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2012年2月16日木曜日

障害分析マニア


今となっては「なんだかなあ」なのだけれど、数年前の私は「障害特性」という言葉に惹かれていた。「障害特性」にあわせた対処法を数値化なり見える化なりして、その結果を計測すれば理論体系を確立できるのではないかと思っていた。

正直なところ、今の私は障害特性という言葉に何も感じない。統合失調症だろうが、発達障害だろうが、障害分類名に興味はないし、それによって扱いを大きく変えることもない。単に「本気でやりたいか、やりたくないか」の軸だけで区別をしている。

ただし、「ずっと他人に依存しようとする人」や「言い訳をする人」には、そっと「さよなら」している。それは「自己解決型自立」ができる見込みがないからだ。「できる人だけを集めているのだから、できることは当たり前じゃないか」といわれても私はかまわない。

逆に「『できる人ができない人として扱われている現実』を打開して何が悪いのか」と逆に問いたい。逆に「やる気のある人」を「やる気のない人」と同列に、ある意味で「公平」に扱おうとすることは、著しい「不公平」だと私は思う。

まずは「モチベーションが高い人」が社会参加を果たせる環境を整備することが先決で、その結果、「モチベーションが高いのに社会で活躍できない人」が世の中から消えてしまったら、その時にはじめて「モチベーションがゼロの人」の炎を燃やす方法を考えればいいのだと思う。

それまでは、冷たい人間だと思われる覚悟の上で、はっきり態度を決めている。モチベーションの低い人を押し上げる努力はしない。依存心にもたれかかっている人に手をさしのべたりしない。その代わり、頼りなくても一歩踏み出そうとしている人にはトコトン付き合いたい。

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