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2012年3月7日水曜日

ラクなことの是非

実は、このブログのエントリは書き上がるまでに数日をかけているものがある。「いい内容にならないから毎日ずっと考え続けている」……というわけではなく、ぱっと書き始めてから「下書き」の状態で保存して、そのままになってしまっているものがあるというだけのことだ。

シロウトという気楽な立場ということもあり、書いていてあまりテンションが上がらなかった原稿はそのまま放置してしまうことが多い。そして、もっとテンションが上がりそうな原稿に取りかかる。だから、このブログの原稿置き場には「未公開」のエントリが並んでいたりする。

そして、一度テンションが落ちてしまった下書きも、時間をおいておくとテンションが回復していて、ずっと筆(キーボード?)が進むことがある。テンションの下がった状態を無理に続けることは、精神的にも時間的にも無駄なことだと思っているので、私にとっては現時点で最適解なのだ。

さて、久しぶりに古い「下書き」を覗いてみたら、なんとハケンをやっていたときの未公開原稿を見つけた。ちょっと加筆してみようかと思ったが、驚くべきことに一年以上前に書いた原稿は、今の自分が読んでも納得する内容だったので、そのまま公開してみようと思う

▼▼▼==========【ラクなことの是非】==========▼▼▼

「すべらく!」というサイトを運営していることからも分かるように、私はラクをすることが大好きだ。ラクをするための仕組みを考えることが大好きだ。そういうコトを書くと「最近の若いヤツは汗水たらさないで、ラクするコトばっかり考えやがる!」とか「ラクばかりして、汗水をたらさない仕事なんて仕事じゃない!」なんて白眼視される傾向が強いんじゃないだろうか。

汗水たらして働くコトはそれはそれで素晴らしいことだと思う。しかし「ラクするコトばっかり考えやがる!」という批判についてはいささか腹立ちを覚える。私の感覚からすればまったく時代錯誤で前時代的なトンチンカンな批判だと思う。少なくとも自分の生きてきた世界の価値観だけを見ていて、これからの未来をまったく見ていないと個人的に思っている。

汗水たらしてラクをしないことが美徳だと主張する人は、車にも電車にも乗らないほうがいいだろう。ラクするコトを考えずに汗水たらして歩けばいいじゃないかと思う。人と話がある時は携帯電話どころか電話も使わず、直接、相手のところまで汗水たらして出向いていけばいいんだと思う。

わざわざそんな面倒なコトをしたくない「ラクをしたい」人がいたからこそ、車や電車が存在するし、電話が存在するし、さらに便利な携帯電話が存在する。自分を取り巻く世界が受けている恩恵は「ラクをしたい」という願望から生まれていることが多いと思う。

自らがそういう便利なモノの恩恵を受けていながら「ラク」を批判することは明らかな矛盾だ。みんなが汗水たらして働く仕事をするようになったら、間違いなく今までにいたる文明は崩壊するよ。「ラクをすることを考えず、つらくても必死で汗を流すことがいい。」というのは、完全に旧時代的なファンタジーだと思う。現代社会には「肉体労働」だけじゃなく「頭脳労働」も必要なのだ。どちらかだけではダメだと思う。

ただ「ラクをする」というのが大好きな私も、「ラク」をする「ラク」の種類にはこだわりがある。

「何も考えなくても、ずっと同じコトだけ続けていればいいからラクだ。」

というのは、私にとっての「ラク」じゃない。ラクになったことをずっと続けるだけというのは苦痛だ。私にとっての「ラク」とは、今まで「ラクじゃなかった」ものが「ラクになった」と実感できるコトだ。だから、何かひとつをラクにしたら、何か他の「ラクじゃない」ものを探し歩くことになるんだろうと思う。

そういう意味では、私自身も矛盾を抱えて生きている。ラクを実感するにはその真逆を知らなければ、決してラクをできないということだ。ラクをするコトが大好きな人にとって、もしもラクしかない世界が実現してしまったら、何もするコトがない世界になってしまう。

ちなみに、今、ハケンをしているが、これもまた「ラク」な環境と言えるだろう。仕事の根本を考えなくとも仕事が与えられ、それを解決さえしていればお金がもらえる世界なのだから。その代償としてプライドを売り渡さなければならない場面はあるが、仕事を必死に考えなくても生きていける環境だ。自分で仕事を考えて、仕事を引っ張ることを考えたらどこまでもラクな世界だと思う。少なくとも短期的には。

ただ、長期的に今の環境を眺めてみると、私にとっては決して「ラク」な環境でないことを知っている。ハケンだけでやっていくという選択は、自分で自分自身の生き方をコントロールできない生き方だからだ。仕事の根本を考えなくてもいい環境は、仕事の根本を考える力が鍛えられない環境なのだ。大した技術力がなくとも回ってしまう環境にいれば、それ以上の技術力を身につけられない環境なのだ。これほど危険な環境があるだろうか。

また、時間の経過に従って自らの体力も経年変化することだろうし、時間を重ねれば重ねるほど契約の打ち切りリスクも増大するだろう。そして10年続いたとしても、時給はいつまでたっても据え置きだろう。もっと現実的に考えれば減少方向に移行することも想像に難くない。10年前に同じ現場にいたプロパーとは驚くくらいに収入に格差ができているだろう。その時にハケン以外の生き方をしようとしても、その時点で選べる選択肢はほとんど枯れ果てているはずだ。

これがハケンをずっと続けていった先に見える悲劇のシナリオだ。どうしてここまで最悪のパターンを考えるかといえば、自分でコントロールできない力に寄りかかって生きる場合、その力が影響を示す範囲でしか生きていけないことを意味しているからだ。中途半端な飼い犬は捨てられた後がミジメだ。エサをもらうことに慣れてしまい、自分でエサを確保できなければ死んでいくしかない。

このように、短期的に「ラク」そうに見えることには大きな危険が潜んでいることがある。さりとて、長期的な「ラク」だけを追っていると、苦労した経験だけを残して早死にしてしまう可能性もある。だから「ラク」をするにしても、「近い未来」と「遠い未来」の両方をバランスよく追いかけることが必要なんだと思う。
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今もハケンをしている人にメッセージを送るとしたら、「夢を持ってハケンをしてほしいな」ということ。ただ、明確な夢がないなら、なるべく早くハケンを辞めて正社員になった方がいいと思う。「それができないからハケンなんだ!」という方は、遊ぶ時間を削ってでも新しいスキルを身につけた方がいい。「ハケンは『いつか切り捨てられる宿命』なんだ」ということを忘れちゃいけないと思う。




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