+1

2011年3月30日水曜日

もっと「ラク」しようよ!

私はラクをすることに人生をかけている。このテーマは非常に深いと思う。まずひとつに、ラクをするためには「ラク」の反対側にある「苦労」を知る必要がある。苦労を知らないとラクになったとしても、実際に実感できる効果は限りなく小さい。効果があまりに小さすぎる場合はラクをする工夫自体がロスになる。このあたりは「ラク」のバランスをよく考える必要がある。

私にとって「ラクになる」とは、「面倒くさいことが減る」ということだ。つまり、どんなことも面倒がらない人にとっては「ラク」が存在しない可能性もある。ただ、世の中には効率性という概念がある。たとえば工場で部品を一日あたり50000個作らなきゃいけないとする。たとえ面倒がらない人であっても、ゆっくりとマイペースでやっていたら、必要とされる50000個をこなすことはできない。つまりそこには工夫が必要なのだ。

だから、効率化するのだ。「効率化」というと、すぐに「人間らしさの喪失」やら「大事な何かを忘れている」だのと言って、なんとなくヒューマニズムめいた論調になる人がいるが、そういう人は何も本質が分かっていないと思う。ヒューマニズムを追求するために効率化をするという視点もあるのだから。私には、単に「自分がついて行けない領域にケチをつけているだけ」のようにしか見えない。

私が考えている「ラク」の要素とは、

(1) 何度も不毛なやり直しをしない → 正確でミスが少ない
(2) 極力人間がやらずにすむことはしない → 無駄に疲れない
(3) 迅速に量をこなせるようにする → 生産性の拡大をする

ということだ。

何度も同じことのやり直しをしないためには、一回やったことをきっちりと整理して、二回目はできるだけ考えなくてもいいようにしておくことが大切。できるだけ人間がやらなくてもいい作業は機械にやってもらうのがいい。どれだけ効率化したところで機械が100%できるわけではない。その100%ではない部分、つまり人間にしかできない部分がどうしても残るのだから、それを人間がやればいいと思う。

こういう話をするとよく誤解される。「和菓子とか饅頭の製造を機械化すると、そんなものにぬくもりが感じられない。それでも効率化のためには機械化すべきだというのか?」なんて。いやいや、そんなことは一言も言っていない。人間が作らなきゃぬくもりが感じられない仕事があるとすれば、それはやはり人間がすべき仕事なのだから。ただ、大量の単純計算みたいなものがあったとすれば、そこに必要なのはぬくもりではなく正確さだ。そういう仕事は機械にやってもらった方がいい。

また、「効率化」と一言でくくっても、その意味には広がりがある。たとえば飲食店でいくら料理の生産性が高くても、お客さんが来なかったり、スタッフが頻繁に辞めてしまうような環境だとしたら意味がない。たまに聞く事例で、知的障害者をスタッフとして働いてもらったら、彼自体の作業的な生産性はそれほど高くなくても、お客様が増えたとか、スタッフの結束が高まって離職率が下がったという話がある。

でも、これはこれで「全体の効率が最適化されている」と考えていいはずだ。私が考えている「ラク」の行き先には必ず「人の幸せ」があるべきだと思っている。そして、私のノウハウをお伝えしている方々にも、そういうマインドを持って「ラク」を追求していってもらえれば嬉しいと思っている。普段の生活でも「ラク」になれる工夫はあるし、仕事の道具にしても工夫すればもっと「ラク」になれる。

※ちなみに心がラクになりたい方は「すべらく!」へ↓
すべらく!(http://suberaku.net/)


◆閑話休題◆
そういえば「ラク」といえば、せっかく機械を使いこなしているのに「ラクになっていない人」がいる。パソコンの処理が中途半端に遅いので、少し放っておくと処理が終わっていて時間が無駄になり、人が張り付いているとそれはそれで時間の無駄に思えてしまうケース。そういう場合は手っ取り早くパソコンの高速化を検討してみるのもいいと思う。

最近は便利なパソコンパーツが増えてきたが、その中でも従来のハードディスクを置き換える装置としてSSDがある。いくらかの知識が必要だが、自力で対処 できるか、作業を依頼できる友人や店があるなら、まずハードディスクをSSDに交換することをオススメする。これだけでパソコンは圧倒的にスピードアップ する。ほとんど特効薬といってもいい改善っぷりが期待できる。

それから、64ビット版のOSを使っている人なら少なくともメモリを4GBにするだけでも大きな効果がある。使っているパソコンのスペックが許すなら、さらにそれ以上のメモリを増設すると、さらに効果大だ。

人間が「ラク」をするための機械なのに、その処理の遅さに人間が振り回されるとしたら本末転倒だろう。

2011年3月23日水曜日

非常識なライブ講義

私が企画しているITコースの講義は何でもアリだ。むしろ、世の中に当たり前に存在している内容と同じことをするくらいなら、私は他のことに時間を費やしたい。だから、私は非常識と言われようが、いや、むしろ非常識と呼ばれるコースを企画している。

たとえば、ITコースなのに、具体的なサイト作成の方法は教えない。Excelを使うといっても関数や集計の方法などは教えない。やるとしたら、Excelでプレゼン資料を作って遊んだり、面倒くさいプログラミングをExcelでラクして生成するなんてことをしている。

基本的に「自分で調べて自分で身につけるべし」という姿勢を終始一貫しているからだ。本気で新しいことを覚えようとするなら「誰かに教えてもらおう」なんて思っている時点で失格だ。細々としたことは自力で調べて自己解決すべしだと思うからだ。

「自立のため」といいいながら、手取り足取り教えているところもあるが、個人的にそういうシステムは自立を妨げるだけだと思っている。真の自立とは「頼らずに前進する気持ち」から始まるのだ。自立への近道は「自己解決力」を身につけることに他ならない。

今日は就職サポートセンター「ビルド」でのITコースで全く新しい試みを実施した。その名も「ライブ講義」だ。基本的に私のITコースには筋書きがない。そういう意味では常に「ライブ」と言えなくもないが、今回の試みはそれ以上にライブだ。

実は私の今までの仕事の中で、パワーポイントでアニメーション機能を使う機会がなかった。パワーポイントで資料を作っても、基本的に印刷物配布を前提とするので、そもそもアニメーション機能を使う必要がなかったのだ。だから私にとっては未知の世界。完全なゼロ知識だ。

これを二時間という限られた時間で、ゼロからどのように知識を得て、どのような突破口を見いだし、どのように実用に展開させていくのか。これを実際に受講生に見てもらうことにしたのだ。受講生も私も未知の領域という意味では、ほぼ同じ視点で見えることだろう。

実は前日の時点で、念のために予習をしようかどうか迷った。私だって恥をかきたくないし、そもそも仕事なのだから万全を期したい。しかし、それをしてしまうと「ゼロ知識」ではなくなってしまう。心のどこかでできるだろうと思っていたが、準備を全くしないことへの不安はやっぱりあった。

結果的にはそれなりに有意義な内容になったと思っている。

(1) Google検索でのキーワード選定のコツ
(2) Google検索結果でのリンク先評価のコツ
(3) 検索結果からさらにピンポイントで絞り込むコツ
(4) 参考ページの使い方(完全に読み込まずに途中で遊ぶ)
(5) 遊びから応用的に業務レベルのテクニックに昇華させる

それぞれのポイント詳細は残念ながら企業秘密だ。いや、正直に言おう。ここでそのポイントを書くためには、自分自身のノウハウ自体を再分析する必要があるし、そのために多くの時間を割かざるを得ず、ここには書ききれないというのが実情だ。別に意地悪をしているわけではない。

ただ受講生にとっては大きな刺激になった様子だった。何よりもマジメな性質を持つ彼らにとって、私の「浅いアプローチ」は不思議に感じたかもしれない。「少しでも分からなければすぐに読解を断念して次に行く」という手法。しかしスピードのためには必須テクニックだ。

さらには、参考になるページが見つかっても、そのページの通りには「絶対に進まない」という点も不思議だったかもしれない。しかし、彼らに書いてもらった感想シートを読む限り、私が一番伝えたかった点が間違いなく伝わっていたことが分かり安心した。

「学習」ではなく「遊び」として「楽しみ」に変えてしまい「おもしろい」に変化させるまでの過程が伝わったというのだ。全くその通りで「おもしろい」に変わった瞬間にスキルのほとんどを手に入れたようなものなのだ。あとは「おもしろい」の勢いに身を任せればいい。

私は単純に何かを教えようというつもりは毛頭ない。しかし「おもしろさ」を伝えることには全力を傾けたいと思っている。これこそが私がこの仕事をやっているゆえんだ。小手先のテクニックではどうせ向かった先で詰まる。「本質的な力」=「好奇心」=「自己解決力」こそが重要なのだ。

私の頭の中には次の「非常識」がすでに準備されている。これからが楽しみでならない。

2011年3月2日水曜日

ハイブリッド型な人材

障碍者就労移行支援の現場にいると「条件に合う仕事がない」という悩みをしょっちゅう聞く。スキルはあるのに体調的な兼ね合いでうまくいかないこともあれば、特定の障碍に対して仕事の需要がまったくないということも少なくない。

仕事がみつからない場合、その状況を改善するための単純なアプローチとしては「職域を広げる」という方法がある。一般的すぎる職域であれば競争率の高さからマッチングが難しくなるだろうし、逆にニッチすぎる職域でも採用人数の少なさからマッチングが難しくなる。

だから、一般的すぎず、かつ、ニッチすぎない職域に進出するのがいいということになる。できれば「ちょっと難しそう」とか「ちょっと大変そう」と思われる領域を選んでみるといいんじゃないだろうか。人が躊躇する領域に極上の仕事があるのだから。

それから「器用貧乏」といわれようと、得意分野を複数用意しておくといいんだと思う。人を雇用する上で困るのが仕事の配分だ。どんな仕事でも少なからず波がある。仕事がなくなってしまった人を放置しておけば、働かない人にコストがかかり続けることになるし、そういう人に新しい仕事を作って割り当てることにもコストがかかるのだ。

しかし、たとえば「簿記経験」と「サイト更新経験」を持つ人材が、社員の少ない中小企業に入社したとしたらどうだろうか。普段は会計ソフトを使って経理の仕事をする前提だとしても、この人材には会社にとって大きなメリットがある。

経理の仕事が一段落しているタイミングで、手つかずになっていたサイトを更新してもらえるかもしれない。サイト更新部門のスタッフの退職などでサイトの更新ができなくなってしまった時も、サイト更新のできる人材がいれば急遽活用することができる。

そんなわけで何かメインの専門以外に、何かあとひとつくらいサブスキルを持っていると、いろいろと「使い勝手のいい人材」=「需要のある人材」になれる。営業活動をする人材にしても、何か他に得意分野を持っていれば、いつか仕事に活用できる可能性は高い。

今の時代「コラボレーション」で付加価値がついてくる事例は多い。一見、関係性が薄そうなモノとモノが絡み合って、新しい価値が構築されることも少なくない。個人の場合「興味」とか「趣味」という次元で「人材としての付加価値」がつくといえるだろう。

昔、「趣味をやるなら徹底的にやるべきだ」という訓話をなぜか就職セミナーなどで聞いたことがあるが、まさにこのことだったんだなあと最近思う。趣味とか好奇心を無駄にしちゃいけない。無駄だと思うことに何かのヒントが隠れているのだから。

そんなワケで「このスキルって本当に役に立つの?」と思ったとしても、それが自分にとって楽しいことだったとしたら、大いにやった方がいいと思う。なぜって楽しいと思えることの方が、比較的苦労しないで多くを吸収することができるのだから。