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2010年8月20日金曜日

甘く見ない

障碍のある人たちを対象にITコースを開講している。しかし、「パソコンを教えてやってくれよ」とか「パソコンの先生でしょ?」といわれると心底ガッカリする。そのたびに私は頑なに訂正している。私はパソコンの先生などではない。パソコンの先生は街を探せば掃いて捨てるほどいる。

パソコンは使えて当たり前だ。そして習うものでもない。というよりも「習ってなんとかしよう」なんていうのは間違っていると思う。そう書いてしまうと、また誤解されて不要な溝が深まってしまうので、もうちょっと丁寧に書く。

パソコンというのは「自力でよりよく使いたい」という意欲がなければ使いこなすことなどできない。つまり技術というよりも、それ以上に「パソコンを使いたい」という想いが必要なのだ。だから、「パソコンを教える」のではなく「パソコンを使って広がる可能性を伝える」ということが正しいのだと私は思う。

使いこなす人は「誰かに教えてもらおう」なんて思わない。思ったとしても、その前提として自分でいろいろと情報を集めて、自分なりにバリエーションを増やしていっているはずだ。「先生に教えてもらおう」なんて頼る癖がつけば、先生がいなくなったら成長が止まってしまう可能性は高い。

私もいろいろなエンジニアに出会ってきたが、「技術を教えてもらった」というエンジニアにはお目にかかったことがない。たいていは自分で地道に身につけてきたか、現場で技術習得を余儀なくされて死ぬ気で習得した人がほとんどだ。要するにそれなりのスキルを身につけるためには自分自身の意欲が必要だ。

だから実は「教えてほしい」と思っている時点で負けだ。だから私の即戦力ITコースでは「好奇心」「探求心」「遊び心」を大事にしてきた。残念ながらそれがない人や「やらされ感」がある人にとってはあまり役に立たない。だから私のコースは厳しいことで悪評が立つこともあるし、それなりに嫌われたりもした。

しかし、私がそうするには理由がある。たしかに障碍による体力的・精神的なハードルは認める。しかし、障碍のない人が乗り越えるところはできる限りチャレンジしてほしいし、障碍をいいわけにしないで這い上がってほしいのだ。「障碍」を理由にしてあきらめることは簡単だ。

この境界線はものすごく難しい。「本当に無理」という境界線もあるからだ。だから、私にはその境界線を知るための判断基準がある。それはただひとつ。「楽しそうかどうか」という点。楽しくなさそうなら「楽しさ」を見つけることが何よりも先にすべきことだと思う。楽しくなくて何が身につくというのだろう。

自分ですすんで「新しい何かを調べる」というところまで行かなければ本物にならない。「パソコン教室」だとか「パソコンの先生」は日本中にいる。しかし、そのほとんどは「ここをクリックして、ここをクリックして・・・」という教え方だろう。私はそういうことはしたくない。私が伝えたいのは、「なぜそこをクリックして、どうして次にここをクリックするべきなのか?」という、自分自身で考える力だ。

そういうことをいうと、どこからともなく必ずあがる言葉がある。
「そんなことを言っても相手は障碍者ですよ。レベルとか現実とかそういうのをもっと考えてくださいよ!」と。
・・・フザケンナ!

私はそういう意見から真っ正面から対決したい。実際に投薬によってだいぶ状況がよくなっている人もいる。そういう人も全部ひっくるめて「そうはいっても障碍者だから無理でしょう」と言われてしまうと、心の奥底から怒りがわき上がるのだ。なぜ、未知の世界にチャレンジすることを第三者から「抑制」されなくてはならないのか。

比較的ごく少数ではあるものの、支援者を見ていると当事者のことを「幼稚園児」のように目下扱いしているフシが見え隠れする人もいる。

そもそも「障碍者だから無理でしょう」とは何様のつもりか。障碍者の側に立ったつもりで当事者の将来の選択肢を除去する輩もいる。無難な支援者はどうしても無難な人生にしか導けない。当事者にせよ支援者にせよ、リスクを取ってこそたどり着けるゴールが見えてくるケースもあるのではないか。

たまたま障碍のない人だってそうだ。「無難な人生を過ごしたい」という人もいる。逆に「リスクを取ってでも楽しい人生を過ごしたい」という人もいる。しかし、障碍があるとなると一様に「障碍があるんだから無難な人生を過ごせばいい」という論調になるように思えてならない。でもそれは違うだろう。

彼らの生き方とか望みは最大限活かされるべきだ。私は彼らの「野心」をどうやって現実のものにするのか。そこを考えている。人が生きるということは必死で願いを追いかけ続けることなのだと思う。たまたま障碍をもっただけで、その権利を第三者から剥奪されていいものではない。

私はある程度、「望み」とか「夢」とか「野心」を持った当事者の夢を叶える仕事がしたい。「なんとなく人並みでいいです」とか「仕事ならなんでもいいです。」という人には、受け入れてくれる支援組織がいくらでもある。そうでなく「これがしたい!」という強い願いを持つ当事者の夢を一緒に追いかけたいのだ。私は彼らを甘く見ていない。

そこまで可能性を信じなくて、何ができるというのか。

そんな気持ちを胸に、私はITの「おもしろさ」を伝える講義を続けている。私は「パソコンの先生」ではなく、「好奇心の育て方」を伝えている人間だ。それに「先生」と呼ばれるほど偉くもない。だから何度も書きたい。私のことを「パソコンの先生」だなんて呼ばないでほしい。

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