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2009年4月3日金曜日

ビソク前進する理由

私は決して模範的な人間じゃありません。面倒くさいことをするのが人一倍苦手だったりするし、たまに行く先を見失ったりもします。とてつもなく怠惰な自分に焦ったり、流されたりすることもあります。

ただ、こんな私だからこそできることがあると思っています。たとえばカリスマ社長などの本を読むと、立派すぎてついていけない気がします。「常に前向きなモチベーションを持つ」なんていうけど、この人は今まで息切れをしたことがないんかいな・・・と。

辛くても辛いって言っちゃいけません・・・ってのは、たぶん、それ自体が苦痛なんだと思うんですよ。限りなくがんばれちゃう人は、がんばれなくなる人の気持ちが分からないと思います。助走をつけて滑走路から離陸しようとしていた気持ちが急に失速して墜落する気分。

少なくとも私にはそういうことが正直なところあります。それで自分を責め込んでしまうこともあるし、それで解決しないことも理解しています。冷静に考えてみれば「自分を責める原因を解決すればいい」ということになるんでしょうが、それがなんとかならないから余計に困るわけですね。

なんとも人の心というのは不思議なものです。他人の心はなかなか変えられないといいますが、自分の心だってなかなか操縦するのは大変なものです。特にうまく自分の心を操縦できていると思い込んで、無理な操縦をしているとアクシデントは突然やってきます。氷点下までまっさかさまということも珍しくはありません。

そんな氷点下にいる人たちに光を当てたいと思います。氷点下にいる層に輝きを感じてもらうことは、私自身を救うことでもあります。少なくともがんばりたいのにがんばれない層や、そもそもがんばることに意義が見出せない層が、どうやったら幸福を実感できる日々を送ることができるのか。私はそこを起点にして歩いていこうと考えています。

ちなみに私はがんばらなくても幸福にはなれると思っています。肩の力を抜いて自分の想像力をただひたすら広げてみる。動いてみる。感じてみる。

この話は社会効率ありきではありません。幸福効率を追求することにあります。幸福効率を上げることによる経済効果などはあるかもしれませんが、そこが目標ではありません。幸福に始まって幸福に終わるための追求です。

時間がかかるかも知れませんが、それでも息切れして止まることはしたくないのです。だからゆっくりと微速前進を続けています。自分でも呆れるほどに遅い歩みですが。

あ、宗教法人をやろうとは思ってませんので、あしからず(笑)。

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