IT業界とか、出版業界とか、働きすぎて突然壊れる人が多いらしいですね。生きるために働いているはずなのに、それが元で壊れてしまって、生きることが楽しくなくなるのはどうなんだろう。
たぶんね、みんなが働きすぎなのは、効率化したところにさらに仕事を詰めちゃうからなんだと思うんですよ。そうなるとスピード社会の加速は止まりませんな。それで心が疲れて壊れちゃう人が多くなったんじゃないのかな。
物理的な移動についても、情報流通の速さについても、人間の限界を突き破る勢いで加速してますもんね。人間の物理的能力は変わっていないのに、周辺機器の発展でできることが飛躍的に増えちゃった。
今や東京から九州まで行くなら、飛行機や新幹線を使えば数時間で着くのが常識。でも、人間本来の機能を使って歩いたら江戸時代以前に逆戻りですよ。まぁ、道路が整備されているし治安もよくなったから、当時よりは環境がいいかも知れないけど。(逆に当時の人より足が退化してるかもね。)
情報伝達にしてもそう。昔は手紙を出したってそれが届くのは数日後だったりしたのに、今じゃ電子メールで海外とですら数分で返事が戻ってきたり、ついでに資料が添付されていたりするんだもんね。携帯端末や携帯PCを持っていれば、いつでも手元に届いちゃう。
別に文明の発展を否定していないし、むしろいろいろと技術革新があるのはは大歓迎。ただ、人間本来の能力限界を超えた生活を続けているのだとしたら、見えないところでメンタル面にものすごい負担がかかってしまっているんじゃないかな?・・・とも思う点もあるんですよね。
効率化を徹底的に追求する一方で、そこから得られたメリットを人間環境に還元する試みが必要だと思います。現代人はストレスに弱くなったのか・・・という話もありますが、実際には効率化された時代の中でストレス密度が上がったんだと思います。
ストレス過多で壊れていくメンタルバランス。ここらで、歯止めをかけないといけない気がします。
+1
2009年4月26日日曜日
2009年4月21日火曜日
今、もくもくと・・・
これから始めようかな・・・と思っていることと関連深い(と思われる?)サイトを作ってます。
とても地味ですが、少しずつ原稿が集まってきました。
(そうは言っても全部自分で書いているんですが・・・)
そんなわけで、ブログの方が止まってしまってます。
誰も気にしちゃいねーだろ・・・という感じなんですが・・・。
ですが・・・。
いけませんね。
なるべくちゃんと書こうと思います。
それにしても、4/29には突然、舞台で寸劇に立つことになりそうで。
あと一週間もないのに、そして台詞もまだ決まってない・・・と。
仲間も含めて、度胸が据わっているというか、ムチャクチャというか。
あ、そういえば、今日、ハケンの仕事の中でのひと幕。
「7月のこの頃だと余裕があるとはずなので、この作業をお願いします」
せめて、9月には独り立ちできるように準備を進めたいものです。
とても地味ですが、少しずつ原稿が集まってきました。
(そうは言っても全部自分で書いているんですが・・・)
そんなわけで、ブログの方が止まってしまってます。
誰も気にしちゃいねーだろ・・・という感じなんですが・・・。
ですが・・・。
いけませんね。
なるべくちゃんと書こうと思います。
それにしても、4/29には突然、舞台で寸劇に立つことになりそうで。
あと一週間もないのに、そして台詞もまだ決まってない・・・と。
仲間も含めて、度胸が据わっているというか、ムチャクチャというか。
あ、そういえば、今日、ハケンの仕事の中でのひと幕。
「7月のこの頃だと余裕があるとはずなので、この作業をお願いします」
せめて、9月には独り立ちできるように準備を進めたいものです。
2009年4月16日木曜日
どんなことが好き?
適材適所というと意外と難しいイメージがあるんですけどね、要するに何をやってる時が楽しいのか・・・を元にするのがいいと思うんですよ。
仕事が大好きという人はあんまりいないかも知れません。もちろん、そういう人もいますが、私はあえて「そういう人は少ない」という目線で考えています。そして「仕事に行くのがシンドイ」と考えている人たちの目線で考えるようにしています。
なぜかというと、そういう人たちがどうやったら仕事を好きになるんだろう?・・・というメソッドを一から考えていきたいからです。モチベーションコントロールの本当に基礎の基礎の部分ですね。
たぶん巷にたくさんいるステキな経営者の方々は、働くのが大好きで、仕事に生きがいを感じる人がほとんどだと思います。つい、無意識に「人間はそうあるべきだ!」と思ってしまうし、「誰でも自分と同じくらいがんばれるだろう」なんて思っちゃう。
でも、残念ながら世の中はそういう人たちだけでは構成されていないんだよね。そして、ニーズに合わなかった人たちが、社会の雇用システムからこぼれ落ちてしまうんじゃないのかなぁ。
そういう人たちに対して、何か幸せなスタートラインを用意できないのかな・・・と最近考えています。そしてそれは従来型のスタートラインでなくていいと思っています。
ちなみに私の場合、仕事で「ラク」できた瞬間が一番嬉しいです。たとえば、もともと時間かけて苦労していたことを、作業手順書を効率化して作業時間が短縮できたとか、おびただしい数値処理をシステム化して一撃で処理できるようになったとか。
今までなかったはずの時間を新たに作り出すところに、私なりのクリエイティブを感じます。そういう仲間が集まるんだとしたら、とことん快適性と「ラク」にこだわった仕事をしたいなあと。そう思います。
ラクをするためならどんな苦労だってしますよ。
仕事が大好きという人はあんまりいないかも知れません。もちろん、そういう人もいますが、私はあえて「そういう人は少ない」という目線で考えています。そして「仕事に行くのがシンドイ」と考えている人たちの目線で考えるようにしています。
なぜかというと、そういう人たちがどうやったら仕事を好きになるんだろう?・・・というメソッドを一から考えていきたいからです。モチベーションコントロールの本当に基礎の基礎の部分ですね。
たぶん巷にたくさんいるステキな経営者の方々は、働くのが大好きで、仕事に生きがいを感じる人がほとんどだと思います。つい、無意識に「人間はそうあるべきだ!」と思ってしまうし、「誰でも自分と同じくらいがんばれるだろう」なんて思っちゃう。
でも、残念ながら世の中はそういう人たちだけでは構成されていないんだよね。そして、ニーズに合わなかった人たちが、社会の雇用システムからこぼれ落ちてしまうんじゃないのかなぁ。
そういう人たちに対して、何か幸せなスタートラインを用意できないのかな・・・と最近考えています。そしてそれは従来型のスタートラインでなくていいと思っています。
ちなみに私の場合、仕事で「ラク」できた瞬間が一番嬉しいです。たとえば、もともと時間かけて苦労していたことを、作業手順書を効率化して作業時間が短縮できたとか、おびただしい数値処理をシステム化して一撃で処理できるようになったとか。
今までなかったはずの時間を新たに作り出すところに、私なりのクリエイティブを感じます。そういう仲間が集まるんだとしたら、とことん快適性と「ラク」にこだわった仕事をしたいなあと。そう思います。
ラクをするためならどんな苦労だってしますよ。
2009年4月11日土曜日
ラクになったほうがいいと思う
今じゃ減ったんじゃないかなと思いますが、昔の小学生は宿題を忘れたりすると廊下に水の入ったバケツを持って立たされたもんです。
大人になると精神的なバケツをたくさん持つことになりますよね。「仕事」とか「責任感」とか「経済力」とか「生活」とか「プライド」とか、いろんなモノが入ったバケツ。
・・・もう、そういう執着とか、放り投げてみませんかね?
まぁ、すぐに責任感を放り出せだの、家庭を放り出せとか、そんなことは言わないんですけど、「プチ」で十分に「ラク」を体験することができると思いますよ。
たとえば、深刻な問題にならないことに限られますが、いつもの作業をちょっと手を抜いてみる。何も言わずにふらっと一人で出かけて自由を味わってみる。「あ?オレ?・・・うん、ダメ人間だよ?」と、ダメな自分を力いっぱい肯定してみるとか。
いいじゃん。ダメで。
ダメダメでも、たぶん、その人にしかできない何かがあるはずなんだと思います。それに気づくまでは、ダメダメでいいんだと思います。
かの有名な野口英世。今じゃ紙幣の顔になるくらい有名な医学者ですけどね、大成する前は学業や研究のために借りたお金を、そのまま夜遊びに注ぎ込んでパーにしちゃったダメダメ人間ですよ?
偉大な業績の裏に、そういうダメなところがあると安心しません?
ダメ要素って、人と人を近づける潤滑剤のような気がする今日この頃です。
だからいいじゃん。ダメで。
大人になると精神的なバケツをたくさん持つことになりますよね。「仕事」とか「責任感」とか「経済力」とか「生活」とか「プライド」とか、いろんなモノが入ったバケツ。
・・・もう、そういう執着とか、放り投げてみませんかね?
まぁ、すぐに責任感を放り出せだの、家庭を放り出せとか、そんなことは言わないんですけど、「プチ」で十分に「ラク」を体験することができると思いますよ。
たとえば、深刻な問題にならないことに限られますが、いつもの作業をちょっと手を抜いてみる。何も言わずにふらっと一人で出かけて自由を味わってみる。「あ?オレ?・・・うん、ダメ人間だよ?」と、ダメな自分を力いっぱい肯定してみるとか。
いいじゃん。ダメで。
ダメダメでも、たぶん、その人にしかできない何かがあるはずなんだと思います。それに気づくまでは、ダメダメでいいんだと思います。
かの有名な野口英世。今じゃ紙幣の顔になるくらい有名な医学者ですけどね、大成する前は学業や研究のために借りたお金を、そのまま夜遊びに注ぎ込んでパーにしちゃったダメダメ人間ですよ?
偉大な業績の裏に、そういうダメなところがあると安心しません?
ダメ要素って、人と人を近づける潤滑剤のような気がする今日この頃です。
だからいいじゃん。ダメで。
2009年4月8日水曜日
折れないように
「がんばらない」の次は「折れない」ことを大事にしていこうと思います。
逆にいうと、がんばらないから折れないということになるんですけど。
樹木でいえば「柳」。どんなに強風を食らってもしなるから折れない。
生きているといろんなコトがあります。
ベストを尽くしているつもりでも、振るわない結果になることもあります。
で、辛いときは思いきって泣いた方がいいなんていうじゃないですか。
まぁ、それもアリ。
でも、一方で「鈍感」になるというのもアリなんじゃないかと思います。
メンタルタフネスというのは「鈍感」を利用した産物なのかもしれません。
台風が荒れ狂っている時に泣き叫んでも、決して台風は去りはしません。
嵐の時には心を落ち着けて、通り過ぎていくのを待つしかないんですよ。
嵐に向かって叫んでも、答えなんて返ってこないんだから。
逆にいうと、がんばらないから折れないということになるんですけど。
樹木でいえば「柳」。どんなに強風を食らってもしなるから折れない。
生きているといろんなコトがあります。
ベストを尽くしているつもりでも、振るわない結果になることもあります。
で、辛いときは思いきって泣いた方がいいなんていうじゃないですか。
まぁ、それもアリ。
でも、一方で「鈍感」になるというのもアリなんじゃないかと思います。
メンタルタフネスというのは「鈍感」を利用した産物なのかもしれません。
台風が荒れ狂っている時に泣き叫んでも、決して台風は去りはしません。
嵐の時には心を落ち着けて、通り過ぎていくのを待つしかないんですよ。
嵐に向かって叫んでも、答えなんて返ってこないんだから。
2009年4月6日月曜日
がんばらない
「がんばらない」ということをテーマにしていきたいと思います。前からウスウス思っていたんですが、がんばるのやめようと思うんですよ。そういう意味で「がんばらない」宣言をしようかと。
たとえば、走るのが苦手なのに走らされている人。この人はがんばってます。でも、ジョギングやマラソンが好きで走っている人。この人はがんばっているというのとはちょっと違うと思うんです。
もっと分かりやすい例でいけば、ゲームで徹夜しちゃった人は別にがんばってないんです。楽しくてやってるだけなんだから。ただ、同じゲームの徹夜でもそれが動作テストなどの仕事だったら、がんばっている人になるのかもしれませんが。
もうちょっとマトモに解説すると「やらされる仕事は絶対にやらない」ということです。「やりたいこと」は苦労しなくてもがんばらなくてもできるんです。苦労したりがんばったり・・・という意識が生まれることというのは、たぶんやりたくないことだと思います。
もちろん、根本において「やりたくないことをやらない」ということです。たとえば「帳簿をつけるのが苦手」だったとしても、やりたい仕事の付随業務だったらやるワケですよ。でも、根本的にやりたくない仕事の付随業務だったらいやだなーと思うってことです。
さて、なんで、がんばらない宣言をあえてしたのかといいますと、がんばりたいのにがんばれなかったり、そもそもがんばることに意義が見出せない人たちが、能力を発揮できる職場環境はないだろうかと考えているからです。がんばれちゃう人には見えない世界にスポットライトを当ててみたいと思っているからです。
そういう人たちと何かできないかなと思っています。そこで、
夢中になって思わず勝手に没頭することもあるかも知れませんが、でも基本的に「がんばらない」スタイルを貫いていければと思っています。ワクワクしないコトはやらない。
・・・でもね。アレですよ。
なんだかんだ躊躇しましたけどね。
ここに書くのを。
たとえば、走るのが苦手なのに走らされている人。この人はがんばってます。でも、ジョギングやマラソンが好きで走っている人。この人はがんばっているというのとはちょっと違うと思うんです。
もっと分かりやすい例でいけば、ゲームで徹夜しちゃった人は別にがんばってないんです。楽しくてやってるだけなんだから。ただ、同じゲームの徹夜でもそれが動作テストなどの仕事だったら、がんばっている人になるのかもしれませんが。
もうちょっとマトモに解説すると「やらされる仕事は絶対にやらない」ということです。「やりたいこと」は苦労しなくてもがんばらなくてもできるんです。苦労したりがんばったり・・・という意識が生まれることというのは、たぶんやりたくないことだと思います。
もちろん、根本において「やりたくないことをやらない」ということです。たとえば「帳簿をつけるのが苦手」だったとしても、やりたい仕事の付随業務だったらやるワケですよ。でも、根本的にやりたくない仕事の付随業務だったらいやだなーと思うってことです。
さて、なんで、がんばらない宣言をあえてしたのかといいますと、がんばりたいのにがんばれなかったり、そもそもがんばることに意義が見出せない人たちが、能力を発揮できる職場環境はないだろうかと考えているからです。がんばれちゃう人には見えない世界にスポットライトを当ててみたいと思っているからです。
そういう人たちと何かできないかなと思っています。そこで、
夢中になって思わず勝手に没頭することもあるかも知れませんが、でも基本的に「がんばらない」スタイルを貫いていければと思っています。ワクワクしないコトはやらない。
・・・でもね。アレですよ。
なんだかんだ躊躇しましたけどね。
ここに書くのを。
2009年4月3日金曜日
ビソク前進する理由
私は決して模範的な人間じゃありません。面倒くさいことをするのが人一倍苦手だったりするし、たまに行く先を見失ったりもします。とてつもなく怠惰な自分に焦ったり、流されたりすることもあります。
ただ、こんな私だからこそできることがあると思っています。たとえばカリスマ社長などの本を読むと、立派すぎてついていけない気がします。「常に前向きなモチベーションを持つ」なんていうけど、この人は今まで息切れをしたことがないんかいな・・・と。
辛くても辛いって言っちゃいけません・・・ってのは、たぶん、それ自体が苦痛なんだと思うんですよ。限りなくがんばれちゃう人は、がんばれなくなる人の気持ちが分からないと思います。助走をつけて滑走路から離陸しようとしていた気持ちが急に失速して墜落する気分。
少なくとも私にはそういうことが正直なところあります。それで自分を責め込んでしまうこともあるし、それで解決しないことも理解しています。冷静に考えてみれば「自分を責める原因を解決すればいい」ということになるんでしょうが、それがなんとかならないから余計に困るわけですね。
なんとも人の心というのは不思議なものです。他人の心はなかなか変えられないといいますが、自分の心だってなかなか操縦するのは大変なものです。特にうまく自分の心を操縦できていると思い込んで、無理な操縦をしているとアクシデントは突然やってきます。氷点下までまっさかさまということも珍しくはありません。
そんな氷点下にいる人たちに光を当てたいと思います。氷点下にいる層に輝きを感じてもらうことは、私自身を救うことでもあります。少なくともがんばりたいのにがんばれない層や、そもそもがんばることに意義が見出せない層が、どうやったら幸福を実感できる日々を送ることができるのか。私はそこを起点にして歩いていこうと考えています。
ちなみに私はがんばらなくても幸福にはなれると思っています。肩の力を抜いて自分の想像力をただひたすら広げてみる。動いてみる。感じてみる。
この話は社会効率ありきではありません。幸福効率を追求することにあります。幸福効率を上げることによる経済効果などはあるかもしれませんが、そこが目標ではありません。幸福に始まって幸福に終わるための追求です。
時間がかかるかも知れませんが、それでも息切れして止まることはしたくないのです。だからゆっくりと微速前進を続けています。自分でも呆れるほどに遅い歩みですが。
あ、宗教法人をやろうとは思ってませんので、あしからず(笑)。
ただ、こんな私だからこそできることがあると思っています。たとえばカリスマ社長などの本を読むと、立派すぎてついていけない気がします。「常に前向きなモチベーションを持つ」なんていうけど、この人は今まで息切れをしたことがないんかいな・・・と。
辛くても辛いって言っちゃいけません・・・ってのは、たぶん、それ自体が苦痛なんだと思うんですよ。限りなくがんばれちゃう人は、がんばれなくなる人の気持ちが分からないと思います。助走をつけて滑走路から離陸しようとしていた気持ちが急に失速して墜落する気分。
少なくとも私にはそういうことが正直なところあります。それで自分を責め込んでしまうこともあるし、それで解決しないことも理解しています。冷静に考えてみれば「自分を責める原因を解決すればいい」ということになるんでしょうが、それがなんとかならないから余計に困るわけですね。
なんとも人の心というのは不思議なものです。他人の心はなかなか変えられないといいますが、自分の心だってなかなか操縦するのは大変なものです。特にうまく自分の心を操縦できていると思い込んで、無理な操縦をしているとアクシデントは突然やってきます。氷点下までまっさかさまということも珍しくはありません。
そんな氷点下にいる人たちに光を当てたいと思います。氷点下にいる層に輝きを感じてもらうことは、私自身を救うことでもあります。少なくともがんばりたいのにがんばれない層や、そもそもがんばることに意義が見出せない層が、どうやったら幸福を実感できる日々を送ることができるのか。私はそこを起点にして歩いていこうと考えています。
ちなみに私はがんばらなくても幸福にはなれると思っています。肩の力を抜いて自分の想像力をただひたすら広げてみる。動いてみる。感じてみる。
この話は社会効率ありきではありません。幸福効率を追求することにあります。幸福効率を上げることによる経済効果などはあるかもしれませんが、そこが目標ではありません。幸福に始まって幸福に終わるための追求です。
時間がかかるかも知れませんが、それでも息切れして止まることはしたくないのです。だからゆっくりと微速前進を続けています。自分でも呆れるほどに遅い歩みですが。
あ、宗教法人をやろうとは思ってませんので、あしからず(笑)。
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