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2013年1月4日金曜日

2013年をどう生きるか


半ば自分の備忘録という体裁になりつつあるので仕方ないのだが、最近は更新頻度が下がっているものの、ブログをずっと続けていると、どうしても開始時からの年月を意識せざるを得ない。未だ道半ばながら、ブログ開始当初のような「がっついた」雰囲気がないのはいいのか悪いのか考えてしまう。

当初は何も具体的な方向性が決まっていなかった。夢の方向はあるにしても、現実的なアクションが何も思いつかなかった。書けることと言えば「とりあえずできることを全力でやってみよう!」ということが精一杯。そして「自分に何ができるのか」という棚卸しくらい。

あれから年月がたち、早く成果を結実させなくてはならないという焦りはあるものの、当初はなかったいくつかの要素が今はある。当初の自分では想像もできなかったような変化がいくつかあった。

 (1) 具体的なビジネスの方向性とアクションが確定している
 (2) 実現するための必要な協力者と人材が十分に揃っている
 (3) 家に帰ると妻と子供が待っていて家庭人としての立場が増えた

最初の(1)は大きい。「何をしようか」という白紙のキャンバスはどこまでも自由だが、いつまでもどこまでも自由というわけにはいかない。白紙に立派な絵を描こうとすればするほど準備時間だけが過ぎていくことも珍しいことではないわけで。

そして、(2)もとてもありがたい。「○○さえあれば」とか「○○さえいてくれれば」とか「○○ができれば」という条件をほとんどクリアできている状態だからだ。つまり、「私がやるかやらないか」という一点に集約されている。逆にいえば何も言い逃れができないほどに環境整備ができている。

最後に(3)については、「ビジネス」とか「プライベート」という範疇で語る内容ではなく、それらひとつ上の層の「人生」というくくりで私に大きな影響力を与えている。そして、正直なところ、この影響力の範囲に私自身が驚いている。

かつての私は「社会や世の中というものは一時的な道具に過ぎない」と思っていた。つまり、自分が生きている間だけお世話になる一時的な環境にすぎないという意味だ。死んでしまえばそれまで。だから、世の中に対して何かをしようという思いは希薄だった。

もちろん、今でも本質的には「死んでしまえばそれまで」という現実は変わっていないかもしれないが、しかし、もし何かの原因で私がいなくなった後も、私の大切な人たちはこの世の中にお世話になっていくのだ。少なからずいろいろと私ができないことでご迷惑をかけることもあるだろう。

そう考えると、世の中は少しでも生きやすい環境であってほしいと思うし、優しい気持ちに満ちあふれた環境であってほしいと思わざるを得ない。ある意味で「人生が枯れてしまった」と思われてしまうかもしれないが、「なにか次の世代に残せるものは?」……ということはつい考えてしまう。

そういうことも踏まえて、2013年は次の目標をたててみた。2013年が無事に終わったら自己確認してみたいと思う。

 (1) 再利用可能なノウハウの構築と提供
 (2) 「伝える力」についての継続的努力
 (3) 伝える機会の「交流活動」を重要視
 (4) 「傾聴」のスキルと「忍耐力」向上

まず、私自身が保有しているノウハウを体系化して多くの方々に使っていただけるツールを作るのが(1)。そして、そのツールも含めて、自分自身が考えていることを文章や言葉で「正確」に伝えることが(2)。さらには、そのための場所に積極的に赴いて共有機会を増やすことが(3)。

そして、私は伝えることが得意ではないせいか、一方的に話をしてしまって反省することも多い。特に議論の場になると「なんとか勝とう」としてしまう傾向があり、結果的に第三者の言葉に耳を傾けることができないときがある。小さな勝敗にこだわるのではなく、本質的な「コミュニケーション」が必要なのだ。そのために心がけることが(4)。

このような方針で2013年を生き延び、そして世の中に私の人生を還元していきたいと思う。

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