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2012年4月11日水曜日

「ありがとう」が「働く」こと

「働きたいと本気で思ったことはありますか?」という質問は、就労移行支援をやっていると、どうしても聞いておかないといけない質問だと思っていた。そもそも「やる気」がなければ「スキル」を身につけても社会に出て行くことなどできないからだ。だから、まずは「気持ち」が大事だろうと。

しかし、最近、そればかりじゃないんだなと思うことがある。たとえば、私が運営している仕事訓練環境では、「業務ありき」という状況になっている。そして、その業務を遂行するための方法も教えない。ただし、「自分で考える」ということに対するヒントは出していく。それでも、基本的には仲間と相談して解決策を考えてもらうようにしている。

そういう環境において、「不思議な人材」が生まれてくるのだ。業務を遂行するための方法論、そしてどのような仲間とどのようなチームを組むと先に進めるか……ということを考えるのが得意な人、全体のモチベーションを高めるのに活躍する人、それぞれの長所を繋ぎ合って弱点を補い合う人……など、きっちりと連携して、そして自分たちで業務を完結していく。

それでも、「働きたいと本気で思ったことはありますか?」という質問に対して、「正直なところ、ありません」と答える人がいるのだ。十分に仕事をやっていけるし、こういう人が会社に入ったら助かるだろうな……と思えるような動きをする人でも、「働く」ということに対して「違和感」を感じている人は意外にいる。

気になって本人に聞いてみたところ、「なるほど」と思える事実が分かった。その人にとって「仕事」とは、「命令された『指示』どおりに一日中動く」ということが「働く」という認識だったということだ。そして、「働く」=「時間の牢獄に入れられる」というイメージで捉えていたのだ。確かに仕事にはそういう面があることは否めない。

実は、私が大学を卒業したばかりの時に「仕事」に対して抱いていたイメージと同じだ。社会人になるということは「自分の人生を捨てることだ」とまで考えていたことがある。まさか、それから十数年後に「楽しく仕事をしている自分」がいることを全く想像できなかった。「仕事」=「楽しい」という側面もあることに若かりし頃の自分は気づけなかった。

今にして思えば、「仕事」を楽しくするか、ツライものにするかは自分自身の心の在りようにかかっている。自分自身で「仕事」を作り上げようとすればするほど、「仕事」は限りなく「趣味」に近づく。逆に、「仕事」を命令としてこなそうとすればするほど、「仕事」は限りなく「労役」に近づく。一日に指定された時間で「趣味」をするか、それとも「労役」をするか。その違いは大きい。

今、私が運営している仕事訓練の場所では、自分たちの責任において、よりよい品質の業務を進めていこうとするモチベーションがとても高い。多少、時間がかかったとしても、私はその気持ちこそ大事にしてほしいと思っている。なぜなら「お客様が喜んでくれること」を価値観の中心に据えてくれているからだ。お客様が喜ぶことが目的にさえなればいいのだ。

どんな仕事も「お客様」がいる。想いを込めた仕事には、お客様が満足して「ありがとう」と思ってくれる。その気持ちを最上級の形にしたものが「お金」なんだと思う。全てのことが「感謝の言葉だけ」で済ませられるのならお金はできるだけ払いたくない。そのお金を払ってでも感謝したい……と思ってくれるだけの仕事をしなくてはウソなのだ。だから仕事は面白いのだ。

かつて、仕事に対して拒絶感があった私がたどり着いた考え方。ここに一人でも多くの方がたどり着いてくれたらうれしい。

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