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2009年12月9日水曜日

潜在能力を信じる

驚くほどに時間の経過が早い。先週、講義をしたかと思ったら、また明後日に講義だ。

先週は即戦力ITコースの3回目にして、いきなりWordとExcelを使ってもらった。あまりの急展開に受講生の半分くらいが軽く混乱。しかもその教え方が荒いのだから、まぁ、正直、受講する立場からすれば、たまんないだろうな・・・と思う。でも実は意図的にやっている。

たぶんね、WordとかExcelとかをやるんだったら、大上段から難しめの講釈から入って、そしてひとつひとつの機能解説から入って・・・というのを期待されていると思うんだ。でも、そういうのを期待するのなら、そこらへんのパソコン教室に行けばいくらでもある。それと同じコトをするために、私はわざわざ「即戦力ITコース」なんて開講しない。

まず、「WordとかExcelに過剰な期待を持つな」ってこと。だって道具だよ。ただの道具。これに数ヶ月・・・なんて、目指す山を高くしすぎなんだと思うよ。もちろん高い山は登り甲斐があるかも知れないけどさ、やたら時間と体力を使えばいいってもんじゃない。そうじゃなくて小さい山をいくつも登った方がいいんだと思う。

だから「この高い山の先はまだまだ先だ。さぁ、みんな、へこたれるな!」なんてことは最初からやる気がない。ハードルの低いモノを高そうに見せるのは、商業的にはアリなんだと思うけど、こっちは金儲けでやってるワケじゃないんだ。少なくとも「就労移行支援」単体ではお金儲けを考えていない。

とりあえず希望に近いところに就労してもらうことが目的だし、就労した後に苦労しないようにしておきたいだけだ。だから、就労した後の困難を乗り越えるための「自己解決力」を徹底して教えている。「自己解決力」というのは「状況分析能力」と「情報収集能力」と「行動発想能力」の足し算だ。

「自分は何をすることが必要なのか?」を知り、「どうやって情報を集めていくか?」を考え、「どのように対処していくのか?」とまとめる能力を必要とする。その能力を磨くために必要と思われることを、現時点においてすべて行っている。「教え方が荒い」というのも、それが大きな理由なのだ。

「[スタートメニュー]から[プログラム]を選んで[Microsoft Office]を選んだ後に[Microsoft Word 2003]を開いてください。」なんて指示はしない。「Wordを開いてください。」といきなり言い放ってしまう。「知っている人は教えてあげてください。分からない人は仲間に教えてもらってください。」と言うだけだ。それでちゃんとどうにかなるのだ。なってもらわないと困る。

精神疾患の当事者には「できるだけ具体的な指示を与えてください」なんて指導されやすいこの業界(?)からの常識(??)なんてどうでもいい。そんな常識に縛られているから「精神障碍者は使い物にならん」なんて、企業側から言われてしまうのではないかと密かに思っている。

私は精神疾患(鬱)を16歳から罹患しながらも、IT業界で人並み以上の能力を発揮している人を知っている。いろんな難題が降りかかってくる部署でいろんな応用力や機転を利かせ、圧倒的に大きな存在感をもって仕事をしている。彼が突然いなくなったらたぶんその職場は大混乱を起こすと思う。

こういう優れた人材は私の職業人生でもけっこう出会ってきた。実際に精神疾患を抱えながら、企業でバリバリ仕事をしている人はかなり多い。技術屋の領域で自ら起業している人すらいる。彼らに共通するのは自己解決力が非常に高いことだ。かなり抽象的な指示や課題に対しても適切に対応している。

「精神障碍にもっと理解を」と言っている就労支援組織には、企業の実務を知らない人が案外多いような気がする。そして、バリバリ働いている当事者のこともあまり知らない。それは就労支援組織が悪いのではない。普通に考えて、バリバリに就労している当事者と就労支援組織との接点は少ないだろうからだ。仕方がない。

そのこともあって、「精神障碍者の人にはわかりやすく具体的に」という「指導の指導」が入ってしまうのだろう。確かにそうしなければならない病状や職業環境もあるだろう。だからその指導方針のすべてを否定するつもりはない。

しかし実社会に出て働いてみると、けっこうアバウトな指示が飛んできたりもする。就労移行支援の講義で「わかりやすく具体的に」を徹底しすぎると、そこのギャップで突然苦しむことになる。企業特有のスピード感にしてもそうだ。ゆったりした講義に慣れすぎると企業のスピード感についていけない。

ぬるま湯から熱湯に放り込むのはある意味で残酷だ。熱湯と言わないまでも実社会と近い程度の温度を事前に体験しておくことは重要だ。私の講義はシンプルさの割に、実はハードルが高い。なぜなら就労した後に体験するであろう出来事をできるだけ講義の中に織り込んで、それをシミュレートしているからだ。

いろんな不満も出てくると思う。でも、私はそのひとつひとつの不満に向き合っていくつもりだ。「不満」というのは一見ネガティブなパワーだが、パワーには違いない。そのパワーの向きを変えることができればポジティブなパワーにもなる。

私は講義自体に「容赦」をするつもりはない。でも「情け」は力一杯かけていきたい。私は受講生の潜在能力を信じている。今は企業から相手にされていなくても、必ず光があたる日が来るのだ。ひとりひとりと向き合ってみんなで勝利をつかみたいと思う。

2009年12月1日火曜日

NHKの障碍者番組

最近はテレビ番組をめっきり観なくなってしまったのだが、その代わり、おもしろい番組についてはビデオ録画している。その中で最近、毎週ビデオに録画してみている番組が「きらっといきる」(NHK教育 毎週金曜20:00~20:30 http://www.nhk.or.jp/kira/)。

NHKに受信料を払っていてよかったと本気で思える良質な番組だ。むしろNHKはこれしか観ないから、この番組の視聴料を払っているようなものだ。

この番組のすごいところ。
それは「障碍者に対する変な憐れみがない」ということ。

最近の番組に多いのが「障碍を持っているのにこんなにがんばりました・・・出演陣の全員が涙で感動」というパターン。「たしかにスゲーよなー」と思う人たちが紹介されたりするんだけど、「感動物語」となるといくらか微妙だ。

上から目線で「はい、よくがんばりました」的な気持ち悪さを感じるのだ。だからゲストのコメントでも「障碍を持っているのにすごいですよねー」という結論になっちゃう。

たとえば私はITエンジニアとして生きるために、記憶力やらなんやらという自分の弱点を補う方法をいくらか研究した。そこで仮に「記憶力がたいして良くないのに、そんなに努力するなんて感動しました」なんて言われたとしてもちっともピンと来ない。生きるために必要だったからそうしただけだ。

でも、この番組ではそういうヌルイ意見があまり出ないところがイケている。

たとえば脳性麻痺のお笑いコンビが「僕たちは芸人ですから笑ってほしいんです。障碍者の努力の姿に感動した・・・なんて泣いてほしくない。」などと言っていた。しかし、その翌週の番組で健常者から寄せられたお便りがステキだ。

「泣かれるのがイヤなら芸を磨いてほしい。あなた方は芸人の世界をナメすぎている。人様に笑えない程度の芸を見せて笑ってほしいと頼む姿勢そのものが甘い。芸が陳腐だから笑えなくて泣くしかないのだ。そこに障碍者という言葉を持ってくるのは、あなた方ご自身が障碍にもたれかかっている証拠ではないのですか?」

手厳しいがその通り。そういうお便りが届くのもすごいが、それを番組で正直に紹介してしまう制作姿勢もすごい。率直に感心した。

そのお便りに対して司会者自身も「私は正直な気持ちとして、今、反省しています。私自身も『障碍者』という視点で評価にゲタを履かせていたと思います。正直、お笑いとして純粋に内容を評価すると、まだまだだったと思います。もっとがんばってほしいですね。」と発言してしまう始末。

しっかりとその後のフォローもしている。その二人組のお笑いコンビにちゃんとそのお便りを届けていた。そのコンビは、その意見を踏まえてもう一度「お笑い」に対して最初から取り組み直すんだそうだ。

ちなみに、しばらくは「障碍者ネタ」も封印するんだそうだ。個人的な意見だけど、そこまでやっちゃうともったいないと思う。障碍者という現象がネタ(武器)になるのなら、それはそれで有効に使った方がいいと思うんだけどね。健常者の芸人だって、自分の借金とか離婚までネタにしちゃう人がいるくらいなんだから。

似たような芸風で「ホーキング青山」という芸人もいるけれど、彼くらいにまで突き抜けてしまえば笑える芸人になれると思う。ただ、彼のステージは最高におもしろいんだけど、たぶん放送電波には乗せられないところが弱点なんだけど。トークの8割が「ピー」で消されるだろうから。

この番組の画期的なところは他にもある。脳性麻痺の人をコメンテーターとして常に出演させている点だ。脳性麻痺の程度によっては言葉が話しづらくなる。だから慣れていないと聞き取りづらいこともあって、残念なことに後ろ向きなイメージが定着しがちだ。

実際にはそういうことはなくて論理的な意見に長けている人が多い。でも、脳性麻痺の人に会える機会というのは、普通に生きているとなかなかない。しかし、このように番組でそういう人をコメンテーターに抜擢するというのは画期的だと思う。この人が出演しているおかげで「上から」感が薄れるのだ。

個人的にも助かっていて、昔、聞き取りづらかった脳性麻痺の発音特有のヒアリングがだいぶ楽になった。よく聞き取れなくて「すんません、もう一度お願いします。」と言わなくて済むのはやっぱりラクだ。何度も聞き返すのはやっぱり失礼なような気がするし。

他にも、生活費やら助成金の細かい金額についても公開する懐の深さもいい。そういう現実のデータを知りたいと思っても、当事者にはなかなか聞きづらい話だったりするから。また、多彩な障碍について取り扱うので障碍者の種類を適切に把握するための教科書的な番組といえそうだ。

全体的に明るくて前向きな番組作りにも成功していて、観ていて心理的に辛くなるようなことも少ない。今後もこの番組には注目したい。

2009年11月29日日曜日

燃える!即戦力ITコース

11/27の金曜日は、精神障碍の当事者が、ITのスキルをきちんと自分で習得できるようになるようにするための「即戦力ITコース」の二回目。なんとか事前に自分で決めておいた指導項目も全部達成。

ただし、このコースは「ITを教えるコース」ではない。正直に言ってしまうとそれよりも、もっと本質的なことを身につけるコースだ。もちろんITに絡む知識も教えるのだが、それよりももっと大切なことは「自分で解決する能力」だ。そして想像力。これなしではITエンジニアにはなれない。

第一回目は納品が間に合わずにパソコンなしでの講義になったワケで、いくらなんでもパソコンのない講義は「しまりがないなあ」なんて思ったのだが、さすがに第二回目にはパソコンが間に合った。

パソコンがあると実は前準備が面倒になるのだけど、そこは優秀なスタッフがサポートしてくれるので非常に助かる。前準備が必要なことは分かっているのだが、講義の開始前は正直それどころではない。

実は講義を始めるギリギリの直前まで、頭の中でベストな講義内容のイメージトレーニングしていることもあって、私の頭の中のほとんどの注意力とか集中力、それから想像力はちょっと先の未来を向いている。

昨晩まで考えた講義の進め方以上に、パフォーマンスを引き出す方法はないのだろうか・・・なんて考えて続けていたりする。すると、ふっと天から新しいアイデアが降りてきて、急遽、そのアイデアに切り替えることもある。

当初、ビデオ教材でも作って見てもらおうか・・・という構想もあったにはあったのだが、やっぱりそれじゃだめだ。「ライブ」の楽しさや緊張感があった方がいい。

だから、先日までに練りに練り込んだ講義方針があっても、受講生のみんなの興味が向かう方向や得意分野を見つけたら、すぐによりよい方向に軌道修正をする。それがライブだ。楽しさとか興味、好奇心が人を伸ばすのだと思う。少なくとも私はそうだ。

さて、二回目の講義は私が考えている講義の中ではもっとも重要なことを行った。それは「夢」をA4の紙にフリーレイアウトで描いてもらうというもの。そしてそれを、みんなの前でプレゼンテーションしてもらうのだ。

「何のためにこのコースを受講しているのか」という目的がはっきりしていることが必要で、自分自身の目標を忘れないように書くこと。そして他の人はどんな目的で受講しているんだろう?・・・ということを知って刺激を受けることは重要だと思う。

これを書いておくと、何かでくじけそうになったときに、自分自身の支えになる。初心ってそれくらいに大事だ。

フリーレイアウトというのも私が意識したことだ。決してフォーマットを作るのが面倒だからとかそういう理由はない。いや、面倒だからというのは多少あるか。まあ、面倒でも効果があるなら苦労してでもフォーマットを作ろうと思うけど、フリーレイアウトの方が効果が高いと思う。結果的には「ラクして最大の効果」という選択肢に落ち着いただけともいえる。

誰かが決めたフォーマットというのは見る側にとってはラクだし、場合によっては書く側にとってもラクかもしれない。しかし、フリーレイアウトでなくては分からない情報があふれていると思う。主張したい気持ちの表現方法、レイアウトのうまさ、イラストのうまさ・・・などなど、想像力やセンスのような要素がたくさん垣間見える。これが彼らにとっての現在の資産なのだ。

ちなみに、この「ラクをする」という発想は私の講義の中では大きな軸になる。受講者には「ラクをする」という「戦術」を身につけてほしいと思っている。「ラクをする」というのは「怠ける」という意味ではない。いや、多少は恩恵として「怠ける」があってもいいと思うくらいだが。「ラクをする」ためには頭を使わなくてはいけないのだ。

安易にラクをしようとすると、後で余計に大変なことになってしまって「ラク」じゃなくなる。だから、先を見据えて考えることが要求される、それなりに高度なテクニックだとも思う。

もうちょっとキレイな言い方をすれば「行動分析」と「効率化」ということになる。工夫しないと数十時間かかることを数分でできるようにする。面倒だったことを簡単にする。これがもっともシンプルな意味での「IT」だと私は思う。

さて、みんなに作ってもらった思い入れのたっぷり詰まったたくさんの紙。これが最初の青写真。これから、WordやらPowerPointやらを使って、もっともっとキレイな文書に変わっていく予定だ。

そしてキレイな文書に変わっていく過程の中で「夢」とか「目標」そのものが変化してもいいと思う。むしろ新しい目標の選択肢を見せていくことは、このコースの講師としての私の使命でもある。

ちなみに、私は、一日でWordの基礎を終わらせようと考えている。Wordに時間をかけてはいられないのだ。別にWordの講義をやりたくないという理由ではない。いや、多少はあるけれど。だって、この先、もっともっと楽しい世界が待っているのだから。

そういう楽しい世界を見ておいた方がいいと思う。ただ単に機会に恵まれなくて知らないだけだったらもったいない。よく、WordやExcelを最終目標に設定しちゃうことがあるけど、私はしない。WordのためのWordの講義なんてつまらないでしょ?

基本をさらっとやったら、後続の講義の中で必要に応じて実用で使ってもらうつもりだ。ExcelやPowerPointもそうだ。学ぶために学ぶのではなく、使うために学ぶのだ。本当に使うか使わないか分からないような機能も含めて、テキストの最初から最後まで覚え込まされるなんて、私だったらNo Thank youだ。つまらなくって講義中に寝てしまう。

たとえば、「文字を大きくしたい」、「色を変えたい」、「図形を描いてみたい」。こんなものは誰かから「1から学ぶ」ものじゃないと思っている。ただ「やりたい」とか「こうしたい」という気持ちがあってはじめて必要になるのだ。

だから、必要なら必要なその時に覚えてしまえばいいと思う。受け身ではなく「気持ち」とか「欲求」という形で自分の中からでてきた好奇心を満たすことが大事だ。さあ、お楽しみはこれからだ。

そういえば他の週も担当しているスタッフから、「こういう講義というのは、翌週から少しずつ人数が減ったりするんですよね。」と聞かされていたので、「今回はちょっとはラクができるのかな?」と思っていたら、なんと今回は前回を上回る人数になってしまった。

想定して準備していたパソコンの台数が足りなくなってしまうほどの大盛況。私に期待してくれているんだな。ありがたい。そして私も彼らに期待しているんだけどね。

お互いが幸せになれる講義をやっていきたい。


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◆ご参考までお問い合わせ先◆

NPO法人NECST 就労移行事業
障碍者就職サポートセンター「ビルド」

〒272-0034
市川市市川3-28-5-201
047-320-0345

「即戦力ITコース」は金曜日のみとなります。

もし、ご興味があったらどうぞ。
ちなみに精神障碍の当事者の人が対象「だと思ってます」。
・・・って、講師の私が書いてよかったんだっけな?

ま、あくまでも私が「思ってる」だけということで・・・。
厚労省データで、身体9%、知的7%で、精神0.001%の就労率だもの。
困ってる層からなんとかしましょうよってことで、ここはひとつご勘弁を。

それから、夢を描いただけで講義が終わったワケじゃないので、念のため。
ちゃんとパソコンを使った講義もやりましたとも。


いろんな思いがつまった「夢」の紙たち。※あ、拡大しても内容は読めないようにしてあります。
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2009年11月27日金曜日

OSが生み出す景気

米国Googleが2009年11月19日、開発中のOS「Google Chrome OS」のソースコードを、オープンソース・コミュニティ向けに公開した。必要なドキュメントなどもきっちり含まれているらしい。ブラウザでほとんどの仕事ができるようになる計画だ。

私もその流れが正しいと思っている。実際のところ、今でも私は効率化の恩恵をインターネットから受けている。たとえば名刺管理やドキュメント管理、スケジュール管理などはインターネットの向こう側でデータを一元管理できる「EverNote」を使っている。

日本語変換はATOKを使っているが、辞書学習内容を複数のPCで同期できる仕組みを活用している。これもインターネットを活用しており、自宅用のPCでも現場のPCでもモバイル用のPCでも同じ変換効率を実現できる。

そもそもATOK自体にしても、インターネットを活用して月額300円で(同時利用しない限り)10台までインストール可能なサービスを展開している。

ATOKの課金状況はインターネットを介して確認され、契約状態が正常であればATOKが稼働する仕組みだ。途中でATOKの新しいバージョンが発売されると自動的に最新のものがインストールされる。

ちなみに私は月額版のATOKを利用している。毎年3,600円の支払いにはなるが、毎年新しいバージョンが発表されるたびに迷わなくてよいところが最大のメリットだ。変換効率が毎年進化するのであればそれを享受した方がいいと思う。

もちろん、久しぶりのバージョンアップによる大幅進化の喜びは体験できなくなるが、別にメリットの享受を後ろ倒しする強力な理由はどこにもない。

話が少しそれてしまったが、このようにインターネットがなくては成立しないサービスが、最近ではかなり増えている。逆に言えばインターネットがあれば困らない時代になってきている。

さまざまなことがWebブラウザ上で実現できるようになってきている。だから最近販売されるPCでは、必ずしもWindowsが搭載されているわけではない。標準的機能を搭載するブラウザだけがあればいいのだから。

その一方で、Microsoftが「今後のWindowsの新規バージョンリリースは3年ごととする」との未確認情報もある。未確認であるものの、この情報にはいささか複雑な思いがある。

・新しいOSをリリースすると機能が増えて重くなる。
・OSを買い換えるたびに環境移行に手間がかかる。
・Microsoftのソフトウェアは比較的高価である。

というデメリットがありながら、常にハードウェアの買い換え需要を伸ばしてきた側面がある。つまりOSが重くなればなるほどハードウェアが売れたわけだ。

WindowsXPは発売開始から販売終了まで8年間動き続けた。つまり8年間はハードウェア買い換え需要はほとんどなかったといえる。数年後のWindowsXPサポート終了を見据えてしばらくは、OSの乗り換えでハードウェアの買い換え需要も伸びると思われる。

ただし、3年後に我々が新しいOSを必要としているかどうかは分からない。今でこそ高度な画像編集をはじめとする専門的な作業はローカル環境で行うことが最適だが、もしかするとそのような作業ですらネットワーク上でできるようになるのかもしれない。

数年後、すべてのサービスがネットワーク上で利用できるようになっているかもしれない、そして、安価な月額料金で利用する時代になっているかもしれない。

そうなってくると、OSの選択肢としてWindows以外とする方向性も現実的になってくるだろう。すると、またハードウェアの買い換え需要は今よりも少なくなるのだろうか?

おそらくその鍵は次世代ネットワークインフラの拡張(速度と網羅性の強化)にかかっていると思う。パソコンのあるところから仕事をするのではなく、ネットワークのあるところから仕事をするスタイルになる。

OSに依存しないテクノロジーの進歩は新しい選択肢を与えてくれている。あとはその選択肢を上手に活用した、新しい働き方を模索する時期に来ているのだろうと思う。

2009年11月23日月曜日

本物を目指す

だいぶ思い切ったコトをしたもので、12月末以降はとりあえず無収入だ。こんな不況な時期によくやるよな・・・とつくづく思う今日この頃。無収入というか、まあ、金曜日の講師料があるので「無収入」というと、それはそれで失礼か。

さて、そんな危険な旅立ちを応援してくれる人たちがいる。とてもありがたいコトだと思っている。ただ「自分にリスクが及ばない限りは応援するんでしょ?」とか「君は人がいいから都合よく使われてるだけなんじゃないの?」と心配してくれる人たちも一方でいる。

正直なところ私自身はそんな心配をしていない。私は実のところかなり人間を見る。本当に信用できる人間かどうかは、それなりの時間をかけて考えるタイプだ。そして、一度「信頼できる」と確信できたら、人生をかけてでもその人を最後まで信用することにしている。

第三者を深く信用するということは、自分自身を信用するということに等しい。つまり、そこで何かがあったとしても、それは誰かを信用すると覚悟を決めた自分に全責任があるのだ。

それから、私は本気で「本物を目指せば結果がついてくる」と信じている。おそらく「社会が本当に必要としていること」をまっすぐに目指していけば、それで利益を得る人たちが私の姿を見てくれるのだろうと思うからだ。

私がやろうとしていることが見捨てられたとしたら、それは社会に対して貢献できないものだったということが証明されたにすぎない。誰も利益を得られると感じなかったから、誰もついてこなかっただけの話だ。そういうことに時間をかけても日本はよくならない。

だから、いろんな人が心配してくれるのは嬉しいのだけれど、「裏切られるんじゃないか?」「ただ便利に使われているんじゃないか?」と心配する暇があったら、すこしでも本物に近づくための施策を考えた方がよっぽど自分のためになる。

自分のやろうとしていることを、最近、いろんな人にオープンにして話している。別にパクられても構わないと思っている。なぜなら自分にしかできないことをやろうとしているのだから、他の人がやったところで私の構想どおりにはならない。

別に「上から目線」というわけではない。それを聞いて「自分もやりたい」という人が増えてもいいと思っているからだ。厚生労働省が把握している精神障碍者は300万人以上で、就労できている人数は4000人。単純計算で0.001%。勤労適齢者が総数の3分の1とざっくり考えても0.004%だ。

別にそこに競争原理が不要だとは一切言うつもりはないが、現状では横の広がりで連携できそうなら、そして連携したいと思う相手であれば積極的に連携した方がいいと思う。それくらいがんばってみても、まだまだ就労を望みながら叶わない人々がいる。競合だとかなんとかと言っている場合ではない。

ただ、一方で精神障碍についていえば急激な改善が進んでいることも事実だ。2006年の法改正で法定雇用率に精神障碍者もカウントされるようになったからか、かなり本腰を入れて精神障碍者を雇用する企業も増えてきている。ここ数年でかなりの変化が現れたようだ。

その現象をさらに加速させるべく、私も本物を目指していきたいと思う。

2009年11月21日土曜日

講師活動いよいよ開始

昨日、千葉の就労支援組織「ビルド」での即戦力ITコースを開講した。精神障碍を持った人に本気で必要な「テクニック」を教えていく講座だ。11月から「ビルド」の運営準備局は機能していたものの、まあ、準備なのでさまざまな施設見学に終始していた。

実際の受講者を前にして・・・という意味では昨日が初講義だ。最初から第一回目はオリエンテーションを行うつもりだったのだが、さすがに完全にパソコンなしで始めるとは思わなかったな。パソコンの納品が予定よりも遅れてしまったらしい。

集まってくれた受講者は12名。予想が8名だったからずいぶんと大勢の方が集まってくれた。本当にありがたいことだ。

まずは彼らが「なんのためにITコースに来たのか」を全員に聞いてみた。これが大事。

「即戦力ITコース」自体が目指すべきゴールはもちろんある。

しかし、受講者の「気持ち」を置き去りにして突っ走っても集団としてのゴールには近づかない。

それぞれの受講者の頭の中にはゴールのイメージがあるはずだ。それぞれの人生に、それぞれの価値観に基づいたゴールがある。そのゴールのイメージを集合させて、受講者全員でたどり着くゴールに導くことができれば面白いと思う。

彼らが渇望してやまない就労にしてもそうなのだ。会社にはさまざまな人間がいる。人生の価値観もそれぞれ違うし、それぞれが目指すべきゴールも違う。そういう個人個人が会社の「理念」という旗印のもとで集団としての能力を発揮している。

私の講座ではそれを大事にしたい。みんな違う。得意分野も違う。それをひとつひとつ丁寧に繋ぎ合わせることで、一人ではできなかったようなことができるようになる。「就労成功」というのはひとつの通過点にすぎない。

本当は「就労した後のこと」を考えながら走った方がいいと思うのだ。就労してから自分はどのようなポジションで働きたいのか。自分には何ができるのか。そして人間同士が力を合わせた時にどのようなパフォーマンスが実現するのか。それを実感してほしい。

「即戦力ITコース」自体が目指しているのは、将来、「IT系エンジニアに成長できる人」の種を撒くことだ。「IT系エンジニア」そのものを育成することではないところが、実は私にとって斬新な試みだ。だから初回のオリエンテーションで言い放った。

「私はITに関するすべての知識を教えるつもりはありません。」

たとえば新しい技術を習得しようとした時には、最初の入り口を自力で見つける能力が極めて重要になる。それはもっともシンプルで、かつ、自分にとって100%理解できる入り口を探すことだ。

その基本的な入り口を何度も反復練習し、そこからすこしずつ知識を拡張していくテクニックを重ねることで、自分にとって未知の領域をすこしずつ自分のスキルとして蓄積していくものなのだ。

私はITエンジニアとして、とりあえず十数年ご飯を食べてくることができた。それなりに厄介なことも経験したし、新しいこともさまざま経験してきた。でも、私はITエンジニアとして特別な適性があるわけでもないし、特別な才能があるわけでもない。

ただ、あえて適性と呼べるものがあるとすれば、「好奇心」とか「楽をしたい」という気持ちくらいのものだろうと思う。「好奇心」+「楽をしたい」というスタイルで、結果的にはその時に求められている多くの仕事を達成できた。

十数年、私がやってこられたのは、新しい入り口を探す方法論を自分なりに研究してきたこと。それからそこから得た知識を体系化して、自分なりのマニュアルを作る技術を考えてきたことだ。他人が書いたマニュアルを読むよりも自作することを常に考えてきた。

マニュアルを読むときでも、自分ならどのようにそれを再構成するかを考えながら読む。たいして特別な才能に恵まれたわけでもない私が、それなりに苦労して編み出した多くの「テクニック」に助けられている。それらを彼らに伝授することを考えている。

基本的にそれさえ体得できれば、何か新しいことを学ばなくてはならない時、そこに先生などいなくても自分の力で切り開くことができるはずだ。私はそこをこそ目指したいと考えている。

生きていて一番しあわせなことは、自分の能力が誰か(これを「社会」と読み替えてもよい)のために役に立っていると実感できることだろう。それのひとつの形が「就労」なのだと思う。

ははは。私にだってそういうしあわせを追いかける権利はある。私はここまで私が生きてこられた「すべ」を魂を込めて彼らに受け取ってもらいたいのだ。それで彼らがしあわせな日々に向かって船出をしていく。それが私にとっての純粋なしあわせだ。

もちろんね、この講座で得られた自分なりの貴重な気づきを元にして、別の事業も立ち上げるつもりだ。正直なところ、この講師料だけでは生活していけないからね。自分が干上がってしまっては彼らをゴールまで導けない。

社会変革を本気で起こそうと思ったら、やはり継続性を十分に考える必要があると思う。まだ経営者として未知数な私は「ドンキホーテ」に見えるかもしれない。でも、笑われたって構わない。私は本気で社会の方向性を変えようと思っている。相手がたとえドデカイ風車だったとしても戦ってみせる。

私にとってこの講座をすることは戦いだと思っている。だって悔しいじゃないか。たまたま精神障碍と診断されて、そこからの人生が大きく変わってしまうなんて。人生なんて紙一重なんだと思う。診断書一枚で変わってしまうんだから。

そういうのやっぱりおかしいと思うよ。


そういえば、お昼は近所の作業所に通っている当事者が作ってくれたランチをいただいた。むちゃくちゃ旨かった。これで300円って、一体どうなってるんだ。野菜は近所の農園で取れたものだそうで。ホントいい環境だな。

2009年11月20日金曜日

トップセールスと成功

以前、起業家たちが集まる会に参加したときに、とある有名なセミナー会社のセールスマンが来ていた。若々しくて好感を持ったので話を聞いた。まだ会社に入って数か月足らずだそうで、「セミナー紹介CDを送ります」とのことで、断る理由もないので住所を教えてその日は別れた。

後日、CDが届いた。「拝聴したら感想をメールでお送りします」と返事したところ、「直接CDの感想を聞きたい」とセールスマン氏。正直、会おうかどうか迷った。CDの内容は抽象論ばかりでイマイチ具体的なネタに踏み込まない。

内容のほぼ半分は、自分が過去にどれくらい貧乏だったか。そして成功を意識してからどれくらいトップセールスマンになったか。語られるすべてのページが金ぴかの刺繍で飾られている感じ。申し訳ないけど・・・うさんくさいよ。これじゃ無理だ。

そして、ちょいちょい上から目線で「私の言ってる意味、分かりますか?」と聴いてくる。そのたびにイラッとして仕方なかった。もちろん実績も資産も間違いなくはるか上の方なので、上から目線は正しいのかも知れないけれど、好き好んで上から目線ビームは受けるものじゃない。

向上心がないとか、嫉妬で機会を逃すのはもったいない・・・という人もいるんだろうが、正直、CDを聴いている限りでは、私の嫌いなタイプの人間だ。こういう押しの強い社長は、激しく嫌われてしまうか、メンターとして崇められるかのどちらかだ。私は残念ながら前者だった。

そこを抽象論と自慢話だけでセミナー紹介を押し進めてしまうので、「そんなに中身の分からないモノだったら要らない」になってしまうわけだ。・・・という話を、若きセールスマン氏にした。「正直、そんなに内容不明な紹介で購買意欲が湧くとは思えない。」と。

そもそも会うことに決めた理由は、CDを送っていただいたことに対して「アウトプット」という形で礼儀を果たすべきだと考えたからだ。たとえそれがマイナス評価だったとしても、それを伝えることでよりよくなればいいと思ったからだ。

「商品自体はきっと悪くないんだと思うんだけれど、自分自身の力も試してみたいし、たぶん買うことになったとしても後々の話になると思いますよ。」と、購入意思がないことをやんわりと謝絶させてもらった。

「でも、もったいないと思いませんか?・・・成功までの道筋がはっきりと見えているんですよ。それを逃すのは人生にとって損失になりませんか?」・・・彼にとっての「成功」とは一体なんなんだろうか。というか「彼にとっての成功」が「私の成功」と等しいわけでは絶対にない。

時間が進むうちに、私に「買う」と言わせることは、私にとってではなく彼にとっての成功にしか見えない構造になっていた。正直大変だよなあと思う。社会経験も日が浅く、若き日にありがちな「社長万歳!」の状態では見えるものも見えないし、売れるものも売れない。

「CDの感想を聞きたい」とアプローチしておきながら、CDに対する苦言を呈すると「誰にでも満足できるものは作れませんから」と切り返してくる。おかしいだろう。CDについての感想を聞きに来たのではないか?・・・私は反論を受け付ける立場でもない。善意で言っているだけなのだ。

聴きたくないならこっちだってわざわざ言わないよ・・・という姿勢なのだから。「CDの内容でセミナーの具体的な内容も全く見えないし、お得感も全く感じない」とメッセージを送っているのだ。

「だったら内緒で(本当は社内で了承済み)、セミナーの一部を僕でよかったらやってみましょうか?」くらいのことを言ってもいいんじゃないだろうか。「会社には悪いですけど、とりあえず僕で役に立てることがあれば一部だけでも無料でお教えしますよ。」なんて言われたらどうだろう。

そんな理由で、今後、何度も足を運ばれて、無料の「こっそりセミナー」が続いてしまったとしたら。本当によいメソッドであるならば、たぶん何らかの効果は出てくるはずだ。そこまでの信頼感が醸成されてしまったら、たぶん私はそのセミナーにお金を払うと思う。それが人間としての礼儀だ。

セミナー紹介用CDも含めてケチいのだ。何も価値を感じさせるモノを出さずに、こちらのお金だけ出せというのは無理だ。今日は新人セールスマン氏の砥石になったわけだが、ちゃんと自前のセミナーで学ばせてからじゃないと、看板に傷がつくんではないかと余計な心配をしてしまう。

入り口でケチると、たとえ中身がいい商品だったとしてもダメになる事例かな・・・と思った。というか、特にこういう関連のシロモノは警戒させたらそれまでよ。本当にいい内容なら受けてみたいけれど、少なくとも今のセールスでは無理。今のところほしくない。

そのあたり「志縁塾」あたりは絶妙な商売の旨さがあるなと思う。無料に近いセミナーでもしっかりと、笑いとモチベーションを持ち帰らせてくれる。だから、また行きたくなる。お金を払っても行きたくなる。なぜなら、入り口で太っ腹だからだ。

競馬で一番儲けるのは、競馬でひと山あてたいヤツを相手に商売する情報屋。株とか投資情報で一番儲けるのは、投資でひと山当てたい素人投資家を相手にする情報屋。情報商材というのは作ったもの勝ちだ。成功マニュアルで一番儲けるのは・・・。

「成功」という一見甘美な蜜はどこに続いているか分からない。そもそも「成功」ってのは、それなりに自分で苦しんだり迷ったりしながら掴むものじゃないか?

マニュアルを自分で作ることを忘れて、完成系のマニュアルを簡単に買っちゃおう・・・というのは、なんだか安直な気がするよ。個人的には。

彼はこれからいいセールスマンになるんだろうか。そこは注目して見ていたいと思っている。彼の方からあきらめてしまわない限りは。