+1

2012年5月2日水曜日

マナーなんて教えない

深い意味はないのですが。今回は「ですます調」です。いや、もっとくだけて「口語調」。

さて、私のクセというか、どうしても刺激的なタイトルを付けてしまうのですが、たぶん、それくらいでちょうど私が考えていることが伝わるのかな……と思い、やっぱりこのタイトルです。先に謝っておきます。ごめんなさい。

さて、就労移行支援事業というと、すぐに「プログラム」とか「マナー」とか、そっちの方に行きがちですよね。でも、私は違うアプローチで社会性を身につけてくれたら嬉しいなあと思っているのです。そもそもね、発達障害とか、そのあたりって、社会に溶け込むのが体質に合わないから困っているわけです。

そこに「まずは挨拶の仕方ができないと就職なんてさっぱりダメだ!」とやっちゃっても、個人的には意味がないかなと思うんです。だって、もともとあまり働きたくなかった人が、なんとか「働く選択肢もなくはない」というステージに来たわけですよ。ま、もちろん、挨拶が社会人の基本というのは正しいんですが、いきなりそこから入って萎えちゃったらもったいないよなあと。

だから、挨拶とかマナーとか、そこから始めちゃうのってどうなんだろう……って思うんです。もちろん個人差があるので「全ての人がそうすべき」だなんて思ってはいないんだけど、苦手なところから出発するんじゃなくて、「自分ってこういうことをやってると楽しいらしい」とか「こういう仕事だったらやっていけそう」とか、そっちが先だと思うんですよ。はい。

つまり、本質的に「仕事」とか「仕事を構成するスキル」を楽しんでもらって、「この楽しいことを生活の中心にしていくためにはどうすればいいんだろう?」……という、逆説的なアプローチで社会性を身につけていくというのはアリなんじゃないかなと。実際に私が運営している仕事シミュレート環境では、社会性についてのプログラムは一切用意していません。少なくとも私はやりません。

じゃあ、システム開発とかWeb制作とか、デザイン制作とかができるようになってきた人たちは社会性がないの?……っていうと、決してそんなことはないんです。実はスキルを身につけていくうちに、その過程で普通に身につけていくんです。たとえば「質問する時の態度が悪い」場合には「そういう聴き方をする人には何も言わないよ」と言っちゃいます。

つまり、座学じゃなくて、本当に「社会性スキル」が必要になるシーンを、仕事シミュレート環境の中にたくさん転がしておくんです。あくまでも個人的な意見なのですが、たとえば「名刺の渡し方」なんてことを講義でやっても、名刺を渡す機会がそもそもない人にやっても意味がないと思うんです。それは名刺を持ってからでしょう。さらにいえば名刺を持つ仕事を選んでからのことでしょう。

挨拶にしてもね、挨拶の仕方をやる前に「人と協力しあう仕事をする」というステップが先にあって、「そのステップをどうやったら円滑にできるようになるんだろう?」っていう、「本人からの需要」があって初めて本気で取り組めることなんだと思うんです。「本人からの需要」がないのに、施設側からいろんなプログラムを押しつけるのってどうなのかなと。

たとえば英会話教室のことを考えてみるといいかなと。

(1) 暇つぶしに何か新しいことをやってみたい人。
(2) なんとなく英語が話せるようになりたい人。
(3) 4週間後にアメリカにいく用事ができてしまった人。

たぶん、一番たらたらとやるのが(1)。そもそもが暇つぶしだから、ちょっとイヤなことがあると、「やめよっかなー」って思ってる(笑)。(2)の人は(1)よりはずっとがんばれちゃうんだけど、「まぁ、焦らなくても時間をかけてなんとかなればいいかなー」と希望的観測をしていたりする。当然だけど、誰よりも必死になるのは(3)の人。だって、たらたらやっていたら後がないんだから(苦笑)。

需要レベルが(1)<(2)<(3)という形になっているんだけど、たぶん同じ講義を受けていたとしても、密度は全然ちがうと思いますよ。就労移行支援事業にしたって、そのあたりの本質は同じだと私は思ってます。でね、言いたいのは「無駄なことにお互いに時間をかけるのはやめよう」ってことなんです。「聞きたくもない話を聞かされる人」→無駄。「聞きたくない人に話を聞かせる人」→無駄……ってことです。

これは私だけがそうなのかもしれないけど「自分と関係なさすぎる話」を聞くというのは、もうね、ものすごい苦痛なんですよ。さらにその上に睡魔と戦わないといけないという状況は地獄ですよ。そもそも「戦わなくてもいい睡魔」と戦っている時間って生産性ゼロですからね。睡魔と戦っている時間があるならもっと「自発的」に使った方がいいと思うんです。

もちろん「社会人になったら睡魔と戦うのも仕事のうち」って言いたくなっちゃうのは分かります。私だってそう思うから。そう言っちゃいたくなるから。でも、何のインセンティブもないうちに「ツライところから体験してもらう」っていうことの価値について、実のところ私はよく分からないです。

私だったら「そんなツライだけの社会人なんて、誰が好きこのんでなるか?」って思っちゃうもの。仕事そのものの「楽しさ」がまず先にあって、そこに相反する「イヤなこと」というのが出てくる。「楽しさ」の恩恵を享受するためには「イヤなこと」をなんとかしなくちゃいけない。そういう関係性があって初めていろんなノウハウが必要になると思うんですよ。ノウハウに需要ができるんです。

そんなわけで、私はね「フォーマット」としてのプログラムを先にやるんじゃなくて、「需要」だとか「モチベーション」とか「自己改善のきっかけ」みたいなものを、本人の中から掘り起こすところからはじめていきたいなあと思ってます。同じことをやっていても「楽しさ」があれば、体感時間は半分以下になります。ということは相対的に密度は2倍なんです。私の仕事シミュレート環境では、週末によくこんな言葉を聞きます。

「ああ、もう、こんな時間か。早いなあ。なんで明日は休日なんだろう?」

なんて。
これが数年前に自宅に引きこもっていた人のセリフとは思えません(笑)。
本当に嬉しい変化です。

0 件のコメント:

コメントを投稿