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2013年3月24日日曜日

障がい者……利用者様……


◆障害を巡るいろんな呼び方

私は、過去に何度か「障害者」、「障がい者」、「障碍者」の表記について思うところを書きました。私は「障害者」派(?)です。言葉狩りをしても本質的には何も変わらないし、同じ意味なのに表記をコロコロ変えてしまうと、障害者自身が困ってしまうことも少なくないことが分かっているからです。

文字の認識について障害を持っている人から見れば、パンフレットに「当日は障碍者手帳を忘れずお持ちください」と書いてあっても、目の前にある手帳には「障害者手帳」と書いてあるわけです。「……あれ?……この手帳じゃないのかな?……ええと、そもそもこれ、なんて読むのかな?……しょう……ぎ?……とく?……てちょう?」と。

まあ、このあたりはいつも微妙なところで、結局、議論をしたところで「誰に合わせるのか」というところで結論はでないのですけどね。だって、私が「障がい者」という文字を読むと、なんとなく馬鹿にされてるのかな……って思ってしまいます。どうせ、「害」の字が読めないのだろうと思っているのだろう……と。

それでも、「障害」以外の表記の方が無難といえば無難なのかもしれませんけどね。なぜなら、そもそも「障害」の「害」の字を外せと言い始めたのは障害者の一部という説もありますから。もちろん当事者によっては「そんなもん興味ねーよ」と思っている人もいます。気にする人もいれば気にしない人もいるよ……というそういう次元の話です。

答えの出ない「障害者」表記問題はおいておくとして、最近、個人的に気になっている表記があります。近年、急速に障害者を対象とした就労移行支援事業所が増えてきているわけですが、ここで利用者を呼ぶ場合の表記が事業所によって微妙に違うことに気づきました。「利用者のみなさん」、「利用者」、「利用者様」……と。

◆「働く」=「お客様」?

この中で私が一番気になったのは「利用者様」です。これ、とても理由は分かるけど、その一方で個人的には違和感があります。たぶん、その事業所は「第一のお客様」を「利用者」と定義づけているんだろうなと思います。もしくは、へりくだった立ち位置で「自分たちは、自分たち以外の方々のためにあるのです」的な。だから企業に対しては「企業様」と呼んでいるのかもしれません。

話を進める前に書いておきたいのですが、私は「利用者様」と表現している事業所を馬鹿にしているわけではありません。ただ、どうして「様」を付けているのかな……と、その理由が知りたいというか、あくまでも個人的好奇心を刺激されただけなんです。その先にどういう価値観があるのかなあとか、そのあたりが知りたくて知りたくて仕方がないだけなんです。

さて、私が考える就労移行支援事業とは、「利用者」が「自立心」を持って「社会の一員」になれるための手伝いをすることです。社会の一員ということは、細かい形態はどうあれ「職場」で活動することになると思います。職場からの立場で考えて一番困る人は「何にもできないことを当たり前のことのように振る舞い続ける人」です。

いろんな職場で障害の有無に関係なく、こういう人によくかけられる言葉があると思います。「君ね、いつまでもお客さん気分じゃ困るんだよ」……と。働くということは「サービスを提供する側」に回ることです。サービスを提供される側がお客様です。つまり、働くための訓練や支援は「お客様」から脱却するためのステージだと思うんです。

で、いつかは「お客様」を脱却した「社会の一員」になっていこうと思っているはずなのですが、それをトレーニングするための場所で「利用者様」と「お客様」扱いを受けていると「脱皮」が難しくなったりしないのかな……と思ったりもします。きっとここらあたりの戦略が違うから、あえて「様」付けしているんだろうと思うのですが、やっぱり私には分かりません。

◆お客様には極上の居場所を……

ものすごーくシビアに現実的に考えれば「利用者」は就労移行支援事業所から見れば「一番のお客様」です。なぜなら、利用者が事業所を利用してくれることによって、貴重な税金の中から助成金として事業所は収入を得られるからです。そんな利用者を「絶対にしあわせにしたい!」と思う気持ちは私も同じです。でも、だからといって「お客様」……は違う……かな。

誤解を恐れずに書けば、「利用者は成長してとっとと社会へ出て行け!」というやり方が正しいのかなと思っています。もちろん分野によっては時間をかけてスキルアップしていくことが大事です。むしろ私が行っているいくつかの講座や試みは「長期的育成」に関するものです。それでも、基本的には「できるようになったら、とっとと社会に出て行け」というスタンスが正しいと思うのです。

利用者を「お客様」扱いして、とても居心地のいい「居場所」を提供するのは就労移行支援事業所のミッションではないんじゃないかなと思うのですね。むしろそのあたりは、地域活動センターとかデイケアとかそのあたりのお仕事なのかなと。それよりは「今よりは居心地が悪くなるであろう」職場に耐えうるためにも、早期にシミュレーションが必要なんじゃないのかなと。

それから、過去に私が関わった就労移行支援の現場で過去にこういう事例もありました。確か発達障害でお困りの方だったと思います。ものすごく頭が切れて回転もいい方だったことを記憶していますが、その人が利用者を結集して「自分たちの思い通りにさせろ」という抗議活動を始めようとしました。就労移行支援事業所の中で自治権を持たせろというのです。

「最終目標はすこしでも早く就職して、ここから出て行くことですよね。要求は最終目標からズレているし、ここの方針がイヤなら、他にたくさん就労移行支援事業所はありますよ。」と伝えたときに、彼の口からこぼれた言葉があります。「私たちのおかげであなた方は給料をもらっているのでしょう?だから私たちの要求を聞くべきです!」と。

◆権利主張は大切だが……

彼との話し合いは平行線を辿り続け、結果的には就労移行支援事業所の利用を中断していただくことになりました。最後まで「労働者は労働環境を変える権利がある」と訴え続けていました。「ここは職場なのではなく、職場で活躍するために必要なトレーニングの場ですから」……という言葉は最後まで理解されなかったかもしれません。

しかし、その時、自分の中で無意識に行っていたことを反省しました。「個性から生まれそうな可能性」を大切にしようとするあまりに、私は当時、利用者を「お客様」扱いしていたのです。嫌われないように、嫌われないように。いつでも気持ちよく通えるように。そして、創造性豊かな発想力にはなるべくブレーキをかけず、まずはとにかく成功体験と自信を持ってもらおう……と。

これは障害者手帳の有無に関係のないことですが、あまりに根拠のない自信が蓄積し続けると、人は時として「自分の価値観が絶対的に正しい」と思い始めます。そのエネルギーは洗脳的ですらあります。「こんなに努力をしているのに」、「こんなに貢献をしているのに」、「認めないのはアイツに能力がないせいだ」、「社会が悪いから自分は報われないのだ」……と。

権利主張は大切なことです。大切だと重要性を十分に理解した上で書きますが、私は権利主張が大嫌いです。権利主張は「頭を使わなくてもできる」ことだからです。そして「自分の責任を果たさなくてもできる」ことでもあるからです。その時から私はできるだけ、利用者に対して「お客様」扱いしないように心がけるようになりました。

権利主張というのは「戦い」です。相手から妥協を引き出すための戦いです。自分の非を認めると戦いが不利になるので、基本的には自分の非を認めません。「当然の権利」を手にするために戦うのです。しかし、最初から対決姿勢を好む人間を雇用したいと思う企業があるでしょうか。おそらく多くはありません。だから権利主張を我慢することも大事なトレーニングの一環なのです。

◆なぜ「利用者様」なのだろう?

そういう意味で「いやならいつでも『自分の意思』でやめてもいいんだよ」というスタンスを持つ事業所の方が私は好きです。変にお客様扱いをして、結果的に「職場とのズレ」で苦しませる結果になるのも気の毒ですし、「権利主張」を振り回しすぎて社会から煙たがられる存在になっても、やはり気の毒だと思うのです。

物事の「呼称」には「ポリシー」が宿ります。どのような何気ない言葉だったとしても、そのひとことの端々には理念が宿ります。私は、「利用者様」という言葉を使う事業所のポリシーというか理念を知りたいなあと本気で思います。なぜなら私が理解することの難しい価値観だからです。それを説明してくれる人がいたらじっくりお話ししてみたいです。

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