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2009年11月19日木曜日

重要ポイントを3個に絞る

人間の記憶は7~9個までを最適として短期記憶限界があると聞く。しかし、実際に口に出して7個の全てを連続して言うのは難しい。指折りしながら途絶えてしまったり、重複してしまうものだ。

赤・黄・青・・・の信号とか。グー、チョキ、パーのじゃんけんとか。子供が覚えやすいものは、3個の固まりになっているような気がする。大人でも、普通、7個もポイントを言われたらメモを取るだろう。メモなしの記憶最適数は平均しても3つだと思う。

要するに7個なら大丈夫というのは、ある意味でウソなんだろう。でも、3個なら覚えられる。「実はこれが本当の最小単位なのではないか?」と私は思っている。むろん、これは私の記憶能力に依存した程度の低い話かも知れないが。

3個というと、いくらなんでも少なすぎるんじゃないだろうかとも思わなくもないが、それは7個でも同じことだ。全てを7個に凝縮するのは無理なのだ。「ラッキーセブンだから7にしたんじゃないの?」・・・と思うほど。

本当に実用として使える知識というのは、必要な時にすらっと出てこなくちゃ意味がない。そういう意味では実用記憶をするために、ポイントを3個以下にまとめるのは重要ではないだろうか。

と、そういう言い訳を並べつつ、重要ポイントを3つに絞る過程について考えてみたい。題材にするのは、2009/11/18に渋谷で行われた障碍者雇用の勉強会だ。講師は大東コーポレートの山崎社長。

あえてメモを見ず、記憶の中のみから話の概要を書いてみる。

(1)大東コーポレートは大東建託の特例子会社である。
(2)元々は法定雇用率を満たすために作られた会社である。
(3)精神障碍者雇用によって実際に多大な利益がでている。
(4)知的・身体・精神のどれも採用対象である。
(5)筆記テストは平均点数が低く意味がないのでやめた。
(6)面接も本人ではなく支援者や親が答えるのでやめた。
(7)自分のできることは当事者の方にもできることである。
(8)怒ったり叱ったりせずに根気強く反復が必要である。
(9)達成目標は当事者自身に書いてもらう。
(10)達成目標のスパンは2週間の短期と1年間の長期である。
(11)何かが起こったらすぐに報告してもらう習慣をつける。
(12)失敗を怒らない代わりにウソをつかない約束をする。
(13)明るく挨拶をする習慣をつける。
(14)失敗の責任はすべて代表者の責任との認識を持つ。
(15)当事者と一緒に二度と失敗を起こさない方法を考える。
(16)短期的に無理をさせてしまうと長期的にダメになる。
(17)焦る気持ちに「ブレーキ」をかける能力は必須である。
(18)精神障碍の場合は最初は3時間から開始するとよい。
(19)ひとつのことができるようになってから職域を広げる。
(20)複雑工程の解決として高性能ハードウェア導入も有効。
(21)ミスが深刻化する前の段階でチェックの段階を設ける。
(22)大手が敬遠しやすい少量多様な生産業務を専業化する。

とても3個にはまとめられない・・・が、7個だって無理だ。
メモを見ないで、取り上げてみたって21個もあったりする。

・・・あれ?・・・7つを超えてるぞ?
でも、記憶の中から引っ張り出すのに時間はかかっている。
「ああ、そういえばこれも」というのはコアな記憶じゃない。

そこで、いろんな視点からこの話を自分なりに切り分ける。
単なるまとめではなく、自分なりの視点や匂いをつける。

◆大東コーポレート概要
 ・特例子会社である
 ・精神・身体・知的と多様な障碍者を雇用
 ・外注の競合他社に比べても大きな利益を提供

◆育成における注意点
 ・無理をさせない(ちゃんとブレーキをかける)
 ・怒ったりしない(誉めて誉めて伸ばす)
 ・根気強く時間をかける(反復を強く意識する)

◆自主性の醸成
 ・一緒にトラブル防止策を考える
 ・一緒に目標設定を考える
 ・目標設定を自分で書いてもらう

◆効率化のポイント
 ・地道な反復による作業効率の向上
 ・浅いチェックポイントでミスを検知する
 ・費用対効果により高額な装置導入も検討
 
◆収益化のポイント
 ・地道に業務範囲の拡大をすすめる。
 ・原則残業なしを前提で業務をすすめる。
 ・大手が面倒くさがる業務を請ける。

いくらか削れてしまっている部分もあるが、あくまでも「私の価値観」で3個ずつにポイントを絞るとこのようになる。

講義は教科書ではないのだから全部覚えなくていい・・・と、私は思う。もし、講義の通りにやったとしても、それは単なるコピーだ。コピーが悪いということではなく、コピー元の経営者が持つ特性や個性まではコピーできないことの認識が重要なのだ。

経営者が持つ特性や個性がある前提で、たまたま方向性がベストマッチングすると成功事例につながる。だから講義を聴くときには常に自分の価値観に合うもの、もしくは合わせるべきだと思うことを明確に意識したい。

たぶん、そういう価値観だとか好き嫌いの感覚が、無意識に自分の個性や特性に合う価値観に結び付けてくれているような気がする。

それはそれとしても、大東コーポレートはすごい会社だ。特例子会社ゆえに「障碍者ありき」という宿命の下で生まれた会社ではあるが、職を転々としがちな(いわゆる)健常者ですら、こういう会社だったら長く定着するんじゃないだろうかと思う。

私は勝手に「メンタルユニバーサル」と呼んでいるが(そして広げたいとも思っている)、本来、精神障碍者が楽しく仕事できる環境というのは、(いわゆる)健常者にとっても楽しく仕事ができる環境だと思うのだ。

特殊な人たちが置かれる特殊な環境・・・ではなく、ストレス圧力が極めて少なく、「快」のオーラに満ち溢れた仕事場は、すべての人に好ましいのだと思う。(もちろん死ぬほど働きたい人は、死ぬほど働くのも自由だ。)

もし、そういう仕事場に巡り合っていれば、私もサラリーマンを辞めたいなんて思ったりはしなかったと思う。でも、せっかくサラリーマン生活を抜け出そうと、ここ数年、構想を温めてきたのだ。せっかくだから自分が就職したら幸せになる事業を創ってみたい。

2009年11月17日火曜日

心構えとして

「昨晩書いたラブレターは、朝、読み返せ」
なんて言葉があります。

激情のままに書いた文章がどんなものかが分かるわけです。もちろん酔っ払って書き殴った文章も同様だと思います。

そんなワケで、昨晩のブログは一時間経たずに消えました。しばらくして読み返してみると、読むに堪えなかったので。

要するに自分の能力不足を指摘されブログで吠えてました。まぁ、それほどまでに痛いところを突かれたワケですかね。朝の5時まで眠れないくらい悔しさを噛みしめていました。

MBAを修得した人の素晴らしさが身にしみたことがひとつ。そして経営する能力がないという指摘を受けたのがふたつ。自分で思い知っていることに追い討ちをかけられると痛い。

ただ、こういうことは今後もたくさん出てくるでしょう。自分の至らなさで火を噴くほど悔しい思いをするでしょう。

そこにいちいち反応していては、無駄に消耗するだけです。何かを地道に続けていくためには、打たれ強さが必要です。ちょっとしたことで感情的になっていてはいけないのです。

能力不足は元から承知の上で始めようと決意したことです。指摘で痛みを感じるのは、実は承知ができていなかっただけ。もうちょっというと覚悟ができていなかっただけなんです。

沈みそうになるまで殴られても殴られても沈んじゃいけない。パンチを食らいまくっても前進する不沈艦を目指すんです。

私は優等生ではないから、たくさんパンチを食らうでしょう。そこで怒って席を蹴飛ばしてしまっては、やっぱり負けです。
#もちろん、それをやってしまったら爽快なんだろうけれど。

その時は言葉だけを取り入れて、余計な感情は受け流す技術。そういうものをキチンと自分の体に取り入れるべきなんです。いちいち心の真正面から受けていたらダメージが溜まります。

私は、いろんな局面で我慢が必要な立場を目指しています。そうであるなら、それなりの覚悟と見識が必要なのでしょう。MBAうんぬんというより、まず、自分にとってはそれが大事だと思います。

でも、
「そういうところに気づくかどうか試していたんですよ。」
なんて、したり顔で言われたら、やはり蹴飛ばしたいかもね。よく「試す」なんて言うけれど、やっぱりそれって失礼なことだと思いますよ。

・・・なんて思うあたり、まだまだ人間が出来上がっていなかったりします。困ったものです(苦笑)。

ただ、どちらを向いて仕事をするのかということ。
誰のために仕事をするのかということ。
そこを見誤っちゃいけないと強く思います。

2009年11月9日月曜日

ホルモンとハラミ

「ホルモン焼き」の由来は「ほうる(捨てる)モン」なんだそうで。
その真偽はともかくとして、似たような話は結構ありそうです。
たとえば「中落ち」やら「ハラミ」も昔は捨てていたんだとかで。

捨てられるモノに注目すると、新しい道が見つかると思います。
たまに「クラゲ」が大発生したというニュースを見聞きします。
網にかかるのはクラゲばかりで、肝心の魚はまったく獲れない。
漁師は「これじゃ商売にならない」とクラゲを海に投げ捨てる。

こういう映像をたまに見ますが、他に道がないのかと思います。
クラゲの成分から有益なものを取り出して活用する方法だとか。
もちろん、美味しく食べられる加工方法を考えるのもアリです。
何らかの活用方法があれば「大発生」→「大漁」になるんです。

で、国民がジリジリと減っていく少子高齢化が進行中の日本国。
フィリピンなどの海外から労働力を輸入する話もありましたね。
一時期ニュースになったあと、どうなったのか分かりませんが。

海外から安直に人材資源を買う前にやることがあると思います。
それは、日本国内の人材資源から先に活用していくことです。
昔の60代~70代はヨボヨボのジジイという印象がありました。

でも、最近の60代~70代は骨のある人がやたらと多いんですね。
「ジジイ」と呼ぶには抵抗のある人がすごく増えた気がします。
30代後半の私にとってロールモデルになりそうな人すらいます。

まず、そういう人はもっと活躍しないともっとないと思います。
まだリタイアしたくなさそうな人が、ウジャウジャいそうです。

還暦過ぎても現役な人は、死ぬまで働いたほうが世のためです。
私自身、PPK(ピンピンコロリ)で終われたら理想だなと思います。
ご本人の望みも叶えた上に、社会も活性化するならいいですね。

私個人として高齢者に望むのは高齢者への新サービス創造です。
若いヤツがどれだけ想像しても思い浮かばないようなサービス。
それを生み出せるのは、骨のある現代の高齢者層だと思います。

ギャル社長が渋谷ギャルのためのムーブメントを作り出す現在。
高齢者が高齢者のためのムーブメントを作るのもアリでしょう。
高齢者が楽しい社会にならないといけないと私は思っています。
高齢者が楽しくないと、年老いていくことがリスクになります。

それから障碍者の層も人材資源として活用できるといいですね。
これも個人的に早いうちに整備された方がいいと思っています。
だって、実は誰だって障碍者になる可能性があるわけですから。

最終的には「障碍者」にこだわるつもりもないんですけどね。
私が目指している理想は、障碍者だけに特定してはいません。
どんな状況であれ「働く意志」を無駄遣いしない社会の実現。
ここに向かって走れば障碍者も高齢者も働けるようになります。

たとえば、長期入院しなくてはならない体になってしまったら?
そんな時でも働くことができるかどうかということは大事です。
だから勤務時間や形態も含めて多様性を考えた方がいいんです。

今まで長期入院したら、その間は仕事をしないのが常識でした。
でも、とてつもなく無駄に長い一日なんて私なら苦痛ですから。
ただ、窓の外を眺めるだけの日常は命の無駄遣いだと思います。
何もすることがないなら、いっそ働いていた方がマシです(笑)。

働ける人材資源は、高齢者、障碍者、入院患者の中にもいます。
それぞれの視点から、ビジネスを立ち上げる気持ちは必要です。
そのことが、それぞれの社会的立場を変容させる力になります。

今、「働きたい!」と願う人材の気持ちが無駄になっています。
働きたいと願う人にこそ、働いてもらうことが日本のためです。
「視点の転換」こそが、現代における「錬金術」だと思います。
誰もがしあわせになれる錬金術なら、急いで始めたいものです。

2009年11月6日金曜日

精神障碍とモチベーション

精神障碍の人が就労する場合の、ハードルの高さを考えています。
それは就労時間の短さとも、欠勤確率の高さとも言われています。

実際、一日5時間の週4日というケースも確かに珍しくありません。

が、実際にはすべての当事者に当てはまるワケでもありません。
欠勤を全くしないで頑張っている当事者もけっこういるんです。
作業所で当事者を眺めていても、例外はいっぱいあるようです。

でも、精神障碍の当事者は「根性ナシ」と思われることが多いです。

「だって、就労が決まっても、ヤツラ、すぐ辞めちゃうじゃん。」

・・・まあ、持続しないケースも確かにけっこう多いみたいです。
で、私はこの「持続性」の原因自体にものすごく興味があります。

たとえば、ものすごく働きたくない職場で働いているとします。
ただ、生活のためには仕方がないから働いているとしましょう。
・・・正直なところ、そんな環境なら私でも持続できません。

でも、極端に雇用先がない状況はそういう状況を生み出します。
実際に精神疾患の人を受け入れたくない企業は相当数あります。
そして選択肢が狭まった状態で、職業選択を迫られるわけです。

で、「入れただけでも幸せなんだからがんばりなさい」とか。
ある意味「入れただけでも幸せ」はその通りなんですけどね。
だけど、一方ではちょっと違和感を感じたりもするんですよ。
狭い選択肢から選んだその仕事は、本当にやりたかったのか?
・・・って。

精神障碍の当事者が働きたい・・・というとどこでしょうか?
たとえば「掃除」とか、たとえば「事務」とか。よく聞きます。

「でもさあ、その『清掃』って、本当にやりたい仕事なの?」

と聞きたくなったりするんです。

「その『事務』というのは、たとえば具体的に何したいの?」

と聞きたくなったりもします。

もちろん、清掃業が心から好きなら「清掃業務」全然アリです。
仕事自体としては、とっても大事な仕事だと思っていますから。
ただ、選んだ仕事が、本当に好きかどうかは大切だと思います。

精神障碍って、語弊を恐れずに書いちゃえば「正直病」ですよ。
いわゆる健常者って「本当はキツイんだけど」耐えきっちゃう。
「正直、8時間労働って超キツイっすよ」と思っていたとしても。

だけど「正直病」にかかっていると、ゴマカシがききません。
キツイ状況に置かれると、体が先にやられちゃったりしちゃう。

それでは、本当は働きたくない環境でもし働いていたとしたら?
・・・そりゃ辞めちゃいますよね。だって正直病なんですもの。
限られた職業選択肢の中に、好きな仕事がないのって不幸です。
「離職率の高さの原因ってそこなんじゃないの?」と思います。

だからね、求職者側も福祉に「してもらう」だけじゃダメです。
具体的に「自分は何をすると幸せなんだろう」を考えなくちゃ。
で、「どの仕事をすると幸せに近づくんだろう?」って考える。
考えるというより「妄想」レベルでも構わないと思っています。

現実を見すぎて、夢や希望を失うくらいなら妄想した方がいい。
妄想から、自分の目指したい方向性を見つけりゃいいんですよ。

選択肢がないのなら、自分から選択肢を作る選択肢もあります。

「自分自身の幸せを追いかけている実感」=「モチベーション」

なんじゃないかな・・・と私は思うんです。

就労支援側も、選択肢を増やす努力をした方がいいと思います。
与えられた選択肢からの脱却を目指した方がいいんだろうなと。

そういう志で、私は精神障碍の当事者向けの講座を担当します。
正直、IT業界で働いていた時よりも、収入は大幅にダウンです。
時給ベースで考えたら半減なんて言葉じゃ足りないくらい薄給。

ただ、長期的視野でビジネスを考えているのでできるだけです。
当面は個人的に大赤字だけど、ひとつの投資だと考えています。

要するに「幸せを追いかけているつもり」だからできるんです。
自分なりのモチベーションがあるから、できるってだけです。

そのために未来に対する建設的な妄想が必要なんだと思います。
で、それは精神障碍の当事者だって、そうなんじゃないかなと。

個人的にはこんなことを考えています。

2009年11月2日月曜日

脱・貧乏な福祉

いわゆる「福祉=貧乏」という構図。
これ、なんとかしないといけないんじゃないかなと思うんですよ。
「福祉は清貧じゃないとできない」という発想はどうなんだろう。
そんな視点で支援活動を始めると、必ずお金の壁にぶつかります。

http://www.news.janjan.jp/area/0810/0810010483/1.php

活動のために避けては通れないのが、やっぱりお金なんですよ。
せっかくいい活動をしようとしても長続きは難しいと思います。
また、活動の手段と目的がひっくり返りやすいことも残念です。
就労支援が目的なのに運営だけでいっぱいいっぱいだとかね。

決して、ボランティア精神を貶めるわけでは決してありません。
という前置きをしないと、誤解されそうな話をあえて書きます。

精神障碍者の就労支援ボランティアが苦境に立っていたそうです。
就労支援の場として喫茶店を運営しているボランティア団体です。
すごく残念だなと思うと同時に、当たり前の結果だとも思います。
なぜ、存続性が薄い「ボランティア」にこだわるんでしょうか?

いっそ、営利法人として勝負をかけてもいいと思うんですよね。
そして、大手のコーヒー会社に働きかけてもいいわけなんですよ。
「フォローは我々がやるので特例子会社で始めませんか?」とか。

UCCとかに特例子会社があるんだけど、店はたぶん出してません。
なら「特例子会社でカフェを作りましょうよ」と持ちかけるとか。

それから「ボランティア」に拒否反応を示す層もいるんですよね。
あんまり「ボランティア」を強調しないほうがいいとも思います。
「福祉」すらも看板に出さないくらいがちょうどいいと思います。

なんだか不思議といい雰囲気で、いいコーヒーを出してくれる店。

で、よくよく聞いてみたら、
「え?・・・ここのお店って、本当は就労支援の店なんですか?」
って驚かれるくらいがカッコいいと思うんですよ。

最初っから、
「精神障碍の就労支援なんで、ダメなコトがあってもスミマセン」
というスタンスじゃ、同じ飲食業への就労も難しい気がします。
それに自分が働けば働くほど迷惑をかける環境ってツライですよ。
気疲れしやすい当事者に余計な気苦労をかける環境って微妙です。

社会に叩かれたっていいから、商売っ気を出せばいいと思います。
たとえばテレビ局のツテをたどって、番組作りの提案をするとかね。
スゴ腕の喫茶店の仕掛け人とかを入れてもらって、それで店を出す。
で、「このステキな店は就労支援のための店なんですよ」ってオチ。

制作したテレビ局も仕掛け人も、いいイメージを獲得できますよね。
さらにテレビ放送で店が紹介されれば、人が来るかもしれません。

もちろん「障碍者を食い物にして稼いでいる」という批判は受ける。
そんな批判は甘んじて受ければいいんじゃないでしょうか。
「それがどうした!」って。

たとえば、派遣会社は非正規社員を食い物にして稼いでいます。
たとえば、老人ホームは老人を食い物にして稼いでいます。
で、就労支援の組織は障碍者を食い物にして稼いでいます。
単なる言い方の問題であって、助かる人がいればいいんです。

福祉だからって、なんだか萎縮しちゃってるような気がします。
助成金を貰いつつお金を稼ぎすぎたら、何か言われそうだとか。
助成金を貰っても不利な状況で努力するんだから、いいんですよ。

「それは我々の税金だろ!」

その通りです。その税金を使って労働力を世に送り込むんですよ。
送り込めば送り込むほど、生活保護の支給比率は減るんですよ。
長い目で見たら、そっちの方がよっぽど世の中のためになります。
税金を世の中の役立てて、無駄に罪悪感なんて必要ありません。

福祉業界が貧乏くさいと、お金を持った人が近寄りづらいです。
ちゃんとビジネスになることが分かってこそ活性化するんです。
そこを勘違いしていると、いつまでたっても貧民層のままです。

たいへん生意気なことを書いています。すみません。
でも、私はこの「今の常識」のサイクルを変えたいんです。
というか、私自身「福祉」をやるつもりはないんですけど。

2009年10月26日月曜日

そろそろ脱出します

2009年の12月をもってハケンを辞めることにしました。
現場側では継続できる方向で考えていてくれていました。
だからハケン切りではありません。
そんなワケで「脱出編」はそろそろ終わる予定です。

千葉のNPOの精神障碍の作業所でIT即戦力講座を始めます。
11月から毎週金曜日に本気でIT現場で必要な技術を教えます。
適性のありそうな人を全力で育てていくということです。
私にとって「適性」というのは実に簡単な定義だったりします。

「興味があること」「やっていて楽しいこと」のふたつだけ。

私がIT関連の業界で生きてきたのも、このふたつがあってこそ。
だから、このふたつを満たせば、受講資格があると思っています。
そういう意味でITの面白さを伝えていくことが最初の任務です。

ちなみにIT系の講座といっても、ありがちな講座にはしません。
必要な知識を全部詰め込んでいく・・・ということもしません。

知識だけではないところで、私が重要視していることがあります。
それは「自分で解決していく力」をを身につけることです。
だから、私はこの講座には自分なりの「こだわり」を込めます。

具体的には・・・。
いえいえ、これは実際に結果が出てから公表したいと思います。
受講者にもワクワクしてほしいので、ネタバレできないんです。

私が講座をやる上で考えている達成目的はただひとつ。

企業から「喜んで採用したい」と言われる人材を育てること。
数値目標としては、採用実績を1年以内に達成することです。
人数はとりあえず1人でもいいかな。そう、たった1人でいい。

その1人がとっても大事。
その後のロールモデルという意味で。

「あ、ここでがんばると本当に道が開けるんだ!」

という意識付けになればいいと思うんです。
あ、でも「たった1人」というのはちょっと訂正。
もちろん、それ以上を狙います。

2009年10月16日金曜日

しあわせの定義

これを考えるのと考えないのでは、だいぶ違うんじゃないかな。
自分にとって「しあわせ」ってなんだろうって考えること。
しあわせになりたいっていう人はけっこういるんだけど。
でも、具体的に何・・・っていうと、困る人も多いような。

しあわせは歩いてこないけど、歩くだけでもダメなんだよね。
どこに向かって歩くべきなのか、考えていないといけない。
それが、本来、人生の選択になってなきゃいけない気がする。
たとえば、仕事にしてもそうなんじゃないかなって思う。

大学時代に就職活動しなきゃいけない時、それが一番困った。
やりたい仕事なんて、正直言ってみれば何にもなかったし。
高収入でラクだったらいいよなあ・・・って思う程度だった。
何もしないでお金がもらえるなら、一生働かないのになーと。

最初の就職に失敗して、自分に合わない会社に入っちゃった。
そこを辞めたのをきっかけにいろんな職場を渡り歩いてきた。
別に飽き性だったワケではないんだけど、結果的にそうなった。
世の中一般的には誉められた話じゃないけど、後悔はしてない。

いろんな職場を渡り歩いたおかげで、大事なコトに気づいた。
それを書き始めると長くなっちゃうから、それは別の機会に。

ただ、仕事と仕事の間で時間的な隙間ができた時期があった。
仕事についてどうしようかって、今後を考えてた頃だった。
働かなくても生きていける・・・という不思議な時期だった。
理想的だと思ってたんだけど、実際はそんな感じでもない。

いつもが休日でいつでも遊びに行けちゃう。とっても自由。
でも周りを見渡すと、当然だけどみんな働いているんだよね。
仕事場なら仲間がいるんだけど、仕事がないとそれもない。
結局、すっごく孤独感ばっかりが募っちゃった記憶がある。

しあわせっていうモノは「無制限な自由」でもないらしい。
で、「仕事をしない」というコトがしあわせでもなかった。
会社員になるか、それとも自分の夢を追いかけるか考えた。
で、自分の夢を追いかけるため、つなぎでハケンを選んだ。

ハケンを選んだ時点で、いずれ事業をやることは大前提。
普通に考えると、34歳でハケンを選ぶのは勇気がいった。
いくら将来の夢のためとはいえ、かなり遠回りな感じだ。
そもそも30代後半になれば、一般入社だって険しくなる。
・・・と、このあたりも書くと長くなりそうなので割愛。

#ちなみにハケンは辞めるときもそれなりに勇気がいる。

くだらないコトだけど、ハケンを始めるのは屈辱だった。
働き始めて思い知ったんだけど、最下級の一兵卒だからね。
ましてや知らない現場に入れば、単なる使えない野郎だ。
自分ってこんなに使えないヤツだったのかとか、自己嫌悪。

でも、そんな毎日の中に「しあわせ」が隠れていたりした。
自分が過去に体得した知識で業務効率が上がった時とか。
「自分の存在が社会の一部に影響を与えてる」って感覚。
世の中で空気のように忘れ去られた自分を取り戻した感じ。

「自分が社会の役に立つと思えるコトって大事なんだな。」
と初めて感じた。自分にとっては効率化がしあわせだった。
面倒な作業で苦しんでいる人を助けるのが私の喜びだった。
自分が好きな分野で役に立てるというのは、しあわせだ。

つまり、仕事を選ぶときに大事なことは「しあわせ」だ。
仕事を選ぶのは、けっこう深く考えなきゃいけないと思う。
自分がどういうことで「しあわせ」なのか。適性は後だ。

今、アイデアを事業化するため、具体的に行動している。
まず、やっていて自分が「しあわせ」になれることをする。
そしてそこに関わる人が「しあわせ」になれることをする。
そこはブレないようにしていきたいな。