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2009年12月21日月曜日

優しい&悔しい

「優しい」というのは決してほめ言葉ではない。すごく残念なことなのだが、私は投資会社の人やら、すでに会社を創っている社長によく「それでもまだ優しいような気がするんですよ」とか言われる。さすがに自分なりにも、この言葉はマイナス方向の言葉だということは気づいている。要するに「甘い」ということだ。「情に流されている」という意味も含んでいるんだろう。

局面に応じてクールに判断できない人間は経営者をやるべきではないというメッセージだ。資会社など金融系の人たちは「非情と言われようが冷徹に判断できる人」を好む。実際のところそういう経営者こそが実績をあげてきたからこそ、それが常識になっているのだろう。別にそのこと自体には不満はない。冷徹な判断を下すことも必要な資質だ。

私がNPOの講師をやっていることについても批判がある。ボランティアやら慈善事業に手を出してはロクなことにならないという話だ。どれだけ言っても言葉が相手に届かないのが残念なのだが、決してそういうつもりではない。悔しいのは目的がありながら、知らない領域が多すぎるという点だ。率直に書こう。私の力不足でもあるし、知識不足でもあるし、経験不足でもある。

「本音ベースで夢を語ってください」と言われ、本音ベースで私の夢を語ると「当然、それに対する答えを持っているんでしょう?」と聞かれる。「どこが問題点でどのように解決すべきか・・・という部分までもちろん考えているんですよね?」・・・と聞かれる。これに対しても本音で答えれば、そんなのあるわけないじゃないかということになる。

私に考えが足りないことは率直に認めている。想定範囲もきわめて狭いのだろう。それも薄々ながらイヤというほど気づいている。しかし、その先まで見えていることを求められるのはなぜなのだろう。もちろん戦略というのは必要だろう。しかし、その戦略というのは戦術レベルでの経験知によって構築できるものがあると思うのだ。仮想の上に仮想を重ねて戦略を重ねるとウソになることもあると思う。

ちらっと話をすると「じゃあ、話してごらん。私が聞いてあげるから。」というシチュエーションになる。ああ、やっぱりそうですよね。上から目線になっちゃいますか。単純に批判することほど簡単なものはない。一から考えるよりもアラを探して崩す方が簡単だ。むろん、そこで貴重なご意見を真摯に受け止めて改善に努める・・・という気持ちは大切だ。しかし、本音で言えば実にやっかいだ。

意見に対して「その通りですね」と答えれば、「他人に言われて簡単に意見を変えるようなら価値がない」なんて話になる。意見に対して「それはこう思うんです」なんて反論すれば、「もっと率直に意見を聞くべきだ」なんてことになる。「なるほど、それは参考にさせていただきます」なんてお茶を濁しても「それって、本当に考えてます?」なんて言われてしまう。なんなんだよ、それって。

自らの未熟を意識しているからこそ、未熟なうちに本音を書いておきたい。正直ずるいね。特に「その分野、よくわかんないけど、たぶんそれは無理だと思う」っていう発言とかね。ただ単に感想を言ってるだけじゃないか。なんでよく分かんないのに正解の提出を求めるんだろう。そもそも話す相手のすべてが納得するような正解なんてあるんだろうか。なんで、みんな本音を言わないんだ。「やってみなけりゃ分からない」って。王様の耳はロバの耳だ。

テクニックらしきものはいろいろとあるらしい。必ず断定形でで言い切ること。ハッタリでも自信満々に主張すること。なるべく専門用語で煙に巻くこと。数字を持ってくると説得力が増すこと。なるべく派手な働きかけを入れておくこと。たとえば政治家に対する交渉だとか、学術研究機関が絡んでいることを匂わすとか。夢を買ってもらうのだからそれくらいはするのが当たり前・・・なのか?

でも、なんだか、私からみると「なんでそれで納得するんだろう?」と思う。夢を語ってみても「そんなこと、できるわけないじゃないか」の大合唱だ。でも、これだけは言いたいのだ。上から目線で他人の批判ばかりをしているヤツよりも、無責任に飛んでくる矢を受けまくっても前進しているヤツの方が、必ず何かをつかめるってことを。そうじゃなきゃいけないと思う。さすがにさ。

2009年12月16日水曜日

夢を叶える

「即戦力ITコース」の講義を始めて4回目。1週間に1度なので、4回目といっても1ヶ月たっている。これが毎日だったらもっと先に進むんだろうけど、「自分で考える」ということを主体に置いているので、たぶん毎日やったらキツイかもしれない。

さすがに受講生から「きついきつい」という意見も出はじめた。それはそうだ。私の講義は「ゴールを自分で考える」という場面が多い。自分で考えるということは大変なコトなのだ。今はキツイかもしれないが、自分で考える力を全面に押し出せていけない限り「だから精神障碍者は・・・」という企業側の雇用ハードルはなくならないような気がしている。

それはなぜか。「精神障碍者」=「指示待ち族」という図式ができているとすれば、それは企業にとって重荷になりやすいからだ。実際に働いてみれば分かるはずだが、「指示を出す」とか「仕事を与える」ことそのものが「仕事」になるわけで、指示だけを頼られてしまっては「重荷」でしかない。特に頭脳労働においては。

本質的に「精神障碍」というのは「考えられない病」ではない。特定の環境や状況下において、精神的な部分を源とした耐性が低めであるということだ。もちろん精神障碍には知的障碍を伴う場合もあるので、そのあたりまで言及すると一概には言えない部分もあるのだが。

そのような点を踏まえ、すべてがすべてではないにせよ、精神障碍の当事者の中には「自分で考え」「意見を提案し」「自分で実行」を実行できる人はいる。確実にいる。それは断言してよい。いわゆる健常者でも「指示待ちなヤツ」もいれば「アイデアマン」もいる。精神障碍でもたぶん同じだ。

私の講義はすべて「○○をしてみたい」から始まっている。だから、教室に来て座っていれば勝手に教えてもらえるというスタンスではない。自分から新しいことに挑戦して「○○がしたい!」という強烈な欲求に対して、どうすれば自分のその欲求を満たせるかどうかを教える。

だから、私の講義は「まるで遊びみたいだ」と言われることもある。そう思ってもらえるのであれば、私の試みは「大成功」だ。仕事でもなんでもそうで「楽しい」と思えれば勝ちだ。時間をもてあまして無駄に眠くなることもなければ、どうしたらもっとよくなるか・・・という思考によって、仕事の質もよくなる。

仕事も「遊び」みたいなものなのだ。楽しんでできれば必ずいい効果が上がる。もちろんその枠組みの中で「きついきつい」と言われがちな「ざっくりとした指示」も出す。それは、わざとやっているんだから「きついきつい」と言われても、それはやめるわけにはいかない。

だって就労したいから、貴重な時間を削って講義を受けているんでしょ?・・・と。私だって収入大幅ダウンを覚悟して講師をやってるんだから、ちゃんと就労してもらわくてはやっている意味がない。もちろんその先に描いている夢もあるんだけど、ともかく今は就労を成功させること。そしてその就労を楽しめる精神的土壌を作ること。これが今の私のミッションだ。

ただその代わりどんな成果物ができても怒らないし、物理的な疲れについては頻繁かつ少し長めに休憩時間も確保している。また、どんな愚痴にでも徹底的につきあうつもりだ。だから「講義でキツイと思ったら、いくらでも愚痴を聞きますよ。いつでもご遠慮なくどうぞ!」と、よく言っている。

基本的に講義の大枠の方針は変えないんだけど、「なぜ、つらいことをするのか」を伝えて、納得してもらえると一様に表情が明るくなる。それが大事なんだと思う。たとえば、最初の講義で作ってもらった「夢」の紙に、「今まで自分が知らなかったことができるようになっている」と描いていた人の愚痴を聞いたことがある。

「講義のテンポが早すぎてついていけていないような気がするんです。今までと違って分からないことだらけになってきて不安です。」という愚痴。だけど、実際にMS Officeで作ってもらった成果物を見ていると、いろんなところにイラストも入っているし、レイアウトや文章もしっかりしている。

「これ、講義を受け始めた頃からできましたか?」と聞いてみたら、首を横に振って「いいえ」と一言。

その通り!

確実に「できること」の領域は広がっているし、イマジネーションを現実化させるための選択肢も増えているはずなのだ。ただ、新しいことをたくさん始めれば「知らないこと」でいっぱいになる。だから「不安」にもなる。それは未知の領域でがんばっている証拠なのであって、不安な気持ちになることは至って健全な反応だ。描いた夢のとおりになっているということに気づいてほしい。

私は受講生のみんなが描いてくれた「夢」の紙(のコピー)をいつも持ち歩いている。そして、叶えられそうな夢があったら、どんなに些細なことでも少しずつ叶えていこうと考えている。「夢は叶ったら終わり」ではない。夢が叶うと必ずそれまでの夢を上回る夢が生まれるからだ。新しい夢が生まれたらそれをまた追いかければいい。

「夢」ありきで始める「IT講義」があってもいいと私は信じている。どんなに便利で優れた開発ツールがあってもアイデア(=夢)がなくては何も作れない。テクニックだけがあっても、感情を伴うイメージがなくては何も生み出すことはできないのだ。ここを大切に考える人材を全力で育てたいと思う。

2009年12月9日水曜日

潜在能力を信じる

驚くほどに時間の経過が早い。先週、講義をしたかと思ったら、また明後日に講義だ。

先週は即戦力ITコースの3回目にして、いきなりWordとExcelを使ってもらった。あまりの急展開に受講生の半分くらいが軽く混乱。しかもその教え方が荒いのだから、まぁ、正直、受講する立場からすれば、たまんないだろうな・・・と思う。でも実は意図的にやっている。

たぶんね、WordとかExcelとかをやるんだったら、大上段から難しめの講釈から入って、そしてひとつひとつの機能解説から入って・・・というのを期待されていると思うんだ。でも、そういうのを期待するのなら、そこらへんのパソコン教室に行けばいくらでもある。それと同じコトをするために、私はわざわざ「即戦力ITコース」なんて開講しない。

まず、「WordとかExcelに過剰な期待を持つな」ってこと。だって道具だよ。ただの道具。これに数ヶ月・・・なんて、目指す山を高くしすぎなんだと思うよ。もちろん高い山は登り甲斐があるかも知れないけどさ、やたら時間と体力を使えばいいってもんじゃない。そうじゃなくて小さい山をいくつも登った方がいいんだと思う。

だから「この高い山の先はまだまだ先だ。さぁ、みんな、へこたれるな!」なんてことは最初からやる気がない。ハードルの低いモノを高そうに見せるのは、商業的にはアリなんだと思うけど、こっちは金儲けでやってるワケじゃないんだ。少なくとも「就労移行支援」単体ではお金儲けを考えていない。

とりあえず希望に近いところに就労してもらうことが目的だし、就労した後に苦労しないようにしておきたいだけだ。だから、就労した後の困難を乗り越えるための「自己解決力」を徹底して教えている。「自己解決力」というのは「状況分析能力」と「情報収集能力」と「行動発想能力」の足し算だ。

「自分は何をすることが必要なのか?」を知り、「どうやって情報を集めていくか?」を考え、「どのように対処していくのか?」とまとめる能力を必要とする。その能力を磨くために必要と思われることを、現時点においてすべて行っている。「教え方が荒い」というのも、それが大きな理由なのだ。

「[スタートメニュー]から[プログラム]を選んで[Microsoft Office]を選んだ後に[Microsoft Word 2003]を開いてください。」なんて指示はしない。「Wordを開いてください。」といきなり言い放ってしまう。「知っている人は教えてあげてください。分からない人は仲間に教えてもらってください。」と言うだけだ。それでちゃんとどうにかなるのだ。なってもらわないと困る。

精神疾患の当事者には「できるだけ具体的な指示を与えてください」なんて指導されやすいこの業界(?)からの常識(??)なんてどうでもいい。そんな常識に縛られているから「精神障碍者は使い物にならん」なんて、企業側から言われてしまうのではないかと密かに思っている。

私は精神疾患(鬱)を16歳から罹患しながらも、IT業界で人並み以上の能力を発揮している人を知っている。いろんな難題が降りかかってくる部署でいろんな応用力や機転を利かせ、圧倒的に大きな存在感をもって仕事をしている。彼が突然いなくなったらたぶんその職場は大混乱を起こすと思う。

こういう優れた人材は私の職業人生でもけっこう出会ってきた。実際に精神疾患を抱えながら、企業でバリバリ仕事をしている人はかなり多い。技術屋の領域で自ら起業している人すらいる。彼らに共通するのは自己解決力が非常に高いことだ。かなり抽象的な指示や課題に対しても適切に対応している。

「精神障碍にもっと理解を」と言っている就労支援組織には、企業の実務を知らない人が案外多いような気がする。そして、バリバリ働いている当事者のこともあまり知らない。それは就労支援組織が悪いのではない。普通に考えて、バリバリに就労している当事者と就労支援組織との接点は少ないだろうからだ。仕方がない。

そのこともあって、「精神障碍者の人にはわかりやすく具体的に」という「指導の指導」が入ってしまうのだろう。確かにそうしなければならない病状や職業環境もあるだろう。だからその指導方針のすべてを否定するつもりはない。

しかし実社会に出て働いてみると、けっこうアバウトな指示が飛んできたりもする。就労移行支援の講義で「わかりやすく具体的に」を徹底しすぎると、そこのギャップで突然苦しむことになる。企業特有のスピード感にしてもそうだ。ゆったりした講義に慣れすぎると企業のスピード感についていけない。

ぬるま湯から熱湯に放り込むのはある意味で残酷だ。熱湯と言わないまでも実社会と近い程度の温度を事前に体験しておくことは重要だ。私の講義はシンプルさの割に、実はハードルが高い。なぜなら就労した後に体験するであろう出来事をできるだけ講義の中に織り込んで、それをシミュレートしているからだ。

いろんな不満も出てくると思う。でも、私はそのひとつひとつの不満に向き合っていくつもりだ。「不満」というのは一見ネガティブなパワーだが、パワーには違いない。そのパワーの向きを変えることができればポジティブなパワーにもなる。

私は講義自体に「容赦」をするつもりはない。でも「情け」は力一杯かけていきたい。私は受講生の潜在能力を信じている。今は企業から相手にされていなくても、必ず光があたる日が来るのだ。ひとりひとりと向き合ってみんなで勝利をつかみたいと思う。

2009年12月1日火曜日

NHKの障碍者番組

最近はテレビ番組をめっきり観なくなってしまったのだが、その代わり、おもしろい番組についてはビデオ録画している。その中で最近、毎週ビデオに録画してみている番組が「きらっといきる」(NHK教育 毎週金曜20:00~20:30 http://www.nhk.or.jp/kira/)。

NHKに受信料を払っていてよかったと本気で思える良質な番組だ。むしろNHKはこれしか観ないから、この番組の視聴料を払っているようなものだ。

この番組のすごいところ。
それは「障碍者に対する変な憐れみがない」ということ。

最近の番組に多いのが「障碍を持っているのにこんなにがんばりました・・・出演陣の全員が涙で感動」というパターン。「たしかにスゲーよなー」と思う人たちが紹介されたりするんだけど、「感動物語」となるといくらか微妙だ。

上から目線で「はい、よくがんばりました」的な気持ち悪さを感じるのだ。だからゲストのコメントでも「障碍を持っているのにすごいですよねー」という結論になっちゃう。

たとえば私はITエンジニアとして生きるために、記憶力やらなんやらという自分の弱点を補う方法をいくらか研究した。そこで仮に「記憶力がたいして良くないのに、そんなに努力するなんて感動しました」なんて言われたとしてもちっともピンと来ない。生きるために必要だったからそうしただけだ。

でも、この番組ではそういうヌルイ意見があまり出ないところがイケている。

たとえば脳性麻痺のお笑いコンビが「僕たちは芸人ですから笑ってほしいんです。障碍者の努力の姿に感動した・・・なんて泣いてほしくない。」などと言っていた。しかし、その翌週の番組で健常者から寄せられたお便りがステキだ。

「泣かれるのがイヤなら芸を磨いてほしい。あなた方は芸人の世界をナメすぎている。人様に笑えない程度の芸を見せて笑ってほしいと頼む姿勢そのものが甘い。芸が陳腐だから笑えなくて泣くしかないのだ。そこに障碍者という言葉を持ってくるのは、あなた方ご自身が障碍にもたれかかっている証拠ではないのですか?」

手厳しいがその通り。そういうお便りが届くのもすごいが、それを番組で正直に紹介してしまう制作姿勢もすごい。率直に感心した。

そのお便りに対して司会者自身も「私は正直な気持ちとして、今、反省しています。私自身も『障碍者』という視点で評価にゲタを履かせていたと思います。正直、お笑いとして純粋に内容を評価すると、まだまだだったと思います。もっとがんばってほしいですね。」と発言してしまう始末。

しっかりとその後のフォローもしている。その二人組のお笑いコンビにちゃんとそのお便りを届けていた。そのコンビは、その意見を踏まえてもう一度「お笑い」に対して最初から取り組み直すんだそうだ。

ちなみに、しばらくは「障碍者ネタ」も封印するんだそうだ。個人的な意見だけど、そこまでやっちゃうともったいないと思う。障碍者という現象がネタ(武器)になるのなら、それはそれで有効に使った方がいいと思うんだけどね。健常者の芸人だって、自分の借金とか離婚までネタにしちゃう人がいるくらいなんだから。

似たような芸風で「ホーキング青山」という芸人もいるけれど、彼くらいにまで突き抜けてしまえば笑える芸人になれると思う。ただ、彼のステージは最高におもしろいんだけど、たぶん放送電波には乗せられないところが弱点なんだけど。トークの8割が「ピー」で消されるだろうから。

この番組の画期的なところは他にもある。脳性麻痺の人をコメンテーターとして常に出演させている点だ。脳性麻痺の程度によっては言葉が話しづらくなる。だから慣れていないと聞き取りづらいこともあって、残念なことに後ろ向きなイメージが定着しがちだ。

実際にはそういうことはなくて論理的な意見に長けている人が多い。でも、脳性麻痺の人に会える機会というのは、普通に生きているとなかなかない。しかし、このように番組でそういう人をコメンテーターに抜擢するというのは画期的だと思う。この人が出演しているおかげで「上から」感が薄れるのだ。

個人的にも助かっていて、昔、聞き取りづらかった脳性麻痺の発音特有のヒアリングがだいぶ楽になった。よく聞き取れなくて「すんません、もう一度お願いします。」と言わなくて済むのはやっぱりラクだ。何度も聞き返すのはやっぱり失礼なような気がするし。

他にも、生活費やら助成金の細かい金額についても公開する懐の深さもいい。そういう現実のデータを知りたいと思っても、当事者にはなかなか聞きづらい話だったりするから。また、多彩な障碍について取り扱うので障碍者の種類を適切に把握するための教科書的な番組といえそうだ。

全体的に明るくて前向きな番組作りにも成功していて、観ていて心理的に辛くなるようなことも少ない。今後もこの番組には注目したい。

2009年11月29日日曜日

燃える!即戦力ITコース

11/27の金曜日は、精神障碍の当事者が、ITのスキルをきちんと自分で習得できるようになるようにするための「即戦力ITコース」の二回目。なんとか事前に自分で決めておいた指導項目も全部達成。

ただし、このコースは「ITを教えるコース」ではない。正直に言ってしまうとそれよりも、もっと本質的なことを身につけるコースだ。もちろんITに絡む知識も教えるのだが、それよりももっと大切なことは「自分で解決する能力」だ。そして想像力。これなしではITエンジニアにはなれない。

第一回目は納品が間に合わずにパソコンなしでの講義になったワケで、いくらなんでもパソコンのない講義は「しまりがないなあ」なんて思ったのだが、さすがに第二回目にはパソコンが間に合った。

パソコンがあると実は前準備が面倒になるのだけど、そこは優秀なスタッフがサポートしてくれるので非常に助かる。前準備が必要なことは分かっているのだが、講義の開始前は正直それどころではない。

実は講義を始めるギリギリの直前まで、頭の中でベストな講義内容のイメージトレーニングしていることもあって、私の頭の中のほとんどの注意力とか集中力、それから想像力はちょっと先の未来を向いている。

昨晩まで考えた講義の進め方以上に、パフォーマンスを引き出す方法はないのだろうか・・・なんて考えて続けていたりする。すると、ふっと天から新しいアイデアが降りてきて、急遽、そのアイデアに切り替えることもある。

当初、ビデオ教材でも作って見てもらおうか・・・という構想もあったにはあったのだが、やっぱりそれじゃだめだ。「ライブ」の楽しさや緊張感があった方がいい。

だから、先日までに練りに練り込んだ講義方針があっても、受講生のみんなの興味が向かう方向や得意分野を見つけたら、すぐによりよい方向に軌道修正をする。それがライブだ。楽しさとか興味、好奇心が人を伸ばすのだと思う。少なくとも私はそうだ。

さて、二回目の講義は私が考えている講義の中ではもっとも重要なことを行った。それは「夢」をA4の紙にフリーレイアウトで描いてもらうというもの。そしてそれを、みんなの前でプレゼンテーションしてもらうのだ。

「何のためにこのコースを受講しているのか」という目的がはっきりしていることが必要で、自分自身の目標を忘れないように書くこと。そして他の人はどんな目的で受講しているんだろう?・・・ということを知って刺激を受けることは重要だと思う。

これを書いておくと、何かでくじけそうになったときに、自分自身の支えになる。初心ってそれくらいに大事だ。

フリーレイアウトというのも私が意識したことだ。決してフォーマットを作るのが面倒だからとかそういう理由はない。いや、面倒だからというのは多少あるか。まあ、面倒でも効果があるなら苦労してでもフォーマットを作ろうと思うけど、フリーレイアウトの方が効果が高いと思う。結果的には「ラクして最大の効果」という選択肢に落ち着いただけともいえる。

誰かが決めたフォーマットというのは見る側にとってはラクだし、場合によっては書く側にとってもラクかもしれない。しかし、フリーレイアウトでなくては分からない情報があふれていると思う。主張したい気持ちの表現方法、レイアウトのうまさ、イラストのうまさ・・・などなど、想像力やセンスのような要素がたくさん垣間見える。これが彼らにとっての現在の資産なのだ。

ちなみに、この「ラクをする」という発想は私の講義の中では大きな軸になる。受講者には「ラクをする」という「戦術」を身につけてほしいと思っている。「ラクをする」というのは「怠ける」という意味ではない。いや、多少は恩恵として「怠ける」があってもいいと思うくらいだが。「ラクをする」ためには頭を使わなくてはいけないのだ。

安易にラクをしようとすると、後で余計に大変なことになってしまって「ラク」じゃなくなる。だから、先を見据えて考えることが要求される、それなりに高度なテクニックだとも思う。

もうちょっとキレイな言い方をすれば「行動分析」と「効率化」ということになる。工夫しないと数十時間かかることを数分でできるようにする。面倒だったことを簡単にする。これがもっともシンプルな意味での「IT」だと私は思う。

さて、みんなに作ってもらった思い入れのたっぷり詰まったたくさんの紙。これが最初の青写真。これから、WordやらPowerPointやらを使って、もっともっとキレイな文書に変わっていく予定だ。

そしてキレイな文書に変わっていく過程の中で「夢」とか「目標」そのものが変化してもいいと思う。むしろ新しい目標の選択肢を見せていくことは、このコースの講師としての私の使命でもある。

ちなみに、私は、一日でWordの基礎を終わらせようと考えている。Wordに時間をかけてはいられないのだ。別にWordの講義をやりたくないという理由ではない。いや、多少はあるけれど。だって、この先、もっともっと楽しい世界が待っているのだから。

そういう楽しい世界を見ておいた方がいいと思う。ただ単に機会に恵まれなくて知らないだけだったらもったいない。よく、WordやExcelを最終目標に設定しちゃうことがあるけど、私はしない。WordのためのWordの講義なんてつまらないでしょ?

基本をさらっとやったら、後続の講義の中で必要に応じて実用で使ってもらうつもりだ。ExcelやPowerPointもそうだ。学ぶために学ぶのではなく、使うために学ぶのだ。本当に使うか使わないか分からないような機能も含めて、テキストの最初から最後まで覚え込まされるなんて、私だったらNo Thank youだ。つまらなくって講義中に寝てしまう。

たとえば、「文字を大きくしたい」、「色を変えたい」、「図形を描いてみたい」。こんなものは誰かから「1から学ぶ」ものじゃないと思っている。ただ「やりたい」とか「こうしたい」という気持ちがあってはじめて必要になるのだ。

だから、必要なら必要なその時に覚えてしまえばいいと思う。受け身ではなく「気持ち」とか「欲求」という形で自分の中からでてきた好奇心を満たすことが大事だ。さあ、お楽しみはこれからだ。

そういえば他の週も担当しているスタッフから、「こういう講義というのは、翌週から少しずつ人数が減ったりするんですよね。」と聞かされていたので、「今回はちょっとはラクができるのかな?」と思っていたら、なんと今回は前回を上回る人数になってしまった。

想定して準備していたパソコンの台数が足りなくなってしまうほどの大盛況。私に期待してくれているんだな。ありがたい。そして私も彼らに期待しているんだけどね。

お互いが幸せになれる講義をやっていきたい。


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◆ご参考までお問い合わせ先◆

NPO法人NECST 就労移行事業
障碍者就職サポートセンター「ビルド」

〒272-0034
市川市市川3-28-5-201
047-320-0345

「即戦力ITコース」は金曜日のみとなります。

もし、ご興味があったらどうぞ。
ちなみに精神障碍の当事者の人が対象「だと思ってます」。
・・・って、講師の私が書いてよかったんだっけな?

ま、あくまでも私が「思ってる」だけということで・・・。
厚労省データで、身体9%、知的7%で、精神0.001%の就労率だもの。
困ってる層からなんとかしましょうよってことで、ここはひとつご勘弁を。

それから、夢を描いただけで講義が終わったワケじゃないので、念のため。
ちゃんとパソコンを使った講義もやりましたとも。


いろんな思いがつまった「夢」の紙たち。※あ、拡大しても内容は読めないようにしてあります。
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2009年11月27日金曜日

OSが生み出す景気

米国Googleが2009年11月19日、開発中のOS「Google Chrome OS」のソースコードを、オープンソース・コミュニティ向けに公開した。必要なドキュメントなどもきっちり含まれているらしい。ブラウザでほとんどの仕事ができるようになる計画だ。

私もその流れが正しいと思っている。実際のところ、今でも私は効率化の恩恵をインターネットから受けている。たとえば名刺管理やドキュメント管理、スケジュール管理などはインターネットの向こう側でデータを一元管理できる「EverNote」を使っている。

日本語変換はATOKを使っているが、辞書学習内容を複数のPCで同期できる仕組みを活用している。これもインターネットを活用しており、自宅用のPCでも現場のPCでもモバイル用のPCでも同じ変換効率を実現できる。

そもそもATOK自体にしても、インターネットを活用して月額300円で(同時利用しない限り)10台までインストール可能なサービスを展開している。

ATOKの課金状況はインターネットを介して確認され、契約状態が正常であればATOKが稼働する仕組みだ。途中でATOKの新しいバージョンが発売されると自動的に最新のものがインストールされる。

ちなみに私は月額版のATOKを利用している。毎年3,600円の支払いにはなるが、毎年新しいバージョンが発表されるたびに迷わなくてよいところが最大のメリットだ。変換効率が毎年進化するのであればそれを享受した方がいいと思う。

もちろん、久しぶりのバージョンアップによる大幅進化の喜びは体験できなくなるが、別にメリットの享受を後ろ倒しする強力な理由はどこにもない。

話が少しそれてしまったが、このようにインターネットがなくては成立しないサービスが、最近ではかなり増えている。逆に言えばインターネットがあれば困らない時代になってきている。

さまざまなことがWebブラウザ上で実現できるようになってきている。だから最近販売されるPCでは、必ずしもWindowsが搭載されているわけではない。標準的機能を搭載するブラウザだけがあればいいのだから。

その一方で、Microsoftが「今後のWindowsの新規バージョンリリースは3年ごととする」との未確認情報もある。未確認であるものの、この情報にはいささか複雑な思いがある。

・新しいOSをリリースすると機能が増えて重くなる。
・OSを買い換えるたびに環境移行に手間がかかる。
・Microsoftのソフトウェアは比較的高価である。

というデメリットがありながら、常にハードウェアの買い換え需要を伸ばしてきた側面がある。つまりOSが重くなればなるほどハードウェアが売れたわけだ。

WindowsXPは発売開始から販売終了まで8年間動き続けた。つまり8年間はハードウェア買い換え需要はほとんどなかったといえる。数年後のWindowsXPサポート終了を見据えてしばらくは、OSの乗り換えでハードウェアの買い換え需要も伸びると思われる。

ただし、3年後に我々が新しいOSを必要としているかどうかは分からない。今でこそ高度な画像編集をはじめとする専門的な作業はローカル環境で行うことが最適だが、もしかするとそのような作業ですらネットワーク上でできるようになるのかもしれない。

数年後、すべてのサービスがネットワーク上で利用できるようになっているかもしれない、そして、安価な月額料金で利用する時代になっているかもしれない。

そうなってくると、OSの選択肢としてWindows以外とする方向性も現実的になってくるだろう。すると、またハードウェアの買い換え需要は今よりも少なくなるのだろうか?

おそらくその鍵は次世代ネットワークインフラの拡張(速度と網羅性の強化)にかかっていると思う。パソコンのあるところから仕事をするのではなく、ネットワークのあるところから仕事をするスタイルになる。

OSに依存しないテクノロジーの進歩は新しい選択肢を与えてくれている。あとはその選択肢を上手に活用した、新しい働き方を模索する時期に来ているのだろうと思う。

2009年11月23日月曜日

本物を目指す

だいぶ思い切ったコトをしたもので、12月末以降はとりあえず無収入だ。こんな不況な時期によくやるよな・・・とつくづく思う今日この頃。無収入というか、まあ、金曜日の講師料があるので「無収入」というと、それはそれで失礼か。

さて、そんな危険な旅立ちを応援してくれる人たちがいる。とてもありがたいコトだと思っている。ただ「自分にリスクが及ばない限りは応援するんでしょ?」とか「君は人がいいから都合よく使われてるだけなんじゃないの?」と心配してくれる人たちも一方でいる。

正直なところ私自身はそんな心配をしていない。私は実のところかなり人間を見る。本当に信用できる人間かどうかは、それなりの時間をかけて考えるタイプだ。そして、一度「信頼できる」と確信できたら、人生をかけてでもその人を最後まで信用することにしている。

第三者を深く信用するということは、自分自身を信用するということに等しい。つまり、そこで何かがあったとしても、それは誰かを信用すると覚悟を決めた自分に全責任があるのだ。

それから、私は本気で「本物を目指せば結果がついてくる」と信じている。おそらく「社会が本当に必要としていること」をまっすぐに目指していけば、それで利益を得る人たちが私の姿を見てくれるのだろうと思うからだ。

私がやろうとしていることが見捨てられたとしたら、それは社会に対して貢献できないものだったということが証明されたにすぎない。誰も利益を得られると感じなかったから、誰もついてこなかっただけの話だ。そういうことに時間をかけても日本はよくならない。

だから、いろんな人が心配してくれるのは嬉しいのだけれど、「裏切られるんじゃないか?」「ただ便利に使われているんじゃないか?」と心配する暇があったら、すこしでも本物に近づくための施策を考えた方がよっぽど自分のためになる。

自分のやろうとしていることを、最近、いろんな人にオープンにして話している。別にパクられても構わないと思っている。なぜなら自分にしかできないことをやろうとしているのだから、他の人がやったところで私の構想どおりにはならない。

別に「上から目線」というわけではない。それを聞いて「自分もやりたい」という人が増えてもいいと思っているからだ。厚生労働省が把握している精神障碍者は300万人以上で、就労できている人数は4000人。単純計算で0.001%。勤労適齢者が総数の3分の1とざっくり考えても0.004%だ。

別にそこに競争原理が不要だとは一切言うつもりはないが、現状では横の広がりで連携できそうなら、そして連携したいと思う相手であれば積極的に連携した方がいいと思う。それくらいがんばってみても、まだまだ就労を望みながら叶わない人々がいる。競合だとかなんとかと言っている場合ではない。

ただ、一方で精神障碍についていえば急激な改善が進んでいることも事実だ。2006年の法改正で法定雇用率に精神障碍者もカウントされるようになったからか、かなり本腰を入れて精神障碍者を雇用する企業も増えてきている。ここ数年でかなりの変化が現れたようだ。

その現象をさらに加速させるべく、私も本物を目指していきたいと思う。