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2013年5月26日日曜日

ネガティブの使い方

◆ネガティブ=悪?

「そんなにネガティブになっちゃだめだよ」というように、ネガティブという言葉は忌避されるイメージがあります。そもそも「なっちゃだめだよ」という言葉自体も否定形でネガティブな響きがあります。確かに話をしていて「これはダメだと思う」とか「やっても無駄だよ」という会話にはウンザリします。

ネガティブといえば、昔から伝わる言葉で「悪事千里を走る」というものがあります。つまり、ネガティブな話題は短い時間であっという間に伝達されてしまうという意味です。今のようなデジタルネットワーク時代ではなかった頃からの言葉だと考えると、ネガティブな情報のエネルギーはすごいようです。

ただ、私は「ネガティブ情報こそが人類を現在に至るまで生存させてきた重要な要素」だと思っています。たとえば次のような状況で優先すべき情報はどちらでしょうか?……「もう少し前進すると生存に必要な泉がある」という情報と、「もう少し前進すると猛毒を持った蛇の巣がある」という情報です。


◆寝ている頭をたたき起こせ

たいていの場合、人間が生きていくために必要な情報の優先度は「ポジティブ情報」よりも「ネガティブ情報」の方が高いことが普通です。「よく食べる好きな食べ物はなんですか?」よりも、アレルギー反応も含めて「避けている嫌いな食べ物はありますか?」と聞いた方が生存に関する安全性は高まります。

このように、ネガティブなイメージは生存本能に近いところに存在しているので、ポジティブなイメージよりも反応が早いことが多いのです。たとえば、「あなたの未来の夢はなんですか?」と聞くと「特にないです」と答える人が多いのですが、「今、不満はありますか?」と聞くと即答できる人は増えます。

一時期「好き」の反対語は「嫌い」ではなく「無関心」だという言葉をよく聞きましたが、「問題意識の有無」というのもこれと同じで、基本的に「不満点」と「改善点」は対をなしています。不満がなければ便利な自動車やコンピュータは生まれなかったはずです。多くの発展は不満を基盤にしています。


◆黒を白にするということ

ネガティブなところに気がつく人は、生きているだけで「なんとかしなければならないポイント」を探し出すことに長けています。不満を不満のままにするのではなく、それを「どうすれば解決するのか」というところまで追求していくことができれば、より幸せな日々を送ることができるようになるはずです。

ネガティブなポイントの中には変えることが難しいものもあります。たとえば、「苦手な相手の性格を変える」ということは不可能に近いでしょう。しかし、「何が苦手なのか」、そして「そう思うのはなぜか」と考えていき、「相手の性格の長所にはならないのか?」と、異なった解釈を導くこともできます。

そんなに改善点の宝庫になりうる「ネガティブな人」なのですが、やはり人間づきあいをする上では気をつけるべき点があります。それは「どうせ変わらないに決まっている」という思い込みを捨てることです。「どうやったら変わるのか」を考えられるようになれば、おそらく人間関係もラクになるでしょう。

2013年5月19日日曜日

ワールドカフェって何?


◆集団ブレーンストーミング

「ワールドカフェ」という言葉を聞いたことがありますか?……私が理解している範囲で説明すると、「いろんな人の考え方=客」が「いろんな話題を蓄積したテーブル=店」をハシゴしながら、アイデアを特定のベクトルに縛られずに育てていく「ブレーンストーミングの方法」というイメージです。

ワールドカフェの簡単な進め方です。

(1)開始時の気持ちや状況を各自表明する
(2)部屋全体のテーマを決める
(3)部屋に用意した複数のテーブルに4人~5人が座る
(4)テーマについて自由に話し合う
(5)15分程度で同じ人とかぶらないようテーブルを移動する
 ※ホストだけは残ります
(6)新しいテーブルでまた(4)→(5)を繰り返す
(7)1~2時間経ったら最後のチームでまとめを発表する
(8)終了時の気持ちや状況を各自表明する

このような形でワールドカフェは進んでいきます。なお、各テーブルには大きな模造紙が置いてあり、メモを書いても絵を描いてもOKです。


◆守っておくべきルール

この「ワールドカフェ」にはルールがあります。

(1)一切の否定をしないこと
(2)何も決めないこと
(3)一人だけで延々と話さないこと

私が知っているルールはこの3つですが、「ワールドカフェ」はいろいろな場所で行われていて、レギュレーションにもいろいろと派生ルールがあるようです。

このルールを守った上で「ワールドカフェ」に参加すると、次のようなメリットが得られます。「社会的に接点のない人と同じテーマについて語れる」=「自分が生きている業界での常識とは違う視点に触れられる」ということです。「常識」を疑わなくても「自動的」にいろんな気づきを得られます。

事前に各テーブルの「ホスト」を決めておき、その人は同じテーブルにとどまることになります。それはそのテーブルで話し合われたことを、他のテーブルからやってきた「新顔さん」に語り継ぐ「店主」のような役割になります。ただ、どうしてもこの「店主」の力量が議論の質に影響する要素になります。


◆ストレスになることも?

「ワールドカフェ」を上手に活用すれば、あまり苦労せず自分一人では気づけなかったような発想に出会えることもありますが、参加者に恵まれるかどうかによってはストレスフルな状況を生むことがあります。たとえば自分が賛同できないアイデアを賞賛しなくてはならない状況も生まれてきます。

また、視点や価値観が大きく違いすぎることで「テーマから逸脱している」かのように思える状況を体験することもあります。そういうストレスの多くは「否定しない」というルールが引き起こすものですが、そういう場合の解決案があります。それは「なぜ、その話をするのかを聞く」という行動です。

「私が聞きたいのはそんな話ではない!」という対決姿勢になるのではなく、「なぜその話をするのか?」「それはどういう思想から生まれた行動なのか?」を知ることは「自分自身の思考傾向」と「他者の思考傾向」の相対位置を知ることに役立ちます。見えなかった自分の「考え方のクセ」が見えます。


◆ワールドカフェの中の人に聞きました

私自身はワールドカフェそのものに直接関わったことがないので、まだまだ理解は浅い部分があります。そこで、私が思ったことをワールドカフェを企画することの多い人にぶつけてみました。

(1)ワールドカフェの場で『何も決めない』のはなぜですか?

★オープンで創造性に富んだ会話ができる場を創るためです。
→ぜひ、ほかの参加者の異なる体験や創造的な対話を楽しんでください。

(2)話題が明らかにテーマを逸脱している時はどうすればいいですか?

★なぜ、その話題を対話するのかについて、質問をするとよいでしょう。
→その人のあなたとの異なる背景を楽しむことができます。

(3)ワールドカフェに参加して得られるものはなんですか?

★いろいろな参加者の異なる体験を楽しんだり、創造的な対話を楽しむことです。
→共有したところが見いだせると、多くの共感が得られ、新たな第一歩が創造できま
す。

(4)否定をしないというルールはなぜあるのですか?

★共有化を目指すから。つまり、共有部分の探求を行うからです。
良い悪いの判断や、強い弱い、上だ下だ、競い合いを目的とするからではないからで
す。

(5)模造紙には何を書けばいいのですか?

★決まりはありません。発表するときのメモ程度でよいでしょう。
→ですから、描くことでも良いですよ。絵など。

(6)人見知りで一言目に詰まる人は最初にどうすればいいですか?

★「私は人見知りです。」と、最初に発表されると良いでしょう。
→チェックインや自己紹介のときに、最初に話してしまいましょう。

(7)ワールドカフェが終わった後の効果的な活用例はあるのですか?

★気づきを有効活用していただきたいなと思います。
→自分では気づき得ない新しい気づきを持ち帰ってください。
→そして、新しい未来を創造してください。

(8)ずばりワールドカフェに参加することによる効能はなんですか?
★いろいろな参加者の異なる体験や創造的な対話が楽しめることです。
→そして、自分では気づき得ない新しい気づきが得られるところです。


さて、ワールドカフェにご興味を持った方はぜひ体験してみましょう。ちょっと違和感があるかも知れませんが、新しい発想は新しい刺激からやってくるのです。

2013年5月9日木曜日

私の永遠の敵「調査タスク」


◆「調査」がタスクをせき止める

私はタスク管理にExcelベースのマクロアプリで「TaskChute2」を利用しています。このツールの使い方としてユニークだと思うのが、「タスクを定型化する」という考え方です。そして、その定型化ができるまではひたすら「実行タスクを記録する」ことが推奨されています。

これは「二度あることは三度ある」的な発想で、一度行った行動をテンプレート化することになるので、タスクを記録して適切なレビューを実施すれば効率化が加速するというわけです。しかし、実際にこれを業務で実践しようとすると、なかなかうまくいかない部分もでてきます。

特に「調査しないと前に進めない」というタスクが多いと、タスクの管理と実行が鈍くなりやすい傾向があるように思います。たとえば何かを便利にする仕組みを開発しようとすると、その仕組みの機能要素が実際に実現可能なのかどうかを確認する必要があります。

【参考例1】Aの機能が実現できるかどうかを調べてみた
 (1) Aの機能を実現させることは可能
  (2) ただし、Aの機能を使うためにはBとCの環境準備が必要

【参考例2】Aの機能が実現できた場合に必要となるタスクを事前検討した
 (3) Aの機能が実現したときに事前に考慮しておくことのリストを作っておく
  (4) Aの機能を実現するための仕組みの中で選択肢が定義済みだった

この参考例だけでもタスク見積もりの難しさがいくつか見えてきます。


◆タスクが現れたり消滅したり

(1)先ほどの参考例のひとつめの壁は、Aの機能を実現させる方法のバリエーションを調べるコストです。特に前例があまりないような仕組みを作ろうとした場合、調査しようとしてもネタそのものの母数が著しく少ない可能性があります。ネタが著しく少ない場合、それを探し当てるだけでも予測時間を越えてしまうでしょう。

この「実際に調べてみるまで分からない」という不確定要素がタスクの根本にある場合、全体のスケジュールを大きく揺るがすことになります。

(2)運良くいくつかのネタが見つかった場合でも、そこから細かく派生する調査タスクが生まれることがあります。先ほどの場合では、Aの機能を実現させるためにBとCという前提条件を調査する必要が発生しています。場合によってはこれ以上出ることもありますし、Aの選択肢が複数ある場合はさらに広がる可能性があります。

こういう「開けてみたらすごいことになっていた」というケースもよく遭遇します。この派生タスクには費用調査もセットでつくことがあります。

(3)実際にどのような仕組みを使ってAの機能を実現するか分かっていない状態の中でも、それなりに思いつける内容はあって、プランニングの時点でできるだけ「リストアップ」なり「洗い出し」なりをしたくなるわけですが、経験が少ない領域であればあるほどフリーハンドで絵を描くが如くリストがふくれあがることもあります。

たいていの場合、要件定義を細かくすればするほど、現実と理想がかけ離れていた時の時間的コストがふくれあがってきます。

(4)そして残念なことに「具体的な選択肢」を見つけた時点で、せっかく(3)でいろいろ考えたリストアップが無駄になってしまうこともあります。基本的にプランニング時点で道筋をクリアにできることが好ましいのですが、こういうことはよく発生しがちだと思います。

もちろん最初から(4)の事実が分かっていれば無駄なリストアップのタスクは不要だったわけですが、まぁ、覆水は盆に返ってきません。

私は基本的に「プランニングでなんとかしたい派」なのですが、こういうことがあると「実際に走ってみないと何も始まらないよね派」に同意せざるを得なくなってしまいます。

しかし、ここで愚痴を言っていても仕方がありません。私なりにこの問題の解決方法を考えてみました。もちろん他にもいいノウハウがあるかもしれませんが、まずは私が考えた方法をまとめておきたいと思います。実はまだ検証していないアイデアもあるので「机上の空論」なのですが、私は記憶力に不安があります。

霞のように消えてしまう前にここに書き残しておこうと思います。実際に試してみてどうだったこうだった……というノウハウをお持ちの方、コメントをお待ちしております。


◆小刻みな記録と確認

「Taskchute2」でタスク管理を行う場合、本質的に「はじめての案件」は「タスク記録」が大前提になります。私はこういう場合、記録するタスク名として「Aの機能の調査(120分)」と大雑把に書いてしまいがちです。そして最悪なことに、他の割込みタスクに身体と頭を持って行かれた後に、しれっと「Aの機能の調査(120分)」というタスク名を追加してしまうことがあります。

でもこの方法だと後からレビューしたときに何の役にも立たないことに愕然とします。結果として「Aの調査のタスクには480分かかったんだなあ」という事実を知ることはできますが、一体、どういう経緯でそのようになってしまったのか……というトラッキング(追跡調査)ができないのです。

そして新しい調査案件が発生するたびに、同じように不幸な「使途不明タスク」や「見積もり不能タスク」が生まれてしまいます。大雑把なタスク記録は「ああ、調査って大変なんだな」とか「ああ、調査タスクって見積もりできないんだな」という悲しい後ろ向きの経験知に直面します。

そこで試してみたいのが、「細分化記録」です。これ、「Taskchute2」の紹介記事などでスマートに「プランニングして、あとはタスクを淡々と実行!」とか「『思考』と『実行』を分けるとこんなに快適!」というハッピーストーリーを知っていると、すんごくストレスがかかります。

具体的には「Aの機能の調査」というタスク名を複製していって、タスク名に情報追加をしていくんです。「Aの機能の調査→前提環境(30分)」とか「Aの機能の調査→プラグイン調査→費用(15分)」とか。ただ、海外の技術の場合、たまに「どこの国だよ?」というサイトに行き着いて途方に暮れることもあります。

ただ、きっちりと記録することができれば、自分の調査の「パターン」というか「クセ」が分かるかもしれません。全体的に「どーでもいい領域の調査」に時間をかけているかもしれません。なので記録をしっかり残して、かつ、きっちりと「レビュー」という名の反省会をやっておけば、パターン解析によって調査行動の無駄が減るかも知れません。


◆小さめのマイルストーン設定

先ほどの方法、実は本当にやろうと試みたことはあるのですが、納期が迫っていたり他のタスクとの兼ね合いで、結局「仕方ない、どんぶり勘定でタスク名を付けておくか」となってしまい、最後までできた試しがありません。ひとつ疑問が湧くたびに調査タスクを追加することは想像以上にストレスフルです。タスク管理ができていない自分に対するストレスなんでしょうけれど。

特に派生した調査アイテムリストが10項目を越えてしまうと、一気にモチベーションが下がります。たいてい、そういう時はリストを全部出し切ったわけではなく、リストが増加傾向の過程にあることも珍しくありません。そこで二つ目の方法です。あんまりスッキリしないといえばそうなのですが、こちらはやや現実的です。

それは、タスクの目標を「小さなマイルストーン」に区切っていくというやり方です。たいていのタスクには「相談する」というフェーズがあります。企業組織で働いている場合は上司がいますし、独立起業している場合は仕事のパートナーがいます。それが場合によってはお客様であることもあります。

「ここで○○を調査しようとすると、スケジュールがこれくらい押しそうです」という相談ができるのなら、そういう小さいマイルストーンごとに確認していくのがいいのかも知れません。もちろん、ここにも落とし穴があって、「いつまでたってもズルズルと先に進めない」とか「調査の深みにはまっていく」とか、挙げ句の果てには「見当違い」だったりするリスクもあります。

また、「あんたらはプロなんだから、わたしらに相談するんじゃなくて、自分で解決してください!」と言われることもあるでしょう。このあたり、どちらの選択肢にもツライ局面があるといえばあります。上司の場合でもそうですね。「ったく、なんだよ、いちいちいちいち、そんなこと自分で考えろよな……」という表情に遭遇するかもしれません。

ま、でも、ひとりでいろんな判断を抱え込みすぎて、スケジュール的に致命的で取り返しのつかない事態に直面するよりは、小刻みにアラートを出していく方がプロジェクトの安定性は上がると思います。自分の評価が下がりそうだという不安はあるかもしれませんが、まあ、そこは実際に甘受するしかないのかもしれません。自分の未熟を恥じるしかありません。


◆「やるか」「やらないか」を時間で切る

自分自身の裁量でプロジェクトを進行させている場合、最初に「閾値(しきいち:物事を判断するための指標)」を決めておくというのも重要なポイントかもしれません。たとえば「○○の実現方法をリストアップする1(30分)」、「○○の実現方法をリストアップする2(30分)」、「○○の実現方法をリストアップする3(30分)」というタスクを先に「Taskchute2」に放り込んでおいて、その決めておいたスロット以上は使わないと決めておくんです。

最良の場合、90分以内に3つの具体案が3つのスロットに収まっているはずです。この場合、ひとつのスロットにかけていい時間は30分だけです。30分を越えそうになった時には、「Taskchute2」のコメント欄に参照先URLを貼って「次いってみよう!」と、強制的に進んでしまうわけです。実際にやってみるとおそらくスッキリしないに決まっているのだけど、利用できる時間が決まっている場合、こうするしかないのかなと思います。

今回の参考例の場合、「Aの機能を実現するために……」しか書いていませんが、実際に仕組みを作ろうとした場合、きっとそれ以外の要件定義が複数あるはずです。細かいところを「未解決」にしたまま進むのは気持ちが悪いし、そもそも達成感が満たされないかもしれませんが、すくなくとも「それぞれの要件定義」にかかる「調査コスト」がざっくりと分かるはずです。そして、まずは「調査コストが分かる」ということが正しいのかも知れません。

すると、「調査コスト」と「機能の重要性」のバランスを踏まえた上で「本当にこの機能は時間とリスクをかけてまで必要なものなのだろうか?」という本質的な判断ができるかも知れません。たまに見かけるのは「見かけ上だけのどうでもいい機能」が「もうちょっとでできそうだから」という理由で「作業時間がズルズルと伸びていく」という現象です。これはどうにも悲劇ですが、開発現場で冷静さを失うと陥りがちなトラップです。開発の最前線にいないマネージャの立場はとても大切です。

ちなみに、全部の「調査コスト」がまんべんなく高コストだとしたならば、そもそもその仕組みを開発するスキルや技術が「致命的にない」ということかもしれません。そういう場合は悔しいことですが、勇気を持ってその企画から撤退する選択を迫られるかもしれません。予算が潤沢にあれば足踏みをしていてもかまわないのですが、そうでない場合、じりじりとクライシスに向かって行進している可能性が高いからです。


◆「結局何もやっていない」というリスクも

時間で実行判断をするというのは一見したところ効率的です。しかし、この方法にもリスクがあって「早めの損切りができる」代わりに「結果的にすぐにあきらめて何もやれていない」という結果に陥るリスクもあります。しかし、「リミットとする時間設定」が適切であればそこそこ正しい結果を導けそうな気がしています。ただ、この「リミットとする時間設定」を長くしすぎてしまうと、ダラダラしてしまうリスクもあって難しいところです。

さて、あらためて今回の【参考例】の最適解を妄想してみると、

「Aの機能を実現する方法をリストアップする1(30)」
「Aの機能を実現する方法をリストアップする2(30)」
「Aの機能を実現する方法をリストアップする3(30)」
「Aの機能を実現性と重要性について検討する(30)」
「Aの機能を使うための基礎研究(30)」

というタスクスロットを作る方法がいいのかも知れません。でも、これまた所詮「机上の空論」なので、実際には「Aの機能を使うための基礎研究」タスクがうだうだと増殖してしまう可能性もあります。このあたり、腕のいいプロジェクトマネージャが「リスクのある未知の技術」に挑む場合はどのようにプランニング保全をしているのでしょうか?……とても気になります。

まぁ、もっとも、「未知の技術」という時点で「開発」というよりも「研究」というカテゴリで考えるべきなのかも知れません。「iPS細胞」を使った新しい治療方法も「○○までに実現させます」ではなく「○○までに実用化を目指す」的な感じですから。

ちなみに、今回の【参考例】を「仕組み開発」にしちゃったので、たとえが適切ではなかったような気がしますが、私が書きたいことはあくまでも一般的なタスク管理のことです。

「技術力が低いヤツが自分のスキルを越えたことをやろうとしていること自体が間違っている」とかというお話をいただいても、ちょっとアレなんですが、私のタスク管理に対する葛藤とそれに対する解決策がちょっとでも伝わって、しかもそれが誰かにとって有益な情報になってくれたら嬉しいです。

2013年4月28日日曜日

Taskchute2で時間を捕まえる

◆Taskchute友の会に参加しました

本当は「ワールドカフェに参加してみよう」という内容で書いてみようと思ったのですが、私にとっては衝撃的というか、とてもインパクトのあるイベントに参加できたので、今回はそれについて書いてみたいと思います。「ワールドカフェ」についてはまた後日。

4月28日(日)、私は「Taskchute友の会」というイベントに参加しました。場所は小岩駅周辺のコミュニティセンターで、参加人数17名でした。その前に、Taskchuteというのは、タスク管理についてひとかたならぬ思い入れと情熱で研究してきた第一人者の大橋悦夫さんが開発したExcelマクロの名前です。

現在、このTaskchuteは無料でサイトからダウンロードして利用することができます。私が使っているのはTaskchute2というもので、これは有料です。オススメなのはしばらく無料版を使ってみて、それで気に入ったらTaskchute2を購入して使ってみるといいでしょう。

無料版も有料版も、「使った時間を記録すること」が基本になります。最終的には「タスクの時間を正確に見積もる」というところにまで踏み込むのですが、使い始めの頃は「ひたすら記録する」という行動をすることになります。正直なところ最初からうまく見積もれません。

なぜなら、「過去の実績に基づく見積もり」ができていないと、予想図ばかり書いてしまってしまい、どうせ守れない見積もりになってしまうからです。守れない見積もりほどモチベーションを下げるものはありません。まして「守れない」ことが常態化すると日々の進歩に悪影響を及ぼします。

というところで、時間を効率的に使いたいと願っている人にとって、「知らない人はモグリ」と言っても過言ではないツールです。なぜなら、そのあたりのことをGoogleなりで調べると必ずでてくるんですよ。Taskchuteというやつが。

今でこそTaskchute無料版が公開されていますが、一昔前は、有料のみの限定公開だったこともあり、Taskchuteは秘密のベールの向こう側にありました。私のように疑り深い人間としては、「よく分かりもしないのにお金なんて払えるか!」なんて思っていました。


◆もともとTaskchuteには否定的な人でした

さらにいえば、Excelのマクロなわけですよ。マクロ。Excelがなきゃ使えないマクロ。もうね、どれだけ手を抜いているんだと。ちゃんと売り物にするんだったら、フルスクラッチでコード書いてくださいよ。アプリケーションにしてくださいよ……とか思ってました。ええ、間違いでした。その理由はまた後ほど。

それでもって、繰り返しになりますけど、プラットフォームがExcelなんですよ。このWebアプリ全盛、クラウド万歳なご時世の中でExcel。クラウドの良さってのはネットに繋がってさえいれば、端末を選ばず、それこそ場所も選ばずに使えるんです。それがExcelですよ。使おうとすると必然的に場所に縛られちゃうわけです。

こんなに縛りがあって有料とかありえんだろう……と思ってました。もともと、私はTaskchuteを知る前から、いろいろとタスク管理のあり方について模索していたり、IT系のエンジニアをしていたことから、自分自身をラクにするためのWebアプリをちょいちょい作ったりしていたので、「よし、じゃあ、自分で作ってしまおう」と思っていました。

しかし、見事なほどの「言い訳」なんですけど断念しました。

 (1) まずタスクアプリを作っている時間が捻出できない
 (2a) Webでサクサク動くイメージが湧かない(読み込みとか更新とか)
 (2b) 急にLANに繋がらなくなったらどうする(タスク閲覧すらできません)
 (2c) Androidアプリを組んでデータを同期するとしてデータが衝突したら?

……いろいろと考えてみると面倒くさいことだらけなのです。本気で商売しようと思わない限り、とてもじゃないけど開発なんてできません。しかも、こんなマニアックな仕組みがどれくらい売れるんでしょうかという話もあります。自分にとって最適なモノが作れたとしても、そこにかかる時間的コストのリスクがありすぎるんです。

で、悔しいけど、一度使ってみたんです。Taskchute無料版を。


◆「ああ、使いやすいじゃないか」

誘惑に負けて初めてTaskchuteを使ったときの衝撃は忘れられません。Excelで実装したというのはまったく無駄のない戦略でした。そもそもExcelというのはMicrosoftの優秀なエンジニアが知恵を寄せ合って作り上げた「完成品」です。そのプラットフォームの上で軽快に動かすことができるのに、Excelと同じ仕組みを最初から作るなんて「車輪の再開発」です。

さらにいえば、もともと大橋さんは「売るために作った」わけじゃないんだと思うんですね。「自分自身が便利に効率的に動けるようになるために」……というアプローチだったのだろうなと。そこがスタート地点だった場合、あえて最初から全部のパーツを作っていこうだなんて、忙しい人は考えないような気がします。

それから、クラウドについても「必要ないんじゃないか?」という結論にたどり着きました。クラウドって確かに便利です。……けど、その実装はけっこう面倒くさいんです。というのが、ネット環境に繋がらなくなったことを考えなければいけなくて、それを考えていないとネットが使えなくなった時点で全てが破綻するんです。

たとえば「圏外」なんてのもそうですし、モバイルWifiルータの電池切れでも同じことが起こります。そういう場合に、ローカル側のアプリにデータを持たせておいて、再度、ネットに接続したときに同期させる……という方法もメジャーな対応策ですが、場合によって端末ごとのデータが入り乱れることも予想されます。(いわゆる衝突)

そういうところまで考えると、なんだかとても面倒くさい。まぁ、できないことはないのだろうけど、仕様を考えるだけで面倒くさい。そういうループの中でクラウド版+Androidネイティブアプリの自作をやめました。だって、根本的には「タスク管理アプリを作る」よりも、「他のやりたいこと」が主役なわけで、そこにコストかけるのってどうなのよと。

というかね、私の仕事のほとんどはデスクワークなわけです。ほとんどがPCの前で仕事をすることばかり。たまに外に出かけますけど一ヶ月に数える程度です。つまり、必死でクラウド版+Androidアプリの仕様を考えたとして、そして、苦労して作り上げたとして、その恩恵にあずかれることはほとんどないんです。いつもExcelが使える環境で仕事をしている。あー、ばかばかしい。


◆Taskchute2の6300円って高くね?

有料ということの妥当性についてですが、Taskchute無料版を使った時点で妥当性はよく分かりました。正直、当初は「Excelマクロに6300円って、高くねーか?」と思っていたんですが、これは正直言って「安い」です。だって「マクロ」そのものの値段ではなくて「ノウハウ」への対価なんです。それにマクロへの対価だったとしても、なおさら「安い」のです。

たとえば、時給が3000円だったとして、Taskchute2と同じような機能が2時間ちょっとで完成できますか?……と聞かれたら、正直なところ無理です。時給2000円だったとして3時間ちょっとで……これも無理です。思い切って時給1000円だとして、6時間ちょっとで……いえいえ、そこまで時間をかけるなら買ってしまった方がいいです。

ええと、見栄を張って6時間とか書いちゃってますが、正直、6日かかっても無理でしょう。6ヶ月でも難しいかもしれない。そこはなぜなのかといえば、Taskchute自体が数年という「ウィスキーにも負けないほどの熟成期間」をかけて生まれているからです。私は負けず嫌いな性格ですが、素晴らしいモノについては素直に賞賛するしかないのです。

実際のところ、使い続けていると細かい挙動として「ラクができる」配慮がいくつもされています。ぱっと見で思いついたのではなく、何回も使い続けて、何度も繰り返されるパターンを見つけて、それを補う機能を地道に追加していって、そこから何回も使い続けて……という工夫が随所に見られます。つまり、「王選手のスイングのマネはできても、ホームランは量産できない」ということです。

Taskchute2には、練り上げられたシステム、練り上げられた効率性……それだけでは語り尽くせない何かがあると思っています。それは「練り上げられた時間哲学」とでもいうものでしょうか。おそらく、Taskchute2を越える何かを作ろうとするなら、少なくともそれができるまでのプランニングはTaskchute2を使ってやるのがいいんでしょう。笑い話みたいだけど。

いずれ、Taskchute2のプラットフォームでもあるExcelが盤石でなくなったとき、そして、本家がクラウド版を作らなくては……なんて動きになった時には、ぜひともそのプロジェクトに参加したいと思いますが、正直、今のところはTaskchute2で何も不満はないので、当面はこのまんま使っていくような気がします。


◆流れゆく時間を遊ばせないこと

Taskchute2を使っていると、「ああ、もう、こんな時間か……一体、今日、何に時間をかけたんだか思い出せないけど、とりあえず忙しかったなー!」なんてことがなくなります。もちろん、今でも、「今日はあっというまに一日が終わったけど、なにに時間を使っちゃったんだろう?」と思うことはあります。しかし、Taskchute2に目をやると、疲れ切った私の脳みその代わりに答えてくれます。

あと、「正直ベース」で記録を付けていくと集中力の低下まで分かるようになります。私の場合、疲れていたりすると、小刻みに休憩の頻度が増加していきます。しかもけっして「小刻みではない」休憩の頻度が上がります。その時の状況を分析して、それと同じ状況が発生してしまったときには、思い切って気分転換をした方がトータルコストが下がるという判断もできます。

それから「できること」と「できないこと」がハッキリするようになります。気持ちが充実している朝なんかは、「あれもこれも今日中に終わらせてしまおう」なんて思いがちなのですが、残念なことに時間には限りがあります。Taskchute2を使っていても、その傾向が見えるのですが、実績分析が甘いときほど、見積もり時間を少なくしてタスクを詰め込もうとしたりしてしまいます。

それから、Taskchute2にあってTaskchute1にない機能として、数日間を通した長期時間予約表が見られるのですが、この機能の存在は大きいです。人間というのは自分に甘くなる生き物のようで、「なんだかんだ言ってもあと30日あるからね」と、ざっくり残り日数をカウントして「永遠に続きそうな小学生の夏休み」と同じ幻想を抱いてしまうのです。

しかし、ちゃんと予定タスクを組み込んだTaskchute2の長期時間予約表を覗いてみると、思ったよりも時間的余裕がないことに気づきます。定例タスクは光熱費や家賃のごとく固定費となって決まった時間を削り取っていきますし、臨時で設定されてしまった会議や面談の時間はより大きい単位で消費されていってしまいます。

すると、実際に使える時間はずっと少ないことに気づきます。正直なところ、私は社会人になってからも、何度「夏休み最終日ののび太くん」を体験したか分かりません。それは「幻想の持ち時間」と「現実の残り時間」をごっちゃにしてしまったから起きた現象だと思います。「徹夜をすればなんとかなる」だなんて見当外れなファンタジーです。


◆今日の友の会で得られた気づき

そんなわけで、活用すると世界が変わる(かもしれない)Taskchute2ですが、本日の友の会ではいろんな気づきがありました。自分自身の発言もありますが、それ自体が友の会が刺激になって言葉になって出てきた感があります。

(1) 先送りってどうしてる?

私の場合は、格好悪くても先送り機能を使って、「■■■ほげほげの仕様を検討する」のように、先送りマークを増やしています。これは自分自身の危機感を煽りたいという意図があるのと、先送りマーク「■」が5回を越えたときに、「着手できない理由」や「本当に必要なタスクなのか?」という要検討案件として見える化したいからです。

これに対して大橋さんのコメントはシンプルでした。「とりあえず1分でもやってみる」ということ。まずは着手したという足跡を付けるということが重要だということです。私の場合、先送りマーク「■」が一定値を越えたところで、タスク名の後ろに「着手する」という言葉を入れることがあります。たとえば、「■■■ほげほげの仕様検討に着手する」とか。

営業テクニックで「フット・イン・ザ・ドア」という話をよく聞いたことがありましたが、これはタスク攻略においても有効なようです。ただ私の実例を思い返してみると、タスクの先送りを何度かしてから「着手」……という対策は後手に回っているような印象をぬぐい去れません。これからは「1分でもやってみる」を心がけてみようかと思います。

そもそも「着手」自体を先延ばしする意味がありません。ちょっとでも「着手」したらゴールなんですから。そうだそうだ。これからは「1分でも着手」にしてみよう。

(2) 外出中のタスク転記ってどうしてる?

私はほとんど外出しないので必要ないのですが、外出するとポイントポイントでTogglで記録して、後からTaskchute2に転記するのですが、これがたまってくると着手のハードルが高くなりそうですよね。これに対して、そうだよなあ……と思ったのが、「外出時間も仕事なので、『外出仕事』というくくりでざっくりと認識する」という意見でした。

私がたまの営業に出かけなくてはいけない時には、訪問開始と訪問終了時間だけをTogglで記録します。その間は特に遊んだりコーヒーを飲んだり……ということはしない人なので(真面目なのではなくて、お小遣いが少ないのと面倒くさがりというだけですw)、必然的に残りの時間は移動時間になります。

ちなみにTogglの小ネタ(?)ですが、過去に一回でも登録があると履歴表示されますので、事前にありそうなタスクを0分で登録しておくと便利です。「ido_移動」、「hst_訪問開始」、「hed_訪問終了」のようなタスクを入れておくと、スマホ入力の時も最初の数文字を入れるだけで候補選択で入力補完されるので便利です。

ちなみに私個人としては、「Place Me」というAndroidアプリを知れたのが収穫でした。……と、いっても、友の会が終わってから、事務所に移動してそこからずっと仕事をしていたので、ほとんど移動していないので実際の評価は今のところ謎です(笑)。Google Latitudeと同じガッカリ曲線を辿ることになるのかどうか……使ってみようと思います。

(3) 脱線しがちな状況をどうすればいい?

脱線の理由にはいろいろありますが、タスク割込みを防ぐ手段として大橋さんが興味深い解決策をコメントしていました。「朝早く仕事を始めることです」ということですが、確かに朝は誰からの電話も入りませんし、メールにしても読む時間を「いわゆる営業時間」まで遅らせておけばペースを乱されることもありません。

さらに、Webページを読み言ってしまうリスクについてですが、「意外とWebページにうつつを抜かしてしまうのって夕方以降だったり、疲れた頃だったりしません?」というコメントもあり、実際にその通りだなあと。朝、これから始まるって時に、いきなりWebページにうつつを抜かすっていうのは、不思議と少ないですよね。時間がもったいないというか。エクスキューズがないというか。

あと、通常時間の脱線で一番多いのが「誰かから声をかけられる」ということですが、これについても興味深い解決策が検討されました。大橋さん曰く「声をかけてきた人の顔写真を撮っちゃえば?」という大胆な意見。ケンカになると時間がもったいないので、さすがにそれはできませんが(苦笑)、代わりに紙に人の名前を書いておくのはありですね。

笑い話としては、「話しかけるたびにタイムカードを押してもらっては?」とか「持ち時間を設定して超過分は何かでお支払いいただいては?」という意見がありました。どれも真顔で実行できる作戦ではありませんが、確かに誰にどれくらい時間を使ったかという情報は重要で、頻繁に繰り返される割込みパターンには、それ自体にタスク改善の余地があると考えていいでしょう。

長くなってしまいましたが、Taskchute2って、本当に人生の時間の使い道を意識させてもらえるので超オススメですよ!……というのと、Taskchute友の会、かなり刺激になりますヨ……ということで、いつもの倍以上に長くなってしまった本日のエントリを終わろうと思います。

ところで、ありがたいことに、大橋さんご本人から著書をいただいてしまいました。厚かましくもサインまでしてもらっちゃって。最近、凹むことの多かった日々でしたが、一気に持ち直してきた感があります。ぐぐっと気合いを入れてなんとかがんばっていけそうです!

『「いつかやりたいこと」を「今からやること」に変換するスマホ時代のタスク管理「超」入門』です。

そろそろ帰宅しようかと思っているので、超読みます!……感謝!
えっと、ホントにこれで本日のエントリを終わります。

2013年3月17日日曜日

弱さを認めることと甘えること


◆「弱さ」と「甘える」こと

最初に書いておきます。私は強い人間じゃありません。どちらかというと弱いです。いや、圧倒的に弱い。どれくらいに弱いかと言えば、お金をつい使ってしまいそうな誘惑に負けがちなため、必要のないときには財布に多くのお金を入れないようにしているくらい弱い人間です(苦笑)。だから予想外のタイミングで飲みに誘われると思わずコンビニATMを探す有様です。

あと、行動力もだいぶ弱いです。だから、いつも行動予定をある程度たてて、それに沿って進まないとつい怠けたり、遊んだり、そして無駄に休憩してしまったりもします。「自分の弱さを認めていてよく知っている」からこそ、その対応策を立てることがとりあえずできています。そうしないと私はひたすら怠惰な道に流されていくことでしょう。

「弱さ」と「甘え」をセットで考えている人が、わりと多いような気がします。「弱さを認めること」=「甘え」の図式で生きること、それは自分の足で立とうとする意志を否定していることになると思うんです。だから「弱さを認めること」=「甘え」=「仕方ないじゃないか」じゃダメなんです。

あ、もうちょっと正確に書きましょう。「ダメ」じゃないです。今のままでも十分にしあわせで、これから先も今のままで十分にしあわせだとするなら、そのままでいいのです。今、私が話をしている相手は「今よりももうちょっとしあわせな未来を生きたい」と思っている方々です。

◆情に訴える生き方をやめよう

基本的に「弱さを認めること」は重要だと思います。さらに踏み込めば、それを公開することも重要でしょう。私なりに理由を考えるとふたつあります。ひとつめは「自分の弱点を知る」ことによって対策が考えられるからです。ふたつめは「弱点を公開する」ことで精神的に堂々とできるからです。ある意味で「脱皮」ができるのです。

しかし、この「弱点を公開する」という意味をはき違えると、結局、「変化のない人生」が続くだけなのだと思います。「私には弱点があるのだから仕方がないよね?」という正当化の盾にしてしまえば、そこからの成長はほとんどないからです。「ありのままのあなたでいい」というのは、何もしない人にかけていい言葉ではないと思うのです。

私は、自分の弱点を盾にして情に訴えようとする生き方が好きではありません。なぜかといえば、それが30歳までの私の生き方と同じだからです。うまくいかないことを、自分のハードウェアと環境の責任にしていました。「身体が強くない」だの「頭が良くない」だの「顔が良くない」だの、その理由を旗印にして前進を怠っていたような気がしてなりません。

誰かに「自分の才能のなさ」や「運のなさ」を嘆いてみては、慰めの言葉を心地よく受け止めつつも、それを決して受け入れようとしない。私はその当時の私の生き方が大嫌いです。ただ、その一方で感謝もしています。私の「現在」というのは、そういう「過去」の上に成り立っているからです。だから、同じ思考に逃げてしまう人の弱さと気持ちがよく分かるのです。

◆自分の人生を掴めるのは自分だけ

結局、当時の私に温かい言葉をかけてくださった方々にはずいぶん迷惑をかけてしまったと思います。一体どれだけの精神力と時間を費やしていただいたのでしょうか。結局のところ、そのスパイラルから抜け出すのは「自分で変わろう!」という自分の決意以外になかったのです。これには「大きな痛み」を伴います。生半可な痛みではありません。

今まで自分が寄りかかっていた「価値観」を捨てることは、自分の身体の半分を捨てるにも等しい痛みを伴うのです。だから、「自分から変わろう」という話をしたときに、「それでは、本当に自分ではなくなってしまう」という人がいますが、その気持ちも痛いほど分かります。「自分を守ってくれる言い訳」を捨てることはそれほど容易ではありません。

「自分はダメな人間」である……その理由は、「自分はダメな人間」であるからだ。これは、まったく論理性も客観性も欠いており、ただそう思い込みたいという「負の信仰」です。正しかろうが、間違っていようが、自分を定義づける「信仰」を変えることは「本当の自分ではなくなってしまう」という危機感を伴います。本当の信仰とそれほど変わりません。

しあわせならそれでかまいません。今のままでかまいません。今の人生が輝いていて、どこにも一点の悔いもないのならそのままでいいのです。しかし、もし、「このままではいけない」と心のどこかで考えているのなら、痛みを受け入れる覚悟が少しでもあるのなら、私はあえてハッキリ伝えたいと思います。

◆「本当の自分」なんて捨ててしまえ!

今の自分が「しあわせな人生を送っていない」のだとしたら、半分以上は「自分自身の責任」です。自分自身が愛してやまない「本当の自分」などという存在です。その「本当の自分」とやらのおかげで、納得のいかない人生を送らされているのです。「人生を送らされている」って、誰に?……それもまた「現状の自分自身」だったりするのです。

本当の自分なんて捨ててしまえ……と聞くと、物騒なことをいう人もいます。「それって死ねってこと?」……もちろん違います。「自分を変えることは、死ぬことと同じだ。だから死ねってことなんでしょう!」……という気持ちは分かります。ええ、分かります。その気持ちは分かりますが、残念ながらそれは正解じゃありません。

ゲームだと思って、だまされたと思って一度やってみてほしいのです。「自分自身は死んでしまった」というつもりで、「しあわせそうな自分を演じる」ということを。「自分自身の弱さを、まるで他人事のように笑い飛ばす自分」を演じてみてほしいのです。「弱さの公開」とはそういうことだと私は思います。その瞬間に弱さは「自分自身」と切り離されるのです。

そう、今、大事に守ってやろうとしてやっている「本当の自分」こそが本当の敵なのです。そいつは「自分が何もしなくてもいい理由を探し出すプロ」です。「本当の」などというたいそうな肩書きでごまかしていますが、たいしたヤツではありません。「自分の弱さ」を「甘え」に変えてくる「本当の自分」なんて捨ててやればいいのです。その結果、やってくるのは「本当の自分」ではないかもしれませんが「大好きな自分」かもしれません。

2012年8月1日水曜日

生きがい

私は千葉の就労移行支援事業所でITコースの講師をしています。受講者の中には認知機能が大幅に低下していて、パソコンに触れること、コミュニケーションをとること、気持ちを表現すること……が難しくなっている人たちもいます。正直、「教えたって無理だろう」といわれたこともあります。

でも、私は続けてきました。気がついてみると、始めてから2年を過ぎています。そんな中で「私の実績ってどの程度なのだろう」と自問自答することも少なくはありません。うまくいくことばかりではありませんでした。冒険的かつ挑戦的な試みの末に、受講生の大半から総スカンの嵐を食ったこともあります。

私は『IT』を通じて、(1)どんな仕事であってもITを利用して効率的にラクになれるように。(2)就職先としてのITという選択肢を増やせるように。……という可能性を開きたいと考えていました。つまり、ITを目指さない場合でも、何かひとつ、人生を楽しく生きていけるものを発見してほしいと思っていました。

すべての人たちが(2)に進むわけではなく、(1)の段階で去って行く人も多くいます。「去って行く」というのは、就職が決まって去って行く人もいますし、「ITは無理なんだな」と感じて去って行く人もいます。冷たいと思われそうですが、私は基本的に「去る者を追わず」というポリシーを持っています。

なぜかというと、あくまでも「選択するのは本人であるべき」という信念を持っているからです。続けることも去って行くことも「自分の意志で決める」という価値観に重きを置いているからです。そうは言っても、やはりふとした時に思うことがあります。「私を信じて時間を費やした人を失望させたかもしれない」と。

最近、千葉の乗降駅で、たまたまかつての受講者に会うことがありました。彼はYさん。たしか、受講してくれていた当時はかなり具合が悪く、会話もとてもゆっくりで、ひとつずつ時間をかけるタイプの人でした。分かりやすく表現すれば、徹夜を二日続けて疲労困憊した時のコンディションと言えば伝わるでしょうか。

「ああ!松下先生!お久しぶりです!」

ところが、駅でばったり出会ったYさんは、当時の彼とは見分けがつかないくらいに認知機能がはっきりとしていました。いや、過去を知らなければどこにでもいる若者です。不調に苦しんだことのある人だとは思えないほどです。Yさんの活発な声を聞いたのは実は初めてでした。

私は、そこで、私自身が抱えていたモヤモヤに対する答えのひとつを聞いたような気がします。

「松下先生のおかげで今の自分があると思っています。」
「諦めそうになっていた自分たちに本気で情熱をかけてくれました。」
「松下先生に認めてもらえるほどITはできませんでしたが勇気をもらいました。」
「自分たちの可能性をあそこまで信じてくれたのは本当に嬉しかったです。」

かつてのYさんでは考えられないほど、矢継ぎ早に「当時の思い」を語ってくれました。家路を急ぐ人たちが行き交う暮れなずむ駅前、私は感謝の気持ちでいっぱいでした。当時のYさんは、コミュニケーションを取るだけでも大変な体調だったこともあり、私はYさんの気持ちを聞けないままだったのです。

正直なところ、私は長いこと不安を抱えていました。私の言葉は認知機能の低下で困っている人たちに、どこまで届いているのだろうか……。ただ、ツライだけのことをやっているのではないか……。ITに進まなかった人たちは「切り捨てられた」ように思っているのではないか……と。

私が彼らに投げかけた言葉の返事を一年後にやっと聞くことができました。まるでタイムカプセルを開けたような不思議な感覚です。「私の言葉は確実にしっかりと心に届いていたんだ!」と思うと嬉しくて仕方がありません。そして、Yさんからいただいた言葉は私の心に火をつけました。

「これからも『即戦力ITコース』で希望をなくした人に勇気を与え続けてください!」

……そうか。ITだけじゃなくて、そういうことも伝わっていたんだ。むしろ、IT以上に大事なことなのかもしれないなあ……と思いつつ、私自身、希望を捨てずにチャレンジしてよかったと思える、ある日の夕方でした。

2012年7月25日水曜日

子供から学ぶこと

私には1歳になる娘がいます。子供がいる人なら、ああそうだよね……と思うかもしれませんが、寝付く前に思いっきりグズることが多いです。特に、今まで遊んでいて、急にグズるようになってきたなと思うと、眠たくなって暴れたり泣いた挙げ句に寝てしまいます。「なんで静かに眠れないんだ?」と大人はつい思いがちですが、ちょっと考えてみました。

眠くなってくると……
(1) なんだか急に楽しくなくなってくる
(2) 体がだるくなったり頭が働かなくなる
(3) 意識が遠くなって周囲の声が聞こえなくなる

(1)と(2)は大人になっても実感できそうです。

最初の(1)は「モチベーション」の持続に関連します。本質的に人間は「強制されること」よりも「自分がやりたいこと」の方が能率的で疲れにくいものです。なぜなら「楽しい」という感覚がエネルギーになるからです。「三度の飯よりも○○が好き」というのもそういうことですね。それにも関わらず、ひどく疲れてくるとどんなに好きなことでも楽しくなくなってしまいます。つまりモチベーションを持続するためには休息が必要だということです。

次に(2)ですが、その人の身体に合わせた休息って大切だなってことです。だんだん成長してくるといろんな感覚が摩耗してきます。疲れてくるといろんな変調を感じるはずなのに、「がんばれそうだ!」なんて朝まで徹夜をしてしまい、挙げ句、「このまま一日いけそうだ!」なんて体験をすることが人生の中で何度かありますが、本質的にはスペックが著しく低下していることに間違いありません。スペック低下の違和感に気づくことは大切です。

最後の(3)については、大人になると意識しにくくなる感覚かもしれません。眠くなるとだんだん他の人の声が意識に届かなくなりますね。しごく当たり前のことです。でも、生まれてからあまりたっていない子供にとっては「眠る」ということは恐怖の対象ではないでしょうか。なぜなら「自分がいなくなってしまう不安」や「ひとりぼっちになってしまう不安」と戦わなくてはいけないからです。

成長するに従って、「しばらく眠ると目が覚める」という事実に慣れていくものですが、そういう経験が十分に蓄積されるまでは毎晩が不安との戦いです。疲れて急速に寝てしまえばいいんですが、中途半端に意識がある状態で徐々に眠りに落ちていく感覚は、とてつもなく怖いものでしょう。基本的に「眠りに落ちていくこと」と「死んでしまうこと」の恐怖は同一線上にあるような気がします。

しかし、ここにも大人が学ぶ点はいくつかあると思います。それは、「自分に与えられた時間は有限であること」なんです。生きていると、ついつい惰性で「明日があるさ」と思ってしまいます。ほとんどの場合は「明日」がやってくるでしょう。しかし、そう思っている人の中で数パーセントは毎日どこかで命を失っています。一度、眠ってしまったら、次に目覚める保証って「実はどこにもない」のです。

子供の頃に「眠るのが怖かった」ことを思い出してみましょう。または「余命宣告をされた自分」を想像してみましょう。ほとんどの人は眠ることが怖くなるんじゃないでしょうか。もちろん悟りを開いた人なら別ですが、やはり「自分がいなくなる」という感覚は大きな不安を伴うと思います。そこで、とても平凡な結論に行き着くのですが、「一日一日を悔いが残らないように生きていきましょう」ということなんです。

自分でも思います。「そんなことは改めて気づかなくても、最初から知っているレベルの話だ」って。でも、知っていても「毎日、人生を味わい尽くして生きていますか?」といわれるとそんなことはないんですよね。「まぁ、味わうほどの人生じゃない」と思ってしまっていたりしませんか。「毎日がイベント……なんて人生はどこに存在しない。日々は平凡なものだ」とか思ってしまっていませんか。

きっと、それは「知っている」けれど「できている」ことではないということです。本質的に命はお金で買えません。気が遠くなるほどのお金を持っていたスティーブ・ジョブスも世を去りました。仮に天寿を全うできるほどの健康な人でも、ある日突然に災害の犠牲になることだってあるんです。さまざまな瞬間で「悔いが残らない」生き方をしていきたいものです。

2012年7月4日水曜日

いつか記念碑が置かれる日


7月から新天地での「新しい試み」が始まりました。でも、まだ、全容は誰にも分からないのです。なぜなら、これから関係者全員で「ステキな環境」を構築していくからなんです。基本的に「すべてはこれから」と書きつつも、私が理想とする経由地やゴールは頭の中にできあがっています。

じゃあ、ここに書こうよ……というところなのですが、書きません(笑)。なぜなら、私が考えていることが、

(1) 実際に試してみてニーズや効果がありそうなのか?
(2) その内容が仲間に認めてもらえることなのか?

を、「独善的」にならず、慎重かつ大胆に検証しながら進めていきたいからです。時に「革新的なこと」をやろうとすると、「独善的に突っ走る」という行動が必要です。これは間違いありません。しかし、なぜ、私があえて「慎重」を選べるのかといえば、今回の関係者全員が「フロンティア精神」の持ち主だからです。

今でこそ、私の中では安定してきた「即戦力ITコース」という講座も、最初のうちは危険運転の連続でした。私の決断によって受講生を一気に失ったこともありました。実験的な試みの失敗は、そのまま運営組織にご迷惑をかけることにもなりました。それでも、私を信じて講座を継続させてくれました。

そして、まだ道半ばではあるものの、その講座を通じて精神の当事者が「本気で戦える」可能性を心の底から確信するに至りました。そういうきっかけを与えてくれた仲間と新天地を開拓できるということは、逆に自分自身の行動をよく考える必要があると思えるのです。

具体的に今後のことは何も書いていませんが、今回のプロジェクトにおける私の行動指針は明らかにしておきたいと思います。

(1) 当事者に渇望されていながら誰もやらなかったことを試す。
(2) 当事者の限界をこちらから決めるようなことはしない。
(3) 「つらい」ではなく「楽しい」という感覚を呼び覚ましていく。
(4) 「自分で動く」ことの価値と喜びを体験していただく。
(5) 「訓練のための訓練」ではなく「リアルの体験」を重視する。
(6) これらすべてが雇用する企業にとって「価値」となる形にする。

こうやって書いている中でも頭の中で、いろんなアイデアが発泡酒の泡のように湧いてきます。そして、「それを現実化するまでの距離の近さ」を思うとわくわくします。「法定雇用率のためになんとなく雇用する人材」ではなく「本当に期待せざるを得ない人材」を輩出できる環境を目指したいと思います。

人間はね、飼い犬じゃないんだから。「命令を聞いて、餌をもらえて、生きてさえいればそれで幸せだろ?」なんてことはないんですよ。どんな人でも生まれた時に、いろんな人との違いを持つんだけど、それがたまたま「障害」と呼ばれる違いだったりすることがあるんですよね。

じゃ、その「障害」があるからといって「残りの人生全部をあきらめろ」なんていわれたら、生きている価値がないじゃないですか。下を向いて生き続けるには、残りの人生は長すぎます。でも、現実のところ、「社会から期待すらされていない当事者」ってすごく多いんですよ。残りの人生、社会からアテにされない……というのは、考えてみたらむちゃくちゃ苦痛ですよ。

でも、そういうのを変えていくには「理不尽だ!」と不満をぶちまけるだけじゃいかんと思うのです。実際にどれくらいの力があるのか、社会に見せつけていかなきゃならんのです。不満を言っている暇があるなら、その時間を使って「何か一つでもすごいこと」をやってみろ……と思うわけです。で、キツイコトいいますけど、「自力でやってみろ!」とか思うんです。

でも、ま、そういう「何か一つでもすごいこと」を試すステージすらないというのもまた現実。で、たまたま、こういう領域に踏み入れた私に「できること」がたくさん待っているような気がするんですね。なんで、私は「本気で戦える環境」を必死で構築したいと思っています。でも、甘いことはいいません。本気でやらない人には無理な環境にしたいとも思っています。

と、いうのは、あくまでも私の個人的な思いです(笑)。いろいろと検討を重ねた結果、どういう内容になるのかは未定な部分もありますが、願わくば、これからの日々が「『あの日』が変革が始まった日だった」と振りかえれるような歴史にしていきたいと思っています。

2012年5月2日水曜日

マナーなんて教えない

深い意味はないのですが。今回は「ですます調」です。いや、もっとくだけて「口語調」。

さて、私のクセというか、どうしても刺激的なタイトルを付けてしまうのですが、たぶん、それくらいでちょうど私が考えていることが伝わるのかな……と思い、やっぱりこのタイトルです。先に謝っておきます。ごめんなさい。

さて、就労移行支援事業というと、すぐに「プログラム」とか「マナー」とか、そっちの方に行きがちですよね。でも、私は違うアプローチで社会性を身につけてくれたら嬉しいなあと思っているのです。そもそもね、発達障害とか、そのあたりって、社会に溶け込むのが体質に合わないから困っているわけです。

そこに「まずは挨拶の仕方ができないと就職なんてさっぱりダメだ!」とやっちゃっても、個人的には意味がないかなと思うんです。だって、もともとあまり働きたくなかった人が、なんとか「働く選択肢もなくはない」というステージに来たわけですよ。ま、もちろん、挨拶が社会人の基本というのは正しいんですが、いきなりそこから入って萎えちゃったらもったいないよなあと。

だから、挨拶とかマナーとか、そこから始めちゃうのってどうなんだろう……って思うんです。もちろん個人差があるので「全ての人がそうすべき」だなんて思ってはいないんだけど、苦手なところから出発するんじゃなくて、「自分ってこういうことをやってると楽しいらしい」とか「こういう仕事だったらやっていけそう」とか、そっちが先だと思うんですよ。はい。

つまり、本質的に「仕事」とか「仕事を構成するスキル」を楽しんでもらって、「この楽しいことを生活の中心にしていくためにはどうすればいいんだろう?」……という、逆説的なアプローチで社会性を身につけていくというのはアリなんじゃないかなと。実際に私が運営している仕事シミュレート環境では、社会性についてのプログラムは一切用意していません。少なくとも私はやりません。

じゃあ、システム開発とかWeb制作とか、デザイン制作とかができるようになってきた人たちは社会性がないの?……っていうと、決してそんなことはないんです。実はスキルを身につけていくうちに、その過程で普通に身につけていくんです。たとえば「質問する時の態度が悪い」場合には「そういう聴き方をする人には何も言わないよ」と言っちゃいます。

つまり、座学じゃなくて、本当に「社会性スキル」が必要になるシーンを、仕事シミュレート環境の中にたくさん転がしておくんです。あくまでも個人的な意見なのですが、たとえば「名刺の渡し方」なんてことを講義でやっても、名刺を渡す機会がそもそもない人にやっても意味がないと思うんです。それは名刺を持ってからでしょう。さらにいえば名刺を持つ仕事を選んでからのことでしょう。

挨拶にしてもね、挨拶の仕方をやる前に「人と協力しあう仕事をする」というステップが先にあって、「そのステップをどうやったら円滑にできるようになるんだろう?」っていう、「本人からの需要」があって初めて本気で取り組めることなんだと思うんです。「本人からの需要」がないのに、施設側からいろんなプログラムを押しつけるのってどうなのかなと。

たとえば英会話教室のことを考えてみるといいかなと。

(1) 暇つぶしに何か新しいことをやってみたい人。
(2) なんとなく英語が話せるようになりたい人。
(3) 4週間後にアメリカにいく用事ができてしまった人。

たぶん、一番たらたらとやるのが(1)。そもそもが暇つぶしだから、ちょっとイヤなことがあると、「やめよっかなー」って思ってる(笑)。(2)の人は(1)よりはずっとがんばれちゃうんだけど、「まぁ、焦らなくても時間をかけてなんとかなればいいかなー」と希望的観測をしていたりする。当然だけど、誰よりも必死になるのは(3)の人。だって、たらたらやっていたら後がないんだから(苦笑)。

需要レベルが(1)<(2)<(3)という形になっているんだけど、たぶん同じ講義を受けていたとしても、密度は全然ちがうと思いますよ。就労移行支援事業にしたって、そのあたりの本質は同じだと私は思ってます。でね、言いたいのは「無駄なことにお互いに時間をかけるのはやめよう」ってことなんです。「聞きたくもない話を聞かされる人」→無駄。「聞きたくない人に話を聞かせる人」→無駄……ってことです。

これは私だけがそうなのかもしれないけど「自分と関係なさすぎる話」を聞くというのは、もうね、ものすごい苦痛なんですよ。さらにその上に睡魔と戦わないといけないという状況は地獄ですよ。そもそも「戦わなくてもいい睡魔」と戦っている時間って生産性ゼロですからね。睡魔と戦っている時間があるならもっと「自発的」に使った方がいいと思うんです。

もちろん「社会人になったら睡魔と戦うのも仕事のうち」って言いたくなっちゃうのは分かります。私だってそう思うから。そう言っちゃいたくなるから。でも、何のインセンティブもないうちに「ツライところから体験してもらう」っていうことの価値について、実のところ私はよく分からないです。

私だったら「そんなツライだけの社会人なんて、誰が好きこのんでなるか?」って思っちゃうもの。仕事そのものの「楽しさ」がまず先にあって、そこに相反する「イヤなこと」というのが出てくる。「楽しさ」の恩恵を享受するためには「イヤなこと」をなんとかしなくちゃいけない。そういう関係性があって初めていろんなノウハウが必要になると思うんですよ。ノウハウに需要ができるんです。

そんなわけで、私はね「フォーマット」としてのプログラムを先にやるんじゃなくて、「需要」だとか「モチベーション」とか「自己改善のきっかけ」みたいなものを、本人の中から掘り起こすところからはじめていきたいなあと思ってます。同じことをやっていても「楽しさ」があれば、体感時間は半分以下になります。ということは相対的に密度は2倍なんです。私の仕事シミュレート環境では、週末によくこんな言葉を聞きます。

「ああ、もう、こんな時間か。早いなあ。なんで明日は休日なんだろう?」

なんて。
これが数年前に自宅に引きこもっていた人のセリフとは思えません(笑)。
本当に嬉しい変化です。

2012年4月11日水曜日

「ありがとう」が「働く」こと

「働きたいと本気で思ったことはありますか?」という質問は、就労移行支援をやっていると、どうしても聞いておかないといけない質問だと思っていた。そもそも「やる気」がなければ「スキル」を身につけても社会に出て行くことなどできないからだ。だから、まずは「気持ち」が大事だろうと。

しかし、最近、そればかりじゃないんだなと思うことがある。たとえば、私が運営している仕事訓練環境では、「業務ありき」という状況になっている。そして、その業務を遂行するための方法も教えない。ただし、「自分で考える」ということに対するヒントは出していく。それでも、基本的には仲間と相談して解決策を考えてもらうようにしている。

そういう環境において、「不思議な人材」が生まれてくるのだ。業務を遂行するための方法論、そしてどのような仲間とどのようなチームを組むと先に進めるか……ということを考えるのが得意な人、全体のモチベーションを高めるのに活躍する人、それぞれの長所を繋ぎ合って弱点を補い合う人……など、きっちりと連携して、そして自分たちで業務を完結していく。

それでも、「働きたいと本気で思ったことはありますか?」という質問に対して、「正直なところ、ありません」と答える人がいるのだ。十分に仕事をやっていけるし、こういう人が会社に入ったら助かるだろうな……と思えるような動きをする人でも、「働く」ということに対して「違和感」を感じている人は意外にいる。

気になって本人に聞いてみたところ、「なるほど」と思える事実が分かった。その人にとって「仕事」とは、「命令された『指示』どおりに一日中動く」ということが「働く」という認識だったということだ。そして、「働く」=「時間の牢獄に入れられる」というイメージで捉えていたのだ。確かに仕事にはそういう面があることは否めない。

実は、私が大学を卒業したばかりの時に「仕事」に対して抱いていたイメージと同じだ。社会人になるということは「自分の人生を捨てることだ」とまで考えていたことがある。まさか、それから十数年後に「楽しく仕事をしている自分」がいることを全く想像できなかった。「仕事」=「楽しい」という側面もあることに若かりし頃の自分は気づけなかった。

今にして思えば、「仕事」を楽しくするか、ツライものにするかは自分自身の心の在りようにかかっている。自分自身で「仕事」を作り上げようとすればするほど、「仕事」は限りなく「趣味」に近づく。逆に、「仕事」を命令としてこなそうとすればするほど、「仕事」は限りなく「労役」に近づく。一日に指定された時間で「趣味」をするか、それとも「労役」をするか。その違いは大きい。

今、私が運営している仕事訓練の場所では、自分たちの責任において、よりよい品質の業務を進めていこうとするモチベーションがとても高い。多少、時間がかかったとしても、私はその気持ちこそ大事にしてほしいと思っている。なぜなら「お客様が喜んでくれること」を価値観の中心に据えてくれているからだ。お客様が喜ぶことが目的にさえなればいいのだ。

どんな仕事も「お客様」がいる。想いを込めた仕事には、お客様が満足して「ありがとう」と思ってくれる。その気持ちを最上級の形にしたものが「お金」なんだと思う。全てのことが「感謝の言葉だけ」で済ませられるのならお金はできるだけ払いたくない。そのお金を払ってでも感謝したい……と思ってくれるだけの仕事をしなくてはウソなのだ。だから仕事は面白いのだ。

かつて、仕事に対して拒絶感があった私がたどり着いた考え方。ここに一人でも多くの方がたどり着いてくれたらうれしい。

2012年4月4日水曜日

「やらせる」ではだめなんだ

世の中には実にさまざまな考え方がある。「ゴールデンルール」、「GTD」、「7つの習慣」……など、仕事の効率を高める方法には私自身も非常に深い興味を持っている。しかし、こういう仕事術には注意をしなくてはならないと思っている。就労移行支援事業に関わる立場として、特に私は注意を払っている。

それは「自分に役に立ったからといって『やらせてみる』ではダメだ」ということだ。組織を動かすプロに多いような気がするが、「やらせればなんとかなる」と勘違いしてはいけない。なぜなら、そこにいたるプロセスの方がずっと大切だからだ。逆説的にいえば、「やらせる」という形ではうまくいかない確率のほうが高いと思う。

私は個人的に「どの仕事にどれくらい時間を使ったか」という記録をとっている。ひとつのタスクごとに記録しているので、一日が終わってみて「何も終わらなかったけれど、一体、何に時間をとられたのか分からない。」ということは一切なくなった。さらに一週間毎にレビューを実施すると、「何をやめるべき」で「何をすべきか」という点が明確になってくる。

しかし、実は、この行動記録を数年前に「やらされた」ことがある。とある社長の業務命令に仕方なく従ったわけだが、実はまともに業務記録などやっていなかった。ありそうな時間記録をして、ある意味では「でっちあげ」で報告していた。なぜなら記録をとること自体が「時間の無駄」だと思っていたからだ。だから当然、何の役にも立たなかった。

つまり、「自分で自分を改善しよう」という明確な目的がなければ、どれだけメソッドが優秀であっても意味がないのだ。「目的に達するためのメソッド」という考え方が重要で、「メソッドを実行することが目的」になることは全くナンセンスだ。本質的には「メソッドに近づきたくなるモチベーション」を身につけることの方が大事だ。

たとえば就労移行支援の現場にいると、「MOS検定試験に通る」という目的を持つ利用者をよく見かける。たしかにMOS検定に合格すれば、「マイクロソフトのOfficeがどの程度使えるのか?」という指標にはなる。しかし、これにしても同じことだと私は思っている。「MOSに通ること」が目的ではなく「どういう仕事にどういう機能が使えるか?」という観点こそが必要なのではないだろうか。

ビジネス関連のメソッドは、その根底に「自主性」があって初めて成立するものだ。必要に迫られなくては何も機能しないのだ。まったく忙しくない人に機能的なシステム手帳をプレゼントするようなものだ。忙しくもない人にシステム手帳を渡すのは「ゴミを渡される」ようなもので、それは「迷惑」でしかない。そこに気づかず「一方的にメソッドを押しつける」というやり方は百害あって一利なしだ。

私自身、ビジネスを加速させるメソッドを試してみることは楽しいことだ。それで、今まで見えなかった発見や、仕事の効率が高まることに至上の幸せを感じる。しかし、それでも「押しつけない」ようにしなければと自戒している。こういうメソッドが好きな人には陥りがちな罠があるからだ。「進んだメソッドを積極的に取り入れている自分は賢い」という勘違いだ。上から目線では誰も育たないことを知らなければいけないと思う。

2012年3月21日水曜日

ネスカフェ・ゴールドブレンドの詰め替えの謎


昔はそれほど好きでもなかったコーヒーを最近はよく飲んでいる。毎日飲んでいるので「愛飲家」という呼ばれ方をしても差し支えないレベルだ。自宅でも朝はコーヒーを飲むし、仕事中でも3杯以上は飲む。特別にこだわりはなかったはずだが、気がつくと「ネスカフェ・ゴールドブレンド」(以下、「NGB」)に落ち着いている。「違いが分かる男」というわけではないが、他のコーヒーよりも香りが気に入っている。

さて、世の中の不思議を眺めていると、思わぬ発想のヒントをもらえることがある。ひとつひとつはたいしたことがないのだが、突き詰めて考えてみると、いろいろな思考のトレーニングになるような気がする。そんな「ちょっとしたこと」として、NGBの「詰め替え」について考えてみた。実はNGBには不思議な現象がある。どうもスーパーで安売りされる時の価格設定がおかしいのだ。

(1) NGBには「ビン入り」と「詰め替え」がある。
(2) 「ビン入り」よりも「詰め替え」の方が内容量が少ない。
(3) たいていのスーパーでは「ビン入り」より「ビン入り」の方が安い。

つまり、

【量】 「ビン入り」>「詰め替え」
【価格】「ビン入り」<「詰め替え」

ということなのだ。正直なところ、あらゆる点で「詰め替え」は負けている。あえて弁護すれば「環境配慮」という点で優れているだけだ。いや、しかし、ガラスもプラスチックのふたもリサイクルされるのではないか?……確かに加工時のCo2排出量は少なくなりそうだが、どの程度効果があるのかよく分からない。

当然、他にも同じことを思った人がいたらしく、たまたまネスカフェのサイトを覗いてみたら、ネスカフェの掲示板に「詰め替えの方がビン入りよりも量が少ないのに、価格が高いのはおかしい」と書き込んでいる人がいた。

……しばらくして、何かが起こったのか知らないが、スーパーでの価格設定が「ビン入り」は「詰め替え」よりも高い価格設定になるようになってしまった。なんとも「ヤブヘビ」的な感じで残念な状況になってしまったのだが、なぜ、このような状況になったのだろう。なんとなく考えてみた。

(1) おそらく製造の原料コストは「ビン入り」>「詰め替え」だろう。
(2) しかし「詰め替え」の製造ラインの開発コストは回収しきっていないだろう。
(3) また「詰め替え」機構に特許料が発生しているならそこもコスト増だろう。
(4) ただし「詰め替え」は「ビン入り」より軽量なので輸送コストでは有利だろう。

長期的には洗剤の詰め替えパックと同じように、製造コストが安くなるであろう「詰め替え」製造に主軸を映してよさそうなものだが、なかなかそうはならないと思う。その理由をいくつか想像してみた。

(1) 洗剤と違って風味を封印する仕組みにガラス以上の管理コストがかかるのでは?
(2) 洗剤と違って出先で購入される可能性があり「詰め替え」では機会損失があるのでは?

以前、紙パックの飲み物に「薬品臭」が外部から移ってしまい問題になったことがあった。そういう意味で(1)を考えた。液体と固体の差はあるが、外からの臭いが紙を通過しないようにしないといけないし、また内部からの香りを逃がさないようにする必要がある。このあたりの技術開発には相応のコストがかかっているような気がする。出荷量が上がれば解決できるかもしれないが、現状では難しいのかもしれない。

それから、インスタントコーヒーが職場の近くのコンビニなどで購入される可能性を考えると(2)も想像できる。おそらく「詰め替え」を主力商品にするのは企業として勇気がいるだろう。洗剤は生活必需品なので、ある程度、定期的な需要が見込まれる。また定番化すれば使われる場所も限定されるので「詰め替え」の売れ行きも想定できる。しかし、コーヒーは嗜好品なので、他社製品からNGBに買い換えようと思った時に「ビン入り」がなければ、そのまま機会損失になってしまう。

機会損失を防ごうとすると、やはり「ビン入り」が主体で、製造コストの回収も考えなくてはならない「詰め替え」には、あまり力が入らないということなのかもしれない。ただ、そこで手をこまねいていたら、どう考えても消費者にとって嬉しくないことづくめの「詰め替え」は受け入れられないだろう。つまり「詰め替え」は、作れば作るほど赤字になる「お荷物商品」になってしまう可能性がある。

そうしないための経営戦略としては、「ビン入り」の価格は下げさせず、その代わり「詰め替え」を価格優遇する方法があると思う。つまり、「一度『ビン入り』を買ってしまえば『詰め替え』でランニングコストが安くなる」という刷り込みをすればいいのだ。こうすれば、消費者にとってNGBが定番化しやすくなるし、「詰め替え」の売り上げも安定してくると思うのだ。独禁法を恐れなくても仕入れ値の設定で何とかなると思うのだが……。

と、まあ、私は小売業でも製造業でもないのだけれど、ちょっとしたことでいろいろな経営シミュレーションを楽しむことができる。もちろん、優秀なブレーンが結集している大企業がやらないのだから、きっと現実には複雑な理由がいろいろとあるんだろう。それでも、いろいろと考えてみることで、自分が普段やっている仕事の今後の展開を考えるときに、こういう積み重ねが思考に深みを与えてくれるのではないだろうか。

妄想に近いのだが、こういうことを考えている時間はなんとなく楽しい。


◆Amazonで調べてみた……

すると、ある意味で驚きの事実が。

コンビニ価格ですら700円台のNGB(ビン入り)の新品価格って1469円だったらしい。普通に半額ってことか。たまに500円以下の時もあるので、正価から考えると3分の1も値引きされることがあるのか……。

それに対してNGB(詰め替え=エコ&システムパック)は新品価格が868円という表示。これが値引きされても700円台ということは、20分の1程度の値引き。ビン入り150グラム用の詰め替えは120グラムなので、実質的な値引き率はもっと悪いということになる。

◆というか方向性がそもそも違う

ただ、もっと調べてみると違う方向性が見えた。
どうやら、「ビン入り」の詰め替えというよりも「ネスカフェバリスタ」というコーヒーメーカーで使うカートリッジという位置づけなんだろう。確かにこの機械に詰め替えるとなれば、ビン入りは逆に不便だ。

逆に「詰め替え」を使えば手元が狂ってNGBをぶちまける心配もない。コーヒーメーカーの周辺にNGBをぶちまけたら相当掃除が面倒くさいと思う。掃除機で吸い取っても、その後に水拭きしたらそのままコーヒー色の汚れになってしまうのだから。

単に価格で勝負するためのラインナップというよりも、コーヒーメーカーへの詰め替え機能に特化した商品で、「ついでに『ビン入り』にも使えるよ」……という販売戦略なんじゃないかと思う。

「詰め替え」の価格設定がおかしいと思っていた人は、ネスカフェバリスタを購入してみると「機能性への対価」が分かるかもしれない。

2012年2月29日水曜日

効率化と優しさの両立


私は効率化が好きだ。なぜなら「誰にでも公平に流れているはずの有限の時間」の密度が変わるからだ。今の時代、時間の使い方の上手い人が強いのだ。今の時代に限ったことではないかもしれないが、少なくともその傾向が顕著であることは間違いない。

仕事の書類を飛脚に運んでもらうのか、電子メールで送るのと、どちらが有利なのか・・・という比較はもはや必要ないだろう。「昔はのどかでよかった」という議論には賛成だが、残念ながら今はそういう時代ではない。その時代の善し悪しはともかくとして、今、時代の流れにそぐわない選択をすると、結果的に自分だけが取り残されることになってしまう。

すこし脱線してしまったが、私が「効率化」を推し進めたい仕事の領域は非常にセンシティブな分野だ。メンタルで困っている方々が職業に就くにあたって、いかに行動の効率性を高めて余計に疲れないようにするか・・・という点が重要になる。

ただ、効率性を極限にまで高めてしまうと、深く集中するためにコミュニケーションの頻度が激減してしまう傾向がある。たとえば「気軽に声をかける」ということが難しい環境になりやすい。なぜなら効率性を最優先する場合、「割り込み」の要素をいかに減らしていくかということが重要になるからだ。

「効率化」を徹底していない状態においては、声をかけられたらすぐに仕事を中断して、呼ばれたところに気軽に移動していた。そこでは仕事の進め方についての相談を受けるわけだが、仕事の話だけではなくそのまま雑談になってしまうこともあった。しかし、その結果として利用者のモチベーションが高まることも少なくなかった。

現在、メンタルな現場で仕事の効率性を高める実験的な試み(ToodledoとTogglというツールを使った作業ベンチマーク)をしているが、反応は芳しくないようだ。むしろ、利用者がストレスをためているようにすら見える。「効率化」に対する考え方のベクトルがある程度同じ方向を向いていない人にとっては、単に「つらい環境」になってしまうだろう。

効率化の究極形は「集中力を途切れさせない時間」と、「コミュニケーションの時間」を分離してまとめてしまうことなのかもしれない。つまり「相談窓口受付時間」を決めておいて、指定した時間に待ち行列を作ってもらうというやり方だ。しかし、コミュニケーションの敷居は一気に高くなってしまう。

そこで、今一度、私がやっている仕事のあり方を見直してみた。私が怠ってはならないポイントは「利用者の不安」に対して「迅速に気づき」「必要なメンタルケアをする」ということであり、私ひとりの効率を高めるということではない。「効率化」を求めるあまり、メンタルケアを怠ることになれば、それは結果的に「私の仕事の品質が低下した」ということになる。

つまり、単純にコミュニケーション密度を下げた「効率化」は、逆に私の仕事の品質を損なう恐れがある。しかし、私はこれくらいのことで「効率化」をあきらめてはいない。「間断なく割込みが入る」という環境を受容した上で、その前提でいかに必要な業務が進捗していくか・・・という運用を含めた環境構築が必要になるのだと思う。

具体的な方向性としては、

 ・タスクの単位を最小単位まで細分化する【細かい割込を前提とする】
 ・タスクの進捗を一目で把握できる表現を身につける【本線への復帰速度】
 ・作業の切り分けと委譲をしやすい環境を構築する【本質的な負荷分散】

ということだと思っている。

ただ、そうはいっても、私がいくつかの小さい企業で目にした「効率化に目覚めた社長」がやらかす失敗を再現しないようにしたいとも思う。たとえば「12分毎に作業ログを取る」とか「相談受付窓口時間を設ける」などのルールを、いきなり社員全体に徹底させようとすることだ。

個人的にこれらの方法論は正しいと思っている。実際に私自身も業務ログを詳細に取っているし、極力、無意味な会話に時間をかけるようなことはしたくない。集中力の凝縮と解放のタイミングはまとめてしまいたいと考えているので、集中力がいらない時間帯にまとめてコミュニケーションしてしまいたいという気持ちもある。

しかし、これらは効率化に対する価値観が合致してこその効果だ。作業ログを取る行為も、「そのログを『自分の視点』で分析する」というモチベーションがあって初めて機能するものだ。作業ログをを第三者による監視と指導のために運用しようとすれば、当然、虚偽の報告も発生するかもしれない。そもそも改善意欲よりも反発心が表に立ってしまうだろう。

効率化はあくまでも「全体効率」を考える必要がある。誰か一人だけが徹底して仕事が早くても、組織としての強さにはならない。ある点において「部分効率」が全体の品質を高めたとしても、その人材がいなくなれば、組織としてのポテンシャルは急激に低下してしまう。このこと自体も大きなリスク要因だ。

そのためには焦って効率化を急進的に進めるよりも、「幸せの同意事項」のような形で、緩やかで薄くても、少しずつ「効率化」=「しあわせ」という価値観を組織に浸透させる必要があるのだと思う。GTDなどの技術的な方法論は私にとって魅力的であることは変わらないし、今後も極めていきたいと思っている。

しかし、私は「メンタルの現場」というセンシティブな領域において、無駄なストレスを利用者にかけることなく、「幸せな効率化」を追求してみたいと思っている。これが私が未来に構築したい「メンタルユニバーサル環境」だ。さあ、明日もそんな「しあわせ」を追いかけてみたいと思う。さあ、明日は何するか!

2011年7月27日水曜日

教えない講座

ちょっとだけ過激なことを書きたくなってきたので書いてみる(笑)。

私は障碍を持っている人向けに「ITコース」の講座をいくつか持っている。
わりと運営者には嫌がられてしまうんだけど、受講者にはっきり言う。

「このコースではパソコンの使い方、Officeの使い方は一切教えません!」

運営者としては「そんなことを言ったら来なくなってしまう」と思うだろう。
それでも、私は最初にこれを受講生に伝えるようにしている。
別にびびらせようなんて思ってはいないんだけど、はっきりと伝える。

「私が伝えるのは、Officeなどを使えるように自己解決する方法です。」

ここで、2つの層に分かれる。

(1) 「なんだ教えてくれないのか」と下を向いたり退室してしまう人
(2) 「自力で解決できるスキルがついたら得じゃないか」と目を輝かせる人

本当に申し訳ないんだけど、私は(1)の人を相手にするつもりがない。
そういう人のために、街角にはたくさんパソコン教室がある。
私自身も「飽和している市場」に乗り出すつもりなんて毛頭ない。

私は「パソコン教室に通いたくない層」を徹底して伸ばしていきたい。
先生に依存せずに自力でなんとか前に伸びていきたい人を伸ばしたい。
これは私が世の中に対して提供できる価値でありサービスの差別化だ。
誰でもできることは他の誰かがやればいいんだから。

たしかに受講生の半分は来なくなってしまうかもしれない。
だけど、私は本気で前進しようと思っている人が伸びてくれればいい。
居眠りをしていても「頭数」が稼げればいいだなんて思っていない。

本気でパフォーマンスを上げるには、それくらいの覚悟が必要だと思う。

2011年7月19日火曜日

通過点

先月の15日に新しい命が産まれた。このブログを書き始めたときは一人きりだった。一人きりのお正月に決心して新しい人生を誓った。自分のすべきことをまっすぐに取り組むことを。

あれから年月は流れた。そして、今、家族がいる。なんとも不思議な気分だ。特に産まれたばかりの娘は、1年前にはこの世界のどこにもいなかった存在だったわけで。

私の少年時代は夢や希望を持って生きることができなかった。環境が特別に悪かったわけでもない。ただ、私が勝手に絶望した日々を送っていただけだった。

しかし、それから20年以上も経ってから「人生の景色」は自分自身で変えられることに気づいた。娘に伝えたいのは「この世界のすばらしさに早く気づこう」っていうこと。

生きている時間、全てが楽しく生きられたらなんてしあわせなことだろう。ただ、私は言葉でそれを伝えることはできないかもしれない。大事なことは言葉で伝わらないことが多い。

たぶん私ができることは、今、生きている私の幸福な人生を見せることだけかもしれない。私ができていないことを誰かに伝えることなんてできない。

さて、これからの人生、より輝かせていこう!

2009年10月14日水曜日

怒らない怒らない

今、ハケン先で若手のお世話をしたりもしているんだけど、最近、ものすごく気をつけていることがあります。まー、こっちもハケン、あっちも委託の人ということで、職制的の上下はないんだけどどうしても教える状況が多いせいか、パワーバランス的には強気なことが言えそうな立場になってます。

で、たまに面白いくらいに正解から距離の離れた失敗とかをやらかすんだけど、とにかく腹を立てない、怒らない・・・というコトを自分に課しています。元々、私は瞬間湯沸かし器みたいな性格だもの・・・だから言葉にするよりも先に、腹の底からこみ上げるエネルギーを心の中で押し戻すんです。

これが自分のストレス値を上げずに自然にできるようにしたいんですよ。っていうのは、怒るのってすごくラクなんですよね。腹が立つコトがあったら我慢なんてしないで、怒涛のように怒ってしまえば・・・すっきりするじゃないですか?

でもそれって「自分自身がすっきりする」だけなんですよ。自分自身がすっきりするために、「ストレス」を相手になすりつけているだけなんです。だから、それをなすりつけられた相手は当然ストレスを抱えるワケです。

その相手のストレス耐性値が非常に低いとしたら、そのストレスで仕事が続行不能になってしまうかも知れません。昔は「怒鳴りつけられてもついてくる骨のあるヤツ」だけいればよかったかもしれませんが、最近は「うつ」などの精神疾患で精神的にやられている人も多くなってきました。

そういう人たちのパフォーマンスを引き出すためには、一昔前とは異なるアプローチが必要になってきているんじゃないかと思います。以前の常識とは異なるメソッドが必要になってくるわけです。そのあたりの面白い試みをこれからスタートさせようと思っています。

そのための心構えとして「怒らない、怒らない・・・」を続けていこうと思います。本来、熱血な私にとっては、わりと精神修養チックな感じではありますが。

2009年8月2日日曜日

死ぬのが怖くない!?

なに言っちゃってんの?・・・と思われるかもしれないが。
正直なところ、私は死ぬことが怖い。いつか死ななきゃいけないんだけど。

「死ぬ準備ができた人から死んでいく」なんて話をよく聞く。
ついでに「いい人から先に死んでいく」なんて話もよく聞く。
ひょっとして人間性を磨くことが死ぬ準備なのかなあ。

で、あるならば、人間性を磨かないで長生きしたいなあ・・・って?
まさか、人に嫌われてまで長生きはしたくないけど、長生きしたい。
なぜって、世の中がどんどん面白くなっていくのを見たいからね。

こんな時代だけど、まだ、私は未来に期待感を抱いてます。

昨日、新しく始める事業の主要メンバーと一緒に飲んでました。
ビジョンとかそのあたりのことを、ざっくばらんに話し合いました。
一人は福祉系の人。一人は障碍者支援の事業をしている社長さん。

何かで話が脱線して「死ぬことって怖いんですよね」なんて話に。
その時に聞いた社長さんの話が、ちょっと響きました。

「自分で会社を立ち上げた時から死ぬことが怖くなくなったんだよね。
まず会社を立ち上げる時って、死ぬくらいに怖かったし勇気が要った。
だけど、腹をくくって自分のやりたいことにまっすぐ進んだわけ。
死ぬことが怖いのは、やりたいことができなくなるからなんだよね。
だったらさ、常にやりたいことをやり尽くすくらいやればいいんだよ。
いつも全力だからさ、いつ死んじゃっても悔いは残らないんだよね。」

・・・なるほど。そう言える領域に行けるようになんとか前に進もう。
昨日はいい話を聞けました。

=====
最近、ブログ日記を書くとなると長文になりがち。
とりあえず、初心を思い出して短文で書いていこうと思う。

2009年7月20日月曜日

発達障害サポートコーチング研究会

今日は午前から「精神障碍就労支援育成プラン」の打ち合わせ。モーニングセットを注文できる時間から、延々3時間に及びました。さらに謎の「フェニックスプロジェクト」についても話を詰めました。

うん。だいぶいい感じ。足りない部分は24日に再調整する予定です。

気がつくと、午後の「発達障害サポートコーチング研究会」に遅れそうな時間になっていました。電車で新宿から高田馬場に移動。徒歩じゃ間に合わないのでタクシー。ああ、今月、ちょっとフトコロがきついんだけど・・・しょうがないか。

この研究会、実は一回目。
「発達障害サポートコーチング研究会」が生み出すモノはまだ未知数。だけど必要なインスピレーションって、そんなところにあったりするんですよね。未知数だからおもしろい結論が得られたり共有できたりするんじゃなかろうかと。

私が今、やろうとしているのは、精神障碍の当事者に対する就労支援。いや、支援よりもさらに積極的なフィールドを構築することなんです。・・・ん、このあたりの詳細は、もうちょっと事業として形ができてくるまで詳細を割愛します。

さて、精神障碍と発達障碍。
似ているようでだいぶ違う。だけど似ています。
外側からわかりにくく、さらに理解されにくいという一点において。

実は、私にとって興味があるのは「メンタル・ユニバーサル環境」の構築なんです。要するにいかなる障碍を患っていても、要するに本人が幸せに生きられるようになればいいんだと考えています。

「現実を知らない人間が、そんなに簡単に言うな!」

と、関係者から怒られそうですが、現実を知らないからこそ、第三の視点から大胆な発想で解決に迫れる可能性があるんだとも考えています。そういう意味では「部外者」という自覚もありながら、今回の研究会に参加しました。

研究会の感想を書きたいと思います。

今まで苦労して戦いながら子供を育て、これからの未来を心配する親御さん。そこには深刻な切実さを感じました。

・・・が、ちょっと気になったことがあります。

「○○だから△△は絶対に無理です。」
「××という簡単なことができなくて心配です。」
「○○だから□□という人生を歩ませたい。」

という話についてです。これは過酷なことを書いているのかも知れませんが、私には分からないことがあります。

親の価値観で決めつけて敷いたレールを歩ませることは、本当に当事者にとって幸せなことなんだろうか?

そして実際に試すこともせずに、親の判断で「不可能」と決めたことを、当事者の人生に納得させることが正解だろうか?

・・・と。

順当に人生を送っていったとしたら、親はいつか、子供より先に天寿を全うすることになります。その時に当事者が初めて人生のハンドル(責任)をたったひとりで握らなければならないとしたら、その方が過酷な人生になるような気もします。

もちろん親御さんには大変なご心労があることと思います。
私には知りようもない壮絶な戦いの日々なんだと思います。

しかし、障碍の有無に関わりなく、親の価値観の強さが自立心の芽を摘んでしまうこともあるような気がするんですね。

たとえば私は、とりあえず今のところ「健常者」ということになっています。もちろん細かく診断してみると何らかの障碍がどこかにあるのかも知れませんが。(個人的には「健常者」という呼び名は好きじゃありません。)

それでも職業選択や人生の選択において、「親の意見は先人の意見として正しいのだから従うべきだ」という価値観の押しつけを感じることは過去にありました。つまり、障碍の有無に関わりなく、親とはそういうものだと思うのです。

鳥は自由に飛ぶから鳥なんです。安全だからと鳥かごに鳥を入れていたら、その鳥は自分で飛ぶことをあきらめてしまうと思うんです。そして飼い主が突然いなくなってしまったら・・・どうなるんでしょうか。

それから、親御さんの話を拝聴していて思ったのですが、そもそも100点満点じゃなきゃいけないのでしょうか?

できないことなんて人それぞれ当たり前にあると思うんですね。

たとえば寿司職人はお客さんからバラバラに注文されても、それぞれのお客さんに間違いなくお寿司を出すことができます。すごいなあと思います。私にはたぶんそれは難しい。なぜならその能力を伸ばすことに何の関心もないからです。

だから、私の場合、同時に何かを頼まれたら最初から記憶力に頼るつもりなんてありません。その代わりにメモをとったりするんです。そしてそのメモの内容をその場で確認して間違いのないように努力する。それだけです。

だから見る人によっては、ひょっとすると私は短期記憶能力が乏しいと思う人もいるかも知れませんが、それを補うための方法論を作り出せば何の問題もないと思うのです。もちろん寿司職人になることはできないと思いますが。

100点満点じゃない人なんて健常者と呼ばれる人の中にいくらでもいると思います。というか100点満点の人なんて見たことがありません。むしろ100点満点に見えそうな人なんて、近づきがたいことこの上ありません。

確かに障碍によって不都合なことはあると思います。これは決して否定しませんし、それは何らかの形で上手にフォローする必要もあると考えています。ただ、このフォローの手段にはいろんな方向性があると思うんです。たとえばまったく違う業種のまったく違う立場の人間にしか見えない解決策もあると思います。

そのために私はこの研究会に出席しました。そしていろんなヒントを求めています。さらに私が持っている「何か」がお役に立てばいいとも思っています。当事者の才能や特徴を社会のために生かせる発想が隠れているかもしれません。

だからこそ簡単にあきらめないでほしいなと思うんです。当事者の方もその周辺の方も。いろんな活動をしている人たちが世の中にはいます。知恵を集めれば何かが生まれる可能性は高いと思うんですね。

さて、今回の研究会で受け取ることのできた、私なりの重要なキーワードをここに書き残しておこうと思います。

・「答えは相手の頭の中にある。」

他にも気になるキーワードはありますが、もっとも重要なキーワードをひとつだけ挙げろと言われたとしたら、この一言に尽きると私は思います。

無意識に相手をコントロールしようとしてしまうことって、かなりあると思うんです。それがたとえ相手に対する善意であったとしてもイヤなことだと思います。イヤなことだから徹底的な反発を食らっちゃう。考えてみりゃ・・・当たり前のコトなんですよね。

たしかに「答えは相手の頭の中にある」んだと思います。ただ、その答えを「頭の中」から上手に自分で探せない人もいます。だから「頭の中」の冒険を一緒につきあう必要があるんだろうと思いました。

相手の目の前に自分が準備した宝箱を出して「これが正解だ!」とするんじゃダメなんだと思います。一緒に宝箱を捜しに行く過程が大事なんだと思います。ひょっとするとその宝箱には、まったく意図しなかった結論が入っているかも知れません。

でも、それが本人にとっての「宝物=価値観=納得」なんだと思います。

そんなことを考えた研究会でした。

2009年7月16日木曜日

WRAP・・・元気回復プラン行動

Wellness Recovery Action Plan・・・でWRAP(ラップ)。
「元気回復行動プラン」という方法論がシステマチックにまとめられています。
個人的には、この動き、応援したいなと思っています。

WRAPというのは、もともとはアメリカから伝わってきた概念で、精神障碍に対する有効なアクションプランです。あらかじめ調子のよい時に、自分の弱点や回復に関する分析を行っておいて、調子が下降してきた時にどのように回復するのか・・・という、自分専用の回復マニュアルを作るワケですね。

すべらく!(http://respect.arrow.jp/suberaku/)の目指すところも、「元気回復行動プラン」に非常に近いんですよね。自分的には。

もともと「すべらく!」に書いていることって、自分がへこんだ時にどうやって回復したんだろう・・・という経験則をまとめたものなんです。後になって、同じようなコトが発生した時に、「あの時どうやって復活したんだっけ?」というのが思い出せると便利だなぁって。

そうやって、いろんなコトにぶつかるたびにメモしてきたんですが、ふと思ったんです。

「ひょっとして、自分の経験則って他の人でも役に立ったりするかな?」

・・・って。そんなワケでサイトを作ってそこで発表してみたらどうかなー・・・って思ったワケですね。そう思ったのが2008年。2009年になってやっとサイトという形ができてきたところなんですが、そこでWRAPに出会うというのは何やら縁を感じます。

これから、すこしずつWRAPについて研究してみようと思います。
こういう人間が幸せになるためのメソッド開発っていいな。

2009年5月30日土曜日

幸せを考えること

幸せを考えるコトって、自分を考えることなんだと最近つくづく思います。
考えてみれば、自分が強く願っていたことは、叶って現在に至っています。

前にも書いた話なんですが、昔、すごく東京で暮らしたかったんですよ。
今、東京で暮らしている毎日は、自分にとって納得できる日々です。

多くの人にとっては「なんだそんなことか?」って思われそうだけど。
でも、自分にとっては大事な夢だったんですね。

小さいことなんだけど、自分の中で「叶った夢」として輝いている事実。
それ、どうして叶ったんだろう?・・・って、久しぶりに振り返ってみた。

そういえば、栃木の会社に間違えて入社しても、ずーっと諦めなかったな。
山奥に引っ越したばっかりだったのに、なぜか「いつか東京に」って。

そして会う人会う人に「いつか東京で仕事したいんです」って言ってた。
田舎モノくさいセリフで恥ずかしさもあったけど、やっぱり言ってた。
決して焦らなかったし時間もかかったけど、それでも夢を捨てなかった。

「そういや東京に来たいっていってたよな?・・・オレの下で働けよ!」

ある日、そう言ってくれる人が現れた。
・・・この体験は、たまに思い出して、未来に繋げていきたいと思う。