2009年の12月をもってハケンを辞めることにしました。
現場側では継続できる方向で考えていてくれていました。
だからハケン切りではありません。
そんなワケで「脱出編」はそろそろ終わる予定です。
千葉のNPOの精神障碍の作業所でIT即戦力講座を始めます。
11月から毎週金曜日に本気でIT現場で必要な技術を教えます。
適性のありそうな人を全力で育てていくということです。
私にとって「適性」というのは実に簡単な定義だったりします。
「興味があること」「やっていて楽しいこと」のふたつだけ。
私がIT関連の業界で生きてきたのも、このふたつがあってこそ。
だから、このふたつを満たせば、受講資格があると思っています。
そういう意味でITの面白さを伝えていくことが最初の任務です。
ちなみにIT系の講座といっても、ありがちな講座にはしません。
必要な知識を全部詰め込んでいく・・・ということもしません。
知識だけではないところで、私が重要視していることがあります。
それは「自分で解決していく力」をを身につけることです。
だから、私はこの講座には自分なりの「こだわり」を込めます。
具体的には・・・。
いえいえ、これは実際に結果が出てから公表したいと思います。
受講者にもワクワクしてほしいので、ネタバレできないんです。
私が講座をやる上で考えている達成目的はただひとつ。
企業から「喜んで採用したい」と言われる人材を育てること。
数値目標としては、採用実績を1年以内に達成することです。
人数はとりあえず1人でもいいかな。そう、たった1人でいい。
その1人がとっても大事。
その後のロールモデルという意味で。
「あ、ここでがんばると本当に道が開けるんだ!」
という意識付けになればいいと思うんです。
あ、でも「たった1人」というのはちょっと訂正。
もちろん、それ以上を狙います。
+1
2009年10月16日金曜日
しあわせの定義
これを考えるのと考えないのでは、だいぶ違うんじゃないかな。
自分にとって「しあわせ」ってなんだろうって考えること。
しあわせになりたいっていう人はけっこういるんだけど。
でも、具体的に何・・・っていうと、困る人も多いような。
しあわせは歩いてこないけど、歩くだけでもダメなんだよね。
どこに向かって歩くべきなのか、考えていないといけない。
それが、本来、人生の選択になってなきゃいけない気がする。
たとえば、仕事にしてもそうなんじゃないかなって思う。
大学時代に就職活動しなきゃいけない時、それが一番困った。
やりたい仕事なんて、正直言ってみれば何にもなかったし。
高収入でラクだったらいいよなあ・・・って思う程度だった。
何もしないでお金がもらえるなら、一生働かないのになーと。
最初の就職に失敗して、自分に合わない会社に入っちゃった。
そこを辞めたのをきっかけにいろんな職場を渡り歩いてきた。
別に飽き性だったワケではないんだけど、結果的にそうなった。
世の中一般的には誉められた話じゃないけど、後悔はしてない。
いろんな職場を渡り歩いたおかげで、大事なコトに気づいた。
それを書き始めると長くなっちゃうから、それは別の機会に。
ただ、仕事と仕事の間で時間的な隙間ができた時期があった。
仕事についてどうしようかって、今後を考えてた頃だった。
働かなくても生きていける・・・という不思議な時期だった。
理想的だと思ってたんだけど、実際はそんな感じでもない。
いつもが休日でいつでも遊びに行けちゃう。とっても自由。
でも周りを見渡すと、当然だけどみんな働いているんだよね。
仕事場なら仲間がいるんだけど、仕事がないとそれもない。
結局、すっごく孤独感ばっかりが募っちゃった記憶がある。
しあわせっていうモノは「無制限な自由」でもないらしい。
で、「仕事をしない」というコトがしあわせでもなかった。
会社員になるか、それとも自分の夢を追いかけるか考えた。
で、自分の夢を追いかけるため、つなぎでハケンを選んだ。
ハケンを選んだ時点で、いずれ事業をやることは大前提。
普通に考えると、34歳でハケンを選ぶのは勇気がいった。
いくら将来の夢のためとはいえ、かなり遠回りな感じだ。
そもそも30代後半になれば、一般入社だって険しくなる。
・・・と、このあたりも書くと長くなりそうなので割愛。
#ちなみにハケンは辞めるときもそれなりに勇気がいる。
くだらないコトだけど、ハケンを始めるのは屈辱だった。
働き始めて思い知ったんだけど、最下級の一兵卒だからね。
ましてや知らない現場に入れば、単なる使えない野郎だ。
自分ってこんなに使えないヤツだったのかとか、自己嫌悪。
でも、そんな毎日の中に「しあわせ」が隠れていたりした。
自分が過去に体得した知識で業務効率が上がった時とか。
「自分の存在が社会の一部に影響を与えてる」って感覚。
世の中で空気のように忘れ去られた自分を取り戻した感じ。
「自分が社会の役に立つと思えるコトって大事なんだな。」
と初めて感じた。自分にとっては効率化がしあわせだった。
面倒な作業で苦しんでいる人を助けるのが私の喜びだった。
自分が好きな分野で役に立てるというのは、しあわせだ。
つまり、仕事を選ぶときに大事なことは「しあわせ」だ。
仕事を選ぶのは、けっこう深く考えなきゃいけないと思う。
自分がどういうことで「しあわせ」なのか。適性は後だ。
今、アイデアを事業化するため、具体的に行動している。
まず、やっていて自分が「しあわせ」になれることをする。
そしてそこに関わる人が「しあわせ」になれることをする。
そこはブレないようにしていきたいな。
自分にとって「しあわせ」ってなんだろうって考えること。
しあわせになりたいっていう人はけっこういるんだけど。
でも、具体的に何・・・っていうと、困る人も多いような。
しあわせは歩いてこないけど、歩くだけでもダメなんだよね。
どこに向かって歩くべきなのか、考えていないといけない。
それが、本来、人生の選択になってなきゃいけない気がする。
たとえば、仕事にしてもそうなんじゃないかなって思う。
大学時代に就職活動しなきゃいけない時、それが一番困った。
やりたい仕事なんて、正直言ってみれば何にもなかったし。
高収入でラクだったらいいよなあ・・・って思う程度だった。
何もしないでお金がもらえるなら、一生働かないのになーと。
最初の就職に失敗して、自分に合わない会社に入っちゃった。
そこを辞めたのをきっかけにいろんな職場を渡り歩いてきた。
別に飽き性だったワケではないんだけど、結果的にそうなった。
世の中一般的には誉められた話じゃないけど、後悔はしてない。
いろんな職場を渡り歩いたおかげで、大事なコトに気づいた。
それを書き始めると長くなっちゃうから、それは別の機会に。
ただ、仕事と仕事の間で時間的な隙間ができた時期があった。
仕事についてどうしようかって、今後を考えてた頃だった。
働かなくても生きていける・・・という不思議な時期だった。
理想的だと思ってたんだけど、実際はそんな感じでもない。
いつもが休日でいつでも遊びに行けちゃう。とっても自由。
でも周りを見渡すと、当然だけどみんな働いているんだよね。
仕事場なら仲間がいるんだけど、仕事がないとそれもない。
結局、すっごく孤独感ばっかりが募っちゃった記憶がある。
しあわせっていうモノは「無制限な自由」でもないらしい。
で、「仕事をしない」というコトがしあわせでもなかった。
会社員になるか、それとも自分の夢を追いかけるか考えた。
で、自分の夢を追いかけるため、つなぎでハケンを選んだ。
ハケンを選んだ時点で、いずれ事業をやることは大前提。
普通に考えると、34歳でハケンを選ぶのは勇気がいった。
いくら将来の夢のためとはいえ、かなり遠回りな感じだ。
そもそも30代後半になれば、一般入社だって険しくなる。
・・・と、このあたりも書くと長くなりそうなので割愛。
#ちなみにハケンは辞めるときもそれなりに勇気がいる。
くだらないコトだけど、ハケンを始めるのは屈辱だった。
働き始めて思い知ったんだけど、最下級の一兵卒だからね。
ましてや知らない現場に入れば、単なる使えない野郎だ。
自分ってこんなに使えないヤツだったのかとか、自己嫌悪。
でも、そんな毎日の中に「しあわせ」が隠れていたりした。
自分が過去に体得した知識で業務効率が上がった時とか。
「自分の存在が社会の一部に影響を与えてる」って感覚。
世の中で空気のように忘れ去られた自分を取り戻した感じ。
「自分が社会の役に立つと思えるコトって大事なんだな。」
と初めて感じた。自分にとっては効率化がしあわせだった。
面倒な作業で苦しんでいる人を助けるのが私の喜びだった。
自分が好きな分野で役に立てるというのは、しあわせだ。
つまり、仕事を選ぶときに大事なことは「しあわせ」だ。
仕事を選ぶのは、けっこう深く考えなきゃいけないと思う。
自分がどういうことで「しあわせ」なのか。適性は後だ。
今、アイデアを事業化するため、具体的に行動している。
まず、やっていて自分が「しあわせ」になれることをする。
そしてそこに関わる人が「しあわせ」になれることをする。
そこはブレないようにしていきたいな。
2009年10月14日水曜日
怒らない怒らない
今、ハケン先で若手のお世話をしたりもしているんだけど、最近、ものすごく気をつけていることがあります。まー、こっちもハケン、あっちも委託の人ということで、職制的の上下はないんだけどどうしても教える状況が多いせいか、パワーバランス的には強気なことが言えそうな立場になってます。
で、たまに面白いくらいに正解から距離の離れた失敗とかをやらかすんだけど、とにかく腹を立てない、怒らない・・・というコトを自分に課しています。元々、私は瞬間湯沸かし器みたいな性格だもの・・・だから言葉にするよりも先に、腹の底からこみ上げるエネルギーを心の中で押し戻すんです。
これが自分のストレス値を上げずに自然にできるようにしたいんですよ。っていうのは、怒るのってすごくラクなんですよね。腹が立つコトがあったら我慢なんてしないで、怒涛のように怒ってしまえば・・・すっきりするじゃないですか?
でもそれって「自分自身がすっきりする」だけなんですよ。自分自身がすっきりするために、「ストレス」を相手になすりつけているだけなんです。だから、それをなすりつけられた相手は当然ストレスを抱えるワケです。
その相手のストレス耐性値が非常に低いとしたら、そのストレスで仕事が続行不能になってしまうかも知れません。昔は「怒鳴りつけられてもついてくる骨のあるヤツ」だけいればよかったかもしれませんが、最近は「うつ」などの精神疾患で精神的にやられている人も多くなってきました。
そういう人たちのパフォーマンスを引き出すためには、一昔前とは異なるアプローチが必要になってきているんじゃないかと思います。以前の常識とは異なるメソッドが必要になってくるわけです。そのあたりの面白い試みをこれからスタートさせようと思っています。
そのための心構えとして「怒らない、怒らない・・・」を続けていこうと思います。本来、熱血な私にとっては、わりと精神修養チックな感じではありますが。
で、たまに面白いくらいに正解から距離の離れた失敗とかをやらかすんだけど、とにかく腹を立てない、怒らない・・・というコトを自分に課しています。元々、私は瞬間湯沸かし器みたいな性格だもの・・・だから言葉にするよりも先に、腹の底からこみ上げるエネルギーを心の中で押し戻すんです。
これが自分のストレス値を上げずに自然にできるようにしたいんですよ。っていうのは、怒るのってすごくラクなんですよね。腹が立つコトがあったら我慢なんてしないで、怒涛のように怒ってしまえば・・・すっきりするじゃないですか?
でもそれって「自分自身がすっきりする」だけなんですよ。自分自身がすっきりするために、「ストレス」を相手になすりつけているだけなんです。だから、それをなすりつけられた相手は当然ストレスを抱えるワケです。
その相手のストレス耐性値が非常に低いとしたら、そのストレスで仕事が続行不能になってしまうかも知れません。昔は「怒鳴りつけられてもついてくる骨のあるヤツ」だけいればよかったかもしれませんが、最近は「うつ」などの精神疾患で精神的にやられている人も多くなってきました。
そういう人たちのパフォーマンスを引き出すためには、一昔前とは異なるアプローチが必要になってきているんじゃないかと思います。以前の常識とは異なるメソッドが必要になってくるわけです。そのあたりの面白い試みをこれからスタートさせようと思っています。
そのための心構えとして「怒らない、怒らない・・・」を続けていこうと思います。本来、熱血な私にとっては、わりと精神修養チックな感じではありますが。
2009年10月8日木曜日
障碍ってなんだ?
本音でたまに思うんですけどね。
障碍って一体なんなんでしょうね。
引き算で欠点を見るから、おかしなコトになるのかもしれないなと。
ヘリコプターは空を飛べるけど、海には潜れない。
これは欠点なんだろうか?
潜水艦は海に潜れるけど、空は飛べない。
これも欠点なんだろうか?
車は空を飛ぶことも、海に潜ることはできない。
これは欠点だらけなんだろうか?
そういうワケじゃないんだよね。
それぞれに活躍すべきフィールドがあったりする。
人間もそういうコトなんじゃないかなと思う。
たとえば、目の見えない人なんかではすごい人がいる。
初めての人たちとミーティングをすると、名前を覚えるのが大変。
さらに顔と名前を一致させるだけでも、実はかなり一苦労ですよ。
でも、その目の見えない人について、私が聞いた話じゃ、
・全ての人の声で名前を覚えた(当然メモはとれない)
・発言内容と発言者を全て覚えている(当然メモはとれない)
という人がいたんだそうで・・・。
もちろん、その人の猛烈な努力の賜物かもしれないけどね。
でなきゃ、生きてきた環境の中で能力が進化したんだろう。
いずれにしても「目が見えない」を補って余りある能力じゃないかな。
他には、自分の音の反射で自分の位置感覚を知る人もいるらしい。
こうなってくると、ほとんどイルカとかコウモリに近い能力だよ。
これはほとんど「超能力」といってもいいんじゃないかと思う。
真夜中に停電になったら、健常者の誰よりも有利に違いない。
もともと「何もない」というのがゼロの状態。
そこからできることを積み上げていけばいいんじゃないですかね。
障碍って一体なんなんでしょうね。
引き算で欠点を見るから、おかしなコトになるのかもしれないなと。
ヘリコプターは空を飛べるけど、海には潜れない。
これは欠点なんだろうか?
潜水艦は海に潜れるけど、空は飛べない。
これも欠点なんだろうか?
車は空を飛ぶことも、海に潜ることはできない。
これは欠点だらけなんだろうか?
そういうワケじゃないんだよね。
それぞれに活躍すべきフィールドがあったりする。
人間もそういうコトなんじゃないかなと思う。
たとえば、目の見えない人なんかではすごい人がいる。
初めての人たちとミーティングをすると、名前を覚えるのが大変。
さらに顔と名前を一致させるだけでも、実はかなり一苦労ですよ。
でも、その目の見えない人について、私が聞いた話じゃ、
・全ての人の声で名前を覚えた(当然メモはとれない)
・発言内容と発言者を全て覚えている(当然メモはとれない)
という人がいたんだそうで・・・。
もちろん、その人の猛烈な努力の賜物かもしれないけどね。
でなきゃ、生きてきた環境の中で能力が進化したんだろう。
いずれにしても「目が見えない」を補って余りある能力じゃないかな。
他には、自分の音の反射で自分の位置感覚を知る人もいるらしい。
こうなってくると、ほとんどイルカとかコウモリに近い能力だよ。
これはほとんど「超能力」といってもいいんじゃないかと思う。
真夜中に停電になったら、健常者の誰よりも有利に違いない。
もともと「何もない」というのがゼロの状態。
そこからできることを積み上げていけばいいんじゃないですかね。
2009年10月1日木曜日
夢がすぐに叶う
「あなたの夢が必ず叶います!」
・・・なんて書いてあると、なんともうさんくさい。
ははーん、さては情報商材ってやつか?
ただ、ちょっと考えてみたいんだけど。
夢が本当に「簡単」に叶うとしたら、それって夢になるんだろうか。
「いつか○○に行きたいな。」
→「はい、これが航空券です。明日にでもどうぞ。」
「あんな人と付き合いたいな。」
→「じゃあ、この人があなたにぴったりの人ですよ。」
「いつか豪華客船に乗ってゆっくりしたいな。」
→「これが明日から半年間の豪華クルーズ招待券です。」
「ああ、100億円あったら幸せになれるのに。」
→「はい、100億円を口座に振り込んでおきました。」
リアルに想像してみると、そこから先の世界が思い浮かばない。
思った次の瞬間に願いが叶ってしまうなんて、一体どうなんだろう。
「100億円あったら豪邸に住んでリッチに生きるのに・・・」
と想像した瞬間に夢が叶ってしまうなら、そもそも100億円なんていらない。だって、最初から「豪邸に住みたい」って思えばいいだけなんだから。
お金がなくたって、頭に思い浮かぶものなら何でもすぐ手に入るんだから。そうなると当然、お金の価値観なんて崩壊してしまう。世界のすべてが自分のモノなのだから。
思ったことがその瞬間に現実になる世界。自分にとって都合のいい人間しか登場しない世界。どんなモノでも食べられて、好きなだけ遊べて、仕事もまったくしなくていい世界。
たぶん、そんな世界なんて飽きると思う。自分自身を完全に何も制限しない、自由すぎる現実があったとしたら、たぶんロクなコトをしないと思う。何をやっても罪に問われないのだから、もしかすると犯罪のやり放題になるかもしれない。
だって、やりたいことがすべて叶うんだから。次から次へと「できること」を一生懸命考えた末に、ネタが完全に尽きてしまえば残った悪事に手を出すかもしれない。と、いうよりも、「できること」を考えるコト自体が苦痛かもしれない。
ほどほどだから楽しいんだと思う。
現実がほどほどだから、目標に向かっていけるんだと思う。
たとえば「休日」。普段、忙しいからこそ休日がうれしいわけで、週一日しか働かなくていい人が大型連休をもらっても、そこに大してありがたみなんてない。
たとえば「ゲーム」。ぜったいに自分がやられたりしない、いつも無敵状態で、画面を見ていなくたって解けてしまうゲーム。それはゲームじゃない。作業だ。
人生のすべてが作業になってしまったとしたら、生きている価値がないような気がする。すべてが思い通りになるんだとしたら、最後に自分で選べるのは「死」くらいしかないんじゃないか?
幸いなことに、現実はそんなに甘くない。
だからこそ、生きていけるんだと思う。
だからこそ、がんばりがいがあるんだと思う。
本音を言えば、そりゃお金は欲しい。たくさんほしい。
でも、お金を乗り越えた先にあるのはなんだろう?
たぶん、目指しがいのある「夢」とかなんじゃないかなあ。
人間って、わがままなんだよね。
つらいことがイヤなくせに、簡単すぎる退屈もイヤ。
難しいとストレスがたまるのに、簡単すぎるともっと疲れちゃう。
たぶん、適度なストレスがなきゃ生きていけないんだよね。
人間って。
・・・ところで、話はちょっと変わりますけど・・・。
退屈から逃げるためにテレビやゲームの刺激に囚われていませんか?
なんだかんだいいつつ、私もそういう誘惑にむっちゃくちゃ弱い。
自分も含めてダメ人(だめじん)はどうやって、誘惑に負けずに貴重な時間を獲得すべきなのか。なんてことを考えながら書いた記事を例の「すべらく!」に掲載してみました。
→ダメ人の時間管理
・・・なんて書いてあると、なんともうさんくさい。
ははーん、さては情報商材ってやつか?
ただ、ちょっと考えてみたいんだけど。
夢が本当に「簡単」に叶うとしたら、それって夢になるんだろうか。
「いつか○○に行きたいな。」
→「はい、これが航空券です。明日にでもどうぞ。」
「あんな人と付き合いたいな。」
→「じゃあ、この人があなたにぴったりの人ですよ。」
「いつか豪華客船に乗ってゆっくりしたいな。」
→「これが明日から半年間の豪華クルーズ招待券です。」
「ああ、100億円あったら幸せになれるのに。」
→「はい、100億円を口座に振り込んでおきました。」
リアルに想像してみると、そこから先の世界が思い浮かばない。
思った次の瞬間に願いが叶ってしまうなんて、一体どうなんだろう。
「100億円あったら豪邸に住んでリッチに生きるのに・・・」
と想像した瞬間に夢が叶ってしまうなら、そもそも100億円なんていらない。だって、最初から「豪邸に住みたい」って思えばいいだけなんだから。
お金がなくたって、頭に思い浮かぶものなら何でもすぐ手に入るんだから。そうなると当然、お金の価値観なんて崩壊してしまう。世界のすべてが自分のモノなのだから。
思ったことがその瞬間に現実になる世界。自分にとって都合のいい人間しか登場しない世界。どんなモノでも食べられて、好きなだけ遊べて、仕事もまったくしなくていい世界。
たぶん、そんな世界なんて飽きると思う。自分自身を完全に何も制限しない、自由すぎる現実があったとしたら、たぶんロクなコトをしないと思う。何をやっても罪に問われないのだから、もしかすると犯罪のやり放題になるかもしれない。
だって、やりたいことがすべて叶うんだから。次から次へと「できること」を一生懸命考えた末に、ネタが完全に尽きてしまえば残った悪事に手を出すかもしれない。と、いうよりも、「できること」を考えるコト自体が苦痛かもしれない。
ほどほどだから楽しいんだと思う。
現実がほどほどだから、目標に向かっていけるんだと思う。
たとえば「休日」。普段、忙しいからこそ休日がうれしいわけで、週一日しか働かなくていい人が大型連休をもらっても、そこに大してありがたみなんてない。
たとえば「ゲーム」。ぜったいに自分がやられたりしない、いつも無敵状態で、画面を見ていなくたって解けてしまうゲーム。それはゲームじゃない。作業だ。
人生のすべてが作業になってしまったとしたら、生きている価値がないような気がする。すべてが思い通りになるんだとしたら、最後に自分で選べるのは「死」くらいしかないんじゃないか?
幸いなことに、現実はそんなに甘くない。
だからこそ、生きていけるんだと思う。
だからこそ、がんばりがいがあるんだと思う。
本音を言えば、そりゃお金は欲しい。たくさんほしい。
でも、お金を乗り越えた先にあるのはなんだろう?
たぶん、目指しがいのある「夢」とかなんじゃないかなあ。
人間って、わがままなんだよね。
つらいことがイヤなくせに、簡単すぎる退屈もイヤ。
難しいとストレスがたまるのに、簡単すぎるともっと疲れちゃう。
たぶん、適度なストレスがなきゃ生きていけないんだよね。
人間って。
・・・ところで、話はちょっと変わりますけど・・・。
退屈から逃げるためにテレビやゲームの刺激に囚われていませんか?
なんだかんだいいつつ、私もそういう誘惑にむっちゃくちゃ弱い。
自分も含めてダメ人(だめじん)はどうやって、誘惑に負けずに貴重な時間を獲得すべきなのか。なんてことを考えながら書いた記事を例の「すべらく!」に掲載してみました。
→ダメ人の時間管理
2009年9月29日火曜日
ブログとかサイトとか距離とか
ブログとかサイトとかって、どうやって距離を保ってますか?
ここしばらくブログを放っておいたおかげで、なんとなく距離感がつかめました。ブログとかサイト更新とか、基本は書きたいときに書くってコトですね。一時期はノルマのつもりで毎日・・・なんて思ったんだけど。毎日書けば文章力がついてくるぞ・・・とか。
でも、それって実は本末転倒なんじゃないのって思っちゃって。
作家じゃあるまいし、シロートがうんうん唸って無理矢理書いたところでねえ。無理矢理に書いていると当然、気持ちが文章にぜんぜん乗ってこないから思いついた単語を無駄に重ねて、はいおしまい。そんなのを読まされる方の気持ちになってみろっていうの・・・。
実際は「駄文は読まない」という権利を公使されるだけですけどね。
つまらない文章は読まない。無駄な時間は使わない・・・と。
そういう意味では、書く方も読む方も疲れないスタンスが一番かなと。作家でもなければ仕事でもないんだから。書く方は書きたいモノを書けばいいし、読む方は読みたいモノを読む。
ブログのネタそのものが、ロングテールな性質を持ってるんだと思うんですよ。だから、どんな駄文でも、おもしろがって読む人もいるかもしれないですねえ。
たとえば、こんな駄文とか・・・あ、すんません。
ところで唐突なんですが「自分の時間」って大事にしてますか?
なんとなく頭に「ぴーん」ときたので、ストレスを減らす「自分の時間」の過ごし方についての提案をサイトに書いてみました。
雑音で疲れない
雑音を抜いてみると、時間のすすみがゆっくりになったりします。
無音・・・が、すっかり最近のマイブームです(笑)。
ここしばらくブログを放っておいたおかげで、なんとなく距離感がつかめました。ブログとかサイト更新とか、基本は書きたいときに書くってコトですね。一時期はノルマのつもりで毎日・・・なんて思ったんだけど。毎日書けば文章力がついてくるぞ・・・とか。
でも、それって実は本末転倒なんじゃないのって思っちゃって。
作家じゃあるまいし、シロートがうんうん唸って無理矢理書いたところでねえ。無理矢理に書いていると当然、気持ちが文章にぜんぜん乗ってこないから思いついた単語を無駄に重ねて、はいおしまい。そんなのを読まされる方の気持ちになってみろっていうの・・・。
実際は「駄文は読まない」という権利を公使されるだけですけどね。
つまらない文章は読まない。無駄な時間は使わない・・・と。
そういう意味では、書く方も読む方も疲れないスタンスが一番かなと。作家でもなければ仕事でもないんだから。書く方は書きたいモノを書けばいいし、読む方は読みたいモノを読む。
ブログのネタそのものが、ロングテールな性質を持ってるんだと思うんですよ。だから、どんな駄文でも、おもしろがって読む人もいるかもしれないですねえ。
たとえば、こんな駄文とか・・・あ、すんません。
ところで唐突なんですが「自分の時間」って大事にしてますか?
なんとなく頭に「ぴーん」ときたので、ストレスを減らす「自分の時間」の過ごし方についての提案をサイトに書いてみました。
雑音で疲れない
雑音を抜いてみると、時間のすすみがゆっくりになったりします。
無音・・・が、すっかり最近のマイブームです(笑)。
2009年9月14日月曜日
人を鍛えるとは?
近所の飲み屋で「北海道の洋菓子店のスタッフを人材育成の講師が叩き直す」という企画のテレビ番組をみた。どこまで本気でどこまでヤラセなのか分からないけれど、いろんなコトを考えさせられる内容だった。
突然、店にやってきた女性講師が怒鳴りまくるという光景。それにとまどうのが店長をはじめとするスタッフ陣。研修では「笑顔が足りない!」と怒鳴り倒し、店長に対してもボッコボコに叱責を叩きつけるありさま。
最終的には店長を一対一の場所に連れ出して、「アンタならできる。それを信じてるから強くもいうんや。」と激励。ムチの後のアメは大変甘かろう。・・・というワケで、そのアメの言葉に奮起して店長の行動が変わっていくという「シナリオ」だ。
なるほど、激しい衝撃を与えて人は変わる。たしかにそういうコトはある。スポーツでもそうだろうし、多くの職場でもそういうコトはあるだろう。私の過去を振り返ってみても、厳しい条件に置かれた時に自分が成長できたという経験はある。
おそらくこの番組が終わってから、テレビ出演した講師に問い合わせが殺到したんじゃないかと思う。もちろん実績があるから講師業をやっているワケで、そういう実績を無視して批判したいとは思わない。ただ、研修風景にものすごい違和感を感じたのだ。(もちろん、テレビ放映された範囲に限られる話だが。)
「笑顔が足りない!もっと笑顔を作れ!こんな簡単なコトもできんのか!」と関西弁で叱り飛ばす女性講師。要するに「作り笑顔」をスパルタで教え込んでいるだけだ。
確かに接客業をやっていたら、承服できない状況で笑顔を作らなければならないシーンはあるだろう。それにしても、作り笑顔をスパルタで教え込む情景がちょっと下品に感じたのだ。笑顔はまごころが先じゃないのか?
もちろん、この女性講師にはそれなりの「思い」や「情熱」があって、そのような指導をしているのだろう。しかし、あのやり方がどこでも通用すると思ったら危険だと思う。
特に高度成長期を生きてきた人たちにとっては、ああいう厳しい教育シーンが心を打つようだ。しまいには「今の日本でも徴兵制度を実施すれば、もっとビシッとするはずだ!」と言い出す始末。
たいてい、そういうコトを声高に言う人は、自らが軍隊経験のない人だったりもするし、これから徴兵制度が始まっても徴兵されない人たちだ。なんだかズルイ話だね。
確かに理解に苦しむ若者も増えているような気がするけど、そもそもいつの時代も若者は理解されないものなのだ。だって、いつも若者を見ている世代は自分たちが生きてきた頃の「理想的な若者像」に縛られているからだ。
つい、わき道にそれた。
思うに、くだんの女性講師は自らの基本的性格を上手に活用して、ニッチビジネスを展開しているんだと思う。スパルタ式の教育現場が珍しくなってきている中で、それをあえてやることによってビジネスの差別化が図れているんだろう。そういう人が少ないから依頼もかなり集められるだろう。
でも、私はこの人の研修を受けたくないなあと思った。ああいう鬼教官が職場にいれば、いろんなコトが確かにピシっとすると思う。それなりのメリットがあるコトも間違いない。フワフワしていた人がキビキビと動けるようになる可能性もあるだろう。
でも、そこから何かが生まれるんだろうか。高圧的な鬼教官がいる環境で、想像力や発想力をのびのびと伸ばせるんだろうか。私なら無理だ。怒鳴られないようにすることだけに集中してしまうだろう。失敗を畏れて生きる日々になるだろう。
そんな毎日に何の意味があるのか分からない。やはり、私は高圧的でスパルタ的なやり方には賛成できない。
突然、店にやってきた女性講師が怒鳴りまくるという光景。それにとまどうのが店長をはじめとするスタッフ陣。研修では「笑顔が足りない!」と怒鳴り倒し、店長に対してもボッコボコに叱責を叩きつけるありさま。
最終的には店長を一対一の場所に連れ出して、「アンタならできる。それを信じてるから強くもいうんや。」と激励。ムチの後のアメは大変甘かろう。・・・というワケで、そのアメの言葉に奮起して店長の行動が変わっていくという「シナリオ」だ。
なるほど、激しい衝撃を与えて人は変わる。たしかにそういうコトはある。スポーツでもそうだろうし、多くの職場でもそういうコトはあるだろう。私の過去を振り返ってみても、厳しい条件に置かれた時に自分が成長できたという経験はある。
おそらくこの番組が終わってから、テレビ出演した講師に問い合わせが殺到したんじゃないかと思う。もちろん実績があるから講師業をやっているワケで、そういう実績を無視して批判したいとは思わない。ただ、研修風景にものすごい違和感を感じたのだ。(もちろん、テレビ放映された範囲に限られる話だが。)
「笑顔が足りない!もっと笑顔を作れ!こんな簡単なコトもできんのか!」と関西弁で叱り飛ばす女性講師。要するに「作り笑顔」をスパルタで教え込んでいるだけだ。
確かに接客業をやっていたら、承服できない状況で笑顔を作らなければならないシーンはあるだろう。それにしても、作り笑顔をスパルタで教え込む情景がちょっと下品に感じたのだ。笑顔はまごころが先じゃないのか?
もちろん、この女性講師にはそれなりの「思い」や「情熱」があって、そのような指導をしているのだろう。しかし、あのやり方がどこでも通用すると思ったら危険だと思う。
特に高度成長期を生きてきた人たちにとっては、ああいう厳しい教育シーンが心を打つようだ。しまいには「今の日本でも徴兵制度を実施すれば、もっとビシッとするはずだ!」と言い出す始末。
たいてい、そういうコトを声高に言う人は、自らが軍隊経験のない人だったりもするし、これから徴兵制度が始まっても徴兵されない人たちだ。なんだかズルイ話だね。
確かに理解に苦しむ若者も増えているような気がするけど、そもそもいつの時代も若者は理解されないものなのだ。だって、いつも若者を見ている世代は自分たちが生きてきた頃の「理想的な若者像」に縛られているからだ。
つい、わき道にそれた。
思うに、くだんの女性講師は自らの基本的性格を上手に活用して、ニッチビジネスを展開しているんだと思う。スパルタ式の教育現場が珍しくなってきている中で、それをあえてやることによってビジネスの差別化が図れているんだろう。そういう人が少ないから依頼もかなり集められるだろう。
でも、私はこの人の研修を受けたくないなあと思った。ああいう鬼教官が職場にいれば、いろんなコトが確かにピシっとすると思う。それなりのメリットがあるコトも間違いない。フワフワしていた人がキビキビと動けるようになる可能性もあるだろう。
でも、そこから何かが生まれるんだろうか。高圧的な鬼教官がいる環境で、想像力や発想力をのびのびと伸ばせるんだろうか。私なら無理だ。怒鳴られないようにすることだけに集中してしまうだろう。失敗を畏れて生きる日々になるだろう。
そんな毎日に何の意味があるのか分からない。やはり、私は高圧的でスパルタ的なやり方には賛成できない。
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