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2009年12月16日水曜日

夢を叶える

「即戦力ITコース」の講義を始めて4回目。1週間に1度なので、4回目といっても1ヶ月たっている。これが毎日だったらもっと先に進むんだろうけど、「自分で考える」ということを主体に置いているので、たぶん毎日やったらキツイかもしれない。

さすがに受講生から「きついきつい」という意見も出はじめた。それはそうだ。私の講義は「ゴールを自分で考える」という場面が多い。自分で考えるということは大変なコトなのだ。今はキツイかもしれないが、自分で考える力を全面に押し出せていけない限り「だから精神障碍者は・・・」という企業側の雇用ハードルはなくならないような気がしている。

それはなぜか。「精神障碍者」=「指示待ち族」という図式ができているとすれば、それは企業にとって重荷になりやすいからだ。実際に働いてみれば分かるはずだが、「指示を出す」とか「仕事を与える」ことそのものが「仕事」になるわけで、指示だけを頼られてしまっては「重荷」でしかない。特に頭脳労働においては。

本質的に「精神障碍」というのは「考えられない病」ではない。特定の環境や状況下において、精神的な部分を源とした耐性が低めであるということだ。もちろん精神障碍には知的障碍を伴う場合もあるので、そのあたりまで言及すると一概には言えない部分もあるのだが。

そのような点を踏まえ、すべてがすべてではないにせよ、精神障碍の当事者の中には「自分で考え」「意見を提案し」「自分で実行」を実行できる人はいる。確実にいる。それは断言してよい。いわゆる健常者でも「指示待ちなヤツ」もいれば「アイデアマン」もいる。精神障碍でもたぶん同じだ。

私の講義はすべて「○○をしてみたい」から始まっている。だから、教室に来て座っていれば勝手に教えてもらえるというスタンスではない。自分から新しいことに挑戦して「○○がしたい!」という強烈な欲求に対して、どうすれば自分のその欲求を満たせるかどうかを教える。

だから、私の講義は「まるで遊びみたいだ」と言われることもある。そう思ってもらえるのであれば、私の試みは「大成功」だ。仕事でもなんでもそうで「楽しい」と思えれば勝ちだ。時間をもてあまして無駄に眠くなることもなければ、どうしたらもっとよくなるか・・・という思考によって、仕事の質もよくなる。

仕事も「遊び」みたいなものなのだ。楽しんでできれば必ずいい効果が上がる。もちろんその枠組みの中で「きついきつい」と言われがちな「ざっくりとした指示」も出す。それは、わざとやっているんだから「きついきつい」と言われても、それはやめるわけにはいかない。

だって就労したいから、貴重な時間を削って講義を受けているんでしょ?・・・と。私だって収入大幅ダウンを覚悟して講師をやってるんだから、ちゃんと就労してもらわくてはやっている意味がない。もちろんその先に描いている夢もあるんだけど、ともかく今は就労を成功させること。そしてその就労を楽しめる精神的土壌を作ること。これが今の私のミッションだ。

ただその代わりどんな成果物ができても怒らないし、物理的な疲れについては頻繁かつ少し長めに休憩時間も確保している。また、どんな愚痴にでも徹底的につきあうつもりだ。だから「講義でキツイと思ったら、いくらでも愚痴を聞きますよ。いつでもご遠慮なくどうぞ!」と、よく言っている。

基本的に講義の大枠の方針は変えないんだけど、「なぜ、つらいことをするのか」を伝えて、納得してもらえると一様に表情が明るくなる。それが大事なんだと思う。たとえば、最初の講義で作ってもらった「夢」の紙に、「今まで自分が知らなかったことができるようになっている」と描いていた人の愚痴を聞いたことがある。

「講義のテンポが早すぎてついていけていないような気がするんです。今までと違って分からないことだらけになってきて不安です。」という愚痴。だけど、実際にMS Officeで作ってもらった成果物を見ていると、いろんなところにイラストも入っているし、レイアウトや文章もしっかりしている。

「これ、講義を受け始めた頃からできましたか?」と聞いてみたら、首を横に振って「いいえ」と一言。

その通り!

確実に「できること」の領域は広がっているし、イマジネーションを現実化させるための選択肢も増えているはずなのだ。ただ、新しいことをたくさん始めれば「知らないこと」でいっぱいになる。だから「不安」にもなる。それは未知の領域でがんばっている証拠なのであって、不安な気持ちになることは至って健全な反応だ。描いた夢のとおりになっているということに気づいてほしい。

私は受講生のみんなが描いてくれた「夢」の紙(のコピー)をいつも持ち歩いている。そして、叶えられそうな夢があったら、どんなに些細なことでも少しずつ叶えていこうと考えている。「夢は叶ったら終わり」ではない。夢が叶うと必ずそれまでの夢を上回る夢が生まれるからだ。新しい夢が生まれたらそれをまた追いかければいい。

「夢」ありきで始める「IT講義」があってもいいと私は信じている。どんなに便利で優れた開発ツールがあってもアイデア(=夢)がなくては何も作れない。テクニックだけがあっても、感情を伴うイメージがなくては何も生み出すことはできないのだ。ここを大切に考える人材を全力で育てたいと思う。

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