それが伸びるきっかけになれればいいと願っています。だからこそ、そこに全力を注ぎ込みたいと思っています。逆にいえば、そこに乗れない方々については、お互いの利益のためにも慎重な対応が必要だとも思っています。

私がもっとも誠実ではないと思っていることは、「お役に立てなさそう」という予測があるにも関わらず、あたかも希望があるかのような対応をすることです。そして、お互いの時間と気力を無駄に浪費させることです。だから「本物の情け」として「お断り」という選択もあると思うのです。

なお、これは単なる「個人的な考え方の中のひとつ」に過ぎません。これをもって私の結論というわけではなく、私の中にはこれと異なる他の考え方もあります。つまり、私は思考にいくつかの選択肢を持っているのです。その中から「こういう考え方もある」ということを紹介させていただきました。

2013年3月3日日曜日

内面から燃え上がるような講座


◆カリキュラムありきではない

たまたま「発達支援が必要な人たちに『自己解決力』を伝える仕事」をしていますが、何度も書いているように、これは別に何かのハードルを持っている人たちだけに必要というものではなく、どんな人にも必要なスキルなんですよね。だから、私にとっては対象者が「たまたま発達支援」という印象が強いのです。

それはともかくとして、私がどのようにして受講者の「自立心」を磨いていくのか……という技法について興味を持っていただく方がいらっしゃいますが、実のところ、そんなにテクニカルなスキルはあまり持っていないような気がします。私が講義をするにいたって、一貫しているポリシーは「自分自身も楽しめること」だったりします。

ぜんぜんテクニカルな話ではなくて、ぶっちゃけ「欲望」に忠実なだけという感じですかね。私はまず「楽しむ」ということをスタート地点にしたいのです。難しそうに眉間に縦ジワを作って、当たり前に難しい話をしたところであまり意味がないと思うんですよ。そういう人は探せばいくらだっているわけですから。

私にとって「楽しむ」というのは、来てくれている受講者の「いいところ」が表面に出てくる時間を過ごすことです。だから、私はいつも受講者の顔ぶれをみて、その場で「テーマ」を決めています。もう少し具体的にいえば、「どういうことを知りたいか」という話を簡単に聞いてから、その日の内容を決めています。

しかし、毎回、受講者の顔ぶれは変わってしまいます。だから、私は、カリキュラムを作りません。作ったところで無駄だからです。さらに言えば「発達支援が必要な方々」という対象を考えたら、まさにそういうレールを苦手とする人も多いともいえます。つまり、従来と同じアプローチではいけないということにそろそろ気がつかなければならないと思うのです。

◆問題は「楽しさ」に火がつくか

世の中の管理者は「○月頃にはこれくらいできていて……」というレールをどうしても引きたがるように思います。もちろん、行政から税金をいただいて運営する以上、行政が安心できる計画案を持つことは重要かもしれません。しかし、所詮、それすらも、「他人が決めた目的」で「他人が決めた納期」に過ぎません。

私は思うのです。今までの学校教育の中でもずっと、こういうことが繰り返してこられたはずです。学校教育の指導要領の中で、期間を決めて、その期間内に学びきらなければ「落ちこぼれ」という烙印を押す仕組み。私は、そういうレールに乗ることが苦手な人に対して、そのレール以外の方法を提供したいのです。

すると、通り一遍の「同じ目標と納期」……いわゆる、シラバスとかカリキュラムは意味をなさなくなってしまうのです。「同じ品質の人材を、量産的に養成する」という軍隊式ではだめで、その人の「長所」とか「ピーク」をひたすら磨いた方がいいのです。この「長所」や「ピーク」というのは「楽しいこと」ということに他なりません。

実は今までお目にかかった受講者の中にも、才能がありそうに見えた人がいました。その方はIT関連の技術を猛烈な速さで吸収していきました。しかし、それだけではダメだったのです。いつまでたっても「楽しさ」につながらないまま、ただただ消耗していきました。「できる=楽しさ」でなければ、まったくその人の人生にはプラスにならないことを知りました。

つまり、逆にいえば「楽しさ」を掘り出せることが、どれくらい重要かということなのです。ただ、よく勘違いされるのは、「『趣味』を『仕事』にすればうまくいくだろう」という考えです。これは、正しいように見えて、実は違うことが少なくないようです。

私自身、そのことに気づくまでには、この就労移行支援関連に携わってから数年を要しました。「知らないうちに仕事が趣味になっていることが人生のしあわせ」というポリシーは今でも正しいと信じていますが、その逆が短絡的に正しいわけでもないのです。

◆「趣味=本当の楽しさ」ではないことがある

たとえば、「マンガを描きたい」とか「小説家になりたい」という人がいますが、それが本当の「楽しさ」ではないことがあります。あえて酷評をしますが、そういう人の作品を見せてもらうと、素人目に見てもどうにもならないほどの低いクオリティであることがほとんどです。そして、たいして作品の量も多くありません。問題はその駄作を見て「駄作だ!」と伝える勇気、伝えられる勇気がないことです。

本当にプロになろうとする覚悟があれば、「見せるべき人に見せて、言われるべき酷評をされる」はずのところですが、そこをそうしないのです。つまり、「正しくクオリティを上げていこう」と思えるほどのものでなくては「本当の楽しさ」ではありません。つまり、まったくクオリティの上がらない「趣味」は、残念ながら「仕事」ではなく「時間つぶし」にしかならないのです。

なぜ、「好きなこと」が「時間つぶし」になってしまうのかといえば、本当に夢中になれるほどの「何か」をみつけるための選択肢が少なかったからだろうと思います。そこで、私が提供する講座では、とにかく、「楽しいこと」の種類をたくさん見ていただけるように心がけています。すると、「生半可な夢」よりも、本気で追いかけてみたい「本当の夢」が見つかることがあるのです。

だから、私は「ひとつではなく、いろんな可能性を見つけて欲しい」と思っています。「自分でも知らなかったような才能」に気づくきっかけはたくさんあった方がいいのです。人間は本能的に賢い生き物です。「未来に繋がらない無駄なこと」だと心のどこかで信じていることには、本気で向かえないようにできています。

「生半可な夢」というのは、人生にとって有益ではなく、深刻なダメージを与えることがあります。なぜならば、(一生懸命)「がんばっているつもり」なのに、(あんまり)「芽が出てこない」ということ事実が、じわりじわりと自信を喪失させていくからです。しかも、厳しいことを書けば、(一生懸命)→(なんとなく)で、(あんまり)→(まったく)という形で事実がねじ曲がっていることもたびたびです。

◆「その人」のしあわせは「その人」にしか作れない

私の講座にカリキュラムやシラバスはありません。「いつまでに○○」という目標設定もありません。基本的には受講者が自分の力で決めることだと思っています。だから、私は受講生の悩みや希望に直結した講座をしたいと思っています。たとえば、目標を見失ってしまったときに、どういう探し方をすればいいのか……自分の経験をもとに「考え方」を伝えます。

私は特段優秀な人生を歩んできたわけではありません。対人関係についても仕事能力についても、人一倍、挫折と孤独を多く味わってきました。挫折をして、自分自身を責め続けながら生きてきました。そんな人間が編み出した「生きていくための技術」はたくさんあります。どん底でなければ理解できないノウハウがたくさんあります。

だから、当事者からどんなテーマを投げかけられても、たいていのことは経験しています。そこから脱却する術を知っています。勉強が大の苦手で記憶力も足りない私が、どのようにしてIT業界で生き抜いていったかを伝えることもできます。優秀な人生でなかったからこそ、どん底でのたうち回っている人たちの気持ちが分かるし、そこからの光明の見つけ方を知っているのです。

ただし、その光明の位置を私が知っていたからといって、私が見つけてはいけないと思っています。その光明を探し当てるのは本人でなければならないのです。なぜなら「他人に用意された人生」なんて、たとえ輝かしいものであったとしても、所詮は自分の人生ではないからです。自分で見つけて、自分で心を燃え上がらせなくてはいけないのです。

「気合いを入れろ!」と、誰かに突き動かされる気合いよりも、「ようし、気合い入れていくぞ!」と、自分の心の中からわき起こる気合いの方が遙かに力強いのです。私は気合いを注入したりしません。しかし、自分の中から気合いがわき上がるきっかけをたくさん振りかけたいと思います。

そんなことを考えながら、また月曜日を迎えます。受講生に今週はどんな世界をみてもらおうか、そしてどんな可能性を探してもらおうか……そう考えていると、力がみなぎってくるのです。ここ数年間、私の辞書に「サザエさん症候群」という文字はありません。とっくの昔に抹消済みです。

2013年2月24日日曜日

経験知の伝え方


◆やってみて分かった経験知

私はややニッチな領域でニッチな経歴を生かして、ニッチなアイデアを形にしようとしています。「います」と現在進行形にしつつも、すでに始めてから3年以上がたっています。私にとってエキサイティングな3年でした。

私がやっていることを、もうすこし具体的に言い直すと、何らかのハードルを持った人が就労できるように支援する業界に私はいます。かつて、IT業界でエンジニアをしていた経歴を生かして、「エンジニアが自己解決してスキルを身につける過程」を体験していただいています。

別に必ずしもIT業界に就職する必要はないのですが、どんな業界に行くにしても「クリエイティブな素養がある人」が、「仕事だから」とあきらめてマニュアル通りに生き続けて行くには、人生は長すぎると思うのです。だから、自分の頭を使って考えて先に進む体験をしてもらっています。

「たった3年で何が分かる?」と言われそうですが、私はそれでも多くのことを知りました。「なんだ、『障害者だ』と思うからおかしくなるんじゃないか」ということ。もちろん状況にもよるのだろうけれど、「働きたい」と思える状況になった時点で、かなり戦える状態になっているということ。

さらにいえば「メンタルの方は自分で考えることが苦手」という常識(?)が大きく間違っているということ。いや、中には自分で考えることが苦手な人もいる。そんなことは障害者手帳を持っていない人だって同じこと。つまり、自分で考えるということがものすごく得意な人もいるという事実。

そして私が持っている経験知は、そういう人たちの才能を効率よく楽しく引き出すための方法です。私は比較的そのあたりの経験知を簡単に他の人に伝えてしまいます。なぜなら、いくら私が効果的な方法を知っていても、私一人ではさらに多くの人たちの役に立てないからです。身体と時間が足りません。

◆自分のメッセージがどこに届くか

そういうことをやっていると、私がやっている「自己解決力コース」の内容について、いろんな人に質問されます。中には私が伝えた経験知を試してみて、その先で行き詰まってしまって、また質問に来られたりもします。また、当事者とのつきあい方(?)について相談されることも増えています。

私が誰かのためにお役に立てるということはうれしいのですが、私の中にはわずかに恐れに似た感情がわき上がることもあります。その心配というのは、

(1)私の伝えたい真意が十分に伝わっているだろうか?
(2)私の関与でオリジナリティを壊していないだろうか?

ということです。そして、この(1)と(2)は真逆の矛盾を抱えています。

まず、(1)について。たとえば、「当事者に対しての配慮はしていますか?」と聞かれた場合、私は「特にありません」と答えています。実際にその通りだからです。場合によってはタブー視されていそうなことでも普通に話したり聞いたりもします。空気を読まないくらいにです。

でも、この言葉をざっくりと切り取られて「配慮なんて必要ないんだ」なんて思われたとしたら、それは困るんです。「当事者」に対しての配慮をしていないだけで、「人間」に対しての配慮は当然必要なわけです。だって、障害者手帳を持っていてもいなくても、人間扱いされなかったら誰でもイヤじゃないですか。

私の場合は、全ての人に対して「ハードルの低い配慮」ということを心がけています。甘すぎず、厳しすぎず……という、かなり微妙なさじ加減だったりもします。これは「適当に」というわけではなく、ある程度の判断基準があるわけですが、こういうことをマニュアル化してもあまりよろしくないんですね。

◆カリスマよりもオリジナルを……

なぜかというと、目の前の人間を「パターン化」することは難しい……というか、無理だからです。「人の数だけ違いがある」という当たり前のことを無視して話を進めるとロクなことになりません。そもそも数値化できないパラメータが人間には数限りなく存在しているのです。

なので、どちらかというと「マニュアル」というよりも、「行動規範」というか、「クレド」のようなものが必要だと思っています。で、相談してくださる方にはなんでもかんでも伝えたいのですが、1時間程度の短い時間でぱっと伝えることには、いささかの不安があることも事実なのです。

これについては、すでにご興味を持ってお申し出いただいた方々と一緒に、企業研修のような形でのパッケージ化を検討しています。やはり、ある程度責任を持った形でのフォローができればと考えているからです。私が行っている「自己解決」のコースに関してもそうです。

しかしながら、ここまで書いたことと真逆なマインドもあります。それが(2)なのですが、私が獲得した経験知が「ルールブック」になって欲しくないという思いもあります。たとえば、ベンチャー企業の社長などは「カリスマ」になってしまうことが多くあります。そんな会社の朝礼は「神の神託」であるかのようです。私はああいうことがあまり好きではありません。

ひとつの事業を進めるにおいて、メンバーが同じ方向性を向いて進んでいくことは大事なのですが、自分のコピーをたくさん作ってもあまり意味がないとも思っているのです。だから、私はこう思います。もし、私の経験知がお役に立てそうなら、まずは核心部分まで理解していただきたいです。しかし、「理解する」ことと「染まる」ことは違うと思います。

◆「劣化コピー」ではなく「多様な進化形」に

理解していただいた先にある、各人のオリジナリティと融合しなければ、経験知をお伝えする意味がまったくないと思うのです。誰かの言ったことをまっすぐに実行するだけなら、それは洗脳教育と大して変わりません。

「こうでなければならない」というルールは思考を硬直化させるだけです。そして、それが各人の誤解を経由して経年劣化していくのです。そうではなく、「常に考える」ということがコアになっていた方がいいと思うのです。

常にその場所や時の中で活躍している人が、盲目的に誰かが決めたマニュアルを遵守するのではなく、最適な解決を目指して「考える」ということ。これを満たすユニバーサルなパッケージにしていきたいと思います。

無批判にルールを引き継ぐ過程で、細かい誤解の蓄積によって変わっていくものを「劣化コピー」と私は呼んでいます。しかし、明確な意図が介在する中で、必要性に従って変化していくことは「多様な進化形」なのだと思うのです。私はこちらの方がワクワクします。だって、時代を超えてどんどん発展しそうじゃないですか。

そして、私が作りたいのは、そういう「ワクワク」なのです。

「企業研修」=「ワクワクしない」なんてつまらないと思います。むしろ、「企業研修」=「ワクワクするもの」でなくちゃいけないと私は思うのです。だって、「企業」って「人の夢が形になって世の中に出ていく場所」ですよ。そこを洗練させる企業研修がつまらなくていいわけがないのです。

2013年2月17日日曜日

今の人生の楽しみ方を探す


◆いろんなこと……仕方ないんだよ

先日、とある親睦会に出かけたのですが、その時のメンバーにこう言われました。「そういうところ、松下さんは苦労が多いですねえ」と。その苦労がなんなのかはさておきましょう。そんなことよりも、私は知っていたのです。そこにいたメンバーがそれぞれ抱えている問題を。

ひとりは健康上の問題で爆弾を抱えていて、かなり生活に制約が加えられています。ほかのメンバーでもご家族で課題を抱えた方がいて、その方のケアに奔走している方です。すべてが満ち足りた人生というものはそうそうなくて、なんらかの課題を背負っているものです。

世の中、どんなに努力をしても、どうしても解決できないことがあります。たとえば「初恋」というのも、うまくいかないことの例として引き合いに出されます。どれだけ自分が相手のことを思っていたとしても、相手が致命的なほどに自分のことが好きになれないのなら、それはどうがんばっても叶わない夢なのです。それでもあきらめきれなくてストーカーになってしまう人もいます。

残念なことですが、「あきらめなければならない」現実と対峙しなければならないことは星の数ほどあります。たとえば、「若かった頃に戻りたい」という願いがあったとしても、その願いは少なくとも今世紀中に叶うことはなさそうです。また、200歳まで生きていたいという夢もなかなか実現しなさそうです。

◆変えられることと変えられないこと

さて、私はメンタルでお困りの方、特に発達支援が必要な方々が就職できるようにする仕事をしています。そういう方々からよく聞くのは「私は人生の一番大事な時間を失ってしまった」という話です。そして、誰がどう努力しても、その人が「大事な時間」と言っている過去に連れて行くことはできません。

「失ったものは戻らない」という現実がそこにはあるのですが、この悩みから脱出するために必要な視点軸が2つあります。それは、「失ったと同時に得られたものはないのか?」という視点でもあり、また「これからの時間を『大事な時間』にしていくことはできないのか?」という視点でもあります。

(1) 失ったと同時に得られたものはないのか?

私の話をしましょう。私は最初の就職に失敗しました。入社後、1ヶ月もたたずに退職するという挫折も味わいました。さらにその後も人間関係がうまくいかなかったり、トラブルをさんざん味わいました。木材加工会社、国家公務員、第三セクター、会社員、役員、ハケン、個人事業主……いろんな立場で多くの現場を回ってきました。

普通に考えると「転職回数の多さは信用を失う」と言われます。たしかにそうなのかもしれません。しかし、私にとってはこの体験こそが大きな財産と言い切れます。まず、「常識」というのは、たいていの場合「その組織内でしか役に立たないローカルルールである」ということを知りました。そして、あわない仕事を経験することで、逆に自分に向いている仕事を知ることができました。

私は、数多くの現場で抱える共通した問題について横断的に熟知しています。いろんな立場を味わってきたからこそ、常に多面的な立場で物事を捉えることができます。私は一般的に「信用を失う」と言われている人生の歩き方をしていますが、私はその体験から、私にしかできないアドバイスができるのだと思います。

(2) これからの時間を『大事な時間』にできないのか?

基本的に過去の解釈を変えてしまうだけで、ほとんどの場合は解決してしまうのですが、どうしてもあきらめられない時にはどうすればいいのでしょうか。基本的に過ぎてしまったことはどうにもなりません。そして「過ぎ去った時間ほど『美化』されてしまう」ものです。「昔は良かった」と後ろを向いていてもつらいだけじゃないですか。

そんなことを考える時間があれば、「これからの時間をどうやって『大事な時間』にしていくのか」ということに時間を使った方がよっぽどいいでしょう。過去は変えることができません。過去の解釈は変えることができるのですが、それすら難しいのなら、もう、その時間は「捨ててしまう」しか手段がないのです。

おそらく、これからの時間が『大事な時間』として輝き始めるのだとしたら、それよりも前の時間は、必然的に『輝いた時間を手に入れるための伏線だったのだ』というストーリーに変わっていくことでしょう。生きている限り、そして意識がある限り、これからの時間の意味を変える資格を持っています。

◆クヨクヨする時間が一番もったいない

クヨクヨすることというのは、たいてい、過去の過ちを後悔することが多いのでしょう。おそらく「変えがたい現実」との対決に苦しんでいるのだと思います。かくいう私にしても、そういうことはよくあります。そういうマイナスな力をどのように利用しているかと言えば、こういうブログのネタとして活用しているのです(苦笑)。

基本的にマイナスの出来事というのは、受け止め方を変えてみると大きなチャンスになることが多いのです。「苦難」を「苦難」として受け止めるだけでは、普通すぎるじゃありませんか。そんな普通のリアクションは「苦難」の思うつぼです。「苦難」が悔しがるような形で「チャンス」に変えてやりましょう。

2013年2月10日日曜日

いつかなくなる日のために


◆今はない未来のイメージ

何度も今まで書いてきましたが、私は「障害者」に全然興味がありません。私が見ているのは「人間」だからです。私がこの領域の仕事をするようになって、より、その度合いが強くなってきていることを感じます。たとえば、私は最初の頃、「障害者」を「障碍者」と表記していました。今はそのまま「障害者」と書いています。

ひとつめの理由は「障害者」の書き方を変えたところで本質が変わらなければ意味がないからです。「障碍者」と表記を変えたら該当者が幸せになる……という状況だとしたら、私は徹底して表記を変えるでしょう。でも、実際はぜんぜん関係ない。ただ、「言葉狩り」をして「害」の文字を日常から黙殺しただけです。

ふたつめは「障碍者」という字を読めない人もいるという基本的な理由です。かといって「障がい者」とひらがなに開くのは「馬鹿にしている」ような印象がぬぐい去れません。だから、私はそのまま「ありのまま」の形として「障害者」と書いているんです。そもそもほとんどの行政が「障害者手帳」と記載しているのに、そこを「障碍者手帳」と書いてしまっては、困る人もいるということです。

でも、私は「障害者」という言葉そのものがいずれ「意味を持たない」言葉に成り下がってほしいと思っています。視力の悪い人、記憶力の悪い人、すぐに感情的になってしまう人。ほとんどの場合これは個性として認められることが多いのですが、そこに「障害」という医療的カテゴリが加わると、一気に遠い存在として追いやられてしまうわけです。

同じように、いずれなくなってしまってもいいと思っているのは、「法定雇用率」なるものです。また「就労移行支援事業」もなくなってしまえばいいし、もっといえば「障害者手帳」もなくなってしまえばいい。……うーん、さすがにこれは書きすぎかもしれないけれど、要するに世の中がすべての「人間」を、ただ「人間」として認識できる世の中になれば、やっぱりいらないものになるはずです。

◆第一歩なくしてゴールはない

しかし、今、「法定雇用率」、「就労移行支援事業」、「障害者手帳」がなくなってしまうと、現実的にものすごく困ってしまうわけです。つまり、過渡期においては必要なものです。前回のブログを書いてから数人から心配されました。

http://musekining.blogspot.jp/2013/01/blog-post_26.html
>企業に対して「法定雇用率を満たさないとマズイですよね?」とか
>「CSRという観点で御社にとってプラスになりますヨ?」とか……
>そういうアプローチじゃなくて、「本気で戦力にする」という観点で
>提案できればいいのですが、実際のところ、実運用例がないと
>企業側も無駄に冒険はできません。

「法定雇用率やCSRは嫌いなんですか?」……と。はい。ものすごく長い目で見ればそうです。でも、短いスパンでの現実をみると「法定雇用率」や「CSR」の存在は必須です。企業が障害者の中にもものすごくいい人材がいるということに気づき、「仕方ないから障害者を雇用してやる」という姿勢ではなく、「障害はどうでもいいから、いい人材ならぜひ雇いたい」という世界になるまでには、もうすこし時間がかかるでしょう。

そして、そういう社会にシフトしていくためには、やはり、現状の制度を上手に使っていく必要があると思うんですね。たとえば新製品がでると、多くの場合、試供品のようなものが配られます。しかし、ずっとそれをやっていては赤字が続いて企業は倒れてしまいます。だから、商品が有名になってくると試供品はその役割を終えて消えていきます。買ってもらえる流れになるためには「まず体験してもらわないといけない」ということです。

いい未来を目指すためには現状を無視することはできません。そしてその第一歩が目標と違うから全部を辞めるということは愚かなことです。たとえていえば、「真冬に暖かい南の島に旅行しようと思っている人」が「玄関のドアを開けたら寒かったから取りやめた」というくらいに愚かな話です。

◆最終目標を見続けること

しかし、目の前の現実だけを見ていると、どんどん「目指したかった自分」とか「もともとやりたかった夢」から遠ざかって行ってしまいます。いつしか「どうして自分はこんなことをやっているんだろう」という状況に陥ってしまうと思うんです。気がついたら、世の中全体のことを考えずに、「目の前の利益」だけにしがみつくという構造になってしまうかもしれません。

私は昔、ハケンをやっていたことがありますので、ハケンになぞらえてみます(「ハケン」=「アルバイト」と読み替えてもいいでしょう)。ハケンというのは「最終目標」を見失うと未来を失うリスクがものすごく高いと思っています。実際に、ハケンをしながら飛行機操縦の勉強をして、念願叶ってパイロットになってハケンを卒業していった人もいます。一方で、「当面は困っていないから」と、ただ、日銭を稼いで満足しているだけのハケンもたくさんいました。

私はハケンをやりながら、毎日、「ハケンをやめるイメージ」を膨らませていました。「やめる時に自分はどういう方向性をもっているのか?」「やめる時にはどういう手順で効率的にやめるのか?」「それに必要なスキルや準備はどうするべきなのか?」ということをずっとずっと考えていました。ハケンという立場上、不遇なこともありましたが、その「希望」こそが私にとって前進するための灯火だったのです。

新しい未来を作り上げて受け入れていくためには、常に今ある「場所」や「立場」が「壊れる」というイメージを持ち続けることが必要だと思っています。たとえば、「就労移行支援事業」がなくなってしまったとしたら、そこの職員はどうなっているのでしょうか?……私の中にはこういう未来のイメージがあります。

障害者に対して質のいいプログラムを提供できて、本当にすばらしい人材を輩出できる職員がいるならば、おそらくそれはユニバーサルなノウハウとして、企業内に迎え入れられるという未来もあるかもしれません。または、教育機関のひとつとして学校内で職業訓練などの授業を担当する職員になっているかもしれません。

◆生きることは現状を捨てること

もちろん現実性があるかどうかなんて検証した話ではありませんが、ただ、少なくともその世界においては「障害者」が意識されない社会になっています。これが大きなビジョン。そのビジョンを満たすための道は数多くあって、そのために動く人もたくさんいることでしょう。誰かが考えたビジョンが他の人と共有できた時点で、そのビジョンから違ったビジョンが生まれます。

未来を見つめることは、現状を捨てること。少なくともこの世界は、どんどん現状を捨てるしかないのです。生きているといろんな破壊が待っています。分かりやすいところでは「老い」もあるでしょう。黙っていても何もしていなくても、時間はひたすら進んでいきます。これを「老い」ではなく「成長」にしていけるかどうかが大事だと思います。そのためには、やはりゴールを意識する必要があると思うのです。

昔、私はものすごく怖い夢を見たことがあります。狭い部屋で私は死を迎えようとしている。裸電球が切なく光る部屋で、誰にも看取られることなく寂しくこの世を去ろうとしているのです。「ああ、あれもやっておけばよかった」「ああ、身体が動かない、まったく力が入らない」「誰もいないし、誰かがいても口すら動かない」「あのときに戻れたら必死で生きるのに」……という悪夢。

私の原動力はその悪夢から生まれています。今、動けるときに、考えられるときに、話せるときに、そして誰かをしあわせにできるときに、何かをしないといけないのです。これは義務じゃない。権利ともちょっとちがう。私にとって、リスクを取ってでも新しい変化を追い求めることは、何にも代えがたい「自由」なのです。

そして、目覚めたときに、私がいる場所は天国のような場所だと思いました。いつかは自分もいなくならなければいけない世界。そこでいろんなことを考え、そして動き、そして話ができ、そして未来の形を「小さくとも」「目立たなくとも」変えていくことができる世界。そんな素晴らしい世界で、私はボケっとしていられないのです。さあ、みんなで夢を本気で追いかけてみませんか!

きっと、私がこの世界で最後に見る光景は、悪夢とは変わっているはずです。そして願わくばすべての人が満足に最後を迎えられる世界にしたいと思っています。私はそういうきっかけを提供したくて、毎週、講義をしています。「障害者」相手ではなく「人間」相手にです。

2013年2月3日日曜日

お金を稼ぐ自己解決


◆自己解決力を身につける

私はこの3年間にわたってメンタルでお困りの方に「自己解決力」なるスキルを伝え続けてきています。キャッチフレーズは「自分自身を先生にしよう」。すばらしい先生がいてくれると確かにいろんなスキルを効率よく身につけることができるかもしれませんが、いい先生であればあるほど「いなくなったときの不安」は並大抵ではありません。ましてや、就職後に分からないことがあっても先生はついてきてくれません。

それから先生だって人間です。人間だから限界もあります。自分の興味があまりにも向かない分野については素人同然かもしれません。先生の限界を超える何かを教えてもらおうとすることは不可能です。つまり、先生にべったりと依存してしまうと、先生の能力以上の領域に成長していくことができません。

さらにいえば、その素晴らしい先生は専属ではありません。他の人に時間を割くこともあるでしょうし、そもそも先生も人生を楽しまなければいけません。つまり特定の誰かのために24時間を使うことはできません。どれだけいい先生でも、24時間ずっと質問の電話をかけられていたら参ってしまいます。

しかし、この「すばらしい先生=自分自身」だったとしたら、自分が伸びたい方向が未開拓の領域だったとしても、バリバリとスキルを伸ばしていくことができるでしょう。そして、自分が望む限り、いつでも新しいスキルを身につけることができるのです。何よりもその力が「自信」に繋がっていくのです。

◆その瞬間にお金を稼いでいる

さて、ありがたいことに私の講義には「常連さん」といってもいい方が何人かいらっしゃいます。彼らが就労移行支援の訓練に参加できるのは原則として二年間。もちろん二年間びっちりと使う必要はなくて、就職できそうならどんどん冒険してきてほしいと思っています。

しかし、一方で「じっくりとスキルを伸ばして今は選べない選択肢を狙う」というのも大いにありだと思っています。実際にIT関連の経験ゼロからシステム開発や設計までできるようになった方がいます。今、その人は私と一緒に働いてくれていますが、正直なところ主軸の戦力といって間違いありません。できればそういうスター選手が出てきてほしいなと願っています。

「長期戦」を意識していつも講義に出てくれている方に気づいてもらいたいことがあります。長期戦となると、どうしても先に就職していった人たちのことが頭をよぎると思うんです。「こうやって訓練している間にもお金を稼いでいるんだろうな」……とか。でも、ぜんぜん気にする必要はありません。

なぜって、「自分自身が先生」という環境が定着したら、その瞬間にお金を稼いでいるのと同じ状況になっているからです。通常、レベルの高いスキルを先生のもとで身につけようと思ったら、当然、受講料というものを払わなければなりません。異なるスキルを同時並行で身につけたいのなら受講料がかさむかもしれません。

しかし、自己解決力で新しいスキルを自力で身につけることができた時点で、受講料相当を稼ぎ出しているのと同じなのです。そして受講料を払い続けることなく、どこにいっても、どんな状況でも先生(=自分)は新しいスキルを身につけさせてくれます。つまり、「自己解決力」とは「お金を生み出す」スキルなのです。

◆「我流」が悪いなんてことはない

自己学習でなんとか上がってきた人は「我流ですから」とか「独学ですから」と謙遜しますが、自己学習というのはそれほど悪いものではありません。むしろ自分自身で伸びていくのだからエネルギーの出し方に無駄がありません。エネルギー効率が悪い代表例をあげてみると、「死ぬほど眠い講義をガマンして聴き続ける」というのがあります。

これは「自分の脳みそ」が「ちょうどいい周波数」で「刺激されない」から起こることです。人間は「長時間にわたって主体性を失った状態が続くと眠くなる」という特性を持っています。そしてこれは人生の無駄です。まず、眠気をガマンするという忍耐力が無駄です。さらにガマンしても何も身についていないという無駄もあります。もちろん純粋に時間も無駄にしています。

自分自身の脳を活性化できるのは「我流」のように「主体性」を持ったときです。だから、私はどんどん「我流」を伸ばすスキルを伝えていきたいのです。ただし、「我流」の「いわゆる弱点」をちゃんとフォローすることは重要だと思っています。「いわゆる弱点」というのは「間違ったやり方を続けてしまいやすい」ということです。

これについては「我流」を「常に疑う」という視点を持てば解決します。つまり、いつも「もっと他のやり方はないか?」とか「自分は間違っていないだろうか」という視点で新しい情報にアンテナを張っておくのです。臆することなく自分がやったことのない方法を試してみる。そして評価すること。これがあればどんどん先に進んでいけます。

私は、こんなきっかけをいろんな人に伝えていける今の仕事がものすごく気に入っています。

2013年1月26日土曜日

同意を得られないところがおいしい


なんというか、「あまのじゃく」というか、ある程度、我ながらあきれるところもあるのですが、私は「あまり同意されない意見」というのが好きです。確かにマーケティング的にいえば、多くの人が同意してくれる考えを推進していった方がいいに決まっています。

しかし、私は誰もが「いいね!」ボタンを押さないような考え方を大事にしたいと思っています。理由はいくつかあります。

(1) 誰もが「いいね!」と思うアイデアは自分でなくても誰かができる
(2) 誰もが「いいね!」と思うアイデアはブルーオーシャンになりづらい
(3) 声を出せない人たちや声の小さい人たちが救われるアイデアがある
(4) 「いいね!」と思われない方が開拓精神が刺激されて楽しい(笑)

私が位置している領域は「メンタル的なハードルがあるけれど、実は隠れた才能がある人たちに活躍してもらう」という仕事です。メンタル的なハードルっていろいろあって、幼児体験からの囚われもあれば、人間関係の距離感が分からずに痛い思いばかりしたせいで人間が怖くなっちゃったりとかいろいろ。

概して、そういう人たちを仕事に就かせようとすると、「すこしでも社会に適応するように」というアプローチで挑むことになります。もちろんそれは正しいアプローチの一つだと思います。しかし、もう片方からのアプローチ。つまり社会からの歩み寄りというところを私はもっと考えていきたいのです。

最近では、メンタルで障害者手帳を持つ人の雇用環境はだいぶ充実してきたように思います。しかし、「ここくらいまでなら適応できるんじゃない?」という健常者目線の環境が依然として多いと思います。障害を「穴埋め」して健常者に近づいてください……的なアプローチというか。

私はもうちょっと先に進んだ就労環境を考えています。それは障害を「穴埋め」するのではなく、障害そのものが持っている「メリットを前面に押し出す」アプローチです。ある意味、既存の社会のルールをある程度崩壊させても、その人にとっての最適解を導き出すような就労環境はないかと考えているのです。

企業に対して「法定雇用率を満たさないとマズイですよね?」とか「CSRという観点で御社にとってプラスになりますヨ?」とか……そういうアプローチじゃなくて、「本気で戦力にする」という観点で提案できればいいのですが、実際のところ、実運用例がないと企業側も無駄に冒険はできません。

今、MovingShop株式会社ではそういう視点を持ちながら、手帳の有無に関わらず、かつ、既成の概念にも囚われず、どうやったら「個性が強烈すぎる人(笑)」の良さを引き出す就労環境があるのかを模索しています。そして成功事例を社会に還元していこうという試みを始めています。

今はまだ私たちが行っている試みが、まだ社会から同意を得られないかもしれません。しかし、社会から同意を受ける前に、「ユニークな個性」を持った人だけにでも「いいね!」されるような環境作りを最優先に、まだ一般社会から「いいね!」されないアイデアを大事にしていこうと思います。

2013年1月20日日曜日

自分ルールを作って生きる


◆とかくこの世は生きづらい

私も不器用なせいでずいぶん生きづらい時期を経験しました。もしかすると今もかもしれません。組織の中で浮いてしまうとか、人間関係の距離の取り方にはいつも苦労をしています。

そういうことばかりが続くと思うものです。「この世界はどうやら自分に向いていないんじゃないか」と。業界とか仕事とかそういう意味じゃなくて、人間界とか、現実とかそういう意味で。

ただ、そこに衝撃的な価値観が生まれると世界は一変します。つまり「向いていないなら向いている空間を自分で作ればいい」という発想です。もちろんこれには責任が発生します。「簡単にはあきらめない」という覚悟と「自分には必ずやれる領域がある」という根拠のない自信を持つこと。

そして、私にとって生きづらい世界は必ず誰かと共有されています。つまり、私と同じ価値観の人間は苦しむようにできているのです。そうであるならば、私自身が救われる場所は、同じ価値観の人々も救われる可能性がある。

◆自分が先に幸せになる

だから私は「私自身が誰よりも先に幸せになる」ということを追求してきました。こういうことを書くと「利己主義だ」と後ろ指を指されることが多いのですが、私はそれでかまわないと思っています。そうであろうが、そうでなかろうが私にはそれほど大きな意味を持っていないのです。

実は「誰かにとって幸せな環境」というものを作るのは難しいと思っています。なぜなら、その視点は「作ってあげる」という上から目線でもあり、また実感を伴わないものだからです。「おそらく幸せだろう」という夢想にすぎないのです。

しかし、「自分が幸せになれる環境」という尺度でものを考え、それを安易に妥協せず追求することは、自分と近い価値観を持つ人にとって、ほぼ確実に幸せに近づくだろうと思います。たいていの物事は「自分目線」でないと本当に困ることは解決しないものです。

いわゆる健常者がデザインしたアイテムよりも、障害を持っている人が自分たちのために開発したものの方がよっぽど役に立つということに似ています。大きく立場の違う人が「上から目線」で作るものに対して価値はないと私は思っています。

◆学ぶ場、そして戦う場

私はこの三年間あまり、メンタル的にハンデを抱える方々がどうやったら、自分の人生を自分の決断で生きられる環境を作れるのだろうかと考えてきました。そして実践してきました。個人的には、あまり障害者手帳とか、そういうの、あまり関係ないんですけどね。

ともかく、私のように意志が弱く、飽きっぽく、要領の良くない人間がどうやったら「ラクをしてスキルを身につけられるのか」ということがひとつのテーマでもありました。そして、そういう人間がどうやったら「効率的に自分のパフォーマンスを出せる仕事ができるのだろうか」ということも考えていました。

具体的に例を挙げてみると、対人関係においては、「ストレスの裏技『すべらく!』」(http://suberaku.net/)というポータルサイトを立ち上げて、自分の失敗談や工夫をベースに多くのノウハウらしいものをまとめてきました。

そして、学びという意味においては、就労移行支援事業所という実践の場で、「ゼロから自分の頭を使って成長できる方法」をブラッシュアップしながら進めてきました。その受講生の中には、ゼロから始めた方が見事なシステムを設計し開発する人が生まれるに至りました。

また、戦う場という意味では、現在、会社組織の形態で、より多くの「埋もれた人材」に活躍してもらえるようになるべく、製品開発、それから営業活動をがんばっています。いい人材がいても「戦力としてアテにしていない」という企業もまだまだ多いものです。

◆既存のルールに負けてどうするよ

ただ、企業に「頑張って雇用してください」というだけではいけないと思うのです。実際に「いい人材」がいるのなら紹介する前に「自社」で活躍してもらって、成果を上げた人材がいるという事実を世の中に知らしめるためには、自分たちから率先して攻めなくてはいけないのです。

自分が生きやすいルールを自分で作ること。それは、普通に生きていたら「負け組」だった人が復活するための起死回生のチャレンジなのです。誰かが引いた「負け組」の円の中に入ってあきらめていちゃいけないと思うんですよ。戦い続けている限り「負け」は決まっちゃいないんです。

実のところ、障害の有無とかそういうのは関係なく、苦しい現代を生きる人は同じ気構えが必要なんじゃないかと思います。そもそも「苦しい」なんて誰が決めたんだろうという話です。何が苦しいのか。自分で何かすることはできないのか?……本当にできないのか?……本当に可能性を捨てているだけではないのか?

私は千葉の市川で、そんな葛藤を持つ人と一緒に人生を切り開いています。なぜなら、「思いを持った人」がひとりでも世の中にデビューするだけで世の中は確実に変化を遂げているからです。地味すぎて分からないかもしれないけど、確実に世の中はじわじわと変わっていくんです。

戦っている限り、生きている限り、必ず未来はあります。当たり前ですが、未来があるんです。私は愚鈍かもしれないけれど、大馬鹿ものかもしれないけど、そのことを信じて毎日を生きています。


【おしらせ】
私は「世の中から戦力外通告された若者」に会うのが好きです。なぜなら、その絶望の中に未来の芽が眠っているような気がしてならないからです。だから、もし、このブログを見てビビっときた人は、ぜひ、私と話をしてみませんか。私は基本的にだいたい千葉の市川にいます。気になった方はいつでもご連絡ください。

就労移行支援事業 「ユースキャリアセンターフラッグ」 松下
電話番号:047-711-3368
メールアドレス:matsushita@yc-flag.jp

2013年1月13日日曜日

あとはやるだけ


意外とブログが書けない。あれもできたらいいな、これもできたらいいな……という状況だと夢をタップリ書けるんだけれど、もう、やるべきことが目の前にあって、あとはひたすら現実化させていくだけ……という状況だと難しいものですね。

いろんな人が関わってくれているから、内緒なことを勝手に書いてしまって迷惑をかけてしまっちゃあいけない。すると「内緒は内緒のままで」というわけで、一番書きたいことが何も書けないと。そうかといって、じゃあ暇つぶしの何かを書こう……というのも何か違う。だって暇じゃないんだよ(笑)。

まぁ、自分の記録のために現状について書いてみたいと思います。独立して業務委託やら何やらで生きてきたのだけど、ここんところ状況がちょっと違ってきています。まず、業務委託として受けていた就労移行支援の仕事は、2012年7月あたりから、千葉県市川市にある就労移行支援事業「ユースキャリアセンターフラッグ」で職員として頑張ってます。

そして、主たるビジネスとして準備しているのがMovingShop株式会社の新プロダクト。で、これの詳細はまだ書けないわけだけど、私が今まで数年間熟成させてきたノウハウをパッケージ化させたものになる予定です。もしかすると、就労移行支援事業所の方々が喜んでくれるんじゃないかな。だって、中の人が中の人のために作ったものだもの(笑)。

一応、MovingShop株式会社では社長ってことになっているんだけど、まぁ、ひとり部長とか、ひとり課長とか、そういうイメージで捉えてもらえれば今のところは間違いない感じです(苦笑)。こちらの方も毎月僅かながらの収入を得ています。こちらは就労移行支援事業のお仕事というよりも開発系のお仕事が主体です。

で、もって、わざわざ屋号までとった個人事業主としての「PPJワークス」はどうなっているのかというと、就労移行支援コンサルタントとしての委託業務がなくなってしまい、その代わりに職員としてのお給料に切り替わっているので「PPJワークス」としての収益は激減ですよ。

じゃあ、「PPJワークス」としての活動はやめてしまっているのかというと、そんなことはないんです。目下、ストレス対策のポータルサイト「すべらく!」を整備しているところです。こちら、更新が2012年5月11日で止まってしまっています。実はそのあたりから、新しい就労移行支援事業所の職員になるという話が進み始めていて、まー、どうにも忙しさがピークでしたねえ。

ところで、実は、今日、久々にすべらくを更新しようと思ったんですが、先月あたりにレンタルサーバを新しくしたら更新機能に異常が発生しちゃっていたんですね。すみません。表示機能に異常がなかったからということで、とりあえずそれで安心しちゃっていたんですが、更新ができないって、もー、どういうことっすか……って感じです。

もっとも採算業務がごっそりとお給料仕事に移転してしまったので、なかなか非採算業務に時間をかけることができなくてごにょごにょ……という状況だったのもあるんですけどね。ただ、以前開発した更新機能の使い勝手が悪かったのと、新しいサーバになっていくらか仕様が素敵になったので、ここらでいっちょ新調しようと新機能を開発中です。

今まで、「PPJワークス」の中では採算性の高い業務が光っていたので、どうにも採算性の低い業務が埋もれがちになっていたのですが、後者しか残らない状況になった今、いよいよ本気で手をつけなくてはならないなと……時間を見つけてはせっせと「すべらく!」の開発にいそしんでおります。

こんな感じで、独立してから紆余曲折ありますが、現状は、三足のわらじを履く状況になっていて、その中でも、やや個人事業主としての比率が減っているかな……いや、激減?……という状況です。ただ、これも2013年中に改善させる気まんまんです。

以上、状況記録も含めて報告でした。いやね、本当に書いておかないと忘れちゃうし、PCの中に書いても、どこにいっちゃったか分からなくなる……というリスクを避けるという意味で。偶然にもお読みになられた方がいたら、全力でごめんなさいです。すみません。すみません。

いずれにしても、やることがいっぱいという状況には感謝ですね。右を向いても左を向いてもやりたいことだらけです。いや、マジで。

2013年1月4日金曜日

2013年をどう生きるか


半ば自分の備忘録という体裁になりつつあるので仕方ないのだが、最近は更新頻度が下がっているものの、ブログをずっと続けていると、どうしても開始時からの年月を意識せざるを得ない。未だ道半ばながら、ブログ開始当初のような「がっついた」雰囲気がないのはいいのか悪いのか考えてしまう。

当初は何も具体的な方向性が決まっていなかった。夢の方向はあるにしても、現実的なアクションが何も思いつかなかった。書けることと言えば「とりあえずできることを全力でやってみよう!」ということが精一杯。そして「自分に何ができるのか」という棚卸しくらい。

あれから年月がたち、早く成果を結実させなくてはならないという焦りはあるものの、当初はなかったいくつかの要素が今はある。当初の自分では想像もできなかったような変化がいくつかあった。

 (1) 具体的なビジネスの方向性とアクションが確定している
 (2) 実現するための必要な協力者と人材が十分に揃っている
 (3) 家に帰ると妻と子供が待っていて家庭人としての立場が増えた

最初の(1)は大きい。「何をしようか」という白紙のキャンバスはどこまでも自由だが、いつまでもどこまでも自由というわけにはいかない。白紙に立派な絵を描こうとすればするほど準備時間だけが過ぎていくことも珍しいことではないわけで。

そして、(2)もとてもありがたい。「○○さえあれば」とか「○○さえいてくれれば」とか「○○ができれば」という条件をほとんどクリアできている状態だからだ。つまり、「私がやるかやらないか」という一点に集約されている。逆にいえば何も言い逃れができないほどに環境整備ができている。

最後に(3)については、「ビジネス」とか「プライベート」という範疇で語る内容ではなく、それらひとつ上の層の「人生」というくくりで私に大きな影響力を与えている。そして、正直なところ、この影響力の範囲に私自身が驚いている。

かつての私は「社会や世の中というものは一時的な道具に過ぎない」と思っていた。つまり、自分が生きている間だけお世話になる一時的な環境にすぎないという意味だ。死んでしまえばそれまで。だから、世の中に対して何かをしようという思いは希薄だった。

もちろん、今でも本質的には「死んでしまえばそれまで」という現実は変わっていないかもしれないが、しかし、もし何かの原因で私がいなくなった後も、私の大切な人たちはこの世の中にお世話になっていくのだ。少なからずいろいろと私ができないことでご迷惑をかけることもあるだろう。

そう考えると、世の中は少しでも生きやすい環境であってほしいと思うし、優しい気持ちに満ちあふれた環境であってほしいと思わざるを得ない。ある意味で「人生が枯れてしまった」と思われてしまうかもしれないが、「なにか次の世代に残せるものは?」……ということはつい考えてしまう。

そういうことも踏まえて、2013年は次の目標をたててみた。2013年が無事に終わったら自己確認してみたいと思う。

 (1) 再利用可能なノウハウの構築と提供
 (2) 「伝える力」についての継続的努力
 (3) 伝える機会の「交流活動」を重要視
 (4) 「傾聴」のスキルと「忍耐力」向上

まず、私自身が保有しているノウハウを体系化して多くの方々に使っていただけるツールを作るのが(1)。そして、そのツールも含めて、自分自身が考えていることを文章や言葉で「正確」に伝えることが(2)。さらには、そのための場所に積極的に赴いて共有機会を増やすことが(3)。

そして、私は伝えることが得意ではないせいか、一方的に話をしてしまって反省することも多い。特に議論の場になると「なんとか勝とう」としてしまう傾向があり、結果的に第三者の言葉に耳を傾けることができないときがある。小さな勝敗にこだわるのではなく、本質的な「コミュニケーション」が必要なのだ。そのために心がけることが(4)。

このような方針で2013年を生き延び、そして世の中に私の人生を還元していきたいと思う。