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2011年4月12日火曜日

就労継続支援不要論?

就労継続支援についてよく聞かれる。就労継続支援とは「仕事に行きたくない人をなんとかして仕事に行くように仕向ける」お仕事だ。正直、私は福祉畑からの人間ではないので、なんだかとっても違和感を感じてしまう。

本人は掃除が嫌いなのに「掃除の仕事ならできるから」と、掃除の仕事をむりやり押し当てて、なだめすかしてなんとか仕事を「継続」させるような実話がある。でも、こんなことを無理に続けたところで楽しいわけがない。誰にとっても幸せな流れじゃない。

就労移行支援事業に携わっている私がこんなことを言ってしまってはいけないのかもしれないが、それでもあえて言いたい。「やりたい仕事に就くことは人間の権利」だ。しかし、その一方で「やりたくない仕事を辞めることも人間の権利」だと思っている。

実際のところ、いわゆる「健常者」の中には転職をしながら理想の仕事に近づいている人もいる。ところが障碍を持っている人ということになると状況は一変する。どんなにつまらない仕事でも「次がないんだから」という理由で仕事にしがみつくしかなくなる。

これは二つの意味で不幸だと思う。まず精神的に「次がない」と追い詰められることが不幸だ。そして「仕方なく仕事をする」というスタンス自体も不幸だ。結果的にこのふたつの不幸を同時に体験すると、心と体がやられてしまう。

仕事が楽しくて楽しくて仕方がない。というのは「次を選ぶ選択肢がある」という状態で、自ら選んで「好きな仕事をする」ということだ。誰かに選ばされる限定的な人生に幸せなどない。「自ら仕事をする」という意識そのものが幸せではないか。

このように継続的な仕事人生を生きるために必要なことがふたつある。ひとつは「自分自身を信じて自らスキルを伸ばすこと」だ。この姿勢は「次を選ぶ選択肢」を増やしてくれる。そしてあとひとつは「仕事を楽しんだことのある成功体験」だ。

「自らのスキルを伸ばす姿勢」と「仕事を楽しむ姿勢」は、人生そのものを豊かにする。こういう人には「就労継続支援」そのものが不要だと思う。もちろん仕事をしていれば、イヤなことはあるだろう。これは間違いない。

では、イヤなことがあった時にどうすればいいかといえば、信頼できる人に相談すればいい。元気をなくした心にエネルギーを与えてくれる人と話をすればいい。これが「就労継続支援」と言われればそうとも言える。でも、これはいわゆる「健常者」といわれる人でも同様だ。

つまり、「仕事を楽しむために必要な二つの姿勢」と「ストレスを感じている時に適切な心のケア」があれば仕事は継続していける。前者は就労移行支援事業の中で利用者自らが身につける必要があるし、後者は特別に「就労継続支援」などと呼ぶまでもないと思っている。障碍の有無に関係なく必要なことだからだ。

「理想」と言われてしまえばそれまでだが、私にとって理想的な「就労継続支援」というのは、特別な「就労継続支援」を行わなくてもよいだけの「姿勢」が身についている状態だ。つまり、就職するための準備が終わった時点で勝負はすでについていると考えている。

もし、それでも「就労継続が無理」という状態になってしまったら?

その時には「次を選ぶ選択肢」を信じて、仕切り直すのがいいと私は思う。自己都合退職でかまわない。いったん「就労継続」が難しい事態になれば、当事者はつらいだけだし、企業にとってもメリットが薄いし、支援者は無駄な労力を使うことになるだけだ。

もちろん「ダメになったらすぐに辞めればいいじゃないか」と短絡的に考えているわけではないことは強調しておきたい。ただ、高い就労意識があったとしても「相性」というものは存在する。また、高い就労意識ゆえに上を目指したくなることもあるだろう。

基本的に本人の望みと仕事内容(質・量ともに)が一致していれば、「就労継続支援」は無用なのだ。全ての人には役割があり、輝ける居場所があるのだ。またそれを受け入れると幸せになれる人たちもいることだろうと思う。

そのためにも雇用側は「障碍者は戦力外」と頭から決めつけてはいけないし、当事者も「雇用側にナメられないスキル」を持つ方がいい。お互いにあきらめちゃいけない。がっちりと仕事を楽しむ仲間として手を組めば、きっと面白い仕事ができると思う。

そういう望ましい環境に「就労継続支援」の出る幕はない。

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