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2009年7月20日月曜日

発達障害サポートコーチング研究会

今日は午前から「精神障碍就労支援育成プラン」の打ち合わせ。モーニングセットを注文できる時間から、延々3時間に及びました。さらに謎の「フェニックスプロジェクト」についても話を詰めました。

うん。だいぶいい感じ。足りない部分は24日に再調整する予定です。

気がつくと、午後の「発達障害サポートコーチング研究会」に遅れそうな時間になっていました。電車で新宿から高田馬場に移動。徒歩じゃ間に合わないのでタクシー。ああ、今月、ちょっとフトコロがきついんだけど・・・しょうがないか。

この研究会、実は一回目。
「発達障害サポートコーチング研究会」が生み出すモノはまだ未知数。だけど必要なインスピレーションって、そんなところにあったりするんですよね。未知数だからおもしろい結論が得られたり共有できたりするんじゃなかろうかと。

私が今、やろうとしているのは、精神障碍の当事者に対する就労支援。いや、支援よりもさらに積極的なフィールドを構築することなんです。・・・ん、このあたりの詳細は、もうちょっと事業として形ができてくるまで詳細を割愛します。

さて、精神障碍と発達障碍。
似ているようでだいぶ違う。だけど似ています。
外側からわかりにくく、さらに理解されにくいという一点において。

実は、私にとって興味があるのは「メンタル・ユニバーサル環境」の構築なんです。要するにいかなる障碍を患っていても、要するに本人が幸せに生きられるようになればいいんだと考えています。

「現実を知らない人間が、そんなに簡単に言うな!」

と、関係者から怒られそうですが、現実を知らないからこそ、第三の視点から大胆な発想で解決に迫れる可能性があるんだとも考えています。そういう意味では「部外者」という自覚もありながら、今回の研究会に参加しました。

研究会の感想を書きたいと思います。

今まで苦労して戦いながら子供を育て、これからの未来を心配する親御さん。そこには深刻な切実さを感じました。

・・・が、ちょっと気になったことがあります。

「○○だから△△は絶対に無理です。」
「××という簡単なことができなくて心配です。」
「○○だから□□という人生を歩ませたい。」

という話についてです。これは過酷なことを書いているのかも知れませんが、私には分からないことがあります。

親の価値観で決めつけて敷いたレールを歩ませることは、本当に当事者にとって幸せなことなんだろうか?

そして実際に試すこともせずに、親の判断で「不可能」と決めたことを、当事者の人生に納得させることが正解だろうか?

・・・と。

順当に人生を送っていったとしたら、親はいつか、子供より先に天寿を全うすることになります。その時に当事者が初めて人生のハンドル(責任)をたったひとりで握らなければならないとしたら、その方が過酷な人生になるような気もします。

もちろん親御さんには大変なご心労があることと思います。
私には知りようもない壮絶な戦いの日々なんだと思います。

しかし、障碍の有無に関わりなく、親の価値観の強さが自立心の芽を摘んでしまうこともあるような気がするんですね。

たとえば私は、とりあえず今のところ「健常者」ということになっています。もちろん細かく診断してみると何らかの障碍がどこかにあるのかも知れませんが。(個人的には「健常者」という呼び名は好きじゃありません。)

それでも職業選択や人生の選択において、「親の意見は先人の意見として正しいのだから従うべきだ」という価値観の押しつけを感じることは過去にありました。つまり、障碍の有無に関わりなく、親とはそういうものだと思うのです。

鳥は自由に飛ぶから鳥なんです。安全だからと鳥かごに鳥を入れていたら、その鳥は自分で飛ぶことをあきらめてしまうと思うんです。そして飼い主が突然いなくなってしまったら・・・どうなるんでしょうか。

それから、親御さんの話を拝聴していて思ったのですが、そもそも100点満点じゃなきゃいけないのでしょうか?

できないことなんて人それぞれ当たり前にあると思うんですね。

たとえば寿司職人はお客さんからバラバラに注文されても、それぞれのお客さんに間違いなくお寿司を出すことができます。すごいなあと思います。私にはたぶんそれは難しい。なぜならその能力を伸ばすことに何の関心もないからです。

だから、私の場合、同時に何かを頼まれたら最初から記憶力に頼るつもりなんてありません。その代わりにメモをとったりするんです。そしてそのメモの内容をその場で確認して間違いのないように努力する。それだけです。

だから見る人によっては、ひょっとすると私は短期記憶能力が乏しいと思う人もいるかも知れませんが、それを補うための方法論を作り出せば何の問題もないと思うのです。もちろん寿司職人になることはできないと思いますが。

100点満点じゃない人なんて健常者と呼ばれる人の中にいくらでもいると思います。というか100点満点の人なんて見たことがありません。むしろ100点満点に見えそうな人なんて、近づきがたいことこの上ありません。

確かに障碍によって不都合なことはあると思います。これは決して否定しませんし、それは何らかの形で上手にフォローする必要もあると考えています。ただ、このフォローの手段にはいろんな方向性があると思うんです。たとえばまったく違う業種のまったく違う立場の人間にしか見えない解決策もあると思います。

そのために私はこの研究会に出席しました。そしていろんなヒントを求めています。さらに私が持っている「何か」がお役に立てばいいとも思っています。当事者の才能や特徴を社会のために生かせる発想が隠れているかもしれません。

だからこそ簡単にあきらめないでほしいなと思うんです。当事者の方もその周辺の方も。いろんな活動をしている人たちが世の中にはいます。知恵を集めれば何かが生まれる可能性は高いと思うんですね。

さて、今回の研究会で受け取ることのできた、私なりの重要なキーワードをここに書き残しておこうと思います。

・「答えは相手の頭の中にある。」

他にも気になるキーワードはありますが、もっとも重要なキーワードをひとつだけ挙げろと言われたとしたら、この一言に尽きると私は思います。

無意識に相手をコントロールしようとしてしまうことって、かなりあると思うんです。それがたとえ相手に対する善意であったとしてもイヤなことだと思います。イヤなことだから徹底的な反発を食らっちゃう。考えてみりゃ・・・当たり前のコトなんですよね。

たしかに「答えは相手の頭の中にある」んだと思います。ただ、その答えを「頭の中」から上手に自分で探せない人もいます。だから「頭の中」の冒険を一緒につきあう必要があるんだろうと思いました。

相手の目の前に自分が準備した宝箱を出して「これが正解だ!」とするんじゃダメなんだと思います。一緒に宝箱を捜しに行く過程が大事なんだと思います。ひょっとするとその宝箱には、まったく意図しなかった結論が入っているかも知れません。

でも、それが本人にとっての「宝物=価値観=納得」なんだと思います。

そんなことを考えた研究会でした。

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