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2009年3月17日火曜日

でも、なんのために・・・?

知識の共有・・・なんていっても、そんなに人よりも優れた知識を持っているワケじゃない。誤解を恐れずにいえば、一般的な知識レベルを競うのはあまり意味がないと思う。記憶に頼れば習得できることというのは、他の人でもできることだから。たぶん、知識よりも大切なことが大事なんだと思う。

数学の公式をいくつも知っているだけの人はそんなにすごくないと思います。それらの公式や定理を駆使して、誰も考えたことのない未知の領域を冒険できる人は尊敬に値する数学者だと思います。

調理法をいろいろ知っているだけの人はそんなにすごくないと思います。深い情熱をもって料理の研究に没頭し、食べた人を幸せにすることを一番に考えている料理人は素晴らしい人だと思います。

楽器が演奏できるだけの人はそこら中にいくらでもいると思います。でも、心から音楽を愛し、世界の中でたとえたった一人でも感動の涙をあふれさせることのできた人は、やっぱりすごいんだと思います。

知識の継承は、書くまでもなく大切なことです。
でも、それは「自分」を規定する究極のツールにはなりえません。
一つ一つの知識は「パーツ」に過ぎないと思うんです。
パーツは持っているだけじゃなくて、適切に使うことが大事です。

書いているウチに、また話がまとまらなくなってきました。まぁ、まとまらないまま書き連ねてみましょうか。

・知識ではなく発想力やイメージの方が個性を必要とするだろう。
・知識「量」を自慢するだけなら機械の記憶力の方が圧倒的有利だ。
・知識はいつでも使いこなせる道具になっているべきだと思う。
・広大な知識の海の中から状況に応じてすぐに出せることが大事。
・異種のパーツ同士は無限の組み合わせがあるので面白そうだ。
・言葉を紡ぎ出す価値は「人にエネルギーを与える」ことだと思う。
・エネルギーとは「元気」だったり「発想力」だったりだと思う。

いつも、何かを書こうとするとまとめようとするのに困るほどに、いろんな方向に思考が広がります。それを無理矢理まとめようとすると意味不明になってしまいます。気力が果てるまで必死に書いてもいいのかも知れませんが、もはやそれはブログ日記じゃないと思います。そこまで時間をかけちゃっていいものかどうか頭を悩ませるまでもありません。文筆でメシを食えている人ならともかく・・・ですが。

で、結局、書きたいことを全部書かずに、消化不良で終わってしまうことが多かったりします。しかし、まとまらないなりに、全部列挙するというのは意外と気持ちがいい。

これからまとまらない時はこうしとこう。
・・・結局、「発想のゴミ置き場」的な「ネタ帳」ですが・・・。

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