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2010年1月21日木曜日

スキルとコスト

今年に入ってからいろいろと忙しく、すっかりブログの更新をご無沙汰してしまった。特に2月中旬以降からは自分でお金を引っ張らなくては生きていけない。そのために試験的な業務を請け負ったり、人に会うための時間に充てたりしていて、例年よりもいくらかバタバタ気味だ。

幸いにも私が持っているスキルは、IT関連一般の広範な知識と経験だ。もちろんその中でも特定のスキルに特化した人にはかなわない。これは認識している。しかし、ごく少人数から何かを始めようとした時、広範な知識と経験は何よりも力になる。自分のできないことのために第三者を探さなくてもいいからだ。

もちろん、規模を大きくするためには第三者の力は必要不可欠だし、自分とは異なる視点を持つ第三者が加われば相乗効果で広がる可能性があることも十分承知だ。しかし、資金がない時に人を集めることに腐心するよりも、まずは自分で事業のプロトタイプを作れることは大きなアドバンテージになる。

たとえば、私は「自動化」という分野に人並みならぬ思い入れがある。人間が何かの作業をする時の思考をトレースし、それをロジック化してマシンに埋め込む。もちろん人間が行う作業のすべてをマシンに委ねることはできないが、かなりの部分をアシストできる。そのシステム構築を私はひとりでできる。

そのために必要なものはロジックを走らせるマシン、そしてそれらを稼働させるための電力やネットワークなどのインフラがあれば済む。在庫ととして必要なのは新たな知識くらいのものだ。それすら最近ではネットワーク経由でいくらでも獲得することができる。

つまり元手がほとんどかからずに何かを作り上げることができるスキルなのだ。そして、個人情報や秘匿情報のように削除の責任が伴うもの以外は、基本的に電子データだから何もなくならない。ただただ蓄積されていくのみだ。蓄積された成果物は、さらに次の成果物を生み出すためのコストを下げる。

私が精神障碍の世界でITエンジニアを育てようと思うのは、そこに理由がある。システム構築とかロジック実装というのは、上手にやれば本来はどんどんラクになっていく仕事のはずだ。精神障碍は「一般的に」長時間の就労が難しいと言われている。確かにそういう一面はあるかもしれない。

ただ、私だって「勤労時間8時間」と言われれば、できればそれ以上働きたくないタイプの人間だ。ましてや30半ばを越えたハケン仕事なんぞに時間をかけたくはない。どれだけがんばろうが上が見えてこないのだから。ご褒美といえば「契約期間の継続」くらいのものだ。

もちろんそのご褒美の恩恵は計り知れないが、だからといって「65歳までハケンができるのか?」と考えてみれば自明の理だろう。ハケンというのはよっぽどの事情がない限りは、いつか自分から降りなくてはいけないレールだと思う。長く走れば走るほど降りるのが難しくなり、同時に、突然レールを外されるリスクも増えていくのだから。

勤労時間の話に戻そう。私だってハケンなら8時間以上は働きたくない。いや、ハケンだけでなく正社員であっても8時間以上は働きたくない人間だ。しかし、ロジックをマシンに上手に載せるスキルがあれば、実質8時間も働かなくていいのだ。

たいてい最近の仕事はパソコンを使う内容が多いが、パソコンに向かって仕事をしている時の比率を考えてみるといい。単なる入力業務だけであれば話は別かもしれないが、工夫すれば操作時間を大幅に省力化することができる。つまり「人間操作:マシン動作」の稼働比率をマシン側にシフトできる。

さらに可能なら、人間の操作とマシンの動作を切り分けるといい。人間が上手にマシンにオーダーを与え、マシンは一晩中かけて働き続ける。人間の数百倍以上の早さで忍耐力が必要とされる作業を文句も言わずにやってくれる。導入コストとインフラ等のランニングコストを考慮しても、時給換算で人間より遙かに安く働いてくれる。

不思議なもので、パソコンを操作している時間は勤労時間として認められやすい。たとえば、パソコンに向かって何かの操作をして、パソコンが処理している間のちょっとの待ち時間がそうだ。「今、ちょっと処理が終わるのを待っているんです。」という言い訳(?)だって成立しそうなものだ。

この作業の一日平均を分析調査して、人間の操作が60秒で機械の応答が30秒だったとしよう。つまり3分の1がパソコンの仕事で、それ以外が人間の仕事だ。しかし、もし人間側の作業とパソコン側の作業をきれいに切り分けることができたとしたらどうなるだろう?

8時間の作業時間で同じペースを維持した場合、およそ2.7時間はパソコンが働き続けることになる。つまり人間はおよそ5.3時間しか働いていない計算になる。これが人間とパソコンが交互に働いていれば「勤務時間」とみなされ、パソコンが動いている間ずっと休憩をしていると「サボり」と判断されがちだ。

もちろん雇用する立場からすれば「空いた時間は働いてくれよ!」になるかもしれない。しかし非効率に働いている方はトータルで2.7時間休憩することができてしまうのに。これでは効率損だ。非効率な人が得してしまうことになれば、組織内の効率化は促進されなくなる可能性もある。

もちろん実際のところ、マシンが稼働している時間をそのまま勤務時間として認めるのは現実的ではない。マシンが徹夜した分を残業扱いにできるわけがない。しかし効率化を進めた分のご褒美はあってもいいと思う。計算比率は検討の余地があるものの、作業の効率化が実現できた場合はフルタイム就労扱いで帰宅してもよい・・・とか。

もしこのルールが適用できるならば、効率化できればできるほど短時間労働になっていける。ある作業の「出来高払い」というルールにしてもいい。決まった金額について非効率に働けば働く分だけ時給単価が下がっていくという仕組みだ。長時間の勤労ができないという特性が決定的であれば、このルールは最適解になるだろう。

「長時間の勤労ができないという特性が決定的であれば」と書いたのは、環境によっては精神障碍でも長時間勤労が十分可能だと思っているからだ。たとえば、精神障碍の当事者で6時間以上もぶっ続けでカラオケで歌い続けられる人を私は知っている。

カラオケで6時間といえばそれなりに長時間だ。仕事とカラオケの限界時間の違いは、心の中に「快」があるかどうかではないだろうか。つまり心の中が「快」になる環境を構築することでも、仕事の航続時間を長くすることができるだろうと考えているのだ。

実際のところ、8時間以上は働きたくない私にしても、ハケン以外の仕事を掛け持ちしているので、一日のトータルで言えば18時間くらい働いているかもしれない。ただ、ハケン以外の仕事はどちらかというと私の好奇心が原動力になっている。

だから、こう書いてしまうと怒られそうだが、かなり趣味性に近い時間を過ごしているので苦痛ではない。これがお金を生み出すので「仕事」扱いになっているだけの話だ。もちろんクオリティを高く保つということすらも私にとっては趣味の一部だ。

いかに「自分自身が長時間働かずに、正確な仕事ができるようになるか?」・・・というテーマは、長時間勤労が難しいといわれている層に実は向いているんだと思う。