+1

2009年12月9日水曜日

潜在能力を信じる

驚くほどに時間の経過が早い。先週、講義をしたかと思ったら、また明後日に講義だ。

先週は即戦力ITコースの3回目にして、いきなりWordとExcelを使ってもらった。あまりの急展開に受講生の半分くらいが軽く混乱。しかもその教え方が荒いのだから、まぁ、正直、受講する立場からすれば、たまんないだろうな・・・と思う。でも実は意図的にやっている。

たぶんね、WordとかExcelとかをやるんだったら、大上段から難しめの講釈から入って、そしてひとつひとつの機能解説から入って・・・というのを期待されていると思うんだ。でも、そういうのを期待するのなら、そこらへんのパソコン教室に行けばいくらでもある。それと同じコトをするために、私はわざわざ「即戦力ITコース」なんて開講しない。

まず、「WordとかExcelに過剰な期待を持つな」ってこと。だって道具だよ。ただの道具。これに数ヶ月・・・なんて、目指す山を高くしすぎなんだと思うよ。もちろん高い山は登り甲斐があるかも知れないけどさ、やたら時間と体力を使えばいいってもんじゃない。そうじゃなくて小さい山をいくつも登った方がいいんだと思う。

だから「この高い山の先はまだまだ先だ。さぁ、みんな、へこたれるな!」なんてことは最初からやる気がない。ハードルの低いモノを高そうに見せるのは、商業的にはアリなんだと思うけど、こっちは金儲けでやってるワケじゃないんだ。少なくとも「就労移行支援」単体ではお金儲けを考えていない。

とりあえず希望に近いところに就労してもらうことが目的だし、就労した後に苦労しないようにしておきたいだけだ。だから、就労した後の困難を乗り越えるための「自己解決力」を徹底して教えている。「自己解決力」というのは「状況分析能力」と「情報収集能力」と「行動発想能力」の足し算だ。

「自分は何をすることが必要なのか?」を知り、「どうやって情報を集めていくか?」を考え、「どのように対処していくのか?」とまとめる能力を必要とする。その能力を磨くために必要と思われることを、現時点においてすべて行っている。「教え方が荒い」というのも、それが大きな理由なのだ。

「[スタートメニュー]から[プログラム]を選んで[Microsoft Office]を選んだ後に[Microsoft Word 2003]を開いてください。」なんて指示はしない。「Wordを開いてください。」といきなり言い放ってしまう。「知っている人は教えてあげてください。分からない人は仲間に教えてもらってください。」と言うだけだ。それでちゃんとどうにかなるのだ。なってもらわないと困る。

精神疾患の当事者には「できるだけ具体的な指示を与えてください」なんて指導されやすいこの業界(?)からの常識(??)なんてどうでもいい。そんな常識に縛られているから「精神障碍者は使い物にならん」なんて、企業側から言われてしまうのではないかと密かに思っている。

私は精神疾患(鬱)を16歳から罹患しながらも、IT業界で人並み以上の能力を発揮している人を知っている。いろんな難題が降りかかってくる部署でいろんな応用力や機転を利かせ、圧倒的に大きな存在感をもって仕事をしている。彼が突然いなくなったらたぶんその職場は大混乱を起こすと思う。

こういう優れた人材は私の職業人生でもけっこう出会ってきた。実際に精神疾患を抱えながら、企業でバリバリ仕事をしている人はかなり多い。技術屋の領域で自ら起業している人すらいる。彼らに共通するのは自己解決力が非常に高いことだ。かなり抽象的な指示や課題に対しても適切に対応している。

「精神障碍にもっと理解を」と言っている就労支援組織には、企業の実務を知らない人が案外多いような気がする。そして、バリバリ働いている当事者のこともあまり知らない。それは就労支援組織が悪いのではない。普通に考えて、バリバリに就労している当事者と就労支援組織との接点は少ないだろうからだ。仕方がない。

そのこともあって、「精神障碍者の人にはわかりやすく具体的に」という「指導の指導」が入ってしまうのだろう。確かにそうしなければならない病状や職業環境もあるだろう。だからその指導方針のすべてを否定するつもりはない。

しかし実社会に出て働いてみると、けっこうアバウトな指示が飛んできたりもする。就労移行支援の講義で「わかりやすく具体的に」を徹底しすぎると、そこのギャップで突然苦しむことになる。企業特有のスピード感にしてもそうだ。ゆったりした講義に慣れすぎると企業のスピード感についていけない。

ぬるま湯から熱湯に放り込むのはある意味で残酷だ。熱湯と言わないまでも実社会と近い程度の温度を事前に体験しておくことは重要だ。私の講義はシンプルさの割に、実はハードルが高い。なぜなら就労した後に体験するであろう出来事をできるだけ講義の中に織り込んで、それをシミュレートしているからだ。

いろんな不満も出てくると思う。でも、私はそのひとつひとつの不満に向き合っていくつもりだ。「不満」というのは一見ネガティブなパワーだが、パワーには違いない。そのパワーの向きを変えることができればポジティブなパワーにもなる。

私は講義自体に「容赦」をするつもりはない。でも「情け」は力一杯かけていきたい。私は受講生の潜在能力を信じている。今は企業から相手にされていなくても、必ず光があたる日が来るのだ。ひとりひとりと向き合ってみんなで勝利をつかみたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿