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2013年3月11日月曜日

ユニバーサルな説明


◆基本的にはユニバーサルがいい

世の中はユニバーサルであった方がいいと思っています。特別に「障害に配慮する」というのではなく「誰にとっても配慮されている」ということが理想です。しかし、これで何でも解決するのかといえば、そんなことはありません。本質的に「完全」なユニバーサルは困難だと思っています。

一例をあげれば、私は技術的なことを説明しなければならない時に、いろんな「たとえ話」を活用します。個人的な理想としては「子供でも理解できる説明」ができることです。しかし、それすらも「ユニバーサル」ではありません。なぜなら発達支援が必要な方々の中には「たとえ話」を理解すること自体が困難な方々もいるからです。

私は千葉の市川市で、発達支援が必要な方々が幸せな就職をできるようにする仕事をしていますが、その説明会で親御さんから苦言をいただくことがありました。「発達障害に特化していると聞いて来たのですが、うちの子にあった説明でなかったのが残念でした」と。

せっかく足を運んでくださったのに、率直に申し訳ないと思います。ただ、発達障害というのは人の数だけ違います。いくらかの「傾向」はあっても、その強度や方向性、それから複数の「傾向」の重なり方から何から何まで違います。発達障害の特性は「ひとこと」で語れず、「うちの子」が抱える課題も多様すぎる事象の一個性なのです。

理想を言えば、それぞれ個別に説明できるのが一番いいのでしょうが、説明会という「一対多」という状況での伝達手段には限界があるのかもしれません。どこかにターゲットを定めてしまうと、どこかに支障が発生してしまうのです。誰かに対して「わかりやすく」伝えようとすると、そこにはまらない誰かにとって「分かりづらく」なってしまうのです。

さらに言えば、本当に来てほしいと思っている層にまっすぐメッセージを伝えたいのに、そこを下手に情報保障してしまうと、肝心な「来てほしい」層を獲得できず、「想定していない」層を取り込んでしまい、講師と利用者の双方が身動きできない状況を生み出してしまうかもしれません。

◆まずは「想定する層」に呼びかける

そこで「冷徹」な考え方についても検証してみたいと思います。それは「どんな人でも限りなく受け入れられるわけではない」ということです。たとえば障害特性というよりも人格的な部分で施設利用が困難な人もいるでしょうし、理解力という部分で職員のフォローが追いつかない人もいるでしょう。

これは実はものすごく大事なことで、「支援者としてお役に立てそうな対象者」を選別する必要があるのです。「選別」というと非常に刺激的な意味を伴って伝わってしまうかもしれませんが、要するに「当事者の利益が確保できないことはしたくない」ということなのです。貴重な人生の時間と受給期間を無駄遣いさせてしまってはいけないのです。

ここに松下が書くことは「就労移行支援事業所としての公式見解ではありません」が、少なくとも私が担当するコースにおいては、「何かひとつでも発見を持って帰ろう」という人だけに集まっていて欲しいのです。もっといえば「後ろ向きな気持ちを前向きにする」というところにエネルギーを割きたいとは考えていません。

そして「最低限の線引き」というのを分かりやすく説明しておく必要があるとも考えています。すなわち、説明会の時点で「この話が理解できない人は対象者ではありませんよ」という意図を伝えることです。もちろん無駄にハードルをあげるつもりはありませんが、最大限平易な表現で伝えてみて「理解されなかったら仕方がない」というスタンスです。

分かりやすい話をしましょう。たとえば私のコースを受けるための最低条件は「日本語が分かること」です。ここで「どんな国の人にでも機会は均等に提供すべきだ」と主張されたとしても、私にはどうしようもありません。私の意思をある程度誤解なく伝えるために、私が使える言語は日本語だけだからです。

つまり、私が想定している範囲を大幅に超えてしまっている方々に対して、有効に「お役に立つことができない」のです。この想定の種類は、言語だけにとどまらず、興味特性、最低限の知識……など多岐にわたります。

◆理解できないけれど興味のある人をすくう

そういう意味で個人的な本音を書くと、第一においでいただきたいのは「私がお役に立てる可能性の高い方々」だということです。つまり、私が説明会で話した内容を理解することができて、それを聞いて魅力を感じていただける方なのです。逆にそうでないと、せっかくおいでいただいても続けることがツライと思うのです。

先ほど、「来てほしい」層と「想定していない」層の話がありましたが、これも言い換えると「お役に立てそう」な層と「お役に立てなさそう」な層ということです。「それなら、どうして最初から条件を明らかにしないのか?」という質問が出そうですが、これについては理由があります。

それは、「理解はできないけどおもしろそう」と思ってくれた方には、一生懸命ご案内しようと思っているからです。だから、私は最初から条件を明確にしないのです。たまたまその条件の内容が理解できないために、その後の可能性の芽まで摘み取るようなことはしたくないのです。

ただし、残念ながら「まったく興味がない」という人まで引っ張る余力が私にはありません。時間ももったいないですし、本人が興味を持っていないのに無理に引っ張り上げようとするのはお互いに不毛なことです。「才能や能力がない」わけではなく「たまたまご縁がなかった」だけに過ぎません。

私はなるべく多くの人の可能性を信じたいと思っています。そして、それが伸びるきっかけになれればいいと願っています。だからこそ、そこに全力を注ぎ込みたいと思っています。逆にいえば、そこに乗れない方々については、お互いの利益のためにも慎重な対応が必要だとも思っています。

私がもっとも誠実ではないと思っていることは、「お役に立てなさそう」という予測があるにも関わらず、あたかも希望があるかのような対応をすることです。そして、お互いの時間と気力を無駄に浪費させることです。だから「本物の情け」として「お断り」という選択もあると思うのです。

なお、これは単なる「個人的な考え方の中のひとつ」に過ぎません。これをもって私の結論というわけではなく、私の中にはこれと異なる他の考え方もあります。つまり、私は思考にいくつかの選択肢を持っているのです。その中から「こういう考え方もある」ということを紹介させていただきました。

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