◆Taskchute友の会に参加しました
本当は「ワールドカフェに参加してみよう」という内容で書いてみようと思ったのですが、私にとっては衝撃的というか、とてもインパクトのあるイベントに参加できたので、今回はそれについて書いてみたいと思います。「ワールドカフェ」についてはまた後日。
4月28日(日)、私は「Taskchute友の会」というイベントに参加しました。場所は小岩駅周辺のコミュニティセンターで、参加人数17名でした。その前に、Taskchuteというのは、タスク管理についてひとかたならぬ思い入れと情熱で研究してきた第一人者の大橋悦夫さんが開発したExcelマクロの名前です。
現在、このTaskchuteは無料でサイトからダウンロードして利用することができます。私が使っているのはTaskchute2というもので、これは有料です。オススメなのはしばらく無料版を使ってみて、それで気に入ったらTaskchute2を購入して使ってみるといいでしょう。
無料版も有料版も、「使った時間を記録すること」が基本になります。最終的には「タスクの時間を正確に見積もる」というところにまで踏み込むのですが、使い始めの頃は「ひたすら記録する」という行動をすることになります。正直なところ最初からうまく見積もれません。
なぜなら、「過去の実績に基づく見積もり」ができていないと、予想図ばかり書いてしまってしまい、どうせ守れない見積もりになってしまうからです。守れない見積もりほどモチベーションを下げるものはありません。まして「守れない」ことが常態化すると日々の進歩に悪影響を及ぼします。
というところで、時間を効率的に使いたいと願っている人にとって、「知らない人はモグリ」と言っても過言ではないツールです。なぜなら、そのあたりのことをGoogleなりで調べると必ずでてくるんですよ。Taskchuteというやつが。
今でこそTaskchute無料版が公開されていますが、一昔前は、有料のみの限定公開だったこともあり、Taskchuteは秘密のベールの向こう側にありました。私のように疑り深い人間としては、「よく分かりもしないのにお金なんて払えるか!」なんて思っていました。
◆もともとTaskchuteには否定的な人でした
さらにいえば、Excelのマクロなわけですよ。マクロ。Excelがなきゃ使えないマクロ。もうね、どれだけ手を抜いているんだと。ちゃんと売り物にするんだったら、フルスクラッチでコード書いてくださいよ。アプリケーションにしてくださいよ……とか思ってました。ええ、間違いでした。その理由はまた後ほど。
それでもって、繰り返しになりますけど、プラットフォームがExcelなんですよ。このWebアプリ全盛、クラウド万歳なご時世の中でExcel。クラウドの良さってのはネットに繋がってさえいれば、端末を選ばず、それこそ場所も選ばずに使えるんです。それがExcelですよ。使おうとすると必然的に場所に縛られちゃうわけです。
こんなに縛りがあって有料とかありえんだろう……と思ってました。もともと、私はTaskchuteを知る前から、いろいろとタスク管理のあり方について模索していたり、IT系のエンジニアをしていたことから、自分自身をラクにするためのWebアプリをちょいちょい作ったりしていたので、「よし、じゃあ、自分で作ってしまおう」と思っていました。
しかし、見事なほどの「言い訳」なんですけど断念しました。
(1) まずタスクアプリを作っている時間が捻出できない
(2a) Webでサクサク動くイメージが湧かない(読み込みとか更新とか)
(2b) 急にLANに繋がらなくなったらどうする(タスク閲覧すらできません)
(2c) Androidアプリを組んでデータを同期するとしてデータが衝突したら?
……いろいろと考えてみると面倒くさいことだらけなのです。本気で商売しようと思わない限り、とてもじゃないけど開発なんてできません。しかも、こんなマニアックな仕組みがどれくらい売れるんでしょうかという話もあります。自分にとって最適なモノが作れたとしても、そこにかかる時間的コストのリスクがありすぎるんです。
で、悔しいけど、一度使ってみたんです。Taskchute無料版を。
◆「ああ、使いやすいじゃないか」
誘惑に負けて初めてTaskchuteを使ったときの衝撃は忘れられません。Excelで実装したというのはまったく無駄のない戦略でした。そもそもExcelというのはMicrosoftの優秀なエンジニアが知恵を寄せ合って作り上げた「完成品」です。そのプラットフォームの上で軽快に動かすことができるのに、Excelと同じ仕組みを最初から作るなんて「車輪の再開発」です。
さらにいえば、もともと大橋さんは「売るために作った」わけじゃないんだと思うんですね。「自分自身が便利に効率的に動けるようになるために」……というアプローチだったのだろうなと。そこがスタート地点だった場合、あえて最初から全部のパーツを作っていこうだなんて、忙しい人は考えないような気がします。
それから、クラウドについても「必要ないんじゃないか?」という結論にたどり着きました。クラウドって確かに便利です。……けど、その実装はけっこう面倒くさいんです。というのが、ネット環境に繋がらなくなったことを考えなければいけなくて、それを考えていないとネットが使えなくなった時点で全てが破綻するんです。
たとえば「圏外」なんてのもそうですし、モバイルWifiルータの電池切れでも同じことが起こります。そういう場合に、ローカル側のアプリにデータを持たせておいて、再度、ネットに接続したときに同期させる……という方法もメジャーな対応策ですが、場合によって端末ごとのデータが入り乱れることも予想されます。(いわゆる衝突)
そういうところまで考えると、なんだかとても面倒くさい。まぁ、できないことはないのだろうけど、仕様を考えるだけで面倒くさい。そういうループの中でクラウド版+Androidネイティブアプリの自作をやめました。だって、根本的には「タスク管理アプリを作る」よりも、「他のやりたいこと」が主役なわけで、そこにコストかけるのってどうなのよと。
というかね、私の仕事のほとんどはデスクワークなわけです。ほとんどがPCの前で仕事をすることばかり。たまに外に出かけますけど一ヶ月に数える程度です。つまり、必死でクラウド版+Androidアプリの仕様を考えたとして、そして、苦労して作り上げたとして、その恩恵にあずかれることはほとんどないんです。いつもExcelが使える環境で仕事をしている。あー、ばかばかしい。
◆Taskchute2の6300円って高くね?
有料ということの妥当性についてですが、Taskchute無料版を使った時点で妥当性はよく分かりました。正直、当初は「Excelマクロに6300円って、高くねーか?」と思っていたんですが、これは正直言って「安い」です。だって「マクロ」そのものの値段ではなくて「ノウハウ」への対価なんです。それにマクロへの対価だったとしても、なおさら「安い」のです。
たとえば、時給が3000円だったとして、Taskchute2と同じような機能が2時間ちょっとで完成できますか?……と聞かれたら、正直なところ無理です。時給2000円だったとして3時間ちょっとで……これも無理です。思い切って時給1000円だとして、6時間ちょっとで……いえいえ、そこまで時間をかけるなら買ってしまった方がいいです。
ええと、見栄を張って6時間とか書いちゃってますが、正直、6日かかっても無理でしょう。6ヶ月でも難しいかもしれない。そこはなぜなのかといえば、Taskchute自体が数年という「ウィスキーにも負けないほどの熟成期間」をかけて生まれているからです。私は負けず嫌いな性格ですが、素晴らしいモノについては素直に賞賛するしかないのです。
実際のところ、使い続けていると細かい挙動として「ラクができる」配慮がいくつもされています。ぱっと見で思いついたのではなく、何回も使い続けて、何度も繰り返されるパターンを見つけて、それを補う機能を地道に追加していって、そこから何回も使い続けて……という工夫が随所に見られます。つまり、「王選手のスイングのマネはできても、ホームランは量産できない」ということです。
Taskchute2には、練り上げられたシステム、練り上げられた効率性……それだけでは語り尽くせない何かがあると思っています。それは「練り上げられた時間哲学」とでもいうものでしょうか。おそらく、Taskchute2を越える何かを作ろうとするなら、少なくともそれができるまでのプランニングはTaskchute2を使ってやるのがいいんでしょう。笑い話みたいだけど。
いずれ、Taskchute2のプラットフォームでもあるExcelが盤石でなくなったとき、そして、本家がクラウド版を作らなくては……なんて動きになった時には、ぜひともそのプロジェクトに参加したいと思いますが、正直、今のところはTaskchute2で何も不満はないので、当面はこのまんま使っていくような気がします。
◆流れゆく時間を遊ばせないこと
Taskchute2を使っていると、「ああ、もう、こんな時間か……一体、今日、何に時間をかけたんだか思い出せないけど、とりあえず忙しかったなー!」なんてことがなくなります。もちろん、今でも、「今日はあっというまに一日が終わったけど、なにに時間を使っちゃったんだろう?」と思うことはあります。しかし、Taskchute2に目をやると、疲れ切った私の脳みその代わりに答えてくれます。
あと、「正直ベース」で記録を付けていくと集中力の低下まで分かるようになります。私の場合、疲れていたりすると、小刻みに休憩の頻度が増加していきます。しかもけっして「小刻みではない」休憩の頻度が上がります。その時の状況を分析して、それと同じ状況が発生してしまったときには、思い切って気分転換をした方がトータルコストが下がるという判断もできます。
それから「できること」と「できないこと」がハッキリするようになります。気持ちが充実している朝なんかは、「あれもこれも今日中に終わらせてしまおう」なんて思いがちなのですが、残念なことに時間には限りがあります。Taskchute2を使っていても、その傾向が見えるのですが、実績分析が甘いときほど、見積もり時間を少なくしてタスクを詰め込もうとしたりしてしまいます。
それから、Taskchute2にあってTaskchute1にない機能として、数日間を通した長期時間予約表が見られるのですが、この機能の存在は大きいです。人間というのは自分に甘くなる生き物のようで、「なんだかんだ言ってもあと30日あるからね」と、ざっくり残り日数をカウントして「永遠に続きそうな小学生の夏休み」と同じ幻想を抱いてしまうのです。
しかし、ちゃんと予定タスクを組み込んだTaskchute2の長期時間予約表を覗いてみると、思ったよりも時間的余裕がないことに気づきます。定例タスクは光熱費や家賃のごとく固定費となって決まった時間を削り取っていきますし、臨時で設定されてしまった会議や面談の時間はより大きい単位で消費されていってしまいます。
すると、実際に使える時間はずっと少ないことに気づきます。正直なところ、私は社会人になってからも、何度「夏休み最終日ののび太くん」を体験したか分かりません。それは「幻想の持ち時間」と「現実の残り時間」をごっちゃにしてしまったから起きた現象だと思います。「徹夜をすればなんとかなる」だなんて見当外れなファンタジーです。
◆今日の友の会で得られた気づき
そんなわけで、活用すると世界が変わる(かもしれない)Taskchute2ですが、本日の友の会ではいろんな気づきがありました。自分自身の発言もありますが、それ自体が友の会が刺激になって言葉になって出てきた感があります。
(1) 先送りってどうしてる?
私の場合は、格好悪くても先送り機能を使って、「■■■ほげほげの仕様を検討する」のように、先送りマークを増やしています。これは自分自身の危機感を煽りたいという意図があるのと、先送りマーク「■」が5回を越えたときに、「着手できない理由」や「本当に必要なタスクなのか?」という要検討案件として見える化したいからです。
これに対して大橋さんのコメントはシンプルでした。「とりあえず1分でもやってみる」ということ。まずは着手したという足跡を付けるということが重要だということです。私の場合、先送りマーク「■」が一定値を越えたところで、タスク名の後ろに「着手する」という言葉を入れることがあります。たとえば、「■■■ほげほげの仕様検討に着手する」とか。
営業テクニックで「フット・イン・ザ・ドア」という話をよく聞いたことがありましたが、これはタスク攻略においても有効なようです。ただ私の実例を思い返してみると、タスクの先送りを何度かしてから「着手」……という対策は後手に回っているような印象をぬぐい去れません。これからは「1分でもやってみる」を心がけてみようかと思います。
そもそも「着手」自体を先延ばしする意味がありません。ちょっとでも「着手」したらゴールなんですから。そうだそうだ。これからは「1分でも着手」にしてみよう。
(2) 外出中のタスク転記ってどうしてる?
私はほとんど外出しないので必要ないのですが、外出するとポイントポイントでTogglで記録して、後からTaskchute2に転記するのですが、これがたまってくると着手のハードルが高くなりそうですよね。これに対して、そうだよなあ……と思ったのが、「外出時間も仕事なので、『外出仕事』というくくりでざっくりと認識する」という意見でした。
私がたまの営業に出かけなくてはいけない時には、訪問開始と訪問終了時間だけをTogglで記録します。その間は特に遊んだりコーヒーを飲んだり……ということはしない人なので(真面目なのではなくて、お小遣いが少ないのと面倒くさがりというだけですw)、必然的に残りの時間は移動時間になります。
ちなみにTogglの小ネタ(?)ですが、過去に一回でも登録があると履歴表示されますので、事前にありそうなタスクを0分で登録しておくと便利です。「ido_移動」、「hst_訪問開始」、「hed_訪問終了」のようなタスクを入れておくと、スマホ入力の時も最初の数文字を入れるだけで候補選択で入力補完されるので便利です。
ちなみに私個人としては、「Place Me」というAndroidアプリを知れたのが収穫でした。……と、いっても、友の会が終わってから、事務所に移動してそこからずっと仕事をしていたので、ほとんど移動していないので実際の評価は今のところ謎です(笑)。Google Latitudeと同じガッカリ曲線を辿ることになるのかどうか……使ってみようと思います。
(3) 脱線しがちな状況をどうすればいい?
脱線の理由にはいろいろありますが、タスク割込みを防ぐ手段として大橋さんが興味深い解決策をコメントしていました。「朝早く仕事を始めることです」ということですが、確かに朝は誰からの電話も入りませんし、メールにしても読む時間を「いわゆる営業時間」まで遅らせておけばペースを乱されることもありません。
さらに、Webページを読み言ってしまうリスクについてですが、「意外とWebページにうつつを抜かしてしまうのって夕方以降だったり、疲れた頃だったりしません?」というコメントもあり、実際にその通りだなあと。朝、これから始まるって時に、いきなりWebページにうつつを抜かすっていうのは、不思議と少ないですよね。時間がもったいないというか。エクスキューズがないというか。
あと、通常時間の脱線で一番多いのが「誰かから声をかけられる」ということですが、これについても興味深い解決策が検討されました。大橋さん曰く「声をかけてきた人の顔写真を撮っちゃえば?」という大胆な意見。ケンカになると時間がもったいないので、さすがにそれはできませんが(苦笑)、代わりに紙に人の名前を書いておくのはありですね。
笑い話としては、「話しかけるたびにタイムカードを押してもらっては?」とか「持ち時間を設定して超過分は何かでお支払いいただいては?」という意見がありました。どれも真顔で実行できる作戦ではありませんが、確かに誰にどれくらい時間を使ったかという情報は重要で、頻繁に繰り返される割込みパターンには、それ自体にタスク改善の余地があると考えていいでしょう。
長くなってしまいましたが、Taskchute2って、本当に人生の時間の使い道を意識させてもらえるので超オススメですよ!……というのと、Taskchute友の会、かなり刺激になりますヨ……ということで、いつもの倍以上に長くなってしまった本日のエントリを終わろうと思います。
ところで、ありがたいことに、大橋さんご本人から著書をいただいてしまいました。厚かましくもサインまでしてもらっちゃって。最近、凹むことの多かった日々でしたが、一気に持ち直してきた感があります。ぐぐっと気合いを入れてなんとかがんばっていけそうです!
『「いつかやりたいこと」を「今からやること」に変換するスマホ時代のタスク管理「超」入門』です。
そろそろ帰宅しようかと思っているので、超読みます!……感謝!
えっと、ホントにこれで本日のエントリを終わります。
+1
2013年4月20日土曜日
フラッグとビルドの何が違うの?
◆お問い合わせがあったようなので……
私は、現在のところ、障害者就労移行支援事業所の「ビルド」と「フラッグ」の2ヶ所で「即戦力ITコース」という講座を担当しています。私の中ではどちらがどちら……という区別をしていなかったので、特に気にしていなかったのですが、このブログを読んでくれていた方からお電話でお問い合わせをいただいたそうなので、ちょっと書いてみようかと思います。
【質問】 まつしたの『即戦力ITコース』はフラッグとビルドで何が違うの?
では、お答えします。
……と、その前に、わざわざお問い合わせをくれた方、本当にありがとうございます!
さて、この「フラッグ」と「ビルド」というのは、同じNPO法人の下で運営されている就労移行支援事業所です。ひらたく説明してしまうと、次のような違いがあります。
■障害者就職サポートセンター「ビルド」
→最寄り駅:(京成線)国府台
・メンタルでお困りの方の全般が対象
・年齢制限は特になし
■ユースキャリアセンター「フラッグ」
→最寄り駅:JR市川・(京成線)市川真間
・特に発達障害でお困りの方が対象
・35歳以下の方を対象
つまり、どちらの「即戦力ITコース」がいいのですか?……というご質問の前に、どちらに入られますか?……という話が先になるんですね。
ちなみに、2013年4月現在において、まつしたが常駐しているのは「フラッグ」です。
◆選ぶことができる場合にはどちらがいいの?
「ビルド」でも「フラッグ」、いずれも私が担当している「即戦力ITコース」でやっていること自体はあまり変わりません。基本的には「自己解決力を身につけて、自分一人で困らないためのスキルを身につけていく」という体験をもとに、新しいことにチャレンジしていただきます。
しかし細かいことを書くと、やはり変わってきます。それは私が常駐している「フラッグ」の方が、お会いできる回数が必然的に増えると言うことです。つまり、ちょっとしたことを聞きたいときに、どちらがチャンスが多いかと言えば圧倒的に「フラッグ」の方がラクかもしれません。
「ビルド」の方は1週間に2時間だけ出向いて講座を開いているので、少なくとも「即戦力ITコース」関連においてはそれほど手厚くフォローできませんが、「フラッグ」であればちょくちょくと相談に乗ることができると思います。もっとも、「自己解決力」が活用できていれば、どちらでもそれほど困らないのですけどね。
それから「即戦力ITコース」以外の特典(?)として、「フラッグ」では、まつしたが独自に開発した「松下式タッチタイピング」を毎日午後に受講することができます。これは、飽きっぽくて、不器用で、スキル習得が苦手なまつしたが、もともと「自分自身のために」開発したタッチタイピング習得法です。
このタッチタイピング練習法の講座は、まつした以外のスタッフに担当していただいているのですが、早ければ2週間程度で効果がでてくるということで、ひそかに人気があるようです。というよりも、もともとは「自分用」だったので、「他の人の役にたつかなあ?」と思っていたくらいだったのですが、思いのほか効果が高かったので教材化しました。
◆そもそも「即戦力ITコース」ってなによ?
ここまできて、このタイミングで聞きますか?……っていう感じですが(苦笑)、簡単に説明します。
【即戦力】
→いわゆる「自己解決力」を身につけていただきましょう
【IT】
→(1) ITを便利に使って自分自身の苦手を補ってしまいましょう
→(2) 興味があればIT業界へのキャリアを目指してしまいましょう
単語で分割して説明すると、だいたいこんな感じです。
「即戦力」っていうと「入社した途端に仕事がバリバリできて……」なんてイメージをよく聞くのですが、たいていの場合、そんなことはありえません。そんなの幻想です、妄想です、ファンタジーです(笑)。そもそも「バリバリ」というのは具体的に「何ができている」ってことなのでしょう?
どれだけ知識を持っていようと、スキルを持っていようと、入社して最初の数ヶ月は環境に慣れるだけでいっぱいいっぱいです。コピー機の使い方のルールやら、交通費の精算方法、仕事の流れと暗黙のルール、○○に詳しいのは誰なのか?……など、新しい環境で新たに知らなくてはならないことが満載です。
その中で、どうしても分からないことは新しく入った会社のスタッフに聞くしかないのですが、「わからないこと」には二種類あるんです。ひとつは「一般的なこと」そして、のこりが「その会社のローカルルール」です。ローカルルールはそこの人に聞くしかありません。
会社に入ると、「なんでも分からないことは聞いてくださいね」なんて言われますが、「一般的なこと」ばかり質問していると、だんだん「お互いにつらく」なってきてしまいます。聞かれる方はどんどん仕事の時間がなくなっていきます。聞く方も迷惑をかけているような気がしてきて聞きづらくなります。
基本的に会社組織というのは「人が増えた直後は効率が低下する」のです。新人に仕事を伝えるという仕事そのものが時間を圧迫するのです。つまり、「入社すると、その直後は必ず既存のスタッフに迷惑をかける」ということですね。
「しらないこと」には「一般的なこと」と「ローカルルール」のふたつがあるのですが、そのうちで「一般的なこと」くらいは自分で解決しましょうというのが、私が伝えている「自己解決力」というものです。「戦力になるということ」は「それまでの職員をしあわせにすること」です。
つまり、入社直後に「自分で解決できそうなことは解決を試みる」という姿勢そのものが、自分自身の「お荷物感」を軽減することに繋がります。あくまでも相対的なものですが、「手間のかからない新入社員」はそうでない人に比べて「即戦力」であると言えます。
◆別に「IT」を目指さなきゃいけないわけじゃない
次に「IT」についてですが、私の講座に出たからと言って「IT業界にいかなければいけない」というわけではありません。むしろ、「IT業界にいかなければいけない」と構えてしまう人には、あまりその業界は向いていません。どちらかというと「好きだから行く」という方がいいと思います。
じゃあ、なんなのかということですが、まずは「ITを味方にする」ということに尽きると思います。たとえば、私は記憶力がそれほど高くありませんが、そういう類のモノはITサービスを使って、自分の代わりに多くの記憶を委ねています。スケジュール管理もそう、単調で大量の仕事もプログラミングで正確かつ高速に終わらせます。
自分の足りないところを、どうやってITを使って補うのか……ということを身につけて欲しいと思っています。これは、先ほどの「自己解決力」というのもその一環ですね。自分の知らないことを「いつでも」「どんなことでも」「IT技術を使って」「解決する」という行動になります。
ひらたくいえば「ITを使ってラクをしましょう」ということです。しかし、ここで勘違いしないでください。「効率的にラクをする」ためには、効率的にラクをしようと思っていない人の数倍も頭を使わなければなりません。つまり、「先に苦労をしておいて」「後からラクをする」ということです。まぁ、そこらあたりが「ITを味方に付ける」醍醐味でしょう。
そして、「ITという道具」に慣れてきたら、「業界」としての「IT」に目を向けてみるといいかもしれません。なぜなら、就職する環境として他の職種よりも有利なところがあるからです。それは「競争率が一般事務や軽作業に比べて低い」ということです。そして専門性が増せば増すほど給料水準も高くなる傾向にあります。
なぜ競争率が低くなるかと言えば答えはシンプルです。「IT業界って難しそうだから……」とか「一般事務だったら自分でもできるかも……」というハードルを越えていく人が少ないからです。逆にいえばこのハードルを越えていくことができれば、違った選択肢を手にすることができるのです。
◆「ちょっと突き放した感じ」の講座でございます
ちなみに、よく「Excelとかを教えてくれるんですか?」なんて聞かれるのですが、私のコースでは教えません。もう一度書いておきます。教えません!……「教えてもらわなくてもスキルを自力で身につける」ための基礎を身につけていただくことに時間を割いています。
どうしても「手取り足取り」じゃないと厳しい人は、街のそこら中に「パソコン教室」がありますので、そちらへどうぞ♪……また、まつしたの担当ではありませんが、「フラッグ」にも「ビルド」にも「パソコン基礎」を「教える」クラスが週に2時間ずつあるようですので、そちらに出てもいいかもしれません。
……ちょっと本筋からずれてしまうのですが、「Excelをマスターしたい」とか、私にはよく分かりません。「Excelをマスターするのが目的」なんじゃなくて、「Excelを使って仕事をラクにするのが目的」なんだよね。すると、漠然と「Excelをマスターしたい」なんて言うんじゃなくて、「Excelの何を知りたいのか」を具体的に言えていないといかんのだと思うのです。
「初心者はそれができないから困っているんじゃないか」と思うかもしれませんが、まず、初心者を卒業するところから始めた方がいいのです。もっと丁寧に言うと「初心者意識」から脱却することが何よりも重要なのです。初心者の傾向というのは「なんでも教えてもらおうとする」習性があります。
私がたてた方針は、実際にエンジニアが「自力でスキルを獲得していく手順」に沿ったものなんです。一度、教えられグセがつくと、自力で解決しようとする力が衰えてしまいます。分からないことでも順を追って考えるクセを付ければ、必ず自力で分かるようになってきます。
そして、私はその方法を一生懸命伝えていきます。そんな感じのコースですが、ご興味のある方はお問い合わせください。
※連絡先はこの記事の右側の柱部分に記載しています。(2013年4月20日現在)
私は、現在のところ、障害者就労移行支援事業所の「ビルド」と「フラッグ」の2ヶ所で「即戦力ITコース」という講座を担当しています。私の中ではどちらがどちら……という区別をしていなかったので、特に気にしていなかったのですが、このブログを読んでくれていた方からお電話でお問い合わせをいただいたそうなので、ちょっと書いてみようかと思います。
【質問】 まつしたの『即戦力ITコース』はフラッグとビルドで何が違うの?
では、お答えします。
……と、その前に、わざわざお問い合わせをくれた方、本当にありがとうございます!
さて、この「フラッグ」と「ビルド」というのは、同じNPO法人の下で運営されている就労移行支援事業所です。ひらたく説明してしまうと、次のような違いがあります。
■障害者就職サポートセンター「ビルド」
→最寄り駅:(京成線)国府台
・メンタルでお困りの方の全般が対象
・年齢制限は特になし
■ユースキャリアセンター「フラッグ」
→最寄り駅:JR市川・(京成線)市川真間
・特に発達障害でお困りの方が対象
・35歳以下の方を対象
つまり、どちらの「即戦力ITコース」がいいのですか?……というご質問の前に、どちらに入られますか?……という話が先になるんですね。
ちなみに、2013年4月現在において、まつしたが常駐しているのは「フラッグ」です。
◆選ぶことができる場合にはどちらがいいの?
「ビルド」でも「フラッグ」、いずれも私が担当している「即戦力ITコース」でやっていること自体はあまり変わりません。基本的には「自己解決力を身につけて、自分一人で困らないためのスキルを身につけていく」という体験をもとに、新しいことにチャレンジしていただきます。
しかし細かいことを書くと、やはり変わってきます。それは私が常駐している「フラッグ」の方が、お会いできる回数が必然的に増えると言うことです。つまり、ちょっとしたことを聞きたいときに、どちらがチャンスが多いかと言えば圧倒的に「フラッグ」の方がラクかもしれません。
「ビルド」の方は1週間に2時間だけ出向いて講座を開いているので、少なくとも「即戦力ITコース」関連においてはそれほど手厚くフォローできませんが、「フラッグ」であればちょくちょくと相談に乗ることができると思います。もっとも、「自己解決力」が活用できていれば、どちらでもそれほど困らないのですけどね。
それから「即戦力ITコース」以外の特典(?)として、「フラッグ」では、まつしたが独自に開発した「松下式タッチタイピング」を毎日午後に受講することができます。これは、飽きっぽくて、不器用で、スキル習得が苦手なまつしたが、もともと「自分自身のために」開発したタッチタイピング習得法です。
このタッチタイピング練習法の講座は、まつした以外のスタッフに担当していただいているのですが、早ければ2週間程度で効果がでてくるということで、ひそかに人気があるようです。というよりも、もともとは「自分用」だったので、「他の人の役にたつかなあ?」と思っていたくらいだったのですが、思いのほか効果が高かったので教材化しました。
◆そもそも「即戦力ITコース」ってなによ?
ここまできて、このタイミングで聞きますか?……っていう感じですが(苦笑)、簡単に説明します。
【即戦力】
→いわゆる「自己解決力」を身につけていただきましょう
【IT】
→(1) ITを便利に使って自分自身の苦手を補ってしまいましょう
→(2) 興味があればIT業界へのキャリアを目指してしまいましょう
単語で分割して説明すると、だいたいこんな感じです。
「即戦力」っていうと「入社した途端に仕事がバリバリできて……」なんてイメージをよく聞くのですが、たいていの場合、そんなことはありえません。そんなの幻想です、妄想です、ファンタジーです(笑)。そもそも「バリバリ」というのは具体的に「何ができている」ってことなのでしょう?
どれだけ知識を持っていようと、スキルを持っていようと、入社して最初の数ヶ月は環境に慣れるだけでいっぱいいっぱいです。コピー機の使い方のルールやら、交通費の精算方法、仕事の流れと暗黙のルール、○○に詳しいのは誰なのか?……など、新しい環境で新たに知らなくてはならないことが満載です。
その中で、どうしても分からないことは新しく入った会社のスタッフに聞くしかないのですが、「わからないこと」には二種類あるんです。ひとつは「一般的なこと」そして、のこりが「その会社のローカルルール」です。ローカルルールはそこの人に聞くしかありません。
会社に入ると、「なんでも分からないことは聞いてくださいね」なんて言われますが、「一般的なこと」ばかり質問していると、だんだん「お互いにつらく」なってきてしまいます。聞かれる方はどんどん仕事の時間がなくなっていきます。聞く方も迷惑をかけているような気がしてきて聞きづらくなります。
基本的に会社組織というのは「人が増えた直後は効率が低下する」のです。新人に仕事を伝えるという仕事そのものが時間を圧迫するのです。つまり、「入社すると、その直後は必ず既存のスタッフに迷惑をかける」ということですね。
「しらないこと」には「一般的なこと」と「ローカルルール」のふたつがあるのですが、そのうちで「一般的なこと」くらいは自分で解決しましょうというのが、私が伝えている「自己解決力」というものです。「戦力になるということ」は「それまでの職員をしあわせにすること」です。
つまり、入社直後に「自分で解決できそうなことは解決を試みる」という姿勢そのものが、自分自身の「お荷物感」を軽減することに繋がります。あくまでも相対的なものですが、「手間のかからない新入社員」はそうでない人に比べて「即戦力」であると言えます。
◆別に「IT」を目指さなきゃいけないわけじゃない
次に「IT」についてですが、私の講座に出たからと言って「IT業界にいかなければいけない」というわけではありません。むしろ、「IT業界にいかなければいけない」と構えてしまう人には、あまりその業界は向いていません。どちらかというと「好きだから行く」という方がいいと思います。
じゃあ、なんなのかということですが、まずは「ITを味方にする」ということに尽きると思います。たとえば、私は記憶力がそれほど高くありませんが、そういう類のモノはITサービスを使って、自分の代わりに多くの記憶を委ねています。スケジュール管理もそう、単調で大量の仕事もプログラミングで正確かつ高速に終わらせます。
自分の足りないところを、どうやってITを使って補うのか……ということを身につけて欲しいと思っています。これは、先ほどの「自己解決力」というのもその一環ですね。自分の知らないことを「いつでも」「どんなことでも」「IT技術を使って」「解決する」という行動になります。
ひらたくいえば「ITを使ってラクをしましょう」ということです。しかし、ここで勘違いしないでください。「効率的にラクをする」ためには、効率的にラクをしようと思っていない人の数倍も頭を使わなければなりません。つまり、「先に苦労をしておいて」「後からラクをする」ということです。まぁ、そこらあたりが「ITを味方に付ける」醍醐味でしょう。
そして、「ITという道具」に慣れてきたら、「業界」としての「IT」に目を向けてみるといいかもしれません。なぜなら、就職する環境として他の職種よりも有利なところがあるからです。それは「競争率が一般事務や軽作業に比べて低い」ということです。そして専門性が増せば増すほど給料水準も高くなる傾向にあります。
なぜ競争率が低くなるかと言えば答えはシンプルです。「IT業界って難しそうだから……」とか「一般事務だったら自分でもできるかも……」というハードルを越えていく人が少ないからです。逆にいえばこのハードルを越えていくことができれば、違った選択肢を手にすることができるのです。
◆「ちょっと突き放した感じ」の講座でございます
どうしても「手取り足取り」じゃないと厳しい人は、街のそこら中に「パソコン教室」がありますので、そちらへどうぞ♪……また、まつしたの担当ではありませんが、「フラッグ」にも「ビルド」にも「パソコン基礎」を「教える」クラスが週に2時間ずつあるようですので、そちらに出てもいいかもしれません。
……ちょっと本筋からずれてしまうのですが、「Excelをマスターしたい」とか、私にはよく分かりません。「Excelをマスターするのが目的」なんじゃなくて、「Excelを使って仕事をラクにするのが目的」なんだよね。すると、漠然と「Excelをマスターしたい」なんて言うんじゃなくて、「Excelの何を知りたいのか」を具体的に言えていないといかんのだと思うのです。
「初心者はそれができないから困っているんじゃないか」と思うかもしれませんが、まず、初心者を卒業するところから始めた方がいいのです。もっと丁寧に言うと「初心者意識」から脱却することが何よりも重要なのです。初心者の傾向というのは「なんでも教えてもらおうとする」習性があります。
私がたてた方針は、実際にエンジニアが「自力でスキルを獲得していく手順」に沿ったものなんです。一度、教えられグセがつくと、自力で解決しようとする力が衰えてしまいます。分からないことでも順を追って考えるクセを付ければ、必ず自力で分かるようになってきます。
そして、私はその方法を一生懸命伝えていきます。そんな感じのコースですが、ご興味のある方はお問い合わせください。
※連絡先はこの記事の右側の柱部分に記載しています。(2013年4月20日現在)
2013年3月24日日曜日
障がい者……利用者様……
◆障害を巡るいろんな呼び方
私は、過去に何度か「障害者」、「障がい者」、「障碍者」の表記について思うところを書きました。私は「障害者」派(?)です。言葉狩りをしても本質的には何も変わらないし、同じ意味なのに表記をコロコロ変えてしまうと、障害者自身が困ってしまうことも少なくないことが分かっているからです。
文字の認識について障害を持っている人から見れば、パンフレットに「当日は障碍者手帳を忘れずお持ちください」と書いてあっても、目の前にある手帳には「障害者手帳」と書いてあるわけです。「……あれ?……この手帳じゃないのかな?……ええと、そもそもこれ、なんて読むのかな?……しょう……ぎ?……とく?……てちょう?」と。
まあ、このあたりはいつも微妙なところで、結局、議論をしたところで「誰に合わせるのか」というところで結論はでないのですけどね。だって、私が「障がい者」という文字を読むと、なんとなく馬鹿にされてるのかな……って思ってしまいます。どうせ、「害」の字が読めないのだろうと思っているのだろう……と。
それでも、「障害」以外の表記の方が無難といえば無難なのかもしれませんけどね。なぜなら、そもそも「障害」の「害」の字を外せと言い始めたのは障害者の一部という説もありますから。もちろん当事者によっては「そんなもん興味ねーよ」と思っている人もいます。気にする人もいれば気にしない人もいるよ……というそういう次元の話です。
答えの出ない「障害者」表記問題はおいておくとして、最近、個人的に気になっている表記があります。近年、急速に障害者を対象とした就労移行支援事業所が増えてきているわけですが、ここで利用者を呼ぶ場合の表記が事業所によって微妙に違うことに気づきました。「利用者のみなさん」、「利用者」、「利用者様」……と。
◆「働く」=「お客様」?
この中で私が一番気になったのは「利用者様」です。これ、とても理由は分かるけど、その一方で個人的には違和感があります。たぶん、その事業所は「第一のお客様」を「利用者」と定義づけているんだろうなと思います。もしくは、へりくだった立ち位置で「自分たちは、自分たち以外の方々のためにあるのです」的な。だから企業に対しては「企業様」と呼んでいるのかもしれません。
話を進める前に書いておきたいのですが、私は「利用者様」と表現している事業所を馬鹿にしているわけではありません。ただ、どうして「様」を付けているのかな……と、その理由が知りたいというか、あくまでも個人的好奇心を刺激されただけなんです。その先にどういう価値観があるのかなあとか、そのあたりが知りたくて知りたくて仕方がないだけなんです。
さて、私が考える就労移行支援事業とは、「利用者」が「自立心」を持って「社会の一員」になれるための手伝いをすることです。社会の一員ということは、細かい形態はどうあれ「職場」で活動することになると思います。職場からの立場で考えて一番困る人は「何にもできないことを当たり前のことのように振る舞い続ける人」です。
いろんな職場で障害の有無に関係なく、こういう人によくかけられる言葉があると思います。「君ね、いつまでもお客さん気分じゃ困るんだよ」……と。働くということは「サービスを提供する側」に回ることです。サービスを提供される側がお客様です。つまり、働くための訓練や支援は「お客様」から脱却するためのステージだと思うんです。
で、いつかは「お客様」を脱却した「社会の一員」になっていこうと思っているはずなのですが、それをトレーニングするための場所で「利用者様」と「お客様」扱いを受けていると「脱皮」が難しくなったりしないのかな……と思ったりもします。きっとここらあたりの戦略が違うから、あえて「様」付けしているんだろうと思うのですが、やっぱり私には分かりません。
◆お客様には極上の居場所を……
ものすごーくシビアに現実的に考えれば「利用者」は就労移行支援事業所から見れば「一番のお客様」です。なぜなら、利用者が事業所を利用してくれることによって、貴重な税金の中から助成金として事業所は収入を得られるからです。そんな利用者を「絶対にしあわせにしたい!」と思う気持ちは私も同じです。でも、だからといって「お客様」……は違う……かな。
誤解を恐れずに書けば、「利用者は成長してとっとと社会へ出て行け!」というやり方が正しいのかなと思っています。もちろん分野によっては時間をかけてスキルアップしていくことが大事です。むしろ私が行っているいくつかの講座や試みは「長期的育成」に関するものです。それでも、基本的には「できるようになったら、とっとと社会に出て行け」というスタンスが正しいと思うのです。
利用者を「お客様」扱いして、とても居心地のいい「居場所」を提供するのは就労移行支援事業所のミッションではないんじゃないかなと思うのですね。むしろそのあたりは、地域活動センターとかデイケアとかそのあたりのお仕事なのかなと。それよりは「今よりは居心地が悪くなるであろう」職場に耐えうるためにも、早期にシミュレーションが必要なんじゃないのかなと。
それから、過去に私が関わった就労移行支援の現場で過去にこういう事例もありました。確か発達障害でお困りの方だったと思います。ものすごく頭が切れて回転もいい方だったことを記憶していますが、その人が利用者を結集して「自分たちの思い通りにさせろ」という抗議活動を始めようとしました。就労移行支援事業所の中で自治権を持たせろというのです。
「最終目標はすこしでも早く就職して、ここから出て行くことですよね。要求は最終目標からズレているし、ここの方針がイヤなら、他にたくさん就労移行支援事業所はありますよ。」と伝えたときに、彼の口からこぼれた言葉があります。「私たちのおかげであなた方は給料をもらっているのでしょう?だから私たちの要求を聞くべきです!」と。
◆権利主張は大切だが……
彼との話し合いは平行線を辿り続け、結果的には就労移行支援事業所の利用を中断していただくことになりました。最後まで「労働者は労働環境を変える権利がある」と訴え続けていました。「ここは職場なのではなく、職場で活躍するために必要なトレーニングの場ですから」……という言葉は最後まで理解されなかったかもしれません。
しかし、その時、自分の中で無意識に行っていたことを反省しました。「個性から生まれそうな可能性」を大切にしようとするあまりに、私は当時、利用者を「お客様」扱いしていたのです。嫌われないように、嫌われないように。いつでも気持ちよく通えるように。そして、創造性豊かな発想力にはなるべくブレーキをかけず、まずはとにかく成功体験と自信を持ってもらおう……と。
これは障害者手帳の有無に関係のないことですが、あまりに根拠のない自信が蓄積し続けると、人は時として「自分の価値観が絶対的に正しい」と思い始めます。そのエネルギーは洗脳的ですらあります。「こんなに努力をしているのに」、「こんなに貢献をしているのに」、「認めないのはアイツに能力がないせいだ」、「社会が悪いから自分は報われないのだ」……と。
権利主張は大切なことです。大切だと重要性を十分に理解した上で書きますが、私は権利主張が大嫌いです。権利主張は「頭を使わなくてもできる」ことだからです。そして「自分の責任を果たさなくてもできる」ことでもあるからです。その時から私はできるだけ、利用者に対して「お客様」扱いしないように心がけるようになりました。
権利主張というのは「戦い」です。相手から妥協を引き出すための戦いです。自分の非を認めると戦いが不利になるので、基本的には自分の非を認めません。「当然の権利」を手にするために戦うのです。しかし、最初から対決姿勢を好む人間を雇用したいと思う企業があるでしょうか。おそらく多くはありません。だから権利主張を我慢することも大事なトレーニングの一環なのです。
◆なぜ「利用者様」なのだろう?
そういう意味で「いやならいつでも『自分の意思』でやめてもいいんだよ」というスタンスを持つ事業所の方が私は好きです。変にお客様扱いをして、結果的に「職場とのズレ」で苦しませる結果になるのも気の毒ですし、「権利主張」を振り回しすぎて社会から煙たがられる存在になっても、やはり気の毒だと思うのです。
物事の「呼称」には「ポリシー」が宿ります。どのような何気ない言葉だったとしても、そのひとことの端々には理念が宿ります。私は、「利用者様」という言葉を使う事業所のポリシーというか理念を知りたいなあと本気で思います。なぜなら私が理解することの難しい価値観だからです。それを説明してくれる人がいたらじっくりお話ししてみたいです。
2013年3月17日日曜日
弱さを認めることと甘えること
◆「弱さ」と「甘える」こと
最初に書いておきます。私は強い人間じゃありません。どちらかというと弱いです。いや、圧倒的に弱い。どれくらいに弱いかと言えば、お金をつい使ってしまいそうな誘惑に負けがちなため、必要のないときには財布に多くのお金を入れないようにしているくらい弱い人間です(苦笑)。だから予想外のタイミングで飲みに誘われると思わずコンビニATMを探す有様です。
あと、行動力もだいぶ弱いです。だから、いつも行動予定をある程度たてて、それに沿って進まないとつい怠けたり、遊んだり、そして無駄に休憩してしまったりもします。「自分の弱さを認めていてよく知っている」からこそ、その対応策を立てることがとりあえずできています。そうしないと私はひたすら怠惰な道に流されていくことでしょう。
「弱さ」と「甘え」をセットで考えている人が、わりと多いような気がします。「弱さを認めること」=「甘え」の図式で生きること、それは自分の足で立とうとする意志を否定していることになると思うんです。だから「弱さを認めること」=「甘え」=「仕方ないじゃないか」じゃダメなんです。
あ、もうちょっと正確に書きましょう。「ダメ」じゃないです。今のままでも十分にしあわせで、これから先も今のままで十分にしあわせだとするなら、そのままでいいのです。今、私が話をしている相手は「今よりももうちょっとしあわせな未来を生きたい」と思っている方々です。
◆情に訴える生き方をやめよう
基本的に「弱さを認めること」は重要だと思います。さらに踏み込めば、それを公開することも重要でしょう。私なりに理由を考えるとふたつあります。ひとつめは「自分の弱点を知る」ことによって対策が考えられるからです。ふたつめは「弱点を公開する」ことで精神的に堂々とできるからです。ある意味で「脱皮」ができるのです。
しかし、この「弱点を公開する」という意味をはき違えると、結局、「変化のない人生」が続くだけなのだと思います。「私には弱点があるのだから仕方がないよね?」という正当化の盾にしてしまえば、そこからの成長はほとんどないからです。「ありのままのあなたでいい」というのは、何もしない人にかけていい言葉ではないと思うのです。
私は、自分の弱点を盾にして情に訴えようとする生き方が好きではありません。なぜかといえば、それが30歳までの私の生き方と同じだからです。うまくいかないことを、自分のハードウェアと環境の責任にしていました。「身体が強くない」だの「頭が良くない」だの「顔が良くない」だの、その理由を旗印にして前進を怠っていたような気がしてなりません。
誰かに「自分の才能のなさ」や「運のなさ」を嘆いてみては、慰めの言葉を心地よく受け止めつつも、それを決して受け入れようとしない。私はその当時の私の生き方が大嫌いです。ただ、その一方で感謝もしています。私の「現在」というのは、そういう「過去」の上に成り立っているからです。だから、同じ思考に逃げてしまう人の弱さと気持ちがよく分かるのです。
◆自分の人生を掴めるのは自分だけ
結局、当時の私に温かい言葉をかけてくださった方々にはずいぶん迷惑をかけてしまったと思います。一体どれだけの精神力と時間を費やしていただいたのでしょうか。結局のところ、そのスパイラルから抜け出すのは「自分で変わろう!」という自分の決意以外になかったのです。これには「大きな痛み」を伴います。生半可な痛みではありません。
今まで自分が寄りかかっていた「価値観」を捨てることは、自分の身体の半分を捨てるにも等しい痛みを伴うのです。だから、「自分から変わろう」という話をしたときに、「それでは、本当に自分ではなくなってしまう」という人がいますが、その気持ちも痛いほど分かります。「自分を守ってくれる言い訳」を捨てることはそれほど容易ではありません。
「自分はダメな人間」である……その理由は、「自分はダメな人間」であるからだ。これは、まったく論理性も客観性も欠いており、ただそう思い込みたいという「負の信仰」です。正しかろうが、間違っていようが、自分を定義づける「信仰」を変えることは「本当の自分ではなくなってしまう」という危機感を伴います。本当の信仰とそれほど変わりません。
しあわせならそれでかまいません。今のままでかまいません。今の人生が輝いていて、どこにも一点の悔いもないのならそのままでいいのです。しかし、もし、「このままではいけない」と心のどこかで考えているのなら、痛みを受け入れる覚悟が少しでもあるのなら、私はあえてハッキリ伝えたいと思います。
◆「本当の自分」なんて捨ててしまえ!
今の自分が「しあわせな人生を送っていない」のだとしたら、半分以上は「自分自身の責任」です。自分自身が愛してやまない「本当の自分」などという存在です。その「本当の自分」とやらのおかげで、納得のいかない人生を送らされているのです。「人生を送らされている」って、誰に?……それもまた「現状の自分自身」だったりするのです。
本当の自分なんて捨ててしまえ……と聞くと、物騒なことをいう人もいます。「それって死ねってこと?」……もちろん違います。「自分を変えることは、死ぬことと同じだ。だから死ねってことなんでしょう!」……という気持ちは分かります。ええ、分かります。その気持ちは分かりますが、残念ながらそれは正解じゃありません。
ゲームだと思って、だまされたと思って一度やってみてほしいのです。「自分自身は死んでしまった」というつもりで、「しあわせそうな自分を演じる」ということを。「自分自身の弱さを、まるで他人事のように笑い飛ばす自分」を演じてみてほしいのです。「弱さの公開」とはそういうことだと私は思います。その瞬間に弱さは「自分自身」と切り離されるのです。
そう、今、大事に守ってやろうとしてやっている「本当の自分」こそが本当の敵なのです。そいつは「自分が何もしなくてもいい理由を探し出すプロ」です。「本当の」などというたいそうな肩書きでごまかしていますが、たいしたヤツではありません。「自分の弱さ」を「甘え」に変えてくる「本当の自分」なんて捨ててやればいいのです。その結果、やってくるのは「本当の自分」ではないかもしれませんが「大好きな自分」かもしれません。
2013年3月11日月曜日
ユニバーサルな説明
◆基本的にはユニバーサルがいい
世の中はユニバーサルであった方がいいと思っています。特別に「障害に配慮する」というのではなく「誰にとっても配慮されている」ということが理想です。しかし、これで何でも解決するのかといえば、そんなことはありません。本質的に「完全」なユニバーサルは困難だと思っています。
一例をあげれば、私は技術的なことを説明しなければならない時に、いろんな「たとえ話」を活用します。個人的な理想としては「子供でも理解できる説明」ができることです。しかし、それすらも「ユニバーサル」ではありません。なぜなら発達支援が必要な方々の中には「たとえ話」を理解すること自体が困難な方々もいるからです。
私は千葉の市川市で、発達支援が必要な方々が幸せな就職をできるようにする仕事をしていますが、その説明会で親御さんから苦言をいただくことがありました。「発達障害に特化していると聞いて来たのですが、うちの子にあった説明でなかったのが残念でした」と。
せっかく足を運んでくださったのに、率直に申し訳ないと思います。ただ、発達障害というのは人の数だけ違います。いくらかの「傾向」はあっても、その強度や方向性、それから複数の「傾向」の重なり方から何から何まで違います。発達障害の特性は「ひとこと」で語れず、「うちの子」が抱える課題も多様すぎる事象の一個性なのです。
理想を言えば、それぞれ個別に説明できるのが一番いいのでしょうが、説明会という「一対多」という状況での伝達手段には限界があるのかもしれません。どこかにターゲットを定めてしまうと、どこかに支障が発生してしまうのです。誰かに対して「わかりやすく」伝えようとすると、そこにはまらない誰かにとって「分かりづらく」なってしまうのです。
さらに言えば、本当に来てほしいと思っている層にまっすぐメッセージを伝えたいのに、そこを下手に情報保障してしまうと、肝心な「来てほしい」層を獲得できず、「想定していない」層を取り込んでしまい、講師と利用者の双方が身動きできない状況を生み出してしまうかもしれません。
◆まずは「想定する層」に呼びかける
そこで「冷徹」な考え方についても検証してみたいと思います。それは「どんな人でも限りなく受け入れられるわけではない」ということです。たとえば障害特性というよりも人格的な部分で施設利用が困難な人もいるでしょうし、理解力という部分で職員のフォローが追いつかない人もいるでしょう。
これは実はものすごく大事なことで、「支援者としてお役に立てそうな対象者」を選別する必要があるのです。「選別」というと非常に刺激的な意味を伴って伝わってしまうかもしれませんが、要するに「当事者の利益が確保できないことはしたくない」ということなのです。貴重な人生の時間と受給期間を無駄遣いさせてしまってはいけないのです。
ここに松下が書くことは「就労移行支援事業所としての公式見解ではありません」が、少なくとも私が担当するコースにおいては、「何かひとつでも発見を持って帰ろう」という人だけに集まっていて欲しいのです。もっといえば「後ろ向きな気持ちを前向きにする」というところにエネルギーを割きたいとは考えていません。
そして「最低限の線引き」というのを分かりやすく説明しておく必要があるとも考えています。すなわち、説明会の時点で「この話が理解できない人は対象者ではありませんよ」という意図を伝えることです。もちろん無駄にハードルをあげるつもりはありませんが、最大限平易な表現で伝えてみて「理解されなかったら仕方がない」というスタンスです。
分かりやすい話をしましょう。たとえば私のコースを受けるための最低条件は「日本語が分かること」です。ここで「どんな国の人にでも機会は均等に提供すべきだ」と主張されたとしても、私にはどうしようもありません。私の意思をある程度誤解なく伝えるために、私が使える言語は日本語だけだからです。
つまり、私が想定している範囲を大幅に超えてしまっている方々に対して、有効に「お役に立つことができない」のです。この想定の種類は、言語だけにとどまらず、興味特性、最低限の知識……など多岐にわたります。
◆理解できないけれど興味のある人をすくう
そういう意味で個人的な本音を書くと、第一においでいただきたいのは「私がお役に立てる可能性の高い方々」だということです。つまり、私が説明会で話した内容を理解することができて、それを聞いて魅力を感じていただける方なのです。逆にそうでないと、せっかくおいでいただいても続けることがツライと思うのです。
先ほど、「来てほしい」層と「想定していない」層の話がありましたが、これも言い換えると「お役に立てそう」な層と「お役に立てなさそう」な層ということです。「それなら、どうして最初から条件を明らかにしないのか?」という質問が出そうですが、これについては理由があります。
それは、「理解はできないけどおもしろそう」と思ってくれた方には、一生懸命ご案内しようと思っているからです。だから、私は最初から条件を明確にしないのです。たまたまその条件の内容が理解できないために、その後の可能性の芽まで摘み取るようなことはしたくないのです。
ただし、残念ながら「まったく興味がない」という人まで引っ張る余力が私にはありません。時間ももったいないですし、本人が興味を持っていないのに無理に引っ張り上げようとするのはお互いに不毛なことです。「才能や能力がない」わけではなく「たまたまご縁がなかった」だけに過ぎません。
私はなるべく多くの人の可能性を信じたいと思っています。そして、それが伸びるきっかけになれればいいと願っています。だからこそ、そこに全力を注ぎ込みたいと思っています。逆にいえば、そこに乗れない方々については、お互いの利益のためにも慎重な対応が必要だとも思っています。
私がもっとも誠実ではないと思っていることは、「お役に立てなさそう」という予測があるにも関わらず、あたかも希望があるかのような対応をすることです。そして、お互いの時間と気力を無駄に浪費させることです。だから「本物の情け」として「お断り」という選択もあると思うのです。
なお、これは単なる「個人的な考え方の中のひとつ」に過ぎません。これをもって私の結論というわけではなく、私の中にはこれと異なる他の考え方もあります。つまり、私は思考にいくつかの選択肢を持っているのです。その中から「こういう考え方もある」ということを紹介させていただきました。
2013年3月3日日曜日
内面から燃え上がるような講座
◆カリキュラムありきではない
たまたま「発達支援が必要な人たちに『自己解決力』を伝える仕事」をしていますが、何度も書いているように、これは別に何かのハードルを持っている人たちだけに必要というものではなく、どんな人にも必要なスキルなんですよね。だから、私にとっては対象者が「たまたま発達支援」という印象が強いのです。
それはともかくとして、私がどのようにして受講者の「自立心」を磨いていくのか……という技法について興味を持っていただく方がいらっしゃいますが、実のところ、そんなにテクニカルなスキルはあまり持っていないような気がします。私が講義をするにいたって、一貫しているポリシーは「自分自身も楽しめること」だったりします。
ぜんぜんテクニカルな話ではなくて、ぶっちゃけ「欲望」に忠実なだけという感じですかね。私はまず「楽しむ」ということをスタート地点にしたいのです。難しそうに眉間に縦ジワを作って、当たり前に難しい話をしたところであまり意味がないと思うんですよ。そういう人は探せばいくらだっているわけですから。
私にとって「楽しむ」というのは、来てくれている受講者の「いいところ」が表面に出てくる時間を過ごすことです。だから、私はいつも受講者の顔ぶれをみて、その場で「テーマ」を決めています。もう少し具体的にいえば、「どういうことを知りたいか」という話を簡単に聞いてから、その日の内容を決めています。
しかし、毎回、受講者の顔ぶれは変わってしまいます。だから、私は、カリキュラムを作りません。作ったところで無駄だからです。さらに言えば「発達支援が必要な方々」という対象を考えたら、まさにそういうレールを苦手とする人も多いともいえます。つまり、従来と同じアプローチではいけないということにそろそろ気がつかなければならないと思うのです。
◆問題は「楽しさ」に火がつくか
世の中の管理者は「○月頃にはこれくらいできていて……」というレールをどうしても引きたがるように思います。もちろん、行政から税金をいただいて運営する以上、行政が安心できる計画案を持つことは重要かもしれません。しかし、所詮、それすらも、「他人が決めた目的」で「他人が決めた納期」に過ぎません。
私は思うのです。今までの学校教育の中でもずっと、こういうことが繰り返してこられたはずです。学校教育の指導要領の中で、期間を決めて、その期間内に学びきらなければ「落ちこぼれ」という烙印を押す仕組み。私は、そういうレールに乗ることが苦手な人に対して、そのレール以外の方法を提供したいのです。
すると、通り一遍の「同じ目標と納期」……いわゆる、シラバスとかカリキュラムは意味をなさなくなってしまうのです。「同じ品質の人材を、量産的に養成する」という軍隊式ではだめで、その人の「長所」とか「ピーク」をひたすら磨いた方がいいのです。この「長所」や「ピーク」というのは「楽しいこと」ということに他なりません。
実は今までお目にかかった受講者の中にも、才能がありそうに見えた人がいました。その方はIT関連の技術を猛烈な速さで吸収していきました。しかし、それだけではダメだったのです。いつまでたっても「楽しさ」につながらないまま、ただただ消耗していきました。「できる=楽しさ」でなければ、まったくその人の人生にはプラスにならないことを知りました。
つまり、逆にいえば「楽しさ」を掘り出せることが、どれくらい重要かということなのです。ただ、よく勘違いされるのは、「『趣味』を『仕事』にすればうまくいくだろう」という考えです。これは、正しいように見えて、実は違うことが少なくないようです。
私自身、そのことに気づくまでには、この就労移行支援関連に携わってから数年を要しました。「知らないうちに仕事が趣味になっていることが人生のしあわせ」というポリシーは今でも正しいと信じていますが、その逆が短絡的に正しいわけでもないのです。
◆「趣味=本当の楽しさ」ではないことがある
たとえば、「マンガを描きたい」とか「小説家になりたい」という人がいますが、それが本当の「楽しさ」ではないことがあります。あえて酷評をしますが、そういう人の作品を見せてもらうと、素人目に見てもどうにもならないほどの低いクオリティであることがほとんどです。そして、たいして作品の量も多くありません。問題はその駄作を見て「駄作だ!」と伝える勇気、伝えられる勇気がないことです。
本当にプロになろうとする覚悟があれば、「見せるべき人に見せて、言われるべき酷評をされる」はずのところですが、そこをそうしないのです。つまり、「正しくクオリティを上げていこう」と思えるほどのものでなくては「本当の楽しさ」ではありません。つまり、まったくクオリティの上がらない「趣味」は、残念ながら「仕事」ではなく「時間つぶし」にしかならないのです。
なぜ、「好きなこと」が「時間つぶし」になってしまうのかといえば、本当に夢中になれるほどの「何か」をみつけるための選択肢が少なかったからだろうと思います。そこで、私が提供する講座では、とにかく、「楽しいこと」の種類をたくさん見ていただけるように心がけています。すると、「生半可な夢」よりも、本気で追いかけてみたい「本当の夢」が見つかることがあるのです。
だから、私は「ひとつではなく、いろんな可能性を見つけて欲しい」と思っています。「自分でも知らなかったような才能」に気づくきっかけはたくさんあった方がいいのです。人間は本能的に賢い生き物です。「未来に繋がらない無駄なこと」だと心のどこかで信じていることには、本気で向かえないようにできています。
「生半可な夢」というのは、人生にとって有益ではなく、深刻なダメージを与えることがあります。なぜならば、(一生懸命)「がんばっているつもり」なのに、(あんまり)「芽が出てこない」ということ事実が、じわりじわりと自信を喪失させていくからです。しかも、厳しいことを書けば、(一生懸命)→(なんとなく)で、(あんまり)→(まったく)という形で事実がねじ曲がっていることもたびたびです。
◆「その人」のしあわせは「その人」にしか作れない
私の講座にカリキュラムやシラバスはありません。「いつまでに○○」という目標設定もありません。基本的には受講者が自分の力で決めることだと思っています。だから、私は受講生の悩みや希望に直結した講座をしたいと思っています。たとえば、目標を見失ってしまったときに、どういう探し方をすればいいのか……自分の経験をもとに「考え方」を伝えます。
私は特段優秀な人生を歩んできたわけではありません。対人関係についても仕事能力についても、人一倍、挫折と孤独を多く味わってきました。挫折をして、自分自身を責め続けながら生きてきました。そんな人間が編み出した「生きていくための技術」はたくさんあります。どん底でなければ理解できないノウハウがたくさんあります。
だから、当事者からどんなテーマを投げかけられても、たいていのことは経験しています。そこから脱却する術を知っています。勉強が大の苦手で記憶力も足りない私が、どのようにしてIT業界で生き抜いていったかを伝えることもできます。優秀な人生でなかったからこそ、どん底でのたうち回っている人たちの気持ちが分かるし、そこからの光明の見つけ方を知っているのです。
ただし、その光明の位置を私が知っていたからといって、私が見つけてはいけないと思っています。その光明を探し当てるのは本人でなければならないのです。なぜなら「他人に用意された人生」なんて、たとえ輝かしいものであったとしても、所詮は自分の人生ではないからです。自分で見つけて、自分で心を燃え上がらせなくてはいけないのです。
「気合いを入れろ!」と、誰かに突き動かされる気合いよりも、「ようし、気合い入れていくぞ!」と、自分の心の中からわき起こる気合いの方が遙かに力強いのです。私は気合いを注入したりしません。しかし、自分の中から気合いがわき上がるきっかけをたくさん振りかけたいと思います。
そんなことを考えながら、また月曜日を迎えます。受講生に今週はどんな世界をみてもらおうか、そしてどんな可能性を探してもらおうか……そう考えていると、力がみなぎってくるのです。ここ数年間、私の辞書に「サザエさん症候群」という文字はありません。とっくの昔に抹消済みです。
2013年2月24日日曜日
経験知の伝え方
◆やってみて分かった経験知
私はややニッチな領域でニッチな経歴を生かして、ニッチなアイデアを形にしようとしています。「います」と現在進行形にしつつも、すでに始めてから3年以上がたっています。私にとってエキサイティングな3年でした。
私がやっていることを、もうすこし具体的に言い直すと、何らかのハードルを持った人が就労できるように支援する業界に私はいます。かつて、IT業界でエンジニアをしていた経歴を生かして、「エンジニアが自己解決してスキルを身につける過程」を体験していただいています。
別に必ずしもIT業界に就職する必要はないのですが、どんな業界に行くにしても「クリエイティブな素養がある人」が、「仕事だから」とあきらめてマニュアル通りに生き続けて行くには、人生は長すぎると思うのです。だから、自分の頭を使って考えて先に進む体験をしてもらっています。
「たった3年で何が分かる?」と言われそうですが、私はそれでも多くのことを知りました。「なんだ、『障害者だ』と思うからおかしくなるんじゃないか」ということ。もちろん状況にもよるのだろうけれど、「働きたい」と思える状況になった時点で、かなり戦える状態になっているということ。
さらにいえば「メンタルの方は自分で考えることが苦手」という常識(?)が大きく間違っているということ。いや、中には自分で考えることが苦手な人もいる。そんなことは障害者手帳を持っていない人だって同じこと。つまり、自分で考えるということがものすごく得意な人もいるという事実。
そして私が持っている経験知は、そういう人たちの才能を効率よく楽しく引き出すための方法です。私は比較的そのあたりの経験知を簡単に他の人に伝えてしまいます。なぜなら、いくら私が効果的な方法を知っていても、私一人ではさらに多くの人たちの役に立てないからです。身体と時間が足りません。
◆自分のメッセージがどこに届くか
そういうことをやっていると、私がやっている「自己解決力コース」の内容について、いろんな人に質問されます。中には私が伝えた経験知を試してみて、その先で行き詰まってしまって、また質問に来られたりもします。また、当事者とのつきあい方(?)について相談されることも増えています。
私が誰かのためにお役に立てるということはうれしいのですが、私の中にはわずかに恐れに似た感情がわき上がることもあります。その心配というのは、
(1)私の伝えたい真意が十分に伝わっているだろうか?
(2)私の関与でオリジナリティを壊していないだろうか?
ということです。そして、この(1)と(2)は真逆の矛盾を抱えています。
まず、(1)について。たとえば、「当事者に対しての配慮はしていますか?」と聞かれた場合、私は「特にありません」と答えています。実際にその通りだからです。場合によってはタブー視されていそうなことでも普通に話したり聞いたりもします。空気を読まないくらいにです。
でも、この言葉をざっくりと切り取られて「配慮なんて必要ないんだ」なんて思われたとしたら、それは困るんです。「当事者」に対しての配慮をしていないだけで、「人間」に対しての配慮は当然必要なわけです。だって、障害者手帳を持っていてもいなくても、人間扱いされなかったら誰でもイヤじゃないですか。
私の場合は、全ての人に対して「ハードルの低い配慮」ということを心がけています。甘すぎず、厳しすぎず……という、かなり微妙なさじ加減だったりもします。これは「適当に」というわけではなく、ある程度の判断基準があるわけですが、こういうことをマニュアル化してもあまりよろしくないんですね。
◆カリスマよりもオリジナルを……
なぜかというと、目の前の人間を「パターン化」することは難しい……というか、無理だからです。「人の数だけ違いがある」という当たり前のことを無視して話を進めるとロクなことになりません。そもそも数値化できないパラメータが人間には数限りなく存在しているのです。
なので、どちらかというと「マニュアル」というよりも、「行動規範」というか、「クレド」のようなものが必要だと思っています。で、相談してくださる方にはなんでもかんでも伝えたいのですが、1時間程度の短い時間でぱっと伝えることには、いささかの不安があることも事実なのです。
これについては、すでにご興味を持ってお申し出いただいた方々と一緒に、企業研修のような形でのパッケージ化を検討しています。やはり、ある程度責任を持った形でのフォローができればと考えているからです。私が行っている「自己解決」のコースに関してもそうです。
しかしながら、ここまで書いたことと真逆なマインドもあります。それが(2)なのですが、私が獲得した経験知が「ルールブック」になって欲しくないという思いもあります。たとえば、ベンチャー企業の社長などは「カリスマ」になってしまうことが多くあります。そんな会社の朝礼は「神の神託」であるかのようです。私はああいうことがあまり好きではありません。
ひとつの事業を進めるにおいて、メンバーが同じ方向性を向いて進んでいくことは大事なのですが、自分のコピーをたくさん作ってもあまり意味がないとも思っているのです。だから、私はこう思います。もし、私の経験知がお役に立てそうなら、まずは核心部分まで理解していただきたいです。しかし、「理解する」ことと「染まる」ことは違うと思います。
◆「劣化コピー」ではなく「多様な進化形」に
理解していただいた先にある、各人のオリジナリティと融合しなければ、経験知をお伝えする意味がまったくないと思うのです。誰かの言ったことをまっすぐに実行するだけなら、それは洗脳教育と大して変わりません。
「こうでなければならない」というルールは思考を硬直化させるだけです。そして、それが各人の誤解を経由して経年劣化していくのです。そうではなく、「常に考える」ということがコアになっていた方がいいと思うのです。
常にその場所や時の中で活躍している人が、盲目的に誰かが決めたマニュアルを遵守するのではなく、最適な解決を目指して「考える」ということ。これを満たすユニバーサルなパッケージにしていきたいと思います。
無批判にルールを引き継ぐ過程で、細かい誤解の蓄積によって変わっていくものを「劣化コピー」と私は呼んでいます。しかし、明確な意図が介在する中で、必要性に従って変化していくことは「多様な進化形」なのだと思うのです。私はこちらの方がワクワクします。だって、時代を超えてどんどん発展しそうじゃないですか。
そして、私が作りたいのは、そういう「ワクワク」なのです。
「企業研修」=「ワクワクしない」なんてつまらないと思います。むしろ、「企業研修」=「ワクワクするもの」でなくちゃいけないと私は思うのです。だって、「企業」って「人の夢が形になって世の中に出ていく場所」ですよ。そこを洗練させる企業研修がつまらなくていいわけがないのです。
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