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2011年5月22日日曜日

感情との戦い

ジョイワークセンターには、様々なことで困っている方が来てくれている。考えがまとまらなかったり、集中力の維持が難しかったり、人間関係がうまくいかなかったり。そのような事情から自信喪失になったりしていることも珍しくない。

しかし考えてみれば、私もずいぶんと不器用な人生を送ってきているし、ある意味では今でもそうだ。人間関係でもずいぶん苦労をしてきた。つまり失敗の多い人生を歩んでいる。そして未だに人間関係の正解を見つけられずにいる。

特に人間関係で苦労をするのが「発達障碍」と呼ばれる状態を体験している人たちだ。話を聞いていると、主張していることは合理的なことが多い。ただ残念なのは人間関係が合理性だけで動かないということだ。それに人によって合理性の考え方もまちまちだ。

ただ、大筋において、相手の感情を害するための方法は決まっている。次に書いたことをすべて忠実に実行していけば、ほぼ確実に第三者から嫌われることが可能だ。こういうのは逆から考えた方が早い。

 ・一方的な態度であること
 ・何かを相手に強要すること
 ・大きな怒声で当たり散らすこと
 ・相手の欠点をほじくり返すこと
 ・くどくどと弁解をすること
 ・曖昧な返事を続けること
 ・相手の話を聞かないこと
 ・相手を無視すること

逆に言えば、これらをしないようにしておけば、ほぼ大半の人たちの感情を害さないで済むだろう。このあたりのことをしてしまう人は結構多い。実のところ私もそうだ。十分に分かっていても「感情」の発散を求めて嫌われることをしてしまうことがある。

生きている限り感情との戦いは続く。これは自分以外の感情と戦うことだし、自分自身の感情と戦うことだ。誰かからの憎しみや蔑みの感情に耐えることも戦いだし、その結果として自分の中にわき上がる怒りや悲しみの感情に流されないことも戦いだ。

人間関係の選択肢というものは難しい。感情を一切隠して接すれば、自らの感情の起伏が原因でトラブルが発生することは少ないだろうが、逆に本音を見せないことで相手の怒りを買うこともある。何もかも丸く収めようとして、取るべき態度を取らなければ自分の意思に反する流れになることもある。

こういうトリッキーな側面のある人間関係は、発達障碍と診断された人にとっては(いや、実は全ての人に該当すると思う!)実に煩わしいものだと思う。常に同じ対処方法が正しいわけではないのだから。そこで私はとある解決方法を思いついた。

それは人間関係構築のためのルール作りだ。「感情論」より「理論」で人間関係を構築する方法を考えている。「人間の気持ちを論理で解決しようなんてムチャだ」と言われそうだが、もとよりムチャは承知だ。感情論でどうにもならないなら理論しかないではないか。

「発達障碍の人は他人の気持ちが分からない」とよく言われるが、そんなことは誰にだって当たり前なのだ。人間は基本的に他人の気持ちは分からない。分かったような気になるのが精一杯だ。相手を十分に理解したつもりで話していても、案外、相手はその調子に合わせてくれているだけのことだってある。

発達障碍の人は誤解されやすい。ものすごく正論を唱えていても相手の感情を逆撫でしてしまうことが多い。それはなぜなら正論だからだ。正論ほど相手の気持ちを逆なですることはない。そういう意味で、私は「発達障碍」ではなく「正直症」とでも名付けたくなる時がある。

そういう正直症の方々に向かって「相手の気持ちになって」という無理難題を押しつけるよりも、「ハズレもあるかもしれないが、外れにくい人間関係の法則性」を研究して、それを理解してもらった方がいいと思う。

たとえば第三者の経験などから、次のような仮説を立ててみて、それに従ってみると面白いかもしれない。

「太っている人に『太っているね』と言ったとしたら・・・」
 →50%の確率で気分を害するが表面上は平静を保つ
 →30%の確率で不快感をあらわにしてその場で怒り出す
 →20%の確率で冗談を返してくるが気分を害している
 →10%の確率で冗談を返してくる上に気にしていない

◆つまり、太っている人に『太っている』事実を伝えない方がいい。
 →【すなわち体格に関することはあまり触れない方がリスクが少ない】

◆太っていることを相手に伝えても、それは誰の得にもならない。
 →【むしろ相手から嫌われることを考えると、自分にとって損である】

このような推論を「頭で考えて」人間関係を決める方法もあるということだ。「そんなことは頭で考えるまでもないだろう」と思う人もいるかもしれないが、それを苦手としている人が現実にいる。そんな人たちに有効なメソッドを今、考えている。

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