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2009年9月14日月曜日

人を鍛えるとは?

近所の飲み屋で「北海道の洋菓子店のスタッフを人材育成の講師が叩き直す」という企画のテレビ番組をみた。どこまで本気でどこまでヤラセなのか分からないけれど、いろんなコトを考えさせられる内容だった。

突然、店にやってきた女性講師が怒鳴りまくるという光景。それにとまどうのが店長をはじめとするスタッフ陣。研修では「笑顔が足りない!」と怒鳴り倒し、店長に対してもボッコボコに叱責を叩きつけるありさま。

最終的には店長を一対一の場所に連れ出して、「アンタならできる。それを信じてるから強くもいうんや。」と激励。ムチの後のアメは大変甘かろう。・・・というワケで、そのアメの言葉に奮起して店長の行動が変わっていくという「シナリオ」だ。

なるほど、激しい衝撃を与えて人は変わる。たしかにそういうコトはある。スポーツでもそうだろうし、多くの職場でもそういうコトはあるだろう。私の過去を振り返ってみても、厳しい条件に置かれた時に自分が成長できたという経験はある。

おそらくこの番組が終わってから、テレビ出演した講師に問い合わせが殺到したんじゃないかと思う。もちろん実績があるから講師業をやっているワケで、そういう実績を無視して批判したいとは思わない。ただ、研修風景にものすごい違和感を感じたのだ。(もちろん、テレビ放映された範囲に限られる話だが。)

「笑顔が足りない!もっと笑顔を作れ!こんな簡単なコトもできんのか!」と関西弁で叱り飛ばす女性講師。要するに「作り笑顔」をスパルタで教え込んでいるだけだ。

確かに接客業をやっていたら、承服できない状況で笑顔を作らなければならないシーンはあるだろう。それにしても、作り笑顔をスパルタで教え込む情景がちょっと下品に感じたのだ。笑顔はまごころが先じゃないのか?

もちろん、この女性講師にはそれなりの「思い」や「情熱」があって、そのような指導をしているのだろう。しかし、あのやり方がどこでも通用すると思ったら危険だと思う。

特に高度成長期を生きてきた人たちにとっては、ああいう厳しい教育シーンが心を打つようだ。しまいには「今の日本でも徴兵制度を実施すれば、もっとビシッとするはずだ!」と言い出す始末。

たいてい、そういうコトを声高に言う人は、自らが軍隊経験のない人だったりもするし、これから徴兵制度が始まっても徴兵されない人たちだ。なんだかズルイ話だね。

確かに理解に苦しむ若者も増えているような気がするけど、そもそもいつの時代も若者は理解されないものなのだ。だって、いつも若者を見ている世代は自分たちが生きてきた頃の「理想的な若者像」に縛られているからだ。

つい、わき道にそれた。

思うに、くだんの女性講師は自らの基本的性格を上手に活用して、ニッチビジネスを展開しているんだと思う。スパルタ式の教育現場が珍しくなってきている中で、それをあえてやることによってビジネスの差別化が図れているんだろう。そういう人が少ないから依頼もかなり集められるだろう。

でも、私はこの人の研修を受けたくないなあと思った。ああいう鬼教官が職場にいれば、いろんなコトが確かにピシっとすると思う。それなりのメリットがあるコトも間違いない。フワフワしていた人がキビキビと動けるようになる可能性もあるだろう。

でも、そこから何かが生まれるんだろうか。高圧的な鬼教官がいる環境で、想像力や発想力をのびのびと伸ばせるんだろうか。私なら無理だ。怒鳴られないようにすることだけに集中してしまうだろう。失敗を畏れて生きる日々になるだろう。

そんな毎日に何の意味があるのか分からない。やはり、私は高圧的でスパルタ的なやり方には賛成できない。

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