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2009年3月7日土曜日

速読について(その1)

トニーブザンの「頭のよくなる本」には、速読についての記述もあったりします。フォトリーディングではないんですが、なるほど、情報の入力を高速化するというテーマは重要というわけですね。

別にこの本に書いてあったわけではないんですが、人間が他の動物に比べて爆発的に進化した理由は、先人の知識や情報を効率的かつ正確に伝達できたからであって、それがなくては自分で全部を考えなきゃいけないわけですね。しかも人生が終わってしまうと誰にもその情報を引き継ぐこともできないまま知識はまた消滅・・・と。

自分の頭ひとつで考えられることには限界があることを考えると、先人の知識を効率よく取得するスキルは重要な課題です。

さて、頭のよくなる本では速読に目を動かすのは無駄だと書いてあります。昔からの速読技法は目を動かすことが重要とされていたようですが、この本に書いてあるとおり、実際には目を早く動かせば動かすほど文字は見えなくなるんですよね。

だから本は面で読めと書いてあったりします。ホントっすか?・・・という感じもするけれども、たぶん訓練すればできるんだろうなと思います。初めて文字を読めるようになった時を思い出すと、そこから比べて飛躍的に読書の手段が進化したんだと思うんですよね。

速読術なんてやらなくても読書のためには奇跡的な進化をしてるんですよね。あり得ないほどの進化です。「りんご」を読めるようになるためには、「り」「ん」「ご」の文字を知らなくてはいけなくて、その文字の種類は50もあったりします。

子供の頃って、一文字一文字指でなぞって読んでいくじゃないですか。りーんーごー・・・って。さらにもう少し字が読めるようになってくると、「リンゴ」という文字も同じモノとして認識するんですよ。ここまでは表音文字だけど、そこから進むと「林檎」という表意文字も同じモノとして認識するようになる。

これ、普通に見えますけど、実は脳みその中ではすごい処理をやってるんですよね。一文字ずつ読むと「林=はやし」・・・から始まるんですもの。でも、普通は「林檎」という文字を見て「はやし・・・いや、りんご?」とはならない。

同時に「林」と「檎」という字を見ているんですよね。同時にですよ。同時に。一つ一つ文字をなぞりながらじゃ絶対にできない次元の能力ですって。さらに、「赤い林檎」なんていう二種類の単語の繋がりすらバラバラに処理をすることなく、瞬時に頭の中には赤い林檎が浮かぶんですよ。

要するに、集中した視界の範囲では文章そのものを、一つの固まりとして認識する能力を身につけられるようになっているんですよね。だから、この範囲をどんどん広げていけば目を激しく動かさなくても、一回視点を置いたところの文章を瞬時に読み取ることができるようになるという理屈・・・というワケですね。

(つづく)

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