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2009年6月9日火曜日

自分の言葉

いろんな言葉が世の中にはあふれていて、それらを無意識または意識的に自分の体とか心に取り込んでいくわけだけど、「本当の自分の意見を持っているだろうか?」と気になる時がある。

テレビで見聞きする評論家の意見。特に政治評論家の言うことや経済評論家の言うことはもっともで、特に知識として自分の中で層が薄いと、自分の意見がそのまま評論家の受け売りになりやすいと思う。

たとえば現在の政治について思うこと。これを自分の知っている政治背景を元に話すことができるだろうか。たぶんできない。政治背景に関する知識の引き出しがあまりにも少ないからだ。政治家の誰かをこき下ろすにしても、テレビで報道された一部分の発言に振り回される有様だ。その人のことを何も知ってさえいない。

その人のことを何も知らない・・・といえば、ホリエモンこと堀江氏。マスコミが散々に悪い悪いというから、何となく悪いヤツだ・・・と思っている人が多いと思う。私もそう思っていたし、堀江氏の立場を擁護する意見などを言った日には、たいていエライ目に遭う。社会の敵を擁護するとは何事か・・・的な勢いで攻撃を受ける羽目になる。

私は頻繁に堀江氏のブログには目を通している。彼には彼なりの正義があって、それを勇気をもって実行しただけのようにも見える。そして私が読む限りではスジが通っているような気もしている。もちろん、私は彼のブログを読むことしか彼を知る方法を選択していないのだから、ブログだけを信じるのも危険なのかも知れないが。

ただ、マスコミのように声の大きい方だけを向いていてはいけないと思う。それぞれの人間の人生は一度きり(たぶん)と思われるし、その人生の中で、自らの意見の正しさを信じてほとんどの人は生きている。そうであるなら、その人が信じている意見にも耳や目を貸すべきじゃないかと思う。批判的な世論に対して無批判になってしまうのは危険なことかも知れない。

ともかく、一つのことをまっとうに自分の言葉で論じるためには、その背景に潜むモノをしっかりと知る必要があると思う。それは誰かから伝え聞いた話でなく、自分が実際に体験したことをベースにするのがよいのだと思う。

自分の信念・・・を語る時に、それは本当に自分の信念なのか、自らに問いかけたい。自分のモノだと思っていて、実は借り物だったということはあるものだから。

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