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2012年5月16日水曜日

健常者だとどれくらいでOKですか?


何度も書いてますが、私は障害者の就労移行支援の仕事をしています。でも、私は「就職させて、はい、おしまい」というタイプの支援をしたいとは思いません。たまたま障害を持っていたということで、才能や適性があるにも関わらず「本当にやりたかった仕事」を選べない人たちが、普通に職業選択ができる流れを作っていけたらいいなあと思います。

で、その一環として、健常者と互角に渡り合えるエンジニアを養成しています。養成といっても「手取り足取り」ではなくて、「自己解決」しながら自力でスキルを身につける環境を準備するだけです。それで、気がつけばDB連携したWebシステムを構築できるようになっていたり、センスのいいWebデザインができるようになった人も育ちました。

ここで「健常者」という言葉を使うのは無粋の極みなんですが、あえて書くと、当事者には「健常者のシロウトが追いつけないレベル」を目指してもらいました。むしろそうじゃないといけないと思ったんですよ。「健常者>当事者」という枠組みで語るのではなく「熟練者>シロウト」という枠組みで立ち位置を定めた方がいいだろうなと。

でも、たまたまだと思うんですが、最近、立て続けに違う人から聞かれました。

「彼らがやっているWebページの更新って1日くらいでレクチャー受けられますか?」
「健常者に説明してほしいのですが、健常者だとどれくらいでOKそうですかね?」

……もうね、残念すぎるんです。特に福祉関連の人からそういう話を聞くと心の底からブルーになるんですよ。「結局、障害者よりも健常者の方が優れているという先入観があるのかな」って。そうじゃなくて、彼らがWeb関連の技術を獲得したのは「時間」と「モチベーション」と「気合い」を投資した結果であって、そこに能力差はあまり関係ないわけですよね。

健常者だろうがそうでなかろうが、こと、技術分野の領域の話では「時間」+「モチベーション」+「気力」=「経験値」になるわけで、健常者であれば「時間」も「モチベーション」も「気力」も不要で経験値を蓄積できるなんてことはないんですよ。もちろん、その周辺技術をあらかじめ知っている人にレクチャーするのであれば、いくらでもショートカットは可能なんですけど。

彼らが数ヶ月ほどの時間をかけて「自力」で獲得してきた技術や経験を「健常者に1日程度でレクチャーしてほしい」なんていわれるのは非常に残念なんです。そして、たいていの場合は「無償」であることが前提だったりします。当事者の努力に対しても、獲得した技術そのものに対しても圧倒的に敬意が払われていないような気がしてならんわけです。ただなら便利に使ってやろうと。

だからこそ、もっとがんばらないといけないなと思います。私もそうだし、当事者もそうなんです。表現として美しくないかもしれないけれど「ナメられないレベル」を目指していかないといかんのだと思うのです。「彼らの技術を1日で、それも無償でレクチャーしろだなんてとてもいえない」レベルになっていかないといけないのです。ぱっと見でわかるレベルでないといかんのです。

そういう意味で、前述の言葉を発せられた方々を恨むつもりは毛頭ありません。私と当事者が置かれた現実を正確に把握させてもらったという意味で感謝しているんです。自分の中では「そこそこいい結果が出始めているんじゃないだろうか」と思い始めていたことも事実です。そのあたりは甘ったれていたわけですね。そこは率直に反省でございます。

そんなわけで、心を入れ替えて、楽しみながら結果を出していくぞう!

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