精神障碍の人が就労する場合の、ハードルの高さを考えています。
それは就労時間の短さとも、欠勤確率の高さとも言われています。
実際、一日5時間の週4日というケースも確かに珍しくありません。
が、実際にはすべての当事者に当てはまるワケでもありません。
欠勤を全くしないで頑張っている当事者もけっこういるんです。
作業所で当事者を眺めていても、例外はいっぱいあるようです。
でも、精神障碍の当事者は「根性ナシ」と思われることが多いです。
「だって、就労が決まっても、ヤツラ、すぐ辞めちゃうじゃん。」
・・・まあ、持続しないケースも確かにけっこう多いみたいです。
で、私はこの「持続性」の原因自体にものすごく興味があります。
たとえば、ものすごく働きたくない職場で働いているとします。
ただ、生活のためには仕方がないから働いているとしましょう。
・・・正直なところ、そんな環境なら私でも持続できません。
でも、極端に雇用先がない状況はそういう状況を生み出します。
実際に精神疾患の人を受け入れたくない企業は相当数あります。
そして選択肢が狭まった状態で、職業選択を迫られるわけです。
で、「入れただけでも幸せなんだからがんばりなさい」とか。
ある意味「入れただけでも幸せ」はその通りなんですけどね。
だけど、一方ではちょっと違和感を感じたりもするんですよ。
狭い選択肢から選んだその仕事は、本当にやりたかったのか?
・・・って。
精神障碍の当事者が働きたい・・・というとどこでしょうか?
たとえば「掃除」とか、たとえば「事務」とか。よく聞きます。
「でもさあ、その『清掃』って、本当にやりたい仕事なの?」
と聞きたくなったりするんです。
「その『事務』というのは、たとえば具体的に何したいの?」
と聞きたくなったりもします。
もちろん、清掃業が心から好きなら「清掃業務」全然アリです。
仕事自体としては、とっても大事な仕事だと思っていますから。
ただ、選んだ仕事が、本当に好きかどうかは大切だと思います。
精神障碍って、語弊を恐れずに書いちゃえば「正直病」ですよ。
いわゆる健常者って「本当はキツイんだけど」耐えきっちゃう。
「正直、8時間労働って超キツイっすよ」と思っていたとしても。
だけど「正直病」にかかっていると、ゴマカシがききません。
キツイ状況に置かれると、体が先にやられちゃったりしちゃう。
それでは、本当は働きたくない環境でもし働いていたとしたら?
・・・そりゃ辞めちゃいますよね。だって正直病なんですもの。
限られた職業選択肢の中に、好きな仕事がないのって不幸です。
「離職率の高さの原因ってそこなんじゃないの?」と思います。
だからね、求職者側も福祉に「してもらう」だけじゃダメです。
具体的に「自分は何をすると幸せなんだろう」を考えなくちゃ。
で、「どの仕事をすると幸せに近づくんだろう?」って考える。
考えるというより「妄想」レベルでも構わないと思っています。
現実を見すぎて、夢や希望を失うくらいなら妄想した方がいい。
妄想から、自分の目指したい方向性を見つけりゃいいんですよ。
選択肢がないのなら、自分から選択肢を作る選択肢もあります。
「自分自身の幸せを追いかけている実感」=「モチベーション」
なんじゃないかな・・・と私は思うんです。
就労支援側も、選択肢を増やす努力をした方がいいと思います。
与えられた選択肢からの脱却を目指した方がいいんだろうなと。
そういう志で、私は精神障碍の当事者向けの講座を担当します。
正直、IT業界で働いていた時よりも、収入は大幅にダウンです。
時給ベースで考えたら半減なんて言葉じゃ足りないくらい薄給。
ただ、長期的視野でビジネスを考えているのでできるだけです。
当面は個人的に大赤字だけど、ひとつの投資だと考えています。
要するに「幸せを追いかけているつもり」だからできるんです。
自分なりのモチベーションがあるから、できるってだけです。
そのために未来に対する建設的な妄想が必要なんだと思います。
で、それは精神障碍の当事者だって、そうなんじゃないかなと。
個人的にはこんなことを考えています。
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