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2009年3月6日金曜日

IT支援で生きる人

自分的には「合理化」って最高に面白いと思います。なんというんですかね、ほとんどライフワークに近い感じです。特にIT機器を使った省力化は快感ですらあります。人によってそれぞれだと思うんですが、私にとって単調作業というのは牢獄に入れられるくらいの苦痛です。牢獄に入ったことがないので想像で書いてますが。

誰にでもできる単調作業を私がやるというのは、まったく意味がないとすら思っています。「おいおい、なんで上から目線なんだよ!」って?・・・いえいえ、実は「かなり下から目線」なんです。私、単調作業がどういうワケか苦手なんですね。たぶん10人いて、同じ単調作業をしてランキングしたとしたら、たぶん後半組になると思います。たとえば、何百件と並んだリストの中から、ある特定の条件の人物だけ数えるとか。

素早さと正確性のどちらをとる?・・・という選択肢では迷わず「正確性」を取ってしまう自分は、執拗なまでに確認を繰り返してしまって、作業がすごく遅くなるんですよね。たぶん、無駄な再確認とか多いんでしょうね。こういうのが得意な人から言わせると。

自分を美化しているように移るかも知れませんが、まぁ、要するに「どんくさい」ということです。説明を聞いていても、できる限り正確に間違いなく把握しようとした結果、全てを聞かないと説明を理解しないことが多い点もあります。だから、同じ説明を聞いていて、他の人がすぐに理解するのに、私だけ取り残されることも普通にあります。

認知スピード、判断スピードの遅さを補うという意味で、私はIT機器にロジックを吹き込んで自分の能力を拡張しているのです。たぶん、もしもIT機器の恩恵がなければ、私はかなり厳しい状況におかれていたんだろうと思います。

私は徹夜にも弱いんですよ。黙々と徹夜で単純作業をするなんてことは、自分にとってはありえないことです。集中力を一定に保ったまま、長時間、しかも徹夜で・・・となれば、たぶん、どんなに生活が厳しかろうと私はその仕事を辞めると思います。

子供の頃から足が遅くて笑われていたヤツでも、F1マシンに乗れば世界最速の男になれるかもしれません。それと同じように、認知スピード、判断スピードが遅くとも、一度定着した法則なり、ルールなり、挙動なりを正確にIT機器に伝達できれば、そのマシンパワーは自分の能力の延長上になり得ます。

それが楽しいんですよ。一度、自分が覚えた法則をIT機器に教え込めば、あとはどれだけ量が多かろうが、徹夜だろうが、年中無休の定期作業だろうが、黙々と自分の代わりに仕事を続けてくれるのです。徹夜が苦手な自分の代わりに働いてくれる自分のコピーロボットを作るんです。仕事の遅い自分の代わりを作るんです。

生身の人間として仕事のできる人が羨ましくて仕方なかったんですよ。あと、単調な仕事を延々とやり続けられる人の精神力ってスゴイと思うんですよ。

私が小学生や中学生だった頃はIT教育がない時代だったから、ずーっとそういう人たちに負け続けてきたんですね。生身の人間レベルでの作業力で。だから公文式みたいに「高速」で「大量の問題」を解いていく場では取り残されてました。

まー、とにかく、公文式だけじゃなくて、何をやらせてもドンくさいワケですよ。「ボクはみんなと同じ場所にいても役に立てないダメな子なんだ・・・。」なんて思う子でした。しまいには「人間最後には死んじゃうのにがんばってどうなるっていうんだ?」なんて考える、暗い小学生になっちゃってました(苦笑)。

そういや、中学生くらいからコンピュータにハマリだしてました。最初だけ苦労して時間をかけたとしても、緻密に計画を練り上げてさえおけば、その後はその数倍の時間が自由に使える時間として戻ってくるんです。すばらしいと思いました。

今にして思うと、公文式で悔しさと悲しみを覚えた「高速」「大量」というキーワードは、まさにIT時代が到来したことによって、私に生きる場所が生まれました。私の数倍作業が早い人が数時間かかることを、数分程度でできるシステムを作ることは、私の快感でもあり生きがいでもあります。

「オレはここにいていいんだ。誰かの役に立てているんだ。」

今、そう思える時代に生きていることに感謝しています。

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