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2009年1月11日日曜日

昨日よりすごい今日

毎日、歳をとっていることに無自覚なんだけど、実はとっているんだよね。
たとえば、1月に30歳になった人なら、3月で30.25歳で、6月で30.50歳。
誕生日から時間が過ぎるたびに、30.04歳、30.07歳、30.11歳・・・と。
毎日、小数点で増えていく年齢。

小数点での加齢以外に、昨日より今日は何かが変わっているだろうか?
何かできることが増えているだろうか?何か新しい発見があっただろうか?

「今日という日は、昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日である。」

そんな今日に何をすべきなんだろう。そんな今日に何をできたんだろう。
何もしないで夕方を迎えられないし、何もしないで布団に潜り込めない。

何かを生み出すことは難しい。でも、何かを生み出すことは簡単なんだな。

すごく分かりやすい例でいえば、新しいアイデアや新しいビジネスとかさ。
これが本当に簡単だったら、新しいビジネスを始めることに苦労はないよ。
これから何かを始めようと思っている日記で、身も蓋もないんだけどさ。

でも、その一方で、いつも脳みそは何かを感じたり考えたりしている。
親子であっても兄弟であっても、考えていることは全く同じになれない。
洗脳的環境にあってすら、個人の性格は完全には消せないんじゃないか。

「こういうシーンではこう思う。」
「この場合はこうすべきじゃないか。」

という、その時々の価値観の集積として、人生観ができあがってくる。
アイデアというのは、価値観の集積を意識したときに生まれるのでは?

ブルーオーシャン戦略の例としてよくでてくるゲーム機「wii」とかも。

「そんな高性能じゃなくてもいいよな」→高性能競争に加わらずに。
「簡単な操作だったらいいな」→既存技術を使って体を動かす操作で。

こんな価値観のかけ算で「お手頃価格で」「家族で遊べる」商品ができた。
で、すごく開発にお金をかけた、他社競合製品よりも売れてるんだから。

ひとつひとつのアイデアは、別にものすごく革新的なアイデアじゃない。
たぶん一般アンケートをとれば、どちらかの意見は出てきそうな気がする。
でもすごいのは、任天堂の人たちがこの組み合わせを本気で考えたことだ。

脳内で常に発生している感情や思考の断片を、見逃さないようにしたい。

アイデアをいっぺんに作り出すことは難しいけど断片なら書いていける。
そして断片を読み返したときに、何かと何かが結びつくかもしれない。
そういう意味では、ブログにいろいろなことを記録することは有意義だ。
ブログ記事が増えていくことは、昨日より今日が変わった証ではないか。

このブログは現時点で誰にも知らせておらず、ひっそりと続けている。
念のためにアクセス記録を見てみても、自分で閲覧確認した記録だけ。
それでもブログを書いていくことは、新しい何かを作っていくことだ。

自分以外の読者がいないブログ。でも続けていける理由はここにある。

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