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2011年12月8日木曜日

自分が幸せでなくては

私には誤解を受けやすいが、絶対に譲れない大事なポリシーがある。それは「自分が最初に幸せになるべき」という考え方だ。自己犠牲をいとわない生き方は潔い。それはそれで大事な価値観だと思う。人間的にもそういう生き方のできる人は好きだ。

ただ、富を持たないものが多くの人を救うことができるだろうか。自分の生活だけでギリギリの人が他の人を救えるだろうか。たぶん、例外的に数えられるほどにはいるだろう。しかし、それでも「貧しさを共有する」というところが精一杯だろうと思う。

「身の丈を考えて現状に感謝して生きよ」という人もいるが、その発言者は裕福な経営者ということも少なくない。経営者がその言葉を使う時、私は「権力構造を安定的に維持したいだけなのではないか?」と、つい勘ぐってしまう。下から伸びてくる人がいなければピラミッドの上層部は安泰なのだから。給料を多めに上げるコストも減るだろうし。

ともかく、一人一人がもっともっと幸せになるために上を見なくてはいけないと思っている。そしてその幸せをもっと紹介して、夢のある世界を見上げている人を引き上げられる立場にならなくてはいけないと思うのだ。しかし、幸せを知っている人しか、その幸せを紹介することはできない。

もちろん、それは金銭的なことだけにとどまらない。精神的な幸せもそうだ。「金銭がなくても心が豊かなら大丈夫だ」というのは幻想だ。金銭的貧困は間違いなく諍(いさか)いを呼び起こすものだし、金銭で回避できる不幸を経験しなければならない。たとえば手術費用を払えなければ大事な人の命すら救えない。

ポジティブな話をしよう。結婚生活のすばらしさは結婚を体験した人にしか分からない(もちろん「苦労」もセットでついてくるが)。これを独身者だけで結婚を語っても、そこに事実や実感が伴わなければ全く意味がない。想像だけで話をすることほど時間の無駄遣いはない。

私の例について考えてみたい。私にはいろいろと能力が欠如している。記憶力も自慢できたものではないし、短時間での正確かつ迅速な判断力もそれほどない。もっと致命的なことでいえば、長時間集中力を持続させることも非常に難しい。

そういった弱点を補うために便利だったのがITという存在であり、その便利なツールを使って仕事をすることが許されているのがIT業界だった。おそらくITという領域がなかったとしたら、私が生きていく場所はなかったのではないかと思うくらいだ。

IT業界に身を置いていた頃、生身の頭脳だけで仕事していたとしたら、無理であっただろう収入を手にすることもできていたし、そういう仕事で長いこと生活を安定的に維持させることもできていた。つまり、私はITという手段によって幸せになった人間だといえるだろう。

だからこそ、(すべての人に・・・とまでは言わないものの)メンタルでお困りの方に「ITという選択肢」を紹介しているのだ。それは私がITという領域で幸せになったからであり、また、その世界で幸せになれるであろう人たちに希望の光を見てもらいたいからだ。

(私に周囲にいる人たちには例外を目指す人が多いが)福祉の業界では、「みんなギリギリで生活しているんだ」という価値観が当たり前になっている人が多いような気がする。「私も大変なんだから、あなたも耐えなさいよ。」的な感じだ。確かに国から税金をいただいている身だから、仕方がない部分もあるとは思う。

しかし、これで日本が浮かび上がれるのだろうか・・・と思うと、どうにも暗澹たる気分になってしまうのだ。特に、「戦力としてカウントされていない人たち」を「日本の生産力」として送り出す場所がギリギリの環境でいいのだろうかと思う。ある意味で「日本の人材活性化業界」なのに。

私には夢がある。ハンデがあっても夢と希望を持った人が、「絶対に自分で夢をつかんでやるんだ!」と前に進んで、それを現実化させることができる世の中にすることだ。もしくはそれを現実にしてしまった当事者と同じ視点で楽しく語り合うことだ。

そして、これから夢をつかもうとしている人たちに、希望の足跡を見せられるようになることだ。「あんな風になりたい」という希望になれる当事者と一緒に夢を果たしていきたいし、もちろん私自身もそういう存在でありたいと思う。

誤解を恐れずに書こう。ハンデを持っている人の多くは社会の底辺からスタートせざるを得ない人が多い。ついでに書くとそれを支援する人たちもその周辺にいることが多い。実際のところ、私もIT業界から、障害者支援業界に転身した瞬間に年収が驚くほどに激減した。

そんな場所で「身の程をわきまえて、分を超えない生活を・・・」なんて言葉を私は口が裂けても言いたくない。そういうところから夢を叶えて幸せになっていかなくてはいけないと思うからだ。前例がないほど幸せな生活にアップグレードできた人が増えなくてはいけない。

(たしかに私も偉大だと思うけれども)京セラの創業者を目指すような「清らか」で「裕福」な経営者が唱える「清貧」とか「身の丈」なんて言葉を真に受けてはいけないと思う。残念だけど住んでいる世界が違うのだから。底辺の現実が分かっていない人の言葉はアテにならない。

アメリカンドリームじゃないけど、底辺から幸せな領域に移っていかないといけないと思う。今、私の周りでは「福祉がいつまでも貧乏くさくちゃいけない」とか「社会に価値を生み出す人が適正な報酬を得るべきだ」という論調が強くなっている。ぜひそうなってほしい。

かつて日本が貧しかった時でも、人々から夢や希望だけは溢れていたと聞く。しかし、今はどうだろう。世の中が貧しくなった上に、夢や希望まで手放してしまってはいないだろうか。だからこそ底辺から上に伸びていかないといけないと思う。日本の幸せ平均値があがらなくてはいけない。

幸せにならなくちゃね。同じ幸せをより多くの人たち分かち合えるようになるためには、まずは自分から幸せにならなくちゃ。幸せになった人が正しく世の中に光を当てれば、世の中はもっと幸せになる人が増えるはずだから。貧困の中で傷をなめ合っていてはいけないのだ。

果たしてこれは暴論だろうか?

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