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2012年2月3日金曜日

言い訳できない環境

繰り返しになってしまうが、私がやっている仕事は障害者の就労移行支援関連の仕事だが、ただ単に就職できればどうでもいいというものではない。「状況に流されるのではなく」「自分の意思で生きていく」スタイルを身につけてもらいたいと思っている。

そして、その過程で当事者の方々には「障害者であること」を捨ててもらいたいと思っている。もちろん「障害者手帳を便利に使っていく」ことには賛成だ。国で保全された制度を使う権利を有しているからだ。便利な制度は使っていくべきだ。

しかし、心で負けちゃいけない部分はあると思う。それは「自分が障害を持っているから○○できない」と、障害を理由にあきらめてしまうことだ。そういう点については「障害者であること」を忘れてほしいと思うのだ。

私が一年あまりをかけて代々木に構築してきた環境では、一切、障害についての愚痴がでてこない。出てきたとしても、それはシリアスなものではなく、笑い話に変えてしまうような領域の話だ。そもそもが私自身、彼らを障害者だとは思っていない。

いや、これはいささか乱暴なので、もうすこし適切に表現すると、「彼らが障害者認定を受けている」ことは事実として認識している。しかし「彼らにとって仕事における『障害』は一切ない」という認識も、私は事実として受け取っている。

もちろん、常識の範囲を越えた過大な負担を彼らに課すことはないが、忍耐力が試されるシチュエーションは体験してもらっている。一生懸命やったことでも、方向性が違っていればはっきりとそのことを本人達に伝える。なぜならそれは彼らが認識すべき「クオリティ」だからだ。

私と当事者の方々が織りなしている仕事環境の空気は穏やかだ。しかし、クオリティについての妥協を許さない空気も同居している。そして、その環境において「自分は障害を持っているから○○ができない」という「言い訳」を私は聞いたことがない。

なぜならそこの仲間ができているからだ。仕事を楽しみながら、自然とそのクオリティを高めている人たちが普通にいる。今、そういう得意な環境は日本の中に少ないかもしれない。しかし、私にとってはそれが当たり前になっている。

いずれ、このような形が日本の「当たり前」になれたらいいと思ってやまない。

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