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2009年10月16日金曜日

しあわせの定義

これを考えるのと考えないのでは、だいぶ違うんじゃないかな。
自分にとって「しあわせ」ってなんだろうって考えること。
しあわせになりたいっていう人はけっこういるんだけど。
でも、具体的に何・・・っていうと、困る人も多いような。

しあわせは歩いてこないけど、歩くだけでもダメなんだよね。
どこに向かって歩くべきなのか、考えていないといけない。
それが、本来、人生の選択になってなきゃいけない気がする。
たとえば、仕事にしてもそうなんじゃないかなって思う。

大学時代に就職活動しなきゃいけない時、それが一番困った。
やりたい仕事なんて、正直言ってみれば何にもなかったし。
高収入でラクだったらいいよなあ・・・って思う程度だった。
何もしないでお金がもらえるなら、一生働かないのになーと。

最初の就職に失敗して、自分に合わない会社に入っちゃった。
そこを辞めたのをきっかけにいろんな職場を渡り歩いてきた。
別に飽き性だったワケではないんだけど、結果的にそうなった。
世の中一般的には誉められた話じゃないけど、後悔はしてない。

いろんな職場を渡り歩いたおかげで、大事なコトに気づいた。
それを書き始めると長くなっちゃうから、それは別の機会に。

ただ、仕事と仕事の間で時間的な隙間ができた時期があった。
仕事についてどうしようかって、今後を考えてた頃だった。
働かなくても生きていける・・・という不思議な時期だった。
理想的だと思ってたんだけど、実際はそんな感じでもない。

いつもが休日でいつでも遊びに行けちゃう。とっても自由。
でも周りを見渡すと、当然だけどみんな働いているんだよね。
仕事場なら仲間がいるんだけど、仕事がないとそれもない。
結局、すっごく孤独感ばっかりが募っちゃった記憶がある。

しあわせっていうモノは「無制限な自由」でもないらしい。
で、「仕事をしない」というコトがしあわせでもなかった。
会社員になるか、それとも自分の夢を追いかけるか考えた。
で、自分の夢を追いかけるため、つなぎでハケンを選んだ。

ハケンを選んだ時点で、いずれ事業をやることは大前提。
普通に考えると、34歳でハケンを選ぶのは勇気がいった。
いくら将来の夢のためとはいえ、かなり遠回りな感じだ。
そもそも30代後半になれば、一般入社だって険しくなる。
・・・と、このあたりも書くと長くなりそうなので割愛。

#ちなみにハケンは辞めるときもそれなりに勇気がいる。

くだらないコトだけど、ハケンを始めるのは屈辱だった。
働き始めて思い知ったんだけど、最下級の一兵卒だからね。
ましてや知らない現場に入れば、単なる使えない野郎だ。
自分ってこんなに使えないヤツだったのかとか、自己嫌悪。

でも、そんな毎日の中に「しあわせ」が隠れていたりした。
自分が過去に体得した知識で業務効率が上がった時とか。
「自分の存在が社会の一部に影響を与えてる」って感覚。
世の中で空気のように忘れ去られた自分を取り戻した感じ。

「自分が社会の役に立つと思えるコトって大事なんだな。」
と初めて感じた。自分にとっては効率化がしあわせだった。
面倒な作業で苦しんでいる人を助けるのが私の喜びだった。
自分が好きな分野で役に立てるというのは、しあわせだ。

つまり、仕事を選ぶときに大事なことは「しあわせ」だ。
仕事を選ぶのは、けっこう深く考えなきゃいけないと思う。
自分がどういうことで「しあわせ」なのか。適性は後だ。

今、アイデアを事業化するため、具体的に行動している。
まず、やっていて自分が「しあわせ」になれることをする。
そしてそこに関わる人が「しあわせ」になれることをする。
そこはブレないようにしていきたいな。

2009年10月14日水曜日

怒らない怒らない

今、ハケン先で若手のお世話をしたりもしているんだけど、最近、ものすごく気をつけていることがあります。まー、こっちもハケン、あっちも委託の人ということで、職制的の上下はないんだけどどうしても教える状況が多いせいか、パワーバランス的には強気なことが言えそうな立場になってます。

で、たまに面白いくらいに正解から距離の離れた失敗とかをやらかすんだけど、とにかく腹を立てない、怒らない・・・というコトを自分に課しています。元々、私は瞬間湯沸かし器みたいな性格だもの・・・だから言葉にするよりも先に、腹の底からこみ上げるエネルギーを心の中で押し戻すんです。

これが自分のストレス値を上げずに自然にできるようにしたいんですよ。っていうのは、怒るのってすごくラクなんですよね。腹が立つコトがあったら我慢なんてしないで、怒涛のように怒ってしまえば・・・すっきりするじゃないですか?

でもそれって「自分自身がすっきりする」だけなんですよ。自分自身がすっきりするために、「ストレス」を相手になすりつけているだけなんです。だから、それをなすりつけられた相手は当然ストレスを抱えるワケです。

その相手のストレス耐性値が非常に低いとしたら、そのストレスで仕事が続行不能になってしまうかも知れません。昔は「怒鳴りつけられてもついてくる骨のあるヤツ」だけいればよかったかもしれませんが、最近は「うつ」などの精神疾患で精神的にやられている人も多くなってきました。

そういう人たちのパフォーマンスを引き出すためには、一昔前とは異なるアプローチが必要になってきているんじゃないかと思います。以前の常識とは異なるメソッドが必要になってくるわけです。そのあたりの面白い試みをこれからスタートさせようと思っています。

そのための心構えとして「怒らない、怒らない・・・」を続けていこうと思います。本来、熱血な私にとっては、わりと精神修養チックな感じではありますが。

2009年9月4日金曜日

大きい会社の宿命?

いろんな立場にいる人が読める場で、こういうコトは書きづらいコトだが、私にとって「ハケン」を始めることは屈辱的なコトだった。正直なところ「ハケン」をやらずに済む方法があるのなら、それを選びたかった。でも、一方で正社員としての会社勤めをするつもりはなかった。もう、これ以上「やらされ仕事」をやりたくなかったから。

もちろん自分の中で上手に消化(「昇華」でもいい)することができれば、どんなコトでも「やらされ仕事」じゃなくなる。自分なりの意義を持って与えられた職務を果たすことも重要だ。しかしながら、中小企業とはいえどもトップの近くで仕事をした立場として、自分のやりたいコトと会社の方針が違う時に、何度もジレンマを抱えることになった。

もちろん、リスクを自らとった人の意見が強いのは当たり前だ。リスクを持たない人は文句や批判だけを口にして、いざとなれば他へ転職すればいいだけだ。しかし、リスクをとっている人はさまざまな責任を取らなくてはいけない。進言を受け入れるのも拒否するのも責任が伴うのが当然だ。

だから、自分で強くやりたいコトがあるのなら、他人のふんどしで相撲を取ってはいけないのだろうと思ったのだ。やりたいことについて社長とケンカする暇があるなら、自分がリスクを取ってやりたいコトをやる覚悟ができているかどうかを考えたほうがいい。

そんなコトを考えながら仕方なく選んだ選択肢が「ハケン」だった。もちろん、今にしてみれば大いに感謝している。なんだかんだと言ってみても2年近く私の生活を支えてくれた環境だったことに違いはない。それにいわゆる大企業と呼ばれる環境を体験できたのも幸いだった。大企業のパワーやリソースの豊富さも体験できたし、ネックになる部分もたくさん自分の目と耳で理解できた。

ただ、プロパーではない立場ゆえに仕方がないのかも知れないが、大企業という場所は私にとって居心地のいい場所ではなかった。語弊があるかも知れないが「たらたら」と「つつがなく」生きるにはこんなに快適な環境はないと思うし、プロパーならそんな環境でも大きなミスがなければ、これからも生き抜いていけるんだろうと思う。もちろんリストラがないとも言えないけれど。

「たらたら」と「つつがなく」ハケンを続けていくリスクについては、以前にも十分に書いたので詳細は割愛したい。今回は大企業が自分の肌に合わない理由を考えてみたいと思う。なぜなら、それを考えることで自分自身が目指したい方向が見えてくると思うからだ。

まず、「自分でなんとかしよう」という意志を持った人が比較的少ないような気がすること。もちろん大企業には豊富な人材リソースがあるのだから、そういう人脈や部署と密接に協力していくことは重要だと思う。だけど、ちょっとそういう次元の話とそれた感じの違和感。

「うちはうちのやるべきコトをやった。ボールは投げたんだから、後はあっちの仕事。うちには何も問題はない。」・・・確かに問題はないのかも知れないけど、この不思議な不安感はなんだろう。もちろん「上流工程」と呼ばれる職場においては、全体のスケジューリングやコーディネートを行うことが重要なんだけど、それ単体の技能で食っていける仕事なのかどうか分からない。

それから、これは仕方のないことなのかも知れないけど、何をするにもとにかく慎重。企業の看板を背負っていることも理由なのだろうけど、とにかく失敗を恐れる人が多い。見ればすぐに分かりそうなことでも、それを自分の判断にしないで専門の部署に確認してから進めていく。時にその「鈍さ」をウザったく感じることもあるが、それがその組織で生き抜いていく処世術なら仕方がない。

そういう仕事のやり方は、その組織で生きていくためには必要なルールなんだろうけど、その外側の人間にとっては窮屈かつ退屈なこと極まりない。とにかく後で自分の責任が追及されないように徹底的に保身しながら針をつつく感じ。

そういう環境下では常にガード状態でいることが基本になる。ちょっと見れば分かるようなことでも他の人に確認するようになる。だから私もそうする。郷に入れば郷に従えだ。我を張って自分の意見を通していては歩けない場所もある。ただ、本当は判断をお願いした「他の人」がどのような思考経路を辿って判断したのか・・・の方が重要なんだと思う。

ただ、そこは大企業。判断を任せた部署の担当者が間違った回答をした場合、その部署の責任にしてしまえば自分たちの部署には傷が付かない。たしかにその環境下での判断としては正しいんだろうけど、その感覚で起業したり中小企業に転職したとしたら苦労するだろうなと思う。まぁ、しないだろうけど。

逆に私は中小企業の経験が多いから大企業にハケンで来てみて驚いた。「ほとんどのことは自分でやらなくても大丈夫なんだ」と。技術職のつもりで来たんだけど、そんなに技術はいらない感じ。そりゃ最低限のことは知らなくちゃいけないけど、本当に最低限の知識でなんとかなっちゃう。

ひょっとしたら中小企業でガツガツやっているエンジニアの方がスキルは高いかもしれない。だって、他人に頼れないから自力でやるしかないんだもん・・・中小企業だと。たぶん、何百人という社員の中で数パーセントくらいの「ハイパーな頭脳」がいて、その残りが「忠実にルールを守る兵隊」という構造になっているのかも知れない。

大企業を体験したことのない中小企業の社長が、大企業の文化にアテられちゃって「うちも大企業を見習おう!」ってケースがけっこうあるような気がする。その思い込みが中小企業らしい機動性を奪った挙句、人材リソースに組織力がないものだから業務が回らなくなる・・・というパターンも多いんじゃないだろうか。

私がハケンを通して得られた価値ある経験は「入社が難しい大企業でも、ものすごい人材が溢れているワケじゃない。」という点。つまり大企業にあまり過大な夢とかイメージを持っていると、判断を誤ることがあるんじゃないか・・・というコト。そういう意味では正直なところガッカリした面もなくはないが、大企業に対して抱いていた幻想がなくなっただけでも貴重な発見だと思う。

2009年8月29日土曜日

動きがない?

このところハケンの仕事が大忙しです・・・と、いってもハケン人生に身を捧げるつもりがないのは書くまでもありませんが。

事業計画書を書かなきゃなあと思いつつ、なかなか書けていないのは、今のハケン仕事にかなりの比重を注いでいるからだったりします。と、書いても言い訳っぽいなぁ・・・という自覚はあるわけですけど。

ただ、正直な話、これからはじめようとしている事業と密接につながっている業務を遂行中なので、実際に人を雇用した時のプラクティスケースというかシミュレーションとして考えています。実際に人を雇用した時点で固定費がかかっちゃいますからね。

人件費をかけずにハケン現場で業務効率化の実験ができるのは、今の私にとってはかなり魅力的な状況なんですね。どうやったら快適に業務を遂行できる環境を提供できるのか。そこで働く人材のパフォーマンスはどのくらい向上するのか。今、自分の中では完全に「研究モード」です。

これで事業化に踏み切るための実績と経験がついてきている実感があります。細かい業務のチューニングで2時間かかっていた作業が30分になったり、効率化によってモチベーション向上につながるなど、なかなかに手ごたえアリです。メンタルストレスを最小限にする仕事・・・これは本格的にやってみたいですね。

重くて多い作業量に暗い顔をしていた人が、楽しそうに軽快に作業をすすめていくのを見ると、こちらまで嬉しくなります。

私は徹底的にラクをしたい人です。そしてみんなと一緒にラクをしたい人です。周りを見回してみると、意外にも非効率に力技で仕事を進めている人が割といるんですね。面倒くさいのも仕事のうちとあきらめてしまっている人がけっこういます。

でも、非効率なことに時間を割くことは、ストレスを受けることを甘受してしまっているような気がします。「効率を良くする」ことは「手を抜く」という意味ではありません。考える時間を分散させるのではなく、考える時間を一度にまとめて集中するという意味です。

非効率なことを効率的にするためには、多岐にわたる知識や経験が必要ですが、非効率なことを効率的にして空いた時間には、さらに効率化を推進するための知識や経験を身につけるためのブラッシュアップをするといいと思うんです。

「ああ、面倒くさい」というのが、私にとっては仕事の源だと思います。だから、面倒なことをやっている人が近くにいるとワクワクするんです。「ああ、こんなにラクになる方法があるんだ。」・・・って実感してもらえるのが快感で(笑)。

今、そういう「面倒くさい」がより固まっている業務(すみません!まだ公開できません!)を中心にして、面白い事業ができないかどうか真剣に考えています。

2009年8月22日土曜日

ラクなことの是非

すべらく!」というサイトを運営していることからも分かるように、私はラクをすることが大好きだ。ラクをするための仕組みを考えることが大好きだ。そういうコトを書くと「最近の若いヤツは汗水たらさないで、ラクするコトばっかり考えやがる!」とか「ラクばかりして、汗水をたらさない仕事なんて仕事じゃない!」なんて白眼視される傾向が強いんじゃないだろうか。

汗水たらして働くコトはそれはそれで素晴らしいことだと思う。しかし「ラクするコトばっかり考えやがる!」という批判についてはいささか腹立ちを覚える。私の感覚からすればまったく時代錯誤で前時代的なトンチンカンな批判だと思う。少なくとも自分の生きてきた世界の価値観だけを見ていて、これからの未来をまったく見ていないと個人的に思っている。

汗水たらしてラクをしないことが美徳だと主張する人は、車にも電車にも乗らないほうがいいだろう。ラクするコトを考えずに汗水たらして歩けばいいじゃないかと思う。人と話がある時は携帯電話どころか電話も使わず、直接、相手のところまで汗水たらして出向いていけばいいんだと思う。

わざわざそんな面倒なコトをしたくない「ラクをしたい」人がいたからこそ、車や電車が存在するし、電話が存在するし、さらに便利な携帯電話が存在する。自分を取り巻く世界が受けている恩恵は「ラクをしたい」という願望から生まれていることが多いと思う。

自らがそういう便利なモノの恩恵を受けていながら「ラク」を批判することは明らかな矛盾だ。みんなが汗水たらして働く仕事をするようになったら、間違いなく今までにいたる文明は崩壊するよ。「ラクをすることを考えず、つらくても必死で汗を流すことがいい。」というのは、完全に旧時代的なファンタジーだと思う。現代社会には「肉体労働」だけじゃなく「頭脳労働」の両輪が必要なのだ。どちらかだけではダメだと思う。

ただ「ラクをする」というのが大好きな私も、「ラク」をする「ラク」の種類にはこだわりがある。

「何も考えなくても、ずっと同じコトだけ続けていればいいからラクだ。」

というのは、私にとっての「ラク」じゃない。ラクになったことをずっと続けるだけというのは苦痛だ。私にとっての「ラク」とは、今まで「ラクじゃなかった」ものが「ラクになった」と実感できるコトだ。だから、何かひとつをラクにしたら、何か他の「ラクじゃない」ものを探し歩くことになるんだろうと思う。

そういう意味では、私自身も矛盾を抱えて生きている。ラクを実感するにはその真逆を知らなければ、決してラクをできないということだ。ラクをするコトが大好きな人にとって、もしもラクしかない世界が実現してしまったら、何もするコトがない世界になってしまう。

ちなみに、今、ハケンをしているが、これもまた「ラク」な環境と言えるだろう。仕事の根本を考えなくとも仕事が与えられ、それを解決さえしていればお金がもらえる世界なのだから。その代償としてプライドを売り渡さなければならない場面はあるが、仕事を必死に考えなくても生きていける環境だ。自分で仕事を考えて、仕事を引っ張ることを考えたらどこまでもラクな世界だと思う。少なくとも短期的には。

ただ、長期的に今の環境を眺めてみると、私にとっては決して「ラク」な環境でないことを知っている。ハケンだけでやっていくという選択は、自分で自分自身の生き方をコントロールできない生き方だからだ。仕事の根本を考えなくてもいい環境は、仕事の根本を考える力が鍛えられない環境なのだ。大した技術力がなくとも回ってしまう環境にいれば、それ以上の技術力を身につけられない環境なのだ。これほど危険な環境があるだろうか。

また、時間の経過に従って自らの体力も経年変化することだろうし、時間を重ねれば重ねるほど契約の打ち切りリスクも増大するだろう。そして10年続いたとしても、時給はいつまでたっても据え置きだろう。もっと現実的に考えれば減少方向に移行することも想像に難くない。10年前に同じ現場にいたプロパーとは驚くくらいに収入に格差ができているだろう。その時にハケン以外の生き方をしようとしても、その時点で選べる選択肢はほとんど枯れ果てているはずだ。

これがハケンをずっと続けていった先に見える悲劇のシナリオだ。どうしてここまで最悪のパターンを考えるかといえば、自分でコントロールできない力に寄りかかって生きる場合、その力が影響を示す範囲でしか生きていけないことを意味しているからだ。中途半端な飼い犬は捨てられた後がミジメだ。エサをもらうことに慣れてしまい、自分でエサを確保できなければ死んでいくしかない。

このように、短期的に「ラク」そうに見えることには大きな危険が潜んでいることがある。さりとて、長期的な「ラク」だけを追っていると、苦労した経験だけを残して早死にしてしまう可能性もある。だから「ラク」をするにしても、「近い未来」と「遠い未来」の両方をバランスよく追いかけることが必要なんだと思う。

2009年8月19日水曜日

プロパーとハケン

ハケン暮らしももうすぐ2年半。こんなに長く続けるつもりなんてサラサラなかったのに、思ったよりも長くウダウダしてしまったかなとも思う。まぁ、とりあえず、今、着実にできることをやっていこう。いずれにしてもハケン生活も今年中までかな・・・と考えているし。で、ハケン暮らし真っ最中のうちに思ったことを書き残しておこうと思う。

私自身はプロパーとしてハケンの人と関わった経験もあるし、今はその正反対の立場を経験している。これだけ視点が真逆になってみると面白い発見がたくさんある。

まぁ、どちらも「私のプロパー体験」と「私のハケン体験」という視点ではあるので、それが「世間一般のプロパー像はこうだ」とか「世間一般のハケン像はこうだ」ってことにはならないと思う。それにIT系の業界に限定した見え方に過ぎないんだけどね。

プロパーだった頃、「なんでハケンって仕事を一生懸命やらないんだろう」・・・って思ったことがある。定時になったらさっさと帰宅しちゃうし、なんだか仕事に対する一体感というか連携感が薄い。

そして「結局、あの人たちは一生懸命仕事をやらないからハケン止まりなんだろうなー」とも思っていた。基本的に人生に対する認識が甘っちょろいヤツラなんじゃねーかと。「ハケンって社会をナメてるよねー」って真顔で思っていたからね。

うーん、なるほど。立場が変わってみても、たしかにそう思えるフシもある。まぁ、そう思われても仕方ないかな。ひるがえって、ハケンになってみると見える世界がまったく変わる。当時、ハケンの人たちに聞けなかった答えらしいモノが分かってくる。

基本的にIT技術系のハケンの人々というのは半ば「個人事業主」みたいな立場なんだと思う。だからそこの職場だけで通用することに時間を削ることを好まない。どこの現場でもやっていけるスキルアップを行動の軸にしやすいような気がする。

昇進なんてないから社内のウェットな人間関係には全く興味がない。上司を一生懸命ヨイショしてみたり、会社のためにこんなにがんばっているんだ・・・なんていうアピールも必要がない。というより無駄だ。オリの外からそういうのを見ると「はいはい、どうもお疲れ様」という感覚になっちゃう。

だから仕事に対する一体感が希薄・・・と言われても仕方がない。「実際に『一体』じゃないんだから、それで『一体感』を見せろなんて言われても、そもそもそれは無理でしょ?」ってなっちゃう。一体感を得られた「つもりになっちゃった」ハケンは悲しい。

「パーツとして使えない」と思われたらそこまでだ・・・という覚悟をするのがハケンの宿命なんだから、それなりに仕事に対してもクールにならざるを得ない。「家族同然の関係になっておけばクビは切られないだろう」なんて考えるハケンは認識が甘いと思う。

ハケンの側に立って、プロパーだった時の使命感とか、そこから派生する残業やらを眺めてみると、「組織の中で生き残るためにがんばってるなあ」とか「会社のオリをちゃんと一生懸命に守ってるなあ」という冷静な感想に行き着く。まぁ、ハケンなんてオリの外側の人間だからね。オリの中の権威とか序列とかどーでもいいことに見える・・・いや、実際にどーでもいいんだけど。

こういう簡単なコトがプロパーの立場の時には想像もできなかった。自分の価値観と異なる生き方があるっていうだけの簡単な話なんだけどね。プロパーの立場でいることが世の中で唯一の正解くらいに考えていたこともあるくらいだもの。たぶん自分の価値観を絶対視しちゃうと、異質の存在を永遠に理解できないかもしれない。

ま、プロパー的には「別に知りたいとも思わないけどね」という感想だろうし、それはそれでいいと思う。ただ、異なる価値観とか生き方があることくらいは、現実として知っておいた方がいいと思う。別に理解までしなくていいから。

一方でハケンの人は社会的待遇に文句を言っちゃいけないと思う。少なくともそういう生き方を選択したのだから。選択せざるを得なくて仕方なくハケンになった人は、本来選択したかったポジションに移るために努力したほうがいいんじゃないかなあ。技術を極めて職人になるのもいいし、プロパーを目指しているのならプロパーを目指せばいいじゃないかって思う。

ともかくプロパーとハケンのどちらも経験した立場から考えてみると、この両者がどうもしっくり来ない場合の原因は、

「一生ここでがんばるぞ!」 vs 「まさか一生そこにいるの?」
「この会社のことなら任せろ!」 vs 「その会社だけで通用すればいいの?」

という価値観のすれ違いとか意気込みの温度差があるからで、それがプロパーとハケンの間に感情的な対立構造を生んでいるんじゃないかなと思う。

2009年8月12日水曜日

小学生の自分に

小学生の頃の自分というのは、まぁ、できないことが多かった。

今となっては恥ずかしい話だけど、一人でバスに乗ることもできなかった。
街の中にいる大人に話しかけるだけでも、ものすごく勇気が要った。
当然だけど、働いてお金を稼ぐなんてこともだって考えもできなかった。

それが歳をとるにしたがって、いろんなコトができるようになってきた。
たぶん大人なら誰でもできることには違いないけど、できるようになった。
いったんできるようになったコトって、そんなに難しくはなかったりする。
補助輪をなくした自転車に乗るのに苦労していた頃なんてウソのようだ。

できないことをやるには勇気がいるし、また根気もいるんだろうと思う。
でも、いつか「今にして思えば普通だね」と言えるようにしたい。

2009年7月27日月曜日

たったそれだけの

「たったそれだけのことができない」なんて言葉に打ちのめされている人はいないだろうか。そして打ちのめしている人はいないだろうか?

私はその「たったそれだけ」のことを、けっこう本気で考えてみたいと思っている。「たったそれだけ」というのは、工夫をする余地がたくさん残されていると思う。

「たったそれだけ」は小石のような存在で、やってみると簡単なコトだらけだ。たとえば駅で切符を買うというのもそうだし、コンビニでお金を出して商品とお釣りを受け取るのもそうだ。

切符を買うという「たったそれだけ」のこと。
初めての駅なら券売機を探さないといけない。そして行き先までの料金を調べたり小銭を用意したりもする。単純だが面倒だ。

こういう「たったそれだけ」のことをマジメに考えた人がいたからこそ、さまざまな電子マネーの仕組みができてきた。これで、駅でわざわざ並んで切符を買わなくてもよくなったり、コンビニでの支払いが5秒以内に終わるようになった。

私がハケンでやっている仕事の中には、人力で数時間かかるようなモノもある。ひとつひとつは些細で単純な作業だが、それが重なるとかなりの労働量になってしまう。私はこういう「作業」の指示をそのまま受けて「作業」したりはしない。

こういう「作業」からどうやって人力部分を省いて、数分でできるようにするのかを必死で考える。もちろん正確性などの品質も人力以上に高めることも含めて考える。これこそが私にとっての「仕事」だと考えている。

私が行うべき定例作業のほとんどは手間のかかるものだが、何も考えずにやっていたら数時間かかるような作業も、実は自動化の仕組みを作ったりして数分で終わってしまっている。その空いた時間を有意義に利用して、さらに他の「作業」の効率化を考えるのだ。私はこれを個人的に「時間を耕す」と呼んでいる。

私はこういうちょこちょこっとしたシステム化が好きだ。特に作ったシステムが有効に稼動していることを、空いた時間で実感することが仕事における最上の喜びだ。別に大規模なシステムじゃなくていい。むしろ小手先から順番に少しずつ便利になっていけばいいんだと思う。

で、私が最終的に構築してみたいのは人間そのものを巻き込んだシステム化だ。別に人間をコンピュータに組み込もうなんて話をしたいわけではない。人間は人間らしく生きた方が幸せだと思っている。本人の幸せを追求するために無関心な領域を省力化するシステム組織だ。

たとえば、苦手に思っていたり関心のない分野については、他のシステム(コンピュータ資源も人的資源も含まれている)によって補い、そのシステムを利用する人が最も興味を示す点だけに没頭できる組織を作れないかな・・・ということだ。そもそも人間社会自体が相互依存システムなのだが、どうもその恩恵を受けられていない層がいると考えている。

精神障碍周辺の勉強会なり研究会なりに参加していると、「○○の特徴として、興味のある分野に関しては特異的な能力を示すが、それ以外の点についてはまったく関心を示さないため、社会的コミュニケーションに支障をきたしやすい。」という話をよく聞く。

個人的には、別に他の人に迷惑をかけないなら、それでいいんじゃないかな・・・と思う。一体、誰が「人間として総合得点とか平均点が高くないといけない」と決めたのだろう。むしろ、興味のある分野に傾倒することが本人の幸せなら、安心して好きな分野に傾倒できる環境を作ることが大事だと思う。

そもそもそんなことを言ったら、私だってよく指摘されることがあったような気がする。「興味のあることにはムチャクチャ食いつきがいいのに、それ以外になるとテンションが目に見えて落ちるよね。」とか。

そりゃそうだ。人生に与えられた時間は有限なのだ。しかもその終焉がいつなのか分からないことを考えれば、できれば関心の強いところに時間を注ぎ込みたいじゃないかと思う。(寿命や病気だけが人生の終焉ではない上に、誰もが明日の生命を保証されていないのだから。)

たとえば、私は美術に全く関心がない。車や建造物などのかっこいいデザインなどは気になっても、名画のために美術館に足を運ぶ習慣はない。その時間やお金を自分の興味のある対象に注ぎ込んだ方がいいと思うからだ。

そういえば中学生だった時、歴史の先生に詰め寄ったことがある。「本当に授業で教えている歴史というのはホンモノである証拠はあるんですか。そんな不確かなものに時間をかけることに意味を見出せません。」と。

実際に、あれから数年たった今でも日本を取り巻く近代史については歴史観が分かれているし、昔、覚えた「いい国つくろう鎌倉幕府」もイイクニ(1192年)ではない説が有力になってきているらしい。(と、書きつつ、今では歴史認識の重要性は理解しているつもりだが。)

ともかく当時の私は、頑なにまで歴史を学ぶことに激しい抵抗を覚えていた。歴史の先生から見れば私は単なる問題生徒だったかも知れない。ただ、その行動特性が○○病の兆候だろうが△△症を表すものだろうが、私はまったく問題ないと思っている。

なぜなら私はそれなりに無事に生き延びているわけで、何かと欠点やら弱点やらを抱えていながらも、いろいろと工夫をしてそれなりに快適に日々を生きている。私が考えるユニバーサル環境とは、そういう仕組みだ。何かの障壁があっても、それを意識させないシステムが世の中に浸透することだ。

ユニバーサル環境というのは特別なことではない。たとえば、インターネットのメール、掲示板、ブログなども十分にある種のユニバーサル環境だと思う。インターネットを通したメディアで交換されるやりとりの先にいる人が、聴覚障害を抱えていようが言語障害を抱えていたとしても、たぶん自己申告でもしない限りは分からないし、そこには相互に何の不便もない。

私はフィジカルな分野ではなく、メンタルな領域でのユニバーサル環境について、何か発展的なシステムを構築できないかと考えている。幸せな仕組みをはやく実現させたい。もちろん、賛否両論あるだろうことは想像に難くない。それでも今よりも幸せになる人がいるのなら、やってみる価値はあると思う。

2009年7月8日水曜日

職人気質?

今日は、IT現場のハケン仲間が大騒ぎしていた。

今まで面倒な作業で制作していたWebアプリケーションを、「Ext」(http://extjs.co.jp/)という仕組みを使うと、洗練されたWebアプリケーションが簡単に作れてしまうことが明確になったからだ。

要するに誰でも簡単にWebアプリケーションを作れてしまうから、自分たちの商売がなくなってしまうんじゃないか・・・という話だ。

個人的には「え?・・・それっていい話じゃないの?」と思ったんだけど。

・そもそもその面倒くさい仕事を一生やるつもりだったの?
・世の中の知的財産が増えるのならそれをこそ応援すべきでは?

今までアプリケーションの制作ってハードルが高かったから、何かを作ろうと思っていた人が作れずにいたかもしれない。これから世の中に役立つ仕組みがもっと出てくるかもしれない。いろんな人のアイデアが世の中にもっと出てくる。

世の中がよくなるんだとしたら、逆にこれから何かを作ろうとしている人を応援する側に回ればいいと思う。いくら簡単になったからって言っても、ハードルがまったくなくなったかといえばそうでもない。やっぱり初めての人にはハードルが高い。

時代に合わせてニーズを自分で考えていくべきじゃないのかな。昔の日本には自分の足で走って手紙を届ける「飛脚」がいた。今はいない。車社会という時代にマッチしないからだ。逆に車を使って手紙を届ける職業は現代に存在する。

要するに環境なんていうのは道具に過ぎないわけで、便利な道具ができたのならその道具を使って生きていけばいいんだと思う。車社会になりつつある時に、飛脚の仕事にこだわっていたら仕事はなくなると思う。

変革の時に保守的になるのか。それとも変化を受け入れていくのか。その姿勢によって自らの未来は大きく変わると思う。それにIT業界には大きなインパクトを与えながら、主流にならなかったモノの残骸がたくさんあるじゃないか。最初は鳴り物入りでジャーンとでてきて、いつの間にかなりを潜めるバズワード。

たとえば「Second Life」が出てきた時なんか、「これからはバーチャルリアリティの時代だ。あらゆるコンテンツは3D化され、ブラウザでインターネットの情報を閲覧するのは時代遅れになるだろう。早かれ遅かれWebデザイナーは転身を余儀なくされる。」なんて言われていたのにね。

実際にゃ、今、そんな世の中になってないじゃん。未だにインターネットと言えばWebサイト・ブログの閲覧が主流だ。

私が浅慮なのかも知れないが、もっと前向きに考えられないものかと思う。時代が変わるときに自分の足下を気にして、世間に逆行することをしてはいないだろうか。日本の政治でいえば既得権益にしがみつく道路族や郵政族みたいなもののようにも思える。

今後「Ext」が主流になっていくと思うのなら、その関連のノウハウをコアにして今後やっていくのもいいだろうし、違う技術畑を耕してみてもいいんだと思う。

繰り返しになるが、環境・・・もっと具体的にいえば開発環境はツールに過ぎない。そこにアイデアが乗らないと何の役にも立たない。誰でも使える大きなキャンバスがあって、誰でも使える色鉛筆が置いてあっても、絵を描く動機やイメージがなくては絵画にはならない。

アイデアをすぐに形にできるツールができたのなら、どうして「これからはアイデア力で勝負するぞ!」と思えないのだろう。ハケンだから・・・というワケではないだろうが、一生、誰かから命令された仕事を、やり続けるつもりなんだろうか?

正直ね、「Ext」なんて使わなくても、アイデア力のある人なら既存技術でも十分におもしろいモノを作っちゃいますよ。そういうことを心のどこかで知ってるくせに、気持ちで負けちゃつまんないと思う。

2009年6月11日木曜日

ストレスを本気で考える

2008年度、仕事上のストレスが原因で精神疾患にかかり、労災認定された人が269人で過去最多だったというニュース記事をいろんな場所で目にします。

今、ハケンに言っている現場にも鬱病を抱えている人が働いています。まぁ、薬を飲めばある程度カバーができるという点と、IT業界自体がそういう人材がいても珍しくない現場なので、特に問題にはならないようです。まぁ、本人を見ていても自己申告しない限り、そうとは分からなかったくらいですけどね。むしろやり手に見えるくらい。

そうはいっても、そろそろ職場環境のストレスに関して、そろそろ真剣に考えるべき時期が来ているように思います。近年は不況で、右を向いても左を向いても人減らし人減らし・・・という傾向がずっと続いていましたが、基本的に日本は相変わらず少子高齢化という問題を抱えているわけです。

これから、どれだけ頑張って子供の数を増やしても、ヒューマンリソースの増加という意味でその効果が現れてくるのは、十数年待たなくてはいけないワケです。安易に外国人を呼んでくる・・・というのも、やや慎重になった方がいいと思っています。外国人を排斥しているワケではなく、日本という国家が外国人に対してどの程度責任を果たせるのか分からないから。いつか、社会情勢が変わってきた時期に、日本の無責任な対応で彼らに迷惑をかけそうな気がしています。

そういうところまで考えて、あえて日本国内の現存戦力で戦うことを想定してみます。となると、今まで戦力として見られていなかった層を掘り起こす必要が出てくると思います。ニートにしてもそうだし、高年齢層にしてもそう。また、障碍者と呼ばれている層についても貴重なリソースとして捉えていく必要があると思います。

さらに言えば、主婦層や若年層の社会参画をもっと考えてもいいと考えています。もちろん学業自体も専念するに値する大切なことだと思いますが、「学業」と「社会参画」は切り離さなければならないものとは思えません。自分が社会に直接触れることによって、社会を変えていくために必要な学業や未来設計について真剣に考えることができて有益だと思います。多感な時期に社会のコトを本気で考えることは、高い投票率にも繋がるんじゃないでしょうか。

そして、ここからが大切なところで、今、しっかり働けている人を損なってはならないということ。消耗品のように人材を切り捨てていたら社会が消耗するということです。自殺者を出してもいけないし、精神疾患に追い込んで社会から吹き飛ばしてもいけない。

そういう意味でも、今後、ストレス周りも含めた効率化が特に重要になってくると私は思っています。私に何かできるだろうか・・・と考える日々です。今、未来に向けて考えている事業もそこに密接にリンクしています。それはちょっと時間がかかるかも知れませんが、前を向いて歩いていくつもりです。

・・・という方向性を持ちながらも、今、自分にできる取り組みとして「すべらく!」というサイトを運営しています。意識の変革によって、少しでも幸せな方向に歩いていけることを願って作ったサイトです。

すべてはラクをするために・・・「すべらく!」
http://respect.arrow.jp/suberaku/

ビジネスパーソンが高みに登っていけるような自己啓発・・・というような高いレベルはぜんぜん目指していません。むしろ、今、どん底で苦しんでいる人たちになんとかいろんな選択肢を提供できないだろうか。ちょっとでも気分をラクにしてもらって、生きていくエネルギー源になれないだろうか・・・という思いでこれからも続けていこうと思います。

気が向いたら見てやってください。

2009年6月5日金曜日

趣味≠仕事?

「趣味は仕事にしたくない」って話をよく聞く。これは田舎で「東京は人が住むところじゃない」という話と同じくらいによく聞くような気がする。

これ、ホントかよ?・・・って思う。

プロゴルファーになる人はゴルフ嫌いなのか?
プロ野球選手になる人は野球が嫌いなのか?
プロテニスプレイヤーはテニスが嫌いなのか?

そんなことないだろうと思う。

もちろん、純粋な趣味のように勝ち負けなんてどうでもいい・・・というわけにはいかない。負ければ収入を失うことになるから、プレイそのものを楽しみたい人という人には向かないと思う。

でも、やるからには勝ちたいじゃないか。負けてもいいや・・・なんて思うスポーツはやらない方がいい。だって最初からメンタルで負けているんだから。負けたら死ぬほど悔しいところまで本気でやるからいいんだと思う。

陶芸職人は本心では陶芸が嫌いなのか?
プロミュージシャンは音楽が嫌いなのか?
ジャーナリストは真実の追求が嫌いなのか?

・・・リスクを背負ってまで動いている人は、そんなことないような気がする。

ハケン現場では頻繁に人事異動が行われている。いろんな部署を体験させるという名目で、やや適材適所を度外視した形でプロパーさんがいろんな部署を回遊している。

前にお世話になったプロパーさんが、先日、ボソリとつぶやいた。

「配属になった部署でやりたい仕事がまったくみつからない。」

すごいなあと思った。それでもずっと働き続けるんだから。

たぶん世の中にはこういう辛抱強い人が多いんだろうなあと思う。特に入社が難しい企業に一度入ってしまったら、よっぽど勇気か独立心が強くなければ辞められないんだろうなあとか。だって普通に考えたらもったいない。

でも、無事にいけば定年までずっと自分をごまかしながら、本心では面白くもなんともないことをずっと続けていくことを想像すると、個人的には気が遠くなってしまう。無論、余計なお世話なんだけど。

確かに「趣味≠仕事」のケースは多いと思う。
でも「趣味≒楽しい≒仕事」であってもいいと思う。

「楽しくないことが仕事だ」という人は吐いて捨てるほどいる。

昔、自分たちで会社をやっていた時、ちょっとセレブっぽいスポーツクラブに通っていたことがある。そこにはビジネスオーナーや投資家、不動産屋、芸能人などがウヨウヨしていた。

たまに会員同士の話を聞いていると「ビジネス」の話を楽しそうにしていた。会社の「仕事」ではなくて、自分の意思で動かしている「ビジネス」。「仕事が趣味」っていう人が居酒屋なんかによくいるけど、それとはちょっと違う次元でビジネスを楽しんでいる人がいる事実に驚いた記憶がある。

今はそのスポーツクラブをやめてしまったけれど、その時の記憶は脳裏を離れない。
あの世界で生きていきたい。

2009年6月4日木曜日

やらされ仕事

「やらされ仕事」というのは、自分の考え方を変えることによって「やりたい仕事」に変えることができます。すごく前向きに考えると。場合によってはものすごく前向きに考える必要があるけれど。

そういう意味では、ハケンの現場にも仕事として面白かったり、興味を持てる部分というのはけっこうあります。いろんな学びができます。ただ、私にとって「ハケン」という立場は、多くの「大学生」に通じるポジションだと思っています。

・学ぶことは大事だけど、卒業するためにいるということ。
・どれだけ馴染んだとしても、ずっといられないということ。

たとえどれだけその現場が好きになったとしても、登用されることはないはずで、万一、登用されたとしても社内政治で生き抜いていく・・・そういう人生は私には向いていません。私にとっては楽しくないから。

そもそも、私は会社員ではない生き方をしたくて、そのために資金をためたくて、それでハケンをやっているんです。

どうして、こんなコトを今さら書いているのか。

気がついたら私は2年以上もハケンをやっています。3ヶ月ずつ契約を更新をしながら、季節の変わり目を何度も見てきました。

どういう仕事でも「やらされ仕事」から「やりたい仕事」にすることはできます。でも、本当に「やりたい仕事」ではないことをしっかり自覚しないとね。

最近、そんな気持ちでハケン、やってます。

2009年6月1日月曜日

ヒューマンスキル

ハケンの現場にスゴイヤツがいる。

どんな人にもほとんどタメ口で、やたら馴れ馴れしく声を掛けてくる。
丁寧語も最低限。ちょっと間違えれば「失礼なヤツ」で終わりそうな感じ。
ものすごく開けっぴろげで、感情表現もストレート。

でも、憎めないキャラなんだ。しかも仕事はシッカリしている。
どんな気むずかしそうな相手にも、気後れすることなく声を掛けている。

ただ、よく観察していると、実はかなり距離感を読んでいるように見える。
天然なのか、才能なのか、つかず離れずの絶妙の空気感覚だ。

私にとってハケンは通過点だと思っている。
そうでなくては、ハケンをやっている意味がないと思っているから。
未来への夢があるから、ハケンをやっているんだから。

通過点・・・。
確かに通過点に過ぎないのだけれど、こういう才能に出逢うと嬉しい。
もしかして何かが吸収できるんじゃないかと思うと、ワクワクする。

自分の特性を大事にしながら、学べることを学んでいきたい。

2009年5月21日木曜日

コンティニュー?

これから夏に向かおうかという昨今ですが、とりあえず秋頃までのことを決めました。・・・というのが、昨日は6月を目前にして、6月末から先の3ヶ月についてのハケン継続意思の確認日だったからです。とりあえず延長しました。9月までハケン続行決定。

ハケンの営業さんにIT系の仕事紹介数の近況を聞いてみたら、ハケン業界も去年の今頃に比べて4分の1程度に激減しているんだそうですね。で、ちょうど私が今考えているのもIT系+就労支援系の組み合わせ・・・。

しかし、ハケン業界ですら仕事が取れない状況下で、新規事業を焦って立ち上げても仕事がなくては仕方がない。そういう意味で、好景気を見据えた準備はするんですけど、生活のバックボーンを全てなげうって攻勢に出るには時期尚早だろうと。

まぁ、今もそうなんですが、どこかのタイミングで攻勢にでるために資金を蓄積しています。9月まで地道に進めていけば、もうちょっと資金もたまってくるはずです。

そして、何より、今後の仕事と密接なハケン仕事をやっているので、ここでこのハケン仕事を手放すのももったいなかったりもするんです。お金をいただきながら今後に対するノウハウ蓄積もできるなんて、このご時世でありがたい状況かも知れません。

それにしても、昔のように「正社員」という肩書きで会社人間を続けていたとしたら、自分はどういう人生を歩んでいたんだろう・・・という興味は今でも尽きません。それはそれで楽しかったんだろうなと思わなくもないかな。

もちろん、今の人生を選択していることが、自分にとっての答えではあるんですけどね。

2009年5月17日日曜日

最近のハケン

最近、ハケンでやってる仕事が楽しいのですよ。実は。
それは、自分が立ち上げてみようと思っているコトに近い仕事だから。

どうやったら、効率よく進めていけるだろう?
どうやったら、効果的なモノになるだろう?

そんなコトを考えていると、仕事時間が楽しくて仕方ないです。

・・・が、最近、夜、眠れない。
眠るべき時間に眠れない。
どうやってサイクルを変えようとしても変わらない。

不調の兆候は睡眠にでるというから、ちょっと気になる。

2009年5月10日日曜日

人材を育成するとか

人材育成とかについて、難しい話だなー・・・と思ったことについて。

あまり厳しい態度で指導すると、依存体質が生まれるんじゃないかなーと。

ハケンの立場っていろんなコトがあってね。まー、こっちはどんな出来事があったとしても、そこから考えたり、ノウハウのネタにするつもりでいるんで、特に困っちゃいないんだけど。

詳しくはアレなんだけど、仕事の決定権を持つ主任の下でハケンしてます。基本的には自分で仕事を進めていい環境なワケですが、たまに主任から指導を受けることがあります。こちらが明らかにウッカリしていたこともあれば、明らかに理不尽な指導もあったりしてね。あとは、どっちでもよさそうな選択肢で主任の主観による判断が必要だったりとか。

まぁ、そのあたりは職制上の制約だったりもするんで、感情的な点についてはスルー。ただ、あまりに口を出しすぎてしまうと、依存体質が芽生えるなぁと思った次第。

・自分がコミットしていい範囲がよく分かんないな。
 ↓
・あとで目くじら立てられるのも面倒くさいしなー。
 ↓
・コミットが必要なところは全部見てもらっちゃうか。
 ↓
・徐々に自分で判断をしなくなる。(提案はするけど)

人に任せるってのは難しい話で、自分の価値観を重視しちゃうと、細かいところでいろんなところを直したくなってくるんだよね。それは、以前、部下を持っていたときに自分自身の体験としてあるんだけど。

でも、そうかといって、部下が失敗すると自分の責任になったりもするんで、放っておくこともできなかったりして。このあたりのサジ加減がなんとも難しいんだよね。でも、自主的な判断を抑制する方向性に動くと、部下の数だけ上司の負荷が高まってくるワケで。

十分な信頼感を醸成すること。
高いモチベーションに導くこと。

これさえしっかりしていれば、ストレスの大半は減ると思う。
ただ、実際にどうするか・・・ですね。

2009年5月7日木曜日

まだハケンやってます

今の私にとって何のためにハケンで働いているのか・・・っていうと、

・新しい仕事を生み出すための生活余力を蓄えるため
・仕事の中から「効率化」を生み出すネタを作るため
・人間関係から「ストレス操作」のネタを作るため
・優れた上司力を持った人の所作を研究するため
・システム化された企業文化のいいところを研究するため

こんな感じかなあ。

ハケンでやってる実務自体にゃ特に愛着ありませーん。
ただ、実務の種類に関わらず「効率化」という仕事自体は好き。
もうね、何としてもラクしたい人にとってはライフワークですかね。

ラクをするということは、

(1) 扱う情報を標準化すること
(2) 判定条件を明らかにすること
(3) 同じ作業の繰り返しを省くこと

(1)+(2)+(3) 自動化すること

最初のうちは検算をかねて、従来方式と自動方式を併用。
こなれてきたら、ある頻度で抜き打ち検査的な検算をしてみる。

効率化は好きだけど、効率化のための効率化じゃ意味がない。
効率化の果てに人間が残る・・・でありたいなぁ。

(1) 決して標準化できない感情の表現
(2) 二元論ではない豊かな価値観の共有
(3) 常に新しい発想を前進させていく世界

そういうところに、私が望んでいる未来があるんです。
そんな思いを胸に秘めつつ、研究者の視点でハケンやってます。

2009年3月31日火曜日

出費制限

ずっとハケン契約が続くだろうという甘えも、今さらないワケですが。ただ、3月で打ち切りの形で終わるだろうと思っていたハケン生活。6月末まで続くことになりました。これは以前、書いたとおりです。

でも、だからといって、事態はまったく予断を許しません。
遅かれ早かれ、このままハケンを続けるつもりはまったくありません。が、先立つものを確保しなければなりません。

当座の家賃。生活費。それらを賄う新たな収入源。
それらの調達が遅れれば遅れるほど、生活リスクが高まる実感は強いです。まぁ、なんともすごい時期に旗揚げを志向しているものだと思います。

ただ、予測のつく金銭リスクはできうる限り避けるべきだとも思います。そこで少なくともハケン契約のあるウチは、しっかり貯蓄していきます。生存日数を稼ぐつもりで出費制限。今月は財布に数千円しかありません。

口座にいくら残っていようと、決めた以上の預金は引き出していません。最近では「口座には一銭もお金がない」・・・と思い込んでいます。

前に、自分が一日生きるのにいくらのコストがかかるのか計算しました。たしか以前もここに書いたと思うのですが、当時の試算で一日10000円。家賃も税金も全部含めた金額なので限界値はありますが、まだ削れます。

生き延びていくためには、一日あたりの出費を意識して減らすこと。そして、その出費をカバーする収入を得ること。

自分の夢を前にして、せせこましい話なんですけどね。でもそれを叶えるためには、前提条件として生存していく必要があります。

もともと、自分で仕事を立ち上げていくために選んだハケン生活。会社に対して忠誠心を抱きやすいタイプなので、入社はあえて避けました。

でも、心の中に葛藤があるのも事実です。

・ハケン契約がもうちょっと続けば活動資金を貯蓄できる。
・ハケン契約が切れたら本格的に活動することができる。

くそう!
玉虫色だ!

でも、まぁ、いろんな話に目鼻を付けてからでも遅くないと思ってます。いきなり収入源を失ってから、焦りの中で準備を進めるよりずっといい。

いろんな社長の成功談では、リスクを無視して突撃した話もよく聞きます。が、失敗して話すら聞けない人も数多いだろうということを想像します。成功した人の話は参考にはなりますが、それはその人のストーリーです。

自分には自分にしかできない戦い方があるはずです。
借りてきた戦術では、結局、ダメなんだと思います。

2009年2月28日土曜日

たかがハケン

(昨日アップできなかった・・・orz)

ハケンを脱出しようと思っている人なので、ハケン万歳な人じゃないです。私。・・・なんですけど、いろんなところからの風当たりは確かに強いですね。ハケン。

何かってーと「ハケンなのに大丈夫なの?」とか、「ハケンなのに勇気あるねえ」とか、「ハケンっていう制度って間違ってると思う!」とか、「ハケンって何でもかんでも文句つけてるよね?」とか。

まとめて返事しよう。

知らん!

しかし、ハケン、ハケン、ハケン・・・って言われると、なんだかそれだけで人格を無視されているような気が最近するよ。日本人は○○だ・・・みたいな乱暴なまとめ方というか、そんな感じ。前にも書いたけどさ、ハケンに限らず職業というのは「服」みたいなもので、着る必要があるから着ているとか、それしか服がないから着ているとか、いろんな事情があると思うんだよね。

他人が着ている服を外野がとやかく言うな!

それを外野がどーだこーだ批判するようなこっちゃないと思いますよ。正直、テレビや新聞はいらないと思う。インターネットは?・・・というと微妙だけど。今のキーワードって言ったら、だいたい「不況」「政治不信」「ハケン」なんじゃないのかと思うけど、メディアとしての注目を集めるためにばらまいているように見える。メディアも不安産業の一種だからね。

スポーツの分野のメンタルコーチングなんかでは、事前のイメージトレーニングが重要なのは周知の事実というヤツで、できる限りポジティブなイメージを作ることは前提中の大前提。それを今、世界レベルで「ネガティブイメージトレーニング」しちゃってる感じなんだよね。

そりゃ経済アナリストに言わせれば、いろいろと小難しい論理を並べ立てて、いかに今が大変な局面でどうにもならないかを説明できるんだろう。そこから導き出される答えにはあまり意味がない。

これから始めようとしている仕事の話をしたら、いかにそれが無理であるかを数時間に渡って説明された・・・というのと同じくらいに時間も努力も無駄だと思う。うまくいかないことの証明というのは、その分野で食っている人しか救わない。要するに後から「だからうまくいくわけないって、オレは前にも説明したんだよ!」みたいな後出しじゃんけん的ずるさがそこにあるような気がするんだよなぁ。

で、ハケンだ。

ハケンにしてもさ、雇用する立場は一時要員として流動的な運用に魅力を感じていたし、ハケン側にしたって一時的な職業として魅力を感じていたわけでしょ。双方に利益があるから社会も容認していたわけだけど、それがうまくいかなくなってくると、「そもそもハケンというものは・・・」なんて論調の後出しじゃんけんをしてくる。

ハケンがいいか悪いかはともかく、そういうのずるいと思います。

2009年2月22日日曜日

挫折を思い出す

昔、最初の就職に失敗して、心ならずも栃木の木材加工会社に入ったことがあった。折しも未曾有の就職難で「氷河期」という言葉が使われ出した時期だったと思う。

でも、次々に就職試験を受けてみても、舞い込むのは不採用通知の嵐。だんだん、条件を掲げている余裕がなくなってきて、職種を少しずらしたり、勤務地の条件をずらしたりしているうちに、行くところまで行ってしまった・・・という感じ。この会社には同じ大学出身のK先輩がすでに入社していて、いわゆるOB紹介だった。

情報系卒ということで、ゆくゆくはCADで活躍する予定として採用が内定した。でも、本当はコンピュータを中心にした業界で働きたかったんだけどね。そして最新の情報が活発に流通する東京で働きたかったんだ。

内定が決まると、CADに触る前に研修として工場の方で働くことになった。4年次の授業がなくなった2月頃からだったと思う。学生時代を過ごしたアパートを引き払ってマンションに引っ越したんだ。栃木の山すそにあったその工場は本当に寒かったな。

工場は高齢化社会そのものだった。80%くらいが50~60歳くらいの工員で、5%が30~49歳の工員。5%が地元の工業高校や職業訓練校を出た18~29歳の工員。あとの10%は20~50代の事務・技術職。

ふきっさらしの寒風が吹きすさぶ中じゃ、多くの高齢者たちが働いていた。簡単な屋根があるとはいえ、雪や雨が降ると強い風に煽られて水浸しになってね。10%の事務職は暖房の効いた部屋でぬくぬくと仕事ができるんだけどさ。

手がかじかむほどの寒さの中で、のこぎりで板を切ったり、タッカーと呼ばれる圧縮空気式釘打ちで釘を打ったりする。バスンバスン!と音を立てて木材に打ち込まれていく釘。これ、斜めに打ち込んじゃうと派手に釘が飛んでいくこともあって、注意しないと非常に危険だ。

でも、あれ?・・・たしか数ヶ月前まで情報系大学の研究室にいて端末を操作していたはずだ。なんで、今、ここにいるんだろう?・・・今の自分の状況がたまに把握できなくなることが多かったな。ただ、この情景はこの工場に来る前に何かで見たような気がするんだ。

8時頃から始業して、お昼になるとサイレンが鳴る。すると休憩所と呼ばれるプレハブに入ることが許される。さすがにそこにはストーブがあって、暖かかったな。そこでは「給食」と呼ばれる弁当が配られる。一日500円の給与天引きで配られるお弁当。そういえば、朝のうちに弁当を希望するかどうかの確認があったんだっけな。

8時から単調作業をしていると、正午までの時間は果てしなく続くように思われた。心待ちにしていたはずの休憩時間なのに、まったく嬉しくなかったね。そこにいるほとんどは老人。若者と呼べそうな人は片手の指で数えられるくらいだ。

休憩時間の何が苦痛だったかというと、なんにしても会話だった。若い同士で集まっても何も話すことがなかった。専門学校卒、工業高校卒、職業訓練校卒、そして大卒という線を引いたつもりはなかったつもりだったんだけど、心の中ではそういう壁があったのかも知れないなぁ。

せっかく多額の教育費を投入してもらって大学まで出たのに・・・と、両親に対する申し訳なさ。職業訓練校の人を悪く言うつもりはないけれど、同じ仕事をするんなら大学まで行かなくてよかったんじゃないかという情けなさ。自分はいったい何やってるんだろう・・・ってね。

とにかく若い人間で集まっても、お互いに何も話すことはなかったな。だから集まってもみんな黙々と食べていた。そして食事が終わるとバツが悪そうにみんな解散するんだ。

仕方がないので、そのうち高齢者の輪に少しずつ入ってみた。先方からすれば私は孫みたいなもんだ。気さくに話しかけてきてくれて、さすがに変な気まずさはなかった。しかし昼食の回数を重ねるうちに心がすっかり暗くなってしまった。

多くの高齢者の話をまとめると、つまりこういうことだ。
・自分たちには学がないからこんな仕事しかない。(本人談)
・働いたお金を孫世代に使って、絶対に同じ想いはさせたくない。
・作業中に怪我をしても「勤務外での怪我」扱いにされる。

そこは、自分自身の人生を諦めた高齢者の吹きだまりだった。明らかに理不尽な扱いを受けても、唯々諾々と従うしかない人生の黄昏の場所。ただただ、気が遠くなるほどの時間を、自分の人生とは関係のない作業で埋めていく。

・・・この光景・・・この光景・・・どこかで・・・?

思い出した!
この光景はテレビの特番かなんかで見たんだ。
希望の光を遮られた場所で、後悔をしながら作業する日々。

「潜入!全国刑務所24時!」

ちなみに、K先輩とその仲間たちは車で街まで出かけて外食をしてたっけな。あんまりお金がなかったから、ほとんどご一緒できなかったけど、たまに一緒に食べに行ったような気がする。今にして思うと、刑務所の昼食みたいな食事がイヤだったのかも知れない。

あまり昼食には行かなかったけど、K先輩とその仲間たちはよく飲みに誘ってくれた。よっぽどヤバイ状態に見えたのかも知れないね。今、考えれば恥ずかしいけど、むちゃくちゃ泥酔するまで飲んだよ。仕事の夢を語ろうとすれば、先輩方からは「そういう夢を持たない方がいいよ。」とか「いいたいことは分かるけど、ここの会社は親族経営だから無理だよ。」とか。

「要するに人生を諦めろってことですか!?」「先輩たちはもう完全に人生を捨てちゃってるんですか?」なんて、ずいぶん、先輩方に絡みましたよ。なんだか悪いことしちゃったよな。でも、こんな日が続いているウチに決心が着いた。自分の素直な気持ちを殺そうとするのはやめようって。

・・・会社を辞めると決めた数日前から、休憩時間は自分の車の中に閉じこもって音楽を聴きながら。シートを倒して青空ばかり見てたな。心は晴れていなくても栃木の晴れた青空はきれいだったんだよ。

同期で卒業した仲間たちは今頃どうしているんだろう。やはり同じようにツライ日々を過ごしているんだろうか。無駄なことだと知りながらも、楽しかったあの時期に戻りたい・・・なんてことばかりを考えてたな。

そして正式な入社日がくる前に辞めた。たぶん、こらえ性がないとか言う人もいたんだろうと思う。精神的な耐久力がなかったなんて思われたかもしれない。でも、そういう他人の評価なんてどうでもよかったんだよね。自分の心が死んでしまう危険をずっと感じていたから。

希望のない日常って牢獄に似ているんじゃないかな。そしていつまで続くか分からないその刑期は、人から目の輝きを奪ってしまうんだと思う。私が初めて就職した会社はそんな場所だった。

不本意だと思い続ける日々は、それだけで人生の損失だと思う。人生の時間には限りがある。他人からなんと言われようと、たとえ反対されようとも、自分の人生は自分自身でしっかり選択した方がいい。

その結果として自分の命を縮めたとしても、大切なことは自分の信じた道を歩き通せたかということだと思うんだ。いつか人は死んじゃうんだから。誰にも間違いなく訪れる最期、「これはこれで幸せな人生だった」と、一点の曇りなく心から思えるために、すこしでも毎日を燃えながら生きた方がいい。青臭かろうがなんだろうが。

人生で一番情けなかったと思う時期は、今、考えてみてもその木材加工会社で働いていた時だと思う。今、たいていのツライことがあっても、その当時のことを思い出せば、たいていのことは乗り越えていける。

今、ハケンとして自分よりも若い主任さんに頭を下げたり、外見上ヘイコラしているけど、そんなことは比較的苦痛じゃない。仕事自体は自分自身が関与していたい職種なんだから。

必ず夢を実現させてハケンを絶対に卒業してやるからな!・・・って心の奥に秘めつつも、職務上は、平身低頭ヘイコラしておいた方がハケンはうまく回るんだからさ。プライドは大切に心の中にしまっておけばいいさね。

プライドは普段から振り回すようなモノじゃない。本当に自分の大切な決断を下すときにだけ見つめればいいんだと思うよ。「クソみたいなプライドは捨てろ」なんて台詞があるけど、そういうのは、たぶん普段から振り回せるような安物のプライドのことなんじゃないかと思う。

まぁ、つくづく腰掛けハケンで申し訳ないけどね。あ、でも、ハケンというのはそもそもそういう前提だよな。ハケンに居座られちゃって困ってる会社が多いみたいだしさ。

それにしても大学卒業後に大きな挫折があって、今では本当によかったと思うよ。多少の屈辱や理不尽なことがあっても、「アレよりはマシ」で済んじゃうからね。

なんにしても、これから自分がやろうとしている仕事で、ひとりでも精神的牢獄から希望の光がある世界を案内できればいいなと思う。もちろん、私にできることは案内だけ。そこから先の人生を変えていくのは本人の気持ち以外にないからね。

こんな言葉を知っておくといいかも知れない。

『天は自ら助くる者を助く』
(三笠書房刊・サミュエルスマイルズ著「自助論」より)

・・・最後にK先輩にお会いした時、勧めてもらった本に書かれた言葉。
K先輩の自宅に謝罪に行った時だったと思う。入社式を迎える前に入社を辞退することになり、先輩の顔に泥を塗ってしまったのだから。でも、彼はそんな私を気持ちよく応援してくれた。

「鳥かごの狭さに気づいた鳥は、空に戻って飛ぶべきだと思う。」
って言いながら。

先輩は今も元気にしているだろうか。