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2009年10月16日金曜日

しあわせの定義

これを考えるのと考えないのでは、だいぶ違うんじゃないかな。
自分にとって「しあわせ」ってなんだろうって考えること。
しあわせになりたいっていう人はけっこういるんだけど。
でも、具体的に何・・・っていうと、困る人も多いような。

しあわせは歩いてこないけど、歩くだけでもダメなんだよね。
どこに向かって歩くべきなのか、考えていないといけない。
それが、本来、人生の選択になってなきゃいけない気がする。
たとえば、仕事にしてもそうなんじゃないかなって思う。

大学時代に就職活動しなきゃいけない時、それが一番困った。
やりたい仕事なんて、正直言ってみれば何にもなかったし。
高収入でラクだったらいいよなあ・・・って思う程度だった。
何もしないでお金がもらえるなら、一生働かないのになーと。

最初の就職に失敗して、自分に合わない会社に入っちゃった。
そこを辞めたのをきっかけにいろんな職場を渡り歩いてきた。
別に飽き性だったワケではないんだけど、結果的にそうなった。
世の中一般的には誉められた話じゃないけど、後悔はしてない。

いろんな職場を渡り歩いたおかげで、大事なコトに気づいた。
それを書き始めると長くなっちゃうから、それは別の機会に。

ただ、仕事と仕事の間で時間的な隙間ができた時期があった。
仕事についてどうしようかって、今後を考えてた頃だった。
働かなくても生きていける・・・という不思議な時期だった。
理想的だと思ってたんだけど、実際はそんな感じでもない。

いつもが休日でいつでも遊びに行けちゃう。とっても自由。
でも周りを見渡すと、当然だけどみんな働いているんだよね。
仕事場なら仲間がいるんだけど、仕事がないとそれもない。
結局、すっごく孤独感ばっかりが募っちゃった記憶がある。

しあわせっていうモノは「無制限な自由」でもないらしい。
で、「仕事をしない」というコトがしあわせでもなかった。
会社員になるか、それとも自分の夢を追いかけるか考えた。
で、自分の夢を追いかけるため、つなぎでハケンを選んだ。

ハケンを選んだ時点で、いずれ事業をやることは大前提。
普通に考えると、34歳でハケンを選ぶのは勇気がいった。
いくら将来の夢のためとはいえ、かなり遠回りな感じだ。
そもそも30代後半になれば、一般入社だって険しくなる。
・・・と、このあたりも書くと長くなりそうなので割愛。

#ちなみにハケンは辞めるときもそれなりに勇気がいる。

くだらないコトだけど、ハケンを始めるのは屈辱だった。
働き始めて思い知ったんだけど、最下級の一兵卒だからね。
ましてや知らない現場に入れば、単なる使えない野郎だ。
自分ってこんなに使えないヤツだったのかとか、自己嫌悪。

でも、そんな毎日の中に「しあわせ」が隠れていたりした。
自分が過去に体得した知識で業務効率が上がった時とか。
「自分の存在が社会の一部に影響を与えてる」って感覚。
世の中で空気のように忘れ去られた自分を取り戻した感じ。

「自分が社会の役に立つと思えるコトって大事なんだな。」
と初めて感じた。自分にとっては効率化がしあわせだった。
面倒な作業で苦しんでいる人を助けるのが私の喜びだった。
自分が好きな分野で役に立てるというのは、しあわせだ。

つまり、仕事を選ぶときに大事なことは「しあわせ」だ。
仕事を選ぶのは、けっこう深く考えなきゃいけないと思う。
自分がどういうことで「しあわせ」なのか。適性は後だ。

今、アイデアを事業化するため、具体的に行動している。
まず、やっていて自分が「しあわせ」になれることをする。
そしてそこに関わる人が「しあわせ」になれることをする。
そこはブレないようにしていきたいな。

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