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2009年10月1日木曜日

夢がすぐに叶う

「あなたの夢が必ず叶います!」
・・・なんて書いてあると、なんともうさんくさい。
ははーん、さては情報商材ってやつか?

ただ、ちょっと考えてみたいんだけど。
夢が本当に「簡単」に叶うとしたら、それって夢になるんだろうか。

「いつか○○に行きたいな。」
→「はい、これが航空券です。明日にでもどうぞ。」

「あんな人と付き合いたいな。」
→「じゃあ、この人があなたにぴったりの人ですよ。」

「いつか豪華客船に乗ってゆっくりしたいな。」
→「これが明日から半年間の豪華クルーズ招待券です。」

「ああ、100億円あったら幸せになれるのに。」
→「はい、100億円を口座に振り込んでおきました。」

リアルに想像してみると、そこから先の世界が思い浮かばない。
思った次の瞬間に願いが叶ってしまうなんて、一体どうなんだろう。

「100億円あったら豪邸に住んでリッチに生きるのに・・・」

と想像した瞬間に夢が叶ってしまうなら、そもそも100億円なんていらない。だって、最初から「豪邸に住みたい」って思えばいいだけなんだから。

お金がなくたって、頭に思い浮かぶものなら何でもすぐ手に入るんだから。そうなると当然、お金の価値観なんて崩壊してしまう。世界のすべてが自分のモノなのだから。

思ったことがその瞬間に現実になる世界。自分にとって都合のいい人間しか登場しない世界。どんなモノでも食べられて、好きなだけ遊べて、仕事もまったくしなくていい世界。

たぶん、そんな世界なんて飽きると思う。自分自身を完全に何も制限しない、自由すぎる現実があったとしたら、たぶんロクなコトをしないと思う。何をやっても罪に問われないのだから、もしかすると犯罪のやり放題になるかもしれない。

だって、やりたいことがすべて叶うんだから。次から次へと「できること」を一生懸命考えた末に、ネタが完全に尽きてしまえば残った悪事に手を出すかもしれない。と、いうよりも、「できること」を考えるコト自体が苦痛かもしれない。

ほどほどだから楽しいんだと思う。
現実がほどほどだから、目標に向かっていけるんだと思う。

たとえば「休日」。普段、忙しいからこそ休日がうれしいわけで、週一日しか働かなくていい人が大型連休をもらっても、そこに大してありがたみなんてない。

たとえば「ゲーム」。ぜったいに自分がやられたりしない、いつも無敵状態で、画面を見ていなくたって解けてしまうゲーム。それはゲームじゃない。作業だ。

人生のすべてが作業になってしまったとしたら、生きている価値がないような気がする。すべてが思い通りになるんだとしたら、最後に自分で選べるのは「死」くらいしかないんじゃないか?

幸いなことに、現実はそんなに甘くない。
だからこそ、生きていけるんだと思う。
だからこそ、がんばりがいがあるんだと思う。

本音を言えば、そりゃお金は欲しい。たくさんほしい。
でも、お金を乗り越えた先にあるのはなんだろう?
たぶん、目指しがいのある「夢」とかなんじゃないかなあ。

人間って、わがままなんだよね。
つらいことがイヤなくせに、簡単すぎる退屈もイヤ。
難しいとストレスがたまるのに、簡単すぎるともっと疲れちゃう。

たぶん、適度なストレスがなきゃ生きていけないんだよね。
人間って。

・・・ところで、話はちょっと変わりますけど・・・。
退屈から逃げるためにテレビやゲームの刺激に囚われていませんか?
なんだかんだいいつつ、私もそういう誘惑にむっちゃくちゃ弱い。

自分も含めてダメ人(だめじん)はどうやって、誘惑に負けずに貴重な時間を獲得すべきなのか。なんてことを考えながら書いた記事を例の「すべらく!」に掲載してみました。
 →ダメ人の時間管理

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